だいせつ
だいせつ | |
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基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 |
日本 ギリシャ |
所有者 |
太平洋沿海フェリー(1975-1982) 太平洋フェリー(1982-1985) 東日本フェリー(1985-1987) ANEK LINES(1987-2015) |
運用者 |
太平洋沿海フェリー(1975-1982) 太平洋フェリー(1982-1985) 東日本フェリー(1985-1987) ANEK LINES(1987-2015) |
建造所 | 内海造船瀬戸田工場(第388番船)[1] |
姉妹船 | いしかり(初代) |
船級 | JG[1] |
信号符字 | SZOJ(LATO) |
IMO番号 | 7394759 |
MMSI番号 | 237006000(LATO) |
改名 |
だいせつ(1975-1985) ばるな(1985-1987) Lato(1987-2015) |
経歴 | |
起工 | 1974年9月20日[1] |
進水 | 1975年3月28日[1] |
竣工 | 1975年6月20日[1] |
就航 | 1975年6月 |
運航終了 | 1987年 |
最後 | 2018年、トルコ・アリアガへスクラップとして売却、その後解体 |
要目 | |
総トン数 |
11,879.24 トン[1] 12,709 トン(改造後) |
載貨重量 | 4,085 トン[1] |
排水量 | 12,880 トン(満載)[1] |
全長 |
175.565 m[1] 188.4m(改造後) |
垂線間長 | 162.00 m[1] |
型幅 | 24.00 m[1] |
型深さ | 14.85 m[1] |
満載喫水 | 6.472 m[1] |
機関方式 | ディーゼル |
ボイラー | 乾燃式船用丸ボイラ OE-7 1基[1] |
主機関 | 三菱-MAN V7V52/55 2基[1] |
推進器 | 2軸[1] |
最大出力 | 27,580 PS(連続)[1] |
定格出力 | 23,440 PS[1] |
最大速力 | 26.217 ノット[1] |
航海速力 |
23.0 ノット[1] 21.5ノット(改造後) |
航続距離 | 3,406海里[1] |
旅客定員 |
905名[1] 607名(改造後) |
乗組員 | 70名[1] |
車両搭載数 |
8トントラック130台、乗用車105台[1] トラック156台、乗用車100台(改造後) |
だいせつは、太平洋沿海フェリーが運航していたフェリー。後に東日本フェリーに売却され、ばるな(初代)となった。
概要
[編集]1974年9月20日いしかり(初代)に続いて内海造船瀬戸田工場で起工開始され第388番線として建造された。
1975年3月に進水の後、1975年6月に名古屋 - 仙台 - 苫小牧航路に就航した。
1978年4月に船体延長工事を実施、1982年に太平洋フェリーへの営業譲渡に伴い同社へ継承された。
その後業務提携先の東日本フェリーへ大洗航路開設に向け譲渡される形となり[2]、1985年1月に売却さればるな(初代)に改名。塗装の変更や船内のリニューアル、右舷船首部への折りたたみ式ランプウェイ設置といった改造工事の後、同年3月4日に室蘭港に試験寄港[3]、3月16日に大洗 - 室蘭航路に就航[4]、室蘭発の便を第1便とした[5]。 船名はインド神話の宇宙一切の秩序を司り水運の神とも崇められる神「ヴァルナ」から名付けられた[6]。
1987年に2代目「ばるな」の就航に伴いギリシャのen:ANEK LINESに売却され、Latoと改名、1989年まで客室を増設するなど大規模な改装工事を受けた。パトラ〜イグメニッツァ〜コルフ〜アンコーナ航路に就航、その後、1997年以降はピレウス〜ハニア航路を中心に運航された。
2014年にベラマで係船された後、2014年リビア内戦における救助作戦のため一時用船された。
2015年からしばらくキノソウラでの係船の後、2018年6月にトルコのアリアガにスクラップとして売却された。
回航の際、船名はLATOからTALATONに変更され、主機関故障より自力航海できない為、タグボートによる曳航により回航され、トルコのアリアガ船舶解体ヤードで解体された。
設計
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
全通船楼二層甲板型の自動車航送旅客船である[1]。
太平洋沿海フェリー時代の船体延長工事では、船体を12.5メートル延長して車両搭載能力を強化した。この改造により車両搭載面積は約6パーセント増加、8トントラック14台が新たに搭載可能となった[7]がこの船体延長工事には無理があり、定検時に溶接箇所にクラックが見つかることあった
東日本フェリー売却後は、右舷船首部に折りたたみ式ランプウェイを新設、内装の一部リニューアルが行われている[8]。
船内
[編集]トラックの搭載能力を重視した船型ながら、2層建て展望室、和風レストラン、当時としては比較的珍しい展望浴室など旅客設備も充実していた。船室・設備のデータは東日本フェリー「ばるな」時代のものである。
船室
[編集]- 特等特別室(2名)
- 特等室(80名)
- 1等室(124名)
- 特2等室(120名)
- 2等室(195名)
- ドライバーズルーム(86名)
設備
[編集]- 売店・案内所
- 展望室「シーロンジ」
- スナック
- レストラン
- 和風レストラン
- 展望大浴場・サウナ室
- ゲームコーナー
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 船の科学(1975年7月号,p20)
- ^ 第2部蔦井與三吉の死とグループ形成期 第4章大洗航路への道 - 東日本フェリー30年史(東日本フェリー 1995年)
- ^ ようこそばるな室蘭~大洗 室蘭活性化の起爆剤に3月4日、試験航海で初入港 - 広報むろらん1985年3月15日号(室蘭市役所)
- ^ 室蘭←20時間→大洗 希望を満載して21世紀へ船出 活性化へのスタートと友好を深めた第1船同乗ルポ - 広報むろらん1985年4月1日号(室蘭市役所)
- ^ 室蘭苫小牧-大洗間フェリー歓声背に第一船出港 - 北海道新聞1985年3月17日朝刊3面
- ^ 室蘭←20時間→大洗3月16日に第1船就航ビジネス旅行に活用しましょう - 広報むろらん1985年3月1日号
- ^ 世界の艦船(1980年2月号,p152)
- ^ 世界の艦船(1985年5月号,p48)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- MarineTraffic.com - LATO - 自動船舶識別装置(AIS)による現在位置表示