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サウード・アル=ファイサル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サウード・アル=ファイサル
سعود الفيصل
2012年

全名 サウード・アル=ファイサル・ビン・アブドルアズィーズ・アール=サウード
سعود الفيصل بن عبد العزيز آل سعود
出生 (1940-01-02) 1940年1月2日
サウジアラビアの旗 サウジアラビア ターイフ
死去 (2015-07-09) 2015年7月9日(75歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
父親 ファイサル
役職 外務大臣(1975-2015)
国王特別顧問兼特使(2015)
外交担当特別顧問(2015)
宗教 イスラム教ワッハーブ派
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サウード・アル=ファイサル・ビン・アブドルアズィーズ・アール=サウードアラビア語: سعود الفيصل بن عبد العزيز آل سعود‎、Saud Al-Faisal bin AbdulAziz Al-Saud、1940年1月2日 - 2015年7月9日)は、サウジアラビアサウード家の一員で、サウジアラビア初代国王アブドゥルアズィーズ・イブン・サウードの孫、第3代国王ファイサルの子。サウジアラビア外務大臣、国務大臣、国王特別顧問兼特使、外交担当特別顧問を歴任した。日本語メディアでは「サウド外相」と表記されることが多かった。

来歴

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1964年1965年とも)にプリンストン大学経済学部を卒業[1]。卒業後はサウジアラビアに帰国し、石油・鉱物資源省の経済顧問を務めた[2]

1966年に正式に同省に入省し、1970年2月には業務企画副局長に任命され[2]1971年から石油・鉱物資源副大臣を務めた。

1975年3月に外務大臣に就任。以来40年に渡り同職を務めており、世界最長の在任記録を更新していた[3]

2009年11月20日、最高経済評議会議長に就任し、経済政策についても発言権を得た[4][5]

2015年4月29日、健康上の問題を理由に40年間務めた外務大臣を退任した。後任は駐米大使のジュベイルが就いた[6]。これと同時に国務大臣、国王特別顧問兼特使、外交担当特別顧問に就任した[7]

2015年7月9日死去[8]。75歳没。

外交政策

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2007年9月23日、ライス国務長官と会見するサウード

強硬な反ソ連・反イスラエルの姿勢を示していた[9]

1977年12月、エジプトアンワル・アッ=サーダート大統領が独断でイスラエルを訪問しメナヘム・ベギン首相と会談した際に、「アラブ人同胞への裏切り」と批判した。また、1985年には訪問先のイギリスで、アフリカの角におけるソ連の活動が活発化していることに懸念を表明した[9]

2004年、「アメリカ合衆国への安全保障依存を軽減するべき」と主張した[10]2007年コンドリーザ・ライス国務長官に対し、「アメリカ政府がサウジアラビア大使館の銀行口座を不正に監査している」として抗議している[11]

2006年7月、ジョージ・W・ブッシュ大統領に対し、イスラエルによるレバノン侵攻を停戦させるための仲介を要請した[12]。また、2008年にはイスラエルによるレバノン侵攻に対し有効な手段を示せない国際連合レバノン暫定駐留軍に対し不快感を示した[13]2011年アラブの春の影響を受けサード・ハリーリー政権が崩壊したレバノンについて、「アラブ世界にとって大きな損失」とレバノンの不安定化に懸念を表明した[14]

イランに対しては軍事行動よりも経済制裁を重視するべきと主張している[15]。また、ヒズボラに対する影響力についての懸念を表明した[13]2014年5月には、モハンマド・ジャヴァード・ザリーフ外務大臣をリヤドに招き、核開発問題について会談した[16]

人物

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第3世代の王族として次期国王候補の一人と見られていたが、他の国王候補と異なり「王位に興味はない」と公言しており、これには自身の健康不安が背景にあると見られている[17]

イギリス国防省の報告によると、サウードは「長身・ハンサム・明瞭で、外交の場では常に温厚でユーモラスな人物」とされており、また外務大臣としての職務上、他のサウード家の人間よりも記者との会話を重視している[18]。また、テニス好きとしても知られている[18]

慈善活動にも関心を持ち、障害児福祉社会協会のメンバーとしても活動している[19]

パーキンソン病と背痛を患っており、カリフォルニア州で手術を受けている[18]。2012年8月11日には腸の手術を受けるためジッダの病院に入院した[20][21]。また、2015年1月25日にはアメリカで、脊椎の手術を受けている[22]

家族

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従兄妹のジャウハラ・ビント・アブドゥッラーと結婚し、3男3女をもうけている[23]

弟に、アスィール州知事マッカ州知事・教育大臣を歴任したハーリド・アル=ファイサル英語版や、サウジアラビア総合情報庁長官・駐米大使を務めたトゥルキー・アル=ファイサル英語版アラビア語版等がいる。

