シリア内戦
シリア内戦 | |
---|---|
2011年4月18日、ホムスにおけるデモ | |
目的 | バッシャール・アル=アサド大統領の退陣など |
発生現場 | シリア |
期間 |
2011年3月15日 – 現在進行中 開始から13年8ヶ月1週2日間 |
行動 | テロ活動、デモ活動、ストライキ、暴動、市民的不服従、市民的抵抗、略奪 |
死者 |
約46万5000人(シリア人権監視団推計)[1] (国連は推計を中止)[2] |
シリア内戦 | |
---|---|
左上から時計回りに戦争で荒廃したアレッポの街、トルコとの国境地帯に設置された難民キャンプ、シリア軍に攻撃されたホムスの航空写真、シリア軍に虐殺された人々の遺体。 | |
戦争:シリア内戦 | |
年月日:2011年 ~ 継続中[3] | |
場所: シリア | |
結果:現政権の存続確立。反体制派の占領地が多数失われる[4]。 | |
交戦勢力 | |
シリア ロシア |
反体制派 アメリカ合衆国 |
指導者・指揮官 | |
バッシャール・アル=アサド マーヘル・アル=アサド ダーウド・ラージハ ファフド・ジャースィム・フライジュ アリー・アブドッラー・アイユーブ アリ・マフムード・アッバス アースィフ・シャウカト スハイル・アル=ハサン イサーム・ザフルッディーン † ウラジーミル・プーチン セルゲイ・ショイグ |
リヤード・アル=アスアド サリーム・イドリース アブドゥルイラーハ・アル=バシール ムアーズ・アル=ハティーブ ジョルジュ・サブラー アフマド・ジャルバ ハーディー・バハラ ハーリド・ハウジャ アナス・アル=アブダ リヤード・セイフ アブドゥッラフマーン・ムスタファ アナス・アル=アブダ ナーセル・アル=ハリーリー サーレム・アル=メスレト ドナルド・トランプ ジョー・バイデン |
戦力 | |
シリア軍29万2600人 予備役31万4000人[5] ロシア軍空爆1000回以上[6] |
自由シリア軍3万5000人[7] 米軍など空爆2857回[8] |
損害 | |
1万1000人以上戦死[10] | 50万人以上戦死・犠牲[11] 難民400万人以上 国内避難民760万人以上[12] |
シリア内戦(シリアないせん、アラビア語: ٱلْحَرْبُ ٱلْأَهْلِيَّةُ ٱلسُّورِيَّةُ)は、シリアで起きたアラブの春から続く、シリア政府軍とシリアの反体制派及び外国勢力を含むそれらの同盟組織などによる多面的な内戦である。この内戦は2011年から現在まで続いており、1960年以降の世界史において最も難民が発生した戦争と言われている[15]。
概要
[編集]シリアにおける内戦は、2011年にチュニジアで起きたジャスミン革命の影響によってアラブ諸国に波及したアラブの春のうちの一つであり、シリアの歴史上「未曾有」のものといわれている[16][17]。チュニジアのジャスミン革命とエジプトの民主化革命のように、初期はデモ行進やハンガーストライキを含む様々なタイプの抗議の形態をとった市民抵抗の持続的運動とも言われた[18]。
初期の戦闘はバッシャール・アル=アサド政権派のシリア軍と反政権派勢力の民兵との衝突が主たるものであったが、サラフィー・ジハード主義勢力のアル=ヌスラ戦線とシリア北部のクルド人勢力の間での衝突も生じている[19]。
その後は反政権派勢力間での戦闘、さらに混乱に乗じて過激派組織ISILやアル=ヌスラ戦線、またクルド民主統一党 (PYD/Partiya Yekitiya Demokrat) をはじめとしたシリア北部のクルド人勢力ロジャヴァが参戦したほか、アサド政権の打倒およびISIL掃討のためにアメリカ合衆国やフランスをはじめとした多国籍軍、逆にアサド政権を支援するロシアやイランもシリア領内に空爆などの軍事介入を行っており、内戦は泥沼化している。また、トルコやサウジアラビア、カタールもアサド政権打倒や自国の安全・権益確保のために反政府武装勢力への資金援助、武器付与等の軍事支援を行った。
アサド政権の支配地域は一時、国土の3割程度(但し、依然として支配地域に西部の人口集中地域が含まれていた)に縮小したが、ロシアやイランの支援を得たことに加え、反政権諸勢力の中でISILやクルド系武装勢力が台頭する中で、反政権諸勢力間での戦闘も激化した事に伴い「アサド政権打倒」を掲げていた欧米がISILとの戦闘を優先する方向に舵を切った事や、クルド系武装勢力とはISILやアルカイダなど対イスラム過激派系反政権勢力打倒を優先する双方の戦略上ある程度の協調関係を構築するなど、情勢の変化も追い風となり、反政権諸勢力のうちISILが外国や他の非政権軍の攻撃対象になって壊滅したことで勢力を回復。2019年春~2020年夏時点でシリア領土の7割前後を奪還した[20][21]。
なおアサド政権は内戦下でも、支配地域においては2020年7月までに3度の人民議会を実施しており、バース党による支配を維持している[21](2016年シリア人民議会選挙など)。
反体制派からの情報を収集する[22]英国拠点の反体制派組織[23]シリア人権監視団は2013年8月末の時点で死者が11万人を超えたと発表している。国際連合により、2012年5月下旬の時点でもはや死者数の推計は不可能と判断されている[2]。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の推計によると、2017年までに元の居住地を離れて約630万人が国内で避難生活を送り、500万人以上が国外に逃れた。こうした難民の主な行き先としてはトルコ(320万人)、レバノン(100万人)、ヨルダン(65万人)、イラク(24万人)、エジプト(12万人)で、トルコなどを経由してヨーロッパなどに渡った人々も多い[24]。日本には2014年6月20日時点で52人が難民申請しているが、日本政府は一人も認めていない[25]。
反政府武装組織の一つ自由シリア軍によりキリスト教会が破壊されたとされる事例[26]をはじめ、反政府主義者によるキリスト教徒(その大半は正教、非カルケドン派、東方典礼カトリック教会といった東方教会の信者)への排撃が問題となる局面も出てきている[27][28]。
2014年に入り、ISILと、シリア反政府勢力との間で戦闘が激化した。当初、ISILは、シリア反政府勢力から歓迎されていたが、ISILが他の反体制派組織を支配下に置こうとして内紛が起きた。さらには、ISILが一般市民も巻き込んで暴力を振るうようになり、関係が悪化した。反体制派の主要組織である「国民連合」は、ISILとの戦闘を全面的に支持している[29]。
急速に勢力を拡大させたISILに対し、反体制派が依然として内紛を繰り返す状況で、シリア国内では唯一ISILに対抗できる存在であるアサド政権の国際的価値が高まり、欧州各国や国連、シリア国内の反体制派ですら、当初の要求であったアサド大統領の退陣を要求しなくなっている[30]。
しかしアサド政権が4月4日に行ったカーン・シェイクン化学兵器攻撃を受けてアメリカ軍はアサド政権のシャイラト空軍基地攻撃を行った[31]。また、実態として西側諸国が穏健派とする反政府武装勢力やアルカイダ系組織・ISILの間に明確な線引きをするのは難しく、各勢力が強固な組織を基盤としているわけではない。さらに、いずれも反アサド政権、反世俗主義、反シーア派、反少数派イスラム教(アラウィー派・ドゥルーズ派等)、反キリスト教を掲げるスンニ派のイスラム主義組織であるという共通点があることから、資金力の増減や戦況の良し悪しによって戦闘員の寝返りや武器交換も相互に行われている。そのため、あくまでもISILも反政府武装勢力のうちの一つと捉えた方が実態に近く、イスラム国の残虐性だけが突出しているわけではない。さらに、シリア政府側に立つ組織もシリア軍の他にシーア派民兵やヒズボラやイランのイスラム革命防衛隊なども参戦しており、これもまた統率が取れているわけではない。実際に、アルカイダは自由シリア軍などの反政府勢力と協力している。
さらに、アルカイダ系武装集団は、2013年9月に協力体制にあったはずの自由シリア軍に攻撃を仕掛けるなど、アサド政権、他の反政府勢力、クルド系武装勢力と敵対し、シリア国内は複数勢力の戦いになりつつある[32]。更にアルカーイダと協力関係にあった武装集団ISIL(イラク・レバントのイスラム国)が、2013年5月に出されたアルカイダの指導者アイマン・ザワーヒリーの解散命令を無視してシリアでの活動を続けているなど、アルカイダやアル=ヌスラ戦線との不和も表面化している[33]。
他にも、クルド人などのシリア国内の少数民族も武装化して、政府軍やアルカイダ系の武装集団を襲撃して事実上の自治を行っており[34]、さらにイラクのクルド人自治区のような正式な自治区を作ろうとしている[35]。
シリアで内戦が激化している理由として、主に4つがあげられる。1つ目は、アラブ・イスラム世界の中で敵対関係にあるイスラエルなどと国境を接するという地政学的事情。2つ目は、シリア・バース党政権が一貫した親露・親イランである一方、親欧米・親NATO諸国であるサウジアラビアを中心としたスンニ派の湾岸諸国とは激しく対立している点。3つ目は、トルコ政府と対立するクルド人の問題。4つ目は、アサド大統領がシーア派の分派でありキリスト教の影響も強いアラウィー派で、イスラム色の薄いスンニ派も含めた世俗派主体に支持者が多いのに対し、反政府勢力はスンニ派イスラム主義勢力が多く、世俗主義とイスラム主義の対立や宗派対立の様相も呈していることにある[36]。
レバノンの3月14日勢力(en:March 14 alliance)は、反政府抗議者たちに財政支援をしたとして非難されているが[37]、自らはこれを否定しており[38]非難の応酬となっている[39]。シリアによるレバノンへの武器輸送を阻むためとして、イスラエル国防軍がシリア国内の軍事基地を何度も空爆している[40]。レバノンに敵対しているイスラエルは、これを自衛のためとしている[41]。また、戦闘による流れ弾がトルコの街に着弾し、トルコ軍が反撃を行うなど、隣国との戦闘も発生している[42]。
2017年以降はアサド政権を支援するロシアやイランと、反体制側のトルコが「アスタナ会合」と呼ばれる枠組みで停戦協議を主導してきた[43]。19年10月には国連が仲介して、政権側、反体制派、市民団体が参加する憲法委員会が発足したが、新憲法起草の進展はみられない。21年3月には、ロシア、トルコ、カタールの3カ国で枠組みを設けた。一方、欧米はアサド政権とは対話しない方針である。[44]
性質
[編集]国際的なシリア国内の状況の認識としては、2011年12月にUNHCRが事実上の内戦 (Civil war) 状態であるとしたほか[45][46]、2012年6月12日にはエルベ・ラドゥース国連事務次長が高官としてはじめてシリアが内戦状態にあるとの見解を示している[47][48]。同年7月15日には赤十字国際委員会が事実上の内戦状態であるとしている[49]。一方でシリア政府側は騒乱開始以来、これはあくまで対テロ戦争であり、内戦ではないとの認識を示している。2012年6月になって大統領アサドが公の場で「戦争状態にある」と発言している[50]。アサド大統領は、2013年9月には「現在シリアで起きているのは、内戦ではなく戦争であり、新しい種類の戦争だ」としており、シリアは「テロの犠牲者」と語っている。また、反体制派の8割から9割はアルカイダとも主張している[51]。
外国勢力を巻き込んだ複雑な対立と利害関係
[編集]シリア内戦は各国・各勢力の思惑が露骨に衝突した戦争となっており、それがこの紛争の解決をより一層難しくしている。アラブの春に影響を受けた、当初の目的である平和的な反政府デモを発端とするものの、その後は反体制派が周辺国からも入り乱れて過激派にとって代わられることで双方の対立が激化。その反体制派からはISILまで生んだ。[52]
つまり、欧米諸国とその同盟国が描く巨悪・アサド政権に対する自由を求める民衆の蜂起という構図は、その後のシリア内戦で変質した。多国籍の軍隊がそれぞれ別の思惑でシリアを舞台にして、自らの権益を拡大・死守する代理戦争と化し、欧米が支援する反体制派では、民主化とは正反対であるイスラム原理主義の過激派勢力が台頭した。同時にこの対立構造ではSNSを駆使した情報戦が行われており、アサド政権とその支援を行うロシア・イラン、さらに反体制派を支援するサウジアラビア・トルコ・カタールのアルジャジーラ、さらにBBC・CNN等の西側メディアも含めて悲惨な難民の姿や女性、子供の被害者・犠牲者をメディアを通じてセンセーショナルに報道する場面が目立ち、プロパガンダの応酬となっている[53]。特に欧米諸国が資金援助を行っているホワイト・ヘルメットの扱い[54][55]や、化学兵器の使用に関する報道で顕著となっている。
シリア紛争に関しては双方の利害の主張が著しく、中立的な視点を持つ報道が過小または中立的な視点を持つジャーナリズムは主流メディアから殆ど追いやられているといってよい。そこには、かつての各地で起こった民族間や旧宗主国とその権益から来る利害関係から起きた内戦とは大きく異なっており、より複雑でグローバル戦争ともいえる。人道主義を掲げて樽爆弾や無差別爆撃、化学兵器の使用等からアサド政権の残虐性を厳しく指摘する欧米諸国も反体制武装勢力によるキリスト教徒への迫害を批判したバチカン市国のローマ教皇庁等の一部を除き、反体制派の残虐性やサウジアラビアが関与するイエメンの惨状(2015年イエメン内戦)には余り言及されていない。
主要勢力
[編集]シリア軍・アサド政権支持勢力
[編集]- シリア軍 (Syrian Armed Forces/Syrian Arab Army、SAA)
- 特殊戦力師団 (Tiger Force)
- 共和国防衛隊 (Republican Guard、RG/Syrian Republican Guard、SRG)
- 第4機甲師団 (4th Armoured Division)
- 第18機甲師団
- 国民防衛軍(国民防衛隊) (National Defence Force、NDF)
シリア反政府武装勢力/アルカイダ系
[編集]- 自由シリア軍 (Free Syrian Army、FSA)
- イスラム戦線 (Islamic Front、IF)
- タハリール・アル=シャーム(Tahrir al-Sham)(Hay'at Tahrir al-Sham、HTS)(旧アル=ヌスラ戦線 (Jabhat al-Nusra))
ロジャヴァ(シリア北部地域)
[編集]- シリア民主軍 (Syrian Democratic Forces、SDF)
- クルド人民防衛隊 (Yekineyen Parastina Gel、YPG)
- クルド民主統一党 (Partiya Yekitiya Demokrat、PYD)
シリア内戦に参戦しているシリア国外からの支援を受ける軍隊・武装勢力
[編集]- シリア政府軍側
- 反体制派側(en:Syrian opposition)
- 反政府勢力の約9割を束ねるとされる組織「シリア反体制派革命勢力国民連合」があり、欧米諸国やトルコとは支援を受けたり、協議したりする関係にある[56]。
背景
[編集]歴史
[編集]シリアはイスラエルと戦争状態にあった1962年に非常事態宣言を出してより非常事態法の下にあり、憲法による国民の保護は事実上停止されていた。シリア国民は住民投票によって選ばれた大統領に好意的であり、シリア議会は複数政党制を採っていない[57]。
1963年のクーデター以来、シリアはバアス党の支配下にある[58]。1966年のクーデターや1970年の革命などで支配構造を変化させつつ、バアス党は独占的権力を保持した[59][60][61]。
1970年の革命以後、ハーフィズ・アル=アサド(H.アサド)は、ライバルを抑えながら30年近くシリアを指導してきた。1982年、国内で起きた6年間に及ぶイスラム暴動の最盛期において、ムスリム同胞団等を含むスンナ派イスラム主義運動を鎮圧するため、大統領H.アサドはハマーで焦土作戦を指揮した[62]。このハマー虐殺において、10-80,000名の一般市民を含む数万の人々が殺害されたとされている[61][63][64][65][66][67]。
H.アサドの後継者問題は、1998年人民議会選挙後の暴力的な抗議行動と武力衝突を引き起こし、ラタキア事件(en:1999 Latakia protests)に発展した[68]。この事件はH.アサドと彼の弟リファアト・アル=アサド(en:Rifaat al-Assad)との間の積年の確執が暴発したものであった[68]。シリア警察はラタキアにあるリファートの港湾施設の取り締まりを行い、この際に警察とリファアト支持者らとの銃撃戦があり2名が殺害された。政府側は否定しているものの、この事件の死傷者は数百人にのぼったとも言われる[69]。ハーフィズ・アル=アサドは肺線維症のため1年後に死去した。H.アサドの息子であるバッシャール・アル=アサド(B.アサド)は、大統領となりうる年齢の規定が40歳から彼の年齢である34歳に引き下げるよう憲法を修正した後に指名され、後継者となった[59][60][61]。B.アサドはフランス語と英語を話し、イギリス出身でスンナ派シリア人女性アスマー・アフラースと結婚し、改革派として期待され、2000年1月からダマスカスの春(en:Damascus Spring)と呼ばれる激しい政治的、社会的論争が引き起こされた。
2004年以来、クルド-アラブ暴動により緊張が高まっていた。この年はシリア北東部のカーミシュリーで反政府暴動カーミシュリー事件が起きた。混乱したサッカー試合で人々がクルドの旗を掲げ、試合はやがて政治的な衝突に発展した。シリア警察の暴力的な対応やクルド人とアラブ人によるグループ間の衝突により、少なくとも30名が殺害された(一説によると、死傷者は約100名[70]。)[71]。クルド人活動家と政府組織との小規模な衝突はそれ以降も続いた。
アサド家(en:Assad family)は、シーア派でも少数派でシリア人口(en:Demographics of Syria)の6-12パーセントを占める貧困なアラウィー派の一員であり[72][73][74][75]、シリア治安機関の「厳格な統制」によって維持されており、シリア人口の4分の3を占める[76]スンナ派の中に「深い敵意」が生じていた[74]。同じく少数派であるクルド人からも抗議や不満の声が上がっていた[77]。B.アサドは、彼の地位がエジプトで起きた大規模抗議運動のようなものに影響されないと表明した[78]。大統領顧問ブサイナ・シャアバーン(en:Bouthaina Shaaban)は、カタールを拠点とするユースフ・カラダーウィーが3月25日にドーハで行った演説などを挙げ、スンナ派暴動を煽ったとしてスンナ派イスラム法学者や説教師を非難した[79]。ニューヨーク・タイムズによれば、シリア政府は暴動の鎮圧において「ほぼ全面的に」アラウィー派治安機関に信頼をおいてきた。彼の弟マーヘル・アル=アサドは共和国防衛隊と陸軍第4機甲師団を指揮し、義兄のアースィフ・シャウカトは陸軍参謀副長を務めていた。彼の家族は、抗議に対して強硬路線を採ることができなければそれを増長し、街頭がより大きな群衆であふれることを恐れているといわれた[74]。
社会経済
[編集]政府への不満は、主に保守的なスンナ派が多いシリアの貧しい地域で強かった[80]。こうした地域には、ダルアーやホムスといった貧困率が高い都市、2011年前半に激しい旱魃に見舞われた農村地帯、それに大都市の貧困地区が含まれていた。社会経済の不均衡は特にH.アサド政権の末期に進められた自由市場の導入以後大きく拡大しており、B.アサド政権になってからはさらに悪化していた。自由市場の恩恵を受けられたのは国内の限られた人々、主に政府とコネクションを持つダマスカスやアレッポのスンナ派商人層に限られていた[80]。2011年、シリアは全国的な生活水準の悪化と生活必需品の値上がりに直面した[81]。さらに若者の高い失業率にも見舞われていた[82]。
社会経済については、気候変動の影響も可能性として上げられている。シリアでは2006年 - 2010年の3年間に深刻な旱魃が発生し、150万人(人口の1割弱)の農民が都市部に移住、急速な人口変化により地域の不安定化を招いていた[83]。シミュレーションや観測結果をもとにした研究では、気候変動により旱魃の発生率が高まっていたことが示唆されている[84]。
人権
[編集]シリアの人権(en:Human rights in Syria)は、国際機関からの激しい非難にさらされた[85]。1963年以来、非常事態宣言の効力が続いており、保安部隊には逮捕・拘留の権限が与えられ[86]、シリアは自由選挙のない一党独裁状態によって支配されていた[86]。当局は、人権活動家や政府批評家を苦しめたり投獄していた[87]。表現、結社、集会の権利は厳格に制限された[86][87]。女性や少数派民族は差別に直面している[86][87]。2010年のヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、B.アサドは権力を握って以来の10年間で、シリアの人権状況の改善に失敗した[88]。この人権団体は、シリアの人権状況が世界で最悪の部類に属すると言明している。
5月5日のBBCニュースは、非武装の一般市民に対して狙撃手や対空機関銃が使われているとのダマスカス人権研究所(DCHRS)の表明を報じた[89]。
シャッビーハ
[編集]シャッビーハ (アラビア語: الشبيحة、英語: Shabiha)とは、アル=アサド家に資金提供を受けた3000人以上の構成員からなる暴力団である。この呼称は幽霊(Shabah, شبح)を意味し、かつてアル=アサド家やその縁者が使っていたメルセデス・ベンツの車に由来する。彼らは、政府への批判者(非武装者を含む)にあらゆることを行う権限を持っていた[90]。新聞やメディアニュースチャンネルによれば、シャッビーハの構成員はアサドの傭兵であるとも言われる[91]。
シャッビーハが人権を守らないことについては、地元の新聞やチャンネルだけでなく国際メディアからも非難されており、特にFacebookやYouTubeなどのソーシャルメディアを通じて数百もの映像がアップロードされている[92]。
重信メイはその著書『アラブの春の正体』で、Wikipediaのシャッビーハについての記述はデマを真に受けたものであると批判している。この言葉は「幽霊」とは全く無関係であり、アル=アサド家からの資金提供を受けている証拠もないとしている。さらに動画についてはCNNがシャッビーハが暴行を行なっているとして流したものが誤報であった例を挙げ、その多くは検証が必要であるとしている。
2011年(アラブの春)
[編集]B.アサドは、ラジオ局が西洋のポップ・ミュージックをかけることを容認する一方で、Amazon.com、Facebook、ウィキペディア、YouTubeのようなウェブサイトへの接続を制限していたが、2011年1月1日以降は全ての国民がブロードバンドインターネット接続を許され、これらのウェブサイトに接続できるようになった[93]。しかしながら、2007年の法律によってインターネットカフェはオンラインチャットにおける全ての投稿を記録することが義務付けられた[94]。
2011年1月31日に発表されたインタビューにおいて、B.アサドは改革の時が来たことを宣言するとともに、2011年のエジプト革命・チュニジア革命・イエメン騒乱の抗議運動は中東に「新しい時代」(アラブの春)が到来したことを意味し、アラブの支配者たちは人々の間に高まる政治的、経済的要求を受け入れるためにさらなる行動が求められるとした[95][96]。
内戦
[編集]抗議運動初期
[編集]シリアでの抗議運動は初めのうちはささやかなもので、勢いを得るまでにはしばらく時間がかかった。運動は2011年1月26日に始まった。チュニジアのモハメド・ブアジジが2010年12月17日にチュニスで行ったのと同様、ハサカのハサン・アリ・アクレーが自らの体にガソリンを被り火を放った。目撃者によれば、この行動は「シリア政府(en:Syrian government)に対する抗議」であったとされる[97][98]。2日後の2011年1月28日、ラッカにおいてクルド人の血を引く2名の戦士が殺されたことに抗議するデモが行われた[99]。
2月3日、FacebookやTwitterなどのソーシャルメディアウェブサイトにおいて、2月4日から2月5日をシリアの「怒りの日」とする呼びかけが行われた。抗議者たちは政府の刷新を要求したが、抗議の大部分はシリア国外にとどまる小規模なものであった[100][101][102][103]。このときシリア国内で確認された唯一の抗議活動は、2月5日のハサカにおけるアサド退陣を求める数百名規模のデモであった。シリア当局が多数の人々を逮捕したことが引き金となり、デモは急拡大した[104]。「怒りの日」の試みが失敗した後、アルジャジーラは、この国が「沈黙の王国」であると表現した。シリア安定の鍵となる要素は、シリアの厳重な監視機構、アサドの人気、イラク暴動(en:Iraqi insurgency)に見られるような政府が倒れた際に起きうる宗派間抗争(en:Sectarian violence)への懸念などである[105]。
映像外部リンク | |
---|---|
2011年2月17日、ダマスカスにおける抗議活動の映像 - YouTube |
2月22日、ダマスカスのリビア大使館周辺に約200名の人々が集まり、リビア政権に対する抗議を行い、大使の辞任を求めた。政府の治安部隊はデモの鎮圧を行い、14名が逮捕され数名が警官から暴行を受けた。逮捕された者は後に釈放されている[106][107][108]。3月6日のタイム誌は、シリアの若者たちは依然として関与しているものの、きっかけが必要だったと述べている[109]。リバル・アル=アサドは、シリアが次のドミノになると述べた[110]。
運動の高まり
[編集]3月15日、シリア各地の主要都市で一斉にデモが行われ抗議運動が拡大し始めた[111]。ハサカ、ダルアー、デリゾール、ハマーで数千人の抗議者が集まった。反体制側の報告によれば、治安部隊との衝突が起きたとされる。ダマスカスでは、200名程度の小さなグループが1,500名にまで膨れ上がった。ダマスカスでは1980年代以来これほどの抗議は見られなかった。「2011年シリア革命(Syrian Revolution 2011)」と呼ばれるFacebookの公式ページに、カイロ、ニコシア、ヘルシンキ、イスタンブール、ベルリンにおける支援デモの画像が掲げられた。リビアに縁のあるシリア革命支持者たちがパリのシリア大使館に押し寄せたとする未確認情報もある[112][113][114][115][116]。3月18日、シリアにおいて過去10年間で最も深刻な暴動が発生した[117]。金曜礼拝の後、オンラインで「尊厳の金曜日」(アラビア語: جمعة الكرامة)が呼びかけられ、政府汚職疑惑の解決を求めた数千人の抗議者がシリア各地の街路に繰り出した[118]。地方治安部隊の指揮の下、抗議者たちに対する暴力的な取り締まりが行われた。抗議者たちは、「神、シリア、自由」そして汚職反対のスローガンを叫んだ[119]。
ダルアーの街は暴動の焦点となりつつあった。3月20日、数千名がダルアーの街路に繰り出し、3日間にわたって非常事態法に反対するスローガンを叫び続けた。治安部隊の発砲により、1名が殺害され多数の人々が負傷した[120]。市内のバアス党本部庁舎や、ラーミー・マフルーフの経営する通信企業シリアテルの建屋に火が放たれた[121]。翌日、ジャーシム(en:Jassem)で数百名が抗議を行い、バニヤース、ホムス、ハマーでも同様の抗議が行われたとされる[122][123]。アサドはいくつかの懐柔策を示したが群衆は増大し続け、ダルアーのオマリモスク周辺に集まって要求を繰り返した。要求の内容は、全ての政治犯の釈放、抗議者を殺害した者に対する裁判の実施、48年間に及ぶシリア非常事態法の撤廃、さらなる自由、および汚職の終息であった[124]。この日、ダルアーの携帯電話回線は切断され、市内いたるところに検問所が設置され、兵士が配置された[125]。また、ヒズブ・タフリール(en:Hizb ut-Tahrir、解放党)は、バアス党政権に対する抗議の拡大に主導的な役割を果たすとともに、国内での抗議活動や世界中のシリア大使館に対する抗議活動を組織化した。
蜂起と譲歩
[編集]3月25日、オンラインで「栄光の金曜日」(アラビア語: جمعة العزة)と呼ばれる大規模デモが新たに呼びかけられ、国内各地の街路で数万人が抗議活動を行った。シリア南部では軍隊が発砲し、平和的なデモの参加者が殺害されたとする証言があり、ニュースでも報道された[126]。抗議者たちに対する取り締まりはますます暴力的になった。ダルアーでは10万人以上の人々がデモに参加し、少なくとも20名の人々が殺害されたとする報告がある[127][128]。H.アサドの彫像がばらばらにされて火が放たれた[129]。知事の家にも火が放たれた[129]。ダマスカス、デリゾール、ホムス、ラタキア、ラッカにおいても抗議活動が起きたとされる[127][130]。サナマインでは20名の人々が治安部隊に殺害されたとする証言がある[130][131]。ダルアーではデモ中に17名の人々が殺され、オマリモスク周辺では40名、サナマインで25名、ラタキアで4名、ダマスカスで3名の死者があった[132]。
亡命中の宗教指導者や政治指導者たちがこの衝突に関わり始めた。スンナ派法学者ユースフ・アル=カラダーウィーはカタールで説教を行い、その中で以下のように述べた。
