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仙石政敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仙石 政敬
せんごく まさゆき
生年月日 (1872-05-26) 1872年5月26日
出生地 日本の旗 日本 東京府(現東京都)
没年月日 (1935-09-16) 1935年9月16日(63歳没)
出身校 学習院高等学科卒業
(現学習院大学)
東京帝国大学法科大学政治学科卒業
(現東京大学法学部)
前職 宗秩寮総裁
称号 勲一等瑞宝章
第一回国勢調査記念章
従四位
配偶者 仙石素子
子女 長男・仙石久英
長女・九条日浄
親族 父・仙石政固(貴族院議員)
義兄・池田詮政(貴族院議員)
義兄・竹内惟忠(貴族院議員)
娘婿・梅溪通虎(貴族院議員)
孫・池坊保子(衆議院議員)

選挙区 子爵議員
在任期間 1934年5月12日 - 1935年9月16日
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仙石 政敬(せんごく まさゆき、明治5年4月20日1872年5月26日) - 昭和10年(1935年9月16日)は、明治時代から昭和初期にかけての官僚政治家子爵

生涯

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1872年(明治5年)、旧出石藩主・仙石政固の長男として生まれる。1891年(明治24年)7月、学習院高等学科を卒業。1893年(明治26年)、久邇宮朝彦親王の六女・素子女王と結婚した。1898年(明治31年)、東京帝国大学法科を卒業。1899年(明治32年)11月、高等文官試験に合格。 その後、一時志願兵として近衛師団に入営したが、1900年(明治33年)、足疾のために現役を免除された[1]宮内省諸陵頭などを務めたのち、1923年(大正12年)賞勲局総裁、1925年(大正14年)宗秩寮総裁を歴任した。1934年(昭和9年)5月、貴族院議員に補欠選挙で当選した。1935年(昭和10年)貴族院議員の在職中に死去した。63歳没。墓所は多磨霊園(12-1-5-17)にある。

栄典

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位階
勲章等

家族

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  • 素子(1876年 - 1918年)
久邇宮朝彦親王の六女
子女
華道家元・池坊専永読売新聞グループ本社社主の正力亨は孫娘の夫で、4代目池坊専好池坊美佳正力源一郎は曽孫にあたる。

脚注

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  1. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、320頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  2. ^ 『官報』第7813号「叙任及辞令」1909年7月12日。
  3. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。

参考文献

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  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』(霞会館、1996年)
公職
先代
倉富勇三郎
総裁事務取扱
日本の旗 宗秩寮総裁
1925年 - 1933年
次代
木戸幸一
先代
正親町実正
日本の旗 賞勲局総裁
1923年 - 1925年
次代
江木翼
総裁事務取扱
先代
山口鋭之助
日本の旗 諸陵
1921年 - 1923年
次代
関屋貞三郎
諸陵頭事務取扱
日本の爵位
先代
仙石政固
子爵
出石仙石家第2代
1917年 - 1935年
次代
仙石久英