伊達宗景
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伊達宗景(大安寺蔵) | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 慶安3年12月7日(1651年1月28日) |
死没 | 延宝3年3月14日(1675年4月8日) |
改名 | 寅之助(幼名)、宗景 |
別名 | 上野 |
戒名 | 照岳協公大居士 |
墓所 | 岩手県奥州市大安寺 |
主君 | 伊達綱宗、綱村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 水沢伊達家 |
父母 | 伊達宗直、伊達定宗娘・多与 |
兄弟 | 宗景、猿松 |
妻 | 松平忠久養女・悦子 |
子 | 村任 |
伊達 宗景(だて むねかげ)は、江戸時代前期の武士。陸奥国仙台藩一門第三席・水沢伊達家4代(留守氏21代)当主。
生涯
[編集]慶安3年(1651年)12月7日、水沢伊達家3代当主・伊達宗直の長男として伊澤にて誕生。正室は悦子(月光院、松平忠久養女、黒田光之三女)。
万治2年(1659年)、江戸幕府の証人を務めるために江戸に下向し、元服する。3代藩主・伊達綱宗より偏諱を受けて宗景と名乗る。万治3年(1660年)、江戸城で4代将軍・徳川家綱に拝謁し、時服を賜る。
寛文3年(1663年)5月、父・宗直の死去により家督相続する。寛文7年(1667年)江戸詰めの際に、福岡藩3代藩主・黒田光之の二女・悦子と恋仲になり翌年室に迎える。この際、国主の姫と陪臣との婚姻は身分不相応であったため、家老の中目興三郎らが奔走し、旗本の松平忠久の養女として宗景に嫁いだ。
寛文10年(1670年)、伯父涌谷伊達宗重と登米伊達宗倫の所領紛争が、藩主後見・伊達宗勝の介入で、宗重に一方的に不利な裁定となったことをきっかけに、宗重は、宗勝の専横を幕府に訴えることになる。宗景は、伯父宗重の側の立場から、舅松平忠久の協力を仰いだ。
延宝3年(1675年)3月14日、仙台で死去した。享年26。嗣子がなく、4代藩主・伊達綱村の実弟・村任が遺跡を相続した。
出典
[編集]- 『水沢町誌』[要文献特定詳細情報]