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伊達宗直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊達宗直
時代 江戸時代前期
生誕 寛永3年(1626年
死没 寛文3年5月3日1663年6月8日
改名 小源吾(幼名)、宗直
別名 和泉
戒名 正輪寺殿機峰用公大禅定門
墓所 岩手県奥州市瑞山神社
主君 伊達忠宗綱宗綱村
陸奥仙台藩
氏族 水沢伊達家
父母 伊達宗利小野勝久娘・多与
兄弟 宗直、池照院、伊達宗清正室
伊達定宗娘・多与
宗景、猿松
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伊達 宗直(だて むねなお)は、江戸時代前期の武士陸奥国仙台藩一門第三席水沢伊達家3代(留守氏20代)当主。

生涯

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寛永3年(1626年)、水沢伊達家2代当主・伊達宗利の嫡男として誕生[1]

寛永15年(1638年)8月、父・宗利の死去に伴い13歳で家督を相続し、水沢城主となる。寛永21年(1644年)、寛永検地の結果を受けて3,000石を加増され、知行高が13,000石となる。宗直は、宗利が進めていた水沢城下町の整備を引き継ぐと共に、キリシタンからの改宗を拒んで仙台藩から出奔した福原館主・後藤寿庵の旧臣87人を家中に加えて新田開発に従事させるなど(福原足軽)、水沢領の本格的な開発に取り組んだ。その結果、寛文2年(1662年)6月10日には切添新田(拡張開墾地)として1,277石が加増された。

寛文3年(1663年)5月3日死去。享年38。嫡男・宗景が家督を相続した。

系譜

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脚注

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  1. ^ 水沢伊達氏の水沢城入部は寛永6年(1629年)で、この時点で宗利はまだ金ヶ崎城主である。

関連項目

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