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「パリ・サンジェルマンFC」の版間の差分

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'''パリ・サン=ジェルマン・フットボール・クルブ'''('''Paris Saint-Germain Football Club''', '''PSG''')は、[[フランス]]・[[パリ]]に本拠地を置く[[サッカー]]クラブ。
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'''パリ・サン=ジェルマン・フットボール・クルブ'''('''Paris Saint-Germain Football Club''', '''PSG''')は、[[フランス]]・[[パリ]]に本拠地を置く[[サッカー]]クラブチーム。


== 沿革 ==
== 概要 ==
1970年8月12日、[[パリFC]]と{{仮リンク|スタッド・サン=ジェルマン|fr|Stade Saint-Germain}}が合併して創設された。1974年以来[[リーグ・アン]](1部、旧ディヴィジョン・アン)に在籍し続けている。リーグ・アンで1回、[[クープ・ドゥ・フランス]]で8回、[[クープ・ドゥ・ラ・リーグ]]で3回、[[トロフェ・デ・シャンピオン]]で2回優勝しており、フランスで最も成功を収めているクラブのひとつである。1995-96シーズンには[[UEFAカップウィナーズカップ]]で優勝している。ヨーロッパの主要大会でのタイトル獲得経験があるフランスのクラブは、PSGと[[オリンピック・マルセイユ]]の2クラブのみである<ref>{{cite news | title = Palmares | url = http://www.psg.fr/en/Club/608001/Palmares | work=パリ・サンジェルマン公式サイト | accessdate =12 October 2010}}</ref>。1994年には[[国際サッカー歴史統計連盟]](IFFHS)の[[国際サッカー歴史統計連盟#クラブ世界ランキング|クラブ世界ランキング]]1位に選出され、1998年にはUEFAクラブランキングで1位となった<ref>{{cite news | title = IFFHS Club World Ranking 1994 | url = http://www.iffhs.de/?eedbca388d8569d817285fdcdc3bfcdc0aec70a21c | work = IFFHS | accessdate =12 October 2010}}</ref><ref>{{cite news | title = UEFA Team Ranking 1998 | url = http://www.xs4all.nl/~kassiesa/bert/uefa/data/method1/trank1998.html | work = XS4ALL | accessdate =12 October 2010}}</ref>。PSGはこれらの称号を持つフランス唯一のクラブである。2012年は、IFFHSでは16位、UEFAクラブランキングでは46位にランクインしている<ref>{{cite news | title = IFFHS Club World Ranking | url = http://www.iffhs.de/?10f42e00fa2d17f73702fa3016e23c17f7370eff3702bb1c2bbb6f28f53512 | work = IFFHS | date = 30 September 2010 | accessdate =12 October 2010}}</ref><ref>{{cite news | title = UEFA Team Ranking 2012 | url = http://kassiesa.home.xs4all.nl/bert/uefa/data/method4/trank2012.html | work = XS4ALL | date = 22 July 2011 | accessdate =22 July 2011}}</ref>。
[[1970年]]に創立されたクラブで、[[:fr:Pierre-Étienne Guyot|ピエール・エティエンヌ・グヨ]]が創設者であり初代会長であった(グヨは、[[フローラン・ダバディー]]の祖父である)。過去には[[ロナウジーニョ]]、[[ライー]]、[[ペドロ・パウレタ]]、[[ジョージ・ウェア]]らが所属していた。また、90年代に日本のJリーグで活躍した[[パトリック・エムボマ]]もかつて所属していた。


1973年以来、48,712人収容の[[パルク・デ・プランス]]をホームスタジアムとしている<ref name="parc">{{cite news | title = L'Histoire du Parc | url = http://www.leparcdesprinces.fr/L-histoire.html | work = Le Parc des Princes | accessdate =21 October 2010}}</ref><ref name="pdp">{{cite news | title = Parc des Princes Paris | url = http://www.stadium-attendances.com/parc-des-princes-paris.htm | work = Stadium and Attendances | accessdate =22 November 2011}}</ref>。1974年以来、[[カン・デ・ロッジュ]]を練習施設として使用している<ref name="camp">{{cite news | title = Présentation (centre de formation) | url = http://www.psg.fr/fr/Formation/400001/Presentation-formation | work=パリ・サンジェルマン公式サイト | accessdate =27 November 2011}}</ref>。1975年以来、パルク・デ・プランスを開催地として[[トゥルヌワ・ドゥ・パリ]]を主催している<ref name="tournoi">{{cite news | title = Le PSG relance le Tournoi de Paris dès 2010 | url = http://www.psgmag.net/1876-Le-PSG-relance-le-Tournoi-de-Paris.html | work = PSG MAG | date = 24 December 2009 | accessdate =5 February 2012}}</ref>。マルセイユに対して激しいライバル意識を抱いており、両者の対戦は[[ル・クラスィク]]と呼ばれる<ref name="fifa.com">{{cite news | title = France's passion play | url = http://www.fifa.com/classicfootball/stories/classicderby/news/newsid=1037223.html#frances+passion+play | work = FIFA | accessdate =25 October 2009}}</ref>。ライバルのマルセイユに次いで、フランスで2番目にサポーター数が多いクラブである<ref name="support">{{cite news | title = Capital gains: well-connected PSG's revival is good for French football | url = http://fourfourtwo.com/blogs/thefrenchconnection/archive/2011/12/21/capital-gains-well-connected-psg-s-revival-is-good-for-french-football.aspx | work = FourFourTwo | date = 21 December 2011 | accessdate =13 February 2012}}</ref>。2011-12シーズンの平均観客数は42,892人であり、リーグ・アン最多だった<ref>{{cite news | title = Attendances 2011/12 | url = http://www.ligue1.com/ligue1/affluences/club | work = リーグ・アン公式サイト | accessdate =8 June 2012}}</ref>。最も一般的なスローガンは「Ici c'est Paris」(パリ、死の帝国)である<ref name="earning">{{Cite news | title = Paris is Earning | url = http://theclassical.org/articles/paris-is-earning | work = The Classical | date = 11 January 2012 | accessdate =13 February 2012}}</ref>。
ファッションデザイナーの[[ダニエル・エシュテル]]が会長だったことがあり(在職[[1974年]] - [[1978年]])、ユニフォームは彼のデザインによるものである。またエンブレムにはパリのシンボルである[[エッフェル塔]]が描かれている。欧州や南米のサッカークラブは、元々総合スポーツクラブとして誕生し、発展した例が多い中、パリSGの生い立ちはやや異質である。設立時にはパリ出身の著名人、例えば[[ジャン=ポール・ベルモンド]]なども出資をしている。[[オリンピック・マルセイユ|マルセイユ]]との対戦は[[ル・クラスィク]](またはフランスダービー)と呼ばれ、非常に白熱したものとなる。


クラブのエンブレムは青色を基調とし、中央部分にはパリのシンボルである[[エッフェル塔]]が赤色で描かれている。現在のモデル(8代目)は2013年にデザインされたものであり、それまで塔の足下に置かれていた[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の白色の揺りかごが姿を消した<ref name="psghe">{{cite news |title = Blasons, Logos, Écussons du PSG | url = http://psg70.free.fr/blasons.htm | work = PSG70 |accessdate=7 October 2010}}</ref><ref>{{cite news |title =PSG、新エンブレムを公開 | url =http://www.goal.com/jp/news/126/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9/2013/02/23/3772472/psg%E6%96%B0%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%A0%E3%82%92%E5%85%AC%E9%96%8B | work =Goal.com |date=2013-02-23 |accessdate=2013-02-25}}</ref>。1974年から1978年まではファッションデザイナーの[[ダニエル・エシュテル]]が会長を務め、ユニフォームはエシュテルによってデザインされた。シャツは紺色をベースとし、白色で縁取られた赤色の縦線が中央部に入っている<ref name="psghm">{{cite news |title = Les maillots du PSG depuis 1970 | url = http://psg70.free.fr/maillots.htm | work = PSG70 |accessdate=29 September 2010}}</ref>。特徴的な太い一本線を持っていた[[アヤックス・アムステルダム|AFCアヤックス]](オランダ)のユニフォームを参考にデザインされた。女子チーム([[パリ・サンジェルマンFC (レディース)|パリ・サンジェルマンFC・フェミニン]])は1991年から存在する<ref name="pfem">{{cite news |title = Présentation (féminines) | url = http://www.psg.fr/fr/Feminines/409001/Presentation-feminines |work=パリ・サンジェルマン公式サイト |accessdate=30 September 2010}}</ref>。
欧州の舞台では1995-96シーズン、当時の中心選手であった[[ユーリ・ジョルカエフ]]に率いられ、欧州三大カップの一角[[UEFAカップウィナーズカップ]]のタイトルに輝いた。ちなみに、このシーズンは[[ジネディーヌ・ジダン]]率いる[[FCジロンダン・ボルドー|ボルドー]]が[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]で準優勝し、[[FCナント|ナント]]が[[UEFAチャンピオンズリーグ]]でベスト4に入るなど、その後のフランス代表チームの活躍を予感させる年であった(フランス代表は1998年に[[1998 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]、2000年に[[UEFA欧州選手権2000|欧州選手権]]で優勝を飾っている)。


== 歴史 ==
1994年に[[国際サッカー歴史統計連盟|IFFHS]]の発表した[[国際サッカー歴史統計連盟#クラブ世界ランキング|クラブ世界ランキング]]において一位になった。
[[File:Paris Saint-Germain Football Club.jpg|thumb|right|300px|パルク・デ・プランスにあるトロフィー壁]]


=== 1970年代と1980年代 ===
2011年6月、[[カタール]]の王位継承者が所有するカタール・インベストメント・オーソリティが株の70%を所有し、一気にメガクラブへの道を進むことになった。[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル・ミラノ]]の監督をしていたOBの[[レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ|レオナルド]]をスポーツ・ディレクターとして抜擢し、8000万ユーロ近くかけて[[ハビエル・パストーレ]]や[[ディエゴ・ルガーノ]]、[[ケヴィン・ガメイロ]]、[[ジェレミー・メネズ]]、[[サルヴァトーレ・シリグ]]といった実力者を獲得した。特にパストーレは[[チッタ・ディ・パレルモ|パレルモ]]から4200万ユーロという破格の移籍金で獲得した。また、2011年12月にアントワーヌ・コンブアレ監督を解任し、[[ACミラン]]や[[チェルシーFC|チェルシー]]でタイトルを取った[[カルロ・アンチェロッティ]]を監督として招いた。冬の移籍市場でも[[マクスウェル・シェレル・カベリーノ・アンドラーデ|マクスウェル]]や[[アレックス・ロドリゴ・ディアス・ダ・コスタ|アレックス]]、[[ティアゴ・モッタ]]ら実力者を獲得している。
ヨーロッパや南米のサッカークラブは、総合スポーツクラブの一部門として誕生したクラブが多いが、パリ・サンジェルマンの創設過程はこれらのクラブとは異なる。1970年8月12日、[[スタッド・サン=ジェルマン]]と[[パリFC]]が合併し、[[ピエール・エティエンヌ・グヨ]]<ref>サッカージャーナリストの[[フロラン・ダバディ]]はグヨの孫である</ref>を創設者兼初代会長としてパリ・サンジェルマンFCが設立された。設立時には[[ジャン=ポール・ベルモンド]]などパリ出身の著名人も出資している。しかし、[[サン=ジェルマン=アン=レー]]を本拠地としたパリ・サンジェルマンFCに対してパリ市が資金援助を渋ったため、パリ・サンジェルマンFCはアマチュアクラブとして、パリFCはプロクラブとして2クラブが併存した。しかし、パリ・サンジェルマンFCはパリ社交界の著名人を味方につけて急成長し、1973年には[[リーグ・アン|ディヴィジョン・アン]](1部、現リーグ・アン)に到達した。同時期にはパリFCが衰退したため、パリ・サンジェルマンFCはそれまでパリFCが使用していた[[パルク・デ・プランス]]にホームスタジアムを変更し、1970年代末までには躍進の土台となる足元を固めた。
また、2012年夏には[[SSCナポリ|ナポリ]]から[[エセキエル・ラベッシ]]を、さらに[[ACミラン]]から[[チアゴ・エミリアーノ・ダ・シウバ|チアゴ・シウバ]]、[[ズラタン・イブラヒモビッチ]]といったビッグネームを獲得した。特に、チアゴ・シウバはDF史上2番目に高額な4200万ユーロの移籍金で獲得した。

1981-82シーズンに[[クープ・ドゥ・フランス]]で優勝し、クラブ初の主要タイトルを獲得した。1982-83シーズンには同大会で2連覇を果たした。1985-86シーズンにはディヴィジョン・アンで初優勝し、ヨーロッパの舞台へと飛び出した<ref name="psgfp">{{cite news |title = PSG firmly in the pantheon | url = http://www.fifa.com/classicfootball/clubs/club=33191/index.html | work = FIFA | date = 17 October 2008 |accessdate=19 January 2010}}</ref>。

