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テネシー・タイタンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テネシー・タイタンズ
Tennessee Titans
創設 1959年8月3日 (65年前) (1959-08-03)
AFL参入 1960年シーズン
所属地区
チームデザイン
チームロゴ

内側に「T」字と3つの星のある円形に青と赤の炎
チームカラー
  ネイビー
  タイタンズブルー
 
  シルバー
 
ユニフォーム
チーム名
  • テネシー・タイタンズ(1999-現在)
    • テネシー・オイラーズ(1997-1998)
    • ヒューストン・オイラーズ(1960-1996)
ホームタウン
テネシー・タイタンズの位置(アメリカ合衆国内)
1998-現在
1998-現在
1997
1997
1960-1996
1960-1996

テネシー州ナッシュビル(1998-現在)
テネシー州メンフィス(1997)
テキサス州ヒューストン(1960-1996)

ニッサン・スタジアム
 LPフィールド
 ザ・コロシアム
 アデルフィア・スタジアム
(1999-現在)
ヴァンダービルト・スタジアム(1998)
リバティーボウル・メモリアルスタジアム(1997)
アストロドーム(1968-1996)
ライス・スタジアム(1965-1967)
ジェプセン・スタジアム(1960-1964)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (0回)
  • なし
カンファレンス・チャンピオン (1回)
AFC
地区優勝 (8回)
AFL東地区
AFC中地区
AFC南地区
ワイルドカード(14回)
プレーオフ進出(22/59回)
AFL(1960-1969)における実績
AFLチャンピオン
地区優勝
AFL東地区
球団組織
オーナー エイミー・アダムス・ストランク
GM ラン・カートン
ヘッドコーチ ブライアン・キャラハン

テネシー・タイタンズ英語: Tennessee Titans、略称: TEN) は、アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルに本拠地をおくNFLチーム。AFC南地区に所属している。ホームスタジアムはニッサン・スタジアムで、本部と練習場は同じナッシュビルのメトロセンター・コンプレックスにある「セント・トーマス・スポーツパーク」である。

概要

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1960年アメリカン・フットボール・リーグ(AFL)創設と共に誕生したチームで、当時はテキサス州ヒューストンジェプセン・スタジアムを本拠地とするヒューストン・オイラーズ(Houston Oilers)という名称であった。創設者でオーナーのバド・アダムス英語版2013年に亡くなるまでチームを所有していた。1970年のNFLとの合併までの間に4度の地区優勝と2度のAFLチャンピオンを果たした(1960年は創設1年目での優勝)。オイラーズはNFL加入後も、1978年から1980年1987年から1993年にかけて、アール・キャンベルウォーレン・ムーンの活躍により連続でプレーオフに出場している。

1997年にヒューストンからテネシー州ナッシュビルに移転した。ナッシュビルの新スタジアム完成までの間、メンフィスリバティーボウル・メモリアルスタジアム英語版で1年間だけプレーをしたが、観客が少なかったため、翌1998年はナッシュビルのヴァンダービルト・スタジアム英語版を本拠地とした。この2年間、チームはテネシー・オイラーズ(Tennessee Oilers)という名称だったが、1999年に新スタジアムのアデルフィア・スタジアム(現:ニッサン・スタジアム)開場に合わせてテネシー・タイタンズへと変更した。

スーパーボウルへは1999年第34回に出場を果たしたものの、セントルイス・ラムズに23-16で敗れた。2003年まではプレーオフ常連だったものの、それ以降は13年間で2度しかプレーオフ進出を果たしていない。2016年以降は持ち直し、2017年、2019年、2020年シーズンにはプレーオフ進出を果たしている。タイタンズは、2,000ヤードラッシャーが2人在籍する唯一のチームである(2009年クリス・ジョンソン2020年デリック・ヘンリー)。

歴史

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1960年代から1970年代

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RBのビリー・キャノン

1960年、AFL(アメリカン・フットボール・リーグ)の1チーム、ヒューストン・オイラーズとしてテキサス州ヒューストンに本拠地に創設された。オーナーはヒューストンの石油王だったバド・アダムス。チームはハイズマン賞受賞者でオールアメリカンのランニングバック、ビリー・キャノンをNFLとの争いで獲得していた。クォーターバックのジョージ・ブランダ、フランカーのチャーリー・ヘニガン、ランニングバックのチャーリー・トーラー、ガードのボブ・タラミニとオフェンスにはタレントがそろっていた。AFLチャンピオンシップゲームに1960年から1962年と3年連続出場し、最初の2回はロサンゼルス・チャージャーズ(現サンディエゴ・チャージャーズ)を破り優勝、1962年はダブルオーバータイムの末ダラス・テキサンズ(現カンザスシティ・チーフス)に敗れた。1961年11月19日のニューヨーク・タイタンズ戦でジョージ・ブランダがNFL、AFLを合わせたリーグ記録となる7TDパスをあげた[1]

1962年、AFLのチームとして初めてNFLに所属していた選手を獲得、シカゴ・ベアーズのワイドレシーバーだった Willard Dewveall はサンディエゴ・チャージャーズ戦でジャッキー・リー英語版からプロフットボール記録となる99ヤードのタッチダウンレシーブを達成している。1968年にはプロフットボールチームとして初のドーム球場アストロドーム)を本拠地とするチームとなった。

1963年12月22日のオークランド・レイダース戦の第2Qにジョージ・ブランダが2TDパス、FBのチャーリー・トラールが1TDラン、一方、レイダースQBのトム・フローレスに4TDパスを許した。両軍合わせて49得点はNFL、AFLを合わせた1Qの記録となっている[2]。翌1964年1月1日のバッファロー・ビルズ戦ではブランダが1試合パス試投68回の記録を作った。この記録は1994年ドリュー・ブレッドソーが1試合70回のパス試投をするまで30年間破られなかった[3]

1967年、AFLの東地区優勝を果たした。1968年、アストロドームを本拠地としたが、プロフットボールのチームとしてドーム球場を本拠地としたのは、オイラーズが初めてであった。

