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2016年6月7日 (火) 23:04時点における版
伊藤能 六段 | |
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名前 | 伊藤能 |
生年月日 | 1962年1月16日(62歳) |
プロ入り年月日 | 1992年10月1日(30歳) |
棋士番号 | 205 |
出身地 | 東京都杉並区 |
師匠 | 米長邦雄 |
段位 | 六段 |
棋士DB | 伊藤能 |
2014年4月16日現在 |
伊藤 能(いとう のう、1962年1月16日 - )は、将棋棋士。棋士番号205。東京都杉並区出身。米長邦雄永世棋聖門下。
棋歴
1984年に22歳で奨励会三段となったが、その後、なかなか四段昇段(プロ入り)ができなかった。
1987年に三段リーグ制度が復活し四段昇段は狭き門となるが、その第1回の四段昇段の2名は、いずれも米長門の弟弟子の中川大輔、先崎学であった。
その5年後、伊藤は、当時の規定である年齢制限(31歳までに四段昇段)の1期前の第11回三段リーグで2位に入り、四段昇段(プロデビュー)を果たした。その最終日は、リーグ順位22位、成績4番手で迎えたが、2戦2勝し、さらにライバルが敗れての大逆転で、伊藤自身は「神風」「奇跡」と表現した。
プロ入り後は主に早指し棋戦でその才能を発揮し、第44回(1994年度)NHK杯の予選を勝ち抜き本戦に進出。1回戦で森けい二に、2回戦では東和男にそれぞれ勝利した。いずれも、後手番から相手の得意戦法[1]からの激しい攻めに動じることなく受けて立つ、伊藤ならではの勝局であった。
その他にも、要所要所で見せ場を作っている。第19回全日本プロ将棋トーナメント1回戦(2000年6月16日)では、後に初代永世竜王となる渡辺明に棋士人生初の黒星を喫させ、第61期順位戦・C級2組3回戦(2002年8月20日)では、第30回将棋大賞・連勝賞を受賞した山崎隆之[2]の連勝を16で止めさせた。
その一方で、持ち時間が長い順位戦は不得手としており、C級2組で13年間指した間、指し分け(5勝5敗)を超える成績を収められず、第54期(1995年度)及び第64期(2005年度)で降級点を喫し、2006年にフリークラス宣言をした。
順位戦と同様に持ち時間が長い竜王戦も不得手としており、第6期(1992~1993年度)から第24期(2010~2011年度)まで、6組から昇進できずにいる。
人物
- 30歳8ヶ月での四段昇段は1987年度に現行の三段リーグが開始して以降の最年長記録、奨励会在籍17年は四段昇段者では最長記録である。四段昇段当時の奨励会幹事は、伊藤と奨励会同期入会の神谷広志及び大野八一雄であった。
- 自身が奨励会で苦労した経験もあってか、奨励会員には非常に優しく接する。自身の対局で記録係を担当した奨励会員が不慣れな様子を示した際も、当人が動揺しないよう配慮をする姿勢が伺える。[3]
昇段履歴
- 1975年 6級 = 奨励会入会
- 1980年 初段
- 1992年9月1日 四段 = プロ入り
- 1999年7月27日 五段(勝数規定)
- 2012年4月1日 六段(フリークラス昇段規定)
主な成績
在籍クラス
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。