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プロジェクト‐ノート:鉄道/駅/過去ログ6

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「駅構造」の「のりば」の方面表記について

「駅構造」の「のりば」における「○○方面」というのは「実際に○○方向へ直接向かう電車が利用する」と解釈してよろしいのでしょうか?(過去の議論を探して見ましたが、私の読解力不足か適当そうな物が見つからなかったので…)

具体例を挙げますと、名古屋鉄道路線図)において本線須ヶ口駅から尾西線森上駅へ向かうには、津島線津島駅か本線一宮駅で乗換えなければなりません。須ヶ口駅では乗換えに適当なタイミングでに乗換駅に到着する電車に「森上方面乗換」と構内案内板などでアナウンスされますが、これはのりばにおける「森上方面」とは異なると考えて不適当と判断いたしましたが、利用者:Takashi Ito会話 / 投稿記録さんはこれを「森上方面」と判断して編集を行いました

これ以前には津島線の各駅に(アナウンスされない上乗換えが必要な)「森上方面」を追加されており、こちらについてはノートで指摘して納得いただけたようですが、鉄道駅関連の記事は関わってきませんでしたので、乗換えて○○方面へ行く以上「○○方面」ではないと判断したことが正しいかどうかをご教授願えますでしょうか。--AsellusTalk 2011年3月27日 (日) 14:26 (UTC)

自治体別鉄道駅カテゴリについて

最近、駅記事カテゴリのガイドラインの作成条件を満たさない、記事数の少ない自治体別鉄道駅カテゴリが多数作成されています(Category:羽村市の鉄道駅など)。Category‐ノート:日本の鉄道駅 (市町村別)でこのことに対しての意見が募集されていますので、よろしければご意見をお願いします。--ウース 2011年10月19日 (水) 08:05 (UTC)

「同一の駅」と「同一駅名・同一市町村で所在地が異なる駅」

甘木駅和田岬駅を事業者別に分割する、すなわち「同一の駅」ではなく「同一駅名・同一市町村で所在地が異なる駅」とみなす形に変更することが提案されています(特に甘木駅は何度か同種の提案が出たものの、実行されないままになっています)。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/駅#異なる事業者同士の乗換駅の記事について(過去ログ)やプロジェクト‐ノート:鉄道/駅#ターミナル駅の記述スタイル全般についての蒸し返しのようになりますが、「同一の駅」と「同一駅名・同一市町村で所在地が異なる駅」の境界って何なのでしょう。分割すべきかどうかはそれぞれの記事のノートで個別に話し合うべきでもありますが、大まかな目安として一般的なご意見をいただければと思います。ノート:甘木駅ノート:和田岬駅では分割すべきという意見について「駅の位置が離れており、なおかつ連絡運輸がない」というのが根拠として挙げられています。ただ(杞憂かもしれませんが)どの程度の距離があれば駅が「離れている」といえるのかパラドックスになりそうな気もします。--Muyo 2012年2月15日 (水) 12:39 (UTC)

同じ場所にあって名前が違う駅(阿部野橋・天王寺など)があるのを考えると和田岬や甘木が同一になっているのは違和感を覚えます。同一にするのは東福寺や新今宮、関西空港、三国ケ丘など乗換改札があったり、京都など駅施設が同一のところに限定してはどうでしょうか。阪急梅田、阪神梅田、地下鉄梅田が同居しているのは驚きました。--Yamatochem 2012年2月15日 (水) 16:18 (UTC)
中立 - 今回の分割根拠から考えると、例えば
  • 「駅の位置が離れており、なおかつ連絡運輸がない」のに記事が統合されている記事 - 例:甘木駅
  • 「駅の位置が離れており、なおかつ連絡運輸がない」のに記事が分割されている記事 - 例:草薙駅 (静岡鉄道)草薙駅 (JR東海)
といったように対応がバラバラになっていることになります。なんというか、現状を顧みると統一基準を設けること自体ナンセンスなのかもしれません(画一的な基準を決めようとするとMuyoさんの仰るような問題も起きそうですし)。
また、節題からそれますが「隣接する駅名の異なる駅」にしても『豊橋駅新豊橋駅駅前駅』に対して『富山駅(含む電鉄富山駅・富山駅前駅・富山駅北駅)』とか、『可児駅新可児駅』に対して『西金沢駅(含む新西金沢駅)』とか、およそ統一基準が存在するとは思えない混沌とした状態です。単純に「同じ駅名なのに違う記事」「同じ駅名だから同じ記事」「違う駅名だから違う記事」「違う駅名なのに同じ記事」という4つが全て成立する状況下では、ノート:甘木駅における『「甘木」は同一駅名だから同じ記事で、「成田/京成成田」「河内磐船/河内森」は駅名が違うから別記事』という「駅名の違い」のみの観点からの意見には説得力を失います。
結局、現状は各自バラバラの対応をしている感じなので、統一基準を求めるのであれば対処すべき記事が増えそうです。
余談:これらの統合/分割基準って(記事によってはあるかもしれませんが)基本的に外部典拠ではなくJaWP内の基準により決められているものだからこのようなことになるのかな…と思います。もしそうならば文章量(肥大化)による見辛さを基準に分けてもいい気がする。その場合少なくとも甘木駅は分割不要、和田岬駅は各人の閾値による(自分は不要かと思う)。--ButuCC+Mtp 2012年2月15日 (水) 17:27 (UTC)
同居させていることによって起きている問題としては、駅周辺の施設の羅列がどちらの駅所在地を基準にしているのか読者には分かりません。甘木駅では丁寧にメートルで表していますが、どちら基準なのかまったく分かりません。--Yamatochem 2012年2月15日 (水) 22:55 (UTC)
コメント - 梅田駅については記事量が肥大化したために過去に分割が議論されましたが、見送られています(ノート:梅田駅/過去ログ1参照)。こういう大きなターミナル駅の場合は、バスターミナル記事だけ分割した新宿駅のような例があります。私が関わった中だと早稲田駅は記事量はそれほどではありませんでしたが、地下鉄と都電が相当離れていて、地下鉄路線図などでも乗り換え駅としての案内がされていなかったため反対がなく分割されてます。ま、いろんな文献や駅構造や連絡運輸の有無などを勘案して、各記事で判断するしかないんじゃないかと思います。--UE-PON2600 2012年2月17日 (金) 15:40 (UTC)
コメント参考になればと、ノート:梅田駅/過去ログ1を拝見させていただきましたが、途中から議論とはとても言えないような喧嘩状態になっているように見えました。4年ほど前の議論のようですが、驚きました。軽い気持ちで触れると溺れてしまいそうですね。--Yamatochem 2012年2月19日 (日) 18:38 (UTC)
議論が止まっているようなので、拙の考えを述べます。JR時刻表など信頼できる書籍の情報源において同一駅、連絡駅として認識しているものは同一記事、していないものは別記事にすれば問題ないかと思われます。--Yamatochem 2012年2月22日 (水) 06:00 (UTC)
和田岬駅を見ていて感じたのですが、もっと深く話題を掘り下げた方が良かったのではと思います。ノート:和田岬駅‎にも書いたのですが、単純に乗換駅か否かで考えるのではなく、隣接する駅との関係や、現在起こっている話題など採り上げて、考えた方が良かったと思います。記事を一つにする・分割する。一長一短有りますけど、特殊事情を反映して、一律にこだわる必要も無いと思います。--Taisyo 2012年2月25日 (土) 14:44 (UTC)
コメント Taisyoさんと同じ意見です。当方の場合はノート:六地蔵駅なんですが、当初は分割反対寄りではあるが「まぁどっちでもいっか」程度の意見でしたけれども、突き詰めていくと「連絡駅の定義」も多様であるほかそれを企図(都市計画など)して設置されている可能性への考慮のほか、「立地する自治体が違う」からといって機械的に分割するというのは、かえって実態の理解を損なうと思い至り、結局は明確な分割反対の意見になってしまいました。鉄道駅ってのは特にその立地とか利用実態・地元(都市計画)とのかかわりにより左右される部分が大きい案件ですから、一律に決めるよりはケースバイケースにせざるを得ないものであり、むやみな拘束をかけないほうが、データベースではなく「事物の総合的な理解」に資する百科事典の執筆のために適切ではないかと思います。(事物の理解や読者の利便よりも優先して「機械的に、様式美だけにとらわれた記事」を作成することがあるなら、最も愚かな事です。)--Si-take.会話2012年4月24日 (火) 03:56 (UTC)
もう一つ、本通駅を見ていて気がついた落とし穴なのですが(決して記事統合に反対する意味ではありません)、位置が殆ど同じ駅でも周辺が異なる場合が存在する場合が存在するので、それらも考慮の必要性があると感じました。先の意見にも書いたのですが「隣接駅との関係」で、新交通システムの場合には駅間が長いので比較的広範囲が周辺になるのですが、路面電車の場合には範囲が狭くなる(次の駅の方が近い)例が発生しています。後、路線も関係してきます(次駅が系統により異なる場合がある)。安直に、同じ場所だから周辺が同じと考えるのは非常に恐ろしいのではと思います。十分に注意をと思います。--Taisyo会話2012年6月22日 (金) 12:30 (UTC)

駅の記述ガイドラインの改定について

プロジェクト:鉄道#駅の記述のうち、「記述項目および順序」についての改定を提案します。現状のガイドラインでは、歴史節が駅周辺やバス路線の節よりも後ろに記載されており、本末転倒に感じられます。本来百科事典的に駅を記述するなら真っ先に記載されるべき内容だと考えます。したがって、歴史節を前に出すように改定したく思います。また、全般に箇条書きによる記載がまだまだ多くみられるので、文章による記述をすべきことを全体に明記したいと考えています。具体的には、/駅の記述ガイドライン改定案_20120313に案をまとめました。ご意見あればよろしくお願いいたします。--Tam0031会話2012年3月13日 (火) 14:03 (UTC)

私も歴史節が後ろにある、つまり扱いが小さいことに不満を持っています。
豊橋駅二川駅の記事を最近加筆した際、ためしに「歴史」をメインに据える書き方を試しました。その際記事のノートにも書いたことですが、「記事の上に来るものほどメイン」ですよね。文献で取り上げられるのは圧倒的に「歴史」であって「構造」を取り上げる文献はごく少数である。よって、「歴史」が「構造」の下に記述されるのはおかしい。そう考えております。
独自研究でやたらと水増しされた「構造」がメイン(上)では駄目でしょう。とは言っても、数行の年表だけの「歴史」を前に出しても無意味に思いますので、加筆せずにただ単に順番を入れ替える編集は控えたいですね。--継之助 2012年3月13日 (火) 15:20 (UTC)
基本的には賛成です。ただ、個人的に加筆していった広島駅が周辺と歴史を合わせた様な節構成にしています。無理にガイドラインに合わせる形で節割りするのが本当に良いのかなと考えます。他にも、独自形態とかあると思うのでガイドラインに柔軟性を持たせて欲しいとは思います。--Taisyo会話2012年3月20日 (火) 02:01 (UTC)
とりあえず広島駅こちらの版で新ガイドラインに対応した形にしてみました。文章量はそれなりにあるので、ガイドラインの良い点悪い点がわかりやすいと思いますが。--Taisyo会話2012年3月20日 (火) 02:18 (UTC)
あくまでガイドラインなので、標準的な節構成ということです。理由があれば各記事で変えても構わないでしょう。ただ、歴史を上に書くのを標準にしたいということです。
1週間待って、特に異論らしいものはないので、ガイドラインに反映したいと思います。ご意見ありがとうございました。--Tam0031会話2012年3月20日 (火) 15:58 (UTC)