1969年、6勝6敗1分でプレーオフに進出したが、オークランド・レイダースに7-56で敗れた。

AFLがNFLに吸収合併されてから数年間はオイラーズはAFC中地区で低迷した。1970年は、3勝10敗1分、1971年は、4勝9敗1分に終わり、1972年1973年は2年連続で1勝13敗に終わった。1973年シーズン途中からヘッドコーチを務めていたシド・ギルマンは、1974年に7勝7敗で終わった後、退団した。

1975年バム・フィリップスが新ヘッドコーチとなり、エルビン・ベゼアビリー・ホワイト・シューズ・ジョンソンが加入、1970年代に入り初めて勝ち越してシーズンを終えた。

1976年、5勝9敗に終わったが、1977年、8勝6敗と勝率をあげた。

1978年、この年入団したアール・キャンベルは11月20日のマイアミ・ドルフィンズ戦で199ヤードを走り、4TDをあげるなど、マンデーナイトフットボール2試合で288ヤードを走り7TDをあげるなど[4]、この年リーディングラッシャーとなり[5]ルーキー・オブ・ザ・イヤー及びシーズンMVPに選ばれる活躍で[6]、チームはNFLに加入後初のプレーオフに進出した。キャンベルは3年連続でリーディングラッシャーとなり[5]、チームは1978年から1980年まで3年連続プレーオフに進出したが、その内2回はAFCチャンピオンシップゲームで当時全盛期だったピッツバーグ・スティーラーズに敗れスーパーボウル出場はならなかった。

1978年、キャンベルはレギュラーシーズンに1,450ヤードを走り、チームは11勝5敗でプレーオフに出場した。プレーオフ初戦でデンバー・ブロンコスを破ったが、この試合でキャンベルが負傷、サンディエゴ・チャージャーズ戦でバーノン・ペリーが4インターセプト、相手FGをブロックする大活躍を見せて、勝利した。AFCチャンピオンシップゲームでは、スティールカーテンの前に、9回のターンオーバーを喫し、5-34、1979年のAFCチャンピオンシップゲームではキャンベルが17回のランでわずか15ヤードに抑えられ、13-27で敗れた[7][8]

1980年代から1995年

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1980年、11勝5敗で3年連続ワイルドカードでプレーオフに進出したが、オークランド・レイダースに初戦で敗れた。バム・フィリップスヘッドコーチはアダムスオーナーによって解任されて、エド・バイルズが後任となった。

1981年、チームはロードで連勝してスタートしたがその後、ロードで23連敗というNFL記録を作るほど低迷してしまう(この記録は2003年12月21日にデトロイト・ライオンズの24連敗で更新された。)。1981年を7勝9敗、ストライキで短縮された1982年を1勝8敗、1983年を2勝14敗で終えた。1983年第6週でバイルズヘッドコーチは辞任し、チャック・ステュッドリーが暫定ヘッドコーチに就任、シーズン終了後、ヒュー・キャンベルがヘッドコーチとなった。

1984年カナディアン・フットボール・リーグのスーパースター、ウォーレン・ムーンを獲得したが[9]、この年は2勝14敗に終わった。

1985年、チームは高齢のキャンベルをニューオーリンズ・セインツにトレードし、USFLでプレーしていたハイズマン賞受賞者のRBマイク・ロウジャーを獲得した。5勝9敗となったところで、ヒュー・キャンベルは解任され、ジェリー・グランビルがヘッドコーチとなった。

1985年9月29日のダラス・カウボーイズ戦ではムーンがNFL記録となる12サックを浴び4インターセプトを喫するなど散々であった[10]

ダン・パストリーニ

1986年グリーンベイ・パッカーズとの開幕戦に31-3で勝利したが、5勝11敗に終わった。

その後1987年から1993年まで7年連続プレーオフに進出しAFCの強豪の1つとなった。この間1991年には1967年以来となる地区優勝を果たしている。

ストライキで1試合減り、3試合で代替選手が出場した1987年、9勝6敗で7年ぶりにプレーオフに進出、ワイルドカードでは、シアトル・シーホークスをオーバータイムの末破り、ディビジョナルプレーオフでデンバー・ブロンコスに敗れた。

1988年、10勝6敗でワイルドカードでプレーオフに進出、雪の降る敵地クリーブランド・スタジアムクリーブランド・ブラウンズを24-23で破ったが、翌週バッファロー・ビルズに敗れた。

エースQBとしてチームを支えたウォーレン・ムーン(左)

1989年1990年は、ともに9勝7敗でワイルドカードでプレーオフに進出したが、ピッツバーグ・スティーラーズ、シンシナティ・ベンガルズに敗れた。

1991年、チームは25年ぶりに地区優勝を果たした。プレーオフ、デンバー・ブロンコス戦では残り2分07秒、24-23と1点リードしていたが、敵陣2ヤード地点からジョン・エルウェイに98ヤードのドライブで、最後デビッド・トレドウェルに逆転FGを決められて24-26で敗れた[11]

1992年、最終週にバッファロー・ビルズを破り、10勝6敗でプレーオフに進出した。翌週のワイルドカードプレーオフでもビルズと対戦、前週の試合で負傷したジム・ケリーを欠くビルズに対して、後半開始早々35-3とリードしたものの、オーバータイムの末、38-41で敗れた。敗戦直後にその年NFL3位のディフェンスを築いたジム・エディディフェンスコーディネーターは解任された。

1993年、チームは12勝4敗でAFC中地区優勝を果たしたが、プレーオフ2回戦でカンザスシティ・チーフスに敗れた。これに怒ったアダムスによってムーンはミネソタ・バイキングスにトレードされることとなった。

1994年、ムーンを失ったチームは2勝14敗に終わった。

1995年、前年の低成績によりドラフトでは高順位となり、QBスティーブ・マクネアを獲得することができた。

本拠地移転

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17年間コーチとして務めたジェフ・フィッシャー

1987年、アダムスオーナーはフロリダ州ジャクソンビルへの移転を計画していることを公表した。この時点でアストロドームは50,000人しかフットボールゲームで収容できず、これはNFLのスタジアムの中で最小であった。市当局は6,700万ドルをかけて10,000人の収容人数増、65のラグジュアリボックスを追加する改修を行ったがこれはその後30年間の増税が必要となった。