脚注

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  1. ^ “King Faisal's eight sons”. Lewiston Evening Journal. https://news.google.com/newspapers?id=j58gAAAAIBAJ&sjid=m2gFAAAAIBAJ&pg=1190,870999&dq=kamal+adham&hl=en 2015年2月5日閲覧。 
  2. ^ a b Saudi-European Relations: Towards a Reliable Partnership”. European Policy Centre. 2015年2月5日閲覧。
  3. ^ The Royal Embassy of Saudi Arabia Homepage”. 2012年9月19日閲覧。
  4. ^ “Discreetly, Saudis speculate about the throne succession”. M&C News. (20 November 2009). http://news.monstersandcritics.com/middleeast/features/article_1514417.php/Discreetly-Saudis-speculate-about-the-throne-succession-Feature 2015年2月5日閲覧。 
  5. ^ Royal Decree to add Prince Saud Al Faisal, Prince Mohammed bin Naif”. Kingdom of Saudi Arabia Supreme Economic Council (16 November 2009). 2015年2月5日閲覧。
  6. ^ 皇太子にムハンマド内相=近親者で基盤固め-サウジ国王 時事ドットコム 2015年4月29日
  7. ^ 中東かわら版 2015年4月30日(pdf)
  8. ^ サウド前外相死去=世界最長在任40年-サウジ 時事通信 2015年7月10日閲覧
  9. ^ a b “Briefing”. The Guardian. (25 September 1985). http://image.guardian.co.uk/sys-files/Politics/documents/2006/10/27/PJ5_39BriefforThatcherSept85.pdf 2015年2月5日閲覧。 
  10. ^ “China’s Growing Energy Relations”. Chine Brief. (11 July 2007). http://www.frankhaugwitz.de/doks/security/2007_07_China_Energy_Middle_East.pdf 2015年2月5日閲覧。. 
  11. ^ APHSCT Townsend February 6 meeting with foreign minister Prince Saud al Faisal. WikiLeaks. (24 February 2007). WikiLeaks cable: 07RIYADH367. オリジナルの1 January 2011時点におけるアーカイブ。. http://mirror-wikileaks.de/cable//2007/02/07RIYADH367.html 2 January 2011閲覧。. 
  12. ^ Abramowitz, Michael, and Robin Wright. "Saudi Arabia Asks U.S. to Intervene in Lebanon." The Washington Post, 24 July 2006. 29 May 2011. [1]
  13. ^ a b Saudi plan for anti-Hezbollah force revealed, AFP via YNet, 12 August 2010
  14. ^ “Saudis give up on Lebanon mediation talks”. CNN. (19 January 2011). http://www.cnn.com/2011/WORLD/meast/01/19/lebanon.saudis/ 
  15. ^ WikiLeaks: Saudi King Abdullah Encouraged U.S. to Attack Iran; Chinese Politburo Hacked Into Google – Daily Intel”. NY Mag. 2015年2月5日閲覧。
  16. ^ [2]
  17. ^ After King Fahd” (Policy Paper). Washington Institute (22 July 1994). 2015年2月5日閲覧。
  18. ^ a b c Foreign Policy: A Prince's Mysterious Disappearance”. NPR. 2015年2月5日閲覧。
  19. ^ Saudi Arabia: HRH Prince Saud Al Faisal bin Abdulaziz Al Saud”. American Bedu. 2015年2月5日閲覧。
  20. ^ “Saudi's foreign minister undergoes abdominal surgery”. Arabian Business. (12 August 2012). http://www.arabianbusiness.com/saudi-s-foreign-minister-undergoes-abdominal-surgery-469461.html 2015年2月5日閲覧。 
  21. ^ “King Visits Prince Saud Al Faisal”. Saudi Press Agency. (19 August 2012). http://www.spa.gov.sa/English/readsinglenews.php?id=1023595&content_id=&scroll=1 2015年2月5日閲覧。 
  22. ^ “الديوان الملكي: نجاح عملية أجراها سعود الفيصل”. Al Arabiya. (25 January 2015). http://www.alarabiya.net/ar/saudi-today/2015/01/24/%D8%A7%D9%84%D8%AF%D9%8A%D9%88%D8%A7%D9%86-%D8%A7%D9%84%D9%85%D9%84%D9%83%D9%8A-%D9%86%D8%AC%D8%A7%D8%AD-%D8%B9%D9%85%D9%84%D9%8A%D8%A9-%D8%A3%D8%AC%D8%B1%D8%A7%D9%87%D8%A7-%D8%B3%D8%B9%D9%88%D8%AF-%D8%A7%D9%84%D9%81%D9%8A%D8%B5%D9%84.html 2015年2月5日閲覧。 
  23. ^ صاحب السمو الملكي الأمير سعود الفيصل وزير الخارجية”. المملكة العربية السعودية وزارة الخارجية. 2012年9月25日閲覧。
公職
先代
ファイサル・ビン・アブドゥルアズィーズ
サウジアラビアの旗 サウジアラビア外務大臣
1975年 - 2015年
次代
アーディル・アル=ジュベイルアラビア語版英語版