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* 1972年 [[一橋大学大学院法学研究科・法学部|一橋大学法学部]]卒業。
* 1972年 [[一橋大学大学院法学研究科・法学部|一橋大学法学部]]卒業。
* その後 [[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カナダ]]留学(ダグ・ハマーショルド大学留学・[[カールトン大学]]大学院国際関係学部修士課程修了)を経て父親の[[秘書]]等を務める。
* その後 [[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カナダ]]留学(ダグ・ハマーショルド大学留学・[[カールトン大学]]大学院国際関係学部修士課程修了)を経て父親の[[秘書]]等を務める。
* 1986年 [[第38回衆議院議員総選挙]]に[[福岡県第2区 (中選挙区)|旧福岡2区]]から自民党公認([[木曜クラブ|田中派]])で出馬し初当選。
* 1986年 [[第38回衆議院議員総選挙]]に[[福岡県第2区 (中選挙区)|旧福岡2区]]から自民党公認([[木曜クラブ|田中派]])で出馬し初当選、同区で[[民社党]]公認[[北橋健治]](現北九州市長)も初出馬初当選。
* 1990年 [[第39回衆議院議員総選挙]]に旧福岡2区から自民党公認([[経世会|竹下派]])で出馬し2期目の当選。
* 1990年 [[第39回衆議院議員総選挙]]に旧福岡2区から自民党公認([[経世会|竹下派]])で出馬し2期目の当選。
* 1992年 [[防衛省|防衛]][[政務次官]]に就任。
* 1992年 [[防衛省|防衛]][[政務次官]]に就任。
* 1993年 6月18日自民党を[[武村正義]]グループとして集団離党し6月21日[[新党さきがけ]]の結成に参加、[[第40回衆議院議員総選挙]]に旧福岡2区から同党公認で出馬し、3期目の当選。
* 1993年 6月18日自民党を[[武村正義]]グループとして集団離党し6月21日[[新党さきがけ]]の結成に参加、[[第40回衆議院議員総選挙]]に旧福岡2区から同党公認で出馬し、3期目の当選。
* 1995年 衆議院[[外務委員会|外務委員長]]に就任。
* 1995年 衆議院[[外務委員会|外務委員長]]に就任。
* 1996年 新党さきがけ国会対策委員長。小選挙区制導入後の[[第41回衆議院議員総選挙]]に[[福岡県第9区|福岡9区]]([[北九州市]]西部)から新党さきがけ公認で出馬するが、[[新日本製鐵]]などの[[労働組合|労組]]勢力の強い選挙区事情から[[新進党]]・[[民社協会]]前職[[北橋健治]](現北九州市長)に敗北し落選(76,974票)。
* 1996年 新党さきがけ国会対策委員長。小選挙区制導入後の[[第41回衆議院議員総選挙]]に[[福岡県第9区|福岡9区]]([[北九州市]]西部)から新党さきがけ公認で出馬するが、[[新日本製鐵]]などの[[労働組合|労組]]勢力の強い選挙区事情から[[新進党]]・[[民社協会]]前職北橋に敗北し落選(76,974票)。
* 1997年 落選中に新党さきがけを離党し自民党に復党。復党後は自身が以前属した竹下派の流れ汲む小渕派。
* 1997年 落選中に新党さきがけを離党し自民党に復党。復党後は自身が以前属した竹下派の流れ汲む小渕派。
* 2000年 [[第42回衆議院議員総選挙]]に自民党公認で福岡9区から出馬するが、落選(81,809票)。
* 2000年 [[第42回衆議院議員総選挙]]に自民党公認で福岡9区から出馬するが、落選(81,809票)。

2021年10月15日 (金) 06:05時点における版

三原 朝彦
みはら あさひこ
生年月日 (1947-05-23) 1947年5月23日(77歳)
出生地 日本の旗 日本 福岡県遠賀郡遠賀町
出身校 一橋大学法学部
カールトン大学大学院
所属政党自由民主党→)
新党さきがけ→)
自由民主党(竹下派
称号 法学士(一橋大学)
国際関係学修士(カールトン大学)
親族 父・三原朝雄
公式サイト あさやんnet

選挙区旧福岡2区→)
比例九州ブロック→)
福岡9区
当選回数 8回
在任期間 1986年7月8日 - 1996年9月27日
2003年10月21日 - 2009年7月21日
2012年12月19日[1] - 現職
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三原 朝彦(みはら あさひこ、1947年5月23日 - )は、日本政治家自由民主党総務副会長。衆議院議員(8期)。福岡県遠賀郡遠賀町出身。

