公正発展党
公正発展党 Adalet ve Kalkınma Partisi | |
---|---|
党首 | レジェップ・タイイップ・エルドアン |
成立年月日 | 2001年8月14日 |
本部所在地 | トルコ、アンカラ |
大国民議会 |
265 / 600 (44%) |
政治的思想・立場 |
右派[1] 保守主義[2] (国民保守主義) (社会保守主義[3][4]) 国粋主義[3] イスラム主義[3] 新オスマン主義[5][6][7] エルドアン主義 右派ポピュリズム[8][9] 欧州懐疑主義[10][11] |
国際組織 |
なし (欧州保守改革同盟に加盟していたが、2017年のクーデター未遂事件での対応で除名) |
公式サイト | [1] |
公正発展党(こうせいはってんとう、トルコ語: Adalet ve Kalkınma Partisi, AK Parti, AKP[12])は、トルコのイスラム原理主義政党で、ガザ地区で活動する武装勢力ハマスの母体で日本を含む複数の国でテロ組織指定[13]を受けているムスリム同胞団と強い関連を持つ[14][15]。ハマスとイスラエルとの紛争では、ハマス側に対して[16]負傷者を受け入れるなどの組織的支援を行っている[17]。2002年からトルコの政権与党であり、親イスラム主義政党福祉党、およびその後継政党である美徳党を前身としている。
沿革
[編集]公正発展党の前身は、1997年に軍部の圧力下で(2月28日キャンペーン)非合法化された親イスラム主義政党の福祉党、およびその後継政党である美徳党である。
2001年6月22日の美徳党の解党を受け、前イスタンブール市長のレジェップ・タイイップ・エルドアン、アブドゥッラー・ギュル、ビュレント・アルンチュら美徳党の若手活動家らを中心に、公正発展党が旗揚げされた。このとき元福祉党党首ネジメッティン・エルバカンの流れを汲む旧美徳党党首レジャイ・クタンらの古参幹部は至福党を起こし、旧美徳党系政党は分裂している。なお2017年より駐日大使を務めるハサン・ムラト・メルジャンも公正発展党設立メンバーである。
公正発展党は、前述の2月28日キャンペーンによる福祉党の閉鎖を受けて、「保守的民主主義」を宣言し、当初は経済自由主義や世俗主義との親和性を強調した。2002年11月3日に行われた総選挙においては中道右派政党の支持者から票を奪い得票率34.26%を獲得して第1党となる。得票率10%に満たない政党には議席が配分されないトルコの選挙制度に基づいて550議席中363議席を獲得する地すべり的な勝利を収め、単独与党となった。このとき、党首のエルドアンは被選挙権が剥奪されていたために議員になれず、首相には副党首のギュルが就任する。エルドアンが被選挙権を回復して補欠選挙に当選し、首相に就任するのは翌2003年の3月である。
公正発展党は、結党直後から、軍部や司法関係者からは、国是である世俗主義原則を脅かす存在として警戒心をもって見られてきた。2002年の総選挙では、投票直前の10月23日に、検事総長によって公正発展党解散に向けた提訴が行われたが、却下される事件も起きた。
2007年に、司法界出身で世俗主義擁護派で知られたセゼル大統領が任期満了を迎えるにあたり、後任の大統領候補として、副首相兼外相のギュルを擁立した。しかし、ギュルは、軍によって「宗教的反動勢力」として認定・弾圧された福祉党出身であり、また「イスラム復興」を標榜していたため、世俗主義擁護派の世論の猛反発を受けるなど、政教分離をめぐる論争では、世俗主義勢力と明白な緊張関係にあった。
ギュルの大統領選擁立問題をめぐっては、議会によるギュルの大統領選出が憲法裁判所に違憲と判断されたことで頓挫したことを受け、公正発展党政権は、国民の信を問うとして同年7月22日に総選挙を前倒しで実施した。5年間の同党政権下で行った経済発展の継続を訴えたこの選挙で、公正発展党は前回選挙の得票率を10ポイント以上上回る得票率46.7%を獲得、再び議会の過半数を制した。
2014年8月、党首であったエルドアンが直接選挙で大統領に選出されたため党を離れたことにともない、アフメト・ダウトオールが後任の党首に就任した。
2015年6月に行われた総選挙では、第1党を維持したものの大きく議席を減らし、過半数の維持に失敗した[18]。しかし、連立協議が成功せず同年11月に行われた再選挙では過半数を上回る317議席を獲得した。
2015年秋ごろより大統領権限を強化する憲法改正を巡り、困難視するダウトオール党首が推進するエルドアン大統領と対立するようになり、2016年5月にダウトオール党首が首相と党首を辞任[19][20]。後任の首相・党首には、エルドアン大統領の側近にして運輸海事通信大臣のビナーリ・ユルドゥルムが就任した[21]。
2017年4月に国民投票が行われ憲法が改正され大統領の政党所属が可能になったことを受け[22]、エルドアン大統領が5月2日に公正発展党に復党し、その後21日には公正発展党党首に復帰した[23]。
2018年5月には、当初2019年11月に予定されていた大統領・議会同日選挙を1年以上も前倒しした選挙で民族主義者行動党との選挙協力によりかろうじて与党の座を死守した。
