新保徳寿
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新保 徳寿(しんぽ とくじゅ、1873年(明治6年)10月11日[1] - 1938年(昭和13年)8月16日[2])は、日本の教育者。旧名は伊八[1]。
経歴
[編集]宮城県出身。1902年(明治35年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業し、さらに大学院で学んだ[1]。1908年(明治41年)、仙台高等工業学校教授となり、生徒監を兼ねた[1]。1912年(明治45年)からは東北帝国大学工学専門部生徒監となり、1915年(大正4年)に同主事となった[1]。その後、東北帝国大学事務官を経て、仙台高等工業学校校長を務めた[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 人事興信録 1918.
- ^ 『官報』第3493号、昭和13年8月24日。
- ^ 人事興信録 1925.
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。