経歴

政策

人物

  • 中選挙区の時代は、旧筑前国のうち北九州市西部と遠賀・直鞍・嘉飯山地域からなる旧福岡2区を地盤としていた。旧福岡2区は、小選挙区制導入後は北九州市地域の福岡9区と、それ以外の地域の福岡8区とに分かれた。三原は遠賀町が地元であるため本来の地盤は福岡8区だが、この地は飯塚市出身の麻生太郎にとっても地盤である。そこで、1996年当時、三原が所属していたさきがけは自民党と連立政権を組んでいたこともあり、当時の最大野党である新進党や同じく日本労働組合総連合会を中心とした新党(旧民主党)に対抗するために調整が行われた結果、遠賀町は北九州市に近いという理由から、三原が9区に回った。
  • 三原が支部長を務める自民党福岡県第9選挙区支部が第43回衆議院議員総選挙直前の2003年11月6日に世界基督教統一神霊協会(統一教会)の関連団体である「世界平和連合」から30万円の政治献金を受け取っていたことが、福岡県選挙管理委員会が公表した政治資金収支報告書から判明している[14]
  • 衆議院外務委員長や自由民主党国際協力調査会会長などを務め、アフリカ諸国に対する国際協力などに取り組む[15]
  • 2017年7月山際大志郎議員とオマーンを訪問し、齊藤貢特命全権大使らとスナイディ商工相と意見交換を行ったのち、住友商事幹部らとアル・グブラIWP事業の視察などを行った[16]
  • 家族は妻、長女、次女[17]
  • 父は元自民党衆議院議員の三原朝雄

所属団体・議員連盟

著作

  • 『普通の人から政治家へ-お金のハードルを越えて-』せいごの会、1996年5月。

脚注

  1. ^ 平成24年(2012年)12月19日福岡県選挙管理委員会告示第136号(衆議院小選挙区選出議員選挙における当選人の住所及び氏名等)
  2. ^ 公式プロフィール
  3. ^ 比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)
  4. ^ 「衆院予算委員長に竹下氏 自公が内定」 日本経済新聞2015/11/20
  5. ^ 福岡-開票速報-2017衆議院選挙(衆院選):朝日新聞デジタル
  6. ^ 「総務副会長に三原氏=自民」 時事ドットコムニュース2017/10/31
  7. ^ 「クリスタリナ・ゲオルギエヴァ世界銀行最高経営責任者(CEO)、本田桂子 多数国間投資保証機関(MIGA)長官及びネナ・ストイコビッチ国際金融公社(IFC)副総裁と世界銀行議員連盟(PNoWB Japan)との意見交換会」 世界銀行2017年11月2日
  8. ^ 2014衆院選 毎日新聞候補者アンケート
  9. ^ 政策CPプロジェクト - 衆議院選挙2005アンケート
  10. ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
  11. ^ 「<憲法特集>九州・沖縄の国会議員アンケート(3)主なテーマ」、西日本新聞、2016年4月30日。
  12. ^ 賛同者一覧 国民を守るための「真水100兆円」令和2年度第2次補正予算に向けた提言”. 【議員連盟】日本の未来を考える勉強会. 2020年9月24日閲覧。
  13. ^ 衆議院議員選挙031109の当選者の回答”. 「子どもに無煙環境を」推進協議会 (2003年11月10日). 2020年11月10日閲覧。
  14. ^ “統一教会系から30万献金 三原衆院議員が支部長”. 共同通信社. 47NEWS. (2004年11月17日). オリジナルの2013年4月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130426141211/http://www.47news.jp/CN/200411/CN2004111701000713.html 2012年9月20日閲覧。 
  15. ^ 「三原朝彦君の三転び六起きを支援する会」 全国清掃事業連合会
  16. ^ 「大使館の活動(2017年7月~9月) 」 外務省
  17. ^ プロフィール
  18. ^ “2021年7月号_7面”. 全国たばこ新聞 (全国たばこ販売協同組合連合会). (2021年6月25日). http://zenkyou.xsrv.jp/wp-content/uploads/2021/07/2021%E5%B9%B47%E6%9C%88%E5%8F%B7_7%E9%9D%A2.pdf 2021年7月11日閲覧。 
  19. ^ 俵義文 『日本会議の全貌』 花伝社、2016年

関連項目

外部リンク

議会
先代
吉野正芳
日本の旗 衆議院原子力問題調査特別委員長
2016年 - 2017年
次代
高木毅
先代
菅直人
日本の旗 衆議院外務委員長
1995年 - 1996年
次代
関谷勝嗣
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