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'''クロフネ'''([[1998年]] - )は[[日本]]の[[競走馬]]。[[アメリカ合衆国]]で生まれ日本で調教された[[外国産馬]]である。[[2001年]]に、[[NHKマイルカップ]]と[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|ジャパンカップダート]]で優勝した。現在は[[種牡馬]]。
'''クロフネ'''([[1998年]][[3月31日]] - )は[[日本]]の[[競走馬]]、[[種牡馬]]。


[[アメリカ合衆国]]生産され、日本で調教された[[外国産馬]]。[[2001年]]春に[[NHKマイルカップ]]に優勝、[[ダート]]路線に転じた秋には[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|ジャパンカップダート]]を含む2戦をいずれも大差でレコード勝ちしたが、同年末に[[屈腱炎]]発症のため引退した。同年の[[JRA賞最優秀ダートホース]]。通算10戦6勝、うちレコード勝利4回。芝とダートの双方で活躍したが、特にダートでは日本競馬史上の最強馬と評される1頭である。
== 馬名 ==
馬名は、[[江戸時代]]末期に[[浦賀]]沖に来航した、[[マシュー・ペリー]]率いるアメリカ艦隊に代表される欧米列強の[[蒸気船]]の通称([[黒船]])に由来する。これには2001年から[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]が外国産馬に開放されるという背景があった。


2002年より種牡馬。短距離[[競馬の競走格付け|GI競走]]で2勝を挙げた[[カレンチャン]]など6頭のGI優勝馬を輩出している。
== 現役時代 ==
=== 戦績 ===
====2000年 ====
初戦の[[2000年]][[10月14日]]の新馬戦はエイシンスペンサーの2着に敗れたが、2戦目の新馬戦、続く3戦目の500万下条件の[[エリカ賞]]をレコードタイムで勝った。続く[[ホープフルステークス_(中央競馬)|ラジオたんぱ杯3歳ステークス]]では[[アグネスタキオン]]・[[ジャングルポケット]]といった内国産の評判馬を押さえて単勝1.4倍の1番人気に推されたが、その2頭に及ばず3着に敗れた。


==== 2001年・春 ====
== 経歴 ==
=== 生い立ち ===
年が明けて初戦の[[毎日杯]]では、2着に5馬身の差をつけて勝利。NHKマイルカップでは単勝1.2倍の圧倒的1番人気に推される。13番人気のグラスエイコウオーが[[脚質#逃げ|逃げ]]、先頭をキープしたまま最後の直線に入ると場内は騒然となったが、クロフネは後方から追い込み、ゴール直前でグラスエイコウオーを1/2馬身差でかわして勝利。これにより[[競馬の競走格付け|GI]]初勝利を果たすとともに[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]への出走権を獲得した<ref>当時は、NHKマイルカップ優勝または青葉賞2着以内が外国産馬が東京優駿へ出走する条件であった。</ref>。しかし東京優駿では直線で伸びを欠き5着に敗れた。
アメリカ合衆国ケンタッキー州のニコラス・M・ロッツによる生産。父[[フレンチデピュティ]]は競走馬時代に米G2・ジェロームハンデキャップなど4勝を挙げ、2年前にアメリカで種牡馬入りしたばかりだった<ref name="yushun0105">『優駿』2001年5月号、p.139</ref>。母ブルーアヴェニューは北米で5勝を挙げ、その姉には[[ヴァニティーステークス|ヴァニティー招待ハンデキャップ]]、ミレイディハンデキャップ(いずれもG1)など11勝を挙げたブロートツウマインドがいた<ref name="yushun0105" />。他方、[[母の父]]であるクラシックゴーゴーは[[テキサス州]]において無料に近い種付け料で種牡馬生活をしていた無名の存在であった<ref name="yushun0202">『優駿』2002年2月号、pp.22-25</ref>。


1歳時に[[ピンフッカー]](育成調教後に転売する業者)に7万ドルで購買<ref name="yushun0202" />された後、ナイルブレイン・ステーブルズで調教を積まれ<ref name="yushun0106">『優駿』2001年6月号、pp.138-139</ref>、2000年2月に[[ファシグ・ティプトン]]社主催のトレーニングセールに上場された<ref name="yushun0105" />。当時ナイルブレイン・ステーブルズで研修していた[[吉田俊介]](後の[[ノーザンファーム]]代表)によれば、同所で育成されていた後の[[ホープフルステークス (アメリカ合衆国)|ホープフルステークス(アメリカ)]]優勝馬・ヨナグスカに勝るとも劣らないという評判であったといい、吉田自身も「大物感というか、落ち着き払った感じで風格があった」と評している<ref name="yushun0106" />。ここで最初の購買時から6倍強の価格となる43万ドルで落札され<ref name="yushun0202" />、4月にはノーザンファームへ送られた<ref name="yushun0105" />。同場の育成担当者も「良い動きをするし、古馬のような雰囲気を感じる」と高く評価し、調教の進捗に連れてその評判はさらに高まっていった<ref name="yushun0105" />。翌年の2001年には[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]がはじめて[[外国産馬]]にも開放される予定となっており、馬主の[[金子真人]]は「開放初年度のダービーを勝って欲しい」という願いを込め、本馬を「クロフネ」と命名した<ref name="yushun0105" />。1853年に[[浦賀]]へ来港し日本に開国を迫った[[マシュー・ペリー]]率いるアメリカ艦隊の通称「[[黒船]]」に由来するものである<ref name="yushun1503">『優駿』2015年3月号、p.46</ref>。
==== 2001年・秋 ====
夏場の休養を経て[[神戸新聞杯]]に出走するも、3着に敗れた。この年から菊花賞も外国産馬に開放されていたが、神戸新聞杯3着までの優先出走権は、内国産馬にしか与えられていなかった。そのため距離適性を重視し、[[天皇賞|天皇賞(秋)]]を目指すことになる。


=== 競走馬時代 ===
当時天皇賞(秋)は外国産馬の出走が2頭までとされていた。しかし[[アグネスデジタル]]が急遽出走登録したため、本馬は除外対象となり、出走できなくなった。そのため、天皇賞と同じ週の土曜のメインレースである、[[武蔵野ステークス]]に出走することとなった。調教師の松田は、この時「せっかく仕上げたのに走らせないのはもったいない」と語っている。しかしこのダートレースへの出走は、単なる思いつきではなく、元々ダートへの適性もあると考えられていたためであった。
==== 2(3)歳時(2000年) ====
[[File:Kunihide-Matsuda20100306.jpg|thumb|松田国英(2010年)|170px]]
8月、管理調教師・[[松田国英]](栗東トレーニングセンター)のもとへ入厩<ref name="meiba">『名馬物語』pp.18-24</ref>。松田はトレーニングセールでの姿をビデオで観た際、その雄大な馬格から「歴戦の古馬のようだ」という印象を抱いていたが、当時は日本到着後の長い検疫明けだったこともあり、痩せた[[牝馬]]のようであったという<ref name="meiba" />。しかし松田はクロフネがこうした厳しい経験をしたことでさらなる成長が見込めると期待していた<ref name="meiba" />。


10月14日、[[京都競馬場|京都開催]]の新馬戦でデビュー。直前の調教でのタイムは水準級といったものであり<ref name="meiba" />、当日は3番人気であった。レースでは最後の直線で進路を失う場面もあり、エイシンスペンサーの2着と敗れる<ref name="meiba" />。しかし2戦目では、わずかに鞭を入れられたのみでレコードタイムでの初勝利を挙げた<ref>『優駿』2000年12月号、p.72</ref>。続くエリカ賞でも2000メートルで2戦連続のレコードを記録する<ref>『優駿』2001年2月号、p.72</ref>。2000メートルという中距離を連続して使われた背景には、2400メートルで行われる日本ダービーに向け、騎手の手綱に反して先へ行きたがる気性を矯正しておきたいという思惑もあった<ref name="meiba" />。
===== 武蔵野ステークス =====
ダート競走初戦となったその武蔵野ステークスでは、鞍上が武豊に戻り、1番人気に支持された。レースでは4コーナー手前で早くも先頭に立つと、直線では後続馬を遥かに引き離し、2着の[[イーグルカフェ]]に9馬身差をつけて圧勝。ダート1600mの日本レコード、1分33秒3を記録した。この圧勝劇で、むしろクロフネはダートへの適性の方が高いという見方がされ、引き続きダートのレースへ出走することとなり、次走を[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|ジャパンカップダート]]とすることとなった。


重賞初出走となった[[ホープフルステークス (中央競馬)|ラジオたんぱ賞3歳ステークス]]では、松田はクロフネが最も強いとみて余裕を残した仕上げで送り出し<ref name="meiba" />、当日の単勝オッズでも1.4倍の1番人気に支持された<ref name="yushun0102">『優駿』2001年2月号、p.69</ref>。しかし当年の日本ダービー優勝馬[[アグネスフライト]]の全弟・[[アグネスタキオン]]、[[札幌2歳ステークス|札幌3歳ステークス]]の優勝馬・[[ジャングルポケット]]に後れての3着と敗れた。松田は「エリカ賞と同じタイム(2分1秒2)で勝てる」とみていたが<ref name="meiba" />、アグネスタキオンのタイムはそれを0秒4上回るレコードであった<ref name="yushun0102" />。松田は「初めて味わう挫折」であったと述べている<ref name="meiba" />。当年はこれをもって終え、休養に入った<ref name="meiba" />。
===== ジャパンカップダート =====
[[ファイル:Kurofune_at_Japan_Cup_Dirt.jpg|thumb|クロフネ(2001年11月24日、東京競馬場にて撮影)]]
ジャパンカップダートに出走した本馬は、前走同様第4コーナーで早くも先頭に立つと、2着の前年の優勝馬[[ウイングアロー]]に7馬身の差をつけて圧勝した<ref>ウイングアローの走破タイムの2分7秒0は前年のウイングアロー自身のレコードタイムより速かった。</ref>。この時本馬が記録したタイムは、ダート2100mの世界レコード2分5秒9という破格のものであった。その圧倒的な強さから、レース後には「'''怪物'''」と呼ばれている。また、「'''日本にはクロフネという名の、白い[[セクレタリアト]]がいる'''」とも言われた。これはクロフネが記録したジャパンカップダートのペースで2400mを走れば、伝説の「セクレタリアトの[[ベルモントステークス]]」のタイムに迫ると言われたためである。


