アブー・ムハンマド・アル=ジャウラーニー
アブー・ムハンマド・アル=ジャウラーニー | |
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أبو محمد الجولاني | |
第2代シャーム解放機構司令官 | |
就任 2017年10月1日 | |
前任者 | アブー・ジャービル・シャイフ |
シャーム征服戦線司令官 | |
任期 2016年7月28日 – 2017年1月28日 | |
前任者 | 新設 |
後任者 | 廃止 |
ヌスラ戦線司令官 | |
任期 2012年1月23日 – 2016年7月28日 | |
前任者 | 新設 |
後任者 | 廃止 |
個人情報 | |
生誕 | 1982年(41 - 42歳)[1] リヤド, サウジアラビア[1][2] |
兵役経験 | |
所属組織 | 現在: シリア救済政府 (2017年–現在) シャーム解放機構 (2017年–現在) 過去: アル=カーイダ (2003年–2016年)[3]
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軍歴 | 2003年–現在 |
最終階級 | 最高司令官 (シャーム解放機構) |
戦闘 |
アフマド・フサイン・アッ=シャルウ(アラビア語: أحمد حسين الشرع, Aḥmad Ḥusayn al-Sharʿ[4] 1982年生)、戦闘名(通称)アブー・ムハンマド・アル=ジャウラーニー(文語アラビア語発音: أبو محمد الجولاني, Abū Muḥammad al-Jawlānī)は、シリア内戦における反体制派の軍事指導者、シリアの政治家。
2017年以降、シャーム解放機構(HTS)の第2代アミール(司令官)を務めている[5]。かつてはアル=カーイダのシリア支部であったヌスラ戦線の司令官を務めていた[6]が、2016年にヌスラ戦線と共にアル=カーイダと絶縁[7]して交戦関係となった。2017年、旧ヌスラ戦線系組織などを統合してシャーム解放機構を設立した[8]。アル=カーイダはジャウラーニーを「裏切者」と批判し、シャーム解放機構からの離反者を中心に宗教の守護者(フッラース・アッ=ディーン、シリアのアル=カーイダ)を組織し対抗したが、ジャウラーニーとシャーム解放機構は2020年にこれと全面衝突して壊滅させた[9]。
2014年9月28日に発した音声声明では、ジャウラーニーは「アメリカ合衆国とその同盟者」と戦っていると述べ、麾下の戦闘員たちにもISILとの戦いの中で西側諸国の支援を受け取ってはならないと指示していた[10]。アメリカ国務省は2013年5月にジャウラーニーを特別指定国際テロリストに指定し[11]、4年後には彼の逮捕につながる情報提供者に1000万ドルの懸賞金を出すと発表した[12][13][14]。
しかしジャウラーニー自身は2010年代後半から、他のジハード主義勢力と距離を取り、組織内の過激派を抑え、アサド政権打倒のみに集中して欧米に歩み寄る姿勢を見せるなどしており、その主張や行動は大幅な変化を見せている。対外的にも自身やシャーム解放機構の穏健化したイメージの発信を積極的に試みている。2024年のCNNのインタビューに対しては、戦闘名の「アル=ジャウラーニー」ではなく本名で応え、西側諸国に戦争を仕掛ける意思はないと述べ、キリスト教徒を含む宗教的・民族的なマイノリティを保護することを誓っている[15][16]。
名前
[編集]本名はアフマド・フサイン・アッ=シャルウ(アラビア語: أحمد حسين الشرع, Aḥmad Ḥusayn al-Sharʿ, 口語風カタカナ表記例:アハマド・フセイン・アッ=シャルアなど)で、ファーストネームがアフマド、父の名前がフサイン(口語発音:フセイン)、アッ=シャルウ(口語発音:アッ=シャルア)は家名に当たる[17]。
日本語メディアではファーストネームを英語読みしたアーマド、アーメドを含むアーメド・アル・シャラア[18]、や家名から定冠詞アルを省いたものを含むアフマド・シャラア[19]、アフマド・シャラ[20]などのカタカナ表記も用いられている。
