青ヶ島
青ヶ島 | |
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所在地 | 日本 東京都青ヶ島村 |
所在海域 | 太平洋(フィリピン海) |
座標 | 北緯32度27分28秒 東経139度45分33秒 / 北緯32.45778度 東経139.75917度 |
面積 | 5.97 km² |
海岸線長 | 9 km |
最高標高 | 423 m |
プロジェクト 地形 |
青ヶ島(あおがしま)は、伊豆諸島に属し、本諸島の有人島としては最も南に位置する、温暖湿潤気候の火山島である。海面上の島は北北西-南南東3.5km、西南西-東北東2.5kmであるが、海面下の基底15km×8km、海底からの比高は1100mの火山の頂上部である。本島は、日本の気象庁によって火山活動度ランクCの活火山に指定されており[1]、また、常時観測火山にも選定されている[2][3]。
いつ頃から人が本島に定住するようになったかについては不明であるが、徐福伝説によれば、男女が同じ島に住むと神の祟りがあると信じられた時代があり、女人禁制の島だったとされる。本島が歴史上に表れるのは15世紀頃からであるが、海難事故を記録したものが殆どである[4]。
地理
青ヶ島全体が、行政区分としては、東京都青ヶ島村に属している。しかし、青ヶ島は、本州から遥か南方の太平洋上に位置し、一番近い八丈島からは南へ約70km離れている。なおかつ、連絡船のあおがしま丸[5]やゆり丸の悪天候に因る欠航が多く、ヘリコプターの『東京愛らんどシャトル』[6]は定員が少ないという往来の困難さゆえに観光目的で島を訪れる人は年間900人から多くても1800人程度までである。
地形
本島は世界でも珍しい端正な二重式カルデラの複成火山で[7]、いくつかの異なった火道により形成された小成層火山からなる複成火山[8]。海面上の島として見ると北端部にやや古い黒崎火山が残存し、他は主成層火山からなる。主成層火山の頂部には直径約1.6kmのカルデラ(池之沢火口)の中央には丸山という内輪山(中央火口丘)がある。しかし、島の周囲のまで着目すれば、島自体はより大きな海中カルデラ全体の高まりの一つに過ぎず、第1東青ヶ島海丘・第2東青ヶ島海丘・第3東青ヶ島海丘などと共に島の北東にある海中カルデラの外輪山となっている[7]。なお、第2青ケ島海丘と第3青ケ島海丘の間にも更にカルデラがある、つまり、青ヶ島と周辺海域には火口・カルデラ地形が幾つも重なっている。
この島における最高地点は丸山を取り囲んでいる外輪山の北西部分に当たる大凸部で、そのは標高423mである。外輪山の外側は高さが50mから200mまでになるほどの直立する海食崖になって海岸線に落ち込んでいるために、海沿いには殆ど平坦地が無く、砂浜は無い。本島の北部でカルデラの外側の岡部に、休戸郷と西郷の2つの集落が存在する。また、本島の北端部やカルデラ内の数か所には多数の地熱蒸気噴気孔『ひんぎゃ』が在り、黒崎海岸には海中温泉も在る[7]。
集落・山から海岸・岩礁等に至るまでの全てに名前が付けられている。
- 池之沢
- 二重式火山のカルデラ内部の領域
- この地名は天明の大噴火以前には大小2つの池が在ったことに由来する。『池之沢』内は『金土ヶ平』や樹齢230年を越える杉『大杉』が茂る『恋ヶ奥』などに細分化される
- 『ひんぎゃ』が多く存在し、絶滅危惧種の大谷渡が群生している。
- 浜路ヶ平
- 天明の大噴火以前には池之沢の東南部に集落を有した(現在は無人である)狭隘な平坦地
- 岡部
- 休戸郷と西郷の集落がある青ヶ島北部
- 東側が休戸郷で西側が西郷である。また、それら中間のは中原とも言われることもある。村営住宅の名称等に「中原」が使われている。
- 住宅や公共施設等は全てこのに集中している。このは、島の大部分を占める二重式火山の池之沢に対して、岡部と呼ばれることもある。
- 神子ノ浦
- 岡部の東側の断崖の下の岩石海岸
- 集落から平面距離的には近いために20世紀半ばまでは船着場としても使われていた
- 当地まで断崖絶壁を降りる道が崩落しており、辿り着くのは困難である。
- 大凸部
- 外輪山の北西に位置する標高423mの山で青ヶ島の最高地点でもある
