武藤虎太
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武藤 虎太(むとう とらた、慶応3年7月7日[1](1867年8月6日) - 昭和9年(1934年)3月29日[2])は、日本の教育者。
経歴
[編集]肥後国菊池郡戸崎村(現在の熊本県菊池市)に熊本藩士武藤一忠の長男として生まれた[1]。1895年(明治28年)、東京帝国大学文科大学国史科を卒業[1]。第五高等学校教授、第二高等学校教授、同校長を務め、1920年(大正9年)より2年間欧米を視察した[3]。1921年(大正10年)、第四高等学校校長となり、のち第五高等学校校長に転じた[3]。
退官後は、第五高等学校名誉教授の称号を受けた[3]。その他、維新史料編纂会委員を務めた[3]。
著書
[編集]- 『東洋史提綱』(英華堂、1901年)
脚注
[編集]- ^ a b c 大衆人事録 1930.
- ^ 『官報』第2176号、昭和9年4月6日。
- ^ a b c d 人事興信録 1934.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。
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熊本大学学長(第五高等学校長:1931年 - 1932年) | |
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金沢大学学長(第四高等学校長:1921年 - 1931年) | |
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東北大学総長(第二高等学校長:1915年 - 1921年) | ||||
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