1995年、またもアダムスは新スタジアム建設を市当局に働きかけたがアストロドームに代わる新スタジアム建設が控えていたため良い返事を得ることができなかった。そしてテネシー州ナッシュビル市長のフィル・ブレーデセンと秘密交渉をして、1995年シーズン終了後、1998年からナッシュビルに移転することを発表した。翌年のオーナー会議でテネシーへの移転は23-6で承認された[12]。市は1億4400万ドルをかけて新スタジアムを建設することを約束した。後にテネシー州政府も、チーム名をナッシュビルではなくテネシーとすることなどを条件にスタジアム建設の資金を提供している。

1996年、観客が20,000人以下しか入らず、フィールド上の声がメインスタンドでも聞けるほどであった。チームはロードゲームでは6勝2敗だったが、ホームゲームで2勝6敗に終わり8勝8敗であった。市はアダムスに早期移転を了承しこの年がヒューストンでの最後のゲームとなった。

1997年、ナッシュビルには当時収容人数最大のスタジアムは41,000人が入場できるヴァンダービルト・スタジアムヴァンタービルト大学のスタジアム)があったがアダムスはこれを嫌い、メンフィスにあるリバティーボウル・メモリアルスタジアムを新スタジアムができるまでの2年間の本拠地と定めた。そのため本拠地をナッシュビルに置いていたチームはシーズン全ての試合をアウェーで行うかのようになってしまった。この決定はメンフィス、ナッシュビル双方の市民にとって不幸なことでメンフィス市民は対抗意識のあるナッシュビルを本拠地とするチームに関心を示さず、ナッシュビル市民は320kmのドライブをして自分たちのチームの応援に行く羽目になった。1950年代以降史上最低の観客動員となってしまった。このため最後の主催ゲームである対ピッツバーグ・スティーラーズ戦のみヴァンタービルト・スタジアムで行われた。この試合には50,677人の観客が入り、多くのファンが入場できなかったが観客の2/3はスティーラーズファンであった。

1998年、前年の反省からアダムスは方針転換。本拠地をヴァンダービルト・スタジアムに変更した。

ナッシュビル移転後

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1998年シーズン中、ナッシュビルに相応しい新しい愛称を募集した。この時、オイラーズから愛称が変更されても、引き続きヒューストン・オイラーズ時代の歴史を引き継いでいく明言した[注 1]。新チームの名称を決めるための委員会が設けられたがそこでアダムスはパワー、強さ、リーダーシップといったイメージが連想される名称とすることを求めた。1998年12月22日に新しいチーム名がテネシー・タイタンズとなることが発表された[注 2]

1999年、ナッシュビルに新スタジアムとなるアデルフィア・スタジアム(現:ニッサン・スタジアム)が開場し新たな本拠地となる。この年、チームはジャクソンビル・ジャガーズに地区優勝こそ譲ったものの13勝3敗で地区2位となりプレーオフに出場。その第1戦となるバッファロー・ビルズ戦で、 後にミュージック・シティ・ミラクル(Music City Miracle)と呼ばれるようになるビッグ・プレイが飛び出す。残り16秒でビルズのフィールドゴールが決まり15-16とリードを許した直後、キックオフをレシーブしたロレンゾ・ニールからのハンドオフを受けたタイトエンドのフランク・ワイチェックが、自陣から見て左サイドライン際にいたケビン・ダイソンにラテラルパス(横方向のパス)を送ったのである。ボールを受けたダイソンは75ヤードを走り逆転のタッチダウンを挙げた[13]。キックオフ・リターン中のパスプレイという虚を突いたこのプレイは「ホームラン・スローバック」と呼ばれている[注 3][14]。その後インディアナポリス・コルツ戦ではエディ・ジョージがチームのプレーオフ記録となる162ヤードを走り、ディフェンスは相手の2年目QBのペイトン・マニングのパスを43回中19回しか成功させず19-16で勝利した。ジャガーズに対してはディフェンスが6回のターンオーバー、セイフティ1回を記録し33-14で勝利し第34回スーパーボウルに出場した。最後の攻撃でケビン・ダイソンが残り1ヤードのところでタックルされて(このプレイはザ・タックルと呼ばれている。)タッチダウンが奪えず16-23で敗れた。なおタイタンズはこの年14勝2敗の成績を残したジャガーズを破った唯一のチームとなった(レギュラーシーズン2勝及びAFCチャンピオンシップゲーム

2000年、チームは13勝3敗でオイラーズ時代の1991年1993年に次いで3度目のAFC中地区優勝を果たしたがプレーオフ初戦でその年の第35回スーパーボウルを制したボルチモア・レイブンズに敗れた。

2002年、この年から再編となったAFC南地区優勝を果たしたがAFCチャンピオンシップゲームでオークランド・レイダースに敗れた。

2003年、所属のスティーブ・マクネアペイトン・マニングとシーズンMVPを分け合う活躍を見せたが第38回スーパーボウルを制したニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。

2004年、主力選手に怪我人が多く出たため5勝11敗に終わる。シーズン終了後チームのフロントはデリック・メイソンサマリ・ロールケビン・カーターなど多くの選手をトレードしたり契約を打ち切った。これはチームがサラリーキャップをオーバーしたためである。

2005年、NFL1若いチームとなる。ドラフト1巡指名のコーナーバック、パックマン・ジョーンズ、オフェンスタックルのマイケル・ルース、3人のワイドレシーバー(ブランドン・ジョーンズコートニー・ロビーロイデル・ウィリアムス)などのルーキーがプレイした。このシーズンは4勝12敗に終わった。

2006年、スティーブ・マクネアはこの年のドラフト4巡目指名権と引換えにボルチモア・レイブンズに移籍となる。結果8勝8敗に終わったがヴィンス・ヤング(この年のドラフト全体3位で指名)が先発した試合では6連勝を含み8勝5敗であった。