戦闘名(偽名)のアブー・ムハンマド・アル=ジャウラーニーは「ゴラン高原出身のムハンマド父」という意味で、文語発音依拠と口語発音依拠に伴う発音・表記揺れが複数存在する。
文語アラビア語発音:
أبو محمد الجولاني(Abū Muḥammad al-Jawlānī(アブー・ムハンマド・アル=ジャウラーニー), 英字表記例:Abu Muhammad al-Jawlani[21])
口語アラビア語発音例:
アブー・モハンマド・アル=ジョウラーニー、アブー・モハンマド・アル=ジョーラーニー、アブー・モハンマド・アル=ジューラーニー(英字表記例:Abu Mohammad al-Joulani[22]/al-Jolani[23]/al-Golani[24][25]/al-Julani[26]など)
アブー・ムハンマド(文語アラビア語発音: أبو محمد, Abū Muḥammad)は「ムハンマドの父」を意味するクンヤ。日本語メディアでは主に長母音を省いたカタカナ表記であるアブ・ムハンマド[27]、アブ・ムハマド[28]、アブ・モハメド[29]、アブ・モハマド[30]、アブ・モハメッド[31]、アブ・モハンメド[32]などが混在している。
「アル=ジャウラーニー」というニスバは、1967年の第3次中東戦争以来大部分をイスラエルの占領下に置かれているゴラン高原のアラビア語名 アル=ジャウラーン(アラビア語:اَلْجَوْلَان, 文語アラビア語発音:al-Jawlānないしはal-Jaulān、口語的アラビア語発音例:al-Joulān(アル=ジョウラーン), al-Jolān(アル=ジョーラーン), al-Julān(アル=ジューラーン) に由来、形容詞化したものに当たり[33]、ゴラン高原生まれの父を持ち自身がゴラン高原にルーツを持つことに由来[17]するとされている。
日本語メディアでは主に長母音を省いたカタカナ表記である(アル・)ジャウラニ[34]、(アル・)ジョウラニ[35]、(アル・)ジョラニ[36]、(アル・)ジュラニ[37]、(アル・)ジャラニ[38]などが混在している。
来歴
[編集]家系
[編集]アフマド・フサイン(口語アラビア語発音:アフマド・フセイン、アル=ジャウラーニー)の実家はかつてシリアのゴラン高原で暮らしていたが、1967年の第三次中東戦争でここを占領したイスラエルにより追い出された。ジャウラーニーの父フサイン・アッ=シャルウ(口語アラビア語発音:フセイン・アッ=シャルア)は、シリアで活動する学生活動家で、ナーセル主義者・アラブ・ナショナリストであった。しかし1961年と1963年のクーデターでシリアとエジプトの連合国家が解体し、バアス党が政権を握ると、ジャウラーニーの父は投獄された[39]。
その後ジャウラーニーの父は脱獄に成功し、高等教育修了のためイラクへ渡った。この時期には、パレスチナ解放機構のフィダーイユーンと連携するためヨルダンにも赴いた。1970年代にハーフィズ・アル=アサド独裁政権下のシリアに帰国し、再び投獄されたが、後に解放されサウジアラビアへ亡命した[40]。
農民の家に生まれてバグダード大学で経済学の学位を取ったという経歴を持つジャウラーニーの父は、サウジアラビアの石油業界で働くとともに、いかに石油などの天然資源がアラブ世界の発展と経済統合の加速に寄与するかを論じる本を多数著した。余剰資本を鍵となる分野、すなわち教育、農業、そして特に軍事へ投資すべき、というのが彼の主張であった[41]。
前半生
[編集]1982年、ジャウラーニーはサウジアラビアの首都リヤドで生まれ、石油技術者として働く父とともに幼少期を過ごした。1989年、一家はシリアに戻り、ジャウラーニーはダマスカスのメッゼ地区東部の別荘地で育った[1]。
シリアにおける彼の一家は都市部の中流家庭という位置づけであり、母は学校の教師として、父は石油産業コンサルタントとしてシリア首相マフムード・アッ=ズウビーのもとで働いていた。ジャウラーニーは「人を操るような知性」を持つが「内向的」な青年であったと言われている。アラウィー派の「美貌」の少女との浮名を流したこともあったが、これは両家に拒絶され破局したという[41]。
イラク戦争