「 | 今日、革命の列車がシリア駅に到着した。それはいずれ辿り着く運命にあった。シリアをアラブ国家の歴史から引き離すことはできない。[133] | 」 |
AFPは、亡命中のシリア反体制派指導者がパリに立ち寄り、アサドを失脚させ、フランスが「罪のない人々の殺害をやめさせる」ようシリア指導者に圧力をかけるよう働きかけたと報じた[132]。
3月26日、アサドは200名以内の政治犯釈放を発表し、抗議者たちに対する政府側の最初の譲歩を提示した[134]。翌日、アサドのメディア顧問ブサイナ・シャアバーン(en:Bouthaina Shaaban)は、事前予告なしに非常事態法の撤廃を発表した[135]。3月29日、シリアの新聞アル=ワタン(en:Al-Watan (Syria))は、主要閣僚の入れ替えが行われると報じ[136]、後日アサドは首相ムハンマド・ナージー・アトリー(en:Muhammad Naji al-Otari)率いる内閣の辞表を受理した。但し、新内閣が選ばれ公式発表されるまでは暫定的に首相を続けるとされた[137]。
アサドに忠誠を示す軍部隊が動き出した。シリアの大ムフティーアフマド・バドルッディーン・ハスーン(en:Ahmad Badreddin Hassoun)は次のように述べた。「全ての国民には自由を求めて抗議する権利がある。しかしながら私は言う。流血の背後にいる全ての者は有罪となるであろう。抗議する者に対して発砲する軍役人はいません。彼らは自衛のために応戦をしただけです。何かが起きた後、人々は和解をしなければなりません。この国には堕落した者が居り、堕落した者は有罪としなければなりません。」[138]3月29日、ダマスカス、アレッポ、ハサカ、ホムス、タルトゥース、ハマーでアサドを支持する数十万人規模のデモが行われた[136][139][140]。3月30日、アサドは暴動を扇動した外国人を非難し、ブサイナ・シャアバーンが示した非常事態法の撤廃を実施せず、将来の検討課題に留めるとする演説を行った[141]。YouTubeに投稿されたCNNの報告において、水曜日に演説を終えたアサドの車を一人の女性が攻撃したとするシリア国営テレビの映像が示された[142]。ラタキアでは、アサドの演説に失望した抗議者たちが街路に繰り出し、警官から発砲を受けた[143][144]。翌日の国営シリア・アラブ通信(SANA、en:Syrian Arab News Agency)は、アサドが4月1日から公務員給与を引き上げる命令を出したことを伝えた[145]。
2011年4月
[編集]オンラインで4月1日の「殉教の金曜日」(アラビア語: جمعة الشهداء)が呼びかけられ、金曜礼拝から現れた数千名の抗議者たちがシリア各地の多くの都市で街路に繰り出した。ダマスカス近郊のドゥーマに集まった1,000名の抗議者たちに治安部隊が発砲し8名が殺された。ダマスカスでは金曜礼拝を終えた抗議者たち数百名がアル・リファイ・モスクに集まった。しかしながら、政府軍部隊はモスクを封鎖し、逃げようとした人々を攻撃したとも言われる。さらに南部のダルアー近くの小さな町では抗議中のデモ隊が殺された[146][147]。この衝突事件は次第に国際社会からの注目を集め始めた。4月1日、シリア当局はシリアとトルコの間の国境を閉鎖し、トルコおよび他国の記者たちがシリアに入ることを禁じた[148]。翌日、トルコの首相レジェップ・タイイップ・エルドアンはアサドに改革を進めるよう圧力をかけることを表明した[149]。
4月3日、アサドはアーデル・サファル(en:Adel Safar)をシリアの新首相に任命し、組閣を指示した[150]。4月6日、アサド政権はスンナ派とクルド人に譲歩を示した。教師たちに再びニカーブ(en:Niqāb)の着用を許可し[134]、国内唯一のカジノを閉店させ[151]、近日中にシリア在住の数万人のクルド人にシリア市民権を与えることを提案した[152]。
映像外部リンク | |
---|---|
シリアのデモで撮影された無名の銃撃者たちの映像 (YouTube: AP通信) 2011年4月8日。4月9日修正 | |
2011年4月8日、シリアのホムスにおける抗議活動の映像 - YouTube |
4月8日は「抵抗の金曜日」(アラビア語: جمعة الصمود)として知られるようになった。この日はダルアー、ラタキア、タルトゥース、イドリブ、バニヤース、カーミシュリー、ホムス、ダマスカス郊外のハラスタ(en:Harasta)において数千名の抗議者たちが街路に繰り出し、これまでで最大規模のデモとなった[153][154]。ダルアーでは投石する抗議者たちを追い払うために治安部隊がゴム弾や実弾を発砲し、27名の反政府抗議者たちが殺され、多数が負傷した[154][155]。ダマスカス郊外のハラスタでは少なくとも3名が殺され、シリア第3の都市ホムスでは死者2名と数十名の負傷者があった[156]。人権団体は、この金曜日にシリア国内各地で起きた暴動で37名が殺されたと述べた[134]。
4月中旬にかけて、暴動はさらに拡大し、ますます暴力的になった。4月15日、数万人がバニヤース、ラタキア、バイダ、ホムス、デリゾールなどシリア国内のいくつかの街で抗議活動を行った[157][158]。アルジャジーラは、ドゥーマ郊外からダマスカスに入ろうとした最大5万人の抗議者たちが催涙ガスを使う治安部隊に追い払われ、このとき首都のバルゼ地区において、モスク前に集結した約250名の抗議者たちを、武装した私服の男たち数十名が取り囲み、暴力事件に発展したと伝えた[159]。一方、ダルアーでは数千名のデモがあつたものの市内に治安部隊は見られず、当局は抗議活動を容認したと見られた[158]。アサドは、「犯罪行為に関わっていない」囚人数百名の釈放と新内閣発足(シリアの内閣en:Cabinet of Syriaを参照)を発表した[160][161]。
非常事態法(戒厳令)の撤廃
[編集]2日後、アサドは人民議会に向けてテレビ演説を行い、政府に対して非常事態法の撤廃を求めていることを表明し、国民と政府との間に隔たりがあることを認め、政府は人々の願望に関心を持ち続けなければならないと述べた[162]。4月19日、政府はこの国の非常事態法を撤廃する議案を承認した[163]。非常事態法の撤廃は48年ぶりのことである[163]。4月21日、アサドは、非常事態法を終わらせ、国家最高治安裁判所(:en:Supreme State Security Court)を廃止し、平和的なデモを行う権利を規制する法令に署名した[164][165]。
4月の暴力―継続される暴力
[編集]非常事態法を撤廃しても抗議は収まらなかった。4月22日は一連の騒乱において最も忌まわしい日となり、数万人が街路に繰り出した[166]。ダマスカスと、国内の少なくとも10都市で抗議活動が行われた[167]。ダマスカス中心部では数百名の抗議者たちが追い払われたものの、首都を囲む都市に数千名の抗議者たちが集まった[167]。抗議者側の報告によれば、治安部隊のデモ隊への発砲により全国で少なくとも70名の人々が殺された[168]。100名以上が殺害されたことが明らかになりつつあったものの、シリアはほとんど全ての他国メディア関係者を国内から締め出していたため迅速な確認は困難であった[169][170]。
翌4月23日、国内いたる所で亡くなった抗議者たちの葬儀が行われた。ダルアーでは暗殺者が発砲し8名が殺されたと伝えられ、そのうちの5名は治安部隊の隊員であった[171][172]。その夜、私服の治安部隊が家々を襲い活動家たちを逮捕した[173]。聖金曜日の抗議の後、数十名の市民が行方不明となり、ある人権団体によれば金曜日から土曜日にかけて217名の行方不明者があったとされる[174]。
4月25日、シリア政府は初期の抗議において焦点となったダルアーに戦車を展開し、少なくとも25名を殺害した[175]。数百から6,000名と見積もられる兵士と狙撃兵が戦車に随伴し、上水道・電力・電話回線を切断した。住民の話によると、抗議者たちが軍用車両を焼き、兵士を人質に取ったといわれる[175]。政府は近くのヨルダンとの国境を封鎖した[176]。少なくとも1名のシリア軍主要指揮官がダルアーに対する軍事作戦に加わることを拒否した[177]。ダルアー住民は記者に電話で次のように訴えた。「シリアをオバマに占領させろ。シリアをイスラエルに占領させろ。ユダヤ人を呼べ。どれもバッシャール・アサドよりはましだ[178]。」
アメリカ大統領バラク・オバマは暴力の行使を「著しく正義に反する」として非難し[179]、合衆国内におけるシリア当局資産の凍結を準備した[180]。国際連合安全保障理事会(国連安保理)常任理事国であるフランスとイギリスを含むEU各国は、国連に対して国際的な制裁の実施を働きかけた。但し、常任理事国のロシアと中国の支持が得られるかどうかは不透明であった[181]。シリアはイスラム主義者たちの扇動による暴動であると主張した[182]。
4月28日、アルジャジーラは、負傷した兵士がシリア市民に介抱されている模様を示す映像を放映し、彼ら兵士が抗議者たちへの発砲命令を拒否し、体制派の部隊を攻撃したと報じた。この放送局は映像の信憑性を確認できないとしながらも、「信頼できる情報源」によるものと主張した[183]。
ダルアーやドゥーマなどの都市における過酷な取り締まりにもかかわらず、4月29日も抗議者たちの行動を阻止できなかった。アレッポ、ホムス、デリゾール、シャイフ・ミスキーン、ダマスカス、およびシリア国内の他の都市でも数千名が集まった。シャイフ・ミスキーンにおいて兵士が非武装の抗議者たちを実弾で攻撃し殺害している映像が匿名で投稿された[184]。アルジャジーラは、金曜礼拝の後に始まった治安部隊による攻撃で少なくとも50名の人々が殺されたと報じた[185]。ロイターは死者62名と報じた[186]。
武装した抵抗派
[編集]反政府抗議者たちの中には武装した集団もあるといわれ、シリア政府は彼らがサラフィー主義(en:Salafi)のイスラム教徒たちであると主張した[187][188][189][190][191]。シリア治安部隊のうち100名以上が殺されており、シリア政府はこれが抗議者たちの中にいる「武装したギャング」によるものとしているが、反政府側は政権側の責任であるとしている[192]。
国際キリスト教コンサーン(en:International Christian Concern)によれば、ここ数週間の間、シリアのキリスト教徒(en:Christianity in Syria)が抗議活動に参加しないという理由で反政府抗議者たちによる攻撃を受けた[193]。
イラン関与疑惑
[編集]オバマはアサドによる鎮圧活動を秘密裏に支援しているとしてイランを非難した[194]。アメリカのスーザン・ライス国連大使は、シリア政府のデモ取り締まりに対するイランの積極的支援について証拠があると述べた[195]。イランは抗議鎮圧に対するあらゆる関与を否定した[196]。
2011年5月
[編集]5月1日、バニヤースは抗議者たちが掌握する南部と、治安部隊によって政府の支配下におかれる北部とに分裂した。
5月6日、金曜礼拝の後、政権に抗議するデモ隊がシリア各地の街に集結した。抗議開始から1時間の間に、治安部隊の映像や音声がオンラインに出現し、中には致命的な暴力も見られた。ホムスでは武装グループが軍の検問所を武力攻撃し、11名のシリア軍兵士が殺された[197]。ホムスだけで少なくとも3名が死亡し20名が負傷、ホムスとハマーにおける死者は合わせて12名にのぼり、反政府指導者のムアーズ・アル=ハティーブやリヤード・セイフ(en:Riad Seif)が秘密警察によって拘留されたといわれる。ダマスカスおよびその郊外では数万人が行進したといわれ、アルジャジーラのアラビア語チャンネルがこの街から数分間中継したところによれば、そのうち7,000名は葬儀の装束に身を包み、バニヤースで集めたオリーブの枝と花を持ち、人々は「平和的に軍隊を迎えたい」と語った。ダルアー周辺では数千名のシリア人が抗議の行進に参加し、街の包囲を固めていた治安部隊は、住民のための物資を携えた抗議者たちが市内に入ることを拒絶した[198][199]。
この「反抗の日」の後、アムネスティ・インターナショナルは、活動家のラザン・ザイツーネ、ワエル・ハマダ、ハイサム・アルマレ、カマール・アッ=ラブワーニー(en:Kamal al-Labwani)の子供であるヒンド・アッ=ラブワーニーとオマル・アッ=ラブワーニー、ジュワン・ユセフ・ホルシド、ワリド・アルブンニ、およびスハイル・アルアタッシが連れ去られたと報告した[200][201]。
反政府活動家によると、5月8日、ホムスでの政府による取り締まりにおいて、12歳の少年が殺され、10歳の少年が逮捕された[202]。
この節の加筆が望まれています。 |
2011年6月
[編集]6月に入っても反政府デモは沈静化の兆しを見せることはなく、イギリスやフランスなどからは国際連合安全保障理事会決議を求める声も上がりはじめる[203]。6月9日にはIAEAにて核問題を安保理に付託する決議を採択するなど[204]国際的な包囲網が敷かれる中、アサドは新たな軍事活動を開始する[205]。10日には全土で反政府デモが発生し市民32人が死亡、トルコへの脱出も相次いだ[206]。こうした弾圧に対してアメリカも英仏などが提案する決議案を支持する姿勢を明らかにし[207]、16日には国連事務総長潘基文もアサドに対して国民に対する弾圧の停止を要求、対話を求めた[208]。
20日にはアサドが憲法改正も含む国民との対話を行う意向を表明するなど[209]柔軟な姿勢を見せたもののデモ沈静化にはつながらず、24日には全土で再びデモが発生。数万人が参加し治安部隊が発砲、市民15人が死亡した[210]。アサドが宣言した国民との対話は7月10日に行われると発表している[211]。
2011年7月 自由シリア軍の発足
[編集]10日に行われるとアサドが宣言した国民との対話は多くの野党勢力が政府側との交渉を欠席した。野党勢力の代表達は「アサド大統領が,自分達が出した主要な要求の数々を遂行しないうちは、交渉に参加しない」と述べた。主張の内容は「抗議行動に対する弾圧の停止と政治犯の釈放。」である。10日シリア政府は、在野勢力側との「国民対話」スタートを発表、「10日から二日間、与党と在野勢力との間の会合が始まっている」としている。なお交渉への参加意向を示した野党勢力もシリアの与党アラブ社会社会主義バース党(バアス党)の優位性撤廃を求めた。シリア憲法では、バアス党を「国家を指導する政党」と規定している[212]。
反体制派勢力はトルコのイスタンブールで16日に開かれた会合で評議会設立に関する決定を承認した。同会合は、数ヶ月続くアサドの大統領退陣を求める反政府デモが静まらないことを背景に開かれた。会合には、シリアから追放された350人以上の活動家らが出席、反体制派の著名な活動家ハイサム・アル=マーリフは、「他の反体制派グループを支援し、民主的発展の道に従って国を導くために、我々は活動してゆく」と述べた[213]。
国内で高まりをみせる反政府運動を背景に、バアス党は独占的な政治的地位を放棄せざるを得なくなったと見られ、政府は国内での結党を許可する法案を25日に承認した。1963年以来、シリアの政治システムで主導的な役割を担ってきたのは、憲法で与党の地位を保守されたバアス党で、アサドはその書記長を務めている。なお新しい法案には、政党は宗教を基盤にして創設する事はできず、さらに外国の政治組織の支部として軍あるいは武装組織を基盤として党を作ったりする事は禁止している[214]。
7月29日、シリア軍の大佐リヤード・アスアドは、インターネットでビデオ映像を配信し、そのなかで軍を離反し、「自由シリア軍」設立を発表する。「民間人を殺害する治安部隊に対して、合法的な目標をもって対峙することになる」と述べ、「我々はシリア領内のあらゆる場所で例外なく目標を実行する」と表明した。また、「名誉あるすべての軍人」と彼が名づけた兵士に直ちに軍を離反し、国民の胸に自らの銃を向けることを止めるよう呼びかけた。
2011年8月
[編集]8月に入っても反政府デモに対する弾圧は続き、国連安保理では対策をとることができない事態が続く。リア・ノーボスチ通信によれば、2日目となる安保理でのシリアに関する議論では、15の理事国の間での意見が分かれているという。ロシアの国連常駐代表ヴィタリー・チュルキンが記者らに、「欧米諸国はシリアでの問題の責任が完全に政府側にあるとしており、シリア政府に圧力をかけることが必要だと考えている一方で、ロシアを含むほかの国々は、シリア国内のすべての勢力を対話のテーブルにつかせることが重要だと考えている」とのこと。シリア問題に関しては、どのような形で安保理としての反応を示すのかについても定まっていない状態であった[215]。
米国は、アサド側の行動に原因があると考えを政府報道官のカーニーが伝えた。カーニーは、シリア政府が一般市民への武力行使を停止するために、米国はシリア政府に圧力をかけるための新たな対策の検討を続けていると指摘した。カーニーは、アサドがいないほうがシリアのためになると指摘した。報道官は、アサドは反政府抗議デモの参加者らへの武力行使を強化することで、国民の要求に応える用意も、その能力もないことを提示していると述べた。人権擁護家らのデータによるとシリアでは約4ヶ月前から続く大規模な抗議デモへの弾圧によってこれまでに1300人以上が犠牲になったとした。シリア政府は、軍は武装した過激派グループに対抗しているだけにすぎないと述べている[216]。
シリア外相ワリード・アル=ムアッリムが6日、ダマスカスで外国の大使らと会談した際に自由な人民議会選挙が今年末までに実施されると述べた。現議会の任期は、来年4月までとなっている。外相の声明はペルシャ湾岸諸国がシリアに対して武力行使を即時停止するよう呼びかけた後に表明された。アサドは4日、野党政党の活動を承認する大統領令を発令した[217]。
アサドは8日、反政府デモが発生している各都市の代表者らと協議した後、国防相を更迭しシリア軍参謀長ラージハを新国防相に任命した。2009年から国防相を務めていたハビーブは欧州連合によるシリアの高官らに対する制裁リストに含まれていた[218]。シリア国営放送によって、翌日9日に死去したことが発表された。72歳だった。死因は健康上の問題とのこと。
ブラジル外務省が10日、インド、ブラジル、南アフリカの外務省代表らとアサドがダマスクスで会談した際にアサドは、複数政党制導入と憲法改正を行うことを明らかにした。憲法改正プロセスは来年の2月から3月に終了するという[219]。
アサドは、国連事務総長パンとの電話会談で「シリア国内での反政府抗議行動参加者に対する軍と治安部隊による作戦は、停止された」と伝えた。しかしながら以降も軍による弾圧の死者は増え続けた[220]。
2011年9月 シリア国民評議会の形成
[編集]デモ開始から半年目の15日にトルコのイスタンブールで開かれた会合でアサド退陣を求める反体制派の統一機関「シリア国民評議会」が形成された。「国民評議会」のメンバーとして、140人が正式に任命された。メンバーの多くは、シリアに滞在していた[221]。
9月27日、イギリス、フランス、ドイツ、ポルトガルが国連安保理にシリア政府による反政府勢力への弾圧を非難する決議案を提出[222]。しかし10月4日、ロシアと中国の拒否権行使により否決[223]。
アサドは28日、最高選挙管理委員会組織に関する大統領令に署名した。サナ通信によれば、委員会のメンバーには高等裁判所の顧問10名が含まれていた。選挙に関する法案は、7月に政府により承認済みだが、その際、新しい政党法についても討議すべきだとの声が上がった[224]。
2011年10月
[編集]安保理決議採択が4日に行われたが否決された。AFPが伝えたところでは安保理15カ国のうち9カ国が、シリア国民に対する同国当局の弾圧を非難する決議に賛成、4カ国が棄権した。ロシアと中国は拒否権を行使した。投票後、ロシアの国連大使ヴィタリイ・チュルキンは「西欧諸国が持ち出した決議案が採択されたならば、シリア内戦激化を煽る事につながっただろう」と指摘し「ロシアは、シリアでリビアのシナリオが繰り返されることには反対だ」と強調した[225]。
野党はアサド政権との対話に反対の立場であることを表明、野党はシリア政府は対話を危機から脱出するための解決策の模索ではなく、政権側にとってより好適なイメージをつくるために利用していると述べ、シリアで暴力が高まっている責任は政権側にあるとし、武力を用いて危機を解決する方法は緊張を高めるだけだと強調した[226]。
2011年11月
[編集]アラブ連盟はシリア問題に関する緊急会合を16日、モロッコの首都ラバタで開催する。アルジェリアの外務報道官アマラ・ベラニの声明では、「我々は16日ラバタで、シリア問題に関するアラブ連盟外相会合を開催することに決定した。」と述べられている。アラブ連盟による最後通牒への返答のために、48時間が残された。16日には、シリアに対する制裁措置が発効、アラブ連盟におけるシリアの加盟国としての立場の停止と、それに伴う経済的、政治的制裁が行われた。アラブ連盟は、シリア政府が反政府デモの「流血の弾圧」を停止し、同国への監視団派遣を認めるために3日間を与えた[227]。
アサドは、英国の新聞「サンデー・タイムス」のインタビューに応えた中で「シリアへの軍事侵攻は、中東全体を不安定化させ、その後遺症は『ひどく恐ろしいもの』になるだろう」と述べ、「もし西側のリーダーに道理と理性があるならばそんな事はしないだろう。自分個人としては、外国軍と戦い、シリアのために死ぬ用意ができている。アラブ連盟は『挑発行為』を行い、外国による対シリア干渉の土壌を用意している。自分は大統領の座を去るつもりはない。」と述べた[228]。
11月20日未明、バアス党支部にロケット弾が撃たれた。「自由シリア軍」が犯行声明を出した[229]。
11月23日国連総会は、シリアにおける人権侵害を非難する決議案を採択した。賛成122、反対13、棄権はロシアを含め41カ国だった[230]。
2011年12月
[編集]シリアは、アラブ連盟からの監視団を受け入れるための議定書に調印した。AFP通信が明らかにした。監視団は、シリア政府が危機の克服について、実際に平和的な手段での解決を目指し、流血を止めようとしていることを確認するのが目的。これより先、アラブ連盟はシリア国内での暴動が続いていることを受けて、シリアの加盟国としての立場を停止し、経済的な制裁措置を導入していた。国連の資料によれば、シリア国内では5千人以上が犠牲になっているという[231]。
アラブ連盟からの定期監視団が25日、シリアに到着する。監視団は、アラブ連盟によるプランがシリア政府によって守られているかどうかを確認することを目的としたもの。そのプランには、政府軍の都市部からの撤退をはじめ、暴力の停止、政治犯の恩赦、野党勢力との対話などが盛り込まれている。これより先22日、首都ダマスカスには30人からなる最初の監視団が到着していた。25日に到着する監視団は150人規模となる。団長を務めるのは63歳のスーダンの将軍ムハンマド・アフマド・ムスタファー・アッ=ダービー。アッ=ダービーはスーダンの軍事諜報を指導した経歴があり、アフリカ各地の外交使節や平和維持活動に参加していた。シリア政府は先週、アラブ連盟のプランに調印し、その一部を実行に移した[232]。
2012年1月
[編集]2012年1月28日、シリアを非難する国連安保理決議案が提示された[233]。しかし2月4日の採決では2011年10月の時と同様にロシアと中国が拒否権を発動し採択されなかった(それ以外の理事国13カ国は賛成)[234]。
2012年2月
[編集]2月16日、安保理常任理事国でも拒否権を行使できない国連総会において、シリア政府に対して弾圧即時停止を求める決議案が提示された。ロシアと中国を含む反対は12だったが、137の賛成多数で可決した[235]。
2012年3月 政府軍によるホムス制圧(第1次ホムス制圧)
[編集]3月1日、政府軍が反体制派の最大拠点であったホムスを制圧。
2012年5月
[編集]5月7日、人民議会選挙が実施される。バアス党および同党が主導する進歩国民戦線加盟政党、2011年に制定された政党法のもとで認可された新党が立候補者を擁立し、選挙戦を戦った。また各地のビジネスマン、実業家らも無所属候補として出馬する一方、反体制組織のほとんどは選挙をボイコットした。
2012年6月 政府軍によるトルコ軍機の撃墜
[編集]6月22日、トルコ軍のF4ファントムがシリアに撃墜された[236]。
2012年7月 反体制派の大攻勢
[編集]7月15日、ダマスカスで反体制派と政府軍による激しい戦闘が勃発し、17日には反体制派が市民に対して一斉蜂起を呼び掛けた。18日、ダマスカスの治安機関本部で反体制派の自爆テロにより、国防相ラージハ、副国防相シャウカト(大統領アサドの義兄)、副大統領補トゥルクマーニーの3人が死亡し、内相シャアールと国家治安局長イフティヤールが負傷した。これに対してアサド政権側は、直ちに新国防相にファリージを任命し、反体制派への報復を宣言し攻撃を開始した。20日、イフティヤールが死亡。
7月19日、国連安保理において、「国際連合シリア監視団 の派遣延長」と「アサド政権への制裁」を合わせた欧米の決議案を採決したが、またもや中国・ロシア両常任理事国が拒否権を発動し、否決された。同日、反体制派がトルコ国境検問所とイラク国境検問所を含む3か所の検問所を制圧し支配下に置いた。
7月20日、反体制派がアレッポ東部を掌握(アレッポの戦い (2012-)) 。
2012年8月 日本人ジャーナリスト殺害
[編集]8月6日、首相リヤード・ファリード・ヒジャーブが、政権からの離反を表明した[237]。9日、ヒジャーブの後任にワーイル・ナーディル・アル=ハラキーが任命された[238]。
8月9日、シリア問題解決を目的とした会議が、イラン・テヘランで開催され、29カ国の代表が参加した。うちイラン、イラク、パキスタン、ジンバブエからは外相が出席した[239]。同日、政府軍と反体制派の戦闘が続いているアレッポで、反体制派・自由シリア軍は中心部のサラーフッディーン地区から撤退した[240]。
8月10日、シリアとヨルダンの国境で、両国軍による戦闘が起こった[241]。同日、イギリス外相ウィリアム・ヘイグは、シリア反体制派に対し500万ポンド(6億円相当)の非軍事的支援を表明した[242]。同日、アレッポ国際空港に対する反体制派の攻撃を、政府軍が撃退した[243]。
8月11日、アメリカ国務長官ヒラリー・クリントンは声明を発表し、シリアの反体制派に対しさらに550万ドルの非軍事的支援を行うことを明らかにした[244]。
8月12日、シリア当局は、国際テロ組織アルカイダとの関連が疑われる[245]ジハード主義組織ヌスラ戦線の指導者ワーイル・ムハンマド・アル=マジダラーウィーを殺害した、と発表した[246]。
8月16日、マッカで開かれていたイスラム協力機構の首脳会議で、シリアの加盟資格停止が決まった[247]。また、同会議でエジプト大統領ムハンマド・ムルシーは、シリア問題解決方法を検討するため、近隣主要関係国であるエジプト、イラン、サウジアラビア、トルコの四カ国による会議をつくることを提案した[248]。
8月16日、国連安保理が、シリアの国連停戦監視団の解散・撤収を決定した[249]。17日、国連は、国連・アラブ連盟合同特使アナンの後任として、アルジェリア元外相のラフダル・ブラヒミが肩書を「特別代表」と変えて就任することが決まった、と発表した[250]。
8月20日、日本人ジャーナリスト山本美香がアレッポを取材中にシリア政府軍と思われる部隊に射殺された。
8月21日、シリアのカドリー・ジャミール副首相は、モスクワでロシア外相セルゲイ・ラブロフと会談し、「シリア政府は直ちに反体制派と政治対話を行い、各方面との和解のために努力していきたい」と述べ[251]、また、会談後の記者会見において、反体制派との対話が行われれば、アサド退陣についても協議する用意があることを表明した[252]。
8月25日、国連シリア停戦監視団長ババカ・ガイが、全ての活動を終えシリアから出国した[253]。
8月28日、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、シリアから周辺国に逃れた難民の数が21万4120人に上ることを明らかにした[254]。
2012年9月
[編集]9月4日、事務総長国連のパン・ギムンは、シリア情勢報告の中で、アサド政権・反体制派双方に対する武器供与が事態を悪化させていること、双方が市民保護をせず国際人道法に背いているのは明白であることを指摘した[255]。
9月6日、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の職員が、自宅で銃撃され殺害された[256]。9日、ダマスカス郊外でUNRWAの職員が、出勤途中に銃撃され死亡した[256]。
9月10日、ブラヒミ国連・アラブ連盟特別代表はエジプトを訪問し、シリア問題の打開策についてエジプト大統領ムルシーと協議した[256]。また、同日エジプト外務省は、先にムルシーが提唱していたトルコ、サウジアラビア、イラン、エジプトのシリア周辺四カ国によるシリア問題解決を目的とした会議が、同日カイロで開かれると発表した[257]。
9月12日、ブラヒミ国連・アラブ連盟特別代表とアラブ連盟事務局長ナビール・エル=アラビーが、カタール首相兼外相ハマド・ビン・ジャーシム・ビン・ジャブル・アール=サーニーとカイロで会談した[258]。
