伊達宗直
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永3年(1626年) |
死没 | 寛文3年5月3日(1663年6月8日) |
改名 | 小源吾(幼名)、宗直 |
別名 | 和泉 |
戒名 | 正輪寺殿機峰用公大禅定門 |
墓所 | 岩手県奥州市の瑞山神社 |
主君 | 伊達忠宗、綱宗、綱村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 水沢伊達家 |
父母 | 伊達宗利、小野勝久娘・多与 |
兄弟 | 宗直、池照院、伊達宗清正室 |
妻 | 伊達定宗娘・多与 |
子 | 宗景、猿松 |
伊達 宗直(だて むねなお)は、江戸時代前期の武士。陸奥国仙台藩一門第三席・水沢伊達家3代(留守氏20代)当主。
生涯
[編集]寛永3年(1626年)、水沢伊達家2代当主・伊達宗利の嫡男として誕生[1]。
寛永15年(1638年)8月、父・宗利の死去に伴い13歳で家督を相続し、水沢城主となる。寛永21年(1644年)、寛永検地の結果を受けて3,000石を加増され、知行高が13,000石となる。宗直は、宗利が進めていた水沢城下町の整備を引き継ぐと共に、キリシタンからの改宗を拒んで仙台藩から出奔した福原館主・後藤寿庵の旧臣87人を家中に加えて新田開発に従事させるなど(福原足軽)、水沢領の本格的な開発に取り組んだ。その結果、寛文2年(1662年)6月10日には切添新田(拡張開墾地)として1,277石が加増された。
寛文3年(1663年)5月3日死去。享年38。嫡男・宗景が家督を相続した。