=== 1990年代の黄金期 ===
1991年5月には有料テレビ局の[[Canal+]]によって買収された。Canal+は潤沢な資金をパリ・サンジェルマンに投入し、1990年代はクラブの黄金期となった。1992年には[[サッカーリベリア代表|リベリア代表]]の[[ジョージ・ウェア]]や[[サッカーフランス代表|フランス代表]]の[[ダヴィド・ジノラ]]を獲得。1993年には、前年に[[サンパウロFC]]で[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]]を制していた[[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]]の[[ライー]]を獲得。1993-94シーズンには2度目のリーグ優勝を果たし、ウェアは1995年に[[バロンドール]]を受賞した。カメルーンの[[パトリック・エムボマ]]も2度に渡って在籍したが、出場機会に恵まれなかった。1992年から1998年の間には[[UEFAカップウィナーズカップ]]で2回決勝に進出し、1995-96シーズンに優勝した。[[UEFAチャンピオンズリーグ]]でも1回準決勝に進出し、[[UEFAカップ]]では2回準決勝に進出した。国内大会に目を向けても満足のいく成績を残し、1990年代にはクープ・ドゥ・フランスで3回優勝、クープ・ドゥ・ラ・リーグとトロフェ・デ・シャンピオンで2回ずつ優勝を果たした<ref name="psgfp"/>。

1995-96シーズンには[[ユーリ・ジョルカエフ]]が柱となって[[UEFAカップウィナーズカップ]]を獲得。このシーズンには[[ジネディーヌ・ジダン]]を擁する[[FCジロンダン・ボルドー]]が[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]で準優勝し、[[FCナント]]が[[UEFAチャンピオンズリーグ]]でベスト4に入るなど、その後のフランス代表チームの活躍を予感させる年であった。フランス代表は[[1998 FIFAワールドカップ]]、[[UEFA EURO 2000]]で優勝を飾っている。

=== 低迷した2000年代 ===
2001年には[[グレミオ]](ブラジル)から[[ロナウジーニョ]]を獲得した。ロナウジーニョは2003年まで在籍し、移籍金3000万ユーロで[[FCバルセロナ]](スペイン)に移籍した。2003年には移籍金1200万ユーロで[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル代表]]の[[ペドロ・パウレタ]]を獲得。パウレタは2008年まで在籍し、2度のリーグ得点王に輝くなど、クラブ通算100得点を達成した。

2000年代前半に獲得したタイトルはわずかひとつ(2003-04シーズンのクープ・ドゥ・フランス)。2004-05シーズンと2005-06シーズンはリーグ戦で9位に転落し、2006年、Canal+は2600万ユーロ(約27億3000万円)の安価で[[コロニー・キャピタル]](不動産投資会社)、[[バトラー・キャピタル・パートナーズ]](個人投資会社)、[[モルガン・スタンレー]](投資銀行)に株式を売却したが、Canal+撤退後には深刻な財政難に陥った<ref name="継続力">{{cite news |title =“フランス版・銀河系軍団”パリSGがバルセロナに学ぶべき「継続力」 | url =http://www.soccer-king.jp/sk_column/article/89368.html | work =サッカーキング |date=2013-01-13 |accessdate=2013-02-25}}</ref>。なお、同年には[[エミレーツ航空]]がメインスポンサーとなり、2008年にはスポンサー契約を2014年まで更新している<ref>{{cite web |title =エミレーツ航空はパリ・サンジェルマン (PSG) をはじめとする世界一流のサッカー・チームを後援 | url =http://www.emirates.com/jp/japanese/about/emirates-sponsorships/football/paris-saint-germain/paris-saint-germain.aspx | work =エミレーツ航空 |date= |accessdate=2013-02-25}}</ref>。2006-07シーズンは残留争いに加わって15位に終わり、いずれのカップ戦でも決勝に進めなかった。2007-08シーズンも16位に終わったが、カップ戦では健闘した。クープ・ドゥ・ラ・リーグを制し、クープ・ドゥ・フランスでは決勝に進出したが、リーグ王者の[[オリンピック・リヨン]]に敗れて準優勝に終わった。2008-09シーズンは優勝争いに絡んだが、欧州カップ戦出場権を逃す6位に終わった。コロニー・キャピタルがモルガン・スタンレーから95%の株式を購入して筆頭株主となった。2009-10シーズンにはクープ・ドゥ・フランスで8回目の優勝を飾ったが、このシーズンには女子チームも同大会で優勝した。同一クラブの男女チームがクープ・ドゥ・フランスを独占するのはフランス史上初だった<ref name="psgfp"/>。

=== 2010年代の金満クラブ化 ===
2011年5月、カタール投資庁(カタール・インベストメント・オーソリティ、QIA)の子会社である[[カタール・スポーツ・インベストメント]](QSI)がクラブ株式の70%を購入して筆頭株主となった<ref name="途上">{{cite news |title=パリ・サンジェルマンの果てなき野望。「華の都」で起きた現代版の“フランス革命”に迫る | url =http://dourakumon.com/index.php/soccerking/4420 | work =動楽者 | date =2012-07-27 |accessdate=2013-02-25}}</ref>。2012年にはコロニー・キャピタルやバトラー・キャピタル・パートナーズから残りの30%の株式も購入し、QSIが単独株主となった<ref name="qatar">{{cite news |title = Le Qatar sans limite | url = http://www.leparisien.fr/psg-foot-paris-saint-germain/le-qatar-sans-limite-07-03-2012-1893594.php | work = Le Parisien | date = 7 March 2012 |accessdate=7 March 2012}}</ref>。カタールのタミーム皇太子の友人の[[ナセル・アル・ケライフィ]]が会長に就任し、数年間で1億ユーロもの移籍金をチーム強化のために移籍市場に投じることを示唆した<ref name="qia">{{cite news |title = Qatari investors take full control of PSG | url = http://www.emirates247.com/sports/football/qatari-investors-take-full-control-of-psg-2012-03-07-1.447027 | work = Emirates 24/7 | date = 7 March 2012 |accessdate=7 March 2012}}</ref>。QSIによる買収で、パリ・サンジェルマンはフランスのみならず世界でもっとも裕福なクラブのひとつとなった<ref name="richest">{{cite news |title = Paris: The New Madrid | url = http://www.thepursuitofvictory.com/2011/12/paris-new-madrid.html | work = The Pursuit of Victory | date = 28 December 2011 |accessdate=2 February 2012}}</ref>。かつて選手として在籍し、[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]で監督を務めていた[[レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ|レオナルド]]をスポーツ・ディレクターとして抜擢。2011年夏には8000万ユーロ近くを投じ、[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]の[[ハビエル・パストーレ]]、[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ代表]]の[[ディエゴ・ルガーノ]]、フランスの[[ケヴィン・ガメイロ]]や[[ジェレミー・メネズ]]、[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]の[[サルヴァトーレ・シリグ]]といった実力者を獲得した。特にパストーレ獲得の際には、リーグ・アン史上最高額の移籍金4200万ユーロを[[USチッタ・ディ・パレルモ]](イタリア)に支払った<ref name="劇薬">小川由紀子「劇薬イブラヒモビッチに依存する理由」、『欧州サッカー批評07』、双葉社、2013年、70-74頁</ref>。2011年12月にはリーグ首位に立っていたが、[[アントワーヌ・コンブアレ]]監督を解任し、[[ACミラン]](イタリア)や[[チェルシーFC]](イングランド)でタイトルを獲得した[[カルロ・アンチェロッティ]]を監督に招聘<ref name="途上">{{cite news |title=ビッグクラブへの途上。一気に戦力アップしたパリ・サンジェルマンが欧州勢力図を変える | url =http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/wfootball/2012/10/10/post_177/ | work =Sportiva | date =2012-10-10 |accessdate=2013-02-25}}</ref><ref name="継続力"/>。2012年1月の移籍市場では[[マクスウェル・シェレル・カベリーノ・アンドラーデ|マクスウェル]]や[[アレックス・ロドリゴ・ディアス・ダ・コスタ|アレックス]]、[[ティアゴ・モッタ]]ら実力者を獲得し、結局は[[モンペリエHSC]]に優勝をさらわれて2位に甘んじたものの、8シーズンぶりとなる好成績を収めた<ref name="途上"/><ref name="継続力"/>。2012年夏には1億5000万ユーロ(約180億円)を投じ、[[SSCナポリ]](イタリア)から[[エセキエル・ラベッシ]]を、ACミランからブラジル代表の[[チアゴ・エミリアーノ・ダ・シウバ|チアゴ・シウヴァ]]や[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン代表]]の[[ズラタン・イブラヒモビッチ]]といったビッグネームを獲得した<ref name="劇薬"/>。特に、チアゴ・シウヴァはディフェンダー史上2番目に高額な4200万ユーロの移籍金で獲得した。

== ライバル ==
{{Main|ル・クラスィク}}

[[File:OM-PSG CF finale-1.jpg|thumb|right|250px|2006年の[[クープ・ドゥ・フランス]]決勝におけるPSGのサポーター]]

[[ル・クラスィク]](ザ・クラシックの意<ref>{{cite news |title=Second time lucky as Marseille face PSG in Ligue 1's Le Classique |url=http://www.101greatgoals.com/second-time-lucky-as-marseille-face-psg-in-ligue-1s-le-classique/41027/ |work=101 Great Goals |date=19 November 2009 |accessdate=23 April 2010}}</ref>、フランス・ダービーやル・クラシコとも呼ばれる)<ref>{{cite news
|title=Ligue 1 Preview: Paris Saint-Germain – Olympique de Marseille |url=http://goal.com/en/news/90/france/2010/02/26/1808160/ligue-1-preview-paris-saint-germain-olympique-de-marseille |work=Goal.com |date=26 February 2010 |accessdate=28 February 2010}}</ref><ref>{{cite news |title=Paris s'impose dans la douleur dans le Classico |url=http://www.actupsg.fr/afficher_actu.php?affiche_actu=3549 |work=ActuPSG |date=8 April 2012 |accessdate=22 April 2012}}</ref>は、PSGと[[オリンピック・マルセイユ]]の間で行われるダービーマッチの名称である。対戦の名称は、[[レアル・マドリード]]と[[FCバルセロナ]](ともにスペイン)が対戦する[[エル・クラシコ]]に由来している。PSGとマルセイユのライバル意識が1980年代後半から1990年代初頭にかけて激しさを増すと、有料テレビ局の[[Canal+]]とマルセイユの[[ベルナール・タピエ]]会長が両者の対立を煽り、フランス中のサッカーファンにとって興味深い試合に仕立て上げた<ref>{{cite news |title=Rewind to 1993: The shame of Marseille |url=http://soccernet.espn.go.com/columns/story/_/id/894439/rewind-to-1993:-the-shame-of-marseille?cc=3888 |work=ESPNsoccernet |date=10 March 2011 |accessdate=8 October 2011}}</ref>。両クラブは[[スタッド・ヴェロドローム]](マルセイユ)と[[パルク・デ・プランス]](PSG)という世界クラスのスタジアムを持ち、白熱した雰囲気や熱烈なサポーターを持つことで名高い。両クラブのサポーターは憎しみ合っており、両クラブサポーターの衝突を防ぐために万全の警備体制が敷かれるが、それでも両者が出会うと暴力事件に事欠かない<ref>{{cite news |title=OM-PSG D-2: The match that divides a nation |url=http://www.ligue1.com/ligue1/article/om-psg-d-2-the-match-that-divides-a-nation.htm |work=リーグ・アン公式サイト |date=23 October 2009 |accessdate=25 October 2009}}</ref>。

それぞれの本拠地である[[パリ]]と[[マルセイユ]]は、フランスで最も大きな2都市である。両クラブのタイトル数を合わせると、[[リーグ・アン]]で11回優勝、[[クープ・ドゥ・フランス]]で18回優勝、[[クープ・ドゥ・ラ・リーグ]]で6回優勝、[[トロフェ・デ・シャンピオン]]で5回優勝している。ヨーロッパの主要大会で優勝経験があるのは、PSG(1995-96シーズンの[[UEFAカップウィナーズカップ]])とマルセイユ(1992-93シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ]])のみである。2000年代に[[オリンピック・リヨン]]が台頭するまで、両者がリーグ・アンの覇権を握っていた。真に全国的なクラブであり、忠実で情熱的なファンクラブを持ち、ビッグゲームで特別な雰囲気を醸し出すのは、フランスではPSG、マルセイユ、[[ASサンテティエンヌ]]の3クラブのみである<ref name="fifa.com"/>。

== 所有物 ==
=== スタジアム ===
{{Main|パルク・デ・プランス}}

[[File:Paris-Parc-des-Princes.jpg|thumb|right|250px||パルク・デ・プランス]]

