オーストリア軍
連邦陸軍 Bundesheer | |
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本部 | オーストリア ウィーン |
指揮官 | |
連邦大統領 | アレクサンダー・ファン・デア・ベレン |
連邦国防大臣 | クラウディア・タナー |
総人員 | |
兵役適齢 | 17 |
徴兵制度 | あり |
適用年齢 | 16-49 |
-適齢総数 |
男性 1,941,110、年齢 16-49 女性 1,910,434、年齢 16-49 |
-実務総数 |
男性 1,579,862、年齢 16-49 女性 1,554,130、年齢 16-49 |
-年間適齢 到達人数 |
男性 48,108 女性 45,752 |
現総人員 | 25,963 |
財政 | |
予算 | 24億ユーロ (2012年度) |
軍費/GDP | 0.8% |
産業 | |
国内供給者 |
シュタイヤー・マンリヒャー グロック |
国外供給者 |
フランス ドイツ スウェーデン イタリア アメリカ合衆国 |
オーストリア軍(オーストリアぐん、ドイツ語: Bundesheer、連邦陸軍)は、オーストリアの国軍。
最高指揮官は大統領であるが、実質的な権限は首相が有する。オーストリア軍の管理・運営は連邦国防省が行う。
この記事では主に陸軍について取りあげる。
歴史
[編集]オーストリア軍は、陸軍と空軍とヤークトコマンドの三軍種から成る。オーストリア=ハンガリー帝国時代はアドリア海沿岸を支配していたため海軍を保有していたが、第一次世界大戦敗北に伴う帝国の解体後は完全な内陸国となったため海軍は保持しておらず、ドナウ川の警備を担当する警備艇部隊も2006年に解散した。
オーストリア=ハンガリー帝国解体後のオーストリア第一共和国はオーストリア第一共和国軍[注 1]を有していたが、サン=ジェルマン条約により総兵力は3万人に制限されたほか、徴兵制禁止・軍用航空機の保有禁止・毒ガスの製造および研究の禁止などヴェルサイユ条約に匹敵する厳しい軍備制限を課せられた。
1938年のアンシュルスによりオーストリア第一共和国軍はドイツ国防軍に編入され、オーストリア国内にはウィーンに司令部を置く第17軍管区と、ザルツブルクに司令部を置く第18軍管区が設置された。
第二次世界大戦後の連合軍軍政期にはオーストリアもドイツと同様に米英仏ソの4か国に分割占領された[注 2]。分割占領中の1949年には内務省指揮下の連邦憲兵隊に属する特別部隊という位置づけで準軍事組織たるB憲兵隊が編成され、オーストリア国家条約調印後の1956年にオーストリア連邦軍として再編され現在に至る。
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機構
[編集]二軍
[編集]河川警備
[編集]1958年にドナウ川の治安維持を目的とし、陸軍に小型の警備艇(オーベルスト・ブレヒト)を運用する小規模の水上部隊を編成した。主に水上交通の監視を行い、1970年には武装艇(ニーダーエスターライヒ)も就役したが、1994年に警備艇を製造した会社が倒産し維持が困難になったことに加え、任務内容が警察でも可能な範囲にとどまっていたことから、2006年に部隊を解散し河川警備は警察に一本化された。部隊解散後もリッサ海戦の戦勝記念行事などで航行を行っていたが、現在は二隻ともウィーン軍事史博物館に移管され、ニーダーエスターライヒ州コルノイブルクの旧造船所で展示されている。一部の警備艇にはダズル迷彩風の塗装が施されていた。
特殊部隊
[編集]特殊部隊としてヤークトコマンド(猟兵コマンド部隊)が存在している。任務は災害救助任務や特殊作戦など。
装備
[編集]陸軍
[編集]主力戦車
[編集]装甲車両
[編集]整備・工兵車両
[編集]化学戦車両
[編集]- ディンゴ2 AC NBC ×12両[1]
対戦車兵器
[編集]火砲・ロケット砲
[編集]海軍
[編集]「オーストリア海軍艦艇一覧」を参照
空軍
[編集]「オーストリア空軍#装備」を参照
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ホーフブルク宮殿を前を行進する連邦軍儀仗兵
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オーストリア空軍のユーロファイター タイフーン
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リッサ海戦の戦勝記念行事でドナウ川を航行する哨戒艇「ニーダーエスターライヒ」(2008年)
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MG74機関銃を構える第25猟兵大隊の空挺兵
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]外部リンク
[編集]- 国防・スポーツ省公式サイト(ドイツ語、英語)
関連項目
[編集]- 山岳猟兵
- 軍服 (オーストリア)
- オーストリア=ハンガリー帝国軍
- オーストリア第一共和国軍 - 戦間期の第一共和国時代のオーストリア軍。ドイツ語名称は現代と同じくBundesheer。アンシュルスに伴い装備や将兵はドイツ国防軍へ編入される。
- B憲兵隊 - 第二次世界大戦後の連合軍軍政期に組織された内務省所属の準軍事組織。現在のオーストリア軍の前身。