2019年12月13日、ダウトオール元党首が離党を宣言し、新たに未来党を結成した[24]。
政策
[編集]公正発展党は、2001年の結党から2002年の総選挙までの間は、公共の場での飲酒やレストランでのアルコール飲料の販売の禁止をうったえるなど、急進的なイスラム化政策を打ち出すこともあった。その後、選挙運動中および選挙後は改革政党としての面を前面に出し、また、国会議場でのスカーフ着用問題を回避するため、女性立候補者はすべてスカーフを着用しない人物を登用するなど、イスラム色を抑え、中道右派を標榜していた。
しかし、翌2003年には、イラク戦争時の米軍の領内通過案(大量の造反者を出し、賛成票が反対票を上回るものの、出席議員の過半数に満たず、否決)や、刑法改正(姦通罪の新設を目指すが、民法上の妻以外に私的に複数の妻を持つ公正発展党議員が反対。条項廃案。[要出典])など、イスラムが絡む場面では大量の造反者を出しており、必ずしもイスラム色が抑えられているとはいいがたいところを見せている。
当初は共和人民党との対抗のため、クルド人との和解や融和を掲げていたが、2010年代以降、国粋主義政党の民族主義者行動党[25][26]との連立をするようになってからはイスラム色や民族主義色を前面に打ち出すようになった。
名称
[編集]同党の正式名称は公正発展党(Adalet ve Kalkınma Partisi 英語名称は"Justice and Development Party")だが、この呼称が使われることは、一般の報道をはじめ、公正発展党自らの選挙ポスターなどですらほとんど無く、通常はAK Parti(発音:アク・パルティ)の呼称が用いられる。もともとAKという党名が考案され、公正発展という意味は後付けであるバクロニムとされる。AKとはトルコ語で「白色」を意味するが、通常使われるBeyazと異なり、「正義」や「公正」といった意味も含まれる。
シンボルマークは光る電球。標語は公式のものではないが、「すべてはトルコのために(Her Şey Türkiye İçin)」が好んで用いられる。地方選挙などでは、トルコの部分が自治体名に変えられることもある。
総選挙での得票率、獲得議席数
[編集]公正発展党が参加した総選挙での得票率、獲得議席数は以下の通り[27][28][29]。
年 | 党首 | 得票数 | 得票率 | 獲得議席 |
---|---|---|---|---|
2002年 | レジェップ・タイイップ・エルドアン | 10,808,229 | 34.3% | 363 |
2007年 | レジェップ・タイイップ・エルドアン | 16,340,534 | 46.7% | 341 |
2011年 | レジェップ・タイイップ・エルドアン | 21,399,082 | 49.8% | 327 |
2015年6月[30] | アフメト・ダウトオール | 18.347.747 | 40.66% | 258 |
2015年11月(再選挙) | アフメト・ダウトオール | 23,681,926 | 49.5% | 317 |
2018年[31] | レジェップ・タイイップ・エルドアン | 21,333,172 | 42.56% | 295 |
2023年 | レジェップ・タイイップ・エルドアン | 19,387,412 | 35.63% | 268 |
歴代党首
[編集]- レジェップ・タイイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdoğan 在任2001年-2014年)
- アフメト・ダウトオール(Ahmet Davutoğlu 在任2014年-2016年)
- ビナリ・ユルドゥルム(Binali Yıldırım 在任2016年-2017年)
- レジェップ・タイイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdoğan 在任2017年-)
脚注
[編集]- ^ Soner Cagaptay (17 October 2015). “Turkey's divisions are so deep they threaten its future”. Guardian 18 January 2021閲覧。
- ^ 「トルコ総選挙、与党が予想外の圧勝」『CNN.co.jp』2015年11月2日、1-2面。2020年10月26日閲覧。
- ^ a b c Nordsieck, Wolfram (2018年). “TURKEY” (英語). Parties and Elections in Europe. 2020年10月26日閲覧。
- ^ Yavuz, M. Hakan (2009) (英語). Secularism and Muslim democracy in Turkey. ケンブリッジ大学出版局. p. 105. ISBN 978-0-521-88878-3 2020年10月26日閲覧. "Social conservatism and economic liberalism are the two principal features of the AKP."