9月14日、レバノンを訪問中のローマ教皇・ベネディクト16世は、シリア情勢に関し「武器を輸出するのは大罪だ」と述べ、兵器輸出の即時停止を求めた[259][260]。
9月15日、シリアを訪問している国連・アラブ連盟特別代表ブラヒミは、就任後初めてシリアのアサドと会談した[261]。
9月16日、イランのイスラーム革命防衛隊司令官モハンマドアリー・ジャアファリーは、革命防衛隊メンバーが、シリアで非軍事的支援を行っていることを明らかにした[262]。
9月17日、国連人権理事会の独立調査団長パウロ・ピネイロは、シリア国内におけるジハード主義者を含む外国人勢力の存在感の増大と、それら勢力が国内反政府武装勢力をより過激な姿勢に仕向けている傾向がある、と報告した[263]。
9月17日、エジプトのムルシーの提唱ではじまったシリア問題解決を目的とする「イスラム4カ国(エジプト、イラン、トルコ、サウジアラビア)協議」の初の外相会合がカイロで開かれたが、サウジ外相サウード・アル=ファイサルは欠席し、代理も出席しなかった[264]。
9月19日、イラン外相サーレヒーがシリアを訪れ、アサドと会談した[265]。
9月20日、ダマスカス近郊のドゥーマーで、シリア政府軍のヘリコプターが墜落した。反体制派は、撃墜したと主張した[266]。
9月22日、反体制派武装勢力・自由シリア軍は、司令部をトルコからシリア国内に移動させたと発表した。ただし、シリア国内のどこであるか、いつ行ったかについては明らかにしなかった[267]。
9月23日、ダマスカスで、外国からの支援を受けた武装勢力や在外人士中心の反体制派組織「シリア国民評議会」に批判的な左派系反体制派組織・「民主変革勢力国民調整委員会(NCCあるいはNCB)」の呼びかけで反体制派の会議が開かれ、平和的手段によるアサド政権打倒で一致した[268]。この会議には他に約20の反体制派勢力が参加した[269]が、反体制派武装勢力・自由シリア軍は、この会合への参加を拒否した[270]。
9月26日、カタール首長ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニーは、国連総会一般討論演説で、シリア問題に関して「政治的・軍事的・人道的義務からアラブ諸国自身が軍事介入した方が良い」と述べた[271]。一方で、エジプトのムルシーは、前日の25日アメリカPBSテレビのインタビューにおいて、シリアに対する外国の軍事介入について、反対である、と述べ、大いなる誤りだ、と指摘した[272]。
2012年10月
[編集]10月2日、レバノンの治安当局者が、アサド政権と密接な関係を持つレバノンのシーア派組織・ヒズブッラーの司令官アリー・フセイン・ナースィーフと戦闘員がシリア国内で死亡したことを明らかにした。ヒズブッラー系紙アル=インティカードは、「ジハードの義務を遂行中に」死亡した、と伝えたが、ヒズブッラーの報道官イブラーヒーム・ムーサウィーは、死亡については認めたが、いついかにして死んだかなど詳細については明らかにしなかった[273]。同日、ヤン・エリアソン国連副事務総長は、シリア問題に関して「エジプトと協力しながら進めていく」と述べ、ブラヒミ特別代表が来週からカイロで活動をはじめることを明らかにした[274]。
10月3日、シリア北部の都市アレッポのサアドッラー・アル=ジャービリー広場で、シリア政府軍を狙った車爆弾攻撃が3件発生し多数の死傷者が出た、とシリアメディアなどが報じた。シリアに拠点を置くジハード主義組織ヌスラ戦線が、車爆弾攻撃への関与を認め、この攻撃が自爆攻撃であったと主張している[275]。
3日にシリアからの砲弾でトルコ住民5人が死亡して、両国の国境で高い緊張状態が続いており、トルコ政府は4日、シリアに派兵する議会承認を得た[276]。
10月8日夜、ダマスカス近郊のハラスターの軍施設に対し、2回の自爆攻撃があった。アルカイダ系ジハード主義組織ヌスラ戦線が実行者であるとの声明を出した[277]。
10月12日、国連・アラブ連盟合同特別代表ブラヒミが、サウジアラビアのジッダを訪れ国王アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズと会談した[278]。
10月17日、ヨルダンの治安当局者が、16日、3人のヨルダン人のジハード主義者をシリアとの国境付近でシリアから不法入国した後に逮捕したことを明らかにした。ヨルダンのジハード主義指導者によると、3人は過去数ヶ月間ダルアーでアラブジハード主義勢力とともに戦っていたという[279]。
10月20日、シリアを訪問していた国連・アラブ連盟合同特別代表ブラヒミは、ダマスカスで外相ムアッリムと会談した[280]。ブラヒミは、先に26日から29日のイード・アル=アドハー(犠牲祭)期間内の停戦案を提示しており、これに対しトルコやイラン、中国などの支持を得ていた[281][282]。
10月21日、ダマスカス旧市街のキリスト教徒居住者が多いバーブ・トゥーマー(トーマス門)付近の警察署前で、自動車に仕掛けられたとみられる爆弾が爆発し、少なくとも13人が死亡した[283]。
4日間の停戦合意は、初日から事実上崩壊した[284]。
2012年11月 シリア国民連合の樹立
[編集]11月11日には従来のシリア国民評議会に代わる新たな反政府統一組織シリア国民連合が樹立され、フランスなどがシリアにおける唯一の正統な代表者として承認した[285][286]。
2012年12月
[編集]12月11日、アメリカは、アルカイダとの関連が疑われる反体制派武装勢力「ヌスラ戦線」をテロ組織に指定した[287]。
12月12日、モロッコのマラケシュで開かれていた「シリア友人会合」は、シリア国民連合をシリア国民を代表する唯一の代表として承認した[288]。
12月17日、同日付のレバノン紙アル=アフバールのインタビューで、シリア副大統領ファールーク・アッ=シャルアは、政権・反体制派ともに最終的な解決をなし得ないこと、軍事的・政治的解決が一層困難となっていることを指摘し、国連安保理・周辺国などの関与の下での挙国一致政権の樹立が不可欠、と主張した[289]。
12月21日、日本政府は安全保障会議を開催し、現地情勢の悪化を理由に、ゴラン高原に派遣していた自衛隊のPKO部隊の撤収を決定した[290]。
12月26日、シリア政府の憲兵隊司令官少将アブドルアズィーズ・アッ=シャッラールが、動画投稿サイトに掲載したビデオ声明で、政権より離反し反体制派へ加わることと明らかにした[291][292]。
2013年1月
[編集]1月11日、反体制派はイドリブ県にある政府軍のタフタナーズ空軍基地を制圧した[293]。
2013年2月
[編集]2月21日、ダマスカスで、バアス党本部やロシア大使館の近くで車爆弾攻撃があり、53人以上が死亡した[294]。
2月22日、「シリア国民連合」は、反体制派が支配するシリア北部を統治するための暫定政府を樹立する方針を明らかにした[295]。
2月28日、「シリア友人会合」がローマで開かれ、アメリカ国務長官ジョン・フォーブズ・ケリーは反体制派に対して食糧や医療衛生用品など6000万ドル相当の非軍事支援を行うことを明らかにした[296]。
2013年3月
[編集]3月6日、国連難民高等弁務官事務所は、シリアから国外へ逃れた難民の数が100万人に達したことを明らかにした[297]。また同日、ゴラン高原において停戦監視にあたっている国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)のフィリピン人要員21人がシリア反体制派勢力に拘束された。「ヤルムーク殉教者」と名乗る組織がネット上に犯行声明を出した[298]。9日、UNDOFのフィリピン人21人が解放された[299]。
3月18日、反体制派の連合体「シリア国民連合」は、イスタンブールにおける会合で、暫定政府の首相に米国生活が長いビジネスマンでクルド人のガッサーン・ヒートーを選出した[300][301]。
18日、シリア軍戦闘機2機がレバノン北部の町アルサールにロケット弾3発を撃ち込んだ[302]。この攻撃による犠牲者などは伝えられていない。レバノン大統領ミシェル・スライマーンは、「受け入れられない」としてこの攻撃を批判、シリア外務省は攻撃を否定している[303]。
3月21日、ダマスカスのアル=イーマーン・モスク内で自爆があり、スンナ派指導者(ウマイヤド・モスクのイマーム)でアサド政権寄りのムハンマド・サイード・ラマダーン・アル=ブーティー師とその孫を含む42人が死亡した[304][305]。
3月24日夜、自由シリア軍の指導者リヤード・アル=アスアド大佐が、シリア東部マヤーディーンで乗っていた車が爆発し重傷を負った[306]。
2013年4月
[編集]4月8日、中央銀行や財務省のあるダマスカス中心部サバア・バハラート地区で自爆があり、少なくとも15人が死亡した[307]。
4月10日、反体制派ヌスラ戦線が、アルカイダの指導者アイマン・ザワーヒリーに忠誠を誓う声明を発表した[308]。
2013年5月
[編集]5月5日、5日未明にダマスカスの近郊にある科学研究施設がイスラエル国防軍によるミサイル攻撃を受けた、とシリア国営のシリア・アラブ通信(SANA)が伝えた[309]。
5月5日、国連人権理事会のシリア問題に関する国際調査委員会の調査官カルラ・デル・ポンテは、シリア反体制派武装勢力がサリンを使用した可能性が高いこと、現在のところシリア政府軍が化学兵器を使用した根拠が発見されていないことを明らかにした[310][311]。
5月8日にヌスラ戦線の指導者アブー・ムハンマド・アル=ジャウラーニーがダマスカスの近くで政府軍の爆撃により負傷した、とシリア人権監視団が伝えた[312]。ヌスラ戦線側はこれを否定した[313]。
2013年6月
[編集]6月2日、レバノン領内で、シリア反体制派武装勢力とヒズボラの間で戦闘があり、死者が出た[314]。
6月5日、シリア国営テレビが、シリア政府軍がレバノンとの国境に近い戦略的要衝クサイルを完全に掌握したことを伝えた[315]。
2013年7月
[編集]7月29日、シリア国営テレビが、ホムスの反政府勢力拠点ハーリディーヤ地区(ハマーの南7km)をシリア政府軍が制圧したことを伝えた[316]。
2013年8月 政府軍による化学兵器使用疑惑とNATO軍介入危機
[編集]2013年8月、化学兵器によって殺害されたとされる市民の遺体(リンクをクリックして画像を開く) 8月18日、サリンなどの神経ガスの使用の有無を調査するための国連調査団がダマスカスに入った[317]。
28日、イギリスが化学兵器の使用を根拠としたシリアへの武力行使を容認する決議案を国連安全保障理事会に提出。しかし中国・ロシアの反対により合意に至らなかった[318]。オバマ大統領はテレビ局のインタビューに応じた中で、アサド政権が化学兵器を使用した事を結論付けたと発言し、軍事介入を示唆した[319]。29日、英国下院が同国によるシリアへの軍事介入を容認する動議を否決した[320]。
2013年9月
[編集]9月4日、アメリカ上院外交委員会は、シリアへの軍事攻撃を条件付きで承認した。地上軍投入は禁止し、軍事行動の期間を最大90日間に限定するなどの内容となっていた[321]。
9月5日、ロシアのサンクトペテルブルクでG20首脳会議が開催された。経済問題を話し合う場だが、今回はシリア情勢について意見がかわされた。攻撃を主張するアメリカ、フランスに対してロシア、中国は攻撃反対を主張し、その溝は埋まらないまま閉幕した。また、教皇フランシスコは、プーチンに書簡を送り、軍事介入は「無益な努力」だと訴えた[322][323]。
9月9日、ロシア外相ラブロフは緊急記者会見で、シリアの化学兵器を国際管理下に置き、シリアが化学兵器禁止条約に参加することを要請した[324]。9月12日、シリアのアサド大統領は、ロシアの国営通信RIAノーボスチのインタビューで、この要請に応じる準備があると回答した。また化学兵器禁止条約への署名後、1ヶ月後に化学兵器の情報を提供すると発表した[325]。9月14日、シリアの化学兵器廃棄に向けて、アメリカとロシアは同意し、アメリカやフランスによるシリア攻撃は当面回避される事となった[326]。
9月27日、安保理はシリアの化学兵器を国際管理下で廃棄させる決議案を全会一致で採択した。9月30日には、化学兵器禁止機関による査察が開始された[327]。
2013年10月
[編集]10月14日、シリアは化学兵器禁止条約の190番目の正式な加盟国となった[328]。
10月23日、シリアの友人たちのアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、エジプト、ヨルダン、カタール、サウジ、トルコ、アラブ首長国連邦の11カ国が、シリア反体制派の代表とロンドンで会合を開く。将来のシリア政権にアサドを参加させないことでは一致したが、11月に予定されている和平会議に反体制派が出席するかどうかについては決まらなかった[329]。
10月31日、化学兵器禁止機関は、シリア国内の化学兵器生産施設の破壊が完了したと発表した[330]。化学兵器禁止機関は、予定されていた23箇所すべての施設を破壊した[331]。化学兵器禁止機関の広報官は、シリア政府は、今後、化学兵器を製造する能力は無くなったとしている[332]。しかし、この発表はシリア政府自身の説明に依存する所が大きく、反政府勢力は「これほど迅速に全ての設備が破壊できるものだろうか」と発表を疑問視している。アメリカの政府高官の話として、シリアが化学兵器や設備をどこか他の場所に隠した可能性がある事も指摘されている。化学兵器禁止機関による完全な化学兵器の無力化作業は、2014年6月30日まで続く予定とした[333]。
2013年11月
[編集]11月15日、化学兵器禁止機関はオランダ、ハーグの本部で会合を開き、シリアの化学兵器については、廃棄の優先度の高い兵器をシリア国外に持ちだして、2014年3月末までに処理することなどで合意した。毒性の弱い兵器も、2014年6月末までに廃棄する予定とし、シリアに残った生産設備などは、シリア側が破壊する計画とされた[334]。しかし、処理場所として有力視されていたアルバニアは受け入れを拒否しており、計画通りに廃棄が進まない可能性が示唆された[335][336]。当初、アルバニアのエディ・ラマ首相は、化学兵器の受け入れに積極的だったが、国内の環境団体や学生の反対デモを受け、受け入れ反対に転じたという[337]。他の有力候補とされていたノルウェー、ベルギーも、受け入れを拒否した[338]。廃棄は2014年7月9日より公海上で開始され、同年の8月18日に終了した。これにより発生する分解物質はイギリス・アメリカ・ドイツ・フィンランドで処理されることとなった[339]。
2013年12月
[編集]国連はシリア北東部にイラク経由で初めて支援物資を空輸した[340]。
2014年1月
[編集]1月1日、シリアの化学兵器の一部を廃棄処理のため国外に持ち出す作業は、期限内であった2013年12月31日をすぎることが確実になった[341]。
1月4日、シリアの反体制活動家は、連合してイスラム武装組織ISILを攻撃し、新たな「革命」に乗り出したと語った[29]。
1月18日、シリア国民連合は、暫定政府を樹立するための和平会議への参加を決定した[342]。
1月23日、スイスのジュネーブでシリア和平会議が開かれたが、1月31日、具体的な成果を挙げることなく終了した[343]。
2014年2月
[編集]2月6日、シリア政権と国連は、政府軍による包囲が続いている地域への人道支援を認めることで合意した[344]。
2014年5月 反体制派のホムス旧市街からの撤退(第2次ホムス制圧)
[編集]5月9日、停戦交渉に基づき、反政府勢力がホムス旧市街からの撤退を完了。
2014年6月 バグダディのカリフ僭称とイスラム国家の樹立宣言
[編集]6月3日、大統領選挙実施。投票率73%、得票率88.7%で現職アサドが当選(3期目続投)。反体制派の多くは大統領選挙をボイコットし、正当性は皆無と主張。
6月30日、ISILの指導者アブー・バクル・アル=バグダーディーがカリフを指導者とするイスラム国家の樹立と自らのカリフ即位を宣言し、組織の名称をISIL(イラクとレバントのイスラム国)からIS(イスラム国)へ改称[345]。
2014年7月 アサドの大統領就任(3期目)
[編集]7月16日、現職アサドの3期目の大統領就任式を実施。
2014年8月 ISによるラッカ県制圧
[編集]8月24日、ISはシリア北東部のラッカ県にあるシリア政府軍の空軍基地を制圧、ラッカ県のほぼ全てを手中に収めた[346]。
8月25日、オバマは、アメリカ軍によるシリア上空での偵察飛行を承認した[347]。
アサド政権は、ISの勢力拡大に対して国際社会と協力する用意があると表明した。これまでアサド政権打倒を目指してきた反政府派を支援してきたイギリスやアメリカの協力も歓迎するとした[348]。
8月28日、国連ゴラン高原の兵力引き離し監視軍要員43名が武装勢力に拉致されたと発表、この武装勢力は、シリアの反体制派ヌスラ戦線の可能性が指摘された[349]。また、同日28日、ISは先日、シリア空軍基地を制圧した時に捕らえていたシリア国軍兵士500人のうち、160名の処刑を発表、処刑映像を公開した[350]。
2014年9月 ISによるコバニ包囲とアメリカ軍によるIS空爆
[編集]9月16日、ISの軍勢がトルコ国境沿いのクルド勢力の拠点都市コバニ(アイン・アル=アラブ)市街地に侵入、コバニを巡る戦闘が激化。
9月23日、アメリカ軍がISに対する空爆を開始(生来の決意作戦)。
2015年1月 YPGによるコバニ解放
[編集]2015年1月1日、イギリスのNGO、シリア人権監視団は2014年を通じたシリア国内の戦闘による死者数を7万6,021人と発表。この数字は、2011年3月の戦闘開始以降で最多。死者のうち約18,000人が一般市民[351]。
2015年1月26日、コバニを防衛していたクルド人民兵組織のYPG(人民防衛部隊)がISの撃退に成功(コバニ包囲戦)。
2015年3月 ヌスラ戦線のイドリブ制圧
[編集]3月24日、ヌスラ戦線を中心とするアルカイダ系反政府勢力がファトフ軍を結成。28日、ヌスラ戦線がイドリブ県の県都イドリブを制圧。
2015年5月 ISのパルミラ制圧
[編集]5月20日、ISがパルミラを制圧。
5月23日、ファトフ軍がイドリブ県最後の政府軍拠点ジスル・シュグール国立病院を制圧。
2015年8月
[編集]8月18日、ISがパルミラ研究の第一人者である考古学者ハレド・アサドを殺害。
2015年9月 ロシア軍による軍事介入
[編集]9月30日、ロシア航空宇宙軍がシリア政府を支援するためISに対しSu-24、Su-25、Su-34による空爆を開始。さらに10月にはカスピ小艦隊の艦艇がイラン、イラク領空を通過する巡航ミサイルによる攻撃を加えた。アメリカ政府は「ロシアが空爆した場所にISILはいない」としてロシアを非難。
これ以降、ロシアやイランの支援を受けたシリア政府軍が優勢となる[352]。
2015年10月 シリア民主軍結成
[編集]10月12日、シリアのクルド人民兵部隊クルド人民防衛隊(YPG)と、複数のアラブ系反政府勢力などが正式な同盟関係を結び、シリア民主軍(Syrian Democratic Forces、SDF)を結成。
2015年11月 政府軍によるクワイリス軍事空港解放
[編集]11月11日、シリア政府軍がISにより包囲されていたアレッポ近郊のクワイリス軍事空港を解放。約2年ぶりに同基地に対する陸路の補給路を確保。
2015年12月 政府軍のホムス平定(第3次ホムス制圧)
[編集]12月9日、中部ホムスにおいて反体制派が支配してきた最後の拠点ワエル地区で停戦が成立。反体制派が撤退を開始し、アサド政権がホムス全土を掌握。
12月25日、ダマスカス南部のヤルムーク難民キャンプおよび周辺地区での停戦が成立。ISILおよびヌスラ戦線などの武装勢力が占領地域から撤退。
同日、シリア軍がダマスカス郊外県東グータ地方にあるイスラーム軍の拠点複数カ所に対して空爆を行い、同組織の最高司令官ザフラーン・アッルーシュを殺害。
12月26日、シリア民主軍がISとの戦闘の末、アレッポ県東部ティシュリーン・ダム一帯を制圧。
2016年1月
[編集]1月16日、ISがデリゾールで大規模攻撃を実施。一時はISの市内への侵入を許し、住民の虐殺や137旅団基地内の弾薬庫を抑えられる等、人的・軍事的な被害も発生したが、政府軍はハサカ・カーミシュリーからの兵力の引き抜きとロシア軍の空爆支援で対処し防衛に成功。
2016年2月
[編集]現地時間2月27日0時、米国とロシアが呼びかけた全国的な停戦がアサド政権と反体制派の間で成立(ISやヌスラ戦線などのアルカイダ系武装勢力は対象外)。
2016年3月 政府軍によるパルミラ奪還
[編集]3月23日、アサド政権が2015年6月よりISに占領されていたパルミラを奪還。
2016年5月
[編集]アサド政権の強固な支持基盤である地中海沿岸部タルゥースでは初めてのISによる大規模テロ攻撃が発生。
2016年7月 政府軍によるアレッポ包囲
[編集]7月25日、シリア軍がヌスラ戦線、アレッポ・ファトフ軍作戦司令室からなる反体制武装集団との戦闘の末、アレッポ市北部のライラムーン地区を完全制圧し、アレッポ市東部地区への封鎖をさらに強化した。これにより、アレッポ市北部とアレッポ市北東部のシリア軍支配地域は面でつながったという。
7月31日、反体制諸派が政府軍によるアレッポ東部の包囲網を打ち破るべく猛攻撃を開始。
2016年8月 アレッポ包囲の失敗・トルコ軍による軍事介入
[編集]8月6日、シリアの反体制派が3週間にわたっていた政府軍によるアレッポ(Aleppo)東部の包囲を破ったと発表。南西からアレッポに入る新しいルートを開くことに成功し、政府軍による包囲を破った。形勢は逆転され、ロシアの支援を受ける政府軍が守勢に回るかたちになる。
8月24日、トルコ軍が自由シリア軍とともにアレッポ県北東部のISおよびクルド勢力支配地域を攻撃(ユーフラテスの盾作戦)。
2016年9月 政府軍によるアレッポ再包囲
[編集]9月4日、政府軍は、「同盟諸部隊」とともに、アレッポ市南西部郊外の士官学校(兵器科など)一帯で反体制派を掃討、8月上旬に喪失していた同地を奪還。反体制派の兵站路すべてを再び遮断し、アレッポ市東部街区を再包囲。
2016年11月 アレッポ包囲環の縮小
[編集]11月28日、政府軍がアレッポ東部の北側半分を奪還。
2016年12月 政府軍によるアレッポ奪還
[編集]12月7日、政府軍がアレッポ旧市街を奪還。
12月11日、ISILがパルミラを再占領。
12月13日(日本時間14日未明)、政府軍がアレッポ全土を完全制圧。国連安全保障理事会の緊急会合で「反体制派戦闘員が脱出するための合意ができ、戦闘員は退去を始めた。その過程で政府軍の軍事行動も停止された。」と発表。12月14日、アサドがYouTube上にアレッポ戦での勝利を祝うインタビューを公開、事実上の勝利宣言を実施。22日、シリア軍武装部隊総司令部が、アレッポ市東部に残留していた反体制武装集団戦闘員の退去が完了し、アレッポ市を解放し、治安と安定を回復したと発表。
2017年1月
[編集]1月20日、ISが世界遺産であるパルミラ遺跡のローマ劇場と四面門を破壊。
1月23日、シリア政府と反体制派の和平協議であるアスタナ会議が行われたが双方が歩み寄りを見せることはなかった。
2017年2月 トルコ軍と反体制派によるアルバブ奪還
[編集]2月23日、トルコ軍とその支援を受ける自由シリア軍がISILからアル=バーブを制圧した。28日、トルコ軍が攻略を目指すクルド勢力の拠点都市にアメリカ軍地上部隊が展開した。
2017年3月 トランプ政権、アサド政権打倒の方針変換を表明
[編集]3月2日、シリア軍がISILからパルミラを再奪還。
3月31日、米のドナルド・トランプ政権はアサド政権打倒を最優先する方針を転換することを発表した。露と協力してISやテロリストの打倒を目指す方針を表明。一方、武器援助等で米国の支援を受けていた反政府武装勢力側は、受け入れられないと強く反発した。米国内では上院議員ジョン・マケインがこの政策の転換を強く非難した[353]。
2017年4月 化学兵器の使用疑惑と空軍基地攻撃
[編集]4月4日、シリア人権監視団により、アサド政権軍による北西部イドリブ県の反政府軍が支配する町への空爆(カーン・シェイクン化学兵器攻撃)があり、少なくとも72人の死者が出て、多数の人が負傷しているとの発表が行われた。発表された映像には、呼吸困難や痙攣などで苦しむ子供や女性の動画が流され、サリンや塩素ガス等の神経ガスを使った化学兵器が使用されたと発表した。国際NGOの国境なき医師団やアムネスティ・インターナショナルはアサド政権の化学兵器を使った空爆による被害であるとして強く非難した。しかしながら、シリア政府軍によって神経ガス攻撃が行われたことの証拠は示されておらず、アサド政権は化学兵器の使用を全否定した。
4月7日、米政府はシリア政府軍の安全保障理事会の規約を無視した独断的な化学兵器の使用に対し、米海軍の地中海に展開する駆逐艦『ポーター』と『ロス』より59発の巡航ミサイルをシリア国内のシャイラート空軍基地に向けて発射した(シャイラト空軍基地攻撃)[354]。シャイラート基地は化学兵器貯蔵に使われていたため、ここの空軍機が空爆を行ったと判断しここに向けての巡航ミサイルによる攻撃に踏み切ったとした。米政府はISに対しての空爆攻撃は行っていたものの、アサド政権に対する攻撃に踏み切ったのはこれが初めてであった。またトランプは「シリアの独裁者、アサドが罪のない市民に対して化学兵器を使って攻撃を行った。このとても残虐な行為によって可愛い赤ちゃんたちも無慈悲に殺された。シリアの空軍基地に対する攻撃を指示した。この攻撃は化学兵器の使用と拡散をやめさせるための安全保障上、非常に重要な国益だ。」と述べた。またプーチンはアサド政権支持を表明した。日本政府はいち早く米政府の支持を表明した。
3月31日にアサド政権打倒は優先事項ではないと政策の転換を発表してからわずか1週間後の出来事であった。
2017年6月 ラッカ攻防戦の開始
[編集]ISの「首都」ラッカに対して6月6日、SDFが奪還作戦を開始した[355]
2017年9月 政府軍によるデリゾール打通
[編集]9月4日、政府軍がデリゾールへ到達。9日、SDFがデリゾールへ到達。ユーフラテス川を隔てて政府軍とSDFがそれぞれ対IS戦を実施。
2017年10月 IS(イスラム国)の崩壊
[編集]10月17日、米軍を中心とした有志連合の支援を受けたシリア民主軍がISの「首都」ラッカを完全制圧。
10月18日、政府軍デリゾール守備隊司令官准将イサーム・ザフルッディーン(Issam Zahreddine)が戦死。20日、スワイダー市でイサーム・ザフルッディーン少将(戦死により昇級)の葬儀が行われた。
10月20日、シリア民主軍がラッカ解放宣言を発表。
2017年11月 政府軍のデリゾール奪還とイラク国境到達
[編集]11月3日、政府軍がデリゾール全域を奪還。
11月9日、政府軍がイラク国境の町アブ・カマルを奪還。11日、ISがアブ・カマルを再度占領。19日、政府軍がアブ・カマルを再度奪還。
2017年12月
[編集]12月3日、YPG司令部がデリゾール県のユーフラテス川東岸(左岸)をISから解放したと発表[356]。
12月6日、シリア政府軍がユーフラテス川西岸(右岸)をISの支配から解放。
12月11日、プーチンがシリアのフメイミム空軍基地を訪問。IS掃討完了とロシア軍主力の撤退開始を宣言[357]。
2018年1月 トルコ軍のアフリーン侵攻
[編集]1月5日夜~6日、シリアに駐屯するロシアのヘメイミーム空軍基地に対してドローン10機、タルトス海軍基地に対して3機による攻撃があり、ロシア軍が撃墜または捕獲したとロシア国防省が発表[358][359]。
1月20日、トルコ大統領エルドアンが、クルド人勢力の民主連合党(PYD)が支配するシリア北部への攻撃(オリーブの枝作戦)開始を発表[360]。
1月30日、ロシアが主導して同国南部ソチで開かれた「シリア国民対話会議」が憲法委員会の設置に合意。会議はアサド政権と反体制派のうち政権に融和的な一部のみが参加し、ジュネーブ和平協議に参加する反体制派代表団「高等交渉委員会」(HNC)は出席を拒否[361]。
2018年2月 アサド政権とYPGの協調と政府軍の東グータ攻勢
[編集]2月10日、シリア防空軍がシリア南部でイスラエル軍機を撃墜。
2月11日、シリア政府はYPGがハサカ・コバニ方面からアフリーンへの増援部隊派遣の経路を確保することでYPGと合意。12日、トルコ軍のアフリーン侵攻に対し、YPGがシリア政府に軍事支援を要請。18日、シリア政府とYPGの間でアフリーン市を巡る合意が成立。アフリーン市一帯のシリア政府への移譲と、シリア軍の進駐が決定。20日、シリア政府がアフリーンへの民兵部隊の派遣を開始。22日、シリア政府の派遣した親政府民兵からなる「人民部隊」がアフリーン入り。YPGがアレッポ市内の支配地域をシリア政府に移譲、YPGに代わってシリア軍が同地に展開。
シリア政府軍が反体制派支配地域の東グータへの空爆を激化する。28日、シリア政府軍による18日以降の東グータへの空爆による死者が602人になるその中に子ども147人が含まれている。
2018年3月 政府軍による東グータ分断包囲とトルコ軍のアフリーン制圧
