コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

伊達村儀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊達村儀
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦4年(1754年
死没 安永7年5月20日1778年6月14日
改名 繁太郎(幼名)、村儀
別名 駿河
戒名 蔭涼院槐安宗樹大居士
墓所 岩手県奥州市の大安寺
主君 伊達重村
陸奥仙台藩
氏族 水沢伊達氏
父母 伊達村利石川村満娘・千重
石川村俊
村善村福村賢
テンプレートを表示

伊達 村儀(だて むらのり)は、江戸時代中期の武士陸奥国仙台藩一門第三席水沢伊達家8代(留守氏25代)当主。

生涯

[編集]

宝暦4年(1754年)3月、水沢伊達氏7代当主・伊達村利の長男として水沢にて誕生。幼名は繁太郎

宝暦6年(1756年)6月25日、父・村利の死去により家督と知行1万6000石を相続し、水沢邑主となる。明和3年(1766年)9月25日、7代藩主・伊達重村の加冠で元服、一文字拝領して村儀と名乗る。

安永7年(1778年)5月20日死去。享年25。家督は嫡男・村善が相続した。

系譜

[編集]

出典

[編集]

関連項目

[編集]