閉じておりますが、コメントを。ガイドラインそのものには特にコメントはございません。唯一、これらを修正するにあたっては、加筆や出典付けを行う際にあわせて行うようにしてください、との注記等があったほうが良いかもしれません。--東京特許許可局会話2012年3月21日 (水) 13:11 (UTC)

改定後の問題

広島駅長崎駅などで歴史項がガイドラインに沿って移動されていますが、それにより一番上の駅情報テンプレートの所属事業者の駅詳細をクリックすると、駅構造のところではなく歴史のほうに移動してしまいます。一方、博多駅で実施したところ歴史項に移動せずうまくいきました。このようなことになってますが、どうすればいいですか。終わった議論のとこに書いても大丈夫だったでしょうか?--Saka320会話2013年3月30日 (土) 13:25 (UTC)

同じ名前の節が複数あるからです。たとえば長崎駅の例だと、JR九州という節が複数あるので、[[#JR九州]]というリンクをクリックすると、一番最初のJR九州節に飛んでしまい、後の方のJR九州節にリンクすることができません。節の名前を変更して重複しないようにするしかないと思います。--Tam0031会話2013年3月30日 (土) 13:35 (UTC)
節の名前を目立たないように変更しました。これでどうでしょうか?--ShikiH会話2013年3月30日 (土) 14:35 (UTC)
重複する場合は番号を追加すれば解決しますよ(Help:セクション#特殊な例)。「広島駅#広島電鉄_2」という具合に。--継之助 2013年3月30日 (土) 14:52 (UTC)
みなさんご意見ありがとうございました。上記のような形で歴史項の移動と修正よろしくお願いします。--Saka320会話2013年3月31日 (日) 14:45 (UTC)
ShikiHでございます。勉強になりました。継之助さん、ありがとうございます。ところでテンプレートから記事へのリンクはあったほうがいいのでしょうか。テンプレートの目的は、概要を一目でわかるようにまとめることです。ここからクリックして記事へ行くのは本来のあり方ではないような気がします。詳細への案内としては目次があります。色々書くと、テンプレート本来の機能を失いかねません。テンプレートに書いてある駅詳細ってどういう意味か、読者に理解されるでしょうか。みなさん、長崎駅 (長崎県)のテンプレートをご覧の上、是非を検討してくださいませんか。--ShikiH会話2013年3月31日 (日) 15:09 (UTC)

駅ホームの配線の数え方について

テンプレート内の駅ホームの配線の1面2線であるとか2面4線であるという数え方について。通過線を含める場合と含めない場合とに分かれているケースが見受けられます。例えば、同じような配線でいえば鮫洲駅は1面4線であるとし、八幡山駅は備考に通過2線を含むとして1面4線とあります。一方、瑞江駅では1面2線、別に通過線2線となっており、葛西臨海公園駅三島駅では1面2線として通過線を数えておりません。全く同じような構造なのにバラバラな書き方です。

これが会社ごとに統一されていればまだ分かるのですが、例えば東急では上野毛駅は1面3線とする一方で元住吉駅は2面4線として通過線を含んでいません。側線もあるので全部含めて書くときりがありませんが、通過線は側線ではないのですから含めるべきなのではないかと思います。ガイドラインで、ある程度定めた方が良いのではないでしょうか。ご意見お願い申し上げます。--UE-PON2600会話2013年1月27日 (日) 16:03 (UTC)

私は上の方に賛成します。個人的には、通過線を別にして●面●線と通過線●線とするべきだと思います。この方がホームの数や通過の可否などが分かりやすくなると思うからです。 こうでなくても、統一の基準を設けることは、全体として記事の書き方の統一性を上げることだと思うのでに賛成します。--ぎあん(会話) 2013年3月2日 (土) 0:13 (UTC)

ホームとあるわけですから通過線を含めるのはおかしいでしょう。プラットホームの記事にも「面」はプラットホームの数、「線」はホームに接する線路の数であるとあります。あくまで、ホームに接している線路のみをカウントし、通過線はホームに接してないのですから、ホームの配線に含めるべきではありません。--TOTOBIG会話2013年3月16日 (土) 07:34 (UTC)

ニューヨーク市地下鉄の駅名に用いられるハイフン等についてのローカル・ルールの提案

この提案は、先行して井戸端で行なわれている議論「Wikipedia:井戸端/subj/駅名記事等、地名記事名における半角スラッシュの使用について」を踏まえておりますので、併せてそちらもごらんください。

とりあえず、当面はニューヨーク市地下鉄の駅に関するルールとして、「プロジェクト:鉄道#駅記事名」の末尾に次のように項目を追記することを提案します。

  • ニューヨーク市地下鉄の駅については、次の要領に従う。
    • 英語で「(序数) Street」、「(序数) Avenue」と表現される駅名中の街路名は、「(算用数字)丁目」、「(算用数字)番街」とする。それ以外の「Street」、「Avenue」は、それぞれ「ストリート」、「アベニュー」とする。
    • 英語で「-」ハイフンを用いて街路名や施設名等を結んでいる駅名においては、「-」ハイフンにあたる部分は日本語でもハイフンのままとする。
    • 英語で「/」スラッシュを用いて駅名を結んでいる乗り継ぎ駅(ステーション・コンプレックス)名においては、「/」スラッシュにあたる部分は日本語でもスラッシュのままとする。
    • 英語においてハイフンやスラッシュの前後に空白があるかないかに関わらず、日本語ではハイフンやスラッシュの前後に空白を入れない。
      42nd Street / Fifth Avenue – Bryant Park (New York City Subway)42丁目/5番街-ブライアント・パーク駅

ご検討をよろしくお願いいたします。--山田晴通会話2013年3月18日 (月) 13:56 (UTC)

提案から2週間、議論活性化のためのコメント依頼から1週間が経ちましたが、特にご異論はありませんので、ルールへの追記を行います。今後、関連する記事の修正を順次行ないますが、見落としも出てくるものと思われますのです、この新たなルールから外れた例を見かけられた方は、編集にご協力ください。よろしくお願いいたします。--山田晴通会話2013年4月3日 (水) 01:11 (UTC)

駅廃止後の記事名の扱いについて

駅記事は現在廃止された場合、単純に廃駅となった場合はそのまま、信号場に格下げされた場合は、信号場に記事名変更になっていると思われます。ここでノート:海峡線にも書いた関連で、疑問なのが、駅廃止後に鉄道事業者の施設となった場合、記事名をどのようにすればいいのか判断がつきにくい状態です。これに該当するのが、竜飛海底駅吉岡海底駅なのですが、この2駅は廃止後もそれぞれ「竜飛定点」「吉岡定点」と言うJR北海道の施設(避難所)として存続することになります。既に前掲のノートにも質問していますが、こちらでも確認のため質問とさせていただきます。--アストロニクル会話2014年1月2日 (木) 01:26 (UTC)

駅記事に関する疑問

私は、駅記事の記述項目および順序を拝見して一つ疑問があります。それは歴史節がなぜ概要節と駅構造節の間にあるかということです。歴史節が前にあると違和感を感じます。私はバス路線節とその他節の間にあればよいと思いますが、なぜそのように決定した経緯を教えてください。--御坊人会話2014年9月15日 (月) 02:22 (UTC)

上の方の目次番号47番あたりにある「駅の記述ガイドラインの改定について」で議論されました。ご覧ください。--ShikiH会話2014年9月15日 (月) 05:19 (UTC)