[編集]3月9日、政府軍は反体制派の支配下にあるバイト・サワー村を制圧し東グータ地方を南北に分断。10日、政府軍は東グータ地方をドゥーマ市および同市北部一帯、ハラスター市一帯、それ以外の南東部の三つに分断する事に成功。15日、政府軍が東グータ地方中部ハームリーヤ市を制圧、同市住民約2万人が政府支配地域に避難。同日、東グータ地方ドゥーマ市でも市民数千人がシリア政府支配地域に退去。15日、ダマスカス近郊ヤルムーク・パレスチナ難民キャンプで政府軍とISの停戦合意が成立。18日、アサドが東グータの前線を視察。22日、ロシアの仲介により20日に成立したシリア政府とシャーム自由人イスラム運動(シリア解放戦線)の停戦合意に従い、21日に開始された東グータ地方ハラスター市の戦闘員と家族の退去が完了。24日、22日にロシアの仲介で交わされたシリア政府とラフマーン軍団の停戦合意に従い、東グータ地方のアルバイン市から退去を開始。
3月18日、トルコ軍及び反体制派がロジャヴァの拠点都市の一つアフリーンを制圧。
2018年4月 米英仏による化学兵器関連施設への攻撃と東グータ制圧
[編集]4月1日、ロシアの仲介でシリア政府とイスラム軍による東グータ地方ドゥーマ市での停戦合意が成立。2日、イスラム軍が東グータ地方ドゥーマ市からの撤退を開始。
4月2日、ハマ県南部の10ヵ村がシリア政府との停戦に合意、シリア政府軍が進駐。
4月5日、イスラム軍の内部対立によりドゥーマ市からの撤退が延期。
4月6日、YPGがアレッポ県タッル・リファット市から撤退し、シリア政府軍が引き継いで展開。
4月8日、イスラエル軍がホムス県タイフール航空基地を爆撃。
4月8日、シリア政府とイスラム軍の停戦交渉が再開、イスラム軍がドゥーマ市から戦闘員を退去させる事に合意。9日、イスラム軍のドゥーマ市からの退去が再開。
4月14日、アメリカのトランプ政権はイギリス、フランスとともに、アサド政権の化学兵器に関連するとされる3か所へのミサイル攻撃を行った[362]。
4月14日、シリア政府軍がドゥーマ市を奪還し東グータ全域の制圧を発表。アサド政権が国土の約6割を掌握[363]。
4月17日、東カラムーン地方(ダマスカス郊外県)の反体制派が停戦に応じ退去を開始。
4月19日、イラク政府軍が、シリア東部デリゾール県のIS拠点を越境空爆。36人を殺害したと22日発表[364]。
2018年5月 政府軍による首都ダマスカス完全掌握
[編集]5月21日、シリア軍は激しい戦いの末にダマスカス南部からISを駆逐し、首都とその近郊を完全に支配下に置いたと発表。
アサド政権存続後の内戦
[編集]東グータの陥落に伴い、反体制派がアサド政権中枢であるダマスカス官庁街を攻撃する手段を完全に失った事で、アサド政権の存続は確定的となり、アラブの春に端を発し、アサド政権打倒を目指して始まったシリア内戦は事実上の終焉を迎えた。しかし、シリア全土の奪還を目指すアサド政権に対し、イドリブを中心とした北西部に撤退した反体制派は抗戦を続け、ロジャヴァからユーフラテス川東岸を実効支配するシリア民主軍もアサド政権と一定の協調はしつつも勢力圏の維持を図り、欧米やトルコなども依然として支持勢力への支援を継続して継戦能力を維持させ、アサド政権の施政権を阻むことで、内戦の様相はアサド政権打倒から分離・独立に近いものへと変化している。
2018年6月 政府軍による南部攻勢
[編集]6月19日、政府軍がシリア南部奪還に向けた攻勢を開始。
2018年7月 政府軍の南部奪還
[編集]7月12日、政府軍がダルアーを奪還。
7月25日、スワイダーでISが自爆テロ。
2018年12月 トランプのシリア撤退発表
[編集]12月19日、トランプ大統領がツイッターで「IS(イスラム国)を打倒し、歴史的勝利を収めた」とし、シリアからの米軍の撤退を発表。
12月27日、アラブ首長国連邦(UAE)が在シリア大使館を再開[365]。
12月28日、YPGの要請によりアサド政権が北部のマンビジに政府軍部隊を投入。YPG側は政権軍受け入れの理由を「トルコの侵略からの防衛」と説明[366]。
2019年1月
[編集]1月11日、米軍を主体とする有志連合の報道官が、撤退作業を開始したと発表[367]。
1月13日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が、内戦下のシリアで、アサド政権支援に展開するイラン系部隊などを標的に数百回の空爆を行ったことを公表[368]。
1月16日、シリア北西部マンビジでISによるテロが起き米兵ら5人が死亡[369]。
1月21日~22日、イスラエルがシリア国内のイランの軍事施設に対し空爆を実施[370]。
2019年2月
[編集]2月10日、シリア民主軍がISに対する最終作戦の開始を発表した[371]。
2月18日、イドリブで連続爆弾攻撃が起こり24人が死亡した[372]。
2月22日、シリアにおけるIS最後の拠点バグズで夜間行われた空爆でパリ連続襲撃事件の犯行声明を出したテロリストファビアン・クランの死亡が確認された[373]。
2月26日、北西部で政府軍と反体制派の衝突が起こり数十人が死亡した[374]。
2019年3月
[編集]3月10日、内戦発火点の一つであるダルアー中心部で、ハーフィズ・アル=アサド元大統領(政権軍を率いるアサド大統領の父親)像が再建される[375]。
3月23日、シリア民主軍がシリア内のIS最後の拠点バグズを解放。これによりシリアでISの支配地域は消滅[376]。
2019年4月
[編集]4月13日、イスラエル軍がシリア中部にミサイル攻撃を行った[377]。
2019年5月
[編集]5月22日、イドリブ県に政府軍が空爆を行い23人が死亡した[378]。
2019年6月
[編集]6月15日、北西部で政府軍の空爆が起こり45人が死亡した[379]。
2019年7月
[編集]7月1日、イスラエル軍とみられる空爆がダマスカス、ホムスで起こり15人が死亡、北キプロスにシリア軍が応戦したミサイルが飛来したが死傷者はなかった[380]。
7月4日、ラッカから200人の遺体が見つかる[381]。
7月11日、ドイツの裁判所はISに参加し男性と結婚したドイツ人女性と子供の強制帰国させるべきと初の判断を下した[382]。
アメリカが3年ぶりに自由シリア軍への支援を再開する[383]。
2019年8月
[編集]8月1日、シリア政府はイドリブ県で停戦合意を発表[384]。
8月2日、HTSは合意を拒否する。
8月5日、政府軍はイドリブ県での爆撃を再開する。
8月16日、キルギスはシリアとイラクの難民キャンプにいるキルギス国民を帰国させる活動を開始した[385]。
8月20日、反体制派を支援するトルコ軍の車列がイドリブ県への越境を試みるも政府軍の攻撃により足止めとなる、この攻撃で3人が死亡した[386]。県を支配していたHTSがハンシャイフンなどの主要地域から撤退[387]。
8月23日、北西部のモレクにあるトルコ軍の監視拠点周辺をシリア政府軍が掌握する[388]。
8月30日、ロシアがシリア政府軍がイドリブ県で31日早朝より停戦に入ると発表[389]。
8月31日、SDFはシリア東部にてラッカで100人を処刑したとされるISの外国人戦闘員拘束を発表。この外国人戦闘員は2016年ブリュッセル爆発事件に関与した疑いが持たれている[390]。
アメリカ軍がイドリブ県のイスラム過激派へミサイル攻撃を行った。この攻撃による死者は少なくとも40人と見られている。
シリア政府軍のイドリブ県での停戦が数時間で破られる[391]。
2019年10月 トルコ軍のシリア侵攻・米軍のバグダディ殺害
[編集]10月6日、トランプ大統領がトルコ軍の軍事行動に関与しない方針を表明。
10月9日、トルコ軍がシリアに侵攻。
10月26日、米軍がイドリブ近郊でIS指導者バグダディーを殺害。
2020年1月
[編集]1月3日、アメリカ軍がバグダッドでシリア内戦にも深く関わっていたイラン革命防衛隊の司令官ガーセム・ソレイマーニーを殺害。
2020年2月 シリア・トルコ紛争
[編集]2月5日、シリア政府軍が二つの幹線道路M4とM5が交差する交通の要衝サラキブを掌握。
※M5はアレッポからダマスカスを経て、ヨルダン国境へと続く、シリア西部を南北に結ぶシリア最長の幹線道路。
※M4はラタキアからサラキブに続き、サラキブでM5と交差する。
2月11日、シリア政府軍がM5高速道路全線を奪還。
2月16日、シリア政府軍がアレッポ市北西部の反体制派支配地域を制圧。アレッポ市全域がシリア政府統治下に復帰。
2月27日、反体制派がサラキブを奪還。
2月27日、シリア政府軍が反体制派を支援するトルコ軍を空爆、トルコ兵33人が死亡。
2月28日、トルコ軍がシリア政府軍を空爆、シリア政府軍兵士45人以上が死亡。
2月29日、トルコ軍がシリア政府軍拠点を空爆、シリア政府軍兵士26人とヒズボラの民兵10人が死亡。
2020年3月 停戦と戦線の膠着
[編集]3月1日、シリア政府軍はイドリブ県上空の封鎖と領空侵犯機の撃墜を宣言。
3月1日、アサド大統領が戦死者・戦傷者・行方不明者家族に対する補助金支給を定めた2020年政令第5号を施行。
3月1日、ダルアー県で治安維持の為にサナマイン市に駐留しようとしたシリア政府軍と、シリア政府と和解していた元反体制派が衝突。
3月2日、シリア政府軍がサラキブ市を再奪還。
3月3日、1日にダルアー県でシリア政府軍と衝突した元反体制派メンバー26人が、ロシアの仲介でイドリブ県に退去する事をシリア政府と合意。
3月5日、ロシアのプーチン大統領とトルコのエルドアン大統領がシリア北西部の情勢を巡りモスクワで会談、6日未明から停戦に入る事に合意。
*合意内容は以下の3点。
- 3月6日午前0時から、全戦線で戦闘行為を停止する。
- M4高速道路の南北に幅6㎞の「安全地帯」を設置する。
- 3月15日から、上記の「安全地帯」でロシアとトルコが合同パトロールを実施。
3月7日、M5高速道路が再開。
2021年 バイデン政権のシリア政策とアサド大統領4期目の当選
[編集]2月25日、米軍がシリア東部で親イラン武装勢力の施設を空爆。バイデン政権初の武力攻撃となった。
3月8日、シリア大統領府がアサド大統領とアスマー・アフラス夫人が新型コロナウイルスの検査で陽性と確認されたと発表。
3月30日、シリアの大統領府が新型コロナウイルスに感染していたバッシャール・アサド大統領とアスマー・アフラス夫人が完治したと発表。
5月26日、大統領選挙を実施。
5月27日、現職のバッシャール・アル=アサドがシリア・アラブ共和国大統領に当選(2任期制限が明記された2012年憲法改正後の再選、2000年の初就任からは通算4任期目)。
7月3日、シリア政府は、停戦合意以降中止していた、反体制派最後の拠点であるイドリブ県に対する攻撃を再開した[392]。
7月17日、アサド大統領の4任期目の大統領就任式を実施。
2022年
[編集]2月3日、米軍がイドリブ県でIS2代目指導者アブイブラヒム・ハシミを殺害。
11月30日、自由シリア軍の作戦でIS3代目指導者アブハッサン・ハシミが死亡。
2023年
[編集]ISIL4代目指導者アブ・フセイン・フセイニが殺害された
内戦初期におけるシリア内外の反応
[編集]国内
[編集]拘束と有罪宣告
[編集]2011年2月5日に予定されていた抗議行動の数日前、シリア当局は多数の政治活動家を拘束した。その中には例えば、イスラム民主化運動の指導者である実業家のガッサーン・アン=ナジャール[393][394]、作家のアリー・アル=アブドッラー(en:Ali al-Abdallah)[395]、シリア共産党(en:Syrian Communist Party)のアッバース・アッバース[396]、また、アドナーン・ムスタファーなど数名のクルド系政治活動家も含まれている[397]。
2月14日、学生ブロガーのタル・アル=マローヒー(en:Tal al-Mallohi)がアメリカ合衆国のスパイとして有罪を宣告され、禁固5年の刑に処せられた。米国政府はこれを否定し、アル・マロヒの速やかな釈放を求めた。2月15日、人権団体の圧力を受けてシリア政府はガッサーン・アン=ナジャールを釈放した。彼は大衆の抗議を喚起したとして逮捕されて以来ハンガーストライキを続けていた[398]。
3月22日、シリア当局は人権運動家のロアイ・フセインを拘束した[399]。3月25日には、抗議者たちに対する大規模な逮捕監禁が行われているとの報道があった[133]。
2017年2月、アムネスティ・インターナショナルは、ダマスカス北方のサイドナヤ刑務所において、反体制派の拷問と処刑が行われていると指摘。2011年以降、最大13,000人が形式だけの裁判を経て絞首刑にされたとする報告書をまとめている[400]。
失踪
[編集]2011年4月29日、アルジャジーラのドロシー・パルヴァーズ(en:Dorothy Parvaz)がダマスカスに入ったが、それ以降の連絡がなくなった[401]。その後シリアを国外退去となり、イラン当局に拘束されたが5月18日までに釈放された[402]。
検閲
[編集]2011年2月5日、インターネットサービスが制限を受けたといわれているが、FacebookやYouTubeについては3日後に復帰したと報告されている[403]。制限の緩和は活動家の追跡につながるとの指摘があった[404]。
譲歩
[編集]2011年3月19日、立法府法令第35条により、アル=アサドは陸軍の徴兵義務期間を21か月から18か月に短縮した[405][406]。
3月20日、シリア政府は、3月6日に民主化を求める落書きを書いたとして逮捕した15名の子供たちを釈放すると発表した[120]。
3月23日、地方法令第120号により、ダルアー県知事のファイサル・アフマド・クルスーム(Faisal Ahmad Kolthoum)を解任した[17][407]。
3月24日、アル=アサドのメディア顧問であるブサイナ・シャアバーン(en:Bouthaina Shaaban)は、政府に「非常事態法の解除と政党の許可を検討する」用意があると述べた。シリア政府も、個人課税を引き下げること、公共部門の月給を1,500シリア・ポンド(32.60USドル)から引き上げることを発表し、報道の自由を広げること、雇用機会を増やすこと、および汚職を減らすことを約束した[127][408][409]。
3月26日、シリア当局はセドナヤ刑務所に捕らえられていたイスラム主義者など200人(別の情報では70人)程の政治犯を解放した[410]。
3月27日、ブサイナ・シャアバーンは非常事態法の撤廃を承認したが、その時期については言及しなかった[135]。
3月29日、ムハンマド・ナージー・アル=オトリー内閣が総辞職。オトリー首相以下全閣僚がアル=アサドに辞表を提出した[137]。
3月31日、アル=アサドは、数十年間続いている非常事態法に代わる法律を検討するための法律専門家からなる委員会を立ち上げた。この委員会は4月25日までに検討を終わらせるとしていた。アル=アサドは、ダルアーやラタキアにおけるシリア市民や治安部隊の死について状況を調査するための司法委員会も立ち上げた[411]。
4月6日、教師が再びニカーブ(en:Niqāb)を着用することを許されるようになり、政府がこの国唯一のカジノを閉店させたことが報じられた[151]。
4月7日、アル=アサドはホムス県知事を解任し、ハサカ県東部に住む数千名のクルド人たちに国籍を与える法令を公布した[412]。また、シリア人権監視団は、ラッカ東部で拘束されてから1年以上になる48名のクルド人が解放されたと述べた[413]。これはシリア北西地域に住むクルド人に公民権を与えることについて、アル=アサドがクルド人部族指導者たちと会合を持った翌日のことであった。尚、シリアでは1962年の国勢調査によって数十万人のクルド人が市民権を剥奪されていた[414]。
4月16日、アル=アサドは国民議会に向けたテレビ演説において、彼の政府が次週までに非常事態法を撤廃するであろうと言明した。彼は市民と政府との間に意見の隔たりがあり、政府が民衆の願望に対して関心を持ち続けなければならないことを認めた[162]。その日の遅くに、彼はシリア内閣(en:Cabinet of Syria)の新しい大臣を迎え、より具体的な内容(英文による全文)を含む演説を行った。彼は「統一国家、政府と国家機関と国民の協調」を求めていくことの重要性を説き、多様なチャンネルを通じての対話と協議、民衆の支持、信頼、および透明性が必要であることを強調した。また、市民へのサービス、安全、および尊厳に対する要望と、改革との間の相互関係について説明した。彼はクルド人の市民権が最優先の課題であるとし、週内あるいは翌週までに非常事態法を撤廃すること、混乱や破壊工作を防ぐためにデモを規制すること、政党法、組織と選挙に関する地方行政法、および新しいメディア法の制定について、全て期限を設けた形で明言した。続いて、失業、経済、農業政策、投資誘致、公共部門と民間部門、裁判、汚職、贈収賄、税制改革、および政府の無駄の削減について述べた。また、政府の取り組みとして、市民団体、大規模組織、および労働組合との緊密な協調のみならず、参加型民主主義、電子政府、地方分権、有効性と効率性についても言及した。
4月19日、シリア政府によって非常事態法を撤廃する法案が承認された[415]。この二日後、アル=アサドは立法府布告第50条に署名して法律とした[164][165]。
4月30日、アーデル・サファル(en:Adel Safar)首相は次週までに改革の総合的な計画を作成すると発表した。この計画は、政治改革と治安・司法改革、経済改革と社会政策、及び行政と政治の進歩発展の三分野に及ぶ[416][417]。
デモの応報
[編集]2011年3月22日、ガーディアン紙の報告によれば、シリア当局はアサド支持集会を開催し、社会不安が破壊者たちや侵入者たちによって引き起こされているという宣伝を行ったとされる[418]。3月25日、ダマスカスでアサド支持集会が開催された[133]。
その他
[編集]2011年3月8日、国営シリア・アラブ通信(SANA、en:Syrian Arab News Agency)は、ウェブサイト上で「アル=アサド大統領は、2011年3月8日以前に為された政治犯罪に対して恩赦を与える法令を公布した」と題する文章を掲載した。この文章は3時間後に削除されている[419]。数時間後、バアス党が権力を握った1963年シリア・クーデター(en:1963 Syrian coup d'état)の記念日に関する恩赦として、シリア当局は、アル=アサドに対する最も率直な批評家であり80歳になる元判事のハイサム・アル=マーリフ(en:Haitham al-Maleh)を釈放した[420][421]。シリアにある12の人権団体は政府に対し、50年近くにわたって続いている非常事態宣言を廃止することを求めた[422]。
3月12日、釈放されたハイサム・アル=マーレフはYouTubeの映像において、抗議運動の新たな波の背後にいるシリアの若者たちに対して自らへの支持と支援を求め、シリアにおいて民主主義の実現が近付いていることに期待を示した[423]。
2月16日、政権批評家であり、シリア民主主義・自由機構(ODFS)の理事を務めるリバル・アル=アサド(リファアト・アル=アサドの息子であり、バッシャール・アル=アサド大統領のいとこにあたる)は、ロンドンで記者会見を開き、彼がシリア革命ではなく平和的な権限委譲を望んでいることを表明した[424]。4月5日の会見においてリバル・アル=アサドは、シリアに内戦の恐れがあることを警告し、以下のように述べた[425]。
「 | 全てのシリア市民はアラブ国家で何が起きているか知っているが、シリアには多くの少数民族が存在する。皆が武器を持ち、皆が身内を守ろうとしている。これはイラクで起きたことに似ている。 | 」 |
国際社会
[編集]国際組織
[編集]- 欧州連合 – 2011年3月22日、欧州連合外務・安全保障政策上級代表キャサリン・アシュトンは、欧州連合として「シリア各地で起きている平和的抗議運動に対して実弾の使用を含む暴力的な弾圧が行われることを強く非難する」との声明を発表した[426]。
- 国際連合 – 3月18日、国際連合事務総長潘基文は、シリア当局による抗議者たちに対する致命的な武力の行使を「容認できない」と表現した[427]。一方で潘は、アメリカが反体制派に武器供与を行おうとしていることに関し、「どちらにであろうが武器を供与することは事態解決の役には立たないだろう」と述べた[428]。国連事務総長のアントニオ・グテレスは2018年2月21日、反体制派の主要な拠点の一つとなっている東グータの状況について「地上の地獄」「人類の悲劇」等と形容し、人道支援を届けるための戦闘停止を求めた[429]。
各国
[編集]- オーストラリア – 2011年3月25日、オーストラリア外相ケビン・ラッドは、「ダルアーで起きた多くの殺人の原因に関する公式見解について、我々は深い不信感を持っている。また、民主化を求める平和的な抗議運動への対応には節度を持つようシリア政府に働きかけた。」と述べた[430]。
- カナダ – 3月21日、カナダ外務大臣ローレンス・キャノン(en:Lawrence Cannon)は、「カナダは、シリアのいくつかの都市で週末に起きた抗議運動に続く多くの殺傷事件について強く非難する。」と表明した[431]。4月24日、カナダ外務・国際貿易省はカナダ人に対してシリアへの旅行をしないよう、またシリア国内のカナダ人は商用交通手段が利用可能なうちに出国するよう勧告した[432]。
- フランス – フランス外務省は、デモに対して行使された暴力を非難し、政治犯の解放を求めた[433]。3月23日、フランス外務省スポークスマンのベルナール・バレーロは、シリアに対して速やかな政治改革を実行するよう求めた[434]。
- ドイツ – 3月24日、ドイツ外相ギド・ヴェスターヴェレは、「暴力は速やかに終わらせなければならない。シリア政府は、法の支配と同じように基本的人権と公民権を遵守しなければならない。」と述べた[435]。
- ギリシャ – 3月24日、ギリシャ外相ディミトリス・ドゥルツァス(en:Dimitrios Droutsas)は、「抗議を鎮圧するため市民の殺害に至るほどの暴力を行使することは無条件に非難される。我々はシリア政府に対してシリア市民の基本的権利を保証するよう働きかけた。」と述べた[436]。
- イラク – 4月3日、イラク首相ヌーリー・マーリキーは、シリア大統領に電話で「シリアの安定を標的とする陰謀に直面している」シリアをイラクが支持していると伝えた[437]。
- イスラエル – 3月24日、イスラエル外務大臣アヴィグドール・リーベルマンは、「西欧諸国がリビアに対するのと同じ原則や行動を考えている。イランやシリアの政情に注意して見届けたい。」と述べた[438]。イスラエルは、アサドがシリア国内における暴動から注意をそらさせ、ゴラン高原やレバノンやガザ地区におけるイスラエルとの国境紛争を挑発しようとすること、さらには、イスラエルに敵対するシリア国民の一体感を高め、メディアの注目をシリア国内の暴動からそらさせるためにイスラエルと戦争を始めること、について懸念を示した[439][440]。
- 日本 - 2011年4月13日、外務省は全ての暴力行為の停止を求める談話を発表[441]。日本政府は制裁措置として、2011年9月、シリア資産凍結等措置を発表した。また、シリアでの戦闘の激化により、ゴラン高原に派遣されていた自衛隊はシリア側での輸送任務を中止。さらに自衛隊の活動地域の政情も不安定となったことから、2012年12月になり、ゴラン高原から自衛隊の撤収が決まった[442]。2013年6月11日、岸田文雄外務大臣は、保健など人道分野などで、シリアの反体制派に直接支援を行う方針を表明した[443]。
- レバノン – 3月31日、ナジーブ・ミーカーティー首相は「シリアの人々が彼らの大統領を支持することによってシリアで紛争の起きる可能性がなくなること」に期待を示した[444]。ミシェル・スライマーン大統領もシリア安定の重要性と、それがレバノンとシリアとの間の安全保障や経済的関係にも影響することを強調した[445]。
- メキシコ – メキシコ政府は、メキシコ外務省(en:Secretariat of Foreign Affairs (Mexico))を通じて声明を発表し、その中で暴力行為を非難するとともに、シリア当局に対して武力の行使を控え市民との対話を促進するよう求めた[446]。
- ノルウェー – 3月24日、ノルウェー外相ヨーナス・ガール・ストーレ(en:Jonas Gahr Støre)は、暴力を非難し「ノルウェーはシリア当局が平和的な抗議者たちに暴力を行使しないこと、発言と集会の自由を尊重すること、及び人々の正当な要求について対話に入ること、を強く求める」と述べた[447]。
- カタール – 4月3日、カタールのハマド首長は、シリア大統領アル=アサドに手紙を送り、不安定化の企ての最中においてもカタールはシリアを支持すると表明した[448]。
- ロシア – 4月6日、ロシア連邦大統領ドミートリー・メドヴェージェフは、アル=アサドに電話でシリア改革を推進する直近の決断を支持することを伝えた[449]。ウラジーミル・プーチン大統領は、「シリアの反体制派は殺害した敵の内臓を食べている」と述べている。ヨーロッパやアメリカ、日本などへは、反体制派への支援をしないよう主張しており、アサド政権の擁護論を展開している[450]。
- 中国 – 中華人民共和国は、ロシアと歩調を合わせており、アサド政権を擁護する立場に立っている。アサド政権への制裁を加えるための国連決議案に、中国はロシアとともに、何度も拒否権を行使している[451]。
- サウジアラビア – 3月28日、アブドゥッラー国王はアル=アサド大統領との電話会談でシリア指導者としての彼の地位を支持することを表明し、暴動がシリアの正当な政府に対する陰謀であると主張した。シリアとサウジアラビアは数十年間にわたって緊張と対立の関係にあったが、サウジ国王のこの立場は両者の関係改善を示すものである[452]。だが、2012年11月12日には、サウジアラビアなどで構成される湾岸協力会議は、反体制派の連合体である「シリア国民連合」を、シリア国民の正統な代表として承認した[453]。さらに2013年5月1日、来日したサウード・アル=ファイサル外務大臣が、「アサド政権による攻撃から人々を守るためにあらゆる手段を提供すべきだ」と述べ、国際社会は反政府勢力に対し、武器を提供すべきと発言している[454]。
- スーダン – 4月6日、スーダン大統領オマル・アル=バシールはアル=アサドに電話で、「シリアを不安定化させる企て」に対峙するシリアを支持すると伝えた[455]。
- トルコ – 3月21日、トルコ外相アフメト・ダウトオールは「シリアは重要な分岐点にある。我々は民衆と政権との間にある問題が紛争に至ることなく処理されることを期待する」と述べた[456]。5月2日、レジェップ・タイイップ・エルドアン首相は、この騒乱でシリア政府がハマー虐殺のような事件を繰り返すならば、トルコとして傍観するつもりはない、と警告した[457][458]。
- アラブ首長国連邦 – 3月29日、アラブ首長国連邦のナヒヤーン大統領はアル=アサドに電話で、UAEがダマスカスを支持していることを再表明した[459]。
- イギリス – 3月24日、イギリスの外務英連邦大臣ウィリアム・ヘイグは、「我々はシリア政府に対し、シリア国民が平和的な抗議を行う権利を尊重し、彼らの正当な要求に対して行動を起こすよう求めた。」と述べた[460]。
- アメリカ – バラク・オバマ大統領政権は暴力の行使について非難し「アメリカ合衆国は表現の自由や集会の自由を含む普遍的な権利の味方であり、シリア政府を含むあらゆる政府は国民の正当な要求に応えなければならないと信じている。」と言明した[461]。国務長官のヒラリー・クリントンは、アメリカ合衆国議会がアル=アサドを「改革者」と見なしていることから、米国がシリアに介入することはありえないと表明した[462][463]。4月9日、オバマは以下のように述べた。
「 | 私は、今日および過去数週間にわたってシリア政府が平和的な抗議者たちに対して行ってきた酷い暴力を強く非難する。また、抗議者たちによるいかなる暴力の行使についても強く非難する。私はシリア当局に対し、平和的な抗議者たちにこれ以上の暴力を行使するのを控えるよう求めた。また、報告されている根拠のない逮捕、監禁、囚人への拷問は今すぐ中止しなければならず、現地で起きていることを独立的に検証できるよう情報の自由な流れを許可しなければならない。暴力と監禁はシリア国民の不平不満に対する答えにはならない。今こそシリア政府は市民に対する抑圧を止め、意義ある政治的、経済的改革を求めるシリア国民の声に耳を傾けるべき時である[464]。 | 」 |
- ベネズエラ – 3月26日、ベネズエラ大統領ウゴ・チャベスが次のように述べたと報告された。「現在、シリアでわずかな死者を伴う政治的な抗議運動が始まっていると言われている。また、大統領が国民を殺害しており、いずれ米国人たちが来て爆撃し人々を救い出す、とも言われている。暴力的な衝突を引き起こし、国中を血に染め、その後に爆撃し、干渉し、天然資源を我がものにし、その国を植民地とするために、かの帝国が発明した新しい方式の何と皮肉なことか[465]。」
- リビア – 10月11日、リビアの国民暫定評議会は、シリアのアサド政権に反対する「シリア国民評議会」を承認した。フランス通信社が伝えた[466]。
