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リシャール・ドゥトルエル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リシャール・ドゥトルエル
名前
本名 リシャール・フィリップ・ドゥトルエル
Richard Philippe Dutruel
ラテン文字 Richard Dutruel
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 (1972-12-24) 1972年12月24日(51歳)
出身地 トノン=レ=バン
身長 192cm
体重 86kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
フランスの旗 CSトノン
フランスの旗 クレールフォンテーヌ
フランスの旗 パリ・サンジェルマン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1996 フランスの旗 パリ・サンジェルマン 10 (0)
1993-1995 フランスの旗 カーン (loan) 68 (0)
1996-2000 スペインの旗 セルタ 128 (0)
2000-2002 スペインの旗 バルセロナ 15 (0)
2002-2003 スペインの旗 アラベス 33 (0)
2003-2005 フランスの旗 ストラスブール 24 (0)
通算 278 (0)
代表歴
1990-1991  フランス U-19 2 (0)
1994 フランスの旗 フランス B 1 (0)
2000 フランスの旗 フランス 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

リシャール・フィリップ・ドゥトルエルRichard Philippe Dutruel1972年12月24日 - )は、フランストノン・レ・バン出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはGK

クラブ経歴

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パリ・サンジェルマンFCでプロデビューを果たすものの、ジョエル・バツベルナール・ラマという2人のフランス代表の前に出番には恵まれなかった。

1996年スペインセルタ・デ・ビーゴへ移籍。ビクトル・フェルナンデスの攻撃的なサッカーの下、リーグ戦上位に食い込んでいたセルタでレギュラーに定着し、これが転機となって才能が一気に開花。2000年には世界的ビッグクラブであるFCバルセロナへの移籍を果たした。

しかし、バルセロナではロベルト・ボナーノの控えに甘んじ、2002年デポルティーボ・アラベスへ移籍。2003年RCストラスブールにて母国に復帰するも、持病の腰痛2004年に発症。復帰を目指し長期療養していたが、2005年限りで引退した。

現役引退後の2010年5月から、エヴィアン・トノン・ガイヤールFCの副会長を務め、2010-11シーズンにはリーグ・ドゥ優勝を経験した[1]

代表経歴

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2000年10月4日、カメルーン代表との親善試合にて、途中交代でフランス代表デビューを果たした[2]

選手経歴

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フランスの旗 カーン 1993-1995(レンタル移籍

脚注

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  1. ^ Dutruel démissionne” (フランス語) (2010年5月27日). 2022年11月8日閲覧。
  2. ^ Regnard, Hélène (2000年10月6日). “A t-on déjà vu un coq manger un lion?¥” (フランス語). Afrik Foot. 2022年11月8日閲覧。

外部リンク

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