各駅記事における一日平均乗車人員節の問題について

  • 先頃何となくおまかせ表示で飛んだ徳重駅 (名古屋市)を見たところ、利用状況節の一日平均乗車人員数の説明において出典が付いておらず、何故か5営業日分しか運営していない2010年度分の平均乗車人員が記載されおり、疑問に思って数字の根拠になっていると思われる平成25年版名古屋市統計年鑑 11.運輸・通信項の「11-4.市営地下鉄各駅の乗車人員」のデータを確認した所、そもそも名古屋市統計年鑑では一日平均乗車人員数などというモノを発表しておらず、年間での乗車人員数を各執筆者がWikipediaに加筆する際勝手に営業日数で割って添付しているらしいことが判明しました(名古屋駅#利用状況節等では総数を365および366で除した人数。と加筆者自らが出典の解釈を行ったことを公言しています)。更に気になって調べていくとこういった行為は利用状況節が設けられている大半の駅記事で根拠となっている出典では年間乗車人員数しか公表されていないのに、Wikipedia側で加筆する際に編集者が勝手に日割り別に計算し直して記している実態に気付かされました(特に名古屋市営地下鉄のデータは人当りで公表している一方、東京都のデータは昭和44年まで人単位で出していたもの[1]と昭和45年以降千人単位で公表するようになったデータ[2]渋谷駅#年度別一日平均乗車人員(1953年 - 2000年)等で加筆者が何の注記もなく一緒くたにして勝手に日割り計算し記載しています)。またTemplate:駅情報にも乗車/乗降の記載欄が組み込まれており、統計資料に基づく駅の1日あたりの乗車人員または乗降人員を記載せよとありますが、私の調べた範囲では関東の私鉄各社が構成する関東交通広告協議会が発表するデータ等では日別の乗降数が公表される一方、[3]、上記で示したデータを含む大半の鉄道事業者は年単位/月単位の乗降総数公表しかしていないのにもかかわらず、同じように編者が勝手に日割り計算を行い独自のデータを加筆/更新し続けています。こういった行為はWikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料における一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません。に明確に違反しており、(余りに同様の記載が多く早急の記述修正は難しいですが)キチンと該当箇所を出典に基づいたデータ(年間単位なら年間の、月別なら月別の乗車人員総数節)に改めた上で、当プロジェクト自体においてもこういったWikipediaの編集方針に明確に反する情報の混成や独自計算を再発防止のためプロジェクトのルールとしてもハッキリと禁止事項として言明すべきだ(プロジェクト:鉄道#駅の記事の記述プロジェクト:鉄道/駅#記事のスタイルには利用状況節の取り扱いについて触れられていますが、編集時の注意文としては弱く、今回の調査の通り実際全く機能していません)と考えますが如何でしょうか。--タールマン会話2015年1月2日 (金) 03:49 (UTC)
例えば、広島駅#利用状況ですが、注記入りの形で書いています。年により年単位・日単位。さらには乗車人員と降車人員がくっついていたり分かれていたりします。まず、こだわっているのは「生データの記載」はこだわっています。さらには算出方法も入れています(もっとも、多少以前の記述ですのでインライン出典を入れていません。本来は入れられる物であり、元資料もありますが(自宅に仮に焼いた資料が無いにしても、図書館などで再確保は出来る)、他にやりたいことが多くて手を出していない状況です。)。本来であれば、算出値は望ましくはない部分がありますが、乗降数グラフを作成するのであれば、同じ目安の値に強制的に合わせないといけないです。また、乗換駅間で基準となる単位が違う場合があったりもしています。記載方法については工夫が必要に思います。ただ、駅間で統一された基準がないのは、仕方ない部分なのかも知れません。最低でも「生データの記載」と「算出方法」は入れるべきだと思います。--Taisyo会話2015年1月2日 (金) 04:14 (UTC)
出典を複数で用意すると、駅によって年度によって算出の方法や(サンプリング式であれば)集計期間が異なるなどの問題があると考えられますし、同一駅のデータでも根拠となる部分で疑義が出てくると考えられます。データに関して使用するならば、駅ごとは無理にしても路線ごとや地域ごと、あるいは鉄道会社ごとにどういう出典によって記述するべきかを定めておく必要があるのではないでしょうか。それらが用意できない場合は節として独立させる必要がないでしょうし、何か別の節に統合してしまうのも手だと考えられます。自分で一次データを計算して算出したデータを使うのは駄目であるということは明記する必要でしょう。-アルトクール(/) 2015年1月3日 (土) 04:23 (UTC)
コメント コメント依頼から参りました。類似の例としてですが、競馬の競走記事では一次資料に「賞金総額」の記載がないにもかかわらず、加筆者が独自に1着賞金から5着賞金までを合計して賞金総額を記載していた例があります。PJ競馬でも議論の俎上にあがったのですが、「出典に明記のない賞金総額を、執筆者が勝手に計算して掲載するのはNG」という方向性で、順次書き直しを行っています。競馬主催者ごとに「賞金」の取り扱いがバラバラですから、統一することはできません。鉄道分野でも、基本的には一次資料に則って書くべきで、執筆者が資料から勝手に計算して掲載するのはNGと考えます。鉄道の場合でも会社や路線ごとに算出基準がバラバラでしょうから、どれかに統一するのは困難だと思います。そこは個別に「数値は出典に拠った」とでも一文つけ加えておけばよいでしょう。出典がバラバラなことによるならば、それは大元となる出典資料の編纂者に責があるのであって、ウィキペディアが責を追う性質のものではないと思います。--HOPE会話2015年1月5日 (月) 02:14 (UTC)
コメント コメント依頼からです。HOPEさんと同様、私もPJ競馬にいる者です。この件に限らず、あちこちのプロジェクトが「表記の統一」や「テンプレートの整備」を行ってきたことは立派な実績と思いますが、2015年現在のウィキペディアのルール・価値観からみると、昔のスタイルは今となっては時代遅れ・不十分になってきている、というところだと思います。基礎的な情報・テンプレートほど、初期(おそらく2005年から2006年頃)に整備されているだろうと思いますが、ウィキペディア全体として出典に対する厳格さは10年かけて大幅に強化されており、今の基準でみるとちょっと難がある、ということにはなっちゃうでしょう。テンプレート内の情報に関する出典とか、たいていのジャンルでは整備されていません。
書式を統一するのは便利ですし、「統一したい」という気持ちはとても理解できるのですが、今のウィキペディアの価値観では、「統一すること」を優先して出典が疎かになるというのは本末転倒ということになるでしょう。キレイに統一されていることよりも、出典に基づいていることが今は優先されるべきで、そのためにテンプレートの大掛かりな修正はいずれ避けられないように思います。いちど行き渡ったテンプレート・スタイルを是正するのは大変ですけども。まあ、急ぐ必要はないと思いますし、小手先の修正じゃなくて、じっくりと時間をかけて新しいテンプレートをいちから作り直すぐらいの感じでやってはどうでしょう。10年かけて起きた変化への対応なので、作業に2,3年か、それ以上を要してもいいんじゃないかなと思います。--柒月例祭会話2015年1月5日 (月) 03:27 (UTC)
コメント 元々、このページはウォッチリストに入れておりますのでコメントの推移を注視しておりましたが、コメント依頼がされているのを知りましたので意見致します。以前から利用状況については出典が示されないケースが多数あり、苦々しく思っておりました。Taisyoさんの紹介された広島駅の例ですが“以下の情報は、広島市統計書及び広島市勢要覧に基づいたデータである”と書いていても、それぞれが何年度の統計書あるいは要覧に基づいたデータなのか全く示されておらず出典として見なされない可能性があります。現在の状況では出典無しとして全削除されても文句は言えないでしょう。徳重駅についても同様です。
1日あたりの平均数を算出するのは方針違反の可能性が強いですから基本的に改めていくのが良いかと思います。また、乗換駅で会社ごとのデータの出し方が違うなら、無理に合わせずにそのまま載せればいいしょう。A社が「乗車人員」でB社が「乗降人員」なら、それぞれがそういう数字だとはっきり分かるようにして、あとは記事を閲覧した方がそれを基に判断すればいいことではないでしょうか。--UE-PON2600会話2015年1月5日 (月) 14:44 (UTC)
年単位の統計数値が四捨五入などのまとめる処理をせずに一人まで記述されていたら計算しても間違いといえないでしょうが、そうでない場合には出典に基づいて記述したとはいえないので、方針に反していて得まずいかと思います。全国統一のデータがあるのなら統一できるでしょうが、そうでない場合には統一性よりも先に出典に基づいて記述する方を優先すべきかと思います。--Tasetebills会話2015年1月5日 (月) 14:49 (UTC)
私は、年間乗降客数のデータを365で除して記載したとしても、独自研究というほどのことはないと考えています。独自研究の何が問題かと言えば、どこかに文献として公表されたわけではない独自の考えを勝手に盛り込んでしまうことであり、これに対して年間乗降客数を365で除するのは、計算方法をきちんと定めさえすれば、そして計算間違いをしなければ、誰が計算しても同じになるはずだからです。計算した人の意思は盛り込まれないはずです。どちらかというと、方針云々よりは、元の統計処理の意味を失わせてしまうことの方が問題だと考えます。基本的には元の統計数値をそのまま表すように定めた方が良いかと思います。--Tam0031会話2015年1月5日 (月) 15:23 (UTC)
コメントありがとうございます。各記事の利用状況節においては皆さんの仰るとおり「出典に合わせた記述方式(月別なら月別年間人員なら年間人員に書き改めていく)」ということで一致を見ていると思うのですが、一方でテンプレートの方は統一した基準で記述できない以上、Template:駅情報の乗車/乗降の記載欄は削除すべきではないかと考えているのですが、これについてはどう思われますでしょうか?この件についてはプロジェクトにおける今後の周知徹底も必要と考え、先程Portal:鉄道/コメント依頼の方にも記載しておきましたが(プロジェクト参加者の内どの程度の人数の方が同ページをウォッチリストに入れていらっしゃるのかは分かりかねるのですが)、引き続きコメント頂いた皆様からもご意見を頂けると幸いです。--タールマン会話2015年1月16日 (金) 14:10 (UTC)
基本的にはテンプレートの記載欄削除はテンプレートのノートで議論するのが筋だと思います。一応こちらでもコメントしますが、そこまで踏み込むかは抵抗も大きいので合意形成を得るのは中々大変だと思います。ただ、少なくとも現状の1日あたりで記載せよというものはやめるべきでしょう。--UE-PON2600会話2015年1月16日 (金) 15:43 (UTC)
(部外者で申し訳ないですが)出典に即した適正な変更は望ましいことではありますが、膨大な数ある駅記事からいちどに項目をなくすというのもモッタイナイ感はあります。すべての駅記事で新しく情報を整備するのには相当な手間と時間がかかるでしょう。テンプレートの項目のスクリプト(的な?)ものが複雑にはなりますが、現状の「乗車人員」「乗降人員」は暫定的に現状のデータが表示され、「新乗降人員」と入力したら「乗降人員」の項目に出典に即した情報が表示される、というふうにするとか、というのはどうでしょう。
あわせて、「新」の入力が行われていない場合には自動で「この値は計算値です」のような注釈が表示されるようにしておくとか、ソフトランディング的な手法も可能と思います。--柒月例祭会話2015年1月17日 (土) 03:47 (UTC)
こんにちは、遠州鉄道鉄道線の各駅について利用状況の表を記載したKK77会話)と申します。いいのかなぁ?と思いつつ掲載しましたが、やっぱりだめだったんですね。原典はあるので、なるべく早く取り掛かることとします。その際ですが、資料において「乗車人員」と「降車人員」の両方が載っている場合、両方を載せるべきか、乗車―だけにするべきか、そういう議論(結論)はありますか?--KK77会話2015年1月19日 (月) 15:12 (UTC)
ありません。現行のガイドラインでは乗車だけにするべきであるというものはありません。原資料がどの単位で示しているかを併記することとなっています。したがって、両方載っているなら両方載せた方が望ましいでしょう。--UE-PON2600会話2015年1月19日 (月) 16:25 (UTC)
承知いたしました。では両方載せることにしたいと思います。早速のご回答、ありがとうございました。--KK77会話2015年1月20日 (火) 10:13 (UTC)
話はそれますが1日平均の定義とはなんでしょうか。365日や366日で除すること。営業的には正しいでしょうが災害等で不通期間があった場合はどうでしょう。たとえば武蔵野競技場前駅は野球開催日のみ取扱ですが1953年度の東京都統計年鑑昭和28年 (PDF) では乗車人員11,436人、降車人員11,392人。一日平均は乗車人員、降車人員とも31人。単純に365で除しているようです。出典にあるからのせますか--Tamrono157会話2015年1月22日 (木) 21:29 (UTC)
趣味者としていろいろ考えることは楽しいことではありますが、ウィキペディアの記事を編集する場面に限って言えば、出典ありき、としか言いようが無いのではないでしょうか。極端な話、10年間の利用者を3650で割ってるかもしれないし、2日間の利用者を2で割ってるかもしれないし、1時間の利用者を24倍しているかもしれない。例示されたものの場合には、注釈やノートなどで適宜補足をしながら記述する、という方法もあるでしょう。その情報をどんな目的でどのように用いるかはケースバイケースで、通勤通学路線・駅なんかでは「1日の平均」よりも特定の時間帯の利用客に関する情報が重要になるかもしれないし、まあいろいろでしょう。出典が単なるデータだけでなく、データの解釈にまで踏み込んでいるならば、それに基いて何か書くことはできるかもしれません。複数の信頼できる出典が異なる数値を乗せているような場合に、これはどうして値が違うのだろうと比較したり推測したり議論して採否を県とするようなことはありうるかもしれません。--柒月例祭会話2015年1月23日 (金) 01:34 (UTC)
鍾路3街駅#利用状況など、路線別、運行会社別(この駅は運行会社が異なっても乗り換え改札はない)に記載すること自体も問題があります。3号線側の改札を通っても3号線に乗るとは限りません。--hyolee2/H.L.LEE 2015年2月10日 (火) 00:38 (UTC)

「駅構造」節の位置について

#駅の記述ガイドラインの改定についてにおける議論に基づき、駅記事の多くでレイアウトの変更が行われておりますが、私はこのレイアウトに多少違和感を感じます。#駅記事に関する疑問において御坊人さんも疑義を呈されていることから、これは私一人の感想ではないようです。

例えば「JR長瀬駅」では、プラットホームの写真を駅テンプレートの下に配置しているのですが、現状では「歴史」節に写真が食い込んでおり、「歴史」節に表示すべき蛇草信号場の写真が、あまり関連性の無い「隣の駅」節に配置されています。記事の内容を考えれば、前者は「駅構造」節に、後者が「歴史」節にあるべきですが、それでは蛇草信号場の写真がプラットホームの写真よりも前に来てしまい、読者によっては蛇草信号場が今の状態だと誤解するのではないでしょうか。そもそも、「駅構造」の記述は、「概要」と性格の似たものであって、「歴史」によって分断されることはおかしいと思います。

ただ、#駅の記述ガイドラインの改定についてにおける、「歴史」節を軽視しているのではないかという意見はもっともなところがあります。そこで今回は「歴史」節は動かさず、「駅構造」節を「概要」節の下、「歴史」節の上に移動させることを提案いたします。

また、ガイドラインはどの程度遵守すべきなのか、記事それぞれの個別事情を考慮すべきではないか、といったこともあわせて提起したいと思います。--もんじゃ会話2015年5月18日 (月) 14:04 (UTC)

(議題を内容に沿ったものに修正しました。)--もんじゃ会話2015年5月18日 (月) 14:51 (UTC)