- 朝鮮民主主義人民共和国 - 公的な反応はないが、シリアの元国防相の息子フィラス・タラスによると、50人以上の北朝鮮のパイロットがキューバ経由でシリアに入り、アサド政権に軍事作戦の支援や、訓練で協力しているという[467]。北朝鮮は、シリアの古くからの友好国であり、核開発や武器輸出で協力している。2013年4月には、北朝鮮からシリアへの武器の不正輸出が摘発されている[468]。
- オーストリア - 2013年6月7日、オーストリア政府は、シリアの戦闘の激化により、ゴラン高原の国際連合兵力引き離し監視軍に参加していたオーストリア軍部隊を撤収させると決定した[469]。オーストリア軍は380人の要員を派遣しており、監視軍900人の主力となっていたため、今後の運用に不安が生じている[470]。
非政府組織
[編集]- アムネスティ・インターナショナルは、政治犯釈放を求める民衆の「平和的な抗議」に対する「暴力的な取り締まり」を非難した[471]。
- ヒューマン・ライツ・ウォッチは、シリア政府が「率直に意見する市民たちを射殺することに何の呵責もない」ことを指摘し、シリアの民衆が「この地域における非常に厳しい政府の弾圧に対して、自らの命を省みず公然と抗議に挑む信じられないほどの勇気」を示していると言明した[472][473]。
個人
[編集]エジプト出身のイスラム法学者ユースフ・アル=カラダーウィーは、「残虐行為」を行っているシリアの「弾圧的政権」に対する蜂起への支持を表明した。彼はバアス党政権に勝つことを訴え、反乱において軍隊が主要な役割を果たすという意見を述べた[474]。カラダーウィーは、「今日、革命の列車がシリア駅に到着した。それはいずれ辿り着く運命にあった。シリアをアラブ国家の歴史から引き離すことはできない。」と表現し、全てのアラブ人はシリア蜂起を支持するであろうと述べた[475]。カラダーウィーが数年間参加しているムスリム同胞団は[476][477]、アラウィー派支配から脱却しスンナ派の台頭を求めるウラマーと共にこの蜂起を支援した[478]。
メディア
[編集]シリア騒乱を確認できないというインターネット活動家たちからの批判にさらされる中、アルジャジーラは、政権交代に大きな影響力を持つシリアの主要野党の分析を提供した。野党には、シリア民主人民党、ムスリム同胞団、シリア国民救済戦線、シリア正義発展運動、シリア改革党、アラブ社会主義者運動、アラブ社会主義連合、革命労働者党、共産党など(シリアの政党を参照)が含まれる[479]。2011年3月9日、アルジャジーラはシリアにおける政治的な抑留者に関する分析を報告し[480]、2日後には恩赦の布告に政治犯が含まれていないことについて多くの活動家が不満を表しているとする特別番組が報じられた[481]。アルジャジーラは「アラブの春」ポータル内にシリア騒乱のインターネットページを立ち上げた[482]。
3月23日、デイリー・テレグラフ紙の外信部長であるコン・コクリン(en:Con Coughlin)によるコラムが同紙に掲載され、その中で罪のない抗議者たちを守るためシリア上空に飛行禁止空域を設定することが求められた[483]。
12月7日、アメリカABCテレビ(電子版)はアサド大統領へのインタビューで次のように伝えた。デモ弾圧について「死亡した大半の人々は政府の支持者。国民を殺したりはしない」と述べ、弾圧の責任はなく、大統領の辞任を拒否した。経済制裁に関しては「われわれは孤立していない」[484][485]。
教会
[編集]キリスト教徒(その大半は東方教会)への排撃や抑圧が問題となる中[27]、こうした状況を憂慮し、シリアにおける教会を支援する動きが広がっている[486][487]。
影響・関与
[編集]シリア
[編集]2016年2月に国連の調査委員会はシリアの現状について、国外の政府・勢力による代理戦争が行われており、「戦争犯罪が横行」した結果、「国家として崩壊寸前」であるとした[488]。2016年現在、21世紀最大の人道危機が生じているとされる。
2019年3月15日、イギリスの監視団体は、内戦発生8年が経過した時点の内戦による被害概要として、死者37万人以上(民間人約11万2000人を含む)、避難や亡命を余儀なくされた者約1,300万人、被害総額は数十億ドル規模などを推測している[489]。
経済
[編集]内戦によって多くの農民が農地から逃げ出し、用水路・綿工場・農業機械・貯蔵設備は損傷を受けた。エネルギー資源の不足も相まってシリアは深刻な食糧難に陥り、食料価格は高騰している[490]。 内戦によって観光客は遠のき、観光業は壊滅状態にある[491]。 シリアの石油産業は壊滅し、生産量は以前の微々たる量に戻ってしまったとされる。その結果、2013年頃には世界中の石油価格を押し上げる原因となった[492]。
2011年と比較して、2015年のシリアの実質GDPは半分以下にまで落ち込んだとされる[493]。2016年2月に世界銀行が公表した報告書によると、シリア内戦でシリアとその周辺国(トルコ、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプト)が蒙った経済的損失は約350億ドルに及び、内戦継続によって上昇し続けている[494]。
医療
[編集]2016年現在、医療機関の約7割は閉鎖されているか、満足な診療を行えていない。内戦開始以降、医療機関への攻撃が相次ぎ、医療従事者の半分が国外に流出したと見られている[495]。
教育
[編集]内戦によってシリア児童の基礎就学率は2010年のほぼ100%から、2015年には50%に激減し、未就学児の数は300万人に及ぶと見られている。校舎の4分の1が破損しており、シリアの教育システムを回復するには莫大な経費が必要となる。また、シリアの子どもたちがこのまま教育を受けることができず、彼らが「失われた世代」となった場合、シリアは将来にわたって毎年甚大な経済的損失を被り続けることになる[496]。
人口
[編集]Syrian-American Medical Societyによると、シリアにおける2014年の平均寿命は、内戦前と比べて20年以上も短くなった[497]。
2021年現在、世界最大の難民発生国である[498][499]。
反政府軍に近い団体であるSyrian Network for Human Rightsは、2011年3月から2021年3月までの間に、228,647人の民間人が殺害されたとしている[500]。
攻撃者 | 殺害された市民の数 |
---|---|
シリア政府軍・イラン民兵 | 200,367 |
ロシア軍 | 6928 |
イスラム国 | 5043 |
武装した反政府派/シリア国民軍 | 4189 |
多国籍連合軍 | 3048 |
シリア民主軍 | 1348 |
タハリール・アル=シャーム | 508 |
トルキスタン・イスラム党 | 4 |
その他の勢力 | 7212 |
合計 | 228,647 |
一方でシリア人権監視団は2011年3月から2021年5月までの間に、159,774人の民間人が殺害されたとしている。この値には政府の収容所で殺害された市民の推計値である47,000人は含まれていない[501]。
攻撃者 | 殺害された市民の数 | 男性 | 女性 | 児童 |
---|---|---|---|---|
シリアの政府軍 | 130,254 | 98,926 | 11,637 | 19,691 |
反政府勢力 | 9,062 | 6,742 | 872 | 1,448 |
ロシア軍 | 8,672 | 5,233 | 1,321 | 2,098 |
イスラム国 | 6,441 | 5,476 | 417 | 548 |
多国籍連合軍 | 3,847 | 2,162 | 712 | 973 |
トルコ軍 | 1,485 | 1,026 | 173 | 286 |
イスラエル軍 | 13 | 7 | 3 | 3 |
合計 | 159,774 | 119,592 | 15,135 | 25,247 |
環境
[編集]文化
[編集]2013年に国連教育科学文化機関は、内戦により甚大な被害を受けたとしてシリアの世界遺産(世界文化遺産)全て、すなわち「古代都市アレッポ」「クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン」「シリア北部の古村落群」「古代都市ダマスカス」「パルミラ遺跡」「古代都市ボスラ」を危機遺産に指定した[502]。
宗教
[編集]シリア内戦によって宗教的少数派の信教の自由が脅かされている。亡命や殺害などによってシリアのキリスト教徒の割合は、2006年の10%から2012年には8%に減少したとみられている[503]。
スンニ派の間では、ISILに代表される過激派が台頭した。
クルド人
[編集]シリア騒乱が内戦へと拡大し、2012年には反体制派の攻勢がシリア全土に拡大。守勢に回ったアサド政権軍は首都ダマスカスをはじめ主要都市が集中する西部地域を優先的に防衛する為にシリア北部のクルド人居住地(西クルディスタン/ロジャヴァ)から部隊の引き抜きを開始し、それに伴いアサド政権軍が撤退したロジャヴァでは、クルド民主統一党(PYD)が裁判所・刑務所・警察署などを設置して実質的な統治を始めた[504]。2014年1月、PYDとその連合政党はクルド人居住地域の3地方(エフリン、コバニ、ジャジーラ)に暫定政権をうちたて、行政機関を整え、新憲法も導入した[505]。
一般的に「シリアの反体制派組織の一つ」として括られる事が多いクルド人民防衛隊(略称YPG、前出のPYDの武装部門)だが、反体制派(特にイスラム過激派系の反体制派)と明確な敵対関係にある一方で、アサド政権とは相互に不干渉の姿勢を取り、第三勢力に近い立ち位置を維持していた。
2015年以降はアメリカや英仏独を後ろ盾とするシリア民主軍に参加するも、シリア内戦最大の激戦となったアレッポの戦い (2012-)では欧米が支援する反体制派ではなくアサド政権側に協力するなど、欧米とアサド政権(及びその後ろ盾であるロシア)双方との関係維持を目指す独自の動きを見せていたが、2017年後半から2018年前半にかけてイスラム国の崩壊やアサド政権によるダマスカス近郊及び南部地域の反体制派制圧などが相次ぎ、主要な戦闘地域がイドリブを中心としたシリア北部に移るとクルド人を巡る状況にも大きな変化が訪れた。 クルド人勢力の影響力拡大を嫌うトルコがシリアに対する本格的な越境攻撃を繰り返す一方、クルド人の後ろ盾であった欧米はトルコの軍事行動を黙認。2018年末にはトランプ大統領がアメリカのシリアからの撤退を示唆するに至り、YPGはアサド政権に軍事支援を要請。国土の南西部で反体制派制圧を成功させ戦力に余力が出来ていたアサド政権もYPGの要請に応え援軍の派遣を決定した事でクルド人勢力とアサド政権が急速に接近しつつあり、それに伴いロシアを仲介してYPGが制圧した反体制派支配地域のアサド政権への移譲とその見返りにPYDによるロジャヴァの自治承認を求める交渉が進められている。
各都市の状況
[編集]- ダマスカス
- シリアの首都。大部分はアサド政権が支配していたが、東グータ等の一部地域では反体制派が実効支配を続け激しい戦闘となっていた。しかし、2018年4月に東グータ全域を政府軍が奪還。反体制派は交渉の末イドリブへ退去、5月には政府軍がイスラム国やタハリール・アル=シャーム等のアルカイダ系武装勢力が支配するヤルムーク・パレスチナ難民キャンプを解放。これにより、ダマスカス及びダマスカス郊外県のほぼ全域がアサド政権支配下に復帰した。
- アレッポ
- シリアの最大都市。 行政機関も多く、アサド政権下で登用された人々が多いアレッポはアサド政権の牙城である。郊外から反体制派が侵攻した時も市民の多くは彼らに反発した。そのため、アレッポでは反体制派と政府軍の間で激しい市街戦が行われた。
- 戦闘によって世界遺産の町並みは破壊され、多くの市民は街を脱出した[506][507]。2016年12月に政府軍が奪還しアサド政権の管轄下に戻る。
- ホムス
- 内戦初期の反体制派の最大拠点となるが、2012年3月に一度政府軍が平定した。以後も断続的に戦闘が継続したが、政府軍が2015年5月に旧市街を、同12月にホムス最後の反体制派拠点だったワエル地区を奪還したことで、主要地域はアサド政権の管轄下に戻ったが、郊外では依然として反体制派支配地域も残されている。
- ラタキア
- アサド政権の支持基盤であるアラウィー派やキリスト教徒の住民の割合が多く、反政府勢力による散発的な攻撃はあるものの、一貫してアサド政権の統治下にある。戦火を避けるために移住した国内避難民の流入により、内戦後急激に人口が増加した。
- ハマー
- 都市部はアサド政権の統治下にあるが、郊外では依然として反体制派が実効支配している地域も残されている。
- ラッカ
- 2014年8月末にはISILがアサド政権のラッカ県最後の拠点であったタブカ空軍基地を制圧して以来、同組織が首都と位置付けていたが、2017年10月に米軍の支援を受けたシリア民主軍が街を奪還。ISIL壊滅後はシリア民主軍が実効支配。
- デリゾール
- アサド政権とイスラム国による攻防戦がたびたび行われており、2015年から2016年にかけてイスラム国がパルミラを占領した際には陸の孤島と化したが、いずれもアサド政権側が防衛に成功している。2017年9月に政府軍がイスラム国の包囲を破り打通作戦を成功させ補給路を開設し、11月に市全域を奪還。
- イドリブ
- シリア内戦発生以降の反体制派の牙城となっており、アルカイダ系のアル=ヌスラ戦線を前身とするタハリール・アル=シャームが拠点としている。2018年末においてクルド人地域を除く最後の纏まった反体制派支配地域。
レバノン
[編集]シリア内戦によってレバノンの貿易・観光・投資は大きな打撃を被った。公共支出は増加し、深刻な経済的な打撃を受けている。世界銀行によると、シリア内戦によるレバノンの損失は2014年時点で25億米ドルにのぼり、同年末までに約17万人のレバノン人が貧困に陥るおそれがある。国民の賃金は下がり、家計を圧迫している[508]。
レバノンには2021年の時点で約84.6万人もの難民を受け入れた、世界第8位の難民受け入れ国である。また、そのほとんどがシリア人が占めており、トルコに次いでシリア難民を多く受け入れている国である[509]。2021年現在、レバノン住民の約6分の1がシリアから逃れてきた難民で、全人口に対する難民の割合は世界で最も高い。保健医療・教育・電力・水道・衛生設備などの公共サービスへの需要は高まっているが、全土でインフラが限界に近づきつつある。衛生・ごみ処理の退廃が深刻化し、病院は疲弊し、給水は滞っている。「レバノンの国民は極めて寛大な心でシリア難民を受け入れてきたが、支援は限界に近づいている」(国連難民高等弁務官アントニオ・グテーレス)とされている[508]。
在レバノンのシリア難民には子どもが多く、レバノンの学校は10万人以上のシリア難民の子どもたちを受け入れてきた。しかし就学年齢に達しているシリア難民の子どもは全体で40万人を超え、数の上では公立学校に通うレバノン人の子どもを凌ぐ。そのため多くの子どもは就学できずに働いており、女子は幼くして結婚させられている[508]。
国内では内戦そのものが波及し、親アサド派と反アサド派の衝突が起きた[510]。隣国シリアの内戦に危機感を覚えたキリスト教徒やドゥルーズ派は武装化を進めるとともに、シーア派武装勢力ヒズボラに接近して生き残りを図っている[511]。
トルコ
[編集]トルコはレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領のもとで高い経済成長を実現し、「ゼロプロブレム外交」によってアラブ諸国との貿易額が上昇していた。しかし、2011年以降はシリア内戦によって流通が滞り、トルコの経済成長が鈍化する[512]。
トルコは2021年時点で380万人の難民(シリア人以外を含む)を受け入れ、数の上では世界最大の難民受入れ国となる[499]。
トルコは反体制派を支援し、2015年時点で170万人のシリア難民を受け入れてきた。これに対して多くの難民を受け入れてきた国境付近の東南部を中心にエルドアン大統領のシリア政策に対する不満が大きくなり、2015年の総選挙でエルドアン大統領を支持する与党公正発展党(AKP)が過半数割れの敗北を喫した[513]。この事態を受けてエルドアン大統領はそれまでのクルド人武装組織への融和策、ISILへの傍観策を改め、両勢力に軍事的な攻撃を加えた。その結果、AKPへの支持は広がり、2015年11月の再選挙ではAKPが過半数を獲得した[514]。
2016年8月末、トルコ陸軍は初めてシリア領内へ侵攻し、自由シリア軍とともにアレッポ県北東部国境地帯のISIL拠点を制圧した。
ISILの退潮と前後するクルド人勢力の拡大を防ぐため、トルコは2018年時点でもシリア北部への派兵を続けている。アサド政権への批判は続けているものの、同時にアサド政権を支持するロシア、イランとも連携している[515]。
ヨルダン
[編集]隣国ヨルダンでは、63万人以上のシリア難民の流入で、1年あたりの財政負担は国内総生産(GDP)の6%に当たる25億ドル(約2900億円)に上るという
イラン
[編集]シリア内戦でイランはアサド政権を支援し、中東地域における影響力を拡大させていった。アメリカのオバマ政権は中東の安定化を図り、イランへの経済制裁を解除した。しかしイスラエルやサウジアラビアなどは、イランの国際社会への復帰に強く反発した[516]。
イランのアサド政権に対する支援額は数十億ドルに達し、軍事顧問2000人と民兵2万人を派遣している。アサド一族ら政権関係者の多くが信仰するイスラム教アラウィー派は、イランが国教とするイスラム教シーア派に近いとされ、国民にシーア派が多くイランの影響力を受けているイラク、レバノンのシーア派組織ヒズボラと合わせて、イランは本土から地中海に至る影響圏「シーア派の弧」を形成している[517]。
2018年5月、イスラエル国防軍は、イスラエルが実効支配するゴラン高原を攻撃したとして、シリア領内のイラン部隊を攻撃したと発表した[518]。
イラク
[編集]2014年6月9日、シリアから浸透したISILによりモスルが陥落、街全体が武装勢力側に掌握された[519]。ISIL側はキリスト教徒やシーア派の市民を迫害し、彼らの大部分が市内から脱出した[520][521]。
モスル陥落によってイラク政府はスンニ派居住地域の一部に対する統治能力を喪失し、ISILの勢力圏に組み込まれた。さらに北部のクルディスタン地域も勢力拡大に乗り出し、キルクークを占領する。こうしてイラク国家は事実上、政府支配地域、ISIL支配地域、クルディスタン地域の3つに分裂した[522]。
2014年8月11日、ISILの勢力が拡大する中、フアード・マアスーム大統領は挙国一致体制を作るため、マーリキーを排除し、連邦議会副議長ハイダル・アル=アバーディを次期首相に指名する方針を示す[523]。2014年8月14日、マーリキーは退陣を受け入れ、アバーディへの支持を表明した[524]。
その後、イラク政府は領内のISIL支配地域を奪回。2018年4月には、シリア東部のISIL拠点を越境空爆した。
アメリカ
[編集]2013年、アメリカ大統領バラク・オバマは、アサド政権が反体制派に対して化学兵器を使用したとしてシリア空爆を試みた。しかし、直前になって断念するなど一貫性のない動きを見せ、中東地域に対するアメリカの影響力を低下させた[525]。
2015年、ISILへの地上作戦を開始し[526]、アルタンフ基地を設置するなどアサド政権に無断でシリア領内に米軍を駐留させた[527]。
2015年、オバマ(民主党)はシリア難民の受け入れを表明した。これに対して共和党に所属する州知事を中心に19人の知事が受け入れ拒否を表明し[528]、当時2016年アメリカ合衆国大統領選挙で当選したドナルド・トランプはオバマ政権が受け入れた難民をシリアに送還する意向を示すなど、論争を巻き起こした[529]。
2017年4月6日、トランプ大統領は、アサド政権が一般市民に対し、化学兵器を使用したとみなし、地中海に展開していた、アメリカ海軍の駆逐艦二隻より巡航ミサイルトマホーク59発を発射し、化学兵器使用に関わったとされる空軍基地などを攻撃したと発表した。シリア内戦でアメリカがアサド政権を直接攻撃したのはこれが初であった[530]。
2018年4月13日、トランプ大統領は、アサド政権の関連施設への攻撃を指示し[531]、地中海に展開していた、アメリカ海軍の駆逐艦三隻よりトマホーク約100発を発射し、空爆に戦略爆撃機のB-1も参加させた。また、イギリス軍のトーネードとタイフーン、フランス軍のアキテーヌ級駆逐艦とミラージュ、ラファールも作戦に加わった[532]。
同年10月から、シリア領内の油田を防衛すると主張し、デリゾール県やハサカ県の油田地帯を中心に違法駐留を始めた。
同年12月19日、トランプ大統領は、ISILを敗北させたとしてシリアに駐留する米軍を「速やかに」撤退させると表明した[533]。しかし反発から「ゆっくりと」撤退すると発言を修正した[534]。2019年2月21日、ホワイトハウスは撤退後も200人程度の平和維持軍を駐留する方針を発表し事実上無期限の駐留となった[535]。
2018年時点で、アメリカ軍はシリア国土の3分の1を支配している[536]。
2019年10月28日、トランプ大統領は、エクソンモービルを含む米石油メジャーにシリアで油田操業を担わせる可能性に言及した。これについて、法律やエネルギー業界の専門家からは、戦争犯罪で非倫理的などという批判の声が上がった[537]。翌月には、「石油確保のため兵を残す。」と発言した[538]。2020年4月に、米財務省は米デルタ・クレセント・エネルギーに経済制裁下のシリアでの事業許可を許可する異例の措置を取り、北東部を実効支配するシリア民主軍から投資許可を得た。2003年にシリア政府と開発契約を結んでいた英ガルフサンズ・ペトロリアムは懸念を表明した[539]。
2022年2月5日、シリアの石油鉱物資源省は、国内で生産される原油の80%以上が米国によって盗奪されていると発表した。続けており、現地で生産される原油、食糧を、イランとの国境に違法に設置したワリード国境通行所を通じて定期的に持ち出しているという[540]。
2024年8月、シリア政府はアメリカ軍の撤退を求める声明を発表した。内容は下記の通りである。
「シリアは、米国による領土の一部占領は主権、統一、領土一体性へのあからさまな侵害であり、分離主義者のQSD(クルド人を主体とするシリア民主軍)民兵組織に対する米国の支援は、反シリア策略を実行するための卑劣な手段と同じものであると繰り返し述べた。
外務省・在外シリア人省は声明で、以下のように述べた。「米国の占領下に支援されたQSD軍隊が、デリゾール、ハサカ、カーミシュリで、さらには東部および北東部の他の村においても、地元住民に対して犯罪的攻撃を開始した。これらの野蛮な攻撃により、女性や子供を含む多くのシリア市民が殉教した。」」
「食料供給や飲料水へのアクセスの阻止を含む、東部および北東部地域の国民に対する非人道的かつ不道徳な行為はすべて、シリア人の苦しみを倍増させ、シリア人に対する戦争を長引かせることを目的としていると、シリアは強調した。
シリアは米国に対し、こうした行為を停止し、シリア領土から即時撤退し、そのような分離主義民兵の存在と役割を拒否するシリア人の意思を尊重するよう求めた。[541]」
ロシア
[編集]ロシアは前身であるソビエト連邦時代からシリアと緊密な関係にあり、1980年にソビエト・シリア友協力条約を締結し同盟関係にある。ソ連崩壊後も地中海沿岸のタルトゥースにロシア海軍が補給拠点を維持して駐留を継続していた。
シリア内戦では一貫してアサド政権を支持し、タルトゥース海軍補給処のほか新たにラタキア近郊にフメイミム空軍基地などを開設し、2015年9月からは直接的な軍事介入(ロシア連邦航空宇宙軍によるシリア空爆)を開始した。アメリカ軍などによるアサド政権やシリア駐留ロシア軍への攻撃を警戒して、地対空ミサイルや地対艦ミサイルを配備している。
2018年4月時点で、ロシア連邦政府による公式発表でシリアには延べ4万8000人が派遣され、44人が死亡した。これ以外に、ワグネル社などロシアの民間軍事会社スタッフもシリアで活動しており、数百人が死亡しているとの見方もある。またロシアの野党ヤブロコは、シリアでの戦費を2018年3月までで2450億ルーブルと推計している[542]。
2013年、アメリカはアサド政権が化学兵器を使用したとして、シリア攻撃を試みた。しかし、ロシアがシリア政府との交渉で化学兵器破棄計画をとりまとめ、攻撃を回避させた。この結果、『フォーブス』誌による「世界で最も影響力のある人物」の2013年番付で、ロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチンが1位に選出された[543]。
プーチン大統領は第70回(2015年)国連総会の一般討論演説でアサド政権への軍事支援を宣言、各国に連携を呼びかけた[544]。ロシア国民の多くはシリアへの軍事介入を支持し、プーチンへの支持率は過去最高の89.9%を記録した[545]。
2015年11月には、シリアとトルコ国境付近でトルコ軍によってロシア軍機が撃墜されるロシア軍爆撃機撃墜事件が起こり、ロシアとトルコは対立する。ロシアと対立していたウクライナがトルコへの支持を表明した一方で、トルコ国内のクルド人政党人民民主党はロシアに接近した[546]。その後、トルコはロシアに謝罪し、反体制派支援は続けるもアサド政権の存続についても事実上黙認し、イランを交えた3カ国シリアの内戦処理で連携を深めることとなった。
ロシアはシリアへの軍事介入によってアメリカから主導権を奪い、中東地域への影響力を増大させた[525]。2016年2月、プーチンはシリアに派遣していたロシア軍の主要部分を撤退させると宣言した(但しタルトゥース海軍補給処及びフメイミム空軍基地への駐留は継続するとしている)[547][548]。
日本
[編集]シリアでの戦闘の激化により、ゴラン高原に派遣されていた自衛隊はシリア側での輸送任務を中止。さらに自衛隊の活動地域の政情も不安定となったことから、2012年12月になり、ゴラン高原から撤収した[549]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ シリア・アラブの春 顛末記(2017年3月13日) 2017年3月14日閲覧。
- ^ a b "もはや死者数の推計は不可能、シリア騒乱で国連". ロイター. 26 May 2012. 2012年5月30日閲覧。
- ^ “シリア内戦”. イミダス (2014年3月). 2023年1月1日閲覧。
- ^ “シリア・アラブ共和国基礎データ”. 外務省 (2022年12月22日). 2023年1月1日閲覧。
- ^ “シリアとは”. コトバンク. 2023年1月1日閲覧。
- ^ “ロシア軍空爆1カ月 シリア泥沼 市民犠牲増”. 東京新聞 (2015年10月31日). 2023年1月1日閲覧。
- ^ “Can FSA get back on its feet after Russian intervention?”. AL-MONITOR (2015年12月31日). 2023年1月1日閲覧。
- ^ “ISISを空爆している国はどこか”. CNN (2015年). 2023年1月1日閲覧。
- ^ “イラク・レバントのイスラム国(ISIL)”. 公安調査庁 (2021年). 2023年1月1日閲覧。
- ^ “Tantalizing promises of Bashar al- Assad kill more than 11000 fighters of his forces during 5 months.”. シリア人権監視団 (2014年12月17日). 2023年1月1日閲覧。
- ^ “シリア内戦についてわかりやすく解説します”. ミジンコでもわかる時事ニュース (2022年8月7日). 2023年1月1日閲覧。
- ^ “シリア難民(2015年)とは”. コトバンク. 2023年1月1日閲覧。
- ^ “「アメリカの文明の野蛮」小林よしのりライジング Vol.335”. 小林よしのり (2019年11月6日). 2023年1月1日閲覧。
- ^ “「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)の退潮と今後の展望”. 公安調査庁 (2017年). 2023年1月1日閲覧。
- ^ DeSilver, Drew. “After a month of war, Ukrainian refugee crisis ranks among the world’s worst in recent history” (英語). Pew Research Center. 2022年4月12日閲覧。
- ^ "Syria funeral hit with teargas, protesters wounded: report". Agence France-Presse (via Google News). 19 March 2011. 2011年3月19日閲覧。
- ^ a b "Syrian Protests Add to Pressure on Assad Regime". The Wall Street Journal. 23 March 2011. 2011年3月23日閲覧。
- ^ "UN Chief Slams Syria's Crackdown on Protests". Al Jazeera English. 18 March 2011.