- ^ Osman Rifat Ibrahim. “AKP and the great neo-Ottoman travesty”. Al Jazeera. 7 June 2015閲覧。
- ^ Yavuz, M. Hakan (1998). “Turkish identity and foreign policy in flux: The rise of Neo‐Ottomanism”. Critique: Critical Middle Eastern Studies 7 (12): 19–41. doi:10.1080/10669929808720119.
- ^ Kardaş, Şaban (2010). “Turkey: Redrawing the Middle East Map or Building Sandcastles?”. Middle East Policy 17: 115–136. doi:10.1111/j.1475-4967.2010.00430.x.
- ^ Esra Özcan (2019) (英語). Mainstreaming the Headscarf: Islamist Politics and Women in the Turkish Media. Gender and Islam. Bloomsbury Publishing. p. PT34. ISBN 978-1-7883-1401-5 2020年10月26日閲覧. "The election period witnessed the rise of the Kurdish opposition leader Selahattin Demirtaş, a rival that could threaten the AKP's right-wing populism with populism from the Left within the Turkish political scene."
- ^
- Gunes, Cengiz (2013). The Kurdish Question in Turkey. Routledge. p. 270.
- Konak, Nahide (2015). Waves of Social Movement Mobilizations in the Twenty-First Century: Challenges to the Neo-Liberal World Order and Democracy. Lexington Books. p. 64
- Jones, Jeremy (2007). Negotiating Change: The New Politics of the Middle East. I.B. Tauris. p. 219
- ^ Baris Gulmez, Seckin (February 2013). “Rising euroscepticism in Turkish politics: The cases of the AKP and the CHP”. Acta Politica 48 (3): 326–344. doi:10.1057/ap.2013.2 .
- ^ Gülmez, Seçkin Barış (April 2020). “Rethinking Euroscepticism in Turkey: Government, Opposition and Public Opinion”. Ekonomi, Politika & Finans Araştırmaları Dergisi 5 (1): 1–22. doi:10.30784/epfad.684764 .
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- ^ “ムスリム同胞団 | 国際テロリズム要覧(要約版)”. 公安調査庁. 2023年2月3日閲覧。
- ^ https://ahvalnews.com/muslim-brotherhood/turkey-becomes-biggest-muslim-brotherhood-backer-world
- ^ Aykan Erdemir, Merve Tahiroglu (2017年6月25日). “Why Turkey Chose Qatar” (英語). The National Interest. 2019年5月10日閲覧。
- ^ “ガザ支援投下、イスラエルが拒否 ハマス擁護のトルコが要請”. 時事通信社. 2024年6月2日閲覧。
- ^ “「ハマス1000人超」受け入れ=国内病院で治療中―トルコ大統領”. 時事通信社. 2024年6月2日閲覧。
- ^ トルコ総選挙で与党が過半数割れ=クルド系が初議席(ウォール・ストリート・ジャーナル 2015年6月8日)
- ^ “トルコ首相が辞意表明、党首選も出馬せず-大統領との権力闘争に敗北”. bloomberg.co.jp (ブルームバーグ). (2016年5月5日) 2016年5月5日閲覧。
- ^ “トルコ首相、辞任表明…大統領との確執取りざた”. 読売新聞. (2016年5月5日) 2016年5月5日閲覧。
- ^ トルコ:新首相に大統領側近 毎日新聞 2016年5月23日
- ^ “トルコ、大統領に強権…「改憲」僅差の勝利”. 読売新聞. (2017年4月17日) 2017年4月17日閲覧。[リンク切れ]
- ^ エルドアン党首が復活=大統領に権力集中-トルコ 時事通信 2017年5月21日付
- ^ “トルコ与党、一部分裂 元首相が新党、政権に打撃”. 日本経済新聞. (2019年12月14日) 2020年11月27日閲覧。
- ^ Arman, Murat Necip (2007). “The Sources Of Banality In Transforming Turkish Nationalism”. CEU Political Science Journal (2): 133–151.
- ^ Eissenstat, Howard. (November 2002). Anatolianism: The History of a Failed Metaphor of Turkish Nationalism. Middle East Studies Association Conference. Washington, D.C.
- ^ Milletvekili Genel Seçimi sonuçları (トルコ政府統計局 国政選挙結果 1983年-2002年)
- ^ Ntvmsnbc Secim 2007 Archived 2008年9月21日, at the Wayback Machine.(NTV MSN NBC 2007年総選挙結果特集(トルコ語))
- ^ “AK Parti”. AECR. 2014年8月31日閲覧。
- ^ 2015年6月総選挙、最終集計結果発表 (Radikal紙)(東京外国語大学 「日本語で読む中東メディア」)
- ^ “Erdogan won polls with 52.59 pct votes: Election body”. Anadolu Agency. (2018年7月4日) 2018年7月6日閲覧。