駅構造の記述が概要と性格が似ているという意見にはまったく同意できません。概要は、記事全体が長くなっているときにダイジェストを提供するものであって、駅構造とはまったく節の性格は異なります。これを連続して配置しなければならない理由はないです。JR長瀬駅の例では、節内にギャラリーを埋め込むなり、{{-}}テンプレートを使って周り込みを解除するなりの対処で十分だと思います。なお、ガイドラインは絶対ではないと考えているので、必要性があれば記事のノート等で提案を行って独自の形態を採用することもありうると考えていますが、今提案頂いたような内容では必要性が無いと思います。--Tam0031会話2015年5月18日 (月) 15:01 (UTC)
「駅構造」は駅記事のコアに近い部分であるという考えから、「概要」節と似通っていると申し上げましたが、いずれにせよ「歴史」節を「駅構造」節より上位に置くのは納得できません。歴史的な記述は、現在との比較を前提とするものであり、現在の駅構造をスキップして歴史について述べるのは、本末転倒であり合理性にも欠けます。また、「歴史」節はその性格上、駅の過去についての言及、およびその当時の写真を伴いますが、それを「概要」節の次に持ってきてしまうと、概要節に配置された写真を圧迫することになり、先ほど申し上げましたように、駅の現状を理解する上で混乱を招くように思います。ギャラリーや<br clear=all/>などを使っても同じことです。逆に、「歴史」節を「駅構造」節の上に置く必然性をお尋ねしたく思います。--もんじゃ会話2015年5月18日 (月) 15:26 (UTC)
歴史は歴史でしょう。現在の駅構造と比較するものでもないし、駅の歴史は必ずしも駅構造だけではないでしょう。開設された経緯とか、かつては利用がどうであったとか、地域との関連とかあるでしょう。先の議論でも継之助さんが言及されていますが、文献で取り上げられるのは歴史が大半で、最新の駅構造を取り上げているような文献は非常に少ないです。そもそも駅構造を上位とすると、駅記事を単なる駅利用ガイドとさせ、かつ出典皆無となりがちです。例として挙げられている長瀬駅も駅構造節は出典皆無です。ここのところ専ら駅の編集をしてきておりますが、どこの駅も駅構造節は出典皆無であることが多いです。そういう方針にそぐわない記述がされがちな節を上位に置くのはあまり好ましくないかと思います。--UE-PON2600会話2015年5月18日 (月) 17:50 (UTC)

今のところ見つかっている、「駅構造」節と歴史節が逆転することにより、弊害を生じている(あるいは生じる)例を挙げます。

  • 三宮駅 - 前半に「歴史」節を持ってきたことによって、現在の駅の状態が分かりにくくなっている。「同線における三ノ宮駅は現在地より西に600mほどの場所(後に元町駅が設けられる地)に置かれていた。」とあるが、「現在地」の説明はなされていない。(「歴史的な記述は、現在との比較を前提とする」とは、この意味。)
  • 灘駅 - 「歴史」節を上に持ってきたことによって、「灘駅で出征する兵士を見送る神戸一中の生徒たち」の写真が無関係な場所に取り残されている。
  • 天神橋筋六丁目駅 - 現在「歴史」節は従前の位置にあるが、レイアウトの方針に従えば、天神橋駅の写真が地下駅の写真より前に出ることになり、地下駅であることがわかりづらくなる。

また記事によっては、「概要」節が存在しないものがあり、その場合「歴史」節が最上位に来ることになり、上に挙げた問題が生じやすくなります。

次に、実際の出版物からレイアウトを比較検討してみたいと思います。

  1. 『阪急ステーション』- 最上段に駅名・概要を示し、先に過去の写真を並べてから、最下部に現在の駅の様子を解説。「写真で見る 阪急電鉄の今・昔」を謳っている。
  2. 『歴史でめぐる鉄道全路線』- 駅ではなく路線自体を主題にしたものだが、先に現状を示してから、その路線の歴史について叙述する。
  3. 『ひょうご懐かしの鉄道』- 上と同じく路線を主題にしたもので、主に廃線を扱うことから、開業の経緯、最盛期、衰退期の順に示し、最後に廃線跡に言及。
  4. 『鉄道ピクトリアル』2011年12月号「大阪の私鉄ターミナル」- 巻頭数ページにおいてグラフ写真と共に各ターミナルの現況を概説、そのあとにターミナルの歴史の叙述に入る。
  5. 『鉄道ジャーナル』2002年5月号「日本の駅2002」- 歴史的事項に対する言及もあるが、文・写真は現在あるいは今後の計画が中心。

要するに、レイアウトというものは読者に何を訴えるかによって変化するわけで、「歴史」節を「概要」のすぐ下に持ってくるということは、それはそのまま駅の現況より歴史を重んじるという姿勢を表します。また、歴史を主体としている場合でも、2や4のように先に現況を示すやり方もあり、私はこれが理想だと思います。1のケースではだいたいの項目が1ページでおさまっていますし、3の場合は路線が廃止されたことを前提としているので混乱は少ないのです。

言い換えれば、レイアウトというものは読者の可読性を考慮して決定するべきであり、「方針にそぐわない」ために臭いものに蓋をするように後回しにするのは間違っています。読者を想定していないために、私が指摘するような問題も起こってくるのではないでしょうか?--もんじゃ会話2015年5月19日 (火) 14:27 (UTC)

三宮駅の住所は記事の冒頭にありますから現在地が説明されておらずに意味不明ということはないでしょう。
灘駅の出征兵士の画像は昔の画像ではありますが、どの節にもその言及はありませんから、特におかしな位置にあるとはいえないでしょう。
天神橋筋六丁目駅は歴史節の位置を移動し、地下駅画像を駅構造の節のところに移動したら適切な配置になりましたから、問題ないでしょう。
一体何をおかしいと考えられているのでしょうか?--Tasetebills会話2015年5月19日 (火) 15:13 (UTC)
方針にそぐわないものに蓋をしているのではなく、本質的に百科事典というもので駅記事のようなものを扱う時には、歴史が主題となるので、歴史が先に出てくる構成が妥当なのです。「「駅構造」は駅記事のコアに近い部分である」というのは、利用ガイド的発想に立っており誤りです。歴史こそが駅記事におけるコアです。指摘された問題点はいずれも、駅構造を前に出さなければ解消できないものではなく、編集で容易に解決する範囲のものです。
いくつもの雑誌・書籍を例に挙げられましたが、百科事典は調べましたでしょうか。百科事典に駅が立項されることはあまりありませんが、図書館で蔵書するような何分冊もの大きな百科事典だと東京駅くらいは載っていることがあります。私がこれまでに図書館で調べた百科事典で東京駅が立項されていたのは2件ありました(すみません、具体的な百科事典の名前は覚えていませんが)。これらはいずれも、1914年に東京の中央駅として開設されたものであること、丸の内の駅舎が辰野金吾の設計であることとその設計の特徴、戦災で焼けて修復されたこと、長距離列車と通勤列車の両方の発着があって1日の利用客がどれくらいであること、などをまとめた上で、うち1件の百科事典の方ではその後に各番線に何線が発着しているかが書かれていました。一方の執筆者は、番線配置は要らないと判断したわけです。もちろん紙の百科事典では紙幅の制限がきついからでしょうが、プロの百科事典執筆者・編集者が一定の範囲で駅についてまとめる時に主題となるのは歴史である、というのはこの例からも明らかだと思います。--Tam0031会話2015年5月19日 (火) 15:16 (UTC)
 議論を拝見しましたが、門外漢としてはTam0031さんの見解に賛同します。
 鉄道分野の方が、趣味者として関心が配線とか構造に向かうのは理解できます。「「駅構造」は駅記事のコアに近い」というのは、趣味者としての見解のように見えます。
 が、趣味者じゃない者も読む「百科事典」(趣味者が読む「配線事典」ではない)としては、歴史や地勢・社会・経済的な意義・影響(広義の歴史かな)とかをまず知りたい。もしも「この駅の構造そのものがこの駅の最大の特徴だ」みたいな場合には、構造の説明が先に来てもいいでしょう。例えば複雑な立体交差があってテレビでよく「構造が複雑な駅」として取り上げられるとか、鉄道技術に変化をもたらした革新的な構造があったとか。有名な文学や映画の舞台になったことが最大の特徴というような場合もあるだろうし、駅弁が全国的に有名だというのが一番目立つトピックということもあるでしょう。「駅記事」としてフォーマットが統一されて整っているのはキレイではあるかもしれませんが、主題1つ1つの特性に合わせて柔軟に変えてもいいように思います。
別の観点からすると、「駅の構造」は時とともに変わるんだろうと思います。路線ができたり廃止されたり、乗降数が大きく変わったり、なにかの事情で運行形態が大きく変わることで、何番線にどういう列車が停まるかとか、どこに分岐があるとかは変わっていくでしょう。(それなりに長いスパンでは固定的でしょうけども。)たとえば志文駅では「現在の様子」中心に「地方の小さな無人駅」として描かれていますが、60年間か80年間ぐらいは「大きな駅」だったわけで、その頃のことも今のことと同じぐらいか、あるいはもっと大きなボリュームを以って記されるべきです。(出典とか、作業をする人とか、執筆作業の現実的な実現可能性の高低はありますけどね。)この観点では、「今の配線」は「いずれ変わってしまう、ある一時点における情報」であり、ほかを差し置いて一番上に持ってくるような情報とは言いがたいと思います。--柒月例祭会話2015年5月20日 (水) 04:14 (UTC)

コメント 「駅構造」の下は、利用状況、バス路線、駅周辺…と続いて行きますが、「駅構造」も含めてこれらはいずれも現在の状況を中心に述べる節です。ですので、これらとは性質の異なる歴史節が間に割り込む方が記事構成としておかしいです。また、「駅構造」その他の節では、駅の特定の要素のみに焦点を当てて述べているのに対し、歴史節では基本的に「駅全体」を対象にその歴史を概観して述べる節ですので、「駅全体を概観する」という意味で概要節と性質が類似しており、概要から連続して述べられる合理性があると思います。駅構造が駅の本質に関わる記述であることは否定しませんが、駅構造が概要と性質を異にする節であることは、新宿駅のように駅構造節が長大になっている記事を見ればわかりやすいかと思います。

ただ、十分に概要や歴史が加筆されていない記事の場合、「駅構造」節が事実上概要を兼ねている場合もあります(湯田温泉駅など)。このような記事まで、単純に機械的に駅構造を下側に持っていくことには反対です。--新幹線会話2015年5月20日 (水) 04:57 (UTC)

コメント追加コメントですが、これは駅記事・鉄道記事に限らないんですけども、ウィキペディアの創設期には、記事を増やす、コンプリートする、に軸を置いて、共通の記事形式を定めてとにかく数を増やす、という感じでした。しかし今は、記事の質、検証可能性(出典)を高めることに重点がシフトしてきていると思います。かつて決めた「フォーマット」「統一性」に過度にこだわる時期ではなくなったのではないでしょうか。新幹線さんが示された例のように「(昔のまま)まだ十分でない記事」と、発展している記事を一緒くたにしても益はないように思います。駅だけに。--柒月例祭会話2015年5月20日 (水) 06:36 (UTC)