[編集]2021年にアメリカのドキュメンタリー番組『フロントライン』のインタビューで語ったところによれば、ジャウラーニーは2000年の第2次インティファーダに17、18歳の時に遭遇し、先鋭的な思想に染まるようになった。インタビューの中で彼は「どうすれば、占領者と侵略者に抑圧されている人々を守るという自分の使命をまっとうできるのか、と考えるようになりました。」と語っている[42][43]。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロに感激した[41]ジャウラーニーは、有志連合による2003年イラク攻撃が始まる1週間前にバスでダマスカスからバグダードへ赴いた。そしてアル=カーイダのイラク支部 (AQI)に参加し、瞬く間に頭角を現した[42]。タイムズ・オブ・イスラエル紙は、当時のジャウラーニーはAQI指導者アブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィーの側近だったとしている[25]。
一方でジャウラーニー自身は2021年のインタビューでこれを否定し、ザルカーウィーとは会ったこともなく、アメリカによるイラク占領に抗うAQIのごく一般の歩兵だったと主張している。2006年にイラク内戦が勃発する前に、ジャウラーニーはアメリカ軍に逮捕され、アブグレイブ刑務所、ブッカ基地、クロッパー基地、タージ基地といった各地の牢を転々とした[44]。
シリア内戦
[編集]シリアでの蜂起とヌスラ戦線設立
[編集]2011年にシリア革命が勃発し、続いて内戦に突入すると、それに前後して釈放されていたジャウラーニーは莫大な資金とアル=カーイダ勢力拡大の任務を帯びてシリアに戻った。この頃イラクのアル=カーイダ指導部とジャウラーニーの関係は思わしくなく、指導部はジャウラーニーがイラクを出たことに満足していたほどであったが、ともかくジャウラーニーはアル=カーイダのシリア支部としてヌスラ戦線を立ち上げるためアブー・バクル・アル=バグダーディーと調整を進めた。ヌスラ戦線とバグダーディー率いる「イラクのイスラム国」(ISI)は2013年まで同盟関係にあり、ジャウラーニーとバグダーディーの間で紛争が起きた場合はアル=カーイダ司令官アイマン・ザワーヒリーが仲介するという取り決めがなされていた。しかしこのISILとの活動が続くにつれて、ジャウラーニー自身は次第に国際ジハーディストの思想から距離を置くようになり、自身の組織をシリア内戦内でのナショナリスト闘争の文脈へと軌道修正しようと試みるようになった[42]。
当初ISIはジャウラーニーに、兵員、武器、シリアでのアル=カーイダ拡大のための資金を融通していた。これは、ジャウラーニーが解放後にISI指導者たちと立てていた計画に沿ったものであった[45]。
2012年1月、ヌスラ戦線が正式に設立を宣言し、ジャウラーニーはその「総司令官」となった。12月、アメリカはヌスラ戦線をテロ組織と認定し、実態はAQI、ISIと同じであり別名を騙っているにすぎないとした[46]。ジャウラーニーの指導下で、ヌスラ戦線はシリア内戦を戦う最強勢力の一つへと台頭していった[25]。
ISILとの衝突
[編集]2013年4月、バグダーディーがヌスラ戦線とISIを統合し「イラクとレバントのイスラム国」 (ISIL)をとすると宣言した。しかしこれはヌスラ戦線の指揮権、意思決定、作戦遂行をすべてバグダーディーの直接管理下に置くというものであり、ジャウラーニーは明確に拒絶の意思を示した。ヌスラ戦線の独立性を保つべく、ジャウラーニーはバグダーディーではなくアル=カーイダ指導者のザワーヒリーに忠誠を誓い、その支持を得た。
これまでヌスラ戦線はISIを通じて間接的にアル=カーイダの組織に参画していたが、ここでISI(ISIL)を飛ばしてザワーヒリーに従ったことで、正式にシリアにおけるアル=カーイダの支部となった[47][48]。バグダーディーもザワーヒリーに忠誠を誓っていたにもかかわらず、この新たな体制を拒否した。その結果、シリア内における支配領域をめぐってヌスラ戦線とISILは敵対関係となり、軍事衝突するに至った[49][25]。
ヌスラ戦線の復活