==== 3歳時(2001年) ====
ダートの日本レコードは本馬が記録したもの以外は、タイムの出やすくなる重馬場や不良馬場で記録されたものが多い。良馬場で上記の様なレコードを叩き出した同馬は規格外と言える。このレースにはダートの本場アメリカから参戦の実力馬[[リドパレス]]も出走し8着と敗れている。同馬の惨敗に関しては、体調がすぐれなかったこと、日本の重い砂のダートが、同じダートという名称とはいえアメリカの硬い土のダートとは全く異なることなどが影響としてあげられたが、鞍上の[[ジェリー・ベイリー]]は、「直前の発熱とか、初めての馬場だとか、色々言われているけれども、15馬身も開けられるとそんな事は全て関係ない」と完敗を認めている。
===== NHKマイルカップ、日本ダービー =====
3月24日、[[毎日杯]]から復帰したクロフネは、はじめて[[ブリンカー]]を着用して出走<ref name="yushun01051">『優駿』2001年5月号、p.126</ref>。単勝1.3倍の1番人気に支持されると、2着コイントスに5馬身、3着ダイタクバートラムにさらに5馬身という差をつけて重賞初勝利を挙げた<ref name="yushun01051" />。走破タイム1分58秒6は古馬のコースレコードに0秒3差という優秀なものだった<ref name="meiba" />。


日本ダービーを目指すに当たっては、GI・[[NHKマイルカップ]]で2着までに入るか、[[京都新聞杯]]または[[青葉賞]]に勝利するという条件を満たす必要があった。それまでの出走歴から、2000メートルの京都新聞杯か、ダービーと同じ2400メートルの青葉賞に向かうともみられていたが、松田は馬主の金子と相談のうえで<ref name="yushun0106" />、距離が1600メートルと短いNHKマイルカップを選択。東京競馬場のゆったりとしたコース形態と、GIの格を重視してのものだった<ref name="meiba" />。また、クラシック三冠初戦の[[皐月賞]]を無敗のまま制したアグネスタキオンを意識し、「GIのタイトルを持ってアグネスタキオンと対決すれば、よりダービーが盛り上がるだろうと決めた」と公言してもいたが<ref name="yushun0106">『優駿』2001年5月号、p.7</ref>、アグネスタキオンは皐月賞後に[[屈腱炎]]を発症し、戦線を離脱<ref>『優駿』2001年5月号、p.5</ref>。以後復帰することなく、9月に引退している。
===== アグネスデジタルとの顛末 =====
アグネスデジタルは予定通り天皇賞に出走し、当時圧倒的な強さを誇った[[テイエムオペラオー]]を破り優勝した。「これでクロフネ陣営も天皇賞に出走できなくなった件について文句は言えまい」との評価もあった。さらにアグネスデジタルは暮れの[[香港カップ]]をも制し、天皇賞の勝利がフロックでないことを証明した。天皇賞の後、再び本馬とデジタルが同じレースに登録することはなかったものの、ダートへの高い適性を見出されたジャパンカップダートを制した本馬と、芝の中距離レースで海外G1まで制したデジタルと双方にとって好結果をもたらしている。ちなみにアグネスデジタルは、[[2001年]]の[[マイルチャンピオンシップ南部杯]]、及び[[2002年]]の[[フェブラリーステークス]]とダートGIを立て続けに制しており、奇しくも当事者同士の2頭が芝・ダート双方の適性を認められる結果となった。


5月6日に迎えたNHKマイルカップでは、単勝オッズ1.2倍の1番人気に支持される<ref name="yushun01062">『優駿』2001年6月号、pp.24-25</ref>。スタートが切られると行き脚がつかず、それまで好位からのレースを続けていたところから一転し、後方14番手から進むことになった<ref name="yushun01062" />。平均ペースで流れるなか、そのまま後方待機策をとると、最後の直線では馬群を縫うようにして抜け出していった<ref name="yushun01062" />。その時点では逃げるグラスエイコウオーと未だ大きな差があったが、鞍上の[[武豊]]が鞭を入れると一気に加速し、ゴール前で同馬を半馬身差し切っての優勝を果たした<ref name="yushun01062" />。クロフネに加え、松田にとってもこれが開業6年目でのGI初制覇となった<ref name="yushun0106" />。出走権獲得なったダービーへ向け、松田は「道中の位置取りに少しハラハラしました。後方から直線だけで差し切っての競馬でしたが、次のダービーにつながる内容だったと思います<ref name="yushun0106" />」と感想を述べ、また武は「ストライドが大きく、乗っていてあまりスピード感がない馬なので一瞬心配しましたが、きちんと差し切ってくれましたね。素晴らしい馬だと思います。間違いなくダービーの有力馬の1頭でしょう<ref name="yushun0106" />」と称えた。
==== 現役引退 ====
ジャパンカップダートでのパフォーマンスにより、[[ドバイワールドカップ]]等の海外ダートGIでの活躍が期待されていた。主戦の武豊は後の雑誌インタビューにおいて、[[サキー]]との勝負を楽しみにしていたと語っている。しかし、12月26日、[[屈腱炎|右前浅屈腱炎]]のため電撃引退。そのまま[[種牡馬]]入りすることとなった。その後、2001年の[[JRA賞最優秀ダートホース]]に選出されている。


日本ダービー(5月27日)ではアグネスタキオンこそ不在だったが、皐月賞2着の[[ダンツフレーム]]、同3着の[[ジャングルポケット]]が顔を揃え、クロフネに対する皐月賞上位馬の決戦という図式となった<ref>『優駿』2001年7月号、p.7</ref>。1番人気には皐月賞で大きな出遅れから3着まで追い上げたジャングルポケットが推されて2.3倍、クロフネが3倍でこれに続き、ダンツフレームが6倍という順となった<ref name="yushun0107">『優駿』2001年7月号、pp.10-13</ref>。スタートが切られるとテイエムサウスポーが大逃げを打ち、ダンツフレームが2番手集団の前方、ジャングルポケットが12番手、その直後にクロフネという隊列となった<ref name="yushun0107" />。[[馬場状態|重馬場]]にもかかわらず、1000メートル通過は58秒4とダービー史上最速のペースとなり、ダンツフレームが位置取りを下げて一時は上位人気3頭が並ぶように進む<ref name="yushun0107" />。第3コーナー過ぎからクロフネとダンツフレームが上位に進出していき最後の直線に入ったが、仕掛けを遅らせたジャングルポケットが抜け出しを図る両馬を一気にかわし、ダンツフレームに1馬身半差を付けて優勝<ref name="yushun0107" />。クロフネは伸びあぐねて5着と敗れた<ref name="yushun0107" />。松田によれば、ダービーに向けての「手加減した調整」が裏目に出たといい、「5着という着順は、成功したという感じはもちろんないし、かといって、大きく失敗したという感じもない。馬主さんも褒めもしないし、非難もしない。何となく中途半端なレースになってしまった」と振り返っている<ref name="meiba" />。
=== 関係者による評価 ===
調教師の松田は馬体が規格外であったためにゲートにすっぽりと収まらなかったと語っている。それでも無理させたことがのちの気性にも影響したのではないかとも語っている。


===== 天皇賞への蹉跌 =====
また、松田はセールの様子からクロフネに大きな期待を寄せていた。しかし輸入後の検疫のためにしばらくは馬体が痩せていたという。しかしその様子を見て同師は逆に「若い時に苦しい思いをした馬は走る」と言う考え方のため、期待がより大きくなったと語っている。
夏の休養を経ての秋シーズンは、これも当年より外国産馬に2頭の出走枠が設けられた天皇賞(秋)を目標に、9月の[[神戸新聞杯]]から復帰。鞍上は[[蛯名正義]]が務めた。ここではダービー2着のダンツフレームと再戦することになったが、当日の1番人気は[[札幌記念]]でジャングルポケットを破っていた外国産馬[[エアエミネム]]に譲った<ref name="yushun0111">『優駿』2001年11月号、p.121</ref>。レースではスタートで躓いて後手を踏み、道中もスローペースを堪えきれず蛯名との折り合いを欠いた<ref name="yushun0111" />。最後の直線では鋭く追い込んだものの、勝ったエアエミネム、さらに[[サンライズペガサス]]も捉えきれず3着と敗れた<ref name="yushun0111" />。松田は「馬が気負いすぎて出遅れてしまった。本当なら馬群の外目を先行するはずだったので、差す競馬は予定外だった。それでも終いの脚は良かったし、天皇賞に向けて収穫はあったと思う」と語った<ref>『優駿』2001年11月号、p.21</ref>。