「『フォーマット』『統一性』に過度にこだわる時期ではなくなった」というご意見は的を射ていると感じます。鉄道記事は他のジャンルと比べて、そういったルールにこだわりすぎているように思われます。私は過去に駅記事をいじっていた経験からも、皆さんの歴史を尊重する姿勢には同意いたしますが、個別の記事においては、レイアウトを適用しないほうが、写真を用いた解説がしやすくなったり、読者によって理解しやすくなるケースがあるやもしれません。その場合は、記事のノートページにおいてレイアウトについて議論を重ねたほうが有意義でしょう。私としては、レイアウトの拘束力をもう少し弱めていただいて、柔軟な編集を容認していただけるのであれば、ガイドラインは今のままで結構です。--もんじゃ会話2015年5月20日 (水) 12:48 (UTC)
例として挙げられている湯田温泉駅は主要部分には全く出典がありませんから、出典に基づいて記述するウィキペディアの基本方針にあっていない状態ですので、そうしたものを基準に議論するのは不適切でしょう。あくまでウィキペディアの基本方針に則った記述を行った状態を前提に議論すべきです。--Tasetebills会話2015年5月21日 (木) 03:09 (UTC)
発展途上では、他のレイアウトの方が適切に見える場合もあるかもしれませんし、そのようにすることを止めはしませんが、十分加筆されて内容が整った時には、歴史をメインに据えない形態が適当となる駅記事があるとは思えないです。いずれそういう方向に収斂させていくのが、妥当なウィキペディアの発展過程だと思っています。--Tam0031会話2015年5月21日 (木) 16:38 (UTC)
あくまで私の意見としては、何ら加筆も行わずに「機械的に」レイアウトを適用することに反対しているだけです。私としても加筆を行い歴史を上部に置く構成に見直すことには反対しませんし、いずれそうするべきと考えています。--新幹線会話2015年5月23日 (土) 00:56 (UTC)
とりあえず、「歴史をメインに据えない形態が適当となる駅記事があるとは思えない」の根拠をお伺いしたく思います。ちなみに、マイペディア百科事典では、現在の姿に触れてから歴史に触れていましたので、「プロの百科事典執筆者・編集者が一定の範囲で駅についてまとめる時に主題となるのは歴史である」という意見には賛同できません。--もんじゃ会話2015年5月23日 (土) 13:30 (UTC)
コメント まず大前提として、ウィキペディアは「百科事典」であり、駅の利用ガイドではありません。その駅がどういう経緯で設置されたのかとか、設置からの歴史的経緯などといった「歴史」に関する事柄が中心になるのはごく自然であり、駅構造はそれ自体が特徴的だったりするなど信頼できる情報源で中心的に言及されていなければ主役にはなりえないものと考えます。「何番線が何線で、どこどこ方面は何番線…」といった程度の内容なら各鉄道会社の公式サイトをみれば十分でしょう。JR各社なら「各駅ガイド」といったページはありますし、わざわざウィキペディアの冒頭にもってくる必要性を感じません。
そもそも論ですが、多くの駅記事では駅構造に限らず、出典が不十分な記事が多すぎます。レイアウト云々を論じる前に、もっと大事なことがあるのではないでしょうか?歴史にしろ駅構造にしろ、出典がまったくないか不十分な駅が圧倒的多数を占めている状態では、ほとんどの記述が除去対象です。消されてしまえばレイアウトもへったくれもありませんから、まずは出典を明記することが最優先事項ではないかと考えます。レイアウトをどうこうするのはそれからの話でしょう。--HOPE会話2015年5月23日 (土) 14:25 (UTC)
百科事典に何を求めるか、だと思います。普通、中央線に乗るのに何番線に行けばいいか、を調べようと思ったら、公式ウェブサイトか時刻表を調べるのであって、百科事典を読むことはないはずです。仮に、ウィキペディアをそういう目的で利用するのであれば、それは既に利用ガイドと化しているのであって、「利用ガイドではない」に反しているのです。利用ガイドであれば、その駅が何年に開業したかなどどうでもいいわけですが、そうではなく、駅と社会とのかかわり、どのような影響を与えたか、などといったことを多面的に取り扱うのが百科事典なわけですから、歴史を順次書いていって、その後で現状をまとめるのが、もっとも整理された形になるものと考えています。これを逆にすると、現状が先に出てきて開業時へ逆戻りすることになります。基本的には時系列順に並べるのがわかりやすいはずです。これが駅記事ではなくて、たとえば分岐器とか鉄道信号とか、そういう技術的な記事であれば、技術的な構造や原理を先に述べても不思議ではないですが、駅記事はそうではないでしょう。
なお、現状の記事ガイドラインでも、記事冒頭部で利用できる路線などについて触れるようにしていますし、概要節でもそういうことに触れられるようになっています。遠い昔のことから書いていくことで、読者にとって全体像が見えなくならないようにする意図もそういうところにあります。そういう書き方をうまく活用することで、「現在の姿に触れてから歴史に触れ」は十分に達成できるかと思います。--Tam0031会話2015年5月23日 (土) 15:38 (UTC)

 少し整理させていただきたいと思います。私は現在のレイアウトには以前から疑問を感じておりましたが、私がこの提案をするに至った直接的なきっかけは、これまでも例に挙げております通り、JR長瀬駅のレイアウト変更後の状態に違和感を覚えたためです。
 この問題を理解していただくために、少々長くなりますが、JR長瀬駅の構成について触れたいと思います。「歴史」節では、蛇草信号場について言及がありますが、これは元々「蛇草信号場」という別個の記事だったものを統合したものであり、「歴史」節と「蛇草信号場」の写真は不可分な存在と考えられます。しかし現在のレイアウトでは、それを行うと「蛇草信号場」の写真がプラットフォームの写真より先に来てしまい、現在の駅の状態についての理解を妨げかねません。例えば、私が先に例示しました『阪急ステーション』のように、過去の写真が白黒写真ですと、現在と過去の写真がはっきり区別できるのですが、JR長瀬駅では両方ともカラー写真なので混乱を招くように思います。かといって現状のように無関係な位置に写真を配置すると、写真の存在意義は半減してしまうのです。言い換えれば、私は歴史を尊重するがゆえに、今回の提案に踏み切ったのです。
 また、複数の方が「駅構造」節を上位に配置できない理由として、出典の不十分を挙げていますが、本来検証可能性とレイアウトは別個に語られるべきです。例えば、検証可能性の充実度”のみ”に従ってレイアウトを決めるとすれば、もし「駅構造」節の出典がより充実した場合、そのガイドラインは変更されなければならないことになり、基準として極めて流動的になります。そもそも、「出典が不十分な記事が多すぎ」るということは、ここ最近になって問題視されるようになったことです。誤解されないように断っておきますが、私が言いたいのは「なぜ今までよかったものが急にダメになるのか」ということじゃなくて、この問題について議論が尽くされてきたのか、ということです。例えば、「歴史」節以外が検証可能性を十分に満たしていないから、それ以外を下に移動させるという判断をしたのならば、まず先に「駅構造」節等の出典について出典不足であるということを十分に告知し、それでも改善が見られない場合に実行に移すべきではなかったのでしょうか。「臭いものに蓋をする」とはこれを指します。
 さらに、HOPEさんは「駅構造はそれ自体が特徴的だったりするなど信頼できる情報源で中心的に言及されていなければ主役にはなりえない」と仰いますが、このご意見の対偶をとれば「駅構造自体が特徴的な駅では、信頼できる情報源で中心的に言及されていれば、主役になりうる」となり、駅構造の特筆性を部分的に認めていると私は受け取りましたが、間違っていますでしょうか。例えば、鉄道ジャーナル2013年2月号では、「『阪急梅田』再発見」という特集記事で、現況を中心に取り上げられております。駅構造は鉄道趣味の対象として成り立つものと私は思いますが、そうでないとお感じであれば、「駅構造」節自体の除去を提起するべきであり、さもなくばまさに「臭いものに蓋」です。
 総括して、私が皆さんにお尋ねしたいことは2点です。まず一つは、現在の駅構内の写真が「駅構造」節に、過去の写真が「歴史」節にあるという状態が理想であると私は考えますが、この点に関して異議をお持ちかどうかということ。二つ目は、このようなレイアウト上の問題点を無視してまで、ガイドラインに固執することの必要性があるか、ということです。--もんじゃ会話2015年5月24日 (日) 14:51 (UTC)

コメント いくつかの点についてコメント。
(1)「出典が不十分な記事が多すぎ」るということは、ここ最近になって問題視されるようになったこと→かつては出典の明記に対して、いまほどうるさくなかったこともありますが、検証可能性の方針自体は初期から根幹を成す方針として存立しています。昨今はウィキペディア全体として出典の明記を重視するようになってきただけで、出典がないことを問題視する意見は、何年も前から言われ続けていることです。いまに始まったことではありません。
(2)例えば、検証可能性の充実度”のみ”に従ってレイアウトを決めるとすれば、もし「駅構造」節の出典がより充実した場合、そのガイドラインは変更されなければならないことになり、基準として極めて流動的になります。→PJが定めたガイドラインは方針に優越するものではありませんから、方針に準拠しないものであればガイドラインも変わらざるを得ないでしょう。仕方のないことです。
(3)私が言いたいのは「なぜ今までよかったものが急にダメになるのか」ということじゃなくて、この問題について議論が尽くされてきたのか、ということです。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないの三大方針は「議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」と明記されています。議論が尽くされたかどうかの問題ではありません。
(4)「駅構造はそれ自体が特徴的だったりするなど信頼できる情報源で中心的に言及されていなければ主役にはなりえない」と仰いますが、このご意見の対偶をとれば「駅構造自体が特徴的な駅では、信頼できる情報源で中心的に言及されていれば、主役になりうる」となり、駅構造の特筆性を部分的に認めていると私は受け取りましたが、間違っていますでしょうか→間違ってはいませんが、どちらが正しいというものでもないでしょう。そういう記事では駅構造が上位に位置することもありうるかもしれませんね。それが多数派かどうかは別の話ですが。
信頼できる情報源による出典が明記されていれば、検証可能性は満たします。ただし、現状の駅記事で記事全体にわたって出典が充実しているものがどれだけあるのか、という観点に鑑みれば、歴史だろうが駅構造だろうが、大半は出典が明記されていないため「除去」が適当です。「すべての利用者が従うべき」とされている方針に準拠していない(除去されるべき)記述に対して、PJガイドラインがどうとかレイアウトがどうとかを論じること自体がそもそも「順序が違うんじゃないの?」ということです。そんなことを論じる前に、まず着手すべきは「いまある記述に対して、信頼できる情報源に基づく出典を明記する」または「出典未提示の記述を除去する」ことでしょう。ことのついでにいえば、駅は日本だけにしかないわけではありませんし、外国の駅のことまですべて考慮に入れた上で議論を提起されているのかも甚だ疑問です。プロジェクト:鉄道#駅の記事の記述をみても日本の駅を念頭に置いた記述に終始しており、日本POVの可能性があります。
記事全体の出典が充実しない限り、PJガイドラインをいくらいじくったところで「無意味」ということです。どうせ出典がないのであれば、節ごと消されても文句は言えませんし。方針に準拠した記事が駅分野全体で充実してから、ガイドラインについて検討するのがスジでしょう。いまはまだその段階ではないと考えます。--HOPE会話2015年5月24日 (日) 15:36 (UTC)
ちょっと失礼、出典との関連性についてはHOPEさんが言い出したことであって、私は出典の明示状況とは無関係に、駅記事のあるべきレイアウトは今のガイドラインに示されているものと思っています。また写真の構成などについては、工夫次第であって、現状のレイアウトを変える理由ではない、というのは既に述べています。現状をきちんと出典を付けて書けば、もちろん駅構造は十分な特筆性を有しますが、それは時系列順に歴史を書いて、その到達点として現状を駅構造節にまとめるのが最良という考えと何も矛盾しないわけで、駅構造節を前に出す理由にはならないと思います。--Tam0031会話2015年5月24日 (日) 16:12 (UTC)
歴史節に画像を移すと誤解が生じるというなら、キャプションに撮影年を入れるなりすればよいでしょうし、場合によっては画像の左寄せやギャラリー形式を行えばよいでしょう。それに記事の主体は文章であって、画像はあくまで記事の理解を補助するものにすぎません。画像の配置の具合が悪いからと、それに合わせて文章の配置を変えるのは本末転倒ではないでしょうか。--UE-PON2600会話2015年5月24日 (日) 16:32 (UTC)
念のため申し上げますが、「検証可能性を満たす順番に節を並べなければならない」という方針はありませんよね? 確かに出典のない節は「節ごと削除されても」文句は言えないわけですが、検証可能性を満たす順番に並べるなどという方針はないはずです。--新幹線会話2015年5月24日 (日) 23:40 (UTC)

