伊達村儀
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦4年(1754年) |
死没 | 安永7年5月20日(1778年6月14日) |
改名 | 繁太郎(幼名)、村儀 |
別名 | 駿河 |
戒名 | 蔭涼院槐安宗樹大居士 |
墓所 | 岩手県奥州市の大安寺 |
主君 | 伊達重村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 水沢伊達氏 |
父母 | 伊達村利、石川村満娘・千重 |
妻 | 石川村俊娘 |
子 | 村善、村福、村賢 |
伊達 村儀(だて むらのり)は、江戸時代中期の武士。陸奥国仙台藩一門第三席・水沢伊達家8代(留守氏25代)当主。
生涯
[編集]宝暦4年(1754年)3月、水沢伊達氏7代当主・伊達村利の長男として水沢にて誕生。幼名は繁太郎。
宝暦6年(1756年)6月25日、父・村利の死去により家督と知行1万6000石を相続し、水沢邑主となる。明和3年(1766年)9月25日、7代藩主・伊達重村の加冠で元服、一文字拝領して村儀と名乗る。
安永7年(1778年)5月20日死去。享年25。家督は嫡男・村善が相続した。
系譜
[編集]出典
[編集]- 『留守系譜』[要文献特定詳細情報]