その後は天皇賞出走を予定していたが、2頭の外国産馬枠に対して獲得賞金額でクロフネを上回る年長馬の[[メイショウドトウ]]と[[アグネスデジタル]]が優先権をもったことから、出走することができなくなった。2頭のうちアグネスデジタルは直前になって急遽出走を決めたもので、クロフネへの期待を摘まれた一部ファンからはアグネスデジタル陣営への非難の声が上げられた<ref>『優駿』2001年12月号、p.12</ref>。松田も「『まさか』が正直な気持ちだった」と振り返っているが、この時点で翌年の予定にダートGI競走・[[フェブラリーステークス]]が入っていたことから、これを機会に一度ダートを走らせようと、天皇賞前日に行われるGIII・[[武蔵野ステークス]]に出走することになった<ref name="meiba" />。
武豊はクロフネについて「自分が乗っていてすごいと思った馬の一頭」などと語っており、自身が騎乗したオグリキャップ、サイレンススズカと並列している。このインタビューはディープインパクトのデビュー以前のものであるが、このように武はクロフネを高く評価している。


=== 競走成績 ===
===== ダートで他を圧倒 =====
当日は1番人気ながらオッズでは連勝中のエンゲルグレーゼと2倍台を分け合った。しかしレースでは第4コーナーで先頭に立つと、最後の直線では後続を引き離し、前年のNHKマイルカップ優勝馬・[[イーグルカフェ]]に9馬身差をつけて圧勝した<ref>『優駿』2001年12月号、p.126</ref>。走破タイム1分33秒3は、1992年に[[ナリタハヤブサ]]が記録した1分34秒5を1秒2更新するJRAレコードであり<ref>『優駿』2001年12月号、p.140</ref>、芝コースのタイムに匹敵するものだった<ref name="yushun0201">『優駿』2002年1月号、pp.27-30</ref>。騎乗した武は「3コーナーから一気に上がっていく競馬を、あえてしてみた。普通、直線が長くて最後に坂がある東京であんなレースをしたら、惨敗するのが当たり前だが、この馬は最後に突き放して勝ってくれた。他の馬とは次元が違うというか、レベルが違いすぎた」と振り返っている<ref name="meiba" />。なお、翌日に行われた天皇賞ではアグネスデジタルが優勝し、同馬の馬主である[[渡辺孝男 (馬主)|渡辺孝男]]は「周りから心ないことを色々言われたが、言った人たちは恥をかいたんじゃないか」と語った<ref>『優駿』2001年12月号、p.134</ref>。
[[ファイル:Kurofune_at_Japan_Cup_Dirt.jpg|thumb|クロフネ(2001年11月24日、東京競馬場)|250px]]
11月24日、ダートの国際招待競走・[[ジャパンカップダート]]へ出走。当年はアメリカから一線級の実績馬である[[リドパレス]]が出走したが、クロフネは同馬を抑えオッズ1.7倍の1番人気に支持された<ref name="yushun0201" />。スタートが切られるとクロフネはやや出遅れたものの、向正面から徐々に進出を開始、前走と同じく最終コーナーで先頭に立ち、直線で独走態勢となって前年度優勝馬[[ウイングアロー]]に7馬身差をつけての優勝を果たした<ref name="yushun0201" />。走破タイム2分5秒9は同馬が前年度に記録した2分7秒2を1秒3更新する、2戦連続のJRAレコードであった<ref name="yushun02012">『優駿』2002年1月号、pp.134-135</ref>。武は「今日のレースに限っていえば、こんなに強い馬は今までにいなかったと思う」と称え<ref name="yushun02012" />、8着と敗れたリドパレス騎乗の[[ジェリー・ベイリー]]は「言い訳はしない。勝った馬が強すぎた」と述べた<ref name="yushun0201" />。

===== 引退 =====
ジャパンカップダートの後は休養に入り、翌年にはダートで行われる世界最高賞金競走・[[ドバイワールドカップ]]を目標とすることが決定していた。しかし12月24日、右前脚に[[屈腱炎]]を発症し全治9カ月以上という速報が流れ、26日には競走登録の抹消と種牡馬入りが発表された<ref name="yushun0202" />。松田は後に、調教師としての立場からこの故障について次のように語っている<ref name="meiba" />。
{{Quotation|「人を殺したわけじゃないけど、私の中ではそれと同じくらい、『大変なことをしてしまった』という思いが強かった。毎日の調教を私が指示して、確認して。その繰り返しの中で起こった故障ですから。マツクニという人間は馬の世界しか知りません。そんな自分が自信を持ってやったことが、まるで否定されたかのようで……。クロフネはGIをふたつ勝ちました。レコードタイムも4度マークしました。けど、その勲章と、屈腱炎とを天秤にかけたら、はるかに屈腱炎の方が重いんです。たとえダービーを勝っていても、同じ気持ちになっていたと思います」}}

翌年1月、年度表彰・[[JRA賞]]が発表され、クロフネは[[JRA賞最優秀ダートホース|最優秀ダートホース]]に選出された<ref name="jra">『優駿』2002年2月号、p.64</ref>。また[[JPNサラブレッドランキング|JPNクラシフィケーション]]では、ダート2戦の内容が北米のハンディキャッパーからも高く評価され、アメリカの[[ケンタッキーダービー]]優勝馬[[モナーコス]]と並び、国内ダートでは史上最高評価となる125[[ポンド (質量)|ポンド]]を獲得、3歳のMコラム(1400メートル以上、1900メートル未満)では芝を含めても世界第1位となった<ref name="rating">『優駿』2002年2月号、pp.69-72</ref>。

=== 種牡馬時代 ===
2002年より[[社台スタリオンステーション]]で種牡馬となり、初年度から201頭の交配相手を集めた<ref name="meiba" />。初年度産駒は2005年にデビュー、[[フサイチリシャール]]が[[朝日杯フューチュリティステークス]]を制し順調なスタートを切る<ref name="yushun1412">『優駿』2014年12月号、pp.90-91</ref>。2007年以降はランキング10位以内に定着し、2010年には3位、2011年には2位を記録している<ref name="yushun1412" />。2015年には史上16頭目となる産駒のJRA通算1000勝を達成した<ref>{{Cite web |url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/post_5956.html |title=クロフネ産駒がJRA通算1000勝達成 |author= |publisher=ラジオNIKKEI |accessdate=2015年8月4日 |date=2015-5-10}}</ref>。芝、ダートの双方で重賞勝利馬を輩出しているが、特に牝馬の活躍が多い<ref name="yushun1412" />。なお、2001年に輸入された父・フレンチデピュティも数々の重賞勝利馬を輩出し、北米の主流血統であった[[デピュティミニスター系]]の日本への定着に父子で貢献した<ref name="yushun1412" />。

== 特徴・評価 ==
4戦で騎乗した武豊は、2003年に行われたインタビューの中で「今まで乗った馬で『凄さ』を感じたのは、[[オグリキャップ]]、[[サイレンススズカ]]、そしてクロフネぐらい」、「全く別の次元の競馬をして、能力の高さだけで押し切れる。そんな馬はそうそういない」と述べている<ref name="meiba" />。また、乗り味の良さは抜群のものであったといい、「これほど大きいストライドで走る馬は、なかなかいない」とも評している<ref name="meiba" />。評論家の[[吉沢譲治]]もストライドの大きさに言及し、「まるで1頭だけ、むかしの長距離戦を走っているようだった。そのふわりふわりと走るさまが、遊んでいるようにも、はなからやる気がないようにも見えた」と評している<ref name="yushun0202" />。

ダートでは日本競馬史上の最強馬とも評される。[[日本中央競馬会]]の広報誌『[[優駿]]』が2012年に読者へ行った「カテゴリー別最強馬」のアンケートでは、ダート部門で2位[[ホクトベガ]]に3倍以上の差を付ける532票を集め、第1位に据えられた<ref name="yushun1209">『優駿』2012年9月号、pp.36-39</ref>。生産者、騎手、調教師にもあわせてアンケートがとられ、回答者17人のうち松田国英、[[池江泰郎]]、[[池江泰寿]]、[[岡田繁幸]]、[[国枝栄]]、[[小島茂之 (競馬)|小島茂之]]、[[四位洋文]]、[[中舘英二]]、[[松永幹夫]]の9人がクロフネをダートの最強馬として挙げた<ref name="yushun12092">『優駿』2012年9月号、pp.47-49</ref>。岡田は「アメリカのダートでも勝負できたかもしれないと思わせるほど、能力が高かった」と添えている<ref name="yushun12092" />。松田は「普通、ダート馬は勝ち気で人の言うことをあまり聞かないようなタイプが多いが、クロフネは精神的に余裕があって、おっとりしていた。精神面だけでなく、肉体面も立派な馬だった。フレンチデピュティ産駒らしい顎の張った馬で、だから飼い葉食いも良く、筋肉の盛り上がった雄大な馬体をしていた。だからといって、決してパワータイプという感じではなかった。素晴らしいスピードがあって、芝でも通用するダート馬だったと思う」と評した<ref name="yushun1209" />。

『優駿』が2010年と2015年にそれぞれアンケートをとった「未来に語り継ぎたい名馬ベスト100」では、いずれも19位となっている<ref>『優駿』2010年8月号、p.40</ref><ref name="yushun1503" />。

