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ロリック・カナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロリック・カナ
名前
本名 ロリック・アギム・カナ
Lorik Agim Cana
ラテン文字 Lorik Cana
基本情報
国籍 アルバニアの旗 アルバニア
フランスの旗 フランス
生年月日 (1983-07-27) 1983年7月27日(41歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 プリシュティナ
身長 186cm
体重 86kg
選手情報
ポジション MF (DH) / DF (CB)
利き足 右足
ユース
1997-2000 スイスの旗 ダルダニア・ローザンヌ
2000-2001 フランスの旗 パリ・サンジェルマン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2003 フランスの旗 パリ・サンジェルマン B 39 (2)
2002-2005 フランスの旗 パリ・サンジェルマン 69 (2)
2005-2009 フランスの旗 マルセイユ 122 (6)
2009-2010 イングランドの旗 サンダーランド 31 (0)
2010-2011 トルコの旗 ガラタサライ 24 (1)
2011-2015 イタリアの旗 ラツィオ 82 (4)
2015-2016 フランスの旗 ナント 21 (0)
代表歴2
2003-2016 アルバニアの旗 アルバニア 93 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年10月15日現在。
2. 2016年10月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロリック・アギム・カナLorik Agim Cana アルバニア語発音: [ˈlɔɾik ˈtsana], 1983年7月27日 - )は、ユーゴスラビアコソボ自治州(現・コソボ)・プリシュティナ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF (DH)、DF (CB)。

アルバニア代表アルバニアの他にスイスフランスの市民権を持つ。2003年にはアルバニア最優秀選手賞に選ばれた。

名字の「カナ」はフランス語読みであり、母国語のアルバニア語の読み方に準ずれば「ツァナ」となる[1]

経歴

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クラブ

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16歳の時にアーセナルFCのトライアルを受けるも、労働許可証の問題から契約には至らなかった[2]

パリ・サンジェルマンFCでプロデビューを飾り、2004年にはクープ・ドゥ・フランス優勝を経験した。

2005年にオリンピック・マルセイユに移籍し、クープ・ドゥ・フランスで2度準優勝した。2007年夏にハビブ・ベイェニューカッスル・ユナイテッドへ移籍したため、カナがキャプテンに就任した。

2009年に移籍したサンダーランドAFCではプレミアリーグ史上初のアルバニア人選手としてプレーした。

2010年7月、4年契約でトルコ・シュペルリガガラタサライに移籍した[3]。移籍金は500万ユーロを超えるとされる。

セリエASSラツィオに移籍。

2015年、FCナントと2年契約を結んだ。

2016年6月、現役引退を発表した。

代表

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その経歴からアルバニア代表の他、スイス代表およびフランス代表としてプレーする資格もあった[4]が、最終的にルーツのアルバニアを選択した。2003年6月、19歳でUEFA欧州選手権2004予選のスイス戦に出場しアルバニア代表デビュー。以来、代表の中心選手として歴代最多となる93試合に出場。2016年には自身初の国際大会であるUEFA EURO 2016に参加した。大会終了後、代表からの引退を表明。

所属クラブ

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タイトル

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クラブ
パリ・サンジェルマンFC
SSラツィオ

脚注

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  1. ^ Lorik Cana(ロリック・ツァナ)”. 日本コソボ友好協会. 2014年5月18日閲覧。
  2. ^ Cana: Arsenali më ka kërkuar si 16-vjeçar” (Albanian). Pristina, Kosovo: Telegrafi.com (18 February 2010). 14 July 2010閲覧。 “Jam ftuar nga Arsenali për prova kur kam pasur 16 vjet, por nuk mund të vija për shkak të problemeve me vizën.”
  3. ^ ガラタサライがカナを獲得UEFA.com、2010年7月8日
  4. ^ Cana: Do të shënojmë dhe fitojmë ndaj Bjellorusisë! Yll Press > Sport: Kombëtaret - "3 pasaporta zotëronte Cana para se të zgjidhte Shqipërinë. Ai kishte në dorë të luante me Zvicrën ose Francën, por zgjodhi të përfaqësonte kombin e tij"

外部リンク

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