コメント テクニカルなことで解決できちゃうこと、ウィキペディアの方針のこと、PJのポリシー、個別の記事のこと、これまでの経緯のこと、個人的な意見、出典の話、これらを少し切り分けたほうがいいんじゃないでしょうか。

  • JR長瀬駅で、「プラットホームの写真」より「廃止された信号所」が先に来ると『現在の駅の状態についての理解を妨げかねません。』という意見には全くそうは思いません。正反対です。ほかの方も指摘している通り、主従関係で言うと写真は従です。
  • 写真は載せるためにあるのではなく、記事の主題や本文の理解を促進するためのものです。写真を載せることでわかりにくくなる、というのであれば、その写真を除去してください。そうでなければ本文を改善してください。
  • JR長瀬駅の場合、写真と適切な説明を加える事で、駅の理解に大きく役に立つと思います。前は地べたを走ってましたよ、それが高架化になってこんな近代的な駅ができましたよ、ということがすごくよく分かるようになります。私が鉄道の知識が全然ないド素人だから、そういうのをちゃんと文章で説明してくれないとわかりません。それに比べれば、「廃止された日付がちょっと違う」なんか瑣末なことです。もっかい書きますが、今の記事では「蛇草信号場があった場所が高架化されて駅になった」ということが想像力を働かせないとわかりません。(わからないので、私の推測が間違っているのかもしれません)券売機の隣にインターホンがあることよりも、そっちのほうが説明がほしい事柄です。
  • 蛇草信号場の統合前の版も拝見しましたが、なんというか、そもそも論として、こう言っちゃ悪いですけど、統合の仕方が上手でないと思います。まあそもそも出典がないっていう根本的な問題があるのでアレなんですけど、統合前の版と今のJR長瀬駅を読むと、統合前の記事のほうが説明としてよく分かる。
  • (1)かつて単線でした
  • (2)行き違いのために信号場がありました
  • (3)おおさか東線工事のため邪魔なんで廃止しました
  • (4)その信号場のあった場所を'(高架化して※これは私の推測)新駅ができました
  • (5)そういう経緯があるのでこの記事には廃止された信号場のことも書いてあります
  • ということですよね?統合前の記事を見れば分かるんですが、統合後はこの4から5あたりがきちんと文章で説明されていないので、JR長瀬駅を読んだだけではなんで信号場の話が出てくるのかよくわかんないんですよね。要出典にはなっちゃうかもしれないですが、そういうことをちゃんと書いた上で「信号場を走る貨物列車」の写真があれば、ああそうか、ここは前はこういう場所だったんだ」と理解が進むんですよ。
  • 写真の話なんで蛇足を言いますが、プラットホームの写真をみて、私は「なんの特徴もないな」としか思えません。実際そうであることを示したいならそれでもいいんですが。
  • 本文にはポツンと「長瀬川のせせらぎ・流れ」がデザインに活かされていると書かれていますが、なにが?と思っちゃいます。
  • 書いてあるから余計なことを考えてしまうんですが、エレベーターとエスカレーターがあることは書かれていますが、階段はないんですか?(もうこのへんは完全にわざといじわるで言うんですけど、「エスカレーターが上りと下りが1つづつある」なんてことがわざわざ百科事典で言及するほど特筆に値する事柄なんですか?大阪ではエスカレーターが珍しいんでしょうか?それとも関西では上りしかエスカレーターが無いのが普通なんでしょうか?)
  • 全体として、情報が散発的で、何で急にその話が出てくるの?ということばかりです。ひょっとすると鉄道に詳しい人にとっては自明なのかもしれないですが、シロウトの私にはわかりません。百科事典はシロウトでもある程度わかりやすく書いてあるべきでしょう。どういう流れでこの話が出てくるのかわかりにくい。重要なトピックと瑣末なトピック、概論と詳説が入り乱れてます。私には「JR」のところも駅名に入ってるんだぜ、ってのが一番ユニークな情報に感じられました。
  • 「隣の駅」節も割とわけわかんないですよね。「蛇草信号場」って書いてあるのでなんだかよくわからない。そこには「片町線(貨物支線)」って書いてあるし、隣の駅??この節ちんぷんかんぷんです。レイアウト以前の問題です。統合前の版も読んで、想像を働かせて、ああ、一つ目の「蛇草信号場」節は過去の状態を示していて、「JR長瀬駅」節は今の状態を表しているんだ、とやっとわかる。(後半はJR長瀬駅#JR長瀬駅という節名になっちゃってますから、これは相当センスが無いです。)こういうのは「レイアウトに過度にこだわった悪例」の典型でしょう。「隣の駅」節ではなく「片町線時代の駅?の並び順」「おおさか東線時代の駅?の並び順」とかにするべきです。ついでにいうと、「*直通快速 通過」「*普通 いろいろ」と書いてありますけど、これもなんとかなんないですかね?直通快速だって「JR俊徳道駅 - JR長瀬駅 - (正覚寺信号場) - 新加美駅」というルートを通るわけでしょう?普通のほうは信号場を()で括ってあって、まあ客扱いはしないよってことなんでしょうけど、だったら直通快速は「(JR俊徳道駅) - (JR長瀬駅) - (正覚寺信号場) - (新加美駅)」になるんじゃないでしょうかね?この節が何を言おうとしているのかホント全然わかんないです。私が平均的な読者より大幅にバカなのかな?隣の放出駅#隣の駅を見ると、これはどの記事にも共通なので、JR長瀬駅固有のことじゃないみたいですね。ちょっと話が横道にそれてすみません。一度に色々言ってもしょうがないので、これは無視してください。
  • 「対偶」の話は、単に「駅の構造をメインにした文献」を持ち出してきて「ほら、駅の構造がメインだよ!」と言ってるだけでしょう。主題の全体を俯瞰する情報源と、部分を担う詳細な情報源とを弁別しましょう。あなたが言っているのは洗濯機のカタログを使ってパナソニックを書こうとしているような話です。
  • 要するにJR長瀬駅固有の問題はJR長瀬駅で解決すればいいのであって、JR長瀬駅で起きている問題のために方針や大きな合意からひっくり返そうとしたり、延々と議論するのは生産的じゃないです。その時間と手間でJR長瀬駅に関する出典でも探したほうがずっといいです。
  • あんまり理屈ばっかりごちゃごちゃ言ってもわかりにくいし鬱陶しいと思うので、ノート:JR長瀬駅#シロウトの私案を作ってみました。こんなのクソだと言うのであればシロウトなのでごめんなさいということで許してください。--柒月例祭会話2015年5月24日 (日) 18:25 (UTC)
皆様、貴重なお時間を割いて親身にご意見下さり、大変感謝しています。少々考えを整理したいので、時間を下さい。--もんじゃ会話2015年5月25日 (月) 15:08 (UTC)

ちょっと余計なこと言い過ぎましたんで、ざっくり言いますと、そもそも「歴史」節がその位置になければいけない必然性が、いまいちよく分からないです。JR長瀬駅は置いといて、例えば今分割が定義されている阪急梅田駅などは「私鉄最大のターミナル」という触れ込みだから、「阪急○番外」とか駅に組み込まれた店舗なども含めて駅構造を解説し、その後に歴史を持ってきたほうが自然だと私は思います。そういったフレキシブルな編集は認められないのか、ということです。--もんじゃ会話2015年5月26日 (火) 13:31 (UTC)

コメント 個別の駅記事で構成に問題があると感じるなら、駅記事のノートで議論すれば済む話でしょう。わざわざプロジェクトのガイドラインをひっくり返すほどの話でしょうか?そんな暇があるなら出典の整備でもしてくれたほうが、よっぽど建設的で生産的です。--HOPE会話2015年5月26日 (火) 14:01 (UTC)
コメント これは私の印象なんですが、もんじゃさんは「歴史」を「年表節」あるいは「昔のこと/今のことではないこと」を書く場所だと捉えていませんか?
私のセンスでは、名称がたまたま“歴史”になっていますが、そこに書かれているのは「現状を理解するための情報」です。これこれこういうわけでこうなっています、これこれの目的でこうなっています、これこれの経緯でこうなっています、こうしたことの結果こういうことが起きています、というような、原因→結果、目的←手段というような関係を説明する場所です。
たとえば「鉛が重い」ことを因果関係で説明するのに、原因と結果に時系列は関係ありません。
しかし「そこにでかい駅がある」ことを因果関係で説明しようとすると、原因と結果は、時系列に沿って進んでいきます。
説明をするうえでわかりやすいのであれば、古(原因)→新(結果)の順でも、新(結果)←古(原因)の順でも、どちらで叙述しても構いません。いずれにしろ、因果関係を連鎖的に説明していくと、たまたま時間空間的に古い時期のことに言及していくことになります。それをたまたま「歴史」という名前の節にしているだけです。
別の言い方をすると、「歴史」という名のもとに年表を並べて「1950年10月1日開業」「1970年3月14日なになに」「1990年5月9日なになに」とだけ列挙されても、「あっそう、で?それがなに?」という感想になっちゃいます。これだけではただの生データです。たとえばこれらの日付や情報がほかの情報と結びついて説明されることで、有益な情報になっていきます。「なるほど、○○線の開通にあわせてこうしたのか」とか「へー、ちょうど近くに天皇が来るからこういうことをしたんだ」とか。もちろん、記事がまだ未完成で成長途上の時点では、「年表しか無い」状態はしかたがありません。いろいろな情報を本当に単純に時系列だけで並べられると、時として因果関係がわからなくなります。テーマ別に整理することも必要です。
ちょっとだんだん「揚げ足取り」になっちゃうんですけど。この議論の最初にもんじゃさんは“#駅記事に関する疑問において御坊人さんも疑義を呈されていることから、これは私一人の感想ではないようです。”と言って議論を始めました。過去に反対意見なくなされた合意に「複数の反対意見がある」と主張して始めた議論です。
これでは「もんじゃさん一人の感想だ」と言われてもしょうがない状況ではないでしょうか。
一般論を申し上げます。実はこれはいま改訂中なので参考までに、という程度です。いつまでも「納得」しないという「ガイドライン」があります。かいつまんでいうと、共同作業の場であるウィキペディアでは、多くの方が合意を形成したら、たとえ自分はそれに異論があっても、多数の合意を尊重するべきだ、という考え方です。議論をして全員で合意を形成することが理想的ですが、一人だけが「俺は納得いかない」と言い続けて多数の合意を阻害するのが明らかにひどくなった場合には、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないに抵触しはじめるかもしれない、ということです。
すごいひどい例えをしますが、野球選手が試合中、主審に「ストライク3球でアウトにする必然性がわからない」と抗議したって相手にされないでしょう。多くの人達が「それもそうだね」と言ってルールを変えればいいですが、そうでなければ、あまり長く抗議して試合進行の妨げだとみなされると退場になっちゃうかもしれません。ひどいたとえですけどね。
別にルールをタテにとって脅かすわけじゃないですし、PJ:鉄道の方々で合意を形成なさればいいですし、その合意形成にもんじゃさんの意見も反映されるならそれでいいのですが、極論を(本当に極論ですよ)いうと、あなたにとっては「いまいちよくわからない」ままだったとしても、コミュニティ全体が「これでいい」と合意したならば、あなたもそれに従わなければならない時がやってくる、ということです。
あなたがどんなに素晴らしいアイデアを持っていても、ほかの多くの人たちが認めなければ、共同作業の場であるウィキペディアでは引っ込めるしかないのです。時には納得がいかなくても譲歩しなければいけないこともあるのです。自案を引っ込めたり譲歩するのは「自分の言い分は間違いだった」と認めるのとは違います。合意形成に協力するというだけです。
私の発言はまるで「黙らないとブロックするぞ」って脅かしてるみたいになっちゃってますが、そうではなくて、どこかで引き下がることも必要だよ、それは敗北とか自分が間違ってた!ということじゃなくて、コミュニティを重んじる崇高な行為だよ、ということなんです。「俺は絶対おかしいと思うし今でも納得していなけど、みんなが決めたことならしょうがない」というべき時もありますよ、ということです。疑問を感じたらそれをぶつけることは悪くはないし、それが生産性の向上や建設的な発展につながることもあります。ぶっつけつづけてみんなの作業が停滞し始めたら潮時かもしれないよ、という感じです。私だって最高のアイデアだと思って言ったことでも、賛同が得られなくてあきらめる、ということはよくあります。いまがそういう段階にきているのかどうかは、私は判断しません。過去の経緯や全体的な知見に乏しい部外者ですから。建設的・生産的であるかぎり、どうぞ議論をしてください。しかし、いつかは合意を形成しなければならない時がきます。--柒月例祭会話2015年5月26日 (火) 17:28 (UTC)

