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2016年6月8日 (水) 00:30時点における版

 上村亘 四段
名前 上村亘
生年月日 (1986-12-10) 1986年12月10日(37歳)
プロ入り年月日 2012年10月1日(25歳)
棋士番号 288
出身地 東京都中野区
師匠 中村修
段位 四段
棋士DB 上村亘
2016年5月27日現在
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上村 亘(かみむら わたる、1986年12月10日 - )は、日本将棋連盟所属の将棋棋士中村修九段門下。棋士番号は288。東京都中野区出身、杉並区在住。慶應義塾大学理工学部数理科学科卒業。 [1]

棋歴

アマチュア四段の父に教わったことが将棋を始めたきっかけであった[2]

1998年9月、6級で奨励会に入会。直後に7級に降級し、5級昇級までに2年弱を費やした。 以降も18歳の誕生日直前にようやく初段となり、そこから二段まで2年半、二段から三段まで3年3ヶ月を費やすなど、後にプロ棋士となる奨励会員としては、著しい苦労をした。

24歳で迎えた第48回(平成22年後期)より三段リーグに参加。好不調の波はあったものの、4期目となる第51回(平成24年前期)で14勝4敗の成績(優勝)を修め、25歳(26歳の年齢制限まであと1期しか猶予がない状態[3])でプロ入り。

第24回(2012年)新人王戦には、奨励会三段として出場したが1回戦で敗れた。

2013年度は2桁勝利をあげたが、第72期C級2組順位戦に白星が集まらずに3勝7敗に終わり、順位戦1年目でいきなり降級点となる不運な年であった。

第2回(2016年度)叡王戦への不参加を表明。「将棋ファンを心配させて申し訳ない」「理由はいくつかあるが、今は伏せておく」「今後は、他の棋戦で頑張る」という内容をネットで述べている[4]

棋風

  • 本人によると、居飛車党であるという[2]。横歩取りを採用することが多い[5]。終盤巧者として知られ、詰将棋解答選手権によく参加し、2015年度チャンピオン戦では入賞している[6]

人物

  • 慶應義塾大学在学(出身)者がプロ棋士となったのは初のケース。これについて上村自身は「過去にいないという意味では名誉なことだと思っています。」と述べた[1]
  • ネット上ではtwitterでマクドにきた女子高生の会話を聞いて内容をつぶやいたり、弟はじめ家族の珍発言をブログに記す[7]など、ひょうきんな面を持った親しみやすい棋士である。普及面でも、連盟道場でアマチュアを指導するなど将棋ファンとのふれあいを大切にしている。

昇段履歴

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 1998年9月 6級 = 奨励会入会
  • 2004年11月 初段
  • 2007年5月 二段
  • 2010年8月 三段
2010年度後期より三段リーグ参加

主な成績

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

著書

  • 「矢倉新時代の主流・早囲い完全ガイド」 (マイナビ将棋BOOKS)2016.4.14

脚注

  1. ^ a b スポーツ報知2012年9月9日付「慶大から初のプロ棋士、上村亘三段が昇段決めた」より。
  2. ^ a b 日本将棋連盟ホームページ・お知らせ「新四段誕生(3人)のお知らせ」より。
  3. ^ 但し、三段リーグには勝ち越し継続による延長(29歳まで)が認められている。
  4. ^ かみむらブログ(2016.5.27)
  5. ^ 携帯中継・第64期王座戦二次予選(対野月浩貴七段、2016.3.22)
  6. ^ 詰将棋解答選手権 速報ブログ(2015.3.29)
  7. ^ かみむらブログ(2010.3.9)

関連項目

外部リンク