== 競走成績 ==
{| style="font-size: 90%; text-align: center; border-collapse: collapse;"
{| style="font-size: 90%; text-align: center; border-collapse: collapse;"
|-
|-
107行目: 123行目:
|3
|3
|1.3(1人)
|1.3(1人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|松永幹夫
|松永幹夫
|53
|53
|芝2000m(良)
|芝2000m(良)
|style="text-align: right;"|{{color|#f00|R2:00.7}} (34.8)
|style="text-align: right;"|{{color|darkred|R2:00.7}} (34.8)
|style="text-align: right;"| -0.3
|style="text-align: right;"| -0.3
|style="white-space: nowrap;"|(マイネルエスケープ)
|style="white-space: nowrap;"|(マイネルエスケープ)
125行目: 141行目:
|10
|10
|1.3(1人)
|1.3(1人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|松永幹夫
|松永幹夫
|54
|54
|芝2000m(良)
|芝2000m(良)
|style="text-align: right; white-space: nowrap;"|{{color|red|R2:01.2}} (35.1)
|style="text-align: right; white-space: nowrap;"|{{color|darkred|R2:01.2}} (35.1)
|style="text-align: right; white-space: nowrap;"| -0.6
|style="text-align: right; white-space: nowrap;"| -0.6
|(ダイイチダンヒル)
|(ダイイチダンヒル)
138行目: 154行目:
|阪神
|阪神
|style="white-space: nowrap;"|[[ホープフルステークス (中央競馬)|ラジオたんぱ杯3歳S]]
|style="white-space: nowrap;"|[[ホープフルステークス (中央競馬)|ラジオたんぱ杯3歳S]]
|{{color|green|GIII}}
|GIII
|12
|12
|5
|5
156行目: 172行目:
|阪神
|阪神
|[[毎日杯]]
|[[毎日杯]]
|{{color|green|GIII}}
|GIII
|11
|11
|2
|2
|2
|2
|1.3(1人)
|1.3(1人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|[[四位洋文]]
|[[四位洋文]]
|55
|55
174行目: 190行目:
|[[東京競馬場|東京]]
|[[東京競馬場|東京]]
|[[NHKマイルカップ|NHKマイルC]]
|[[NHKマイルカップ|NHKマイルC]]
|GI
|{{color|red|GI}}
|18
|18
|2
|2
|4
|4
|1.2(1人)
|1.2(1人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|[[武豊]]
|[[武豊]]
|57
|57
192行目: 208行目:
|東京
|東京
|[[東京優駿]]
|[[東京優駿]]
|GI
|{{color|red|GI}}
|18
|18
|8
|8
210行目: 226行目:
|京都
|京都
|[[神戸新聞杯]]
|[[神戸新聞杯]]
|{{color|blue|GII}}
|GII
|12
|12
|6
|6
228行目: 244行目:
|東京
|東京
|[[武蔵野ステークス|武蔵野S]]
|[[武蔵野ステークス|武蔵野S]]
|{{color|green|GIII}}
|GIII
|15
|15
|8
|8
|15
|15
|2.3(1人)
|2.3(1人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|武豊
|武豊
|57
|57
|ダ1600m(良)
|ダ1600m(良)
|style="text-align: right;"|{{color|red|R1:33.3}} (35.6)
|style="text-align: right;"|{{color|darkred|R1:33.3}} (35.6)
|style="text-align: right;"| -1.4
|style="text-align: right;"| -1.4
|([[イーグルカフェ]])
|([[イーグルカフェ]])
246行目: 262行目:
|東京
|東京
|[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|ジャパンCダート]]
|[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|ジャパンCダート]]
|GI
|{{color|red|GI}}
|16
|16
|5
|5
|9
|9
|1.7(1人)
|1.7(1人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|武豊
|武豊
|55
|55
|ダ2100m(良)
|ダ2100m(良)
|style="text-align: right;"|{{color|red|R2:05.9}} (35.8)
|style="text-align: right;"|{{color|darkred|R2:05.9}} (35.8)
|style="text-align: right;"| -1.1
|style="text-align: right;"| -1.1
|([[ウイングアロー]])
|([[ウイングアロー]])
|}
|}
*{{競走馬成績|netkeiba=1998110135|jbis=0000615577}}
※タイム欄の<span style="color:#ff0000">R</span>はレコード勝ちを示す。
*タイム欄の{{color|darkred|R}}はレコード勝ちを示す。


== 現役引退後 ==
=== 表彰 ===
{| class="wikitable"
引退後は[[社台スタリオンステーション]]にて種牡馬入り。種牡馬としては初年度の種付け時に[[性器]]に異常を起こして種付けを中断するなどのアクシデントがあったが、毎年150頭以上に種付けする人気を獲得。2005年に初年度産駒がデビューすると、早くから[[地方競馬]]・[[中央競馬]]両方で勝ち上がり、中でも[[フサイチリシャール]]が[[東京スポーツ杯2歳ステークス]]でJRA[[重賞]]初勝利を挙げ、その後[[朝日杯フューチュリティステークス]]にも勝利。初年度からGI優勝馬を送り出す好調な出だしとなった。
!年度!!表彰!!票数!!出典

|-
その後も毎年芝、ダートを問わず重賞戦線での活躍馬を輩出しているが、2014年現在、産駒が制したGI級競走は全て芝コースの競走であり、ダートのGI級競走は未勝利である。また、中央競馬のダートグレード競走は2015年に[[マイネルクロップ]]が[[マーチステークス]]を優勝するまで未勝利であった。
|2001年||JRA賞最優秀ダートホース||282/283||<ref name="jra" />
|}
=== レーティング ===
{| class="wikitable"
!年度!!馬齢!!馬場!!距離区分([[メートル|m]])!!値!!出典
|-
|rowspan="3"|2001年||rowspan="3"|3歳||ダート||M(1400-1899)||125||rowspan="3"|<ref name="rating" />
|-
||ダート||I(1900-2199)||125
|-
||芝||M(1400-1899)||113
|}


== 種牡馬成績 ==
例年200頭前後に種付けする人気種牡馬の地位を確立しており、全国[[リーディングサイアー]]ランキングでは2007年からトップテン圏内をキープし、中央ダート部門では2006年に2歳チャンピオンサイアーとなるほか、2009年から2年連続で首位となった。
=== 年度別成績 ===

後継種牡馬には前述のフサイチリシャールがいるものの、2013年までは中央重賞および全国交流重賞勝ち馬の中で牡馬は3頭のみで、牝馬に活躍馬が集中していた。しかし、2014年に入るとセイコーライコウが[[アイビスサマーダッシュ]]を、[[クラリティスカイ]]が[[いちょうステークス]]を制し、マイネルクロップが[[佐賀記念]]ならびにマーチステークスを制するなど、牡馬の活躍馬も増えている。

2015年にNHKマイルカップを[[クラリティスカイ]]が制して同レース初となる親子制覇を達成した。

なお2014年12月に「JRA60周年記念競走」として[[中京競馬場]]で「白い衝撃 クロフネカップ」が施行された。クロフネ自身は中京競馬場で走ったことはないが、これはジャパンカップダート時代を含めたチャンピオンズカップ(中京で開催)勝ち馬の中からファン投票で選出された為である。

=== 年度別種牡馬成績(中央+地方) ===
{|class="wikitable" style="text-align:right"
{|class="wikitable" style="text-align:right"
!rowspan="2"|年!!colspan="2"|出走!!colspan="2"|勝利!!rowspan="2"|順位!!rowspan="2"|[[アーニングインデックス|AEI]]!!rowspan="2"|収得賞金
!rowspan="2"|年!!colspan="2"|出走!!colspan="2"|勝利!!rowspan="2"|順位!!rowspan="2"|[[アーニングインデックス|AEI]]!!rowspan="2"|収得賞金
280行目: 302行目:
!頭数!!回数!!頭数!!回数
!頭数!!回数!!頭数!!回数
|-
|-
|2005年||47||116||13||19||76||1.55||344016000
|2005年||47||116||13||19||76||1.55||275801000
|-
|-
|2006年||147||687||55||71||25||1.37||7億9785万6000円
|2006年||147||687||55||71||25||1.37||7億9785万6000円
|-
|-
|2007年||218||1342||103||171||10||1.61||1408953000
|2007年||218||1331||103||170||10||1.61||1397052500
|-
|2008年||273||1814||137||211||5||1.91||20億7256万6000円
|-
|-
|2008年||273||1838||139||213||5||1.91||2100266000
|2009年||355||2371||164||264||5||1.61||2239767000
|-
|-
|2009年||358||2412||168||268||5||1.61||2450135000
|2010年||372||2627||178||310||3||1.74||2621818000
|-
|-
|2010年||379||2655||180||312||3||1.74||26億56261000
|2011年||375||2660||161||296||2||1.77||26億11355500
|-
|-
|2011年||379||2683||161||296||2||1.77||2625761000
|2012年||391||2928||181||322||5||1.60||2390969000
|-
|-
|2012年||394||2967||183||324||5||1.60||2440169000
|2013年||406||3158||176||353||8||1.31||1996280500
|-
|-
|2013年||414||3213||182||360||8||1.31||2128728000
|2014年||400||3088||169||339||9||1.31||1787951250
|}
|}
#出典:JBISサーチ「クロフネ [http://www.jbis.or.jp/horse/0000615577/sire/record/ 種牡馬成績]、[http://www.jbis.or.jp/horse/0000615577/sire/generation/thorough_s/ 世代・年次別]」
* 2013年終了時点。
#2014年終了時点。