前身クラブのひとつである[[スタッド・サン=ジェルマン]]は[[カン・デ・ロッジュ]]のStade Georges Lefèvreをホームスタジアムとしており、1970年に[[パリFC]]と合併してPSGとなった後も、PSGは1974年までGeorges Lefèvreをホームスタジアムとして使用していた<ref>{{cite news |title=Le Camp des Loges |url=http://www.infopsg.com/le-club/le-camp-des-loges/ |work=Info PSG |accessdate=29 January 2012}}</ref>。1974年からはトップチームとリザーブチームの練習施設としてカン・デ・ロッジュを使用している。リザーブチームと女子チームはともにGeorges Lefèvreをホームスタジアムとしている<ref name="camp"/>。カン・デ・ロッジュは2008年に改修された<ref>{{cite news |title=Présentation du nouveau centre d’entraînement |url=http://www.psg.fr/fr/Article/003001/Article/43248/Presentation-du-nouveau-centre-d-entrainement |work=パリ・サンジェルマン公式サイト |date=3 November 2008 |accessdate=13 January 2010}}</ref>。1973年6月以来、[[パルク・デ・プランス]]を使用するクラブはPSGのみである<ref name="parc"/>。1973年11月10日、[[FCレッドスター・サン=トゥアン]]戦で初めてパルク・デ・プランスを使用した<ref>{{cite news |title=Le Parc des Princes |url=http://www.infopsg.com/le-club/le-parc-des-princes/ |work=Info PSG |accessdate=29 January 2012}}</ref>。親会社である[[カナル・プリュス]]は1992年からパルク・デ・プランスの使用許可を有している。1999年、パリ市はスタジアムの使用許可を15年間延長した<ref name="parc"/>。2002年、クラブハウスがスタジアムから新ビルに移転した<ref>{{cite news |title=stade Parc des Princes |url=http://niko17.footblog.fr/377427/stade-Parc-des-Princes/ |work=Footblog |date=9 December 2006 |accessdate=29 January 2012}}</ref>。過去最高の平均観客数を記録したのは1999-2000シーズンであり、1試合平均43,185人を記録した。1982-83シーズンの[[UEFAカップウィナーズカップ]]準々決勝・[[KRCヘンク]]戦では過去最高の観客数である49,407人を記録した<ref name="pdp"/>。

=== 下部組織 ===
クラブのリザーブチーム、ユースチーム、女子チームなどは、[[イル・ド・フランス地域圏]]の[[サン=ジェルマン=アン=レー]](パリの西側郊外)、カン・デ・ロッジュにある練習施設を使用しており、彼らは主に3,500人収容のStade Georges Lefèvreをホームスタジアムとしている。この施設は高水準の練習を行なったり多くの優れた選手を輩出してきたことでも知られている。下部組織の卒業生には[[ニコラ・アネルカ]]、[[ルイス・フェルナンデス]]、[[ママドゥ・サコー]]、[[ロリック・カナ]]、[[ジャン=マルク・ピロルジェ]]、[[ジェローム・ルロワ]]などがいる。Bertrand Reuzeauが施設長を務めている<ref name="psgra">{{cite news | title = Présentation (centre de formation) | url = http://www.psg.fr/fr/Formation/400001/Presentation-formation | work = パリ・サンジェルマンFC公式サイト | accessdate =18 October 2011}}</ref>。[[イヴリーヌ県]]のVerneuil-sur-Seineには15歳以下の選手用の練習施設がある<ref>{{cite news | title = Présentation (préformation) | url = http://www.psg.fr/fr/Preformation/405001/Presentation-pre-formation | work = パリ・サンジェルマンFC公式サイト | accessdate =18 October 2011}}</ref>。カン・デ・ロッジュは[[フランスサッカー連盟]](FFF)によってフランス最高水準の練習施設のひとつと認識されており、2009年にエリートクラスに分類された<ref>{{cite news | title = La préfo labellisée " Elite " | url = http://www.psg.fr/fr/News/101001/Fil-info/43979/La-prefo-labellisee-Elite | work = パリ・サンジェルマンFC公式サイト | date = 19 January 2009 | accessdate =7 September 2010}}</ref>。パリ・サンジェルマンの下部組織は、クープ・ドゥ・パリで3回、U-19全国選手権で3回、Challenge du Meilleur Club de Jeunesで2回、Championnat DH Parisで1回、[[クープ・ガンバルデッラ]]で1回、U-17全国選手権で1回、U-16全国選手権で1回、Tournoi Carisportで1回優勝している<ref name="psgra"/>。

=== 女子チーム ===
{{Main|パリ・サンジェルマンFC (レディース)}}

クラブにはプロの女子チーム([[パリ・サンジェルマンFC (レディース)|パリ・サンジェルマンFC・フェミニン]])も存在する。このチームは1991年からパリ・サンジェルマンFCの組織に組み込まれている。[[カン・デ・ロッジュ]]のStade Georges Lefèvreをホームスタジアムとして使用している。2001年に[[ディヴィジオン・ドゥ・フェミニン]](女子2部)で優勝して[[ディヴィジオン・アン・フェミニン]](女子1部、セミプロ)に昇格し、それ以来はディヴィジオン・アンに在籍し続けている。2009-10シーズンには[[クープ・ドゥ・フランス・フェミニン]]で優勝し、初のメジャータイトルを獲得した。2010-11シーズンのリーグ戦では2位となり、クラブ史上初めて[[UEFA女子チャンピオンズリーグ]]の出場権を獲得した<ref name="pfem"/>。

== トゥルヌワ・ドゥ・パリ ==
[[パルク・デ・プランス]]を開催地とし、[[トゥルヌワ・ドゥ・パリ]]という名称のプレシーズン親善大会を主催している。1957年から1976年まではシーズン閉幕後に開催し、1977年以降はシーズン開幕前に開催している。この大会は[[アヤックス・アムステルダム|AFCアヤックス]](オランダ)が主催する[[アムステルダム・トーナメント]]、[[アーセナルFC]](イングランド)が主催する[[エミレーツ・カップ]]などと同等の権威を持つ親善大会であり、Canal+によって放映される。主催クラブを含めて4クラブが出場し、2日間に渡って行なわれる<ref name="tournoi"/>。パリ・サンジェルマン自身は1975年以降継続して出場しており、7回(最多)優勝している。[[RSCアンデルレヒト]](ベルギー)が3回優勝しており、主催クラブ以外では最も優勝回数が多い<ref>{{Cite news | title = Anecdotes autour du Tournoi de Paris | url = http://www.psg.fr/fr/Article/003001/Article/49478/Anecdotes-autour-du-Tournoi-de-Paris | work = パリ・サンジェルマンFC公式サイト | date = 12 July 2010 | accessdate =23 January 2011}}</ref>。


== タイトル ==
== タイトル ==
52行目: 96行目:
* '''[[リーグ・アン]](ディヴィジョン・アン):2回'''
* '''[[リーグ・アン]](ディヴィジョン・アン):2回'''
: 1985-86, 1993-94
: 1985-86, 1993-94

* '''[[リーグ・ドゥ]](ディヴィジョン・ドゥ):1回'''
* '''[[リーグ・ドゥ]](ディヴィジョン・ドゥ):1回'''
: 1970-71
: 1970-71

* '''[[クープ・ドゥ・フランス|カップ]]:8回'''
* '''[[クープ・ドゥ・フランス]]:8回'''
: 1981-82, 1982-83, 1992-93, 1994-95, 1997-98, 2003-04, 2005-06, 2009-10
: 1981-82, 1982-83, 1992-93, 1994-95, 1997-98, 2003-04, 2005-06, 2009-10

* '''[[クープ・ドゥ・ラ・リーグ|リーグカップ]]:3回'''
* '''[[クープ・ドゥ・ラ・リーグ]]:3回'''
: 1994-95, 1997-98, 2007-08
: 1994-95, 1997-98, 2007-08

* '''[[トロフェ・デ・シャンピオン|スーパーカップ]]:2回'''
* '''[[トロフェ・デ・シャンピオン]]:2回'''
: 1995, 1998
: 1995, 1998


=== 国際タイトル ===
=== 国際タイトル ===
* '''[[UEFAカップウィナーズカップ]]:1回'''
* '''[[UEFAカップウィナーズカップ]]:1回'''
: 1995-96
: 優勝 : 1995-96
: 準優勝 : 1996-97

* '''[[UEFAインタートトカップ]]:1回'''
* '''[[UEFAインタートトカップ]]:1回'''
: 2001
: 優勝 : 2001

* '''[[UEFAスーパーカップ]] : 0回'''
: 最高成績 : 準優勝 : 1996

=== 親善大会 ===
* '''[[トゥルヌワ・ドゥ・パリ]] : 7回'''
: 1980, 1981, 1984, 1986, 1989, 1992, 1993

* '''[[エミレーツ・カップ]] : 0回'''
: 最高成績 : 準優勝 (2) : 2007, 2011

* '''[[ドバイ・チャレンジ・カップ]] : 0回'''
: 最高成績 : 準優勝 (1) : 2012


== 現所属選手 ==
== 現所属選手 ==
[[2012年]][[98日]]現在
[[2013年]][[21日]]現在


{{サッカークラブチーム選手一覧 開始}}
{{サッカークラブチーム選手一覧 開始}}
74行目: 137行目:
{{サッカークラブチーム選手一覧 選手 | 背番号=2 | 国籍=BRA | ポジション=DF | 名前= [[チアゴ・エミリアーノ・ダ・シウバ|チアゴ・シウバ]]}}
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{{サッカークラブチーム選手一覧 中央}}
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95行目: 152行目:
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{{サッカークラブチーム選手一覧 選手 | 背番号=26 | 国籍=FRA | ポジション=DF | 名前= [[クリストフ・ジャレ]]}}([[主将|キャプテン]])
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{{サッカークラブチーム選手一覧 終了}}
{{サッカークラブチーム選手一覧 終了}}
105行目: 163行目:
=== 他クラブへレンタル中の選手 ===
=== 他クラブへレンタル中の選手 ===
{{サッカークラブチーム選手一覧 開始}}
{{サッカークラブチーム選手一覧 開始}}
{{サッカークラブチーム選手一覧 選手 | 背番号=4 | 国籍=MLI | ポジション=MF | 名前= [[モハメド・シソッコ]]|その他=[[ACFフィオレンティーナ|フィオレンティーナ]]}}
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{{サッカークラブチーム選手一覧 選手 | 背番号=33 | 国籍=HAI | ポジション=FW | 名前= [[ジャン=ウード・モーリス]]|その他=[[ル・マンUC|ル・マン]]}}
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{{サッカークラブチーム選手一覧 終了}}
{{サッカークラブチーム選手一覧 終了}}


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{{main|:en:List of French football transfers summer 2012}}
{{main|:en:List of French football transfers summer 2012}}


== 過去の成績 ==
== 成績 ==
*'''UCL''' = [[UEFAチャンピオンズリーグ]]
{{表2列|
*'''UCWC''' = [[UEFAカップウィナーズカップ]]
* 1990-1991 ディヴィジョン・アン 9位
*'''UEL''' = [[UEFAヨーロッパリーグ]]
* 1991-1992 ディヴィジョン・アン 3位
*'''UC''' = [[UEFAカップ]]
* 1992-1993 ディヴィジョン・アン 2位
*'''UIC''' = [[UEFAインタートトカップ]]
* 1993-1994 ディヴィジョン・アン 1位
*'''USC''' = [[UEFAスーパーカップ]]
* 1994-1995 ディヴィジョン・アン 3位