2007年、10勝6敗となりプレーオフに出場したが1回戦でサンディエゴ・チャージャーズに敗れている。

QBのケリー・コリンズ

2008年、開幕戦でQBのヴィンス・ヤングが負傷し、ケリー・コリンズが先発することとなったがチームはニューヨーク・ジェッツに敗れるまで開幕から10連勝を果たし[15]、シーズンを13勝3敗で終えプレーオフの第1シードを獲得した[16][17]。しかしディビジョナル・プレーオフでボルチモア・レイブンズに敗れてシーズンを終えた[18]

2009年、チームはコリンズと2年間1500万ドルの契約を結んだ[19]。開幕前期待されたものの開幕戦から6連敗を喫した[15]。次の試合より先発QBをケリー・コリンズからヴィンス・ヤングに変更した後、連勝を続け奇跡のプレーオフ進出なるかと注目を浴び[20][21]プレーオフは逃したものの8勝8敗でシーズンを終えた。シーズン最終戦まで11試合連続で100ヤードラッシュを見せた[22]クリス・ジョンソンが史上6人目となるシーズン2000ヤードラッシュを達成した[23]。ジョンソンはRBとしてのリーグ最高年俸を期待し[24]契約の見直しを要求、8月にチームが提示した金額での契約に応じた[25]

2010年、チームはNFL選手会代表も務める、プロボウルCのケビン・マワイと再契約を結ばなかった[26]。また5年間で38.5サックをあげた[27]カイル・バンデンボッシュも失った[28]。チームは5勝2敗と好スタートを切ったもののヴィンス・ヤングが負傷した後、成績は低迷し残り9試合で8敗し、6勝10敗に終わりプレーオフ出場を逃した。ヴィンス・ヤングは戦力外を通告された。ジェフ・フィッシャーヘッドコーチはアダムスオーナーより続投を明言された[29]がその後解任され、マイク・マンチャックがヘッドコーチに就任、シアトル・シーホークスからQBマット・ハッセルベックを獲得した。

2011年、シーズン開幕戦直前までクリス・ジョンソンがホールドアウトを行い、開幕戦にこそ間に合ったものの、最終的に1,047ヤード獲得 (1回平均4.0ヤード)と、自己最低の成績に終わった。しかし、ハッセルベックがムーン以外ではチーム初となる年間パス3,500ヤードを達成するなどの活躍もあり、シーズンは9勝7敗で終えた。タイブレークにより、チームはプレーオフこそ逃したが、先発QBとHCが変わったにもかかわらず、下馬評を大きく上回る活躍を見せた。

2012年、2年目のQBジェイク・ロッカー(ドラフト全体8位指名)がハッセルベックとの先発争いに勝って、エースQBに指名された。ロッカーは、第4週に負傷退場、左肩を脱臼していることが分かった[30]

2013年、三年連続してプレーオフ出場を逃してHCのマイク・マンチャックは解任された。

2014年、ケン・ウィゼンハントがHCに就任した。だがチームは二年連続して地区最下位となる。

プロボウルに5年連続で選出されたDLのジャーレル・ケーシー

2015年、この年までの間に新スタジアムの命名権者の破綻などにより名称は変遷していたが、新命名権者が日産自動車となり、スタジアム名はニッサン・スタジアムとなる。これは20年の長期にわたる命名権契約である。この年のドラフト全体2位でQBマーカス・マリオタを指名した。シーズン終盤にウィゼンハントは解任され、マイク・ムラーキーが臨時HCとなる。

2016年、この年もマイク・ムラーキーがHCを勤め地区二位となったがプレーオフは逃した。

2017年、ワイルドカードでプレーオフに進出し、初戦はカンサスシティ・チーフスを破ったが二戦目でニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。翌日、マイク・ムラーキーは退任し、後任はマイク・ブレイベルが就任した。

2018年、最終戦で敗れてプレーオフ進出を逃した。

2019年は、シーズン途中からマーカス・マリオタに代えて、マイアミ・ドルフィンズからトレードされたライアン・タネヒルを先発QBとして起用し始めた。シード6位のワイルドカードでプレーオフ進出を果たし、初戦では前年のスーパーボウルチャンピオンでシード3位のニューイングランド・ペイトリオッツを破り、第二戦ではシード1位のボルティモア・レイブンズを破った。だがAFCチャンピオンシップゲームではカンサスシティ・チーフスに敗れた。

2020年、マリオタはラスベガス・レイダースに移籍した。デリック・ヘンリー(RB)の史上8人目となる2000ヤード超えランなどの活躍もあり、最終戦で勝利し11勝5敗で地区優勝を遂げた。プレーオフでは初戦でボルティモア・レイブンズに敗れた。

2021年は、アトランタ・ファルコンズよりWRフリオ・ジョーンズをトレードで獲得した。12勝5敗でカンファレンス1位となり、プレーオフではワイルドカード・ラウンドを免除されたが、初戦でシンシナティ・ベンガルズに敗れた。

2022年、第13週のフィラデルフィア・イーグルスに敗れた2日後、7勝5敗と地区首位に立っていたが、7年間を共にしたGMのジョン・ロビンソンを解雇した。チームはこの年のドラフトA・J・ブラウンをトレードで放出していたが、ブラウンがその試合で2タッチダウンをあげる活躍を見せていた[31]。最後の7試合は7連敗を喫し、最終戦でジャクソンビル・ジャガーズに敗れて7勝10敗でシーズンを終え、地区優勝とプレーオフを逃した。翌日OCのトッド・ダウニングを解任した。フォーティナイナーズの人事部門責任者だったラン・カートンを新GMとした。

2023年11月、2027年に使用開始予定である新スタジアムの命名権をさらに20年間、日産に与える契約を結んだ[32]。第15週に地区最下位が決定し、プレーオフ進出の道は断たれた。シーズン終了直後、HCのブレイベルは解雇された[33]シンシナティ・ベンガルズのOCであったブライアン・キャラハンが後任となった[34]

