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山口鋭之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


山口 鋭之助
人物情報
生誕 (1862-03-09) 1862年3月9日文久2年2月9日
出雲国島根郡母衣町(現・島根県松江市
死没 (1945-03-04) 1945年3月4日(82歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学理学部物理学科[1]
配偶者 ソノ(藤沢利喜太郎妹)
子供 ミサ(長女・渋谷米太郎妻)、サヤ(次女・氏家洗耳妻)、進六(次男)、やを(四女・鈴木俊郎妻)、博(三男)
学問
研究分野 物理学
研究機関 第一高等学校
京都帝国大学理工科大学
学習院
学位 理学博士(日本・1901年)
主要な作品 『普通教育 物理学』(1907年)
学会 日本歴史地理学会
明治聖徳記念学会
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山口 鋭之助(やまぐち えいのすけ、1862年3月9日文久2年2月9日) - 1945年昭和20年)3月4日[2])は、明治時代から大正時代にかけての日本物理学者官僚理学博士

経歴

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出雲国(現・島根県松江に、松江藩士・山口軍兵衛礼行(知行は200石[3])の三男として生まれる。1884年東京大学理学部物理学科を卒業[1]

東京大学予備門教諭、第一高等学校教授を歴任。1897年京都帝国大学理工科大学教授に転じ、文部省から留学生としてドイツフランスに派遣され3年間学んだ。1901年、理学博士号を取得した。

その後、学習院に移り次長に就任。1905年、第9代院長となり翌年まで在任。さらに、宮内省に転じ、図書頭諸陵頭を歴任し、宮中顧問官となる。

家族

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山口家は山口宗永の子孫

栄典・授章・授賞

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位階
勲章等

著作

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著書

脚注

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  1. ^ a b 『東京帝国大学一覧 明治20-21年』第十三章 学士及卒業学生姓名234 - 235頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月9日閲覧。
  2. ^ 山口鋭之助』 - コトバンク
  3. ^ 生出寿『勇断提督・山口多聞』徳間書店、1985年、8頁。 
  4. ^ 『人事興信録 第12版 下』(人事興信所、1940年)ヤ80頁
  5. ^ 山口宗義(読み)やまぐち むねよしコトバンク
  6. ^ 山口堅吉『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  7. ^ 山口鐵彦『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  8. ^ a b c d 『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』石井妙子、文藝春秋、2021、p36
  9. ^ 山口宗義(やまぐちむねよし)谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
  10. ^ 『官報』第908号「叙任及辞令」1886年7月12日。
  11. ^ 『官報』第2597号「叙任及辞令」1892年3月1日。
  12. ^ 『官報』第3858号「叙任及辞令」1896年5月12日。
  13. ^ 『官報』第5337号「叙任及辞令」1901年4月22日。
  14. ^ 『官報』第6256号「叙任及辞令」1904年5月11日。
  15. ^ 『官報』第7770号「叙任及辞令」1909年5月22日。
  16. ^ 『官報』第558号「叙任及辞令」1914年6月11日。
  17. ^ 『官報』第2366号「叙任及辞令」1920年6月22日。
  18. ^ 『官報』第853号「叙任及辞令」1929年11月1日。
  19. ^ 『官報』第6595号「叙任及辞令」1905年6月26日。
  20. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  21. ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。
  22. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 『東京帝国大学一覧 明治20-21年』東京帝国大学、1886 - 1912年。
  • 『昭和人名辞典』第1巻、日本図書センター、1987年(『大衆人事録』第14版「東京篇」帝国秘密探偵社、昭和17年刊の改題複製)
  • 『大正人名辞典』Ⅱ下巻、日本図書センター、1989年(『大衆人事録 昭和3年版』帝国秘密探偵社、昭和2年刊の改題複製)
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。

関連文献

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外部リンク

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公職
先代
足立正声
日本の旗 諸陵
1907年 - 1921年
次代
仙石政敬
先代
足立正声
日本の旗 図書
1907年 - 1917年
次代
森林太郎
その他の役職
先代
寺野精一
財団法人攻玉社理事長
1923年 - 1944年
次代
水谷叔彦