- ^ "17 dead as al-Qaeda loyalists attack Syrian Kurds in Turkish border town of Ras al-Ain". Hurriyet. 17 August 2013. 2013年8月18日閲覧。
- ^ 「アサド政権優位固める/シリア内戦9年 死者37万人」『毎日新聞』朝刊2019年4月3日(国際面)2019年4月3日閲覧
- ^ a b シリア 与党圧勝勢い/議会選投票始まる/アサド氏「長期支配」強固に『読売新聞』朝刊2020年7月20日(国際面)
- ^ "シリア軍がアレッポで大規模掃討、反体制派の撤退情報も". ロイター. 9 August 2012. 2012年10月10日閲覧。
- ^ "シリア:北部で200人死亡…8日間攻防 市民の犠牲増加". 『毎日新聞』. 3 March 2013. 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月6日閲覧。
- ^ “シリア、戻らぬ難民 解放された「イスラム国首都」治安不安定、他国に定住も”. 『日本経済新聞』 (朝刊). (2017年10月25日) 2017年11月1日閲覧。
- ^ "2014年6月20日(金)世界難民の日"シリア難民"日本にも". NHK. 20 June 2014. 2014年8月5日閲覧。
- ^ Nothing safe, nothing sacred: Syrian rebels desecrate Christian churches? (PHOTOS) — RT News 2013年3月21日閲覧
- ^ a b Can Syria's Christians Survive? 『ウォール・ストリート・ジャーナル』、2013年3月21日閲覧
- ^ BBC News - Syria's Christians cautious in conflict 2013年3月21日閲覧
- ^ a b "シリア内戦、反体制派3派が連合してISILと激しい戦闘". AFPBB News. 5 January 2014. 2014年7月12日閲覧。
- ^ Sammy Ketz (15 March 2015). "シリア内戦5年目、優先事項ではなくなったアサド政権打倒". AFPBB News. 2015年3月15日閲覧。
- ^ "米軍、シリアへミサイル攻撃 「サリン」使った「化学攻撃」に反応". BBC news. 7 April 2017. 2017年6月20日閲覧。
- ^ "アルカイダ系が台頭…北部、IS弱体化に乗じ". 『毎日新聞』. 13 September 2017. 2017年11月1日閲覧。
- ^ "アル・カーイダ系組織に不和…シリアで活動". 『読売新聞』. 9 November 2013. 2013年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月9日閲覧。
- ^ "クルド人武装組織がイラク国境制圧 シリア北東部". 『産経新聞』. 26 October 2013. 2013年11月9日閲覧。
- ^ "シリア、クルド人勢力とイスラム武装組織が衝突". AFPBB News. 27 October 2013. 2013年11月9日閲覧。
- ^ "焦点:イスラム世界で開いた「パンドラの箱」、宗派戦争に終わり見えず". ロイター. 30 June 2014. 2014年6月30日閲覧。
- ^ "Lebanon news - NOW Lebanon -Hashem: March 14 has “malignantâ€? intent toward Syria". NOW Lebanon. 28 April 2011. 2011年5月8日閲覧。
- ^ "Lebanon news - NOW Lebanon -March 14 slams Hezbollah over Syria reports". NOW Lebanon. 15 April 2011. 2011年5月8日閲覧。
- ^ "Hezbollah is aiding false Syria campaign: March 14". Daily Star. 2011年5月8日閲覧。
- ^ "イスラエル、またシリア空爆か ミサイルの輸送阻む狙い". 『朝日新聞』. 1 November 2013. 2013年11月2日閲覧。
- ^ "イスラエル軍:シリア軍事施設を空爆 米CNN報道". 『毎日新聞』. 1 November 2013. 2013年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月2日閲覧。
- ^ "トルコ軍、迫撃砲で反撃 シリアのアルカイダ系". 産経新聞. 17 October 2013. 2013年11月9日閲覧。
- ^ “シリアにおける「緊張緩和地帯」の創設について(外務報道官談話)”. Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2022年11月5日閲覧。
- ^ “シリア内戦10年、経済損失130兆円 遠い和平と復興”. 日本経済新聞 (2021年3月14日). 2022年11月5日閲覧。
- ^ "シリアは「内戦状態」 死者4千人に 国連人権高等弁務官". 『産経新聞』. 2 December 2011. 2012年2月23日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "U.N. Says Action Needed to Prevent Civil War in Syria". 『ニューヨーク・タイムズ』 (英語). 2 December 2011. 2012年6月2日閲覧。
- ^ "ラズース国連事務次長「シリアは内戦下にある」". 『読売新聞』. 13 June 2012. 2012年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月13日閲覧。
- ^ "「シリアは全面的な内戦状態に」、国連高官が初めて公言". ロイター. 13 June 2012. 2012年6月13日閲覧。
- ^ "シリア、首都決戦が間近か 上空のヘリから銃撃音". CNN. 18 July 2012. 2012年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月19日閲覧。
- ^ "「シリアは戦争状態」、アサド大統領 反体制派鎮圧を命じる". AFPBB News. 27 June 2012. 2019年12月24日閲覧。
- ^ Dave Clark (19 September 2013). "アサド氏、「化学兵器廃棄に1年と10億ドル必要」 反体制派を「アルカイダ」と非難". AFPBB News. 2013年9月28日閲覧。
- ^ “焦点:シリア内戦の見えない出口、「代理戦争」激化も”. Reuters. (2017年5月22日) 2022年10月9日閲覧。
- ^ Tim Anderson. “War Propaganda and the Dirty War on Syria”. Researchgate. 2022年10月9日閲覧。
- ^ "「ホワイト・ヘルメット」をめぐる賛否。彼らは何者なのか?". ニューズウィーク. 21 October 2016. 2018年4月19日閲覧。
- ^ 青山弘之 (15 March 2018). "徹底抗戦を呼びかけるホワイト・ヘルメット/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後". Yahoo!ニュース. 2018年4月19日閲覧。
- ^ シリア反体制米と接触・武器支援停止中「アサド後」協議『読売新聞』朝刊2017年11月4日(国際面)
- ^ "Syria (05/07)". State.gov. 2008年10月25日閲覧。
- ^ Wilson, Scott (25 April 2011). "Syria escalates attacks against demonstrators". The Seattle Times. 2011年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月26日閲覧。
- ^ a b Talk of the Nation (13 April 2011). "Protests In Syria Pose Challenges For The U.S." NPR. 2011年4月15日閲覧。
- ^ a b "Syria: Identity Crisis". The Atlantic. 30 March 1949. 2011年4月15日閲覧。
- ^ a b c Alexander, Anne (29 March 2011). "Syria protests: The forgotten decades of dissent". BBC News. 2011年4月15日閲覧。
- ^ Shadid, Anthony (26 April 2011). "International Outcry Grows Over Syria Crackdown". The New York Times. 2011年5月3日閲覧。
- ^ Ghadry, Farid N. (Winter 2005). "Syrian Reform: What Lies Beneath". Middle East Quarterly. 2011年6月27日閲覧。
- ^ Michael Bröning (7 March 2011). "The Sturdy House That Assad Built". The Foreign Affairs. 2011年6月27日閲覧。
- ^ Landler, Mark (26 March 2011). "Chaos in Syria and Jordan Alarms U.S." The New York Times.
- ^ Robert Fisk: Freedom, democracy and human rights in Syria, The Independent, Thursday, 16 September 2010
- ^ "Hama". GlobalSecurity.org. 2009年11月14日閲覧。
- ^ a b George, Alan. Syria: neither bread nor freedom. 2003. p.115.
- ^ Taylor & Francis Group. Europea World Year Book 2004. Europa Publications, 2004. Volume 2, p.4056
- ^ MidEastWeb. Kurdish agony – the forgotten massacre of Qamishlo. March 2004.[1] MidEastWeb
- ^ Brandon, James (15 February 2007). "The PKK and Syria's Kurds". Washington, DC 20036, USA: Terrorism Monitor, The Jamestown Foundation. p. Volume 5, Issue 3. 2008年9月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ "Syria". State.gov. 2006年9月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月10日閲覧。
- ^ "Syria: Next on the list? A wave of unrest has finally reached one of the region's most repressive regimes". The Economist. 24 March 2011. 2011年4月1日閲覧。
- ^ a b c Syrian Crisis Tests the Mettle of Its Autocratic Ruler, April 24, 2011
- ^ Lee, Matthew (27 April 2011). "US treads warily in Syria, considers sanctions". sify news. 2011年4月26日閲覧。
- ^ "Syria – International Religious Freedom Report 2006". U.S. Department of State. 2006. http://www.state.gov/g/drl/rls/irf/2006/71432.htm. Retrieved 28 June 2009.
- ^ "Syria Kurd leader vows to keep up democracy struggle". The Jerusalem Post. 2011年6月27日閲覧。
- ^ FOX News opinion.
- ^ "US will not intervene in Syria as it has in Libya, says Hillary Clinton". The Guardian. 27 March 2011.
- ^ a b "Rebels in Syria's largest city of Aleppo mostly poor, pious and from rural backgrounds". Fox News Channel. Associated Press. 16 October 2012. 2013年1月28日閲覧。
- ^ Saleeby, Suzanne (16 February 2012). "Sowing the Seeds of Dissent: Economic Grievances and the Syrian Social Contract's Unraveling". Jadaliyya.
- ^ "Youth Exclusion in Syria: Social, Economic, and Institutional Dimensions". Journalist's Resource. 11 August 2011. 2012年8月11日閲覧。
- ^ "環境移民:数の問題ではない". 国際連合大学. 21 July 2011. 2015年3月15日閲覧。
- ^ "シリア内戦の原因は気候変動? 最新の研究結果". ハフィントン・ポスト. 4 March 2015. 2015年3月15日閲覧。
- ^ "World Report 2010 Human Rights Watch World Report 2010", pg. 555.
- ^ a b c d Amnesty International Report 2009, Syria 2009年6月7日時点の オリジナル よりアーカイブ
- ^ a b c Human Rights Watch World Report 2005 Events of 2004, Human Rights Watch 2005. ISBN 1564323315.
- ^ Black, Ian (16 July 2010). "Syrian human rights record unchanged under Assad, report says". The Guardian.
- ^ Davies, Wyre (22 March 2009). "Syria protests: Rights group warns of 'Deraa massacre'". BBC News. 2011年5月8日閲覧。
- ^ "Who Are the Shabbiha?". The Weekly Standard. 12 April 2011. 2011年5月3日閲覧。
- ^ Ammar Abdulhamid (11 April 2011). "The Shabbiha: Assad's Mercenaries". Syrianrevolutiondigest.blogspot.com. 2011年5月3日閲覧。
- ^ "Forces Deploy in Syrian City Homs, People Defiant". Khaleej Times. 21 April 2011. 2011年5月3日閲覧。
- ^ "Red lines that cannot be crossed – The authorities don't want you to read or see too much". The Economist. 24 July 2008.
- ^ "Bashar Al-Assad, President, Syria". Reporters Without Borders. 2011年6月27日閲覧。
- ^ "Interview With Syrian President Bashar al-Assad". The Wall Street Journal. 2011年1月31日閲覧。
- ^ "Syria Strongman: Time for 'Reform'". The Wall Street Journal. 2011年1月31日閲覧。
- ^ "Information on the death of a young man who burned himself in Al Hasakah". free-syria.com. 2011年1月30日閲覧。
- ^ "Syrian suicider is "Hasan Ali Akleh". Damascus has banned a demonstration in support of Egypt". metransparent.com. 2011年1月30日閲覧。
- ^ "Demonstration in Ar-Raqqa, Syria". free-syria.com. 2011年1月30日閲覧。
- ^ "'Day of Rage' Protest Urged in Syria". MSNBC. 2011年2月3日閲覧。
- ^ ""Day of Rage" planned for Syria; protests scheduled for Feb 4–5". aysor.am. 2011年2月3日閲覧。
- ^ Collier Jr., William R. (30 January 2011). "Syrian Anger Day Planned Feb 5, 2011". The Freedomist. 2011年1月31日閲覧。
- ^ "Syrian Anger Day Planned Feb 5, 2011 | The Freedomist". TOPSY. 2011年2月1日閲覧。
- ^ "Demonstration on the day of anger in Hasaka and Syrian authorities arrested dozens". free-syria.com. 2011年2月15日閲覧。
- ^ "Syria: 'A kingdom of silence'". Al Jazeera English. 2011年2月12日閲覧。
- ^ "Syria clamps down on dissent with beatings and arrests". The Guardian. 24 February 2011. 2011年2月24日閲覧。
- ^ "الاعتصام امام السفارة الليبية دمشق-22-شباط Part 5". YouTube. 24 February 2011. 2011年6月27日閲覧。
- ^ "الاعتصام امام السفارة الليبية دمشق-22-شباط Part 8". YouTube. 24 February 2011. 2011年6月27日閲覧。
- ^ "The Youth of Syria: The Rebels Are on Pause". TIME. 2011年3月6日閲覧。
- ^ "Is Syria the next domino?". Al Jazeera English. 2011年3月6日閲覧。
- ^ "Middle East unrest: Syria arrests Damascus protesters". BBC News. 2011年4月19日閲覧。
- ^ "Fresh Protests Erupt in Syria". The Epoch Times. 2011年3月15日閲覧。
- ^ "السوريون يكسرون جدار الخوف بالتظاهر في قلب دمشق". YouTube/Al Arabiya. 2011年3月15日閲覧。
- ^ "ردّدوا هتافات تدعو لمحاربة الفساد وفتح باب الحريات". Al Arabiya. 2011年3月15日閲覧。
- ^ "الاف السوريين يثورون في قلب دمشق و المحافظات مطالبين بالحرية". sawtbeirut.com. 2011年3月16日閲覧。
- ^ "مظاهرة شباب الثورة في تركيا". YouTube/Al Jazeera. 2011年3月16日閲覧。
- ^ "Clashes erupt at protests in Syria". Al Jazeera English. 2011年3月18日閲覧。
- ^ "Violence flares at Syrian protest". YouTube/Al Jazeera. 2011年3月18日閲覧。
- ^ "Middle East unrest: Two killed at protest in Syria". BBC News. 18 March 2011. 2011年3月18日閲覧。
- ^ a b Al-Jazeera (20 March 2011). "Syria to free child prisoners". 2011年3月20日閲覧。
- ^ "Syrian protesters set fire to ruling party's headquarters, Palace of Justice". The Globe and Mail.
- ^ "US condemns Syria crackdown". Irish Times. 22 March 2011. 2011年3月22日閲覧。
- ^ "Protests spread to southern Syrian town Jassem". Ya Libnan. 21 March 2011. 2011年3月21日閲覧。
- ^ "Officers Fire on Crowd as Syrian Protests Grow". The New York Times. 20 March 2011. 2011年4月10日閲覧。
- ^ "15 Killed in Clashes in Southern Syria". Chicago Sun-Times. 23 March 2011. 2011年3月23日閲覧。
- ^ "Syrian Troops Open Fire on Protesters in Several Cities". Reuters. 25 March 2011. 2011年4月10日閲覧。
- ^ a b c "In Syrian flashpoint town, more deaths reported". CNN. 25 March 2011. 2011年3月25日閲覧。
- ^ "Security Forces 'Kill 20 Protesters' In Syria". Sky News. 25 March 2011. 2011年3月25日閲覧。
- ^ a b "Syrian protesters target Baath Party offices". Al Jazeera English. 26 March 2011. 2011年3月26日閲覧。
- ^ a b "At Least 23 Said Killed as Protesters in Syria Clash with Security Forces". Haaretz. 25 March 2011. 2011年3月26日閲覧。
- ^ "Deaths as Syrian forces fire on protesters". Al Jazeera English. 26 March 2011. 2011年3月26日閲覧。
- ^ a b "25 March 2011 Syrian Protests". AFP/NOW Lebanon. 25 March 2011. 2011年3月25日閲覧。
- ^ a b c "Troops Open Fire on Syrian Protesters". The Wall Street Journal. 25 March 2011. 2011年3月25日閲覧。
- ^ a b c "Syria – Protests (2011)". The New York Times. 2011年4月10日閲覧。
- ^ a b Al-Jazeera English (27 March 2011). "Syria 'to lift emergency law'". 2011年3月27日閲覧。
- ^ a b "Assad supporters 'loyal to nation'". Ynetnews. 29 March 2011. 2011年3月29日閲覧。
- ^ a b "Syrian cabinet resigns amid unrest". aljazeera.net. 29 March 2011. 2011年4月15日閲覧。
- ^ "شام – مفتي سوريا يعلن نتائج التحقيقات في أحداث درعا". Al Jazeera/YouTube. 26 March 2011. 2011年4月10日閲覧。
- ^ "Syria unrest: Pro-Assad rallies in Damascus and Aleppo". BBC News. 29 March 2011. 2011年3月29日閲覧。
- ^ "Mass Popular Rallies Prevail Syrian Provinces in Support of National Unity, Security and Stability". DP-News. 29 March 2011. 2011年4月10日閲覧。
- ^ "Syria's Assad warns of 'conspiracy' – Middle East – Al Jazeera English". English.aljazeera.net. 31 March 2011. 2011年4月10日閲覧。
- ^ "الهجوم على سيارة بشار الاسد بعد خطاب". CNN/YouTube. 30 March 2011. 2011年4月10日閲覧。
- ^ "Protests in Latakia after Assad Speech – Residents". Reuters. 2011年4月10日閲覧。
- ^ "Syrian police fire at protesters in Latakia | Arabic region | Trend". En.trend.az. 30 March 2011. 2011年4月10日閲覧。
- ^ "Assad issues decree to raise wages". NOW Lebanon. 31 March 2011. 2011年4月10日閲覧。
- ^ "At least 10 killed in Syria". Ynetnews.com. 20 June 1995. 2011年4月10日閲覧。
- ^ Stack, Liam; Goodman, J. David (1 April 2011). "Syrian Protesters Clash With Security Forces". The New York Times. 2011年4月1日閲覧。
- ^ "Syria: 1 April 2011". AFP /NOW Lebanon. 1 April 2011. 2011年4月1日閲覧。
- ^ Brown, Cameron S. "Erdogan says he will press Syria's Assad to reform". The Jerusalem Post. 2011年4月10日閲覧。
- ^ "Bashar Assad Appoints Adel Safar New PM of Syria". The Australian. 4 April 2011. 2011年4月3日閲覧。
Syrian President Bashar Assad last night asked former agriculture minister Adel Safar to form a new government, as communications networks failed and residents in Douma prepared to bury the first of their dead.
- ^ a b "Syria Reverses Ban on Islamic Face Veil in Schools". Associated Press. 6 April 2011. 2011年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。Forbesより2011年4月6日閲覧。
- ^ "Many Kurds Will Be Granted Syrian Citizenship, As-Safir reports". Agence France-Presse (via NOW Lebanon). 5 April 2011. 2011年4月6日閲覧。
- ^ Katherine Marsh in Damascus. "Syria's biggest day of unrest yet sees at least 20 people killed". The Guardian. 2011年4月10日閲覧。
- ^ a b "Protesters killed in southern Syria". Al Jazeera English. 9 April 2011. 2011年4月9日閲覧。
- ^ Syrian security forces 'shoot dead 13 protesters', France 24, 8 April 2011
- ^ "Syria: government troops in violent reaction to fresh protests". The Daily Telegraph. 8 April 2011. 2011年6月27日閲覧。
- ^ Press Association (15 April 2011). "Thousands demand Syria reforms". 2011年4月15日閲覧。
- ^ a b Al-Jazeera English (15 April 2011). "Thousands take to streets in Syria protests". 2011年4月15日閲覧。
- ^ "Live Blog: Middle East protests April 15". Al Jazeera. 15 April 2011. 2011年4月20日閲覧。
- ^ "Syria: President Assad forms new government". BBC News. 14 April 2011
- ^ Sands, Phil (15 April 2011). "Syria president appoints new government, orders protesters freed from jail". The National. Retrieved 15 April 2011.