文化

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テネシー・タイタンズ・チアリーダーズ

Luv Ya Blue

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1970年代後半、ヒューストン・オイラーズ(当時)のファンによってLuv Ya Blue(ラブ・ヤ・ブルー)というムーブメントが起きた。大きなフラッシュカード、応援歌、ポンポンなど、NFLというよりカレッジフットボールを彷彿とさせる応援を行っていた。

マスコット

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オフィシャルマスコットは、テネシー州の動物であるアライグマT-ラック(T-Rac)。1999年8月のプレシーズンマッチ、アトランタ・ファルコンズ戦が初出場となる。

チアリーダー

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1975年からテネシー・タイタンズ・チアリーダーズ(Tennessee Titans Cheerleaders)として活動を行っており、2017年から3シーズン曽我小百合(元富士通フロンティアーズチアリーダー)が在籍した[35]。また、「エール・リーダーズ」と呼ばれる男性チアリーディングも存在する。

2024年シーズン

2024年シーズンのタイタンズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ 49ers バッカニアーズ ライオンズ カウボーイズ
2位 レイダース ジャガーズ ブラウンズ ドルフィンズ ラムズ セインツ パッカーズ イーグルス
3位 ブロンコス コルツ スティーラーズ ジェッツ シーホークス ファルコンズ バイキングス ジャイアンツ
4位 チャージャーズ タイタンズ ベンガルズ ペイトリオッツ カージナルス パンサーズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2024年シーズン及び過去20シーズンの成績
成績 AFC 地区 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV
2024 レギュラー敗退 14位 4位 3 12 0 .200 1-3 3-7 284 417 18.9 27.8 .527 .422
2023 レギュラー敗退 14位 4位 6 11 0 .353 1–5 4–8 305 367 17.9 21.6 .522 .422
2022 レギュラー敗退 11位 2位 7 10 0 .412 3-3 5-7 298 359 17.5 21.1 .509 .336
2021 ディビジョナル敗退 1位 1位 12 5 0 .706 5-1 8-4 419 354 24.6 20.8 .472 .480
2020 ワイルドカード敗退 4位 1位 11 5 0 .688 5-1 8-4 491 439 30.7 27.4 .475 .398
2019 カンファレンス敗退 6位 2位 9 7 0 .563 3-3 7-5 402 331 25.1 20.7 .488 .465
2018 レギュラー敗退 8位 3位 9 7 0 .563 3-3 5-7 310 303 19.4 18.9 .520 .465
2017 ディビジョナル敗退 5位 2位 9 7 0 .563 5-1 8-4 334 356 20.9 22.3 .434 .396
2016 レギュラー敗退 7位 2位 9 7 0 .563 2-4 6-6 381 378 23.8 23.6 .465 .458
2015 レギュラー敗退 16位 4位 3 13 0 .188 1-5 1-11 299 423 18.7 26.4 .492 .375
2014 レギュラー敗退 16位 4位 2 14 0 .125 1-5 2-10 254 438 15.9 27.4 .506 .375
2013 レギュラー敗退 11位 2位 7 9 0 .438 2-4 6-6 362 381 22.6 23.8 .504 .375
2012 レギュラー敗退 10位 3位 6 10 0 .375 1-5 5-7 330 471 20.6 29.4 .512 .344
2011 レギュラー敗退 7位 2位 9 7 0 .563 3-3 7-5 325 317 20.3 19.8 .461 .396
2010 レギュラー敗退 12位 4位 6 10 0 .375 2-4 3-9 356 339 22.3 21.2 .508 .500
2009 レギュラー敗退 10位 3位 8 8 0 .500 2-4 4-8 354 402 22.1 25.1 .539 .414
2008 ディビジョナル敗退 1位 1位 13 3 0 .813 4-2 9-3 375 234 23.4 14.6
2007 レギュラー敗退 6位 4位 8 8 0 .500 1-5 5-7 379 384 23.7 24.0
2006 レギュラー敗退 9位 2位 8 8 0 .500 4-2 5-7 324 400 20.3 25.0
2005 レギュラー敗退 14位 3位 4 12 0 .250 2-4 3-9 299 421 18.7 26.3
2004 レギュラー敗退 14位 4位 5 11 0 .313 1-5 3-9 344 439 21.5 27.4

2024年シーズン成績

AFC南地区 2024
チーム 勝率 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV 残試合
(y)ヒューストン・テキサンズ 9 6 0 .600 4-1 7-3 347 327 23.1 21.8 .489 .388 2
インディアナポリス・コルツ 7 8 0 .467 2-3 6-5 318 359 21.2 23.9 .500 .324 2
ジャクソンビル・ジャガーズ 3 12 0 .200 2-2 3-7 277 396 18.5 26.4 .500 .289 2
テネシー・タイタンズ 3 12 0 .200 1-3 3-7 284 417 18.9 27.8 .527 .422 2
AFC 2024

チーム
勝率 DIV CON SOS SOV
地区1位
1 y-チーフス 西 14 1 0 .933 5-0 9-1 .471 .447
2 y-ビルズ 12 3 0 .800 4-0 8-2 .489 .456
3 x-スティーラーズ 10 5 0 .667 3-2 7-3 .460 .433
4 y-テキサンズ 9 6 0 .600 4-1 7-3 .489 .388
ワイルドカード圏内
5 x-レイブンズ 10 5 0 .667 3-2 6-4 .547 .541
6 チャージャーズ 西 9 6 0 .600 3-2 6-4 .511 .381
7 ブロンコス 西 9 6 0 .600 2-3 5-5 .471 .338
プレーオフ圏外
8 コルツ 7 8 0 .467 2-3 6-5 .500 .324
9 ドルフィンズ 7 8 0 .467 3-2 5-5 .442 .295
10 ベンガルズ 7 8 0 .467 2–3 4–6 .455 .231
11 ジェッツ 4 11 0 .267 1-3 4-6 .484 .300
12 ブラウンズ 3 12 0 .200 2–3 3–7 .525 .511
13 ジャガーズ 3 12 0 .200 2-2 3-7 .500 .289
14 タイタンズ 3 12 0 .200 1-3 3-7 .527 .422
15 レイダース 西 3 12 0 .200 0-5 3-8 .554 .356
16 ペイトリオッツ 3 12 0 .200 1-4 2-8 .431 .333
タイブレーク
参照
z - 第1シード確定・プレーオフ1回戦免除
y - 地区優勝
x - プレーオフ確定
w - ワイルドカード確定
暗転 - レギュラーシーズン敗退
                                   