* 1995-1996 ディヴィジョン・アン 2位
{|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center;"
* 1996-1997 ディヴィジョン・アン 2位
|-style="background:#f0f6ff;"
* 1997-1998 ディヴィジョン・アン 8位
!rowspan=2|シーズン
* 1998-1999 ディヴィジョン・アン 9位
!colspan=10|国内リーグ
* 1999-2000 ディヴィジョン・アン 2位
!rowspan=2|[[クープ・ドゥ・フランス|CF]]
* 2000-2001 ディヴィジョン・アン 9位
!rowspan=2|[[クープ・ドゥ・ラ・リーグ|CL]]
* 2001-2002 ディヴィジョン・アン 4位
!rowspan=2|[[トロフェ・デ・シャンピオン|TC]]
!rowspan=2 colspan=2|[[UEFA|欧州カップ]]
!colspan=2|最多得点者
|-
!リーグ
!順位
!試合数
!勝
!分
!敗
!得点
!失点
!得失点
!勝ち点
!選手
!得点数
|-
!1988-89
|ディヴィジョン・アン
|bgcolor=silver|2位
|38
|19
|13
|6
|45
|26
| +19
|70
|ベスト16
|
|
|
* 2002-2003 リーグ・アン 11位
|
* 2003-2004 リーグ・アン 2位
|
* 2004-2005 リーグ・アン 9位
|align=left|{{flagicon|FRA}} [[ダニエル・シュエルプ|シュエルプ]]
* 2005-2006 リーグ・アン 9位
|17
* 2006-2007 リーグ・アン 15位
|-
* 2007-2008 リーグ・アン 16位
!1989-90
* 2008-2009 リーグ・アン 6位
* 2009-2010 リーグ・アン 13位
|ディヴィジョン・アン
|5位
* 2010-2011 リーグ・アン 4位
|38
* 2011-2012 リーグ・アン 2位
|18
}}
|9
|14
|50
|48
| +2
|42
|ベスト64
|
|
|[[UEFAカップ 1989-90|UC]]
|2回戦敗退
|align=left|{{flagicon|YUG}} [[ズラトコ・ヴヨヴィッチ|ヴヨヴィッチ]]
|11
|-
!1990-91
|ディヴィジョン・アン
|9位
|38
|13
|12
|13
|40
|42
| -2
|38
|ベスト16
|
|
|
|
|align=left|{{flagicon|YUG}} [[サフェト・スシッチ|スシッチ]]<br/>{{flagicon|YUG}} [[ズラトコ・ヴヨヴィッチ|ヴヨヴィッチ]]
|11
|-
!1991-92
|ディヴィジョン・アン
|3位
|38
|15
|17
|8
|43
|27
| +16
|47
|ベスト32
|
|
|
|
|align=left|{{flagicon|FRA}} [[クリスティアン・ペレズ (1963年生のサッカー選手)|ペレズ]]
|13
|-
!1992-93
|ディヴィジョン・アン
|bgcolor=silver|2位
|38
|20
|11
|7
|61
|29
| +32
|51
|bgcolor=gold|'''優勝'''
|
|
|[[UEFAカップ 1992-93|UC]]
|ベスト4
|align=left|{{flagicon|LBR}} [[ジョージ・ウェア|ウェア]]
|24
|-
!1993-94
|ディヴィジョン・アン
|bgcolor=gold|'''1位'''
|38
|24
|11
|3
|54
|22
| +32
|59
|ベスト8
|
|
|[[UEFAカップウィナーズカップ 1993-94|UCWC]]
|ベスト4
|align=left|{{flagicon|FRA}} [[ダヴィド・ジノラ|ジノラ]]
|20
|-
!1994-95
|ディヴィジョン・アン
|3位
|38
|20
|7
|11
|58
|41
| +17
|67
|bgcolor=gold|'''優勝'''
|bgcolor=gold|'''優勝'''
|
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 1994-95|UCL]]
|ベスト4
|align=left|{{flagicon|LBR}} [[ジョージ・ウェア|ウェア]]
|18
|-
!rowspan=2|1995-96
|rowspan=2|ディヴィジョン・アン
|rowspan=2 bgcolor=silver|2位
|rowspan=2|38
|rowspan=2|19
|rowspan=2|11
|rowspan=2|8
|rowspan=2|65
|rowspan=2|36
|rowspan=2| +29
|rowspan=2|68
|rowspan=2|ベスト16
|rowspan=2|ベスト32
|rowspan=2 bgcolor=gold|'''優勝'''
|'''[[UEFAカップウィナーズカップ 1995-96|UCWC]]'''
|bgcolor=gold|'''優勝'''
|rowspan=2 align=left|{{flagicon|FRA}} [[ユーリ・ジョルカエフ|ジョルカエフ]]
|rowspan=2|20
|-
|[[1996 UEFAスーパーカップ|USC]]
|bgcolor=silver|準優勝
|-
!1996-97
|ディヴィジョン・アン
|bgcolor=silver|2位
|38
|18
|13
|7
|57
|31
| +26
|67
|ベスト16
|ベスト32
|
|[[UEFAカップウィナーズカップ 1996-97|UCWC]]
|bgcolor=silver|準優勝
|align=left|{{flagicon|FRA}} [[パトリス・ロコ|ロコ]]
|20
|-
!1997-98
|ディヴィジョン・アン
|8位
|34
|14
|8
|12
|43
|35
| +8
|50
|bgcolor=gold|'''優勝'''
|bgcolor=gold|'''優勝'''
|
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 1997-98|UCL]]
|GS敗退
|align=left|{{flagicon|ITA}} [[マルコ・シモーネ|シモーネ]]
|22
|-
!1998-99
|ディヴィジョン・アン
|9位
|34
|10
|9
|15
|34
|35
| -1
|39
|ベスト32
|ベスト8
|bgcolor=gold|'''優勝'''
|[[UEFAカップウィナーズカップ 1998-99|UCWC]]
|1回戦敗退
|align=left|{{flagicon|ITA}} [[マルコ・シモーネ|シモーネ]]
|10
|-
!1999-00
|ディヴィジョン・アン
|bgcolor=silver|2位
|34
|16
|10
|8
|54
|40
| +14
|58
|ベスト16
|bgcolor=silver|準優勝
|
|
|
|align=left|{{flagicon|BRA}} [[クリスティアン・コヘア・ディオニシオ|クリスティアン]]
|19
|-
!2000-01
|ディヴィジョン・アン
|9位
|34
|12
|8
|14
|44
|45
| -1
|44
|ベスト32
|ベスト32
|
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2000-01|UCL]]
|2次GS敗退
|align=left|{{flagicon|FRA}} [[ローラン・ロベール|ロベール]]
|18
|-
!rowspan=2|2001-02
|rowspan=2|ディヴィジョン・アン
|rowspan=2|4位
|rowspan=2|34
|rowspan=2|15
|rowspan=2|13
|rowspan=2|6
|rowspan=2|43
|rowspan=2|24
|rowspan=2| +19
|rowspan=2|58
|rowspan=2|ベスト8
|rowspan=2|ベスト4
|rowspan=2|
|'''[[UEFAインタートトカップ 2001|UIC]]'''
|bgcolor=gold|'''優勝'''
|rowspan=2 align=left|{{flagicon|BRA}} [[ロナウジーニョ]]
|rowspan=2|13
|-
|[[UEFAカップ 2001-02|UC]]
|3回戦敗退
|-
!2002-03
|リーグ・アン
|11位
|38
|14
|12
|12
|47
|36
| +11
|54
|bgcolor=silver|準優勝
|ベスト32
|
|[[UEFAカップ 2002-03|UC]]
|3回戦敗退
|align=left|{{flagicon|BRA}} [[ロナウジーニョ]]
|12
|-
!2003-04
|リーグ・アン
|bgcolor=silver|2位
|38
|22
|10
|6
|50
|28
| +22
|76
|bgcolor=gold|'''優勝'''
|ベスト32
|
|
|
|align=left|{{flagicon|POR}} [[ペドロ・パウレタ|パウレタ]]
|23
|-
!2004-05
|リーグ・アン
|9位
|38
|12
|15
|11
|40
|41
| -1
|51
|ベスト16
|ベスト16
|bgcolor=silver|準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05|UCL]]
|GS敗退
|align=left|{{flagicon|POR}} [[ペドロ・パウレタ|パウレタ]]
|19
|-
!2005-06
|リーグ・アン
|9位
|38
|13
|13
|12
|44
|38
| +6
|52
|bgcolor=gold|'''優勝'''
|ベスト16
|
|
|
|align=left|{{flagicon|POR}} '''[[ペドロ・パウレタ|パウレタ]]'''
|29
|-
!2006-07
|リーグ・アン
|15位
|38
|12
|12
|14
|42
|42
| 0
|48
|ベスト8
|ベスト16
|bgcolor=silver|準優勝
|[[UEFAカップ 2006-07|UC]]
|ベスト16
|align=left|{{flagicon|POR}} '''[[ペドロ・パウレタ|パウレタ]]'''
|24
|-
!2007-08
|リーグ・アン
|16位
|38
|10
|13
|15
|37
|45
| -8
|43
|bgcolor=silver|準優勝
|bgcolor=gold|'''優勝'''
|
|
|
|align=left|{{flagicon|POR}} [[ペドロ・パウレタ|パウレタ]]<br/>{{flagicon|CIV}} [[アマラ・ディアネ|ディアネ]]
|15
|-
!2008-09
|リーグ・アン
|6位
|38
|19
|7
|12
|49
|38
| +11
|64
|ベスト16
|ベスト4
|
|[[UEFAカップ 2008-09|UC]]
|ベスト8
|align=left|{{flagicon|FRA}} [[ギョーム・オアロ|オアロ]]
|20
|-
!2009-10
|リーグ・アン
|13位
|38
|12
|11
|15
|50
|46
| +4
|47
|bgcolor=gold|'''優勝'''
|ベスト16
|
|
|
|align=left|{{flagicon|TUR}} [[メブリュト・エルディンチ|エルディンチ]]
|19
|-
!2010-11
|リーグ・アン
|4位
|38
|15
|15
|8
|56
|41
| +15
|60
|bgcolor=silver|準優勝
|ベスト4
|bgcolor=silver|準優勝
|[[UEFAヨーロッパリーグ 2010-11|UEL]]
|ベスト16
|align=left|{{flagicon|BRA}} [[アンデルソン・ルイス・デ・カルヴァーリョ|ネネ]]<br/>{{flagicon|FRA}} [[ギョーム・オアロ|オアロ]]
|20
|-
!2011-12
|リーグ・アン
|bgcolor=silver|2位
|38
|23
|10
|5
|75
|41
| +34
|79
|ベスト8
|ベスト16
|
|[[UEFAヨーロッパリーグ 2011-12|UEL]]
|GS敗退
|align=left|{{flagicon|BRA}} [[アンデルソン・ルイス・デ・カルヴァーリョ|ネネ]]
|27
|}


== 歴代監督 ==
== 歴代会長 ==
1970年の[[ピエール・エティエンヌ・グヨ]]初代会長以来、2011年に就任したカタール人の[[ナセル・アル・ケライフィ]]会長までに17人がパリ・サンジェルマンの会長職に就いている<ref name="presidents"/>。Francis Borelliは歴代最長の13年(1978年-1991年)に渡って会長を務めた。最も成功を収めた会長はMichel Denisot(1991年-1998年)であり、在任期間中に8個の主要タイトル(ディヴィジョン・アン優勝1回、クープ・ドゥ・フランス優勝3回、クープ・ドゥ・ラ・リーグ優勝2回、トロフェ・デ・シャンピオン優勝1回、UEFAカップウィナーズカップ優勝1回)を獲得した。
{| class="wikitable"

!氏名!!国籍!!期間
1991年以降、3人がチェアマンの職に就いた<ref name="presidents">{{cite news |title=Presidents |url=http://www.psg.fr/fr/Club/609001/Presidents |work=PSG.fr |accessdate=16 November 2011}}</ref> 。最も成功を収めたチェアマンはBernard Brochand(1991年-2001年)であり、在任期間中に9個の主要タイトル(Denisot会長の獲得タイトルに加えてトロフェ・デ・シャンピオン優勝1回)を獲得した。Brochandチェアマンは歴代最長の在任期間を持つチェアマンでもあり、10年に渡ってチェアマンを務めた。2006年からはSimon Taharがチェアマンを務めている<ref>{{cite news | title = Presidents | url = http://www.psg.fr/fr/Club/609001/Presidents | work = パリ・サンジェルマンFC公式サイト | accessdate =16 November 2011}}</ref>。

; 2011年10月7日時点

{{col-begin}}
{{col-4}}
*'''L1''' = [[リーグ・アン]]
*'''L2''' = [[リーグ・ドゥ]]
*'''CF''' = [[クープ・ドゥ・フランス]]
*'''CL''' = [[クープ・ドゥ・ラ・リーグ]]
*'''TC''' = [[トロフェ・デ・シャンピオン]]
{{col-4}}
*'''UCL''' = [[UEFAチャンピオンズリーグ]]
*'''UCWC''' = [[UEFAカップウィナーズカップ]]
*'''UEL''' = [[UEFAヨーロッパリーグ]]
*'''UIC''' = [[UEFAインタートトカップ]]
*'''USC''' = [[UEFAスーパーカップ]]
*'''FCWC''' = [[FIFAクラブワールドカップ]]
{{col-end}}

{| class ="wikitable" style="border-collapse:collapse; text-align:center;"
|- style="background:#f0f6ff;"
!rowspan="3" |会長
!rowspan="3" |期間
!colspan="11" |タイトル
!rowspan="3" |通算
|-
|-
!colspan="5" |国内
|Roger Quenolle||{{FRA}}||1957-1969
!colspan="6" |国際
|-
|-
! width=33|[[リーグ・アン|L1]]
|ピエール・フェリポン||{{FRA}}||1969-1972
! width=33|[[リーグ・ドゥ|L2]]
! width=33|[[クープ・ドゥ・フランス|CF]]
! width=33|[[クープ・ドゥ・ラ・リーグ|CL]]
! width=33|[[トロフェ・デ・シャンピオン|TC]]
! width=33|[[UEFAチャンピオンズリーグ|UCL]]
! width=33|[[UEFAカップウィナーズカップ|CWC]]
! width=33|[[UEFAヨーロッパリーグ|UEL]]
! width=33|[[UEFAインタートトカップ|UIC]]
! width=33|[[UEFAスーパーカップ|USC]]
! width=33|[[FIFAクラブワールドカップ|FCWC]]
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''[[ピエール・エティエンヌ・グヨ]]'''
|ロベール・ビコ||{{FRA}}||1972-1973
|1970-1971
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Guy Crescent'''
|[[ジュスト・フォンテーヌ]]||{{FRA}}||1973-1976
|1971
|<center>-||<center>1971||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>1
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Henri Patrelle'''
|ベリボル・バソビッチ||{{YUG45}}||1976-1977
|1971-1974
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Daniel Hechter'''
|イリヤ・パンテリッチ||{{YUG45}}||1977
|1974-1978
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Francis Borelli'''
|ジャン=ミシェル・ラルク||{{FRA}}||1977-1978
|1978-1991
|<center>1986||<center>-||<center>1982, 1983||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>3
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Michel Denisot'''
|ピエール・アロンゾ||{{FRA}}||1978
|1991-1998
|<center>1994||<center>-||<center>1993, 1995, 1998||<center>1995, 1998||<center>1995||<center>-||<center>1996||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>8
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Charles Biétry'''
|ベリボル・バソビッチ||{{YUG45}}||1978-1979
|1998
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>1998||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>1
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Laurent Perpère'''
|ピエール・アロンゾ||{{FRA}}||1979
|1998-2003
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>2001||<center>-||<center>-||<center>1
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Francis Graille'''
|Camille Choquier||{{FRA}}||1979
|2003-2005
|<center>-||<center>-||<center>2004||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>1
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Pierre Blayau'''
|Georges Peyroche||{{FRA}}||1979-1983
|2005-2006
|<center>-||<center>-||<center>2006||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>1
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Alain Cayzac'''
|Lucien Leduc||{{FRA}}||1983-1984
|2006-2008
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>2008||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>1
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Simon Tahar'''
|Georges Peyroche||{{FRA}}||1984-1985
|2008
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Charles Villeneuve'''
|クリスティアン・コステ||{{FRA}}||1985
|2008-2009
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Sébastien Bazin'''
|[[ジェラール・ウリエ]]||{{FRA}}||1985-1987
|2009
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Robin Leproux'''
|Erick Mombaerts||{{FRA}}||1987-1988
|2009-2011
|<center>-||<center>-||<center>2010||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>1
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Benoît Rousseau'''
|トミスラフ・イビッチ||{{YUG45}}||1988-1990
|2011
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|QAT}} '''[[ナセル・アル・ケライフィ]]'''
|[[アンリ・ミシェル]]||{{FRA}}||1990-1991
|2011-
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|-
|-
!通算
|[[アルトゥール・ジョルジェ]]||{{PRT}}||1991-1994
!1970-2011
!2!!1!!8!!3!!2!!0!!1!!0!!1!!0!!0!!18
|}

