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新東日本フェリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新東日本フェリー株式会社
Shin Higashi Nihon Ferry Co.,Ltd
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
064[1]
北海道札幌市中央区南4条西11丁目1292-4 蔦井ビル[1]
本店所在地 104
東京都中央区銀座3-10-4 共同ビル新銀座
(東京本社)[2]
設立 1972年1月14日[2]
業種 海運業
代表者 蔦井政信(代表取締役社長)[3]
資本金 8億円[4][2]
支店舗数 2[2]
主要株主 東日本フェリー
丸善石油
同和火災海上保険
全国農業協同組合連合会[5]
特記事項: 1985年解散[3]
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新東日本フェリー株式会社(しんひがしにほんフェリー 英:Shin Higashi Nihon Ferry Co.,Ltd[2])は、かつて日本に存在した海運会社。

概要

[編集]

東日本フェリーの関東 - 道央間の航路開設を念頭に置いた長距離フェリー航路進出による航路網強化を目的として、東日本フェリーと同社役員や丸善石油・同和火災海上保険の出資により1972年に設立[6]。苫小牧 - 仙台・苫小牧 - 鹿島の2航路の開設を計画し[7]、1973年2月に苫小牧 - 仙台航路の免許を取得し同年12月に就航[8]。その後鹿島航路計画は鹿島港を工業港・大洗港を流通港とする茨城県の方針を受け大洗港への航路計画に変更されている[9]

会社のスローガンには栄光・勝利を意味する「VICTORY」を据えてイメージ戦略を行い「V」にスピード感や力強さと企業の躍進をイメージしたものとし、船名は「V」から始まる星座や神話にまつわる命名を行い、その後親会社東日本フェリーの新造船にも同様の命名が踏襲された[10]。また仙台 - 苫小牧航路が仙台七夕や北海道・航海と星に深い縁があるものとして「スターライン」の愛称が付けられ[10]、後に東日本フェリーが運航する八戸 - 室蘭・苫小牧航路といった中距離航路にも同愛称が用いられている[11][12]

しかしオイルショックの影響もあり関東方面の航路計画が停滞し[9]、設立当初の計画を下回る営業成績となり[13]、設立以来赤字が続き1984年3月期末にて約22億円の累積欠損が生じており[14]、また短距離航路と長距離航路で設立当初存在していた海員の就労体制の差が無くなったこともあり大洗 - 室蘭航路就航に向けた企業基盤の強化を目的として1984年10月に東日本フェリーへ苫小牧 - 仙台航路事業を譲渡し翌年3月に解散[13]

沿革

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  • 1971年
    • 10月7日 - 東日本フェリー取締役会にて新会社設立を決定[6]
    • 12月30日 - 創立総会実施[6]
  • 1972年
    • 1月14日 - 会社設立、資本金1億円[6]
    • 7月 - 鹿島航路計画の代替として苫小牧 - 大洗・室蘭 - 大洗航路の免許を申請[9]
  • 1973年
    • 2月20日 - 苫小牧-仙台間の一般旅客定期航路事業認可[8]。 
    • 8月 - 資本金を4億円に増資[5]
    • 12月16日 - 苫小牧-仙台航路開設、第一船「べが」就航、当初隔日で運航[8][5]
  • 1974年4月21日 - 「びるご」就航、苫小牧-仙台航路を毎日運航に増便[8]
  • 1975年4月 - 東日本フェリーと営業部門を統合[15]
  • 1977年 - 所有船2隻を東日本フェリーに売却、用船による運航とし累積損失の解消を図った[8]
  • 1983年5月 - 大洗-北海道航路開設に向けて太平洋フェリーと調整を行い仙台-苫小牧航路を隔日運航に減便[16]
  • 1984年
    • 2月 - 新東日本フェリーら8社が大洗港関連のフェリー航路申請を取り下げる。その後東日本フェリーが再度室蘭-大洗航路を申請[17]
    • 10月26日 - 苫小牧 - 仙台航路事業を東日本フェリーに譲渡[13]
    • 12月20日 - 解散登記[3]
  • 1985年3月15日 - 清算結了[3]

航路

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  • 苫小牧 - 仙台(565km、所要時間約17時間 隔日運航)[18]
計画のみ
  • 苫小牧 - 鹿島(771km、所要時間約20時間 設立当初)[7]
  • 苫小牧 - 大洗/室蘭 - 大洗(1972年免許申請[9]、1984年取り下げ[17]

船舶

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6,702総トン、全長136.58 m、幅22.4 m、航海速力21.5ノット、最大出力18,900馬力。
旅客定員:712名。車両積載数:8tトラック75台・乗用車60。内海造船瀬戸田工場建造。1973年12月竣工。
6,709総トン、全長136.58 m、幅22.4 m、航海速力21.5ノット、最大出力18,900馬力。
旅客定員:712名。車両積載数:8tトラック75台・乗用車60。内海造船瀬戸田工場建造。1974年4月竣工。
計画のみ
  • 10,000総トン級フェリー[21]
全長165m、幅27m、航海速力24ノット、出力20,000馬力。
旅客定員1,000名。鹿島-苫小牧航路用に計画。

参考文献

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  • 『社史 創業より二十年』東日本フェリー、1986年11月30日。 

脚注

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  1. ^ a b 日本アルマナック1985(教育社 1985年)1401頁
  2. ^ a b c d e 新東日本フェリー株式会社 - 海運業者要覧1984(日本海運集会所 1983年)528頁
  3. ^ a b c d 東日本フェリー(1986年)、223頁。
  4. ^ 新東日本フェリーが11月内に解散 11.07日刊自動車 - 運輸と経済1985年1月号(交通経済研究所)
  5. ^ a b c 会社紹介新東日本フェリー株式会社 - 旅客船104号(日本旅客船協会 1974年)
  6. ^ a b c d 東日本フェリー(1986年)、77頁。
  7. ^ a b 東日本フェリー(1986年)、81頁。
  8. ^ a b c d e 東日本フェリー(1986年)、91頁。
  9. ^ a b c d 東日本フェリー(1986年)、162頁。
  10. ^ a b 東日本フェリー(1986年)、154-155頁。
  11. ^ 北海道と本州を10航路でネットワーク スターライン&レインボーライン 東日本フェリー - 北方圏1984年冬号(北方圏センター)17頁
  12. ^ 東日本フェリー(株)道~本州間輸送に使命感 - 北海道の中堅100社(日本経済新聞社 1978年)148-149頁
  13. ^ a b c 東日本フェリー(1986年)、161頁。
  14. ^ 大洗開設で子会社を合併東日本F - 内航近海海運速報版1984年10月30日号
  15. ^ 機構改革、観光部門を強化東日本フェリー系三社 - 北海道新聞1976年1月30日朝刊6面
  16. ^ 東日本フェリー(1986年)、165頁。
  17. ^ a b 東日本フェリー(1986年)、166頁。
  18. ^ 東日本フェリー(1986年)、186頁。
  19. ^ 新造船写真集 自動車航走旅客船べが - 船の科学1973年12月号
  20. ^ 新造船写真集 自動車航走旅客船びるご - 船の科学1974年5月号
  21. ^ 東日本フェリー(1986年)、82頁。