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ダヴィド・ロゼフナル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダビド・ロゼフナルから転送)
ダヴィド・ロゼフナル
ニューカッスル時代(2007年)
名前
本名 ダヴィド・セバスティアン・クレメント・ロゼフナル
David Sebastian Klement Rozehnal
ラテン文字 David ROZEHNAL
基本情報
国籍  チェコ
生年月日 (1980-07-05) 1980年7月5日(44歳)
出身地 シュテルンベルク
身長 191cm
体重 79kg
選手情報
ポジション DF (CB)
利き足 右足
ユース
1988-1989 チェコスロバキアの旗 ソコル・コジュシャニ
1989-1997 チェコの旗 シグマ・オロモウツ
1997-1998 チェコの旗 ソコル・コジュシャニ
1998-1999 チェコの旗 シグマ・オロモウツ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2003 チェコの旗 シグマ・オロモウツ 72 (2)
2003-2005 ベルギーの旗 クラブ・ブルッヘ 50 (1)
2005-2007 フランスの旗 PSG 75 (1)
2007-2008 イングランドの旗 ニューカッスル 21 (0)
2008 イタリアの旗 ラツィオ (loan) 10 (0)
2008-2009 イタリアの旗 ラツィオ 28 (0)
2009-2011 ドイツの旗 HSV 23 (1)
2010-2011 フランスの旗 リール (loan) 13 (1)
2011-2015 フランスの旗 リール 62 (1)
2015-2018 ベルギーの旗 オーステンデ 50 (1)
2018 チェコの旗 ソコル・コジュシャニ 1 (0)
通算 405 (8)
代表歴
2001-2002 チェコの旗 チェコ U-21 8 (1)
2004-2009 チェコの旗 チェコ[1] 60 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダヴィド・セバスティアン・クレメント・ロゼフナルDavid Sebastian Klement Rozehnal, 1980年7月5日 - )は、チェコ(当時チェコスロバキア)・オロモウツ州シュテルンベルク出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはDF(主にセンターバック)。

経歴

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キャリア初期

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地元クラブであるTJソコル・コジュシャニのユースを経て、SKシグマ・オロモウツでプロデビュー。

2003年にジュピラー・リーグクラブ・ブルッヘへ移籍。翌年にはEURO2004チェコ代表のメンバーに招集され、チームは準決勝まで進出した。ベルギーでの初年度で国内カップを、翌シーズンにはリーグ戦を制した。

PSG

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2005-06シーズンよりリーグ・アンパリ・サンジェルマンFCに4年契約で移籍[2]翌シーズンにはマリオ・ジェペスと共にセンターバックのレギュラーを務め、クラブの年間最優秀選手に選出された。シーズンオフにはボルシア・ドルトムントから移籍金270万ポンドのオファーを受けるがクラブはこれを拒否した[3]

ニューカッスル

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同月29日、290万ポンドの移籍金でプレミアリーグニューカッスル・ユナイテッドFCと4年契約を締結した[4]。出場試合数に応じて20万ポンドが追加で支払われる。タイタス・ブランブルクレイグ・ムーアオグチ・オニェウら守備陣を放出したサム・アラダイス率いるクラブにとって、ジョーイ・バートンマーク・ヴィドゥカに次ぐ3人目の補強となった。

8月11日のボルトン・ワンダラーズFC戦でスタメンに名を連ねリーグデビューし、3-1の勝利で飾る[5]

ラツィオ

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2008年1月31日、グリエルモ・ステンダルドユヴェントスFCに放出していたセリエASSラツィオにシーズン終了まで期限付き移籍[6]。ローン中は7試合の出場に留まったが、シーズン終了後に買い取りオプションが行使され完全移籍となった[7]2008-09シーズンはレギュラーとしてリーグ戦28試合に出場した。

HSV

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2009年7月29日、アレックス・シウヴァが前十字靭帯断裂で長期離脱となっていたハンブルガーSVへ3年契約で加入[8]ブルーノ・ラッバディア監督の下ポジションを確保したが、翌年8月には不安定なパフォーマンスを理由に新監督であるアルミン・フェーの構想外となった[9]

