石川村俊
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保11年11月3日(1726年11月26日) |
死没 | 宝暦12年5月29日(1762年7月20日) |
改名 | 深力(幼名)→村俊 |
別名 | 主馬 |
墓所 | 宮城県角田市の長泉寺 |
主君 | 伊達吉村→宗村→重村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 角田石川家 |
父母 | 父:石川村満、母:小野寺氏娘・歴 |
兄弟 | 村俊、千重(伊達村利正室) |
妻 | 正室:伊達村緝娘・理代姫 |
子 |
源太郎、俊明、勇五郎、村文、純晴、 通忠、伊達村常 |
石川 村俊(いしかわ むらとし)は、江戸時代中期の武士。陸奥国仙台藩一門筆頭・角田石川家8代当主。
生涯
[編集]享保11年(1726年)11月3日、角田石川家7代当主・石川村満の長男として誕生。幼名は深力。享保19年(1734年)嗣子と定められる。
元文元年(1736年)11月、元服し、5代藩主・伊達吉村の偏諱を受け、主馬村俊と名乗る。寛延2年(1749年)9月、父・村満の死去により家督を相続し角田邑主となる。
延享5年(1748年)、6代藩主・宗村帰国許可の謝使として江戸に上り、江戸城で9代将軍・徳川家重に拝謁する。宝暦6年(1756年)7代藩主・重村の家督相続御礼言上の際に、将軍・家重に拝謁する。
宝暦12年(1762年)5月29日、死去。享年37。家督は嫡男・村文が相続した。
出典
[編集]- 『源流無尽』
関連項目
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