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新保寅次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新保 寅次
人物情報
生誕 (1874-08-06) 1874年8月6日
日本の旗 日本新潟県
死没 1955年1月1日(1955-01-01)(80歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 国文学教育学
研究機関 広島高等学校山口高等学校校長、松本高等学校
学位 文学博士
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新保 寅次(しんぼ とらじ、1874年明治7年)8月6日 - 1955年昭和30年))は、日本教育者

経歴

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1874年、新保正與の次男として新潟県で生まれ、新保宇源太の養子となった[1]1898年(明治31年)、東京帝国大学文科大学国文科を卒業し、大学院に進んだ。

卒業後は、高田中学校教諭、福岡県立中学伝習館教諭、真岡中学校校長、宇都宮中学校校長、鹿児島県立第二鹿児島中学校校長、山口高等学校校長、松本高等学校校長を歴任し、1932年(昭和7年)から広島高等学校校長を務めた。

受賞・栄典

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  • 從四位、勳三等

家族・親族

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脚注

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  1. ^ 人事興信録データベース
  2. ^ 『北越詩話 坤』、坂口仁一郎、1919年、p476。

参考文献

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  • 新保正樹1997『追想 : 新保正與・磐次・寅次父子』(2012年再版)
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第5版』帝国秘密探偵社、1932年。 
公職
先代
前波仲尾
鹿児島県立第二鹿児島中学校
1915年 - 1919年
次代
江崎誠
先代
香川直勝
栃木県立宇都宮中学校
1911年 - 1915年
次代
岩田静夫
先代
滝川重太郎
栃木県立真岡中学校
1908年 - 1911年
次代
中村寅松