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* 1993年 6月18日自民党を[[武村正義]]グループとして集団離党し6月21日[[新党さきがけ]]の結成に参加、[[第40回衆議院議員総選挙]]に旧福岡2区から同党公認で出馬し、3期目の当選。 |
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* 1995年 衆議院[[外務委員会|外務委員長]]に就任。 |
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* 1996年 新党さきがけ国会対策委員長。小選挙区制導入後の[[第41回衆議院議員総選挙]]に[[福岡県第9区|福岡9区]]([[北九州市]]西部)から新党さきがけ公認で出馬するが、[[新日本製鐵]]などの[[労働組合|労組]]勢力の強い選挙区事情から[[新進党]]・[[民社協会]]前職 |
* 1996年 新党さきがけ国会対策委員長。小選挙区制導入後の[[第41回衆議院議員総選挙]]に[[福岡県第9区|福岡9区]]([[北九州市]]西部)から新党さきがけ公認で出馬するが、[[新日本製鐵]]などの[[労働組合|労組]]勢力の強い選挙区事情から[[新進党]]・[[民社協会]]前職の北橋に敗北し落選(76,974票)。 |
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* 1997年 落選中に新党さきがけを離党し自民党に復党。復党後は自身が以前属した竹下派の流れ汲む小渕派。 |
* 1997年 落選中に新党さきがけを離党し自民党に復党。復党後は自身が以前属した竹下派の流れ汲む小渕派。 |
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* 2000年 [[第42回衆議院議員総選挙]]に自民党公認で福岡9区から出馬するが、落選(81,809票)。 |
* 2000年 [[第42回衆議院議員総選挙]]に自民党公認で福岡9区から出馬するが、落選(81,809票)。 |
2021年10月15日 (金) 06:05時点における版
三原 朝彦 みはら あさひこ | |
---|---|
生年月日 | 1947年5月23日(77歳) |
出生地 | 日本 福岡県遠賀郡遠賀町 |
出身校 |
一橋大学法学部 カールトン大学大学院 |
所属政党 |
(自由民主党→) (新党さきがけ→) 自由民主党(竹下派) |
称号 |
法学士(一橋大学) 国際関係学修士(カールトン大学) |
親族 | 父・三原朝雄 |
公式サイト | あさやんnet |
選挙区 |
(旧福岡2区→) (比例九州ブロック→) 福岡9区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 |
1986年7月8日 - 1996年9月27日 2003年10月21日 - 2009年7月21日 2012年12月19日[1] - 現職 |
三原 朝彦(みはら あさひこ、1947年5月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党総務副会長。衆議院議員(8期)。福岡県遠賀郡遠賀町出身。
経歴
- 1966年 福岡県立東筑高等学校卒業[2]。
- 1972年 一橋大学法学部卒業。
- その後 アメリカ・カナダ留学(ダグ・ハマーショルド大学留学・カールトン大学大学院国際関係学部修士課程修了)を経て父親の秘書等を務める。
- 1986年 第38回衆議院議員総選挙に旧福岡2区から自民党公認(田中派)で出馬し初当選、同区で民社党公認北橋健治(現北九州市長)も初出馬初当選。
- 1990年 第39回衆議院議員総選挙に旧福岡2区から自民党公認(竹下派)で出馬し2期目の当選。
- 1992年 防衛政務次官に就任。
- 1993年 6月18日自民党を武村正義グループとして集団離党し6月21日新党さきがけの結成に参加、第40回衆議院議員総選挙に旧福岡2区から同党公認で出馬し、3期目の当選。