ワイルドカード・プレーオフ ディビジョナル・プレーオフ
2025年1月11日か12日か13日
    1月18日か19日
    1月26日
    2月9日
シーザーズ・スーパードーム
 6    
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     AFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
AFCチャンピオンシップ
1月26日
 5    
     
 4        
 1      
2025年1月11日か12日か13日
1月18日か19日
     
       
 6     第59回スーパーボウル
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     NFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
NFCチャンピオンシップ
 5    
     
 4        
 1      
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

成績

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AFC南地区

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年度 地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2024 HOU IND
2023 HOU(4d) 10 7 0 JAX 9 8 0 IND 9 8 0 TEN 6 11 0
2022 JAX(4d) 9 8 0 TEN 7 10 0 IND 4 12 1 HOU 3 13 1
2021 TEN(1d) 12 5 0 IND 9 8 0 HOU 4 13 0 JAX 3 14 0
2020 TEN(4w) 11 5 0 IND(7w) 11 5 0 HOU 4 12 0 JAX 1 15 0
2019 HOU(4d) 10 6 0 TEN(6c) 9 7 0 IND 7 9 0 JAX 6 10 0
2018 HOU(3w) 11 5 0 IND(6d) 10 6 0 TEN 9 7 0 JAX 5 11 0
2017 JAX(3c) 10 6 0 TEN(5d) 9 7 0 IND 4 12 0 HOU 4 12 0
2016 HOU(4d) 9 7 0 TEN 9 7 0 IND 8 8 0 JAX 3 13 0
2015 HOU(4w) 9 7 0 IND 8 8 0 JAX 5 11 0 TEN 3 13 0
2014 IND(4c) 11 5 0 HOU 9 7 0 JAX 3 13 0 TEN 2 14 0
2013 IND(4d) 11 5 0 TEN 7 9 0 JAX 4 12 0 HOU 2 14 0
2012 HOU(3d) 12 4 0 IND(5w) 11 5 0 TEN 6 10 0 JAX 2 14 0
2011 HOU(3d) 10 6 0 TEN 9 7 0 JAX 5 11 0 IND 2 14 0
2010 IND(3w) 10 6 0 JAX 8 8 0 HOU 6 10 0 TEN 6 10 0
2009 IND(1s) 14 2 0 HOU 9 7 0 TEN 8 8 0 JAX 7 9 0
2008 TEN(1d) 13 3 0 IND(5w) 12 4 0 HOU 8 8 0 JAX 5 11 0
2007 IND(2d) 13 3 0 JAX(5d) 11 5 0 TEN(6w) 10 6 0 HOU 8 8 0
2006 IND(3v) 12 4 0 TEN 8 8 0 JAX 8 8 0 HOU 6 10 0
2005 IND(1d) 14 2 0 JAX(5w) 12 4 0 TEN 4 12 0 HOU 2 14 0
2004 IND(3d) 12 4 0 JAX 9 7 0 HOU 7 9 0 TEN 7 9 0
2003 IND(3c) 12 4 0 TEN(5d) 12 4 0 JAX 5 11 0 HOU 5 11 0
2002 TEN(2c) 11 5 0 IND(5w) 10 6 0 JAX 6 10 0 HOU 4 12 0

AFC中地区

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  • BAL:ボルチモア・レイブンズ、CIN:シンシナティ・ベンガルズ、CLE:クリーブランド・ブラウンズ、PIT:ピッツバーグ・スティーラーズ、HOU→TEN:ヒューストン・オイラーズ→テネシー・オイラーズ→テネシー・タイタンズ、JAX:ジャクソンビル・ジャガーズ
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
年度 地区優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
2001 PIT(1c) 13 3 0 BAL(5d) 10 6 0 CLE 7 9 0 TEN 7 9 0 JAX 6 10 0 CIN 6 10 0
2000 TEN(1d) 13 3 0 BAL(4v) 12 4 0 PIT 9 7 0 JAX 7 9 0 CIN 4 12 0 CLE 3 13 0
1999 JAX(1c) 14 2 0 TEN(4s) 13 3 0 BAL 8 8 0 PIT 6 10 0 CIN 4 12 0 CLE 2 14 0
1998 JAX(3d) 11 5 0 TEN 8 8 0 PIT 7 9 0 N 6 10 0 CIN 3 13 0
1997 PIT(2c) 11 5 0 JAX(5w) 11 5 0 TEN 8 8 0 CIN 7 9 0 BAL 6 9 1
1996 PIT(3d) 10 6 0 JAX(5c) 9 7 0 CIN 8 8 0 HOU 8 8 0 BAL 4 12 0
1995 PIT(2s) 11 5 0 CIN 7 9 0 HOU 7 9 0 CLE 5 11 0 JAX 4 12 0
1994 PIT(1c) 12 4 0 CLE(4d) 11 5 0 CIN 3 13 0 HOU 2 14 0
1993 HOU(2d) 12 4 0 PIT(6w) 9 7 0 CLE 7 9 0 CIN 3 13 0
1992 PIT(1d) 11 5 0 HOU(5w) 10 6 0 CLE 7 9 0 CIN 5 11 0
1991 HOU(3d) 11 5 0 PIT 7 9 0 CLE 6 10 0 CIN 3 13 0
1990 CIN(3d) 9 7 0 HOU(6w) 9 7 0 PIT 9 7 0 CLE 3 13 0
1989 CLE(2c) 9 6 1 HOU(4w) 9 7 0 PIT(5d) 9 7 0 CIN 8 8 0
1988 CIN(1s) 12 4 0 CLE(4w) 10 6 0 HOU(5d) 10 6 0 PIT 5 11 0
1987 CLE(2c) 10 5 0 HOU(4d) 9 6 0 PIT 8 7 0 CIN 4 11 0
1986 CLE(1c) 12 4 0 CIN 10 6 0 PIT 6 10 0 HOU 5 11 0
1985 CLE(3d) 8 8 0 CIN 7 9 0 PIT 7 9 0 HOU 5 11 0
1984 PIT(3c) 9 7 0 CIN 8 8 0 CLE 5 11 0 HOU 3 13 0
1983 PIT(3d) 10 6 0 CLE 9 7 0 CIN 7 9 0 HOU 2 14 0
1982 CIN(3w) 7 2 0 PIT(4w) 6 3 0 CLE(8w) 4 5 0 HOU 1 8 0
1981 CIN(1s) 12 4 0 PIT 8 8 0 HOU 7 9 0 CLE 5 11 0
1980 CLE(2d) 11 5 0 HOU(5w) 11 5 0 PIT 9 7 0 CIN 6 10 0
1979 PIT(2v) 12 4 0 HOU(4c) 11 5 0 CLE 9 7 0 CIN 4 12 0
1978 PIT(1v) 14 2 0 HOU(5c) 10 6 0 CLE 8 8 0 CIN 4 12 0
1977 PIT(3d) 9 5 0 CIN 8 6 0 HOU 8 6 0 CLE 6 8 0
1976 PIT(3c) 10 4 0 CIN 10 4 0 CLE 9 5 0 HOU 5 9 0
1975 PIT(1v) 12 2 0 CIN(4d) 11 3 0 HOU 10 4 0 CLE 3 11 0
1974 PIT(v) 10 3 1 HOU 7 7 0 CIN 7 7 0 CLE 4 10 0
1973 CIN(d) 10 4 0 PIT(d) 10 4 0 CLE 7 5 2 HOU 1 13 0
1972 PIT(c) 11 3 0 CLE(d) 10 4 0 CIN 8 6 0 HOU 1 13 0
1971 CLE(d) 9 5 0 PIT 6 8 0 HOU 4 9 1 CIN 4 10 0
1970 CIN(d) 8 6 0 CLE 7 7 0 PIT 5 9 0 HOU 3 10 1