- 大人ヶ凸部
- 外輪山東南部に位置する標高334mの山
- 丸山
- 1785年の天明の大噴火で形成された標高223mの内輪山(火口丘)
- 内輪山を1周することができるように整備された丸山遊歩道の途中には、富士様と呼ばれる神社がある。
- 尾山
- 外輪山北側の展望公園として整備されている標高400mの頂
- 大千代
- 島の南東部にある岬
- 1994年頃に付近の斜面が崩落して道路が寸断されてしまったためにそこに有る港(埠頭)には近付けない
火山活動史
青ヶ島は第四紀火山である。最近1万年間の活動は主成層火山で発生している。約3600年前に北西山腹で割れ目噴火があった。
- 約3000年前 大規模なマグマ水蒸気爆発が発生し、火砕サージが全島を覆った。3000年前から2400年前までの間に、本島の南東部にあった火口状の凹地を埋める溶岩流とスコリアが噴出し、東部や北部に多量のスコリアが降下する噴火も発生した。その後、岩屑雪崩が発生して、最終的には池之沢火口が形成された[9]。
- 1652年 噴煙が上がり[10]、1670年より約10年間に亘って大池より火山灰が噴出した[11]。
- 1780年7月 群発地震が発生し、8月に大池・小池の水位と水温が上昇した。
- 1781年5月3日 に地震が群発し、翌日には降灰が起こった。
- 1785年4月18日 に発生した火山活動により全家屋63戸が焼失した[7]。火口内に溶岩流とスコリアによる丸山火砕丘が形成され、翌年の噴火に掛けて成長した。この天明の大噴火は5月末まで続いたとされる。このとき、島民327人のうち八丈島への避難が間に合わなかった130人余りが死亡したと考えられており、1824年に名主の佐々木次郎太夫らが還住(全島帰還)を果たすまでの約40年間に亘って無人島になった。
18世紀の活動以降は、顕著な火山活動は無い。噴気活動も少なく、池の沢火口内壁と丸山周辺に水蒸気を主成分とする噴気が見られるだけである[8]。
交通
青ヶ島内における公共交通機関は皆無である。また、三宝港から集落までは遠く離れており、その道中の勾配も急峻であり、徒歩や自転車での移動は困難である。観光客に関しては、レンタカーを利用するか宿泊先の民宿に車での送迎を頼む場合が多い。
道路
- 東京都道236号青ヶ島循環線[12]
- 三宝港から西側のカルデラ外部を通って集落へ向かう道は崩落のため通行不能になっている。
- 三宝港と池之沢(カルデラ内部)を結ぶ青宝トンネル(505メートル)が1985年に開通した。また、1992年にはカルデラ内側の東側に平成流し坂トンネルが開通し、交通事情は改善されている。
航路
- 底土港-三宝港
- 2014年1月より、貨客船のあおがしま丸が底土港(八丈島)または八重根漁港と三宝港(青ヶ島)の間を片道3時間で週4往復している[13]。
- 欠航が続いた場合には、日曜日に臨時運航されることも有る。
- それ以前の2013年12月までは、旅客船の還住丸が八重根漁港(八丈島)と三宝港(青ヶ島)の間を日曜日を除いて毎日1往復し、の片道2時間30分で就航していた[14]。
- また同時期まで、貨物船の黒潮丸が底土港(八丈島)と青ヶ島三の宝港の間を片道4時間で毎週土曜日に1往復していた。嘗ては旅客も扱っていたが、運用末期には原則として貨物専用ということになっていた。
本島に存在する港は2箇所あり、それらのいずれも集落から遠く離れたカルデラの断崖絶壁の下に建設されている。一つは南西部の存在する三宝港(青ヶ島港)で、他方は南東部の存在する大千代港である。嘗ての三宝港は、漁船やはしけ程度の船舶しか着けられないようなささやかな船着場であり、沖合いに停泊した船から、艀に拠るピストン輸送で人の乗降や物資の搬入出はする他は無く、荷揚げに時間を要した。また、少しの高波でも作業が出来なくなるために就航率が極端に低く、天候急変による作業中の船舶の離脱も遭って積み残しが多かった。しかし、その後151億円を投じて整備された[15]同港には防波堤を兼ねた貨物船用の波止場も建設され、500t級の船舶が着岸できるようになった。 就航率は、付近の黒潮の激しさと天候に左右され易く、6割弱で、特に海が荒れやすい冬場は、週に1度から10日に1度程度という低い状態が続いていた。このため、それを補うべく、本島の南東部に大千代港が建設されたが、港へ至る道路が大きく崩壊して利用できなくなっている。