 分かりました。これで終わりにしましょう。その代わり、言いたいことを全部言わせていただきます。以下、私のボヤキですから、お返事いただく必要はありません。
 まずですね、私は先週水曜日のコメントで、「例外を認めてくれればそれでいい」という趣旨の発言をしたはずです。言い換えれば、「個別の駅記事で構成に問題があると感じるなら、駅記事のノートで議論すれば済む」ような形にしていただければそれでよかったんです。私とて「建設的で生産的」な活動がしたいですからね。そこへ「歴史をメインに据えない形態が適当となる駅記事があるとは思えない」とTam0031さんがおっしゃって、そのあとにHOPEさんが「Wikipediaは利用ガイドではない」という話を持ってきたから、こっちが食い下がらなきゃいけなかったんでしょ?
 「共同作業の場であるウィキペディアでは、多くの方が合意を形成したら、たとえ自分はそれに異論があっても、多数の合意を尊重するべきだ。」ごもっともな意見です。しかし、それは「少数派の意見をないがしろにしていい」という意味じゃないでしょ?これは別に「俺の意見を認めろ」なんて横柄なことを言っているのではない。「私の質問に答えてないでしょ?」ってことです。
 例えば、私はTam0031さんには「歴史をメインに据えない形態が適当となる駅記事があるとは思えない」の根拠をお尋ねしました。その後は、二度も「そこまでしてガイドラインに固執する必要があるのか」とお尋ねしたはずです。柒月例祭さんの意見では、「そうしなくてもこういう方法がある」ということは分かりました。しかし私の質問の答えにはなってない。つまり、議論のすり替えをやっていますのであって、私の意見が正しいとか間違ってるとか以前の問題でしょう?火曜日のご意見も、「歴史」節の解釈が違ってるんじゃないかってお話でしたけど、こっちは「なぜ動かしてはいけないのか」聞いてるんです。もしこれを無意識にやっているのであれば、あなたは「平均的な読者より大幅にバカ」なのかもしれないし、意図的にやっているとすれば、私のことを馬鹿にしていることになりますよ。ましてや、「みんな反対してるぞ?」みたいな一般論を持ち出されてはね。
 じゃあなぜ私の質問に答えられないか。はっきり言わせてもらいますけど、それは「ただ何となく」レイアウトを変更してしまったからじゃないですか?その証拠に、レイアウト変更の動機について、HOPEさんとTam0031では意見が食い違っているし、#駅の記述ガイドラインの改定についてでは、レイアウトを変更する理由について統一的な見解が示されておらず、「これこれこういう理由で」レイアウトを変更したと誰も説明することができない。事後的に理由を解釈せざるを得ないから、意見がバラバラになってしまう。もちろんその動機については、それぞれ考える所がおありだったんだろうし、見解が統一されなければ意見が一致していても変更することは出来ないなんてことはないです。しかし、そのレイアウトに反対する意見に対して、説得性というものは落ちるんじゃないですか?
 そもそも、レイアウトの方針というものは「レイアウト自体」を検討して決めることでしょ?なんでレイアウトの上に持ってきたら重視することになって、下に降ろしたらないがしろにしたことになるんですか?クライマックスを最初に持ってくる小説がどれだけありますか?私は手順を踏んで解説したほうが分かりやすいから、構造を先に持ってこようと言ってるんじゃないですか。例えば、何度も持ち出して悪いけど、JR長瀬駅については、私はDD51612さんの写真を見つけたのが先なんです。そして、ぜひこれを記事に使いたいと思ったんですけど、信号場の記事だけだと独立記事の要件を満たさないと思ったから統合の手続きを踏み、またこの写真だけを載せたら現在の様子を誤解するんじゃないかと思って構内の写真を足しました。だけれども、レイアウトの方針が改訂されたら、駅構内の写真を取り除いて信号場の写真を一緒に動かせばまだマシなものを、レイアウトだけ変更して写真をポツンと取り残してしまったんです。どっちがレイアウトのことを考えてるんでしょうか?
 ついでになりますが、「記事が主で写真が従」て、んなこと当たり前なことじゃないですか。私は適材適所ということを言ってるだけです。写真がうるさかったら降ろせばいいんだし。「写真が主」だったらそれは写真集じゃないですか。でも私は写真が全くない記事よりかは写真集が見たいですね。特に「歴史」に関連することなら、図書館で写真集を読み漁っているほうがよっぽど面白い。そしてこれはWikipediaの弱みなんです。例えば、著作権切れの写真ならいくらでも探してきて載せられますけど、ウィキペディアンの世代の問題で、鉄道全盛期のヨンサントオの頃の写真とか、あるいは国鉄再建法で廃止になった路線の写真というのは、なかなか持って来れない。そういう面でウィキペディアは市井に出回っている書籍よりも不利なのに、歴史をメインにしましょってあなたがたは言ってるわけです。しかも、適した写真がコモンズにあるのに、気付いていないというケースが往々にしてある。
 あと、そもそも検証可能性とレイアウトの問題は本来全く別ですが、検証可能性を問題視する人に対して言いたいことがあります。先日も言ったように、私は駅記事の出典に問題があるというのは寝耳に水でした。今までそれが問題にされたことがあまり無かったですから。しかし、確かにその通りだと思いますし、私も気がついたら補うようにしたいと思います。だが、なぜあなたたちは素知らぬ顔で「出典に問題がある記述は載せられない」と言えるのですか?柒月例祭さんは鉄道に関係がないからいいですよ。ですが、鉄道の記事をいじっているのに、{{出典の明記}}テンプレートを貼ってシレッとしてる人は、まるで「私はちゃんとやってるのに、駅構造を書いてる奴らがだらしない」とでも言いたげですが、鉄オタに「歴史」派と「駅構造」派があるなんて話は私は聞いたことが無いですよ?撮・乗・模型の分類なら一般的ですが。もしそういう派閥があるにしても、世間の人は「鉄オタ」という括りでしか見ませんよ。要するに、出典に問題があると思っているのに、なぜ自分で補おうと努力しないんですか?自分でやりたくなければ、「こういう書籍があるよ」とアドバイスするということもできるはずです。それをしない人は、自分を棚に上げて「出典を明記しない奴はけしからん」なんて非難してるつもりなのかもしれないけど、それは自分自身の執筆能力が無いということを示してるだけじゃないですか。あるいは、「駅構造」は除去すべきだと主張してるなら筋は通りますがね。さらに言えば、私も「駅構造」よりも「歴史」を加筆した分量のほうが多いと思いますが、それでも駅構造の記述は必要だと思ってるからこのような提案をしてるんですよ。
 最後に、駅はガイドブックではない云々について。数年前に『○○ライン』という題で、鉄道の配線図を載せた本が出てましたね?それに、前に挙げた『鉄道ジャーナル』のように、現在の駅の様子を中心に解説しているものもある。この本を見ながら、「ああ特急は○番線だな」ってガイドブックに使う人がいますか?要するに、配線や駅の構造(高架、地上、地下)などを総括して「駅構造」としているのであって、これをガイドブック的というのはあまりに短絡的でしょう?駅構造の存在意義を否定するのなら、「歴史」節に「○○ホームは特急が発着していた」という記述もできなくなるのではないですか?
 以上、長々と失礼しました。投稿ブロックがしたければ勝手にどうぞ。--もんじゃ会話2015年5月29日 (金) 15:25 (UTC)

もう議論は終わりということなのかもしれませんが、私のことについても言及されましたので返答しておきます。私は、もんじゃさんの質問には、きちんと回答したつもりです。「駅と社会とのかかわり、どのような影響を与えたか、などといったことを多面的に取り扱うのが百科事典なわけですから、歴史を順次書いていって、その後で現状をまとめるのが、もっとも整理された形になるものと考えています」のところです。回答しているものに対して「回答になってない」と言われても、単に読んでないのか理解するつもりがないのか、と思わざるを得ないです。HOPEさんと意見が統一されていない、とのことですが、そもそも同じ記事構造が正しいと思っていても、その理由は人によって違うかもしれないので、意見が統一されていなくても当然のことですよ。そんなことまで統一することは求められていません。
「クライマックスを最初に持ってくる小説がどれだけありますか」とのことですが、それなら「「駅構造」は駅記事のコアに近い部分であるという考え」はどうなったのですか。コアに近いから駅構造を上に書け、と言っていた人が、今になって「クライマックスは最初に持ってこない」と言い出すのですか。それなら、もんじゃさんは「駅構造」節がコア=クライマックスだから後に持って行くということであり、私は時系列で順に説明するのがよいから「歴史」節が前であり、ということで、記事の構成について何の異論もないことになるじゃないですか。
時系列に沿って順に書くのがよい、という主張をしているのに、どうして「「駅構造」は除去すべきだと主張してるなら筋は通ります」となるのか、まるで訳が分かりません。開業から順に説明して行って、結果として現状がある、という並べ方が分かりやすいと言っているのですから、開業以来の設備の改良についても順次歴史節で説明はなされますよ。私が書いた東京駅の歴史が現にそうなっているでしょう。逆に、駅構造の節でも、この駅舎は何年にできた、とちょっと歴史に触れることもあるかもしれません。歴史と構造は完全に独立には書けません。そんなことは当たり前です。頭に血が上っているのかもしれませんが、ちょっと支離滅裂にすぎます。もう少し落ち着いて書いてください。--Tam0031会話2015年5月30日 (土) 03:45 (UTC)
コメント - 全く子供じゃあるまいし、ボヤキだとかブロックがしたければ勝手にどうぞなどと捨て台詞はここに書かないで頂きたいです。恥ずかしいですよ。クライマックスが最初にあるものなんて決して珍しくはないですね。そのことと歴史を上部に持ってくることが全く関連していません。写真のことも仰ってることが支離滅裂で理解に苦しみます。それから、駅記事の出典に問題があることは寝耳に水でしたと仰いますが、今までどこの記事をご覧になっていたのでしょう。もう幾人かのベテランの利用者が片っ端からあっちこっちの記事に付けて回ってますから、全く目にしたことがなかったというのは不可解です。私の場合は目黒駅で議論になっているのをお見かけして、それで特に意識するようになりましたということはありますが。出典に問題があると思うなら、そう思う人が補え?日本だけで約1万の駅があるのですよ。大体、方針やガイドラインでは出典は記述を残したい方が示せとはっきり書いてあるのですよ。それを自力で補えないのは能力不足なんてどうかしています。少なくとも私は調べたうえで、ないものに対してはやむを得ず付けています。とにかく、あまりにも酷いコメントであんまりです。--UE-PON2600会話2015年5月31日 (日) 16:24 (UTC)