リール

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同年8月31日、シャルケ04へ移籍したニコラ・プレスタン英語版の後釜としてリールへシーズンローンで加入[10]クープ・ドゥ・フランス決勝では古巣であるPSGと対戦。1-0で勝利を収めクラブ史上初となる同大会のトロフィー獲得に貢献した。翌シーズンより完全移籍し、引き続きリュディ・ガルシアの指揮を受ける[11]2014-15シーズン限りでスタッド・ピエール=モーロワを去ることが発表された[12]

オーステンデ

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2015年6月29日、KVオーステンデと1年契約を締結しベルギーに復帰した[13]。シーズン終了後には契約延長オプションが行使され、2017年6月5日には1年間の新契約が発表された[14]

キャリア晩年

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2018年4月4日にプロとしてのキャリアに終止符を打ち、兄弟のマレクがプレーしチェコ7部リーグに所属する古巣ソコル・コジュシャニへ加入。同月9日に同クラブデビューとなった[15]

代表歴

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SKシグマ・オロモウツでの活躍が認められ、2002年のUEFA U-21欧州選手権に向けたU-21チェコ代表に招集され、同大会優勝メンバーの一員となった。2006 FIFAワールドカップ本大会グループリーグの全3試合に出場したが、チームは決勝トーナメント進出はならなかった。UEFA欧州選手権には2004年大会及び2008年大会に参加している。

特徴

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191cmという高身長ながらフィジカルだけでなく鋭い読み、さらには統率力も併せ持つセンターバック。足元のテクニックもあり正確なフィードを前線に送ることが出来、カウンターの基点ともなれる。若干スピード不足気味なのが弱点[要出典]

人物

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2007年10月3日、妻ペトラとの間に長男ルカが誕生している[16]

タイトル

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クラブ・ブルッヘ
PSG
ラツィオ
リール

脚注

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  1. ^ David Rozehnal - STATISTIKY REPREZENTANTŮ”. FOTBAL.CZ. 2015年8月20日閲覧。
  2. ^ Rozehnal closes on switch to PSG”. BBC Sport (2005年6月17日). 2019年2月6日閲覧。
  3. ^ Rozehnal eager to join Newcastle”. BBC Sport (2007年6月5日). 2019年2月6日閲覧。
  4. ^ Newcastle complete Rozehnal deal”. BBC Sport (2007年6月29日). 2019年2月6日閲覧。
  5. ^ Bolton 1-3 Newcastle”. BBC Sport (2007年8月11日). 2019年2月6日閲覧。
  6. ^ Rozehnal leaves Newcastle for Lazio”. UEFA.com (2008年1月31日). 2019年2月6日閲覧。
  7. ^ Rozehnal completes move to Lazio”. BBC Sport (2008年6月10日). 2019年2月6日閲覧。
  8. ^ Rozehnal-Deal perfekt!”. kicker (2009年7月29日). 2019年2月6日閲覧。
  9. ^ Veh streicht Tavares und Rozehnal”. kicker (2010年8月4日). 2019年2月6日閲覧。
  10. ^ Rozehnal ersetzt Plestan in Lille”. kicker (2010年8月31日). 2019年2月6日閲覧。
  11. ^ Rozehnal, Pedretti, Enyeama join new-look Lille”. UEFA.com (2011年6月30日). 2019年2月6日閲覧。
  12. ^ Lille: En fin de contrat, David Rozehnal n'est pas conservé”. L'Équipe (2015年6月6日). 2019年2月6日閲覧。
  13. ^ KV Oostende trekt David Rozehnal aan”. HLN (2015年6月29日). 2019年2月6日閲覧。
  14. ^ Rozehnal langer in zee met Oostende”. Sport.be (2017年6月5日). 2019年2月6日閲覧。
  15. ^ Rozehnalova premiéra za Kožušany: ztracené vedení, sporný moment a prohra”. Olomoucký deník (2018年4月9日). 2019年2月6日閲覧。
  16. ^ Rozehnal: Nevyspím se, ale jsem šťastný”. Sport.cz (2007年10月13日). 2019年2月6日閲覧。

外部リンク

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