加藤怜三
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加藤 怜三 | |
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生誕 |
1887年12月15日 日本 東京府 |
死没 | 1968年9月29日(80歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
加藤 怜三(かとう れいぞう、1887年(明治20年)12月15日[1] - 1968年(昭和43年)9月29日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1887年(明治20年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第34期卒業[1]。1934年(昭和9年)に工兵第16大隊長に就任し[2]、1935年(昭和10年)8月に陸軍工兵大佐に進級した[2]。1936年(昭和11年)6月1日に工兵第16連隊長となり[2]、8月1日に陸軍工兵学校教官を経て[2]、1937年(昭和12年)3月に工兵監部員に就任した[2]。
1938年(昭和13年)7月15日に陸軍少将に進級し[2]、中部防衛参謀長に着任[1]。1940年(昭和15年)3月に支那派遣軍総司令部附となり[1]、9月に第11工兵隊司令官(第11軍)[1]、1942年(昭和17年)3月に第3工兵隊司令官(関東軍・第3軍)を歴任[1]。同年4月に陸軍中将に進級し[2]、1943年(昭和18年)10月29日に第25師団長に親補された[1]。福岡県西部に布陣し、本土決戦に備えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
栄典
[編集]- 勲章
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。