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佐々木みき

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐々木 みき
Miki Sasaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1976-12-15) 1976年12月15日(47歳)
出身地 北海道室蘭市
ラテン文字 Miki Sasaki
身長 182cm
体重 77kg
血液型 B型
高校 登別大谷高等学校
選手情報
愛称 レオ
ポジション OH
指高 232cm
利き手
スパイク 317cm
ブロック 307cm
所属歴
1995-1999 ダイエーオレンジアタッカーズ
1999-2001 東洋紡オーキス
2001-2011 パイオニアレッドウィングス
2011 チェルケツコイ
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佐々木 みき(ささき みき、1976年12月15日 - )は、元女子バレーボール選手。元・北海道大谷室蘭高等学校女子バレーボール部監督。株式会社エール所属。

来歴

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北海道室蘭市出身。中学校1年生よりバレーボールを始め、1990年さわやか杯で全国強化選手、翌年の同大会でオリンピック有望選手に選ばれる。登別大谷高校では春高バレーインターハイに出場し、1993年世界ユース選手権準優勝、1994年アジアジュニア選手権準優勝を経験した。

1995年、ダイエーオレンジアタッカーズ入団。1997年第4回Vリーグの優勝に貢献、その後オレンジアタッカーズを経て1999年、東洋紡オーキスに移籍。2000年第7回Vリーグ優勝・ベスト6に輝いた。

2001年、パイオニアレッドウイングスに移籍し、2003年第10回Vリーグでの初優勝に貢献し、最高殊勲選手賞・最多得点・ベスト6に輝き同年全日本代表に復帰。2004年アテネオリンピック出場も果たした。

2007年4月、Vリーグ出場試合が内田役子多治見麻子と共に女子選手歴代4位の232試合(当時)となり、リーグ40回大会を記念し創設された、『Vリーグ特別表彰制度』で長期活躍選手として特別表彰された。

2011年6月にパイオニアを退部。9月6日に、トルコ2部リーグのチェルケツコイへ移籍するとマネジメント会社が発表したが、翌10月に契約解除を受けたと発表された[1]。トルコへは単身で渡ったが、手違いからアパートを借りて貰えずホテル暮らしが続き、給料も出ないという状況で毎日泣いていたという。このままでは病気になると思っていた際に、外国人が一度に解雇され、結局2ヵ月半で退団。ドバイ経由で帰国した[2]

その後現役を引退。バレーボール教室などを展開してきたが、2013年10月に故郷である室蘭市北海道大谷室蘭高校(旧・室蘭大谷高校=母校の登別大谷高校と統合して現校名に)女子バレーボール部のコーチに就任した。コーチ就任当時のインタビューにて、北海道ベスト16まで行ったため、次はベスト8を目標と語った[3]。また、声がかかればコーチ業をまっとうしつつ、現役復帰の意思もあるとも語っていた[4]。2017年度からは監督に昇格し、同年度の第70回全日本バレーボール高等学校選手権大会に出場。3回戦まで進んだ[5]

プレースタイル

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高さとパワーあるスパイクが武器のウイングスパイカー。特にバックアタックの破壊力は日本で一二を争う威力である。強烈なスパイクをもちながらも、体調が崩れない限り安定したパフォーマンスを発揮し、サーブレシーブもこなせる面を持ち合わせ、日本チームの得点源として活躍した[6]

人物・エピソード

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  • 現役時代は独特の中性的(あるいは男性的)なルックスから熱烈な女性ファンが非常に多かった。
  • ダイエー時代に背番号「00」をつけて以来、Vリーグでは一貫して背番号を0番台にしている(東洋紡・パイオニアでは0番)。

所属チーム

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球歴

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受賞歴

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脚注

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外部リンク

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