ホームの使用状況の欄について

おはようございます。播磨国の鉄道・音楽ファンです。

各駅の「のりば」の記述は表形式になっていますが、備考欄の扱いについてここで議論したいと思っています。

備考欄には

  1. 東加古川駅のように、島式ホームで両側から同じ方向の列車が発車し、その片側は速達列車の通過待ちなどの用途にのみ使用する場合。
  2. 竜王駅福井駅などのように、一部の列車が反対方向行きのホームから出る場合に、通常使用するホームに一部列車は反対方向から出る旨の記述がある場合。
  3. 大阪駅京都駅などのように、同じ方向で列車種別によってホームが異なる場合に、そのホームから出る列車種別の記述がある場合。
  4. 須磨駅英賀保駅などのように、特定の時間帯はホームや行先が限定されている場合に、その旨があるもの。

と、大きく分けて4つあります。

表の見やすさやWikipediaが駅の使用ガイドではないこと、そして駅の規模などを勘案して議論を進めたいと思っています。--播磨国の鉄道・音楽ファン 2015年5月23日 (土) 00:44 (UTC)

見やすさを考えるなら、鉄道にあまり詳しくない読者のことを考えて、待避列車の有無に関係なく「一部○番のりば」という風に記述し、表の外で「○番のりば」から発車するのは、速達列車(新快速・快速・特急など)の待ち合わせ(または通過待ち)をする列車であるという風に記述したらいいと思います。

また、宝殿駅のように、不要な記述欄をcolspanで結合していますが、備考欄で空欄の場合でもレイアウト上で妥当などうかについても、議論したいと思っています。

紀伊駅のように、片側のホームが待ち合わせ専用であることに言及がないケースもありますので、このあたりも考慮に入れたらいいと思います。--播磨国の鉄道・音楽ファン 2015年5月23日 (土) 00:44 (UTC)

鉄道駅隣接の停留場記事は営業路線と廃止路線で違ってよいか

鉄道駅に併設する路面電車停留場の記事は、現存する営業路線においては、些細な名称の違い(××駅前停留場など)はあっても鉄道駅と同じ記事で扱うことが原則になっているかと存じます(函館駅富山駅高岡駅岡山駅広島駅高知駅松山駅熊本駅鹿児島中央駅など)。しかし、廃止路線においては必ずしもそうなってはおらず、岐阜駅前駅仙台駅前停留場が単独立項された状態です。「廃止路線なら単独立項してもよい」といった何らかの合意がなされているのかと思いましたが、特にそのような決定はないようです。営業路線と廃止路線で扱いを分けるべきなのかどうか、ご意見を賜りたいと存じます。なお、現存路線でも豊橋駅に関しては駅前停留場と単独立項になっていますが、これは「駅名が違うから」という理由でしょうか。--Unamu 2016年7月15日 (金) 11:38 (UTC)

路面電車については鉄道駅と同じ記事で扱うことが原則とありますが、どこにありますでしょうか?同一名称の鉄道線の駅と路面電車の停留場が同じ項目に同居している場合は駅の方に合わせるというガイドライン(Wikipedia:記事名の付け方/鉄道#駅記事名)はありますが、独立基準に対してはプロジェクト:鉄道#独立基準があるだけで、明確なものは無いように思います。しかも、後者についてはプロジェクト:鉄道/駅にもある通り草案段階でありWP:GUIDESに該当するような「ガイドライン」ではないはずです。また、駅前停留場に関してはノート:豊橋駅で分割提案され、そこで合意された上での単独立項です。分割理由を見る限り、駅名が違うからという理由ではありません。--UE-PON2600会話2016年7月17日 (日) 15:34 (UTC)
ノート:豊橋駅を拝見しました。来歴及び記事の分量が主な理由とされているようですが、名称についても一応言及はございますね。鉄道駅と同じ記事に含めるのが「原則やガイドラインではない」という点については認識を新たにしましたが、それならば、どういった場合に単独記事にするのかという点を明確にした方がよいのではないかと存じます(現存・廃止を問わず)--Unamu会話2016年7月17日 (日) 15:40 (UTC)

画像による駅番号の表示について

首都圏の鉄道駅・路線記事を中心に、駅番号をピクトグラム形式で画像表示する例が目につきますが、確かに見た目はカッコいいのですが、画像の閲覧できない環境下では、まったく訳が分からなくなってしまいます。ウィキペディアの利用しやすさの観点から、過度なマークアップは控えるべきであり、現状は行き過ぎていると感じます。つまり、アクセシビリティに問題があるということです。そのため、駅番号の画像表示の禁止およびテキスト表示への再置き換えを提案します。こういった傾向が表れてから、時間が経っているため多くの記事に普及している状況ではありますが、こうした不便は看過できないと思います。広く皆さんの意見を求めます。--Kone会話2017年3月3日 (金) 09:54 (UTC)

コメント - 駅番号等のテキスト画像化に関してはWikipedia‐ノート:記事名の付け方/鉄道#駅一覧の駅番号に画像を使うことについてプロジェクト‐ノート:鉄道/色#路線記号・駅番号の表現についてにて昨年末より議論を行っています。その成果をプロジェクト:鉄道#文字画像によるマークアップとして先月末にリリースし、とりあえずこの規定に反する画像化に関してはテキストに戻すことを考えています(残る課題に関しては対応が一段落してから有志がやるってことで…)。--ButuCC+Mtp 2017年3月5日 (日) 19:57 (UTC)

プラットホームの「形状と配置」節への内部リンクに関して

標題の件について、ノート:プラットホーム#プラットホームの「形状と配置」節への内部リンクに関してで議論を行っております。ご意見をお寄せいただければ幸いです。--ワーナー成増会話2018年5月3日 (木) 23:48 (UTC)

「Category:韓国鉄道公社の鉄道駅」の再作成について

事後報告の形になりますが、2008年にWikipedia:削除依頼/韓国鉄道公社関連により削除されたCategory:韓国鉄道公社の鉄道駅を再作成しました。作成後に「削除されたページの改善なき再作成」として即時削除依頼が提出されました(削除者のSilverSpeech氏により依頼は却下されています)。2008年当時と2018年現在では状況が異なり、削除されるには当たらないのではないかと考えますが、これについてご意見などがございましたらCategory‐ノート:韓国鉄道公社の鉄道駅までよろしくお願いいたしします。--Ihimutefu会話2018年6月12日 (火) 13:27 (UTC)

10年前と比べて変わったのはSR(それも3駅。現在は韓国鉄道公社が管理)だけで地下鉄(果川線、一山線、盆唐線、水仁線を除く)と空港鉄道を除いてはすべて韓国鉄道公社が経営する駅(営業中だけでも600駅以上)であることには大きな変更がありません。韓国鉄道公社の駅は路線別の分類が大抵の路線でされています。私鉄天国の日本の鉄道の感覚で作成してはいけません。--hyolee2/H.L.LEE 2018年6月14日 (木) 02:41 (UTC)

駅構造の「のりば」の方面表記の根拠について

駅構造の中には表を使ったのりばと方面の記載がありますが、この方面は何を根拠に書くべきでしょうか?

北陸線や新潟県内の各駅では、駅設置のサインに揃えるとか、どこトレに合わせる、現地の案内に従うといったコメントの書き方が2018年4月時点で目立ちますが、それに待ったをかける方が最近になっていらっしゃることが分かりました。

理由は「検出可能性の観点」とのことですが、となると駅での実際の案内とWikipedia上の表記が大きく乖離してしまうように感じますし、何より他のページを作り上げた先人の方々の編集を批判しているようにも感じます。

というのも、どなたも"それ"に関しては検出可能かどうか触れておられないのですから。

一々目くじら立ててるのもどうかと思ったのですが、全記事において統一した方針を立てていきたいと考えた次第です。

合意形成を取りたいので、皆様の意見をお待ちしております。

現状どうか?(大多数は〇〇だから良し)ではなく、これからどうしていくかについて皆様の意見をお待ちしております。 Rebirth10会話2018年9月1日 (土) 01:46 (UTC)

コメント - JR東海の駅記事ではかなり前から公式HPの各駅時刻表(現地の掲示物と同じデザインのPDFファイル)が方面表記の根拠として用いられており、私は最近これに倣って名鉄各駅の行先表記を公式HPの記載に統一しました(時々書き換えが起こっていたので)。ですので出典を元に掲載基準を決めるなら「全記事で統一」ではなく、各事業者毎に基準となる出典を決めて「事業者ごとに統一」するというのが妥当な落としどころであろうと思います。--ButuCC+Mtp 2018年9月1日 (土) 03:02 (UTC)
コメント - もうどなたも議論して下さらないので、ひとまず新潟県内のページは駅の案内に従うという従来からのスタイルを継承したいと思います。--Rebirth10

どうもありがとうございました。--以上の署名のないコメントは、Rebirth10会話投稿記録)さんが 2018年9月10日 (月) 18:06 に投稿したものです(ButuCC+Mtpによる付記)。

勝手に私を署名のリンク先にしないでいただきたい。あと、意見を募集するなら会話ページにマルチポストするのではなくWikipedia:コメント依頼なりに提出した方がよろしいのでは。--ButuCC+Mtp 2018年9月11日 (火) 04:43 (UTC)

駅設置のサインを出典とすることは目撃情報を書くことになるのでできません。方向については、一部の鉄道事業者では各駅別の案内を公式ホームページでしている場合があるので、それを出典にすることは可能ですので、そちらをお勧めします(ところで東建が運営しているホームメイト・リサーチの駅記事は出典になるのだろうか?東建公式とは言え一般からの投稿がメインなので使えるかどうか微妙ですがね…)。--東京サブウェイ会話2018年10月10日 (水) 15:25 (UTC)

駅構造の節にある「駅メロ」記載について

このほど、駅メロが首都圏の各駅ページの駅構造に記載されていることに気が付きました。市政だよりで広く紹介されるご当地メロディを除き、目撃情報にあたるもの(と推測される)ばかりで、出典がひとつもありませんでした。品川駅のページにはほかにも「トイレには温水便座があります」といった意味不明な記述も見受けられますが、こういった出典のない記述の是非について合意形成を取りたいと思います。 駅メロの記載を消すべきか残すべきか、コメントに移設して出典が出てきたら復元するといった意見を出していただければと思います。賛成票や反対票を皆様に出していただき、最終的にすべての全ページに適用できればと思っております。 議論への参加をお願い致します。 Rebirth10会話) 2018年10月19日 (金) 1:56 (UTC)

上記ののりばの方向の駅設置の看板を目撃して書いたのりば方向にも言えますが、目撃情報は問答無用で除去でいいでしょう。--海ボチャン会話2018年12月2日 (日) 09:12 (UTC)