Wikipedia‐ノート:検証可能性/目撃・伝聞情報
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Archive05(2007-10~)(打ち切り - 出典無き記述の除去 - 「存命人物の伝記」の問題とのすり替わり - 秀逸な記事への要出典タグ - 「出典不明示は削除」は万能な規定ではないことの確認) - Archive06(2007-12~) - Archive07(2008-08~) - Archive08(2008-12~) -
Archive09(2009-03~)(「『真実かどうか』ではなく『検証可能かどうか』」との文言に関して - 「利用者同士の合意によって覆されるものではない」との文言に関して) -
Archive10(2011-01~)(本方針を根拠とする記事の白紙化について - 存命人物の記事におけるGENREF方式の是非) - Archive11(2016-02~)<(無出典記述の扱いの説明について - 目撃・伝聞情報) - Archive12(2018-03~) (edit)
「自分が目撃した」や「他人から聞いた」などの目撃・伝聞情報を「信頼に乏しい情報」として本文への明文表記について
[編集]上記の通り、『目撃・伝聞情報を「信頼できない情報」として認定し、「信頼に乏しい情報」として本文へ明文化する』の議論をここでしたいと思います。上記でも触れましたが、現在鉄道関連記事は目撃・伝聞情報などから来る、無出典投稿のオンパレード状態であります。勿論全部の投稿記事がそうではありませんが、そういった投稿は後を絶たず差し戻しや、タグなどを貼って注意を促しても効果が少なく、一部の記事は半保護状態にしても、そのような投稿をされるアカウント投稿者(恐らく、IPアドレス投稿時にそういった投稿をした者が、半保護の投稿も出来るようにアカウントを作って投稿しているように思われます。)が現れるなど、収拾が付かない状態に陥ってしまう恐れが、現在の鉄道関連記事の現状であります。他に競馬関連記事においても、レース関連記事で速報的に優勝馬を投稿するとかが起こっているようで、他の分野でも同様のことが起こっているものと推測いたします。よって、そんな投稿者に方針違反をしているとわからせるためにも、目撃・伝聞情報を「信頼できない情報」として認定し、明文表記することが完璧とは言えないまでも、そういった投稿者に注意を促す時に大いなる武器になると思います。現在の本文の「信頼性に乏しい情報源」の節の条文は、
- >あるいは事実確認の機能を欠く情報源(「TVで観た」や「ラジオで聴いた」など)
でありますが、これを
- >あるいは、目撃・伝聞などの事実確認の機能を著しく欠く情報源(「TVで観た」、「ラジオで聴いた」、「自分が目撃した」、「他人から聞いた」など)
に変更することを提案いたします。自身としては、もっと厳しい明文にしてもいいかと思いましたが、これくらいの表現が妥当でしょうか?とにかく、この本文の主題は
「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」
でありますので、目撃・伝聞情報の扱いを方針に加えることも検討するのもありだと思いますが、皆様は如何でしょうか?なお、同時にWikipedia‐ノート:独自研究は載せないでも、これと同様の内容の議論を行っています。ご意見の程宜しくお願い致します。--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月17日 (土) 13:38 (UTC) (文字装飾の消去及びアンダーラインへ変更)--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月24日 (土) 15:00 (UTC)
- こちらですが、Template:Cite signでカバーされるような内容は含まないということでよろしいのでしょうか?現在でも、観光地などに設置されている記念碑とか銘板を見て出典とすることは、非常に良いとは言えないものの一応認められているかと思います。--さえぼー(会話) 2018年2月18日 (日) 04:53 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。 結論から申しますと、Template:Cite signでカバーされるような内容は、『それだけを出典とする場合は、他に信頼できる二次資料がなく検証の可能性の低い「信頼に乏しい情報」の対象となる』、というのが自身の見解であります。観光地などの記事でさえぼー氏の仰っていた出典は見つけられませんでしたが、変な話し、そのテンプレートの内容を全面的に出典として認めてしまうと、例えば、(例えが鉄道がらみばかりで申し訳ございません。ご容赦ください。)
- JR埼京線板橋駅 - 十条駅間に原町踏切があり[1]、その横に北区立富士見中学校がある。
