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第25師団 (日本軍)

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國兵団から転送)
第25師団
創設 1940年(昭和15年)7月10日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 満州東寧)-宮崎県
編成地 満州国 東寧
通称号/略称
補充担任 大阪師管大阪師管区
最終上級単位 第16方面軍
最終位置 宮崎県 小林
戦歴 太平洋戦争
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第25師団(だいにじゅうごしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

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満州に駐屯していた2個連隊と内地の1個連隊を以って1940年(昭和15年)7月に満州の東寧で編成され、林口に駐屯する。第5軍隷下で関東軍特種演習(関特演)に参加する。1945年(昭和20年)3月に転用が決まり、本土決戦に備え宮崎県小林に移駐。連合軍と交戦することなく終戦を迎える。

師団概要

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歴代師団長

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  • 桑原四郎 中将:1940年(昭和15年)8月1日 - 1941年(昭和16年)10月15日
  • 赤柴八重蔵 中将:1941年(昭和16年)10月15日 - 1943年(昭和18年)10月29日
  • 加藤怜三 中将:1943年(昭和18年)10月29日 - 終戦

歴代参謀長

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  • 小原重孝 歩兵大佐:1940年(昭和15年)8月1日 - 1942年3月2日[1]
  • 白木真澄 大佐:1942年(昭和17年)3月2日 - 終戦[2]

所属部隊

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師団創設時
  • 師団司令部
  • 第25歩兵団
    • 第25歩兵団司令部
    • 歩兵第14連隊(小倉)
    • 歩兵第40連隊(鳥取)
    • 歩兵第70連隊(篠山)
  • 騎兵第75連隊(堺)
  • 山砲兵第15連隊(信太山)
  • 工兵第25連隊(高槻)
  • 輜重兵第25連隊(堺)
  • 第25師団通信隊
  • 第25師団兵器勤務隊
  • 第25師団制毒隊
  • 第25師団防疫給水部
  • 第25師団病馬廠
  • 第25師団野戦病院
終戦時
  • 歩兵第14連隊(小倉):鎌浦留次大佐
  • 歩兵第40連隊(鳥取):愛甲立身大佐
  • 歩兵第70連隊(篠山):石川条吉大佐
  • 山砲兵第15連隊:原捷吉大佐
  • 工兵第25連隊:藤村忠明中佐
  • 輜重兵第25連隊:新村理市大佐
  • 第25師団通信隊:南口喜秋中尉
  • 第25師団兵器勤務隊:安田商一郎大尉
  • 第25師団衛生隊:河合好雄中佐
  • 第25師団野戦病院:鳥山治正軍医少佐
  • 第25師団防疫給水部:鳥山治正軍医少佐
  • 第25師団制毒隊:服部進大尉
  • 第25師団病馬廠:苧毛功大尉

脚注

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  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』443頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』450頁。

参考文献

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  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

関連項目

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