空路
- 八丈島空港-青ヶ島ヘリポート
- ヘリコプターの『東京愛らんどシャトル』が、1993年8月25日より、八丈島空港と青ヶ島ヘリポートの間を片道20分で毎日1往復している。
- 就航率は9割弱で、欠航が続いた場合や青ヶ島村長からの要請が有る場合は臨時便として定期便の飛行前及び1日の飛行後(御蔵島から八丈島に戻ってきた後)に増発されることもある。
- 貨客船のあおがしま丸の就航率が低く『東京愛らんどシャトル』自体の定員も9名と少ないことから、満席となることも多いため、早めの予約が必要である。
空路の『東京愛らんどシャトル』は航路のあおがしま丸よりも運賃は高いが、気象条件に左右されて欠航しがちな航路に比較して就航率が約9割と遥かに高いために、本島民の主たる足となっている。八丈島に向けてヘリコプターが離陸する際には、送迎者が手を振り青ヶ島駐在所の警察官が敬礼する風景が見られる。このヘリコミューターが開設される前は、一旦海況が悪化すると、一切の物資が届かず来島者も帰れないという状態が半月以上続くことが珍しくなかった。
通信
携帯電話網
- Xi
- 青ヶ島全域で使用可能
- au 4G LTE・SoftBank 4G LTE
- 岡部付近でのみ使用可能である
関連著作
- 映画
- 『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』[16]
- 『アイランドタイムズ』[17]
注釈
- ^ "火山噴火予知連絡会による活火山の選定及び火山活動度による分類(ランク分け)について" (PDF) (Press release). 気象庁. 21 January 2003.
- ^ "火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山" (PDF) (Press release). 気象庁. 30 June 2009.
- ^ "中長期的な噴火の可能性の評価について -監視・観測体制の充実等の必要な火山の選定-" (PDF) (Press release). 気象庁 火山噴火予知連絡会・火山活動評価検討会. 30 June 2009.
- ^ “青ヶ島について”. 青ヶ島役場. 2016年7月1日閲覧。
- ^ “八丈島⇔青ヶ島”. 伊豆諸島開発. 2016年7月1日閲覧。
- ^ “東京愛らんどシャトル -予約・空席照会・運航情報-”. 東邦航空. 2016年7月1日閲覧。
- ^ a b c d “青ヶ島”. 海上保安庁 海洋情報部. 2016年7月1日閲覧。
- ^ a b 青ヶ島:青ヶ島火山の地質と活動史-天明以前の有史の火山活動-1781-1785天明の噴火 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
- ^ “青ヶ島”. 気象庁. 2016年7月1日閲覧。
- ^ 『八丈島年代記』安田存政、1854年。
- ^ 『南方海島志』秋山富南、1791年。
- ^ “青ヶ島の都道”. 東京都 八丈支庁. 2016年7月1日閲覧。
- ^ “2014年1月 青ヶ島への海のアクセスが変わります。”. 八丈島観光協会. 2013年12月24日閲覧。
- ^ “ドォーモ”. KBC九州朝日放送. 2013年1月24日閲覧。
- ^ “再評価結果一覧表” (PDF). 国土交通省. 2016年7月1日閲覧。
- ^ 中川信夫(監督)・左幸子・宇野重吉・杉村春子・沼田曜一 (29 November 1955). 青ヶ島の子供たち 女教師の記録 (映画). 新東宝.
- ^ 深川栄洋(監督)・柳沢太介・仲里依紗・児島美ゆき・寺田農 (21 February 2007). アイランドタイムズ (映画). フジテレビジョン.
- ^ 『アイランドタイムズ』フジテレビ出版、2007年2月21日。ISBN 978-4-594-05324-6 。
- ^ 『鬼虫』小学館〈ビッグコミックスピリッツ〉 。