[編集]2015年5月、ジャウラーニーはカタールの放送局アルジャジーラのアフマド・マンスールのインタビューに覆面で応じた。ジャウラーニーは、ジュネーヴで行われた和平会議を茶番と断じ、西側諸国の支援を受けてこの会議に参加していたシリア国民連合はシリア国民を代表しておらず、シリアにおける実効的な存在感も無いと主張した。その一方でジャウラーニーは、「ヌスラ戦線に、西側諸国の標的を攻撃するような計画や意志はありません。我々はザワーヒリー師から、シリアをアメリカやヨーロッパを攻撃する発射台としてはならない、体制と戦うという真の任務の妨げにならないようにするためである、という明確な指令を受けています。アル=カーイダがそれをやっているとしても、ここシリアではそうではありません。我らが戦う相手の一つとしてアサド軍、二つ目にヒズボラ、3つ目にISILがあります。これらすべて彼ら同士の利益のために動いているのです。」と述べ、西側諸国との対立よりもアサド政権やISILとの戦いを優先する意思を明らかにした[50]。
また内戦終結後のシリアの展望について問われたジャウラーニーは、誰かが「イスラム国家を樹立する」前に、国内のすべての派閥と協議することになるだろうと述べた。また彼は、少数派のアラウィー派がアサド政権を支持しているとしても、ヌスラ戦線が彼らを攻撃目標とすることはないとした。「我々の戦争は、アラウィー派に対する復讐などと言ったものではありません。彼らがイスラームにおいては異端とされているという事実があっても、です。」[50]。ただこのインタビューに付された解説によれば、ジャウラーニーは、アラウィー派が自身の信条から「イスラームに反する」要素を捨てない限りは捨て置かれる、とも主張したとしている[51]。
2015年10月、ジャウラーニーはアラウィー派村落への無差別攻撃を呼びかけた。これはロシアがアサド政権側として内戦に介入し、スンニ派地域を空襲したことへの報復であり、ジャウラーニーは「戦闘をエスカレートさせ、ラタキアのアラウィー派の街や村を攻撃目標とするほかに選択肢はなかった」と主張した[52]。またジャウラーニーは、旧ソ連圏のムスリムに対しロシア市民を襲撃するよう呼びかけた[53][54]。
シャーム征服戦線
[編集]2016年7月28日、ジャウラーニーは録音音声で声明を発し、ヌスラ戦線を「シャーム征服戦線」に改称すると宣言した[55]。この声明の中で、ジャウラーニーは新組織が「いかなる外部組織とも提携関係は無い」と述べた。これについてアル=カーイダとの断交宣言であるとみる説もあるが、ジャウラーニー自身はアル=カーイダとの関係やかつての自身のザワーヒリーに対する忠誠宣言に言及しなかった[56]。
シャーム解放機構(HTS)
[編集]2017年1月28日、ジャウラーニーはシャーム征服戦線の解散と、新たに他の組織も包含して拡大したシリアにおけるイスラーム組織シャーム解放機構(HTS)の設立を宣言した。HTSはアル=カーイダやISILと争う立場を明確にし、西側諸国に歩み寄る姿勢を示した。アル=カーイダ、ISIL、その他の対立勢力との争いを勝ち抜いたHTSは、イドリブ県の大部分を支配下におさめ、シリア救済政府を通じて統治するようになった[57]。
イドリブ統治
[編集]2017年11月、ジャウラーニーとHTSはイドリブ県の支配地域に行政部門としてシリア救済政府を設立し、国家のような体制を築きはじめた。これには、従来の過激派組織としての対外イメージを払拭し、安定した統治能力を持った組織であるとアピールする意図もあったとされている。かつて過激派の戦士として顔を隠し、公への露出を避けていたジャウラーニー自身も、ここでは積極的に民衆と交流したり、難民キャンプを訪問したりしている。また2023年の大地震でイドリブ県が大きな被害を受けた際には、みずから援助活動を監督した。また安定した統治遂行のために公共サービスの整備に力を入れる一方で、政府軍や周辺の他の反政府勢力と争い、排除していった。例えば2020年には、アル=カーイダがHTSからの離反者を中心に組織した宗教の守護者(フッラース・アッ=ディーン、シリアのアル=カーイダ)と全面衝突し、壊滅させた[9]。
