石川村満
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永2年1月16日(1705年2月9日) |
死没 | 寛延2年9月7日(1749年10月17日) |
改名 | 源太郎(幼名)→村満、 |
別名 | 駿河、修理、大和 |
墓所 | 宮城県角田市の長泉寺 |
主君 | 伊達吉村→宗村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 角田石川家 |
父母 |
父:石川村弘 母:佐藤大兵衛娘・羽根子 |
兄弟 |
村満、屋与子(伊達村緝正室)、 小梁川盛明 |
妻 |
正室:白川村光娘・長姫 継室:西大條義諫娘・八重 側室:小野寺氏娘・歴 |
子 | 村俊、千重(伊達村利正室) |
石川 村満(いしかわ むらひろ)は、江戸時代中期の武士。陸奥国仙台藩一門筆頭・角田石川家7代当主。
生涯
[編集]宝永2年(1705年)1月16日、角田石川家6代当主・石川村弘の長男として誕生。幼名は源太郎。
正徳2年(1712年)2月、父・村弘の急死により家督を相続し角田邑主となる。正徳5年(1715年)1月15日元服し、5代藩主・伊達吉村の偏諱を受け、駿河村満と名乗る。後に名を、修理、大和と改めた。
享保8年(1723年)8月の大雨により堤防が破損し角田が洪水で被災。領内の16歳から60歳の男子を動員し堤防の修復にあたる。村満自ら鋤を取って工事を督励した。
寛延2年(1749年)9月7日死去。享年45。家督は嫡男・村俊が相続した。
出典
[編集]- 『源流無尽』
- 『石川氏一千年史 続編』
関連項目
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