AFL東地区

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地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1969 NY(d) 10 4 0 HOU(d) 6 6 2 BOS 4 10 0 BUF 4 10 0 MIA 3 10 1
1968 NY(V) 11 3 0 HOU 7 7 0 MIA 5 8 1 BOS 4 10 0 BUF 1 12 1
1967 HOU(a) 9 4 1 NY 8 5 1 BUF 4 10 0 MIA 4 10 0 BOS 3 10 1
1966 BUF(a) 9 4 1 BOS 8 4 2 NY 6 6 2 HOU 3 11 0 MIA 3 11 0
スーパーボウル開始
1965 BUF(a) 10 3 1 NY 5 8 1 BOS 4 8 2 HOU 4 10 0
1964 BUF(v) 12 2 0 BOS 10 3 1 NY 5 8 1 HOU 4 10 0
1963 BOS(a) 7 6 1 BUF(d) 7 6 1 HOU 6 8 0 NY 5 8 1
1962 HOU(a) 11 3 0 BOS 9 4 1 BUF 7 6 1 NY 5 9 0
1961 HOU(v) 10 3 1 BOS 9 4 1 NY 7 7 0 BUF 6 8 0
1960 HOU(v) 10 4 0 NY 7 7 0 BUF 5 8 1 BOS 5 9 0

主な選手

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現役選手

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永久欠番

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テネシー・タイタンズ 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
1 ウォーレン・ムーン Warren Moon QB 1984–1993
9 スティーブ・マクネア Steve McNair QB 1995-2005
27 エディ・ジョージ Eddie George RB 1996-2003
34 アール・キャンベル Earl Campbell RB 1978–1984
43 ジム・ノートン Jim Norton S, P 1960–1968
63 マイク・マンチャック Mike Munchak OG 1982–1993
65 エルビン・ベゼア Elvin Bethea DE 1968–1983
74 ブルース・マシューズ Bruce Matthews OT 1983–2001

プロフットボール殿堂入り

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プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号 名前 ポジション 在籍期間 選出年
16 ジョージ・ブランダ George Blanda QB, K 1960–1966 1981
29 ケン・ヒューストン Ken Houston S 1967–1972 1986
35 ジョン・ヘンリー・ジョンソン John Henry Johnson FB 1966 1987
34 アール・キャンベル Earl Campbell RB 1978–1984 1991
18, 40 チャーリー・ジョイナー Charlie Joiner WR 1969–1972 1996
63 マイク・マンチャック Mike Munchak OG 1982–1993 2001
87 デイブ・キャスパー Dave Casper TE 1980–1983 2002
65 エルビン・ベゼア Elvin Bethea DE 1968–1983 2003
1 ウォーレン・ムーン Warren Moon QB 1984–1993 2006
74 ブルース・マシューズ Bruce Matthews OT 1983–2001 2007
78 カーリー・カルプ Curley Culp DT 1974–1980 2013
12 ケン・ステイブラー Ken Stabler QB 1980–1981 2016
52 ロバート・ブラジル Robert Brazile LB 1975-1984 2018
84 ランディ・モス Randy Moss WR 2010 2018
68 ケビン・マワイ Kevin Mawae C 2006–2009 2019
73 スティーブ・ハッチンソン Steve Hutchinson OG 2012 2020
コーチ・エグゼクティブ
名前 役職 在籍期間 選出年
サミー・ボウ Sammy Baugh ヘッドコーチ 1964 1963
シド・ギルマン Sid Gillman ヘッドコーチ 1973–1974 1983