; 2010年7月21日時点

{| class="wikitable" style="border-collapse:collapse; text-align:center;"
|- style="background:#f0f6ff;"
!rowspan="3" |チェアマン
!rowspan="3" |期間
!colspan="11" |タイトル
!rowspan="3" |通算
|-
|-
!colspan="5" |国内
|[[ルイス・フェルナンデス (サッカー選手)|ルイス・フェルナンデス]]||{{FRA}}||1994-1996
!colspan="6" |国外
|-
|-
! width=33|[[リーグ・アン|L1]]
|[[リカルド・ゴメス・ライムンド|リカルド・ゴメス]]||{{BRA}}||1996-1998
! width=33|[[リーグ・ドゥ|L2]]
! width=33|[[クープ・ドゥ・フランス|CF]]
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! width=33|[[UEFAチャンピオンズリーグ|UCL]]
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! width=33|[[FIFAクラブワールドカップ|FCWC]]

|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Bernard Brochand'''
|[[アラン・ジレス]]||{{FRA}}||1998
|1991-2001
|<center>1994||<center>-||<center>1993, 1995, 1998||<center>1995, 1998||<center>1995, 1998||<center>-||<center>1996||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>9
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Alain Cayzac'''
|アルトゥール・ジョルジェ||{{PRT}}||1998-1999
|2001-2006
|<center>-||<center>-||<center>2004, 2006||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>2001||<center>-||<center>-||<center>3
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Simon Tahar'''
|[[フィリップ・ベルジュロー]]||{{FRA}}||1999-2000
|2006-
|<center>-||<center>-||<center>2010||<center>2008||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>2
|-
|-
!通算
|ルイス・フェルナンデス||{{FRA}}||2000-2003
!1991-2011
!1!!0!!6!!3!!2!!0!!1!!0!!1!!0!!0!!14
|}

== 歴代監督 ==
1970年に初代監督となった[[ピエール・フェリポン]]に始まり、PSGでは20人以上が監督を務めてきた。[[ルイス・フェルナンデス (サッカー選手)|ルイス・フェルナンデス]]監督はクラブ史上最多の5個のタイトルを獲得した。1994-95シーズンの[[クープ・ドゥ・フランス]]と[[クープ・ドゥ・ラ・リーグ]]、1995年の[[トロフェ・デ・シャンピオン]]、1995-96シーズンの[[UEFAカップウィナーズカップ]]、2001年の[[UEFAインタートトカップ]]である。在任期間の最長記録はルイス・フェルナンデス監督とGeorges Peyroche監督の5年間(いずれも2期の通算)であり、采配試合数の最多記録はルイス・フェルナンデス監督の244試合である。2011年からはイタリア人の[[カルロ・アンチェロッティ]]が監督を務めている<ref>{{cite news |title=Entraineurs |url=http://www.psg.fr/fr/Club/6020001/Entraineurs |work = パリ・サンジェルマンFC公式サイト |accessdate=16 November 2011}}</ref>。

{{col-begin}}
{{col-4}}
*'''L1''' = [[リーグ・アン]]
*'''L2''' = [[リーグ・ドゥ]]
*'''CF''' = [[クープ・ドゥ・フランス]]
*'''CL''' = [[クープ・ドゥ・ラ・リーグ]]
*'''TC''' = [[トロフェ・デ・シャンピオン]]
{{col-4}}
*'''UCL''' = [[UEFAチャンピオンズリーグ]]
*'''UCWC''' = [[UEFAカップウィナーズカップ]]
*'''UEL''' = [[UEFAヨーロッパリーグ]]
*'''UIC''' = [[UEFAインタートトカップ]]
*'''USC''' = [[UEFAスーパーカップ]]
*'''FCWC''' = [[FIFAクラブワールドカップ]]
{{col-end}}

; 2011年12月30日時点<ref name="entraineurs">{{cite news| title = Entraineurs| url = http://www.psg.fr/fr/Club/6020001/Entraineurs| work = PSG.fr| accessdate = 16 November 2011}}</ref><ref>{{cite news| title = Tous les Entraineurs et Presidents du PSG| url = http://psg70.free.fr/lettres2.htm| work = PSG70| accessdate = 11 January 2012}}</ref>

{| class="wikitable" style="border-collapse:collapse; font-size:85%; text-align:center;"
|- style="background:#f0f6ff;"
!rowspan="3" |名前
!rowspan="3" |在任期間
!rowspan="3" |試合数
!rowspan="3" |勝利
!rowspan="3" |引分
!rowspan="3" |敗北
!rowspan="3" |得点
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!rowspan="3" |点差
!rowspan="3" |勝率 {{ref label|note01|A|^}}
!colspan="11"|タイトル
!rowspan="3" |備考
|-
|-
!colspan="5" |国内
|[[ヴァヒド・ハリホジッチ]]||{{BIH}}||2003-2005
!colspan="6" |国外
|-
|-
! width=33|[[リーグ・アン|L1]]
|ローラン・フルニエ||{{FRA}}||2005
! width=33|[[リーグ・ドゥ|L2]]
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! width=33|[[トロフェ・デ・シャンピオン|TC]]
! width=33|[[UEFAチャンピオンズリーグ|UCL]]
! width=33|[[UEFAカップウィナーズカップ|CWC]]
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! width=33|[[FIFAクラブワールドカップ|FCWC]]
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''[[ピエール・フェリポン]]'''
|ギー・ラコンブ||{{FRA}}||2005-2007
|1970–72
|74
|30
|22
|22
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|<center>-||<center>1971||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|{{ref label|player|B|a}}{{ref label|phelipon|C|^}}
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''[[ロベール・ビコ]]'''
|[[ポール・ル・グエン]]||{{FRA}}||2007-2009
|1972–75
|131
|66
|33
|32
|267
|178
| +89
|50.38
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''[[ジュスト・フォンテーヌ]]'''
|[[アントワーヌ・コンブアレ]]||{{FRA}}||2009-2011
|1973–76
|141
|62
|38
|41
|263
|209
| +54
|43.97
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|
|-
|-
|align="left"| {{flagicon|YUG}} '''[[ベリボル・バソビッチ]]'''
|[[カルロ・アンチェロッティ]]||{{ITA}}||2011-
|1976–77,<br />1978–79
|73
|31
|14
|28
|129
|116
| +13
|42.47
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''[[ジャン=ミシェル・ラルク]]'''
|1977–78
|48
|17
|11
|20
|88
|81
| +7
|35.42
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|{{ref label|player|B|b}}
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''[[ピエール・アロンゾ]]'''
|1977,<br />1978,<br />1979–80
|25
|11
|7
|7
|46
|31
| +15
|44.00
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Georges Peyroche'''
|1979–83,<br />1984–85
|211
|100
|46
|65
|350
|273
| +77
|47.39
|<center>-||<center>-||<center>1982, 1983||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Lucien Leduc'''
|1983–84
|38
|17
|12
|9
|56
|39
| +17
|44.74
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''[[クリスティアン・コステ]]'''
|1985
|15
|6
|6
|3
|19
|21
| -2
|40.00
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''[[ジェラール・ウリエ]]'''
|1985–87,<br />1988
|123
|55
|34
|34
|150
|117
| +33
|44.72
|<center>1986||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''Erick Mombaerts'''
|1987–88
|8
|1
|3
|4
|6
|12
| -6
|12.50
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|
|-
|align="left"| {{flagicon|YUG}} '''[[トミスラフ・イビッチ]]'''
|1988–90
|86
|41
|21
|24
|111
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| +23
|47.67
|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|
|-
|align="left"| {{flagicon|FRA}} '''[[アンリ・ミシェル]]'''
|1990–91
|41
|15
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|14
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|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|
|-
|align="left"| {{flagicon|POR}} '''[[アルトゥール・ジョルジェ]]'''
|1991.7–1994.6<br />1998.10–1999.3
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|235
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| +117
|50.30
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|
|-
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|1994.7–1996.6<br />2000.12–2003.6
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|{{ref label|player|B|c}}{{ref label|fernández|D|^}}
|-
|align="left"| {{flagicon|BRA}} '''[[リカルド・ゴメス・ライムンド|リカルド・ゴメス]]'''
|1996.7–1998.6
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|{{ref label|player|B|d}}
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|1998.7–1998.10
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|
|-
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|<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-||<center>-
|
|-
|align="left"| {{flagicon|Bosnia and Herzegovina}} '''[[ヴァヒド・ハリホジッチ]]'''
|2003.7–2005.2
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|-
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|2005.2–2005.12
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|-
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|
|-
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|-
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|-
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|2011.12-
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|}
|}


== 歴代所属選手 ==
== 歴代所属選手 ==
{{main|:Category:パリ・サンジェルマンFCの選手}}
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1970年、[[サッカーフランス代表|フランス代表]]でキャプテンを務めていた[[ジャン・ジョルカエフ]]が加入した。彼はPSGで初のプロ契約選手であり、また初のキャプテンだった。[[アラン・ロチェ]]と[[ポール・ル・グエン]]は、PSG在籍期間中にクラブ最多の9個のタイトルを獲得した。2010-11シーズン終了後にキャプテンの[[クロード・マケレレ]]が現役引退し、後任のキャプテンには若手の[[ママドゥ・サコー]]が就任した。

[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル代表]]の[[ペドロ・パウレタ]]は2003年から2008年に在籍し、クラブ史上最多の110得点を挙げている。クラブ公式サイトは、クラブ史上最高の選手として「[[アゾレス諸島]]の鷲」(アゾレス諸島はパウレタの出身地)と呼ばれたパウレタを選出している<ref>{{cite news |title=L'équipe des 40 ans (4/4) |url=http://www.psg.fr/fr/40-ans/900108/40ans-Article/49353/L-equipe-des-40-ans-4-4 |work=パリ・サンジェルマンFC公式サイト |accessdate=6 November 2010}}</ref>。しかし、パウレタでさえも[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]の[[カルロス・ビアンチ]]の得点率には敵わない。エル・ゴレアドール(El Goleador)と呼ばれたビアンチは1970年代後半に2シーズンだけ在籍し、80試合に出場して71得点を記録。2シーズン連続で[[リーグ・アン|ディヴィジョン・アン]](1部)の得点王に輝いた。リーグ戦に限定したクラブ史上最多得点者は、1970年代から1980年代前半にかけて85得点を挙げた[[サッカーアルジェリア代表|アルジェリア代表]]の[[ムスタファ・ダレブ]]である。1980年代に在籍した[[サッカーユーゴスラビア代表|ユーゴスラビア代表]]の[[サフェト・スシッチ]]は85得点61アシストを記録し、[[フランス・フットボール]]誌はPSGの歴代最高選手にスシッチを選出している<ref>{{cite news |title=Susic, joueur de l'Histoire du PSG |url=http://www.francefootball.fr/FF/breves2010/20100202_114950_susic-joueur-de-l-histoire-du-psg.html |work=France Football |date=2 February 2010 |accessdate=4 June 2010}}</ref>。Jean-Marc Pilorgetはクラブ史上最多の435試合に出場した。欧州カップ戦におけるクラブ史上最多得点者は、16得点を挙げた[[ジョージ・ウェア]]である。1995年に[[バロンドール]]と[[FIFA最優秀選手賞]]を受賞したウェアは、PSG在籍時にこれらの賞を受賞した唯一の選手である。