2021年にアフガニスタンでターリバーンが政権に復帰すると、ジャウラーニーはこれを「目的のために戦術的妥協を行い、ジハーディスト活動と政治的目標の達成を両立させたモデルになった」と称賛した[9]。
イドリブ県は歴史的にシリアで最も貧しい地域であったが、ジャウラーニーの統治下で、シリア内で最も著しい成長を遂げた。新たに豪勢なショッピングモール、住宅地、24時間無休の電力供給が整備され、これはダマスカスをもしのぐ進展であった。18,000人が学ぶ大学をはじめとした教育体制も整備された。一方で、トルコからの輸入品や検問所で見つかった密輸品に高い関税をかけるという政策や、それまでこの地域の主要通貨であったトルコ・リラの価値下落に伴う経済的影響などから批判や不満も上がっている[58]。
2024年3月、イドリブ県で「ジャウラーニーを倒せ」というスローガンを掲げた大規模な反ジャウラーニー抗議デモが勃発し、約1か月にわたり数百から数千の人々が各地の都市で抗議活動を展開した。原因は複数あり、ジャウラーニーを批判した数千人が投獄され暴力を受けている疑惑が出たこと、またHTSが比較的高い税率を市民に課していることなどが指摘された[58]。刑務所での暴力・虐待疑惑について、後にジャウラーニーは「我々の命令や指示によるものではない」とし、関係者の追及を進めていると主張した[15]。
こうした反発に対し、ジャウラーニーは前年夏に実施した治安維持作戦で逮捕していた数百人の抑留者を釈放するなど譲歩策をとった。解放された中には、かつてジャウラーニーの副官だったアブー・マリア・アル=カフターニーをはじめ、政争でジャウラーニーに排除されたHTSのメンバーも含まれていた。またジャウラーニーは、地方選挙の実施と避難民の雇用機会拡大を約束した。その一方で、抗議者には彼らを「裏切者」と呼ぶなど警告の脅しもかけていた[58]。
北隣のトルコは、もともとはアサド政権に対抗する意図から、電力を供給したり建設物資の自由な輸出を認めたりしてHTS支配地域の安定化を支援していた。しかしジャウラーニーの影響力が拡大してくると、警戒したトルコはイドリブへの越境貿易に制限を書けるようになり、これがHTSの減収につながっている。またジャウラーニーも、トルコが管理下に置いている北シリアの地域を2度にわたり奪おうと試みていたと報じられている[58]。
2024年末の大攻勢
[編集]2024年11月末、HTSを中心とする反体制連合組織の軍事作戦司令部が奇襲攻撃を開始し、政府軍との数年ぶりの大規模衝突に入った。反体制派は1週間のうちに急速に勢力を拡大し、シリア北部の要衝アレッポを8年ぶりに奪還した[59]。
アレッポ制圧の過程で、ジャウラーニーは麾下の軍に「子どもを怖がらせる」ことがないよう命じ、またHTSの報道機関もアレッポ市民が普段通りにクリスマスを祝っている様子を報じた。政府軍がアレッポから排除された後、ジャウラーニーは「多様性は力である」と宣言した。HTSは占領したアレッポでごみ収集、電気・水供給といった基本インフラを速やかに再開させた。HTS傘下のザカート総合委員会はパンの緊急配給を始め、穀物貿易加工総合機構は地元のパン屋への燃料供給を始めた。発展・人道援助省は、「我ら共に帰る」と題した作戦として65,000ローヴのパンを配給したと報告している[60]。
なお12月1日にインドのニュース雑誌「ザ・ウィーク」が、アラブメディアやソーシャルメディア上でジャウラーニーがロシア軍の空襲により殺害されたという未確認情報を報じた[61]。しかしジャウラーニーは4日に姿を見せてアレッポ城を訪問し、死亡説を否定した[62][63]。
12月6日、ジャウラーニーはCNNの対面インタビューに応じ、大攻勢の目標はアサドを政権の座から追いやることであると述べた。またキリスト教徒などの宗教的・民族的少数派について「他のグループを抹殺する権利は誰にもない。これらの宗派はこの地域で何百年も共存してきており、誰も彼らを排除する権利はないのです」と述べ、少数派グループを保護することを明確に誓った。またイスラームによる統治について、多くの人々が恐れているのは誤ったイスラーム統治を目にしてきたか誤解しているかのどちらかであり、HTSをはじめとした反政府勢力の支配下にはいっても民間人が恐れることはほとんどないと主張した[15]。このインタビューで、ジャウラーニーはその偽名ではなく本名のアフマド・アッ=シャルウの名を使った。CNNのモスタファ・サレムとイシル・サリユチェは、ジャウラーニーがかつてアル=カーイダの拡大を喧伝していた自身のイメージを刷新し、再構築しようとしていると分析している。ジャウラーニー自身も、「20代の人は、30代や40代の人、そしてもちろん50代の人とは性格が異なります。これが人間の本性なのです。」と述べ、自身のかつてのイメージを認めながらもすでに決定的な転向を遂げたことを強調した[15]。