リング・オブ・オナー

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歴代ヘッドコーチ

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脚注

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注釈

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  1. ^ この4年前、アート・モデルオーナーにより、旧クリーブランド・ブラウンズがボルチモアに移転しボルチモア・レイブンズとなったが、クリーブランドの市民はブラウンズの歴史を将来再誘致しようとしていたチーム(新クリーブランド・ブラウンズ)に引き継がれるべき、と反対した。後に加入したヒューストン・テキサンズはオイラーズの後継チームとはなっていない
  2. ^ 「タイタン」とはギリシャ神話に登場する巨大な身体を持つとされる神々の総称のティーターンのことである。これはナッシュビルにはギリシャのパルテノン神殿のレプリカや高等教育機関や伝統的な建築物が多くあり、「南部のアテネ」との別称があることが由来となった
  3. ^ キックオフ・リターン中の前方へのパスは反則であるが、ラテラルに関しては規制がない。

出典

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  1. ^ QBブランダ、1試合7TDパスのNFL記録達成”. NFL JAPAN (2010年11月19日). 2011年1月9日閲覧。
  2. ^ 1クォーターで49点!激動の試合が行われた日”. NFL JAPAN (2010年12月22日). 2011年1月9日閲覧。
  3. ^ QBブランダ、1試合パス68回のNFL記録”. NFL JAPAN (2010年11月1日). 2011年1月9日閲覧。
  4. ^ MNF History: 1979”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  5. ^ a b ヒューストン・オイラーズの名RBアール・キャンベルが引退”. NFL JAPAN (2010年8月18日). 2011年1月9日閲覧。
  6. ^ 引退したLTはランクイン?RB歴代トップ10 -後編-”. NFL JAPAN (2012年6月19日). 2012年7月3日閲覧。
  7. ^ ポール・ジマーマン (1980年1月14日). “Tim Mazzetti”. スポーツ・イラストレイテッド. 2013年6月1日閲覧。
  8. ^ Steelers win 4th AFC title”. ピッツバーグ・スティーラーズ (2011年6月28日). 2013年6月1日閲覧。
  9. ^ 晩成型の殿堂入りQB、ウォーレン・ムーン誕生”. NFL JAPAN (2010年11月18日). 2011年1月9日閲覧。
  10. ^ QB最悪の日…1試合で12被サック”. NFL JAPAN (2010年9月29日). 2011年1月9日閲覧。
  11. ^ Michael Martinez (1992年1月5日). “PRO FOOTBALL; Elway's Drive II Kicks Out Oilers”. ニューヨーク・タイムズ. 2012年7月3日閲覧。
  12. ^ PRO FOOTBALL;N.F.L. Owners Approve Move To Nashville By the Oilers”. ニューヨーク・タイムズ (1996年5月1日). 2013年6月1日閲覧。
  13. ^ 音楽の街にミラクルが起きた日”. NFL JAPAN (2011年1月9日). 2011年1月8日閲覧。
  14. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “The Music City Miracle”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
  15. ^ a b QB交代がズバリ! 昨季の地区王者タイタンズが今季初勝利”. NFL JAPAN (2009年11月2日). 2011年1月9日閲覧。
  16. ^ タイタンズ、第1シードは「ビッグボーナス」”. NFL JAPAN (2008年12月22日). 2011年1月9日閲覧。
  17. ^ プレイオフ出場チーム紹介”. NFL JAPAN. 2011年1月9日閲覧。
  18. ^ レイブンズ、第1シードのタイタンズに競り勝ち!”. NFL JAPAN (2009年1月11日). 2011年1月9日閲覧。
  19. ^ タイタンズ、ベテランQBコリンズと2年15億円で再契約”. NFL JAPAN (2009年2月28日). 2011年1月9日閲覧。
  20. ^ 近藤祐司 (2009年12月4日). “「地獄を見た人間は強い」奇跡を起こすかQBヤング”. NFL JAPAN. 2011年1月9日閲覧。
  21. ^ プレイオフ目指すタイタンズに痛手、LBコンビが今季絶望”. NFL JAPAN (2009年12月22日). 2011年1月9日閲覧。
  22. ^ 【第1週プレビュー】レイダースとタイタンズ、再建への船出”. NFL JAPAN (2010年9月10日). 2011年1月9日閲覧。
  23. ^ 近藤祐司 (2010年5月21日). “今季わずか5,000万円! 契約見直し要求のRBジョンソン”. NFL JAPAN. 2011年1月9日閲覧。
  24. ^ ラン2,000ヤード突破のジョンソン、RB最高年俸を期待”. NFL JAPAN (2010年2月2日). 2011年1月9日閲覧。
  25. ^ RBジョンソン、「来季こそ歴史的契約を」”. NFL JAPAN (2010年8月8日). 2011年1月9日閲覧。
  26. ^ プロボウル8度の選手会代表マワイが引退”. NFL JAPAN (2010年9月11日). 2011年1月9日閲覧。
  27. ^ タイタンズHC、DEバンデンボッシュに「残留して」”. NFL JAPAN (2010年2月12日). 2011年1月9日閲覧。
  28. ^ 積極補強のライオンズ、DEバンデンボッシュら獲得”. NFL JAPAN (2010年3月6日). 2011年1月9日閲覧。
  29. ^ タイタンズ・オーナー、来季もフィッシャーHC続投を明言”. NFL JAPAN (2011年1月8日). 2011年1月9日閲覧。
  30. ^ タイタンズQBロッカー、左肩脱臼で長期離脱”. NFL JAPAN (2012年10月2日). 2012年10月20日閲覧。
  31. ^ Turron Davenport (2022年12月6日). “Titans fire GM Jon Robinson despite winning ways”. ESPN. 2022年12月7日閲覧。
  32. ^ Tennessee Titans, Nissan Announce Naming Rights Partnership in New Stadium”. Tennessee Titans. 2023年11月19日閲覧。
  33. ^ Titans fire head coach Mike Vrabel after six seasons”. NFL. 2024年1月10日閲覧。
  34. ^ QBウィル・レビスと一緒に働くのが“待ちきれない”とタイタンズ新HCブライアン・キャラハン”. NFL Japan. 2024年1月27日閲覧。
  35. ^ ★2018NFL開幕記念★ 幾多の困難を乗り越えて掴んだNFLチアリーダーの夢”. Yahoo! ニュース (2018年9月9日). 2021年2月3日閲覧。

外部リンク

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