松浦寅三郎
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松浦 寅三郎 | |
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生誕 |
1866年9月12日 日本 肥前国(現・長崎県) |
死没 | 1947年1月15日(80歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京帝国大学法科大学法律学科英法科卒業 |
職業 |
愛知県尋常中学時習館校長 山形県立荘内中学校校長 山口高等商業学校教授 第五高等学校校長 神宮皇學館館長 皇太子傅育官長 女子学習院長 宮中顧問官 |
親 | 父:松浦縮蔵 |
松浦 寅三郎(まつうら とらさぶろう、1866年9月12日(慶応2年8月4日) - 1947年(昭和22年)1月15日)は、日本の教育者。女子学習院第二代院長。
来歴・人物
[編集]肥前国(現・長崎県)生まれ。士族松浦縮蔵の子。東京府尋常中学校、第一高等学校を経て、1895年(明治28年)東京帝國大學法科大学法律学科英法科を卒業。1896年(明治29年)5月愛知県尋常中学時習館(現・愛知県立時習館高等学校)校長、1899年(明治32年)7月山形県立荘内中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)校長を歴任。
以後、山口高等商業学校教授、第五高等学校校長を経て、1918年(大正7年)5月に神宮皇學館館長に就任。翌年2月、皇太子傅育官長となる。1923年(大正12年)8月女子学習院の第二代となる院長を兼務。1925年(大正14年)からは同院長の職務を専任。1932年(昭和7年)8月から1945年(昭和20年)11月まで宮中顧問官を務めた。
栄典
[編集]参考文献
[編集]脚注
[編集]公職 | ||
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先代 三好愛吉 |
皇子傅育官長 1919年 - 1925年 |
次代 (廃止) |