- ^ a b "Syria to lift emergency law". 16 April 2011. 2011年4月17日閲覧。
- ^ a b "Syria 'lifts emergency law' amid protests". Al Jazeera English. 19 April 2011. 2011年4月19日閲覧。
- ^ a b "Decrees on Ending State of Emergency, Abolishing SSSC, Regulating Right to Peaceful Demonstration". Syrian Arab News Agency. 22 April 2011. 2011年4月23日閲覧。
- ^ a b Khaled Yacoub Oweis, additional reporting by Mariam Karouny in Beirut; Suleiman al-Khalidi in Amman; Sami Aboudi in Cairo; writing by Yara Bayoumy; editing by Samia Nakhoul and Paul Taylor (21 April 2011). "Syria's Assad ends state of emergency". Reuters. 2011年4月21日閲覧。
- ^ "Deadly Syria Protests: Highest Death Toll Reported as Syrian Forces Fire Into Crowd". ABC News. 22 April 2011. 2011年4月22日閲覧。
- ^ a b Shadid, Anthony (22 April 2011). "Test of Wills in Syria as Forces Open Fire in Several Cities". The New York Times. 2011年4月22日閲覧。
- ^ "Syrian security forces shoot protesters". Al Jazeera. 22 April 2011. 2011年4月22日閲覧。
- ^ Shadid, Anthony (23 April 2011). "Syrian Security Forces Fire on Mourners in Several Towns". London Evening Standard - Evening Standard. 2024年2月1日閲覧。
- ^ "Syrian death toll 'reaches 120'". The Press Association. 12 April 2011. 2011年4月24日閲覧。
- ^ "'Nine killed' at Syria funeral processions". Al Jazeera. 2011年4月26日閲覧。
- ^ "Syria-news". Syria-news. 2011年4月26日閲覧。
- ^ "Syrian Forces Raid Homes as al-Assad Opposition Mounts". Reuters. 23 April 2011. 2011年4月24日閲覧。
- ^ Shadid, Anthony (24 April 2011). "More Syrians Missing, Hinting at Wider Crackdown". The New York Times. 2011年4月24日閲覧。
- ^ a b Shadid, Anthony (25 April 2011). "Syria Escalates Crackdown as Tanks Go to Restive City". The New York Times. 2011年4月26日閲覧。
- ^ "Syria seals border with Jordan: Amman". AFP. 25 April 2011. 2011年4月26日閲覧。
- ^ Carter, Chelsea (25 April 2011). "Deadly attack on protesters raises questions about Syria's stability". CNN. 2011年4月26日閲覧。
- ^ Syria crackdown on dissent harsher with troops, tanks, Arizona Daily Star, Tuesday, April 26, 2011
- ^ "Obama Condemns Syria for 'Outrageous' Violence". Voice of America. 22 April 2011. 2011年4月23日閲覧。
- ^ Richter, Paul; Borzou Daragahi (25 April 2011). "U.S. prepares to impose sanctions on Syria". Los Angeles Times. 2011年4月26日閲覧。
- ^ Charbonneau, Louis (25 April 2011). "EU Powers Push U.N. Council To Condemn Syria". Reuters. 2011年4月26日閲覧。
- ^ Barry Neild and agencies. "Syrian regime's attacks on protesters escalate". The Guardian. 2011年4月26日閲覧。
- ^ "Syria Live Blog - April 28". Al Jazeera English. 28 April 2011. 2011年4月28日閲覧。
- ^ Daragahi, Borzou (30 April 2011). "Thousands protest in Damascus after Syrian crackdown". The Los Angeles Times. 2011年4月30日閲覧。
- ^ "Scores killed on Syria's 'day of rage'". Al Jazeera English. 29 April 2011. 2011年4月30日閲覧。
- ^ "Syrian forces kill 62 as America tightens sanctions". Gulf News. 30 April 2011. 2011年4月30日閲覧。
- ^ https://www.nytimes.com/2011/05/10/world/middleeast/10syria.html?_r=2&pagewanted=2
- ^ http://www.dailymail.co.uk/news/article-1370421/Syria-protests-President-Bashir-Assad-blames-armed-gangs-12-die-violence.html
- ^ http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-13124591
- ^ http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=24591
- ^ http://www.news.com.au/world/syria-vows-to-suppress-armed-revolt-as-protesters-dig-in-at-homs/story-e6frfkyi-1226041403953
- ^ https://www.nytimes.com/2011/05/07/world/middleeast/07syria.html?_r=1
- ^ http://www.christianpost.com/news/christians-under-attack-from-anti-government-protestors-in-syria-50104/
- ^ "Obama Condemns 'Outrageous' Syria Violence, Iran Aid". Agence France-Presse (via Google News). 2011年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月27日閲覧。
- ^ "US Says It Has Evidence of Iran's Support for Syrian Government Crackdown on Protesters". Associated Press (via The Washington Post). 2011年4月27日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "Iran denies supporting Syria in dealing with protestors". tehran times. 19 April 2011. 2011年4月27日閲覧。
- ^ http://english.peopledaily.com.cn/90001/90777/90854/7372876.html
- ^ "Thousands Of Syrians Amass Near City Of Deraa". Sky News. 6 May 2011. 2011年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月7日閲覧。
- ^ amerawad111 (6 May 2011). "Syria Live Blog&nbps;– May 6". Al Jazeera. 2011年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月8日閲覧。
- ^ "Syria: activists forced into hiding by threats". Amnesty International. 6 May 2011. 2011年5月7日閲覧。
- ^ "シリア: 抗議行動が続き、逮捕者が急増". Amnesty International. 6 May 2011. 2011年6月15日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "Child Reported Killed as Syrian Forces Crack Down". MSNBC. 8 May 2011. 2011年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月9日閲覧。[出典無効]
- ^ "シリア非難の決議案、英仏独など欧州4カ国が安保理に提示". ロイター. ロイター. 9 June 2011. 2011年6月30日閲覧。
- ^ "シリアの核関連疑惑、安保理への付託を採決 IAEA理事会". AFBB News. 10 June 2011. 2019年12月24日閲覧。
- ^ "シリア軍砲撃で数十人死傷 アサド政権、戦車も投入". 共同通信. 11 June 2011. 2011年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月30日閲覧。
- ^ "シリア全土で反政府デモ、32人死亡". 読売新聞. 11 June 2011. 2011年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月30日閲覧。
- ^ "米政府がシリアの弾圧非難、英仏独など提出の決議案を支持". ロイター. ロイター. 11 June 2011. 2011年6月30日閲覧。
- ^ "シリアに弾圧停止を要求 国連事務総長". 産経新聞. 17 June 2011. 2011年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月30日閲覧。
- ^ "シリア大統領が演説、国民対話や一党独裁の見直しなど懐柔策". ロイター. 20 June 2011. 2019年12月24日閲覧。
- ^ "シリアで数万人が反政府デモ 治安部隊発砲、15人死亡". 産経新聞. 25 June 2011. 2011年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月30日閲覧。
- ^ "シリア軍砲撃で数十人死傷 アサド政権、戦車も投入". 共同通信. 27 June 2011. 2011年6月30日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "シリア在野勢力 政府側との交渉ボイコット". ロシアの声. 11 July 2011. 2013年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月25日閲覧。
- ^ "シリア反体制派 国家救済評議会を設立". ロシアの声. 17 July 2011. 2013年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月25日閲覧。
- ^ "シリア政府 新党結成を許可". ロシアの声. 25 July 2011. 2013年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月25日閲覧。
- ^ "国連安保理 シリアに関する決議 採択できず". ロシアの声. 3 August 2011. 2011年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月25日閲覧。
- ^ "米国:シリア不安定化の原因はアサド大統領にある". ロシアの声. 3 August 2011. 2013年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月25日閲覧。
- ^ "シリアで今年末までに人民議会選挙". ロシアの声. 7 August 2011. 2013年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月26日閲覧。
- ^ "シリア大統領、国防相を更迭". ロシアの声. 9 August 2011. 2013年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月26日閲覧。
- ^ "シリア大統領 複数政党制と憲法改正を諸外国に声明". ロシアの声. 11 August 2011. 2013年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月26日閲覧。
- ^ "シリア大統領「反政府行動参加者への全作戦は停止された」". ロシアの声. 18 August 2011. 2013年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月26日閲覧。
- ^ "シリアの反体制派、国民評議会を形成". ロシアの声. 16 September 2011. 2013年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月26日閲覧。
- ^ "シリア非難の決議案提案 安保理の英仏など4カ国". 共同通信. 28 September 2011. 2011年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月5日閲覧。
- ^ "国連安保理、「アラブの春」支援の道閉ざす". 読売新聞. 5 October 2011. 2011年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月5日閲覧。
- ^ "シリア大統領 選挙管理委員会組織の大統領令に署名". ロシアの声. 28 September 2011. 2019年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月26日閲覧。
- ^ "露中 国連安保理事会シリア決議に拒否権行使". ロシアの声. 5 October 2011. 2011年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月26日閲覧。
- ^ "シリア野党、アサド政権との対話を拒否". ロシアの声. 9 October 2011. 2011年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月26日閲覧。
- ^ "アラブ連盟 シリア問題に関して緊急会合へ". ロシアの声. 14 November 2011. 2011年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月26日閲覧。
- ^ "シリア大統領 退陣する意思のない事を確認". ロシアの声. 20 November 2011. 2011年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月26日閲覧。
- ^ "シリア政権党支部にロケット弾…離反兵組織声明". 読売新聞. 20 November 2011. 2011年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月20日閲覧。
- ^ "国連総会 シリア非難決議採択 ロシアは棄権". ロシアの声. 23 November 2011. 2013年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月26日閲覧。
- ^ "シリア アラブ連盟の監視団受け入れに調印". ロシアの声. 19 December 2011. 2013年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月26日閲覧。
- ^ "アラブ連盟監視団 シリアに到着". ロシアの声. 25 December 2011. 2013年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月26日閲覧。
- ^ "国連安保理にシリア非難決議案提示、露中は反対". 読売新聞. 28 January 2012. 2012年2月5日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "シリア非難決議は廃案、露中が拒否権…安保理". 読売新聞. 5 February 2012. 2012年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月5日閲覧。
- ^ "弾圧停止、シリアに要求 国連総会が決議". 朝日新聞. 16 February 2012. 2012年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月16日閲覧。
- ^ "トルコ首相、軍用機撃墜への対抗措置取ると明言". AFPBB News. 27 June 2012. 2012年6月28日閲覧。
- ^ "シリア首相、政権から離反表明…反体制派に参加". 讀賣新聞. 6 August 2012. 2012年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月6日閲覧。
- ^ "Assad names Wael al-Halqi as Syria's new prime minister". Press TV. 9 August 2012. 2012年8月10日閲覧。
- ^ "パキスタン・カル外相、外部からのシリア介入に反対の意向表明". EMEye 新興国情報. 10 August 2012. 2012年8月11日閲覧。
- ^ "シリア反体制派、アレッポ中心部から撤退". AFPBB NEWS. 10 August 2012. 2012年8月11日閲覧。
- ^ "シリア:国境でヨルダンと砲撃戦". 毎日新聞. 11 August 2012. 2012年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月11日閲覧。
- ^ "英、シリアの反体制派に6億円相当の支援". NNNニュース. 11 August 2012. 2014年7月20日閲覧。
- ^ "Syrian army fends off attack on Aleppo airport". Oman Tribune. 11 August 2012. 2013年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月12日閲覧。
- ^ "クリントン国務長官:米国はシリアの反対派にさらに550万ドル支援". ロシアの声. 12 August 2012. 2013年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月13日閲覧。
- ^ "アレッポのテレビ局で攻防 政府軍が増強". 産経新聞. 4 August 2012. 2012年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月13日閲覧。
- ^ "Senior Syrian terrorist eliminated". Voice of Russia. 12 August 2012. 2012年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月13日閲覧。
- ^ "シリアの加盟資格停止を決定 イスラム協力機構". 日本経済新聞. 16 August 2012. 2012年8月16日閲覧。
- ^ "OIC suspends Syria". Khaleej Times. 17 August 2012. 2012年8月26日閲覧。
- ^ "シリア停戦監視団の撤収決定 ロシア、再延長を断念". 朝日新聞. 17 August 2012. 2013年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月18日閲覧。
- ^ "シリア:ブラヒミ氏が国連「特別代表」に 安保理協力要請". 毎日新聞. 18 August 2012. 2012年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月18日閲覧。
- ^ "シリア政府 反体制派との政治対話に同意". 中国国際放送. 22 August 2012. 2012年8月22日閲覧。
- ^ "「アサド大統領辞任を議題にする用意がある」、シリア副首相". AFPBB News. 22 August 2012. 2019年12月24日閲覧。
- ^ "国連シリア監視団団長、シリアを離れる". 中国国際放送. 25 August 2012. 2012年8月26日閲覧。
- ^ "シリアからの難民 21万人超える". NHK. 29 August 2012. 2012年8月29日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "シリア支援:「同じ方向で」 国連でブラヒミ氏". 毎日新聞. 5 September 2012. 2012年9月5日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c "シリア:国連特別代表とエジプト大統領ら打開策を協議". 毎日新聞. 10 September 2012. 2012年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月11日閲覧。
- ^ "Egypt confirms regional meeting on Syria in Cairo". AFP. 10 September 2012. 2012年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月11日閲覧。
- ^ "PM meets Brahimi and al-Arabi". Gulf Times. 13 September 2012. 2012年9月13日閲覧。
- ^ "ローマ法王がレバノン到着 中東全域で緊張高まる中". 朝日新聞. 15 September 2012. 2013年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月15日閲覧。
- ^ "Visiting Lebanon, pope denounces arms transfers to Syria". Los Angels Times. 15 September 2012. 2012年9月15日閲覧。
- ^ "President al-Assad Receives UN Envoy to Syria Lakhdar Brahimi". Syrian Arab News Agancy. 15 September 2012. 2014年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月15日閲覧。
- ^ "イラン、シリアに部隊派遣 革命防衛隊が非軍事的支援". 日本経済新聞. 16 September 2012. 2012年9月17日閲覧。
- ^ "Foreign Jihadists are escalating conflict in Syria, UN warns". Haaretz. 17 September 2012. 2012年9月18日閲覧。
- ^ "イスラム4カ国:シリア協議にサウジ欠席…初の外相会合". 毎日新聞. 18 September 2012. 2012年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月19日閲覧。
- ^ "シリアのアサド大統領、イラン外相と会談". 中国国際放送. 20 September 2012. 2012年9月20日閲覧。
- ^ "首都ダマスカス近郊でヘリ墜落 反体制派が撃墜主張". 産経新聞. 20 September 2012. 2012年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月20日閲覧。
- ^ "Free Syrian Army 'move command centre inside Syria'". BBC NEWS. 22 September 2012. 2012年9月22日閲覧。
- ^ "平和的な政権打倒で合意 シリアで反体制派会議". 産経新聞. 24 September 2012. 2012年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月24日閲覧。
- ^ "Syrian opposition kick off "national conference" with absence of many parties". Xinhua. 23 September 2012. 2012年9月24日閲覧。[出典無効]
- ^ "Syrian opposition calls for Assad's 'peaceful overthrow' at Damascus summit". Russia Today. 24 September 2012. 2012年9月24日閲覧。
- ^ "قطر تدعو للتدخل بسوريا وفرنسا للحماية". Al Jazeera.net. 26 September 2012. 2012年9月26日閲覧。
- ^ "Morsi opposes foreign intervention in Syria". Ahramonline. 25 September 2012. 2012年9月26日閲覧。
- ^ "Official: Hezbollah fighters killed in Syria". The Daily Star. 2 October 2012. 2012年10月3日閲覧。
- ^ "国連とアラブ連盟のシリア担当代表、来週活動開始". 中国国際放送. 3 October 2012. 2012年10月4日閲覧。
- ^ "シリア主要都市で車爆弾3件、多数死傷 自爆攻撃が激化か". CNN.co.jp. 4 October 2012. 2012年10月4日閲覧。
- ^ "トルコ:シリアから再び砲弾 直後に軍が報復攻撃". 毎日新聞. 6 October 2012. 2012年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月6日閲覧。
- ^ 今村実 (10 October 2012). "アルカイダ系勢力活発化 シリア 自爆攻撃を多用、大量処刑も". 東京新聞. 2012年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月10日閲覧。
- ^ "国連シリア特使、サウジアラビア国王と会談". 中国国際放送. 13 October 2012. 2012年10月14日閲覧。
- ^ "Three jihadists arrested near Syrian border". The Jordan Times. 18 October 2012. 2013年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月18日閲覧。
- ^ "「犠牲祭」停戦案、ブラヒミ氏とシリア外相会談". 讀賣新聞. 20 October 2012. 2012年10月21日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "トルコ外相 犠牲祭期間中の停戦を呼びかけ". 中国国際放送. 19 October 2012. 2012年10月21日閲覧。
- ^ "犠牲祭期間中の停戦 シリアへ呼びかけ". NHK. 18 October 2012. 2012年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月21日閲覧。
- ^ "シリア:首都ダマスカスで爆弾爆発 13人が死亡". 毎日新聞. 21 October 2012. 2012年10月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月22日閲覧。
- ^ "シリア:停戦崩壊 ブラヒミ特別代表は新提案の考え". 29 October 2012. 2012年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月29日閲覧。
- ^ "シリア反体制連合を承認=武器提供も検討-仏". 時事ドットコム. 時事通信. 14 November 2012. 2012年11月15日閲覧。
- ^ "フランス、シリア反体制派統一組織を承認 武器供与も検討か". NewSphere. 17 November 2012. 2019年12月24日閲覧。
- ^ "米もシリア反体制組織「シリア国民連合」を承認". 読売新聞. 12 December 2012. 2012年11月20日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "「シリア国民連合」、唯一の代表に承認 国際会合". AFPBB News. 13 December 2012. 2012年12月20日閲覧。
- ^ "「軍事解決は困難」 副大統領 国民的対話を強調". しんぶん赤旗. 19 December 2012. 2012年12月20日閲覧。
- ^ ゴランPKOに撤収命令、治安悪化で17年の歴史に幕(MSN産経、2012/12/24閲覧)2012年12月21日時点の オリジナル よりアーカイブ。
- ^ "シリア憲兵隊司令官が離反 反体制派に合流と宣言". 産経新聞. 26 December 2012. 2012年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月26日閲覧。
- ^ "سوريا: انشقاق قائد الشرطة العسكرية". BBC ARABIC. 26 December 2012. 2012年12月26日閲覧。
- ^ "シリア反体制派、北部最大の空軍基地制圧 アサド政権に打撃". 12 January 2013. 2013年1月13日閲覧。
- ^ "シリア首都で連続テロ 53人以上死亡". 産経新聞. 21 February 2013. 2013年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月7日閲覧。
- ^ "反体制派、北部に暫定政府樹立へ 財政基盤弱く統治は疑問符". 産経新聞. 23 February 2013. 2019年12月24日閲覧。
- ^ "アメリカ シリア反体制派に巨額支援". 中国国際放送. 1 March 2013. 2013年3月7日閲覧。
- ^ "シリア難民、100万人に 国連が支援呼びかけ". 朝日新聞. 6 March 2013. 2013年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月6日閲覧。
- ^ "シリア反体制派、国連PKO要員21人を拘束 ゴラン高原". AFPBB News. 7 March 2013. 2019年12月24日閲覧。
- ^ "シリア:ゴランPKOのフィリピン人21人、解放される". 毎日新聞. 9 March 2013. 2013年3月10日閲覧。
- ^ "هيتو رئيسا لأول حكومة انتقالية بسوريا". Al Jazeera.net. 19 March 2013. 2013年3月19日閲覧。
- ^ "暫定首相にヒット氏選出=在米のビジネスマン-シリア反体制派". 時事通信. 19 March 2013. 2013年3月19日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "シリア軍機が隣国レバノンを空爆 米など情勢悪化を懸念". 19 March 2013. 2013年3月19日閲覧。
- ^ "Damascus Denies Lebanon Air Strikes". RIA Novosti. 19 March 2013. 2013年3月20日閲覧。
- ^ "シリアのモスクで自爆テロ イスラム指導者ら42人死亡". 朝日新聞. 22 March 2013. 2013年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月22日閲覧。
- ^ "عشرات القتلى بتفجير وقصف متبادل بسوريا". Al Jazzera.net. 22 March 2013. 2013年3月22日閲覧。
- ^ "反体制武装組織指導者が重傷=シリア". 時事通信. 25 March 2013. 2013年3月25日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "シリアで大規模自爆テロ、少なくとも15人死亡". 読売新聞. 8 April 2013. 2013年4月13日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "「アルカイダに忠誠」 シリア反体制過激派がメッセージ". 産経新聞. 10 April 2013. 2013年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月10日閲覧。
- ^ "イスラエル、再びシリア攻撃か=地域紛争化も". 時事通信. 5 May 2013. 2013年5月5日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "シリア反体制派がサリン使用か 国連調査官「強い疑い」". 産経新聞. 6 May 2013. 2013年5月6日閲覧。
- ^ "国連調査官、シリア反対派による化学兵器使用の容疑あり". 中国国際放送. 6 May 2013. 2013年5月6日閲覧。
- ^ "NGO: Rebel chief wounded near Damascus". Maan News Agency. 9 May 2013. 2013年5月9日閲覧。
- ^ "Al-Nusra Front denies chief wounded in Syria". Al Arabiya.net. 9 May 2013. 2013年5月9日閲覧。
- ^ "Syria rebels battle Hezbollah in Lebanon". Al Jazeera English. 3 June 2013. 2013年6月6日閲覧。
- ^ "Syrian army 'totally controls' Qusayr". News24. 5 June 2013. 2013年6月5日閲覧。
- ^ 「シリア政府、反体制派の拠点を制圧と発表」 CNN2013.07.30
- ^ 「国連化学兵器調査団 シリア入り」 日本放送協会2013年8月19日
- ^ "安保理、武力行使容認決議案採択に至らず 中露が反対". 産経新聞. 29 August 2013. 2013年8月31日閲覧。
- ^ "近くシリア攻撃、米大統領が示唆 安保理協議物別れ". 日本経済新聞. 29 August 2013. 2013年8月31日閲覧。
- ^ "シリア:英下院、軍事攻撃容認動議を否決". 毎日新聞. 30 August 2013. 2013年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月31日閲覧。
- ^ "【シリア情勢】介入、地上軍投入せず最大90日 米上院委が条件付承認決議案採択". 産経新聞. 5 September 2013. 2013年9月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月7日閲覧。
- ^ "米大統領がシリア軍事行動に向けた姿勢崩さず、G20内の溝浮き彫り". ロイター. 6 September 2013. 2013年9月7日閲覧。
- ^ "ロシアでG20開幕、シリア介入各国の対立鮮明に". CNN. 6 September 2013. 2013年9月7日閲覧。
- ^ "シリアに化学兵器禁止条約参加を要請 ロシアのラブロフ外相". ハフィントン・ポスト. 10 September 2013. 2013年9月14日閲覧。
- ^ "シリア、化学兵器引渡しは軍事介入撤回後に─アサド大統領=通信". ロイター. 12 September 2013. 2013年9月14日閲覧。
- ^ "【シリア情勢】米露合意…主導権確保狙うアサド政権". 産経新聞. 15 September 2013. 2019年12月25日閲覧。
- ^ "化学兵器禁止機関、廃棄へ向け約50カ所で査察 シリア". CNN. 29 September 2013. 2013年10月26日閲覧。
- ^ "化学兵器禁止条約、シリアが正式加盟国に". 日本経済新聞. 14 October 2013. 2019年12月25日閲覧。
- ^ Danny KEMP (23 October 2013). "英でシリア問題会合、アサド氏退陣で合意". AFPBB News. 2013年10月26日閲覧。
- ^ Andrew J. Barden (1 November 2013). "シリア、期限内に化学兵器生産施設の破壊完了-OPCW確認". ブルームバーグ. 2013年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月2日閲覧。
- ^ "シリア、化学兵器の生産設備すべて破壊=OPCW". ロイター. 1 November 2013. 2013年11月2日閲覧。
- ^ "化学兵器設備破壊完了、内戦による死者12万人超える". TBSテレビ. 1 November 2013. 2013年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月2日閲覧。
- ^ NAFTALI BENDAVID (1 November 2013). "シリア、化学兵器設備破壊─国際査察機関が発表". ウォール・ストリート・ジャーナル. 2013年11月2日閲覧。
- ^ "シリア化学兵器、処理地決まらず OPCW協議続く". 朝日新聞. 16 November 2013. 2013年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月17日閲覧。
- ^ "シリア化学兵器の国外廃棄、受け入れ先決定が難航か". ロイター. 17 November 2013. 2013年11月17日閲覧。
- ^ "アルバニア受け入れ拒否 国外処理案宙に浮く シリア化学兵器全廃". 産経新聞. 16 November 2013. 2013年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月17日閲覧。
- ^ "シリア化学兵器 アルバニアが処理拒否". 東京新聞. 16 November 2013. 2013年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月19日閲覧。
- ^ "シリアの化学兵器、次の候補ベルギーも処理否定". 読売新聞. 18 November 2013. 2013年11月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月19日閲覧。
- ^ 阿部達也 (11 April 2015). "シリアの化学兵器廃棄" (pdf). 2015年日本軍縮学会研究大会. 日本軍縮学会. 2017年4月7日閲覧。
- ^ "国連がシリアに支援物資を初空輸". AFPBB News. 16 December 2013. 2013年12月16日閲覧。
- ^ "シリアの化学兵器廃棄、国外搬出の期限守れず". AFPBB News. 1 January 2014. 2014年7月12日閲覧。
- ^ Philippe ALFROY (19 January 2014). "シリア反体制派、和平会議参加を決定 大統領からの権力剥奪が目標". AFPB News. 2014年7月12日閲覧。
- ^ Nina LARSON; Jonathan FOWLER (19 January 2014). "シリア和平会議、成果なく第1ラウンド終了". AFPBB News. 2014年7月12日閲覧。
- ^ "シリアと国連、ホムス包囲地域での人道措置で合意". AFPBB News. 7 February 2014. 2014年7月12日閲覧。
- ^ "イラクで勢力拡大の過激派、イスラム国家の樹立を宣言". ロイター. 30 June 2014. 2014年8月27日閲覧。
- ^ SAM DAGHER (25 August 2014). "「イスラム国」、シリア北部の空軍基地を制圧". ウォール・ストリート・ジャーナル. 2014年8月27日閲覧。
- ^ "オバマ米大統領、シリアでの偵察飛行を承認 空爆の準備か". CNN. 26 August 2014. 2014年8月27日閲覧。
- ^ Serene ASSIR (26 August 2014). "シリア、米国との対テロ共闘の「用意ある」". AFPBB News. 2014年8月27日閲覧。
- ^ "ゴラン高原でPKO要員43人拉致、シリア反体制派が関与か". CNN. 29 August 2014. 2014年8月29日閲覧。
- ^ "イスラム国、シリア兵160人以上を処刑 映像公開". AFPBB News. 29 August 2014. 2014年8月29日閲覧。
- ^ "シリア内戦の死者、2014年は過去最多の7万6000人". AFPBBNews. フランス通信社. 2 January 2015. 2015年1月3日閲覧。
- ^ シリア内戦終結へ憲法委が初会合、ロシア主導が鮮明 (写真=ロイター) :日本経済新聞
- ^ "トランプ政権 シリア政策転換 アサド氏退陣よりIS打倒". 毎日新聞. 1 April 2017. 2017年4月7日閲覧。
- ^ [2] 共同通信47(2017年4月7日)2017年4月26日閲覧
- ^ "イスラム国「首都」ラッカ奪還作戦開始 クルド人部隊が進攻". 日本経済新聞. 6 June 2017. 2017年6月7日閲覧。
- ^ シリア東部で過激派一掃か クルド人、ロ軍が支援 日本経済新聞ニュースサイト(2017年12月4日)
- ^ ロシア大統領のシリアでのIS掃討宣言、米は時期尚早との見方 ロイター通信・日本語版ニュースサイト(2017年12月13日)
- ^ シリアのロシア軍基地にドローン攻撃 武装勢力13機(共同通信) サンケイスポーツ(2018年1月9日)2018年1月13日閲覧
- ^ シリアで基地ドローン攻撃、露は先進国示唆 日テレNEWS24(2018年1月12日)2018年1月13日閲覧
- ^ トルコが越境攻撃 シリアのクルド勢力標的『日本経済新聞』朝刊2018年1月22日(2018年2月3日閲覧)
- ^ シリア国民対話会議「憲法委員会」設置に合意し閉会『毎日新聞』2018年1月31日(2018年2月3日閲覧)
- ^ US, UK and France launch Syria strikes targeting Assad's chemical weapons CNN 2018年4月14日
- ^ アサド政権 優位続く「追撃を続ける」国土6割支配『読売新聞』朝刊2018年4月16日(国際面)。
- ^ イラク「イスラム国」空爆 シリア東部 幹部、戦闘員36人殺害『読売新聞』朝刊2018年4月24日(国際面)。
- ^ 「UAE、在シリア大使館を再開 断交から約7年」フランス通信社(AFP)2018年12月28日配信、2019年1月12日閲覧。
- ^ 「シリア政府軍、クルド部隊支援で北部マンビジに展開 同盟関係に変化」 フランス通信社(AFP)2018年12月29日配信、2019年1月12日閲覧。
- ^ 「シリア米軍 撤退を開始」『産経新聞』朝刊2019年1月12日(4面)2019年1月24日閲覧。
- ^ イスラエル、イランに圧力/シリア空爆「昨年だけで2000発」『朝日新聞』朝刊2019年1月16日(国際面)2019年2月2日閲覧。
- ^ “シリア北部で自爆攻撃、米兵ら4人死亡 IS掃討の米部隊に過去最悪の被害”. AFPBB News. (2019年1月17日) 2019年3月6日閲覧。
- ^ “イスラエル軍がシリアを空爆、11人死亡 イラン施設標的”. AFPBB News. (2019年1月21日) 2019年3月6日閲覧。
- ^ “対IS最終作戦を開始=米支援のクルド人勢力-シリア”. 時事ドットコムニュース. (2019年2月10日) 2019年3月6日閲覧。
- ^ “シリア・イドリブで連続爆弾攻撃、24人死亡 監視団発表”. AFPBB News. (2019年2月19日) 2019年3月6日閲覧。
- ^ “2015年パリ連続襲撃の犯行声明の声の主、シリア最後のIS拠点で死亡 治安筋”. AFPBB News. (2019年2月22日) 2019年3月6日閲覧。
- ^ “シリア北西部で停戦合意以降最大の衝突、空爆で民間人2人死亡”. AFPBB News. (2019年2月27日) 2019年3月6日閲覧。
- ^ 「シリア前大統領像デモ発端地に復活/支配回復を印象付けか」『東京新聞』2019年3月12日(国際面)2019年4月10日閲覧。
- ^ “「シリアのIS支配地域はなくなった」 最後の拠点制圧と発表”. NHK. (2019年3月23日). オリジナルの2019年3月23日時点におけるアーカイブ。 2019年3月24日閲覧。
- ^ “イスラエル軍のミサイル攻撃で3人負傷、シリア国営メディアが報道”. AFPBB News. (2019年4月13日) 2019年7月21日閲覧。
- ^ “シリア政府軍の空爆で民間人23人死亡、市場も破壊”. AFPBB News. (2019年5月23日) 2019年7月21日閲覧。
- ^ “シリア北西部、政権軍の奪還作戦で民間人含む45人死亡”. AFPBB News. (2019年6月16日) 2019年7月21日閲覧。
- ^ “イスラエル空爆か、15人死亡=シリア反撃で北キプロスに飛来も”. 時事ドットコムニュース. (2019年7月21日) 2019年7月21日閲覧。
- ^ “旧「IS首都」ラッカ近郊で200人の遺体発見、シリア北部”. AFPBB News. (2019年7月4日) 2019年7月21日閲覧。
- ^ “ドイツの裁判所は11日、過激派組織「イスラム国(IS)」に参加し戦闘員と結婚したドイツ人女性とその子供3人について、強制帰国させるべきと判断した。”. BBC. (2019年7月12日) 2019年7月21日閲覧。
- ^ “アメリカが3年ぶりに自由シリア軍への訓練を再開”. トルコ国営放送 2019年7月21日閲覧。
- ^ “シリア政府、イドリブ県で空爆再開 停戦撤回”. AFPBB News. (2019年8月6日) 2019年8月22日閲覧。
- ^ “キルギス、シリアとイラクにいる自国民の帰国に向け活動開始”. トルコ国営放送. 2019年8月22日閲覧。
- ^ “トルコ軍がシリアに越境、政権側の空爆で足止め”. AFPBBB News. (2019年8月20日) 2019年8月22日閲覧。
- ^ “動画:シリア反体制派、イドリブ県の主要地域から撤退 救助活動続く”. AFPBB News. (2019年8月21日) 2019年8月22日閲覧。
- ^ “シリア政府軍、北西部でトルコ軍の監視拠点を包囲”. AFPBB News. (2019年8月24日) 2019年9月2日閲覧。
- ^ “シリア政権軍、イドリブ県で31日朝から停戦へ ロシア発表”. AFPBB News. (2019年8月31日) 2019年9月2日閲覧。
- ^ “ベルギー出身のIS戦闘員をシリアで拘束、ラッカで100人超斬首か”. AFPBB News. (2019年9月1日) 2019年9月2日閲覧。
- ^ “米軍、シリア北西部でイスラム過激派を攻撃 指導者40人死亡か”. AFPBB News. (2019年9月1日) 2019年9月2日閲覧。
- ^ “シリア反体制派拠点に砲撃”. 日本経済新聞. (2021年7月4日) 2021年7月24日閲覧。
- ^ "Arrest of leader of the Islamic Democratic movement in Syria". elaph.com. 2011年2月12日閲覧。
- ^ "Transfer of activist Ghassan Najar to Adra prison after being referred for trial". free-syria.com. 2011年2月12日閲覧。
- ^ "Start of the trial exhibits and the Syrian writer Ali Abdullah". free-syria.com. 2011年2月12日閲覧。
- ^ "Jailed prominent Syrian opposition for seven and a half years". free-syria.com. 2011年2月12日閲覧。
- ^ "Syrian authorities detain national identity Adnan Mustafa Abu Ammar". free-syria.com. 2011年2月12日閲覧。
- ^ Taylor, Paul (16 February 2011). "Egypt-Inspired Protests Gain Pace Across Region". Reuters.