2011年にアルゼンチン代表の[[ハビエル・パストーレ]]が加入した際には、[[USチッタ・ディ・パレルモ]](イタリア)に移籍金4300万ユーロが支払われ、移籍金(獲得時)のクラブ史上最高額を塗り替えた。また、この金額はリーグ・アンのクラブが他クラブに支払った金額としても最高額となった<ref>{{cite news |title=PSG snare Pastore |url=http://www.fifa.com/worldfootball/clubfootball/news/newsid=1483204.html |work=FIFA |date= 30 July 2011 |accessdate=15 August 2011}}</ref>。2003年に[[ロナウジーニョ]]が[[FCバルセロナ]](スペイン)に移籍した際には、3200万ユーロがPSGに支払われ、移籍金(放出時)のクラブ史上最高額を塗り替えた<ref>{{cite news |title=Ronaldinho joins Barcelona |url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/3079815.stm |work=BBC Sport |date=20 July 2003 |accessdate =30 September 2010}}</ref>。


=== GK ===
=== GK ===
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* {{Flagicon|FRA}} [[リシャール・ドゥトルエル]] 1991-1993, 1995-1996
* {{Flagicon|FRA}} [[リシャール・ドゥトルエル]] 1991-1993, 1995-1996
* {{Flagicon|FRA}} [[ベルナール・ラマ]] 1992-1997, 1998-2000
* {{Flagicon|FRA}} [[ベルナール・ラマ]] 1992-1997, 1998-2000
* {{Flagicon|FRA}} [[リオネル・レティジ]] 2000-2006
|
|
* {{Flagicon|FRA}} [[ミカエル・ランドロー]] 2006-2009
* {{Flagicon|FRA}} [[ミカエル・ランドロー]] 2006-2009
* {{Flagicon|FRA}} [[グレゴリー・クーペ]] 2009-2011
* {{Flagicon|FRA}} [[グレゴリー・クーペ]] 2009-2011
* {{Flagicon|FRA}} [[ニコラ・ドゥシェ]] 2011-
* {{Flagicon|ITA}} [[サルヴァトーレ・シリグ]] 2011-
* {{Flagicon|ITA}} [[サルヴァトーレ・シリグ]] 2011-
}}
}}

=== DF ===
=== DF ===
{{表2列|
{{表2列|
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* {{Flagicon|ARG}} [[マルセロ・ガジャルド]] 2007-2008.1
* {{Flagicon|ARG}} [[マルセロ・ガジャルド]] 2007-2008.1
* {{Flagicon|FRA}} [[クロード・マケレレ]] 2008-2011
* {{Flagicon|FRA}} [[クロード・マケレレ]] 2008-2011
* {{Flagicon|BRA}} [[アンデルソン・ルイス・デ・カルヴァーリョ|ネネ]] 2010-
* {{Flagicon|BRA}} [[アンデルソン・ルイス・デ・カルヴァーリョ|ネネ]] 2010-2013
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* {{Flagicon|ARG}} [[ハビエル・パストーレ]] 2011-
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* {{Flagicon|ENG}} [[デビッド・ベッカム]] 2013-
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}}


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* {{Flagicon|POR}} [[ペドロ・パウレタ]] 2003-2008
* {{Flagicon|POR}} [[ペドロ・パウレタ]] 2003-2008
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* {{Flagicon|CIV}} [[ボナベントゥル・カルー]] 2005-2007
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}}
}}

== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Paris Saint-Germain Football Club}}
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* [http://www.psg.fr/ 公式サイト]{{fr icon}}
* [http://www.psg.fr/ 公式サイト]{{fr icon}}
* [http://www.ligue1.com/club/paris-saint-germain Paris Saint-Germain] リーグ・アンによるクラブ紹介 {{fr icon}} {{en icon}}
* [http://www.oka-fb.com/img/france/PSG/ka117.jpg ホームユニフォーム(08-09)]
* [http://www.uefa.com/teamsandplayers/teams/club=52747/profile/index.html Paris Saint-Germain] UEFA.comによるクラブ紹介 {{fr icon}} {{en icon}}
* [http://www.oka-fb.com/img/france/PSG/ka123.jpg アウェイユニフォーム(08-09)]


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[[az:Pari Sen-Jermen (futbol klubu, Paris)]]
[[ar:باريس سان جيرمان]]
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[[id:Paris Saint-Germain FC]]
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[[ka:პარი სენ-ჟერმენი (საფეხბურთო კლუბი)]]
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[[ku:Paris Saint Germain]]
[[lt:Paris Saint-Germain FC]]
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[[mg:Paris Saint-Germain Football Club]]
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[[tr:Paris Saint-Germain FC]]
[[uk:Парі Сен-Жермен]]
[[uz:Paris Saint-Germain FC]]
[[vi:Paris Saint-Germain F.C.]]
[[zh:巴黎圣日耳曼足球俱乐部]]

2013年3月22日 (金) 04:47時点における版

パリ・サンジェルマンFC
原語表記 Paris Saint-Germain Football Club
愛称 PSG
クラブカラー 紺と赤
創設年 1970年
所属リーグ Ligue de Football Professionnel (LFP)
所属ディビジョン リーグ・アン
ホームタウン パリ
ホームスタジアム パルク・デ・プランス
収容人数 48,527
代表者 カタールの旗 ナセル・アル・ケライフィ
監督 イタリアの旗 カルロ・アンチェロッティ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

パリ・サン=ジェルマン・フットボール・クルブParis Saint-Germain Football Club, PSG)は、フランスパリに本拠地を置くサッカークラブ。

概要

1970年8月12日、パリFCスタッド・サン=ジェルマンフランス語版が合併して創設された。1974年以来リーグ・アン(1部、旧ディヴィジョン・アン)に在籍し続けている。リーグ・アンで1回、クープ・ドゥ・フランスで8回、クープ・ドゥ・ラ・リーグで3回、トロフェ・デ・シャンピオンで2回優勝しており、フランスで最も成功を収めているクラブのひとつである。1995-96シーズンにはUEFAカップウィナーズカップで優勝している。ヨーロッパの主要大会でのタイトル獲得経験があるフランスのクラブは、PSGとオリンピック・マルセイユの2クラブのみである[1]。1994年には国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)のクラブ世界ランキング1位に選出され、1998年にはUEFAクラブランキングで1位となった[2][3]。PSGはこれらの称号を持つフランス唯一のクラブである。2012年は、IFFHSでは16位、UEFAクラブランキングでは46位にランクインしている[4][5]

1973年以来、48,712人収容のパルク・デ・プランスをホームスタジアムとしている[6][7]。1974年以来、カン・デ・ロッジュを練習施設として使用している[8]。1975年以来、パルク・デ・プランスを開催地としてトゥルヌワ・ドゥ・パリを主催している[9]。マルセイユに対して激しいライバル意識を抱いており、両者の対戦はル・クラスィクと呼ばれる[10]。ライバルのマルセイユに次いで、フランスで2番目にサポーター数が多いクラブである[11]。2011-12シーズンの平均観客数は42,892人であり、リーグ・アン最多だった[12]。最も一般的なスローガンは「Ici c'est Paris」(パリ、死の帝国)である[13]

クラブのエンブレムは青色を基調とし、中央部分にはパリのシンボルであるエッフェル塔が赤色で描かれている。現在のモデル(8代目)は2013年にデザインされたものであり、それまで塔の足下に置かれていたルイ14世の白色の揺りかごが姿を消した[14][15]。1974年から1978年まではファッションデザイナーのダニエル・エシュテルが会長を務め、ユニフォームはエシュテルによってデザインされた。シャツは紺色をベースとし、白色で縁取られた赤色の縦線が中央部に入っている[16]。特徴的な太い一本線を持っていたAFCアヤックス(オランダ)のユニフォームを参考にデザインされた。女子チーム(パリ・サンジェルマンFC・フェミニン)は1991年から存在する[17]

歴史

パルク・デ・プランスにあるトロフィー壁

1970年代と1980年代

ヨーロッパや南米のサッカークラブは、総合スポーツクラブの一部門として誕生したクラブが多いが、パリ・サンジェルマンの創設過程はこれらのクラブとは異なる。1970年8月12日、スタッド・サン=ジェルマンパリFCが合併し、ピエール・エティエンヌ・グヨ[18]を創設者兼初代会長としてパリ・サンジェルマンFCが設立された。設立時にはジャン=ポール・ベルモンドなどパリ出身の著名人も出資している。しかし、サン=ジェルマン=アン=レーを本拠地としたパリ・サンジェルマンFCに対してパリ市が資金援助を渋ったため、パリ・サンジェルマンFCはアマチュアクラブとして、パリFCはプロクラブとして2クラブが併存した。しかし、パリ・サンジェルマンFCはパリ社交界の著名人を味方につけて急成長し、1973年にはディヴィジョン・アン(1部、現リーグ・アン)に到達した。同時期にはパリFCが衰退したため、パリ・サンジェルマンFCはそれまでパリFCが使用していたパルク・デ・プランスにホームスタジアムを変更し、1970年代末までには躍進の土台となる足元を固めた。

1981-82シーズンにクープ・ドゥ・フランスで優勝し、クラブ初の主要タイトルを獲得した。1982-83シーズンには同大会で2連覇を果たした。1985-86シーズンにはディヴィジョン・アンで初優勝し、ヨーロッパの舞台へと飛び出した[19]

1990年代の黄金期

1991年5月には有料テレビ局のCanal+によって買収された。Canal+は潤沢な資金をパリ・サンジェルマンに投入し、1990年代はクラブの黄金期となった。1992年にはリベリア代表ジョージ・ウェアフランス代表ダヴィド・ジノラを獲得。1993年には、前年にサンパウロFCインターコンチネンタルカップを制していたブラジル代表ライーを獲得。1993-94シーズンには2度目のリーグ優勝を果たし、ウェアは1995年にバロンドールを受賞した。カメルーンのパトリック・エムボマも2度に渡って在籍したが、出場機会に恵まれなかった。1992年から1998年の間にはUEFAカップウィナーズカップで2回決勝に進出し、1995-96シーズンに優勝した。UEFAチャンピオンズリーグでも1回準決勝に進出し、UEFAカップでは2回準決勝に進出した。国内大会に目を向けても満足のいく成績を残し、1990年代にはクープ・ドゥ・フランスで3回優勝、クープ・ドゥ・ラ・リーグとトロフェ・デ・シャンピオンで2回ずつ優勝を果たした[19]

1995-96シーズンにはユーリ・ジョルカエフが柱となってUEFAカップウィナーズカップを獲得。このシーズンにはジネディーヌ・ジダンを擁するFCジロンダン・ボルドーUEFAカップで準優勝し、FCナントUEFAチャンピオンズリーグでベスト4に入るなど、その後のフランス代表チームの活躍を予感させる年であった。フランス代表は1998 FIFAワールドカップUEFA EURO 2000で優勝を飾っている。

低迷した2000年代

2001年にはグレミオ(ブラジル)からロナウジーニョを獲得した。ロナウジーニョは2003年まで在籍し、移籍金3000万ユーロでFCバルセロナ(スペイン)に移籍した。2003年には移籍金1200万ユーロでポルトガル代表ペドロ・パウレタを獲得。パウレタは2008年まで在籍し、2度のリーグ得点王に輝くなど、クラブ通算100得点を達成した。

2000年代前半に獲得したタイトルはわずかひとつ(2003-04シーズンのクープ・ドゥ・フランス)。2004-05シーズンと2005-06シーズンはリーグ戦で9位に転落し、2006年、Canal+は2600万ユーロ(約27億3000万円)の安価でコロニー・キャピタル(不動産投資会社)、バトラー・キャピタル・パートナーズ(個人投資会社)、モルガン・スタンレー(投資銀行)に株式を売却したが、Canal+撤退後には深刻な財政難に陥った[20]。なお、同年にはエミレーツ航空がメインスポンサーとなり、2008年にはスポンサー契約を2014年まで更新している[21]。2006-07シーズンは残留争いに加わって15位に終わり、いずれのカップ戦でも決勝に進めなかった。2007-08シーズンも16位に終わったが、カップ戦では健闘した。クープ・ドゥ・ラ・リーグを制し、クープ・ドゥ・フランスでは決勝に進出したが、リーグ王者のオリンピック・リヨンに敗れて準優勝に終わった。2008-09シーズンは優勝争いに絡んだが、欧州カップ戦出場権を逃す6位に終わった。コロニー・キャピタルがモルガン・スタンレーから95%の株式を購入して筆頭株主となった。2009-10シーズンにはクープ・ドゥ・フランスで8回目の優勝を飾ったが、このシーズンには女子チームも同大会で優勝した。同一クラブの男女チームがクープ・ドゥ・フランスを独占するのはフランス史上初だった[19]