=== GI級競走優 ===
=== 重賞利産駒 ===
==== GI級競走優勝馬 ====
'''太字'''はGI競走
''※括弧内は当該馬の優勝重賞競走。'''太字'''はGI、JpnIおよびJ・GI競走。''
[[ファイル:Fusaichi Richard.jpg|thumb|180px|フサイチリシャール]]
[[ファイル:Fusaichi Richard.jpg|thumb|180px|フサイチリシャール]]
[[ファイル:Sleepless Night 20080817P1.jpg|thumb|180px|スリープレスナイト]]
[[ファイル:Sleepless Night 20080817P1.jpg|thumb|180px|スリープレスナイト]]
[[ファイル:Curren-Chan20111002(1).jpg|thumb|180px|カレンチャン]]
[[ファイル:Curren-Chan20111002(1).jpg|thumb|180px|カレンチャン]]
[[File:Whale-Capture IMG 0267-2 20131110.JPG|thumb|180px|ホエールキャプチャ]]
[[File:Whale-Capture IMG 0267-2 20131110.JPG|thumb|180px|ホエールキャプチャ]]
[[ファイル:UptoDate-20150801.JPG|thumb|180px|アップトゥデイト]]
*2003年産
*2003年産
**[[フサイチリシャール]]'''[[朝日杯フューチュリティステークス]]'''、[[阪神カップ]]、[[東京スポーツ杯2歳ステークス]])
**[[フサイチリシャール]](2005年'''[[朝日杯フューチュリティステークス]]'''、[[東京スポーツ杯2歳ステークス]] 2006年[[阪神カップ]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000759656/ |title=フサイチリシャール |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
*2004年産
*2004年産
**[[スリープレスナイト]]'''[[スプリンターズステークス]]'''、[[CBC賞]]、[[北九州記念]]
**[[スリープレスナイト]](2008年[[CBC賞]]、[[北九州記念]]、'''[[スプリンターズステークス]]'''<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000806562/ |title=スリープレスナイト |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
*2007年産
*2007年産
**[[カレンチャン]]'''スプリンターズステークス''''''[[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]]'''、[[阪神牝馬ステークス]]、[[函館スプリトステークス]]、[[キンランドカップ]]
**[[カレンチャン]](2011年[[阪神牝馬ステークス]]、[[函館スプリントステークス]]、[[キーンランドカップ]]、'''スプリンターズステークス''' 2012年'''[[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]]'''<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001044299/ |title=カレチャン |author= |publisher=JBISサチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
*2008年産
*2008年産
**[[ホエールキャプチャ]]'''[[ヴィクトリアマイル]]'''[[府中牝馬ステークス]]、[[ローズステークス]]、[[クイーンカップ]]、[[東京新聞杯]])
**[[ホエールキャプチャ]](2011年[[クイーンカップ]]、[[ローズステークス]] 2012年'''[[ヴィクトリアマイル]]''' 2013年[[府中牝馬ステークス]] 2014年[[東京新聞杯]]'<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001094404/ |title=ホエールキャプチャ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
*2010年産
*2010年産
**[[アップトゥデイト]]'''[[中山グランドジャンプ]]'''<ref>[http://www.jbis.or.jp/race/result/20150418/106/11/ 2015年中山グランドジャンレース結果] - JBISサーチ  2015年420閲覧</ref>)
**[[アップトゥデイト]](2015年'''[[中山グランドジャンプ]]'''、[[小倉サマージャンプ]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001119983/ |title=アットゥデイト |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年84 |date=}}</ref>)
*2012年産
*2012年産
**[[クラリティスカイ]]'''[[NHKマイルカップ]]'''、[[いちょうステークス]]
**[[クラリティスカイ]](2014年[[いちょうステークス]] 2015年'''[[NHKマイルカップ]]'''<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001153933/ |title=ラリティカイ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>


=== グレード制重賞優勝馬 ===
==== その他グレード制重賞優勝馬 ====
''※GII、JpnIIおよびJ・GII以下の重賞優勝馬。''
*2004年産
*2004年産
**[[ホワイトメロディー]][[関東オークス]]、[[クイーン賞]])
**[[ホワイトメロディー]](2007年[[関東オークス]]、[[クイーン賞]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000807137/ |title=ホワイトメロディー |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
*2005年産
*2005年産
**[[オディール]](2007年[[ファンタジーステークス]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000886112/ |title=オディール |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
**[[ユキチャン]](関東オークス、[[TCK女王盃]]、クイーン賞、白毛馬として日本初の重賞勝利)
**[[ユキチャン]](2008年関東オークス 2009年クイーン賞 2010年[[TCK女王盃]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000886869/ |title=ユキチャン |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
**ブラボーデイジー([[エンプレス杯]]、[[福島牝馬ステークス]])
**ブラボーデイジー(2009年[[福島牝馬ステークス]] 2010年[[エンプレス杯]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000888882/ |title=ブラボーデイジー |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
**[[オディール]]([[ファンタジーステークス]])
*2007年産
*2007年産
**セイコーライコウ[[アイビスサマーダッシュ]])
**セイコーライコウ(2014年[[アイビスサマーダッシュ]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001048863/ |title=セイコーライコウ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
*2008年産
*2008年産
**マルモセーラファンタジーステークス)
**マルモセーラ(2010年ファンタジーステークス<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001093508/ |title=マルモセーラ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
*2009年産
*2009年産
**アースソニック(2013年[[京阪杯]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001102557/ |title=アースソニック |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
**アースソニック([[京阪杯]])
*2010年産
*2010年産
**ストークアンドレイ[[函館2歳ステークス]])
**ストークアンドレイ(2012年[[函館2歳ステークス]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001120692/ |title=ストークアンドレイ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
**[[クロフネサプライズ]][[チューリップ賞]])
**[[クロフネサプライズ]](2013年[[チューリップ賞]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001120040/ |title=クロフネサプライズ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
**[[インパルスヒーロー]][[ファルコンステークス]])
**[[インパルスヒーロー]](2013年[[ファルコンステークス]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001118404/ |title=インパルスヒーロー |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
**マイネルクロップ[[佐賀記念]]、[[マーチステークス]]<ref>[http://www.jbis.or.jp/race/result/20150210/232/10/ 2015年佐賀記念レース結果] - JBISサーチ 2015年2月16日閲覧</ref><ref>[http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=97008 マイネルクロップが重賞連勝! 丹内騎手はJRA重賞初制覇/マーチS]</ref>
**マイネルクロップ(2015年[[佐賀記念]]、[[マーチステークス]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001124690/ |title=マイネルクロップ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>


=== 地方重賞優勝馬 ===
==== 地方重賞優勝馬 ====
''※[[地方競馬]]限定格付けの重賞勝利馬。''
*2004年産
*2004年産
**ディアーウィッシュ[[京成盃グランドマイラーズ]]2回、[[スパーキングサマーカップ]])
**ディアーウィッシュ(2010年[[京成盃グランドマイラーズ]]・[[船橋競馬場|船橋]]、[[スパーキングサマーカップ]]・[[川崎競馬場|川崎]] 2011年京成盃グランドマイラーズ・船橋<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000805479/ |title=ディアーウィッシュ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
**スターシップ[[報知オールスターカップ]]、[[報知グランプリカップ]])
**スターシップ(2012年[[報知オールスターカップ]]・川崎、[[報知グランプリカップ]]・船橋<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000800752/ |title=スターシップ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
**ジョーモルデュー[[コスモバルク記念]])
**ジョーモルデュー(2012年[[コスモバルク記念]]・[[門別競馬場|門別]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000800693/ |title=ジョーモルデュー |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
*2005年産
*2005年産
**タートルベイ(2010年北國王冠・[[金沢競馬場|金沢]]、中日杯・金沢<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000888018/ |title=タートルベイ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
**タートルベイ(北國王冠、中日杯)
**ジョーイロンデル(2010年[[しらさぎ賞]]・[[浦和競馬場|浦和]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000888236/ |title=ジョーイロンデル |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
**ジョーイロンデル([[しらさぎ賞]])
**ビーボタンダッシュ[[ファイナルグランプリ]])
**ビーボタンダッシュ(2013年[[ファイナルグランプリ]]・[[福山競馬場|福山]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000886148/ |title=ビーボタンダッシュ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
*2007年産
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**ハイパーフォルテ(2010年[[兵庫ダービー]]・[[姫路競馬場|姫路]] 2012年[[楠賞]]・[[園田競馬場|園田]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001047411/ |title=ハイパーフォルテ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
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*2008年産
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**ナターレ([[戸塚記念]]、[[クラウンカップ]]、[[OROカップ]]2回、しらさぎ賞)
**ナターレ(2011年[[クラウンカップ]]・川崎[[戸塚記念]]・川崎 2012年[[OROカップ]]・[[盛岡競馬場|盛岡]] 2013年しらさぎ賞・浦和、OROカップ・盛岡<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001094492/|title=ナターレ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
**ミヤサンキューティ[[優駿スプリント]][[東京シンデレラマイル]])
**ミヤサンキューティ(2011年[[優駿スプリント]]・[[大井競馬場|大井]] 2012年[[東京シンデレラマイル]]・大井<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001090151/ |title=ミヤサンキューティ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
*2009年産
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**ドラゴンシップ[[ローレル賞]]、[[ハイセイコー記念]])
**ドラゴンシップ(2011年[[ローレル賞 (競馬)|ローレル賞]]・川崎、[[ハイセイコー記念]]・大井<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001108147/ |title=ドラゴンシップ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
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**ロクイチスマイル([[北斗盃]])
*2010年産
*2010年産
**カツゲキドラマ[[園田プリンセスカップ]]、[[プリンセス特別]])
**カツゲキドラマ(2012年[[園田プリンセスカップ]]・園田、[[プリンセス特別]]・笠松<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001121678/ |title=カツゲキドラマ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
**キョウワカイザー大分川賞、如月賞、黒髪山賞、佐賀弥生賞)
**キョウワカイザー(2015年大分川賞・[[佐賀競馬場|佐賀]]、如月賞・佐賀、黒髪山賞・佐賀、佐賀弥生賞・佐賀、佐賀皐月賞・佐賀、遠賀川賞・佐賀<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001124630/ |title=キョウワカイザー |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
*2011年産
*2011年産
**ホウライナデシコ[[スプリングカップ (名古屋競馬)|スプリングカップ]])
**ホウライナデシコ(2014年[[スプリングカップ (名古屋競馬)|スプリングカップ]]・名古屋<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001139835/ |title=ホウライナデシコ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>
**サーモピレー(2014年[[東京湾カップ]]・船橋<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001135314/ |title=サーモピレー |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
**サーモピレー([[東京湾カップ]])
*2012年産
*2012年産
**トーコーヴィーナス園田プリンセスカップ、[[兵庫若駒賞]][[園田クイーンセレクション]]、[[梅桜賞]]、[[東海クイーンカップ]]、[[のじぎく賞]])
**トーコーヴィーナス(2014年園田プリンセスカップ・園田、[[兵庫若駒賞]]・園田 2015年[[園田クイーンセレクション]]・園田、[[梅桜賞]]・名古屋、[[東海クイーンカップ]]・名古屋、[[のじぎく賞]]・園田<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001148948/ |title=トーコーヴィーナス |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>


