ギー・ラコンブ
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名前 | ||||||||||||||
ラテン文字 | Guy LACOMBE | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 | フランス | |||||||||||||
生年月日 | 1955年6月12日(69歳) | |||||||||||||
出身地 | ミディ=ピレネー地域圏アヴェロン県, ヴィルフランシュ=ド=ルエルグ | |||||||||||||
身長 | 178cm | |||||||||||||
体重 | 77kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | FW | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
1975-1976 | アルビ | 29 | (10) | |||||||||||
1976-1979 | ナント | 55 | (9) | |||||||||||
1979-1981 | RCランス | 86 | (16) | |||||||||||
1981-1983 | トゥール | 90 | (10) | |||||||||||
1983-1985 | トゥールーズ | 82 | (6) | |||||||||||
1985-1986 | レンヌ | 53 | (6) | |||||||||||
1986-1987 | リール | 23 | (4) | |||||||||||
1987-1989 | カンヌ | 35 | (4) | |||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||
1983-1984 | フランス 五輪 | 9 | (2) | |||||||||||
監督歴 | ||||||||||||||
1990-1995 | カンヌ (下部組織) | |||||||||||||
1995-1997 | カンヌ | |||||||||||||
1998-1999 | トゥールーズ | |||||||||||||
1999-2002 | ギャンガン | |||||||||||||
2002-2005 | ソショー | |||||||||||||
2005-2007 | パリSG | |||||||||||||
2007-2009 | レンヌ | |||||||||||||
2009-2011 | モナコ | |||||||||||||
2012-2013 | アル・ワスル | |||||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ギー・ラコンブ(Guy Lacombe、1955年6月12日 - )は、フランス・ヴィルフランシュ=ド=ルエルグ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはFW。
経歴
[編集]選手
[編集]20歳まで地元ヴィルフランシュ=ド=ルエルグのクラブでプレーしていたが、1975年にディヴィジョン・トロワ(3部相当)のUSアルビに移籍してデビューし、1976年にディヴィジョン・アン(1部)のFCナントに移籍した。ナントでは1976-77シーズンにリーグ優勝を果たし、その後の2シーズンも2位となった。1978-79シーズンにはクープ・ドゥ・フランスでも優勝した。その後はRCランス、FCトゥール、トゥールーズFC、スタッド・レンヌ、リール、ASカンヌでプレーし、1989年に現役引退した。
1984年にはU-23フランス代表としてロサンゼルスオリンピックに出場して金メダルを獲得した[1]。
指導者
[編集]2002年から2005年まではFCソショーを率い、ブノワ・ペドレッティやジェレミー・メネスのような才能ある若手の発掘に能力を発揮した[2][3]。2002-03シーズンにはリーグ戦で5位、クープ・ドゥ・ラ・リーグで準優勝し、2003-04シーズンにはリーグ戦で再び5位、クープ・ドゥ・ラ・リーグでクラブ初の優勝を飾った。2005年にパリ・サンジェルマンFCの監督に就任し[4]、2005-06シーズンはリーグ戦こそ9位だったものの、クープ・ドゥ・フランスで優勝してUEFAカップ出場権を獲得した。2006-07シーズンは下位に低迷し、2007年1月に解任されてポール・ル・グエン監督と交代した。
2007年にスタッド・レンヌ監督に就任した。2008-09はリーグ戦で18戦無敗の快進撃を続け、クープ・ドゥ・フランスでは決勝に進出したが、リーグ戦では終盤戦に失速して7位に終わり、クープ・ドゥ・フランスではリーグ・ドゥのEAギャンガンに敗れて準優勝であった。クラブの首脳陣との確執が噂され、2009年6月3日にレンヌの監督を退いた。同6月、ブラジル人のリカルド・ゴメス監督の後任としてASモナコと2011年6月までの契約を交わした。2009-10シーズンはクープ・ドゥ・フランスで準優勝したが、リーグ戦では中位をさまよい、2010-11シーズンも降格圏内に低迷すると、クープ・ドゥ・フランスで5部リーグのChambéryに敗れたため、2011年1月10日にモナコ監督を解任された[5]。
2012年11月7日、UAEリーグのアル・ワスルFCの監督に就任した[6]が、2013年2月17日に解任された[7]。
タイトル
[編集]選手
[編集]クラブ
[編集]- FCナント
- ディヴィジョン・アン 優勝 (1) : 1976-77
- クープ・ドゥ・フランス 優勝 (1) : 1978-79
代表
[編集]- U-23フランス代表
- ロサンゼルスオリンピック 金メダル (1) : 1984
指導者
[編集]- ASカンヌ
- クープ・ガンバルデッラ 優勝 (1) : 1995
- FCソショー
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ 優勝 (1) : 2004
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ 準優勝 (1) : 2002-2003
- パリ・サンジェルマンFC
- クープ・ドゥ・フランス 優勝 (1) : 2006
- スタッド・レンヌ
- クープ・ドゥ・フランス 準優勝 (1) : 2009
- ASモナコ
- クープ・ドゥ・フランス 準優勝 (1) : 2010
脚注
[編集]- ^ Guy Lacombe スタッド・レンヌ公式サイト
- ^ Pedretti, l'espoir perdufootball.fr
- ^ [1]Wikio.fr [リンク切れ]
- ^ Quand Guy Lacombe entraînait le PSGPSG MAG.net
- ^ Communiqué officiel de l'AS Monaco FC ASモナコ公式サイト、2011年1月10日
- ^ Qoly.jp (2012年11月8日). “アル・ワスル、ギー・ラコンブ新監督就任を発表”. 2012年11月8日閲覧。[リンク切れ]
- ^ Qoly.jp (2013年2月18日). “アル・ワスル、ギー・ラコンブ監督を解任”. 2013年4月23日閲覧。[リンク切れ]