国際危機グループのダリーン・ハリファによれば、ジャウラーニーは軍民両方の統治機構を強固なものとするため、HTSの解体をも検討しているという[64]。また彼は国外へ脱出しているシリア難民の帰郷を促進する意思も示している[65]。
ドキュメンタリー
[編集]2021年6月1日に放映されたPBSの『フロントライン』のドキュメンタリー「ジハーディスト」は、進行中のシリア内戦の文脈を通じてジャウラーニーの過去を探るという内容であった[66]。インタビューの中で、かつてアル=カーイダに所属していたという過去について問われたジャウラーニーは、以下のようにコメントしている。
この地域の歴史、そしてここ20か30年の間に何が起きていたのかを考える必要があります......今ここでは、暴君たちによって、鉄の拳と治安組織を使う人々によって支配されてきた地のことを話しているわけです。同時に、この地域は数え切れぬ紛争と戦争に取り囲まれてきました......私たちがこの歴史の部分を取り払うことはできないし、そう、それで諸々あってアル=カーイダに参加したのです。数千人もの人々がアル=カーイダに身を投じたわけですが、彼らがアル=カーイダに参加した背景にある理由に目を向けてみませんか?それこそが問題なのです。この地域における第二次世界大戦後のアメリカの政策に、人々をアル=カーイダ組織へ駆り立てた責任があるのでしょうか?この地域におけるヨーロッパ人の政策に、人々がパレスチナ問題に共感を覚えたり、シオニスト体制(イスラエル)がパレスチナ人に対して行っている所業に反応したりしていることへの責任があるのでしょうか? ......それとも、打ち壊され抑圧され、例えばイラクやアフガニスタンで起きたようなことに耐え忍んでいる人々に、彼らに責任があるというのでしょうか......?我々が過去にアル=カーイダに関与したのはそういう時代で、そしてそれは終わったのであり、また我らがアル=カーイダとともにあったその時でさえ我々は外へ攻撃を繰り出すのに反対していたし、シリアからヨーロッパ人やアメリカ人を標的にするような対外作戦を行うというのは完全に我々のポリシーに反するものであります。そのようなことは私たちの計算には全く入っていませんし、全く実施しなかったのです。[67]
脚注
[編集]- ^ a b c “بعد شهور.. الجولاني يكشف عن أسرار حياته لمارتن سميث”. Al Alam TV. (5 June 2021). オリジナルの7 June 2021時点におけるアーカイブ。 7 June 2021閲覧。
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- ^ “Julani is a temporary leader of the "Liberation of the Sham" .. This is the fate of its former leader”. HuffPost (2 October 2017). 2 October 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。2 October 2017閲覧。
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関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Abu Muhammad al-Golani 対過激主義プロジェクトが掲載しているプロフィール