=== ブルードメアサイアーとしての主な産駒 ===
=== ブルードメアサイアーとしての主な産駒 ===
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== 血統 ==
== 血統 ==
=== 血統背景 ===
=== 血統背景 ===
父フレンチデピュティ、母ブルーアヴェニューは共に、2001年に日本に輸入された。これは本馬の活躍によるところが大であった。兄弟の主な活躍馬として、全妹のBella Bellucciがアメリカで[[重賞]]を2勝している。また、Northern Dancerの父系からなる同馬は一般的にノーザンダンサー系と呼ばれるが、その発展・細分化に伴い、ヴァイスリージェント系と呼ばれることもある
父フレンチデピュティ、母ブルーアヴェニューはいずれも、2001年に日本に輸入された<ref name="yushun1412" />。兄弟の主な活躍馬として、全妹のBella Bellucciがアメリカで[[重賞]]を2勝している<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000714957/ |title=Bella Bellucci(USA) |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>

本馬の半妹、ミスパスカリは[[マーメイドステークス]]で3着の実績がある。また全弟になる[[2006年]]2月11日に生まれた当歳の牡馬が同年7月11日に行われた[[セレクトセール]]の2日目(当歳馬初日)に上場番号215番で上場され、3億円で[[ダーレー・ジャパン・レーシング]]に落札された<ref>この馬はFrench Blueと名付けられ、アメリカのKiaran McLaughlin厩舎に入厩したが、1戦したのみに終わっている。</ref>。


=== 血統表 ===
=== 血統表 ===
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
*『名馬物語 - The best selection (3) 』(エンターブレイン、2004年)ISBN 978-4757720794
*『優駿』(日本中央競馬会)各号


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2015年8月23日 (日) 07:09時点における版

クロフネ
クロフネ(2001年5月6日、東京競馬場)
欧字表記 Kurofune
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 芦毛[1]
生誕 1998年3月31日(26歳)[1]
フレンチデピュティ[1]
ブルーアヴェニュー[1]
母の父 Classic Go Go[1]
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国o[1]
生産者 Nicholas M. Lotzo[1]
馬主 金子真人[1]
調教師 松田国英栗東[1]
競走成績
生涯成績 10戦6勝[1]
獲得賞金 3億7023万5000円[1]
勝ち鞍 GI:NHKマイルカップ(2001年)
ジャパンカップダート(2001年)
GIII:毎日杯(2001年)
武蔵野ステークス(2001年)
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クロフネ1998年3月31日 - )は日本競走馬種牡馬

アメリカ合衆国生産され、日本で調教された外国産馬2001年春にNHKマイルカップに優勝、ダート路線に転じた秋にはジャパンカップダートを含む2戦をいずれも大差でレコード勝ちしたが、同年末に屈腱炎発症のため引退した。同年のJRA賞最優秀ダートホース。通算10戦6勝、うちレコード勝利4回。芝とダートの双方で活躍したが、特にダートでは日本競馬史上の最強馬と評される1頭である。

2002年より種牡馬。短距離GI競走で2勝を挙げたカレンチャンなど6頭のGI優勝馬を輩出している。

経歴

生い立ち

アメリカ合衆国ケンタッキー州のニコラス・M・ロッツによる生産。父フレンチデピュティは競走馬時代に米G2・ジェロームハンデキャップなど4勝を挙げ、2年前にアメリカで種牡馬入りしたばかりだった[2]。母ブルーアヴェニューは北米で5勝を挙げ、その姉にはヴァニティー招待ハンデキャップ、ミレイディハンデキャップ(いずれもG1)など11勝を挙げたブロートツウマインドがいた[2]。他方、母の父であるクラシックゴーゴーはテキサス州において無料に近い種付け料で種牡馬生活をしていた無名の存在であった[3]

1歳時にピンフッカー(育成調教後に転売する業者)に7万ドルで購買[3]された後、ナイルブレイン・ステーブルズで調教を積まれ[4]、2000年2月にファシグ・ティプトン社主催のトレーニングセールに上場された[2]。当時ナイルブレイン・ステーブルズで研修していた吉田俊介(後のノーザンファーム代表)によれば、同所で育成されていた後のホープフルステークス(アメリカ)優勝馬・ヨナグスカに勝るとも劣らないという評判であったといい、吉田自身も「大物感というか、落ち着き払った感じで風格があった」と評している[4]。ここで最初の購買時から6倍強の価格となる43万ドルで落札され[3]、4月にはノーザンファームへ送られた[2]。同場の育成担当者も「良い動きをするし、古馬のような雰囲気を感じる」と高く評価し、調教の進捗に連れてその評判はさらに高まっていった[2]。翌年の2001年には東京優駿(日本ダービー)がはじめて外国産馬にも開放される予定となっており、馬主の金子真人は「開放初年度のダービーを勝って欲しい」という願いを込め、本馬を「クロフネ」と命名した[2]。1853年に浦賀へ来港し日本に開国を迫ったマシュー・ペリー率いるアメリカ艦隊の通称「黒船」に由来するものである[5]

競走馬時代

2(3)歳時(2000年)

松田国英(2010年)

8月、管理調教師・松田国英(栗東トレーニングセンター)のもとへ入厩[6]。松田はトレーニングセールでの姿をビデオで観た際、その雄大な馬格から「歴戦の古馬のようだ」という印象を抱いていたが、当時は日本到着後の長い検疫明けだったこともあり、痩せた牝馬のようであったという[6]。しかし松田はクロフネがこうした厳しい経験をしたことでさらなる成長が見込めると期待していた[6]

10月14日、京都開催の新馬戦でデビュー。直前の調教でのタイムは水準級といったものであり[6]、当日は3番人気であった。レースでは最後の直線で進路を失う場面もあり、エイシンスペンサーの2着と敗れる[6]。しかし2戦目では、わずかに鞭を入れられたのみでレコードタイムでの初勝利を挙げた[7]。続くエリカ賞でも2000メートルで2戦連続のレコードを記録する[8]。2000メートルという中距離を連続して使われた背景には、2400メートルで行われる日本ダービーに向け、騎手の手綱に反して先へ行きたがる気性を矯正しておきたいという思惑もあった[6]

重賞初出走となったラジオたんぱ賞3歳ステークスでは、松田はクロフネが最も強いとみて余裕を残した仕上げで送り出し[6]、当日の単勝オッズでも1.4倍の1番人気に支持された[9]。しかし当年の日本ダービー優勝馬アグネスフライトの全弟・アグネスタキオン札幌3歳ステークスの優勝馬・ジャングルポケットに後れての3着と敗れた。松田は「エリカ賞と同じタイム(2分1秒2)で勝てる」とみていたが[6]、アグネスタキオンのタイムはそれを0秒4上回るレコードであった[9]。松田は「初めて味わう挫折」であったと述べている[6]。当年はこれをもって終え、休養に入った[6]

3歳時(2001年)

NHKマイルカップ、日本ダービー

3月24日、毎日杯から復帰したクロフネは、はじめてブリンカーを着用して出走[10]。単勝1.3倍の1番人気に支持されると、2着コイントスに5馬身、3着ダイタクバートラムにさらに5馬身という差をつけて重賞初勝利を挙げた[10]。走破タイム1分58秒6は古馬のコースレコードに0秒3差という優秀なものだった[6]

日本ダービーを目指すに当たっては、GI・NHKマイルカップで2着までに入るか、京都新聞杯または青葉賞に勝利するという条件を満たす必要があった。それまでの出走歴から、2000メートルの京都新聞杯か、ダービーと同じ2400メートルの青葉賞に向かうともみられていたが、松田は馬主の金子と相談のうえで[4]、距離が1600メートルと短いNHKマイルカップを選択。東京競馬場のゆったりとしたコース形態と、GIの格を重視してのものだった[6]。また、クラシック三冠初戦の皐月賞を無敗のまま制したアグネスタキオンを意識し、「GIのタイトルを持ってアグネスタキオンと対決すれば、よりダービーが盛り上がるだろうと決めた」と公言してもいたが[4]、アグネスタキオンは皐月賞後に屈腱炎を発症し、戦線を離脱[11]。以後復帰することなく、9月に引退している。