- ^ "Syria arrests opposition leader as protests continue". CNN. 22 March 2011. 2011年3月22日閲覧。
- ^ シリアの刑務所で1万3000人処刑か・人権団体が報告 CNN(2017.02.07)2017.02.11閲覧
- ^ "Al Jazeera journalist missing in Syria". Al Jazeera. 2 May 2011. 2011年5月2日閲覧。
- ^ "イランで拘束の記者解放 東日本大震災も取材". 産経新聞. 18 May 2011. 2011年6月30日閲覧。
- ^ Preston, Jennifer (9 February 2011). "Syria Restores Access to Facebook and YouTube". The New York Times.
- ^ York, Jillian. "Unblocking Syria's Social Media". Al Jazeera English. 2011年2月13日閲覧。
- ^ "President al-Assad Issues Legislative Decree Reducing Mandatory Military Service by Three Months". Syrian Arab News Agency. 20 March 2011.
- ^ "Syrian mourners call for revolt, forces fire tear gas". Reuters. 19 March 2011. 2011年3月19日閲覧。
- ^ President al-Assad Issues Decree on Discharging Governor of Daraa from His Post, SANA, 24 March 2011
- ^ "Syria pledges reforms after protests". Al Jazeera English. 24 March 2011. 2011年3月24日閲覧。
- ^ "Syria unrest: Government pledges political reforms". BBC News. 24 March 2011. 2011年3月24日閲覧。
- ^ "Syria turmoil: Political inmates 'freed' after protests". BBC News. 26 March 2011. 2011年3月26日閲覧。
- ^ "Assad orders review of Syrian laws". 31 March 2011. 2011年4月1日閲覧。
- ^ "Assad attempts to appease minority Kurds". 7 April 2011. 2011年4月7日閲覧。
- ^ "Syria Frees 48 Kurds, Hoping To Ease Grievances". Reuters. 7 April 2011. 2011年4月7日閲覧。
- ^ "Syrian Kurds to enjoy citizenship rights". 6 April 2011. 2011年4月7日閲覧。
- ^ "Syria to lift decades-old emergency law". 19 April 2011. 2011年4月19日閲覧。
- ^ Cabinet: Comprehensive Plan for Reform in Various Fields, Employment Programs in Private Sector, SANA, 1 May 2011
- ^ Syrian Cabinet: Comprehensive Plan for Reform in all Fields, SANA on DayPress, 1 May 2011
- ^ "Syrian uprising spread after troops kill at least five". The Guardian. 22 March 2011. 2011年3月22日閲覧。
- ^ "سيادة الرئيس يصدر عفواً عن الجرائم السياسية ثم يسحب بعد ثلاث ساعات ؟". Ettihad. 2011年4月13日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "Syrian activist Haitham al-Maleh freed under amnesty". BBC News. 2011年3月8日閲覧。
- ^ "Syria Frees 80-Year-Old Former Judge in Amnesty". Reuters. 2011年3月8日閲覧。
- ^ "12 rights groups in Syria demand end to emergency". AFP. 2011年3月8日閲覧。
- ^ "هيثم المالح .. يوجه رسالة إلى شباب الثورة السورية". YouTube. 2011年3月12日閲覧。
- ^ "Opposition leader Ribal Al-Assad is optimistic to changes in Syria". elaph.com. 2011年2月16日閲覧。
- ^ "Assad's exiled cousin warns Syria risks civil war". NOW Lebanon. 5 April 2011. 2011年4月20日閲覧。
- ^ "EU condemns 'unacceptable' repression in Syria". Middle East Online. 22 March 2011. 2011年3月22日閲覧。
- ^ "UN chief slams Syria's crackdown on protests". Al Jazeera. 18 March 2011. 2011年6月27日閲覧。
- ^ シリアへの米武器供与批判 潘事務総長「解決にならぬ」 朝日新聞2013年6月15日
- ^ “「地上の地獄だ」 国連事務総長、東グータ戦闘中止求める”. BBCニュース (2018年2月22日). 2018年3月3日閲覧。
- ^ Alexandra kirk (25 March 2011). "Australia advises citizens not to travel to Syria". abc.net.au. 2011年3月26日閲覧。
- ^ "Canada condemns violence in Yemen, Bahrain, Syria". AFP. 21 March 2011. 2011年3月22日閲覧。
- ^ Foreign Affairs and International Trade Canada (24 April 2011). "Canada Condemns Violence and Offers Consular Advice to Canadians Regarding Syria". international.gc.ca. 2011年6月22日閲覧。
- ^ Lebanon News. "France condemns violence against protesters in Syria". 2011年3月17日閲覧。
- ^ "France Urges Syria To Make Immediate Political reforms". Reuters. 23 March 2011. 2011年3月23日閲覧。
- ^ Staff (24 March 2011). "Germany urges Syria to halt violence, launch talks". Reuters. 2011年3月25日閲覧。
- ^ "Syria cannot ignore "wind of change," Greece says". AFP /NOW Lebanon. 24 March 2011. 2011年3月25日閲覧。
- ^ "Maliki voices Iraq's support for Syria". NOW Lebanon. 2011年4月3日閲覧。
- ^ "Intervew – West should treat Syria, Iran like Libya-Israel". Reuters. 24 March 2011. 2011年3月25日閲覧。
- ^ "מהומות בסוריה: חשש בצה"ל מהתגרות של אסד – פוליטי מדיני – הארץ". Haaretz (Hebrew). 24 March 2011. 2011年4月23日閲覧。
- ^ 08:04 14.08.2007 מאת: עמוס הראל 0 (14 August 2007). "דאגה במערכת הביטחון בנוגע לאפשרות למלחמה עם סוריה; הערכה: בקרוב יתבהר המצב מולה – שוק ההון – דה מרקר TheMarker". Themarker.com. 2011年4月23日閲覧。
- ^ "シリアにおけるデモ隊と治安当局との衝突について". 日本国外務省. 13 April 2011. 2011年7月1日閲覧。
- ^ "自衛隊、ゴラン高原から撤収完了 17年の活動に終止符". 朝日新聞. 15 January 2013. 2013年1月15日閲覧。
- ^ "政府、シリア反体制派への直接人道支援表明". 産経新聞. 11 June 2013. 2013年6月13日閲覧。
- ^ "Mikati discusses regional developments with Assad". NOW Lebanon. 31 March 2011. 2011年6月25日閲覧。
- ^ "Sleiman voices importance of Syrian stability". NOW Lebanon. 31 March 2011. 2011年6月25日閲覧。
- ^ "México condena violencia contra civiles en Siria". El Universal. 23 April 2011. 2011年6月25日閲覧。
- ^ "Sykehus tok imot 25 døde demonstranter i Syria". NRK. 24 March 2011. 2011年6月25日閲覧。
- ^ "Qatari emir voices Qatar's support for Syria". NOW Lebanon. 3 April 2011. 2011年6月25日閲覧。
- ^ "Russian president voices support for "Syrian reforms"". NOW Lebanon. 6 April 2011. 2011年6月25日閲覧。
- ^ "【シリア内戦】「人肉食べる者を支援するな」露大統領、欧米に警告". 産経新聞. 17 June 2013. 2013年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月17日閲覧。
- ^ "シリアでまた拒否権の中露の悪党度". ニューズウィーク. 20 July 2012. 2013年6月19日閲覧。
- ^ "Saudi king expresses support to Syrian president". Xinhuanet. 28 March 2011. 2011年3月28日閲覧。
- ^ "湾岸協力会議、シリア国民連合を承認 アラブ連盟も". AFPBB News. 13 November 2012. 2013年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月30日閲覧。
- ^ "「シリア反政府勢力に武器を」". NHKニュース. 日本放送協会. 2 May 2013. 2013年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月2日閲覧。
- ^ "Syria's Assad receives support of Sudanese counterpart". NOW Lebanon. 6 April 2011. 2011年6月25日閲覧。
- ^ SEVİL KÜÇÜKKOŞUM (22 March 2011). "Turkey anxious over protests in Syria". Hürriyet Daily News. 2011年3月23日閲覧。
- ^ Sabel, Robbie (26 April 2011). "Obama, Erdogan: Syrian gov't must end violence immediately". The Jerusalem Post. 2011年5月8日閲覧。
- ^ "Erdogan and Syrian Government". YouTube. 2011年5月8日閲覧。
- ^ "UAE reaffirms support for Syria". NOW Lebanon. 29 March 2011. 2011年3月25日閲覧。
- ^ Kessler, Oren (24 March 2011). "'More than 100 killed in Syrian anti-government rallies'". The Jerusalem Post. 2011年3月25日閲覧。
- ^ "Obama Administration Condemns Syrian Violence Against Protests". Bloomberg. 18 March 2011. 2011年6月25日閲覧。
- ^ Gaouette, Nicole (28 March 2011). "Clinton Says U.S. Won't Intervene in Syria, Sees Progress in Libya Fight – Bloomberg". Bloomberg. 2011年4月10日閲覧。
- ^ "Clinton: No military action in Syria for now – Face The Nation – CBS News". Cbsnews.com. 27 March 2011. 2011年4月10日閲覧。
- ^ "Obama Condemns 'Abhorrent Violence' of Syrian Gov't". Reuters (via Ynetnews). 9 April 2011. 2011年4月9日閲覧。
- ^ "Venezuela's Chavez offers supports to Syrian leader amid protests, blames US for unrest". theguardian.pe.ca. 26 March 2011. 2011年3月27日閲覧。
- ^ "リビア国民暫定評議会、「シリア国民評議会」を承認". ロシアの声. 11 October 2011. 2011年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月11日閲覧。
- ^ "北朝鮮戦闘機パイロット 50人以上シリア入りか". テレビ朝日. 16 October 2012.[リンク切れ]
- ^ "北、シリアに武器不正輸出 「協力国とはザル状態」". 産経新聞. 27 August 2013. 2013年9月26日閲覧。
- ^ "オーストリア、ゴラン高原からPKO部隊を撤退 治安悪化で". CNN. 7 June 2013. 2013年6月16日閲覧。
- ^ "ゴラン高原で内戦激化、オーストリア要員撤収へ". 読売新聞. 7 June 2013. 2013年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月16日閲覧。
- ^ "Amnesty Condemns Syrian Crackdown on Protest". ロイター (via The Jerusalem Post). 17 March 2011. 2019年12月25日閲覧。
- ^ "Rights Groups Condemn Syria's Violent Crackdown On Protesters". RFE/RL. 21 March 2011. 2011年6月26日閲覧。
- ^ "Syria: Government Crackdown Leads to Protester Deaths". Human Rights Watch. 21 March 2011. 2011年6月26日閲覧。
- ^ Nour Abuzant (3 March 2011). "Qaradawi condemns 'atrocities' against protesters in Syria". Gulf Times. 2011年3月26日閲覧。
- ^ "Protests in Syria's Daraa city, journalists banned". Deutsche Presse-Agentur. 25 March 2011. 2011年3月26日閲覧。
- ^ Dreyfuss, Robert. Devil's Game: How the United States Helped Unleash Radical Islam. Pg. 166
- ^ Shavit, Uriya. The new imagined community: global media and the construction of national and Muslim identities of migrants Pg. 106.
- ^ "To survive, Assad must contain majority Sunni unrest before it infects army". DEBKAfile. 26 March 2011. 2011年3月26日閲覧。
- ^ "قوى المعارضة في سوريا". Al Jazeera. 2011年3月10日閲覧。
- ^ "معتقلو الرأي في سوريا". Al Jazeera. 2011年3月9日閲覧。
- ^ "ضيق لاستبعاد سياسيين من عفو سوريا". Al Jazeera. 2011年3月11日閲覧。
- ^ "ر - سوريا .. الإصلاح والحرية". Al Jazeera. 2011年4月17日閲覧。
- ^ "Now let's have a no-fly zone for Syria and Yemen". The Daily Telegraph. 23 March 2011. 2011年3月23日閲覧。
- ^ シリア大統領「市民殺害命じてない」、米ABCインタビュー AFPBB News 2011年12月8日
- ^ シリア大統領と単独会見=米ABC 時事ドットコム 2011年12月7日 [リンク切れ]
- ^ Free Syrian Army Threatens Christians Who Were Protected Under Assad 2013年3月22日閲覧
- ^ Orthodox priest killed in Syria unrest / OrthoChristian.Com 2013年3月22日閲覧
- ^ "「国家として崩壊寸前」 国連調査委が報告書 「戦争犯罪の横行」安保理決議の無履行を非難". 産経新聞. 23 February 2016. 2016年4月4日閲覧。
- ^ "シリア内戦勃発から8年、死者37万人に 監視団発表". AFPBB News. 15 March 2019. 2019年3月15日閲覧。
- ^ "シリア食料事情調査 400万人が食料を十分に生産・購入できず ~FAO/WFP共同報告書は、紛争が続けば2014年シリアの食料見通しは深刻な状態に陥ると予測~". 2016年4月4日閲覧。
- ^ "アラブの春で中東の観光業に明暗、ドバイに「混乱の恩恵」". ロイター. 4 February 2013. 2016年4月4日閲覧。
- ^ "[FT]小さな産油国シリアが原油価格高騰の震源地に". 2016年4月4日閲覧。
- ^ "ヨルダンでシリア難民への支援を実施します". オックスファム. 25 June 2015. 2016年4月4日閲覧。
- ^ "シリア内戦の経済的損失は4兆円超、世界銀行". AFPBB News. 5 February 2016. 2016年4月4日閲覧。
- ^ "シリア紛争から5年 -国内に渦巻くカオス、外に溢れだすトラウマ". cnet japan. Digital PR Platform. 17 March 2016. 2019年12月25日閲覧。
- ^ "【シリア危機5年目】紛争の代償". セーブ・ザ・チルドレン. 15 March 2015. 2016年4月4日閲覧。
- ^ "Medical society details Syrian health crisis and efforts to help". 2016年4月4日閲覧。
- ^ “難民の出身の多い国”. 外務省. 2019年7月21日閲覧。
- ^ a b "数字で見る難民情勢(2021年)". UNHCR. 2022年11月20日閲覧。
- ^ “Civilian Death Toll”. Syrian Network For Human Rights. 2022年3月15日閲覧。
- ^ “Total death toll | Over 606,000 people killed across Syria since the beginning of the "Syrian Revolution", including 495,000 documented by SOHR”. SOHR (1 June 2021). 2022年3月15日閲覧。
- ^ "シリアの6つの世界遺産、全て「危機遺産」に指定 ユネスコ". AFPBB News. 20 June 2013. 2016年4月4日閲覧。
- ^ "シリア:難民に危機拡大、キリスト教徒も困窮". International Business News. 21 October 2013. 2015年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月4日閲覧。
- ^ "【解説】イスラム国に包囲されるシリアのクルド人(1)". アジアプレス・ネットワーク. 24 September 2014. 2014年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月4日閲覧。
- ^ "シリア:クルド人の実効支配地域で起きている人権侵害". Human Rights Watch. 18 June 2014. 2016年4月4日閲覧。
- ^ "20万人避難も依然多くが脱出できず、シリア・アレッポ". AFPBB News. 30 July 2012. 2016年4月4日閲覧。
- ^ "世界遺産「古代都市アレッポ」大半焼失…戦闘で". 読売新聞. 30 September 2012. 2012年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月4日閲覧。
- ^ a b c "レバノンのシリア難民が100万人を超える". UNHCR. 3 April 2014. 2015年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月4日閲覧。
- ^ UNHCR (18 June 2021). GLOBAL TRENDS FORCED DISPLACEMENT IN 2021- Annex tables (グローバル・トレンド 2021年の強制移動) (Excel) (Report). pp. 19, Global Trends Annexes Tables 3. 2022年7月31日閲覧。
- ^ シリア情勢、レバノンへ飛び火 宗派間対立で死者も AFPBB NEWS 2012年8月25日
- ^ "国際社会とヒズボラに保護を求めるレバノンのキリスト教徒社会". メムリ. 25 May 2015. 2016年4月7日閲覧。
- ^ 伊藤歩 (12 March 2015). "トルコが中東地域で孤立感を深める理由". 東洋経済オンライン. 2016年4月4日閲覧。
- ^ "【トルコ総選挙】与党過半数割れ 連立交渉難航か 大統領、権限強化の野望遠のく". Sankei Biz. 9 June 2015. 2016年4月4日閲覧。
- ^ "「テロとの戦い」を政治利用するエルドアンの剛腕". ニューズウィーク. 21 March 2016. 2016年4月4日閲覧。
- ^ シリア攻撃「全面支持」「政治解決を」中東諸国、割れる反応『産経新聞』ニュース(2018年4月16日)2018年5月14日閲覧。
- ^ "イラン制裁解除 中東、変わる枠組み". 毎日新聞. 18 January 2016. 2016年4月7日閲覧。
- ^ 【イラン反政府デモから1カ月】各地のシーア派勢力支援、「革命輸出」で本土防衛『産経新聞』朝刊2018年1月31日
- ^ イスラエル軍「シリアのイラン軍から攻撃」報復で空爆 朝日新聞DIGITAL(2018年5月10日)2018年5月14日閲覧。
- ^ "イラク第2の都市モスルを武装勢力が掌握". AFPBB News. フランス通信社. 10 June 2013. 2014年6月10日閲覧。
- ^ "キリスト教徒ら大脱出、イラク北部 「イスラム国」改宗など強制". AFPBB News. フランス通信社. 20 July 2014. 2016年4月7日閲覧。
- ^ 秋山信一 (12 December 2014). "イスラム国:モスル恐怖政治半年 新知事スパイ容疑処刑か". 毎日新聞. 2016年4月7日閲覧。
- ^ "イラクはどこまで解体されるか". ニューズウィーク. 13 June 2014. 2016年4月7日閲覧。
- ^ 服部正法; 及川正也 (12 August 2014). "イラク:首相指名で政界混迷 マリキ氏認めず". 毎日新聞. 2016年4月7日閲覧。
- ^ "イラクのマリキ首相が退陣、米政府「大きな前進」". ロイター. 15 August 2014. 2016年4月7日閲覧。
- ^ a b "シリア情勢、ロシアに主導権 米の影響力一段と低下". 日本経済新聞. 10 October 2015. 2016年4月7日閲覧。
- ^ BAKER, PETER; COOPER, HELENE (30 October 2015). "Obama Sends Special Operations Forces to Help Fight ISIS in Syria". The New York Times.
- ^ Woody, Christopher (11 April 2017). "ISIS fighters got inside the wire during a hellish firefight with US Special Ops in Syria". Business Insider.
- ^ "米19州、シリア難民受け入れを拒否 パリ襲撃受け". AFPBB News. 17 November 2015. 2016年4月7日閲覧。
- ^ "トランプ氏、「大統領になったらシリア難民を帰国させる」". AFPBB News. 1 October 2015. 2016年4月7日閲覧。
- ^ "トランプ大統領が勢いづいている本当の理由". 東洋経済ONLINE. 東洋経済新報社. 15 April 2017. 2019年5月8日閲覧。
- ^ "米大統領、シリアの化学兵器施設攻撃を指示". 東洋経済オンライン. 14 April 2018. 2019年5月8日閲覧。
- ^ "「トマホーク」「ストームシャドー」「B1戦略爆撃機」「ラファール戦闘機」…米英仏、多様な兵器使用". 産経ニュース. 14 April 2018. 2019年5月8日閲覧。
- ^ “米軍、シリア撤退始める トランプ氏「ISに勝利した」”. 朝日新聞. (2018年12月20日) 2019年5月8日閲覧。
- ^ “米軍シリア撤退に壁 クルド人保護とIS掃討条件”. 日本経済新聞. (2019年1月7日) 2019年7月21日閲覧。
- ^ “米軍200人、シリア駐留継続へ 全面撤退の方針を転換”. 朝日新聞. (2019年2月22日) 2019年7月21日閲覧。
- ^ Sjursen, Danny (2018年4月10日). “The U.S. Military: Proud Owners of One-Third of Syria” (英語). The National Interest. 2024年8月24日閲覧。
- ^ 「米石油大手がシリア油田操業も、トランプ大統領が言及」『Reuters』2019年10月27日。2022年10月9日閲覧。
- ^ “トランプ氏「油田に兵残す」 米、シリアから全面撤収のはずが”. 東京新聞 TOKYO Web. 2022年10月9日閲覧。
- ^ “米軍が駐留するシリア北東部の油田開発をめぐり英国と米国の石油会社に軋轢が生じる(青山弘之) - 個人”. Yahoo!ニュース. 2022年10月9日閲覧。
- ^ “シリアの石油鉱物資源省は国内で生産される原油の80%以上が米国によって盗奪されていると発表(青山弘之) - 個人”. Yahoo!ニュース. 2022年10月9日閲覧。
- ^ Mhamad (2024年8月10日). “Syria reiterates its demand for withdrawal of US occupation forces from its territories” (英語). Syrian Arab News Agency. 2024年8月24日閲覧。
- ^ 「露 シリア作戦負担重く/軍事介入2年半/戦費4300億円 犠牲者も」「駐留主力 民間い傭兵か」『読売新聞』朝刊2018年4月21日(国際面)。
- ^ "「世界で最も影響力ある人物」にプーチン大統領、フォーブス誌". AFPBB News. 31 October 2013. 2016年4月7日閲覧。
- ^ "国連総会演説、シリア情勢巡り米ロが応酬". CNN. 29 September 2015. 2016年4月7日閲覧。
- ^ "プーチン大統領の支持率が9割に 政府系世論調査". CNN. 23 October 2015. 2016年4月7日閲覧。
- ^ "ロシアがクルド人に接近、トルコはタタール人で対抗「敵の敵は味方」?". 産経新聞. 25 December 2015. 2016年4月7日閲覧。
- ^ YAROSLAV TROFIMOV (25 September 2015). "ロシアの中東回帰、米国の影響力覆す可能性も". ウォール・ストリート・ジャーナル. 2016年4月7日閲覧。
- ^ "コラム:シリア撤退でも発揮されたプーチン流の「奇策」". ロイター. 20 March 2016. 2016年4月7日閲覧。
- ^ "自衛隊、ゴラン高原から撤収完了 17年の活動に終止符". 朝日新聞. 15 January 2013. 2016年4月7日閲覧。
参考文献
[編集]- Lawson, Fred Haley, ed (2009). Demystifying Syria. London: Saqi. ISBN 9780863566547
- Wright, Robin (2008). Dreams and Shadows: The Future of the Middle East. New York: Penguin Press. pp. 212–261. ISBN 1594201110
- Ziadeh, Radwan (2011). Power and Policy in Syria: Intelligence Services, Foreign Relations and Democracy in the Modern Middle East. London: I.B. Tauris. ISBN 9781848854345
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- The Syrian Revolution 2011 الثورة السورية ضد بشار الاسد on Facebook
- Syria Unrest collected coverage at Al Jazeera English
- "シリア内戦の関連記事". ガーディアン (英語).
- Syria protests (2011) collected coverage at The New York Times
- Latest Syria developments at NOW Lebanon
- The Reality of Events at SANA (Syrian Arab News Agency)
- Syria Comment Joshua Landis's blog