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伊達村常

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊達村常
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦9年(1759年
死没 享和3年11月11日1803年12月24日
別名 此面、安芸(通称
主君 伊達重村斉村周宗
陸奥仙台藩
氏族 角田石川家涌谷伊達家
父母 石川村俊伊達村緝
伊達村倫
兄弟 源太郎、俊明、勇五郎、石川村文
純晴、通忠、村常
中島実信
村清、恒、良、但木直行中島清徳
坂常直下郡山常陳任行、利野
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伊達 村常(だて むらつね)は、江戸時代中期から後期にかけての武士陸奥国仙台藩一門第四席涌谷伊達家9代(亘理氏27代)当主。

略歴

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宝暦9年(1759年)、石川村俊の九男として誕生。安永5年(1776年11月20日伊達村倫が危篤に陥ると仙台藩7代藩主・伊達重村の命により、後嗣となる。安永6年(1777年2月25日、家督を継ぎ、重村の偏諱を受けて村常を改め、安芸(通称)を称する。安永7年(1778年6月21日中島実信の娘を室に迎える。安永8年(1779年9月25日、嫡子・源五郎(後の伊達村清)が産まれる。

安永10年(1781年3月26日、一女・恒が産まれるが早世する。天明2年(1783年6月17日、一女・良が産まれる。天明3年(1784年3月15日、側室の子・熊次郎が産まれる。同年3月23日水沢伊達氏伊達村福の家政輔監となる。天明4年(1785年1月19日、次子・兵三郎が産まれる。天明5年(1786年1月27日、三子・此面が産まれる。同年8月26日、側室の子・元三郎が産まれる。寛政元年(1789年11月24日、四子・千熊が産まれる。

寛政8年(1796年4月21日、仙台藩前藩主・伊達重村、同年8月21日、藩主・伊達斉村が相次いで病死すると幼少の政千代(後の伊達周宗)が宗家家督を継ぐが、村常、伊達村氏(亘理伊達家)、伊達幸充(登米伊達家)が呼ばれて年番(3交代)の補佐役に任じられ、重村の弟で幕府若年寄堀田正敦近江国堅田藩主)がその後見人になった。

享和2年(1802年)11月、涌谷妙見社奥院を建築した。享和3年(1803年)11月11日、脳卒中により病死した。享年45。

系譜

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偏諱を受けた人物

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関連項目

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先代
伊達村倫
涌谷伊達家
9代
次代
伊達村清