5月6日に迎えたNHKマイルカップでは、単勝オッズ1.2倍の1番人気に支持される[12]。スタートが切られると行き脚がつかず、それまで好位からのレースを続けていたところから一転し、後方14番手から進むことになった[12]。平均ペースで流れるなか、そのまま後方待機策をとると、最後の直線では馬群を縫うようにして抜け出していった[12]。その時点では逃げるグラスエイコウオーと未だ大きな差があったが、鞍上の武豊が鞭を入れると一気に加速し、ゴール前で同馬を半馬身差し切っての優勝を果たした[12]。クロフネに加え、松田にとってもこれが開業6年目でのGI初制覇となった[4]。出走権獲得なったダービーへ向け、松田は「道中の位置取りに少しハラハラしました。後方から直線だけで差し切っての競馬でしたが、次のダービーにつながる内容だったと思います[4]」と感想を述べ、また武は「ストライドが大きく、乗っていてあまりスピード感がない馬なので一瞬心配しましたが、きちんと差し切ってくれましたね。素晴らしい馬だと思います。間違いなくダービーの有力馬の1頭でしょう[4]」と称えた。

日本ダービー(5月27日)ではアグネスタキオンこそ不在だったが、皐月賞2着のダンツフレーム、同3着のジャングルポケットが顔を揃え、クロフネに対する皐月賞上位馬の決戦という図式となった[13]。1番人気には皐月賞で大きな出遅れから3着まで追い上げたジャングルポケットが推されて2.3倍、クロフネが3倍でこれに続き、ダンツフレームが6倍という順となった[14]。スタートが切られるとテイエムサウスポーが大逃げを打ち、ダンツフレームが2番手集団の前方、ジャングルポケットが12番手、その直後にクロフネという隊列となった[14]重馬場にもかかわらず、1000メートル通過は58秒4とダービー史上最速のペースとなり、ダンツフレームが位置取りを下げて一時は上位人気3頭が並ぶように進む[14]。第3コーナー過ぎからクロフネとダンツフレームが上位に進出していき最後の直線に入ったが、仕掛けを遅らせたジャングルポケットが抜け出しを図る両馬を一気にかわし、ダンツフレームに1馬身半差を付けて優勝[14]。クロフネは伸びあぐねて5着と敗れた[14]。松田によれば、ダービーに向けての「手加減した調整」が裏目に出たといい、「5着という着順は、成功したという感じはもちろんないし、かといって、大きく失敗したという感じもない。馬主さんも褒めもしないし、非難もしない。何となく中途半端なレースになってしまった」と振り返っている[6]

天皇賞への蹉跌

夏の休養を経ての秋シーズンは、これも当年より外国産馬に2頭の出走枠が設けられた天皇賞(秋)を目標に、9月の神戸新聞杯から復帰。鞍上は蛯名正義が務めた。ここではダービー2着のダンツフレームと再戦することになったが、当日の1番人気は札幌記念でジャングルポケットを破っていた外国産馬エアエミネムに譲った[15]。レースではスタートで躓いて後手を踏み、道中もスローペースを堪えきれず蛯名との折り合いを欠いた[15]。最後の直線では鋭く追い込んだものの、勝ったエアエミネム、さらにサンライズペガサスも捉えきれず3着と敗れた[15]。松田は「馬が気負いすぎて出遅れてしまった。本当なら馬群の外目を先行するはずだったので、差す競馬は予定外だった。それでも終いの脚は良かったし、天皇賞に向けて収穫はあったと思う」と語った[16]

その後は天皇賞出走を予定していたが、2頭の外国産馬枠に対して獲得賞金額でクロフネを上回る年長馬のメイショウドトウアグネスデジタルが優先権をもったことから、出走することができなくなった。2頭のうちアグネスデジタルは直前になって急遽出走を決めたもので、クロフネへの期待を摘まれた一部ファンからはアグネスデジタル陣営への非難の声が上げられた[17]。松田も「『まさか』が正直な気持ちだった」と振り返っているが、この時点で翌年の予定にダートGI競走・フェブラリーステークスが入っていたことから、これを機会に一度ダートを走らせようと、天皇賞前日に行われるGIII・武蔵野ステークスに出走することになった[6]

ダートで他を圧倒

当日は1番人気ながらオッズでは連勝中のエンゲルグレーゼと2倍台を分け合った。しかしレースでは第4コーナーで先頭に立つと、最後の直線では後続を引き離し、前年のNHKマイルカップ優勝馬・イーグルカフェに9馬身差をつけて圧勝した[18]。走破タイム1分33秒3は、1992年にナリタハヤブサが記録した1分34秒5を1秒2更新するJRAレコードであり[19]、芝コースのタイムに匹敵するものだった[20]。騎乗した武は「3コーナーから一気に上がっていく競馬を、あえてしてみた。普通、直線が長くて最後に坂がある東京であんなレースをしたら、惨敗するのが当たり前だが、この馬は最後に突き放して勝ってくれた。他の馬とは次元が違うというか、レベルが違いすぎた」と振り返っている[6]。なお、翌日に行われた天皇賞ではアグネスデジタルが優勝し、同馬の馬主である渡辺孝男は「周りから心ないことを色々言われたが、言った人たちは恥をかいたんじゃないか」と語った[21]

クロフネ(2001年11月24日、東京競馬場)

11月24日、ダートの国際招待競走・ジャパンカップダートへ出走。当年はアメリカから一線級の実績馬であるリドパレスが出走したが、クロフネは同馬を抑えオッズ1.7倍の1番人気に支持された[20]。スタートが切られるとクロフネはやや出遅れたものの、向正面から徐々に進出を開始、前走と同じく最終コーナーで先頭に立ち、直線で独走態勢となって前年度優勝馬ウイングアローに7馬身差をつけての優勝を果たした[20]。走破タイム2分5秒9は同馬が前年度に記録した2分7秒2を1秒3更新する、2戦連続のJRAレコードであった[22]。武は「今日のレースに限っていえば、こんなに強い馬は今までにいなかったと思う」と称え[22]、8着と敗れたリドパレス騎乗のジェリー・ベイリーは「言い訳はしない。勝った馬が強すぎた」と述べた[20]

引退

ジャパンカップダートの後は休養に入り、翌年にはダートで行われる世界最高賞金競走・ドバイワールドカップを目標とすることが決定していた。しかし12月24日、右前脚に屈腱炎を発症し全治9カ月以上という速報が流れ、26日には競走登録の抹消と種牡馬入りが発表された[3]。松田は後に、調教師としての立場からこの故障について次のように語っている[6]

「人を殺したわけじゃないけど、私の中ではそれと同じくらい、『大変なことをしてしまった』という思いが強かった。毎日の調教を私が指示して、確認して。その繰り返しの中で起こった故障ですから。マツクニという人間は馬の世界しか知りません。そんな自分が自信を持ってやったことが、まるで否定されたかのようで……。クロフネはGIをふたつ勝ちました。レコードタイムも4度マークしました。けど、その勲章と、屈腱炎とを天秤にかけたら、はるかに屈腱炎の方が重いんです。たとえダービーを勝っていても、同じ気持ちになっていたと思います」

翌年1月、年度表彰・JRA賞が発表され、クロフネは最優秀ダートホースに選出された[23]。またJPNクラシフィケーションでは、ダート2戦の内容が北米のハンディキャッパーからも高く評価され、アメリカのケンタッキーダービー優勝馬モナーコスと並び、国内ダートでは史上最高評価となる125ポンドを獲得、3歳のMコラム(1400メートル以上、1900メートル未満)では芝を含めても世界第1位となった[24]

種牡馬時代

2002年より社台スタリオンステーションで種牡馬となり、初年度から201頭の交配相手を集めた[6]。初年度産駒は2005年にデビュー、フサイチリシャール朝日杯フューチュリティステークスを制し順調なスタートを切る[25]。2007年以降はランキング10位以内に定着し、2010年には3位、2011年には2位を記録している[25]。2015年には史上16頭目となる産駒のJRA通算1000勝を達成した[26]。芝、ダートの双方で重賞勝利馬を輩出しているが、特に牝馬の活躍が多い[25]。なお、2001年に輸入された父・フレンチデピュティも数々の重賞勝利馬を輩出し、北米の主流血統であったデピュティミニスター系の日本への定着に父子で貢献した[25]

特徴・評価

4戦で騎乗した武豊は、2003年に行われたインタビューの中で「今まで乗った馬で『凄さ』を感じたのは、オグリキャップサイレンススズカ、そしてクロフネぐらい」、「全く別の次元の競馬をして、能力の高さだけで押し切れる。そんな馬はそうそういない」と述べている[6]。また、乗り味の良さは抜群のものであったといい、「これほど大きいストライドで走る馬は、なかなかいない」とも評している[6]。評論家の吉沢譲治もストライドの大きさに言及し、「まるで1頭だけ、むかしの長距離戦を走っているようだった。そのふわりふわりと走るさまが、遊んでいるようにも、はなからやる気がないようにも見えた」と評している[3]

ダートでは日本競馬史上の最強馬とも評される。日本中央競馬会の広報誌『優駿』が2012年に読者へ行った「カテゴリー別最強馬」のアンケートでは、ダート部門で2位ホクトベガに3倍以上の差を付ける532票を集め、第1位に据えられた[27]。生産者、騎手、調教師にもあわせてアンケートがとられ、回答者17人のうち松田国英、池江泰郎池江泰寿岡田繁幸国枝栄小島茂之四位洋文中舘英二松永幹夫の9人がクロフネをダートの最強馬として挙げた[28]。岡田は「アメリカのダートでも勝負できたかもしれないと思わせるほど、能力が高かった」と添えている[28]。松田は「普通、ダート馬は勝ち気で人の言うことをあまり聞かないようなタイプが多いが、クロフネは精神的に余裕があって、おっとりしていた。精神面だけでなく、肉体面も立派な馬だった。フレンチデピュティ産駒らしい顎の張った馬で、だから飼い葉食いも良く、筋肉の盛り上がった雄大な馬体をしていた。だからといって、決してパワータイプという感じではなかった。素晴らしいスピードがあって、芝でも通用するダート馬だったと思う」と評した[27]