- 1995年 衆議院外務委員長に就任。
- 1996年 新党さきがけ国会対策委員長。小選挙区制導入後の第41回衆議院議員総選挙に福岡9区(北九州市西部)から新党さきがけ公認で出馬するが、新日本製鐵などの労組勢力の強い選挙区事情から新進党・民社協会前職の北橋に敗北し落選(76,974票)。
- 1997年 落選中に新党さきがけを離党し自民党に復党。復党後は自身が以前属した竹下派の流れ汲む小渕派。
- 2000年 第42回衆議院議員総選挙に自民党公認で福岡9区から出馬するが、落選(81,809票)。
- 2003年 第43回衆議院議員総選挙に自民党公認で福岡9区から出馬、選挙区では敗れるが、比例復活し4期目の当選。7年ぶりに国政に復帰する(99,091票)。
- 2005年 第44回衆議院議員総選挙に自民党公認で福岡9区から出馬、小選挙区制移行後で初めて選挙区で勝ち上がり、5期目の当選(121,465票、北橋も比例復活で再選)。衆議院国際テロ・イラク人道支援特別委員会委員長に就任。
- 2006年 中央政治大学院院長に就任。日韓トンネル研究会顧問に就任。
- 2007年8月 党国際局長に就任。
- 2009年8月 第45回衆議院議員総選挙に自民党公認(公明党推薦)で福岡9区から出馬するが[3]、小選挙区で民主党新人の緒方林太郎に敗れ、比例復活もならず落選。
- 2012年12月 第46回衆議院議員総選挙に自民党公認で福岡9区から出馬し6期目の当選。国政へ復帰。
- 2014年12月 第47回衆議院議員総選挙に自民党公認で福岡9区から出馬し7期目の当選。自由民主党副幹事長。
- 2016年1月 衆議院原子力問題特別委員会委員長[4]。
- 2017年10月 第48回衆議院議員総選挙に自民党公認で福岡9区から出馬し8期目の当選[5]。自由民主党総務会副会長[6]。世界銀行国会議員連盟会長[7]。
政策
- 憲法9条の改正と集団的自衛権の行使容認に賛成。
- アベノミクスを評価する。
- 原発は日本に必要だ。
- ヘイトスピーチの法規制に反対。
- 特定秘密保護法は日本に必要だ[8]。
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛成[9][10][11]。
- 「消費税0%の検討」を掲げた『国民を守るための「真水100兆円」令和2年度第2次補正予算に向けた提言』に賛同している[12]。
- 健康増進法を努力規定ではなく義務規定として、受動喫煙防止を徹底することに反対[13]。
人物
- 中選挙区の時代は、旧筑前国のうち北九州市西部と遠賀・直鞍・嘉飯山地域からなる旧福岡2区を地盤としていた。旧福岡2区は、小選挙区制導入後は北九州市地域の福岡9区と、それ以外の地域の福岡8区とに分かれた。三原は遠賀町が地元であるため本来の地盤は福岡8区だが、この地は飯塚市出身の麻生太郎にとっても地盤である。そこで、1996年当時、三原が所属していたさきがけは自民党と連立政権を組んでいたこともあり、当時の最大野党である新進党や同じく日本労働組合総連合会を中心とした新党(旧民主党)に対抗するために調整が行われた結果、遠賀町は北九州市に近いという理由から、三原が9区に回った。
- 三原が支部長を務める自民党福岡県第9選挙区支部が第43回衆議院議員総選挙直前の2003年11月6日に世界基督教統一神霊協会(統一教会)の関連団体である「世界平和連合」から30万円の政治献金を受け取っていたことが、福岡県選挙管理委員会が公表した政治資金収支報告書から判明している[14]。
- 衆議院外務委員長や自由民主党国際協力調査会会長などを務め、アフリカ諸国に対する国際協力などに取り組む[15]
- 2017年7月山際大志郎議員とオマーンを訪問し、齊藤貢特命全権大使らとスナイディ商工相と意見交換を行ったのち、住友商事幹部らとアル・グブラIWP事業の視察などを行った[16]。
- 家族は妻、長女、次女[17]。
- 父は元自民党衆議院議員の三原朝雄
所属団体・議員連盟
- 自民党たばこ議員連盟[18]
- 神道政治連盟国会議員懇談会[19]
- 日本会議国会議員懇談会