2010年代の金満クラブ化

2011年5月、カタール投資庁(カタール・インベストメント・オーソリティ、QIA)の子会社であるカタール・スポーツ・インベストメント(QSI)がクラブ株式の70%を購入して筆頭株主となった[22]。2012年にはコロニー・キャピタルやバトラー・キャピタル・パートナーズから残りの30%の株式も購入し、QSIが単独株主となった[23]。カタールのタミーム皇太子の友人のナセル・アル・ケライフィが会長に就任し、数年間で1億ユーロもの移籍金をチーム強化のために移籍市場に投じることを示唆した[24]。QSIによる買収で、パリ・サンジェルマンはフランスのみならず世界でもっとも裕福なクラブのひとつとなった[25]。かつて選手として在籍し、インテルで監督を務めていたレオナルドをスポーツ・ディレクターとして抜擢。2011年夏には8000万ユーロ近くを投じ、アルゼンチン代表ハビエル・パストーレウルグアイ代表ディエゴ・ルガーノ、フランスのケヴィン・ガメイロジェレミー・メネズイタリア代表サルヴァトーレ・シリグといった実力者を獲得した。特にパストーレ獲得の際には、リーグ・アン史上最高額の移籍金4200万ユーロをUSチッタ・ディ・パレルモ(イタリア)に支払った[26]。2011年12月にはリーグ首位に立っていたが、アントワーヌ・コンブアレ監督を解任し、ACミラン(イタリア)やチェルシーFC(イングランド)でタイトルを獲得したカルロ・アンチェロッティを監督に招聘[22][20]。2012年1月の移籍市場ではマクスウェルアレックスティアゴ・モッタら実力者を獲得し、結局はモンペリエHSCに優勝をさらわれて2位に甘んじたものの、8シーズンぶりとなる好成績を収めた[22][20]。2012年夏には1億5000万ユーロ(約180億円)を投じ、SSCナポリ(イタリア)からエセキエル・ラベッシを、ACミランからブラジル代表のチアゴ・シウヴァスウェーデン代表ズラタン・イブラヒモビッチといったビッグネームを獲得した[26]。特に、チアゴ・シウヴァはディフェンダー史上2番目に高額な4200万ユーロの移籍金で獲得した。

ライバル

2006年のクープ・ドゥ・フランス決勝におけるPSGのサポーター

ル・クラスィク(ザ・クラシックの意[27]、フランス・ダービーやル・クラシコとも呼ばれる)[28][29]は、PSGとオリンピック・マルセイユの間で行われるダービーマッチの名称である。対戦の名称は、レアル・マドリードFCバルセロナ(ともにスペイン)が対戦するエル・クラシコに由来している。PSGとマルセイユのライバル意識が1980年代後半から1990年代初頭にかけて激しさを増すと、有料テレビ局のCanal+とマルセイユのベルナール・タピエ会長が両者の対立を煽り、フランス中のサッカーファンにとって興味深い試合に仕立て上げた[30]。両クラブはスタッド・ヴェロドローム(マルセイユ)とパルク・デ・プランス(PSG)という世界クラスのスタジアムを持ち、白熱した雰囲気や熱烈なサポーターを持つことで名高い。両クラブのサポーターは憎しみ合っており、両クラブサポーターの衝突を防ぐために万全の警備体制が敷かれるが、それでも両者が出会うと暴力事件に事欠かない[31]

それぞれの本拠地であるパリマルセイユは、フランスで最も大きな2都市である。両クラブのタイトル数を合わせると、リーグ・アンで11回優勝、クープ・ドゥ・フランスで18回優勝、クープ・ドゥ・ラ・リーグで6回優勝、トロフェ・デ・シャンピオンで5回優勝している。ヨーロッパの主要大会で優勝経験があるのは、PSG(1995-96シーズンのUEFAカップウィナーズカップ)とマルセイユ(1992-93シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ)のみである。2000年代にオリンピック・リヨンが台頭するまで、両者がリーグ・アンの覇権を握っていた。真に全国的なクラブであり、忠実で情熱的なファンクラブを持ち、ビッグゲームで特別な雰囲気を醸し出すのは、フランスではPSG、マルセイユ、ASサンテティエンヌの3クラブのみである[10]

所有物

スタジアム

パルク・デ・プランス

前身クラブのひとつであるスタッド・サン=ジェルマンカン・デ・ロッジュのStade Georges Lefèvreをホームスタジアムとしており、1970年にパリFCと合併してPSGとなった後も、PSGは1974年までGeorges Lefèvreをホームスタジアムとして使用していた[32]。1974年からはトップチームとリザーブチームの練習施設としてカン・デ・ロッジュを使用している。リザーブチームと女子チームはともにGeorges Lefèvreをホームスタジアムとしている[8]。カン・デ・ロッジュは2008年に改修された[33]。1973年6月以来、パルク・デ・プランスを使用するクラブはPSGのみである[6]。1973年11月10日、FCレッドスター・サン=トゥアン戦で初めてパルク・デ・プランスを使用した[34]。親会社であるカナル・プリュスは1992年からパルク・デ・プランスの使用許可を有している。1999年、パリ市はスタジアムの使用許可を15年間延長した[6]。2002年、クラブハウスがスタジアムから新ビルに移転した[35]。過去最高の平均観客数を記録したのは1999-2000シーズンであり、1試合平均43,185人を記録した。1982-83シーズンのUEFAカップウィナーズカップ準々決勝・KRCヘンク戦では過去最高の観客数である49,407人を記録した[7]

下部組織

クラブのリザーブチーム、ユースチーム、女子チームなどは、イル・ド・フランス地域圏サン=ジェルマン=アン=レー(パリの西側郊外)、カン・デ・ロッジュにある練習施設を使用しており、彼らは主に3,500人収容のStade Georges Lefèvreをホームスタジアムとしている。この施設は高水準の練習を行なったり多くの優れた選手を輩出してきたことでも知られている。下部組織の卒業生にはニコラ・アネルカルイス・フェルナンデスママドゥ・サコーロリック・カナジャン=マルク・ピロルジェジェローム・ルロワなどがいる。Bertrand Reuzeauが施設長を務めている[36]イヴリーヌ県のVerneuil-sur-Seineには15歳以下の選手用の練習施設がある[37]。カン・デ・ロッジュはフランスサッカー連盟(FFF)によってフランス最高水準の練習施設のひとつと認識されており、2009年にエリートクラスに分類された[38]。パリ・サンジェルマンの下部組織は、クープ・ドゥ・パリで3回、U-19全国選手権で3回、Challenge du Meilleur Club de Jeunesで2回、Championnat DH Parisで1回、クープ・ガンバルデッラで1回、U-17全国選手権で1回、U-16全国選手権で1回、Tournoi Carisportで1回優勝している[36]

女子チーム

クラブにはプロの女子チーム(パリ・サンジェルマンFC・フェミニン)も存在する。このチームは1991年からパリ・サンジェルマンFCの組織に組み込まれている。カン・デ・ロッジュのStade Georges Lefèvreをホームスタジアムとして使用している。2001年にディヴィジオン・ドゥ・フェミニン(女子2部)で優勝してディヴィジオン・アン・フェミニン(女子1部、セミプロ)に昇格し、それ以来はディヴィジオン・アンに在籍し続けている。2009-10シーズンにはクープ・ドゥ・フランス・フェミニンで優勝し、初のメジャータイトルを獲得した。2010-11シーズンのリーグ戦では2位となり、クラブ史上初めてUEFA女子チャンピオンズリーグの出場権を獲得した[17]

トゥルヌワ・ドゥ・パリ

パルク・デ・プランスを開催地とし、トゥルヌワ・ドゥ・パリという名称のプレシーズン親善大会を主催している。1957年から1976年まではシーズン閉幕後に開催し、1977年以降はシーズン開幕前に開催している。この大会はAFCアヤックス(オランダ)が主催するアムステルダム・トーナメントアーセナルFC(イングランド)が主催するエミレーツ・カップなどと同等の権威を持つ親善大会であり、Canal+によって放映される。主催クラブを含めて4クラブが出場し、2日間に渡って行なわれる[9]。パリ・サンジェルマン自身は1975年以降継続して出場しており、7回(最多)優勝している。RSCアンデルレヒト(ベルギー)が3回優勝しており、主催クラブ以外では最も優勝回数が多い[39]

タイトル

国内タイトル

1985-86, 1993-94
1970-71
1981-82, 1982-83, 1992-93, 1994-95, 1997-98, 2003-04, 2005-06, 2009-10
1994-95, 1997-98, 2007-08
1995, 1998

国際タイトル

優勝 : 1995-96
準優勝 : 1996-97
優勝 : 2001
最高成績 : 準優勝 : 1996

親善大会

1980, 1981, 1984, 1986, 1989, 1992, 1993
最高成績 : 準優勝 (2) : 2007, 2011
最高成績 : 準優勝 (1) : 2012

現所属選手

2013年2月1日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK フランス ニコラ・ドゥシェ
2 DF ブラジル チアゴ・シウバ
3 DF フランス ママドゥ・サコー
5 DF コートジボワール シアカ・ティエネ
6 DF フランス ズマナ・カマラ
7 MF フランス ジェレミー・メネス
10 FW スウェーデン ズラタン・イブラヒモヴィッチ
11 FW アルゼンチン エセキエル・ラベッシ
13 DF ブラジル アレックス
14 MF フランス ブレーズ・マテュイディ
16 GK フランス アルフォンソ・アレオラ
17 DF ブラジル マクスウェル
No. Pos. 選手名
19 FW フランス ケヴィン・ガメイロ
20 MF フランス クレマン・シャントーム
22 DF フランス シルヴァン・アルマン
23 DF オランダ グレゴリー・ファン・デル・ヴィール
24 MF イタリア マルコ・ヴェッラッティ
26 DF フランス クリストフ・ジャレ ()
27 MF アルゼンチン ハビエル・パストーレ
28 MF イタリア ティアゴ・モッタ
29 MF ブラジル ルーカス
30 GK イタリア サルヴァトーレ・シリグ
32 MF イングランド デビッド・ベッカム
40 GK フランス ロナン・ル・クロン

他クラブへレンタル中の選手

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
4 MF マリ共和国 モハメド・シソッコ (フィオレンティーナ)
12 MF フランス マチュー・ボドメ (サンテティエンヌ])
15 DF ウルグアイ ディエゴ・ルガーノ (マラガ)
25 MF フランス アドリアン・ラビオ (トゥールーズ)
No. Pos. 選手名
29 MF フランス ネースケンス・ケバノ (カーン)
32 DF フランス ロイク・ランドル (ガゼレク・アジャクシオ)
33 FW ハイチ ジャン=ウード・モーリス (ル・マン)
-- FW フランス ジャン=クリストフ・バエベック (トロワ)

2012/13移籍

成績

シーズン 国内リーグ CF CL TC 欧州カップ 最多得点者
リーグ 順位 試合数 得点 失点 得失点 勝ち点 選手 得点数
1988-89 ディヴィジョン・アン 2位 38 19 13 6 45 26 +19 70 ベスト16 フランスの旗 シュエルプ 17
1989-90 ディヴィジョン・アン 5位 38 18 9 14 50 48 +2 42 ベスト64 UC 2回戦敗退 ユーゴスラビアの旗 ヴヨヴィッチ 11
1990-91 ディヴィジョン・アン 9位 38 13 12 13 40 42 -2 38 ベスト16 ユーゴスラビアの旗 スシッチ
ユーゴスラビアの旗 ヴヨヴィッチ
11
1991-92 ディヴィジョン・アン 3位 38 15 17 8 43 27 +16 47 ベスト32 フランスの旗 ペレズ 13
1992-93 ディヴィジョン・アン 2位 38 20 11 7 61 29 +32 51 優勝 UC ベスト4 リベリアの旗 ウェア 24
1993-94 ディヴィジョン・アン 1位 38 24 11 3 54 22 +32 59 ベスト8 UCWC ベスト4 フランスの旗 ジノラ 20
1994-95 ディヴィジョン・アン 3位 38 20 7 11 58 41 +17 67 優勝 優勝 UCL ベスト4 リベリアの旗 ウェア 18
1995-96 ディヴィジョン・アン 2位 38 19 11 8 65 36 +29 68 ベスト16 ベスト32 優勝 UCWC 優勝 フランスの旗 ジョルカエフ 20
USC 準優勝
1996-97 ディヴィジョン・アン 2位 38 18 13 7 57 31 +26 67 ベスト16 ベスト32 UCWC 準優勝 フランスの旗 ロコ 20
1997-98 ディヴィジョン・アン 8位 34 14 8 12 43 35 +8 50 優勝 優勝 UCL GS敗退 イタリアの旗 シモーネ 22
1998-99 ディヴィジョン・アン 9位 34 10 9 15 34 35 -1 39 ベスト32 ベスト8 優勝 UCWC 1回戦敗退 イタリアの旗 シモーネ 10
1999-00 ディヴィジョン・アン 2位 34 16 10 8 54 40 +14 58 ベスト16 準優勝 ブラジルの旗 クリスティアン 19
2000-01 ディヴィジョン・アン 9位 34 12 8 14 44 45 -1 44 ベスト32 ベスト32 UCL 2次GS敗退 フランスの旗 ロベール 18
2001-02 ディヴィジョン・アン 4位 34 15 13 6 43 24 +19 58 ベスト8 ベスト4 UIC 優勝 ブラジルの旗 ロナウジーニョ 13
UC 3回戦敗退
2002-03 リーグ・アン 11位 38 14 12 12 47 36 +11 54 準優勝 ベスト32 UC 3回戦敗退 ブラジルの旗 ロナウジーニョ 12
2003-04 リーグ・アン 2位 38 22 10 6 50 28 +22 76 優勝 ベスト32 ポルトガルの旗 パウレタ 23
2004-05 リーグ・アン 9位 38 12 15 11 40 41 -1 51 ベスト16 ベスト16 準優勝 UCL GS敗退 ポルトガルの旗 パウレタ 19
2005-06 リーグ・アン 9位 38 13 13 12 44 38 +6 52 優勝 ベスト16 ポルトガルの旗 パウレタ 29
2006-07 リーグ・アン 15位 38 12 12 14 42 42 0 48 ベスト8 ベスト16 準優勝 UC ベスト16 ポルトガルの旗 パウレタ 24
2007-08 リーグ・アン 16位 38 10 13 15 37 45 -8 43 準優勝 優勝 ポルトガルの旗 パウレタ
コートジボワールの旗 ディアネ
15
2008-09 リーグ・アン 6位 38 19 7 12 49 38 +11 64 ベスト16 ベスト4 UC ベスト8 フランスの旗 オアロ 20
2009-10 リーグ・アン 13位 38 12 11 15 50 46 +4 47 優勝 ベスト16 トルコの旗 エルディンチ 19
2010-11 リーグ・アン 4位 38 15 15 8 56 41 +15 60 準優勝 ベスト4 準優勝 UEL ベスト16 ブラジルの旗 ネネ
フランスの旗 オアロ
20
2011-12 リーグ・アン 2位 38 23 10 5 75 41 +34 79 ベスト8 ベスト16 UEL GS敗退 ブラジルの旗 ネネ 27