『優駿』が2010年と2015年にそれぞれアンケートをとった「未来に語り継ぎたい名馬ベスト100」では、いずれも19位となっている[29][5]

競走成績

年月日 競馬場 競走名 頭数 枠番 馬番 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量
[kg]
距離(馬場) タイム
(上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
2000. 10. 14 京都 3歳新馬 9 4 4 6.9(3人) 2着 松永幹夫 53 芝1600m(良) 1:35.7 (34.2) 0.0 エイシンスペンサー
10. 28 京都 3歳新馬 9 3 3 1.3(1人) 1着 松永幹夫 53 芝2000m(良) R2:00.7 (34.8) -0.3 (マイネルエスケープ)
12. 3 阪神 エリカ賞 12 7 10 1.3(1人) 1着 松永幹夫 54 芝2000m(良) R2:01.2 (35.1) -0.6 (ダイイチダンヒル)
12. 23 阪神 ラジオたんぱ杯3歳S GIII 12 5 5 1.4(1人) 3着 松永幹夫 54 芝2000m(良) 2:01.4 (34.8) 0.6 アグネスタキオン
2001. 3. 24 阪神 毎日杯 GIII 11 2 2 1.3(1人) 1着 四位洋文 55 芝2000m(良) 1:58.6 (34.5) -0.9 (コイントス)
5. 6 東京 NHKマイルC GI 18 2 4 1.2(1人) 1着 武豊 57 芝1600m(良) 1:33.0 (34.3) -0.1 (グラスエイコウオー)
5. 27 東京 東京優駿 GI 18 8 17 3.0(2人) 5着 武豊 57 芝2400m(重) 2:27.9 (36.7) 0.9 ジャングルポケット
9. 23 京都 神戸新聞杯 GII 12 6 7 4.4(2人) 3着 蛯名正義 56 芝2000m(良) 1:59.6 (34.2) 0.1 エアエミネム
10. 27 東京 武蔵野S GIII 15 8 15 2.3(1人) 1着 武豊 57 ダ1600m(良) R1:33.3 (35.6) -1.4 イーグルカフェ
11. 24 東京 ジャパンCダート GI 16 5 9 1.7(1人) 1着 武豊 55 ダ2100m(良) R2:05.9 (35.8) -1.1 ウイングアロー

表彰

年度 表彰 票数 出典
2001年 JRA賞最優秀ダートホース 282/283 [23]

レーティング

年度 馬齢 馬場 距離区分(m 出典
2001年 3歳 ダート M(1400-1899) 125 [24]
ダート I(1900-2199) 125
M(1400-1899) 113

種牡馬成績

年度別成績

出走 勝利 順位 AEI 収得賞金
頭数 回数 頭数 回数
2005年 47 116 13 19 76 1.55 2億7580万1000円
2006年 147 687 55 71 25 1.37 7億9785万6000円
2007年 218 1331 103 170 10 1.61 13億9705万2500円
2008年 273 1814 137 211 5 1.91 20億7256万6000円
2009年 355 2371 164 264 5 1.61 22億3976万7000円
2010年 372 2627 178 310 3 1.74 26億2181万8000円
2011年 375 2660 161 296 2 1.77 26億1135万5500円
2012年 391 2928 181 322 5 1.60 23億9096万9000円
2013年 406 3158 176 353 8 1.31 19億9628万0500円
2014年 400 3088 169 339 9 1.31 17億8795万1250円
  1. 出典:JBISサーチ「クロフネ 種牡馬成績世代・年次別
  2. 2014年終了時点。

重賞勝利産駒

GI級競走優勝馬

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走。太字はGI、JpnIおよびJ・GI競走。

フサイチリシャール
スリープレスナイト
カレンチャン
ホエールキャプチャ
アップトゥデイト

その他グレード制重賞優勝馬

※GII、JpnIIおよびJ・GII以下の重賞優勝馬。

地方重賞優勝馬

地方競馬限定格付けの重賞勝利馬。

ブルードメアサイアーとしての主な産駒

血統

血統背景

父フレンチデピュティ、母ブルーアヴェニューはいずれも、2001年に日本に輸入された[25]。兄弟の主な活躍馬として、全妹のBella Bellucciがアメリカで重賞を2勝している[64]

血統表

クロフネ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 デピュティミニスター系
[§ 2]

*フレンチデピュティ
French Deputy
1992 栗毛 アメリカ
父の父
Deputy Minister
1979 黒鹿毛
Vice Regent Northern Dancer
Victoria Regina
Mint Copy Bunty's Flight
Shakney
父の母
Mitterand
1981 鹿毛
Hold Your Peace Speak John
Blue Moon
Laredo Lass Bold Ruler
Fortunate Isle

*ブルーアヴェニュー
Blue Avenue
1990 芦毛 アメリカ
Classic Go Go
1978 鹿毛
Pago Pago Matrice
Pompilia
Classic Perfection Never Bend
Mira Femme
母の母
Eliza Blue 1983
芦毛
Icecapade Nearctic
Shenanigans
*コレラ
Corella
Roberto
Catania F-No.2-r
母系(F-No.) 2号族(FN:2-r) [§ 3]
5代内の近親交配 Nearctic 5×4、Nasrullah 5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ クロフネ 5代血統表2015年8月4日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com クロフネ 5代血統表2015年8月4日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ クロフネ 5代血統表2015年8月4日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ クロフネ 5代血統表2015年8月4日閲覧。


脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m クロフネ(USA)”. JBISサーチ (2015年5月10日). 2015年8月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『優駿』2001年5月号、p.139
  3. ^ a b c d e 『優駿』2002年2月号、pp.22-25
  4. ^ a b c d e f g 『優駿』2001年6月号、pp.138-139 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "yushun0106"が異なる内容で複数回定義されています
  5. ^ a b 『優駿』2015年3月号、p.46
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『名馬物語』pp.18-24
  7. ^ 『優駿』2000年12月号、p.72
  8. ^ 『優駿』2001年2月号、p.72
  9. ^ a b 『優駿』2001年2月号、p.69
  10. ^ a b 『優駿』2001年5月号、p.126
  11. ^ 『優駿』2001年5月号、p.5
  12. ^ a b c d 『優駿』2001年6月号、pp.24-25
  13. ^ 『優駿』2001年7月号、p.7
  14. ^ a b c d e 『優駿』2001年7月号、pp.10-13
  15. ^ a b c 『優駿』2001年11月号、p.121
  16. ^ 『優駿』2001年11月号、p.21
  17. ^ 『優駿』2001年12月号、p.12
  18. ^ 『優駿』2001年12月号、p.126
  19. ^ 『優駿』2001年12月号、p.140
  20. ^ a b c d 『優駿』2002年1月号、pp.27-30
  21. ^ 『優駿』2001年12月号、p.134
  22. ^ a b 『優駿』2002年1月号、pp.134-135
  23. ^ a b 『優駿』2002年2月号、p.64
  24. ^ a b 『優駿』2002年2月号、pp.69-72
  25. ^ a b c d e 『優駿』2014年12月号、pp.90-91
  26. ^ クロフネ産駒がJRA通算1000勝達成”. ラジオNIKKEI (2015年5月10日). 2015年8月4日閲覧。
  27. ^ a b 『優駿』2012年9月号、pp.36-39
  28. ^ a b 『優駿』2012年9月号、pp.47-49
  29. ^ 『優駿』2010年8月号、p.40
  30. ^ フサイチリシャール”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  31. ^ スリープレスナイト”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  32. ^ カレンチャン”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  33. ^ ホエールキャプチャ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  34. ^ アップトゥデイト”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  35. ^ クラリティスカイ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  36. ^ ホワイトメロディー”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  37. ^ オディール”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  38. ^ ユキチャン”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  39. ^ ブラボーデイジー”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  40. ^ セイコーライコウ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  41. ^ マルモセーラ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  42. ^ アースソニック”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  43. ^ ストークアンドレイ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  44. ^ クロフネサプライズ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  45. ^ インパルスヒーロー”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  46. ^ マイネルクロップ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  47. ^ ディアーウィッシュ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  48. ^ スターシップ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  49. ^ ジョーモルデュー”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  50. ^ タートルベイ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  51. ^ ジョーイロンデル”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  52. ^ ビーボタンダッシュ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  53. ^ ハイパーフォルテ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  54. ^ スウィングダンス”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  55. ^ ナターレ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  56. ^ ミヤサンキューティ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  57. ^ ドラゴンシップ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  58. ^ ロクイチスマイル”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  59. ^ カツゲキドラマ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  60. ^ キョウワカイザー”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  61. ^ ホウライナデシコ”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  62. ^ サーモピレー”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  63. ^ トーコーヴィーナス”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。
  64. ^ Bella Bellucci(USA)”. JBISサーチ. 2015年8月4日閲覧。

参考文献

  • 『名馬物語 - The best selection (3) 』(エンターブレイン、2004年)ISBN 978-4757720794
  • 『優駿』(日本中央競馬会)各号

外部リンク