- 国際連帯税創設を求める議員連盟
- 先端技術開発促進議員連盟
- 住宅対策促進議員連盟
- 地域航空システム推進議員連盟
- 世界連邦日本国会委員会
- スポーツ議員連盟
- 畜産振興議員連盟
- 憲法調査推進議員連盟
- 農村振興議員協議会
- 郵政事業懇話会
- 自民党国際人材議員連盟
- 日本・AU議員連盟
- 政令指定都市議会議員連盟
- 珠算教育振興議員連盟
- カナダ日本国会議員連盟
- 日本カナダ友好議員連盟
- 日韓議員連盟
- 中小企業金融機関振興議員連盟
- 新税制研究会
- 宇宙開発推進議員連盟
- 北京オリンピックを支援する議員の会
- TPP交渉における国益を守り抜く会
- 工業再配置促進議員連盟
- 司法書士制度推進議員連盟
- 自動車整備議員連盟
- オイスカ国際活動促進議員連盟
- 果樹振興議員連盟
- 長寿社会対策議員連盟
- 情報産業振興議員連盟
- 民間活力推進議員連盟
著作
- 『普通の人から政治家へ-お金のハードルを越えて-』せいごの会、1996年5月。
脚注
- ^ 平成24年(2012年)12月19日福岡県選挙管理委員会告示第136号(衆議院小選挙区選出議員選挙における当選人の住所及び氏名等)
- ^ 公式プロフィール
- ^ 比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)
- ^ 「衆院予算委員長に竹下氏 自公が内定」 日本経済新聞2015/11/20
- ^ 福岡-開票速報-2017衆議院選挙(衆院選):朝日新聞デジタル
- ^ 「総務副会長に三原氏=自民」 時事ドットコムニュース2017/10/31
- ^ 「クリスタリナ・ゲオルギエヴァ世界銀行最高経営責任者(CEO)、本田桂子 多数国間投資保証機関(MIGA)長官及びネナ・ストイコビッチ国際金融公社(IFC)副総裁と世界銀行議員連盟(PNoWB Japan)との意見交換会」 世界銀行2017年11月2日
- ^ 2014衆院選 毎日新聞候補者アンケート
- ^ 政策CPプロジェクト - 衆議院選挙2005アンケート
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ 「<憲法特集>九州・沖縄の国会議員アンケート(3)主なテーマ」、西日本新聞、2016年4月30日。
- ^ “賛同者一覧 国民を守るための「真水100兆円」令和2年度第2次補正予算に向けた提言”. 【議員連盟】日本の未来を考える勉強会. 2020年9月24日閲覧。
- ^ “衆議院議員選挙031109の当選者の回答”. 「子どもに無煙環境を」推進協議会 (2003年11月10日). 2020年11月10日閲覧。
- ^ “統一教会系から30万献金 三原衆院議員が支部長”. 共同通信社. 47NEWS. (2004年11月17日). オリジナルの2013年4月26日時点におけるアーカイブ。 2012年9月20日閲覧。
- ^ 「三原朝彦君の三転び六起きを支援する会」 全国清掃事業連合会
- ^ 「大使館の活動(2017年7月~9月) 」 外務省
- ^ プロフィール
- ^ “2021年7月号_7面”. 全国たばこ新聞 (全国たばこ販売協同組合連合会). (2021年6月25日) 2021年7月11日閲覧。
- ^ 俵義文 『日本会議の全貌』 花伝社、2016年
関連項目
- 末松義規 - 高校・大学の後輩で新党さきがけにスカウトした。
- ユートピア政治研究会
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 三原朝彦 (@miharaasahiko) - X(旧Twitter)
- 三原朝彦事務所 (@asahiko2017) - Instagram
- 三原朝彦 (asahiko.mihara) - Facebook
議会 | ||
---|---|---|
先代 吉野正芳 |
衆議院原子力問題調査特別委員長 2016年 - 2017年 |
次代 高木毅 |
先代 菅直人 |
衆議院外務委員長 1995年 - 1996年 |
次代 関谷勝嗣 |