歴代会長

1970年のピエール・エティエンヌ・グヨ初代会長以来、2011年に就任したカタール人のナセル・アル・ケライフィ会長までに17人がパリ・サンジェルマンの会長職に就いている[40]。Francis Borelliは歴代最長の13年(1978年-1991年)に渡って会長を務めた。最も成功を収めた会長はMichel Denisot(1991年-1998年)であり、在任期間中に8個の主要タイトル(ディヴィジョン・アン優勝1回、クープ・ドゥ・フランス優勝3回、クープ・ドゥ・ラ・リーグ優勝2回、トロフェ・デ・シャンピオン優勝1回、UEFAカップウィナーズカップ優勝1回)を獲得した。

1991年以降、3人がチェアマンの職に就いた[40] 。最も成功を収めたチェアマンはBernard Brochand(1991年-2001年)であり、在任期間中に9個の主要タイトル(Denisot会長の獲得タイトルに加えてトロフェ・デ・シャンピオン優勝1回)を獲得した。Brochandチェアマンは歴代最長の在任期間を持つチェアマンでもあり、10年に渡ってチェアマンを務めた。2006年からはSimon Taharがチェアマンを務めている[41]

2011年10月7日時点
会長 期間 タイトル 通算
国内 国際
L1 L2 CF CL TC UCL CWC UEL UIC USC FCWC
フランスの旗 ピエール・エティエンヌ・グヨ 1970-1971
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-
-
-
-
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-
-
-
-
フランスの旗 Guy Crescent 1971
-
1971
-
-
-
-
-
-
-
-
-
1
フランスの旗 Henri Patrelle 1971-1974
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 Daniel Hechter 1974-1978
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 Francis Borelli 1978-1991
1986
-
1982, 1983
-
-
-
-
-
-
-
-
3
フランスの旗 Michel Denisot 1991-1998
1994
-
1993, 1995, 1998
1995, 1998
1995
-
1996
-
-
-
-
8
フランスの旗 Charles Biétry 1998
-
-
-
-
1998
-
-
-
-
-
-
1
フランスの旗 Laurent Perpère 1998-2003
-
-
-
-
-
-
-
-
2001
-
-
1
フランスの旗 Francis Graille 2003-2005
-
-
2004
-
-
-
-
-
-
-
-
1
フランスの旗 Pierre Blayau 2005-2006
-
-
2006
-
-
-
-
-
-
-
-
1
フランスの旗 Alain Cayzac 2006-2008
-
-
-
2008
-
-
-
-
-
-
-
1
フランスの旗 Simon Tahar 2008
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 Charles Villeneuve 2008-2009
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 Sébastien Bazin 2009
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 Robin Leproux 2009-2011
-
-
2010
-
-
-
-
-
-
-
-
1
フランスの旗 Benoît Rousseau 2011
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
カタールの旗 ナセル・アル・ケライフィ 2011-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
通算 1970-2011 2 1 8 3 2 0 1 0 1 0 0 18
2010年7月21日時点
チェアマン 期間 タイトル 通算
国内 国外
L1 L2 CF CL TC UCL CWC UEL UIC USC FCWC
フランスの旗 Bernard Brochand 1991-2001
1994
-
1993, 1995, 1998
1995, 1998
1995, 1998
-
1996
-
-
-
-
9
フランスの旗 Alain Cayzac 2001-2006
-
-
2004, 2006
-
-
-
-
-
2001
-
-
3
フランスの旗 Simon Tahar 2006-
-
-
2010
2008
-
-
-
-
-
-
-
2
通算 1991-2011 1 0 6 3 2 0 1 0 1 0 0 14

歴代監督

1970年に初代監督となったピエール・フェリポンに始まり、PSGでは20人以上が監督を務めてきた。ルイス・フェルナンデス監督はクラブ史上最多の5個のタイトルを獲得した。1994-95シーズンのクープ・ドゥ・フランスクープ・ドゥ・ラ・リーグ、1995年のトロフェ・デ・シャンピオン、1995-96シーズンのUEFAカップウィナーズカップ、2001年のUEFAインタートトカップである。在任期間の最長記録はルイス・フェルナンデス監督とGeorges Peyroche監督の5年間(いずれも2期の通算)であり、采配試合数の最多記録はルイス・フェルナンデス監督の244試合である。2011年からはイタリア人のカルロ・アンチェロッティが監督を務めている[42]

2011年12月30日時点[43][44]
名前 在任期間 試合数 勝利 引分 敗北 得点 失点 点差 勝率 [A] タイトル 備考
国内 国外
L1 L2 CF CL TC UCL CWC UEL UIC USC FCWC
フランスの旗 ピエール・フェリポン 1970–72 74 30 22 22 112 96 +12 40.54
-
1971
-
-
-
-
-
-
-
-
-
[B][C]
フランスの旗 ロベール・ビコ 1972–75 131 66 33 32 267 178 +89 50.38
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 ジュスト・フォンテーヌ 1973–76 141 62 38 41 263 209 +54 43.97
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
ユーゴスラビアの旗 ベリボル・バソビッチ 1976–77,
1978–79
73 31 14 28 129 116 +13 42.47
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 ジャン=ミシェル・ラルク 1977–78 48 17 11 20 88 81 +7 35.42
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
[B]
フランスの旗 ピエール・アロンゾ 1977,
1978,
1979–80
25 11 7 7 46 31 +15 44.00
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 Georges Peyroche 1979–83,
1984–85
211 100 46 65 350 273 +77 47.39
-
-
1982, 1983
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 Lucien Leduc 1983–84 38 17 12 9 56 39 +17 44.74
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 クリスティアン・コステ 1985 15 6 6 3 19 21 -2 40.00
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 ジェラール・ウリエ 1985–87,
1988
123 55 34 34 150 117 +33 44.72
1986
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 Erick Mombaerts 1987–88 8 1 3 4 6 12 -6 12.50
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
ユーゴスラビアの旗 トミスラフ・イビッチ 1988–90 86 41 21 24 111 88 +23 47.67
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 アンリ・ミシェル 1990–91 41 15 12 14 42 44 -2 36.59
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
ポルトガルの旗 アルトゥール・ジョルジェ 1991.7–1994.6
1998.10–1999.3
167 84 54 29 235 118 +117 50.30
1994
-
1993
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 ルイス・フェルナンデ 1994.7–1996.6
2000.12–2003.6
244 125 61 58 360 206 +154 51.23
-
-
1995
1995
1995
-
1996
-
2001
-
-
[B][D]
ブラジルの旗 リカルド・ゴメス 1996.7–1998.6 106 54 24 28 167 106 +61 50.94
-
-
1998
1998
-
-
-
-
-
-
-
[B]
フランスの旗 アラン・ジレス 1998.7–1998.10 11 4 2 5 10 11 -1 36.36
-
-
-
-
1998
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 フィリップ・ベルジュロー 1999.3–2000.12 75 35 16 24 116 101 +15 46.67
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ヴァヒド・ハリホジッチ 2003.7–2005.2 80 36 27 17 100 75 +25 45.00
-
-
2004
-
-
-
-
-
-
-
-
[B]
フランスの旗 ローラン・フルニエ 2005.2–2005.12 36 17 7 12 47 38 +9 47.22
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
[B]
フランスの旗 ギー・ラコンブ 2005.12–2007.1 55 18 21 16 70 57 +13 32.73
-
-
2006
-
-
-
-
-
-
-
-
フランスの旗 ポール・ル・グエン 2007.1-2009.6 132 62 30 40 167 127 +40 46.97
-
-
-
2008
-
-
-
-
-
-
-
[B]
フランスの旗 アントワーヌ・コンブアレ 2009.7–2011.12 134 61 39 34 205 138 +67 45.52
-
-
2010
-
-
-
-
-
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イタリアの旗 カルロ・アンチェロッティ 2011.12- 0 0 0 0 0 0 0 0
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歴代所属選手

1970年、フランス代表でキャプテンを務めていたジャン・ジョルカエフが加入した。彼はPSGで初のプロ契約選手であり、また初のキャプテンだった。アラン・ロチェポール・ル・グエンは、PSG在籍期間中にクラブ最多の9個のタイトルを獲得した。2010-11シーズン終了後にキャプテンのクロード・マケレレが現役引退し、後任のキャプテンには若手のママドゥ・サコーが就任した。

ポルトガル代表ペドロ・パウレタは2003年から2008年に在籍し、クラブ史上最多の110得点を挙げている。クラブ公式サイトは、クラブ史上最高の選手として「アゾレス諸島の鷲」(アゾレス諸島はパウレタの出身地)と呼ばれたパウレタを選出している[45]。しかし、パウレタでさえもアルゼンチン代表カルロス・ビアンチの得点率には敵わない。エル・ゴレアドール(El Goleador)と呼ばれたビアンチは1970年代後半に2シーズンだけ在籍し、80試合に出場して71得点を記録。2シーズン連続でディヴィジョン・アン(1部)の得点王に輝いた。リーグ戦に限定したクラブ史上最多得点者は、1970年代から1980年代前半にかけて85得点を挙げたアルジェリア代表ムスタファ・ダレブである。1980年代に在籍したユーゴスラビア代表サフェト・スシッチは85得点61アシストを記録し、フランス・フットボール誌はPSGの歴代最高選手にスシッチを選出している[46]。Jean-Marc Pilorgetはクラブ史上最多の435試合に出場した。欧州カップ戦におけるクラブ史上最多得点者は、16得点を挙げたジョージ・ウェアである。1995年にバロンドールFIFA最優秀選手賞を受賞したウェアは、PSG在籍時にこれらの賞を受賞した唯一の選手である。

2011年にアルゼンチン代表のハビエル・パストーレが加入した際には、USチッタ・ディ・パレルモ(イタリア)に移籍金4300万ユーロが支払われ、移籍金(獲得時)のクラブ史上最高額を塗り替えた。また、この金額はリーグ・アンのクラブが他クラブに支払った金額としても最高額となった[47]。2003年にロナウジーニョFCバルセロナ(スペイン)に移籍した際には、3200万ユーロがPSGに支払われ、移籍金(放出時)のクラブ史上最高額を塗り替えた[48]

GK


DF


MF


FW


脚注

  1. ^ “Palmares”. パリ・サンジェルマン公式サイト. http://www.psg.fr/en/Club/608001/Palmares 12 October 2010閲覧。 
  2. ^ “IFFHS Club World Ranking 1994”. IFFHS. http://www.iffhs.de/?eedbca388d8569d817285fdcdc3bfcdc0aec70a21c 12 October 2010閲覧。 
  3. ^ “UEFA Team Ranking 1998”. XS4ALL. http://www.xs4all.nl/~kassiesa/bert/uefa/data/method1/trank1998.html 12 October 2010閲覧。 
  4. ^ “IFFHS Club World Ranking”. IFFHS. (30 September 2010). http://www.iffhs.de/?10f42e00fa2d17f73702fa3016e23c17f7370eff3702bb1c2bbb6f28f53512 12 October 2010閲覧。 
  5. ^ “UEFA Team Ranking 2012”. XS4ALL. (22 July 2011). http://kassiesa.home.xs4all.nl/bert/uefa/data/method4/trank2012.html 22 July 2011閲覧。 
  6. ^ a b c “L'Histoire du Parc”. Le Parc des Princes. http://www.leparcdesprinces.fr/L-histoire.html 21 October 2010閲覧。 
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  8. ^ a b “Présentation (centre de formation)”. パリ・サンジェルマン公式サイト. http://www.psg.fr/fr/Formation/400001/Presentation-formation 27 November 2011閲覧。 
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  11. ^ “Capital gains: well-connected PSG's revival is good for French football”. FourFourTwo. (21 December 2011). http://fourfourtwo.com/blogs/thefrenchconnection/archive/2011/12/21/capital-gains-well-connected-psg-s-revival-is-good-for-french-football.aspx 13 February 2012閲覧。 
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  13. ^ “Paris is Earning”. The Classical. (11 January 2012). http://theclassical.org/articles/paris-is-earning 13 February 2012閲覧。 
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  18. ^ サッカージャーナリストのフロラン・ダバディはグヨの孫である
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外部リンク


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