- なんていうただの踏切の名称板を出典に目撃情報を投稿されてしまいかねない(ただ、この例えはだいぶ無理やりに拵えたので、こんな投稿しないとは思いますが…)ことになりますし、こういった投稿をしても良いとお墨付きを与えると、収拾が付かない状態になってしまうでしょう。ですが、下記のような場合は、出典として認めてもいいのではないかと思います(また例えが鉄道関連ですが、下記は本当にその場所にあります。ただし、設置年などは正確ではありませんが…)。
- 上記の場合は、目撃した石碑の情報が二次資料の書籍に反映されてるということで、『この出典は、「信頼に乏しい情報」の対象とはならない』と認定できるものと思います。まあ、そもそも目撃・伝聞情報全般に言えることが他に信頼できる二次資料がなく検証の可能性の低い「信頼に乏しい情報」の対象でありますが、『Category:出典テンプレート』を見ると演説やビデオなどの視覚・聴覚情報を出典にできるテンプレートも存在しますし、Wikipedia:出典テンプレートもvideo(映画、テレビ番組、ドキュメンタリ)やエピソード(テレビ、ラジオ)という視聴情報を出典にできるテンプレートを紹介しています。でも、これらは出典対象としては、主に出版社(テンプレート内のpublisherの訳は、(書籍・雑誌・新聞などの)出版業者、出版社、発行人)やTV局などのものを使うように促しているようでした。ですから、さえぼー氏の仰っていた記念碑や銘板を見ての出典は、二次資料の出典を提示するという条件付でなら認めるといったような方針にするといいかと思います。
- ご意見ありがとうございます。 結論から申しますと、Template:Cite signでカバーされるような内容は、『それだけを出典とする場合は、他に信頼できる二次資料がなく検証の可能性の低い「信頼に乏しい情報」の対象となる』、というのが自身の見解であります。観光地などの記事でさえぼー氏の仰っていた出典は見つけられませんでしたが、変な話し、そのテンプレートの内容を全面的に出典として認めてしまうと、例えば、(例えが鉄道がらみばかりで申し訳ございません。ご容赦ください。)
- --Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月18日 (日) 12:55 (UTC)(文字装飾の消去及びアンダーラインへ変更)--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月24日 (土) 15:00 (UTC)
コメント 再度、現行の方針文書をご確認ください。現在の方針上では「自分が目撃した」や「他人から聞いた」は独自研究および出典無し(「信頼が」ではなく「出典そのものが」)であり一律に受け入れ不可です。しかしご提案の変更を加えた場合、その内容が重要な情報であれば加筆可能へと扱いが変わることになりますが、そのような趣旨の方針変更を実施するということで間違いはないでしょうか。--ディー・エム(会話) 2018年2月19日 (月) 11:13 (UTC)
- コメント この提案は、「現方針文章からも読み取れるますが、より確実にするために、さらに条文に加えたい」という提案であります。ですから、条文については言わずもがなであります。ディー・エム氏が仰る指摘については、本文もそうなのですが、変更の内容をディー・エム氏が「>重要な情報であれば加筆可能へと扱いが変わることになりますが…」と解釈したように、自身は本文の「>あるいは事実確認の機能を欠く情報源(「TVで観た」や「ラジオで聴いた」など)」の条文の解釈を「目撃情報禁止なんて書いてないじゃん!」とか、「などだから別にみんなが聞いて・見ている情報を後で出典さえ示せれば、出しても構わないよな!」とか解釈する投稿者が必ず出ると思い、目撃・伝聞情報の投稿を禁ずるということをわからせるために、上記のように「>あるいは、目撃・伝聞などの事実確認の機能を著しく欠く情報源(「TVで観た」、「ラジオで聴いた」、「自分が目撃した」、「他人から聞いた」など)」への変更を提案した次第であります。よって、ディー・エム氏が指摘した解釈は、認めるものではないということであります。現在「Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない#「自分が目撃した」や「他人から聞いた」などの目撃・伝聞情報を除外対象として本文への明文表記について」で同時進行的に議論を行っている最中でありますので、そちらに、目撃・伝聞情報の一例を記載していますのでご参照ください。
- ただ、人の解釈というものは人それぞれなため、確かにディー・エム氏の指摘した解釈をされる恐れはあります。その場合の対策として『Wikipedia‐ノート:検証可能性/目撃・伝聞情報』もしくは、『Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない/目撃・伝聞情報』のサブページを新規作成して、変な解釈をされないようにするための具体例などを示したページを作成することも、検討しなくてはならないでしょうか?現状鉄道関連記事に関しては、特に「客扱終了合図」の記事で2018年1月29日 (月) 13:49 の投稿版まで、独自研究及び目撃・伝聞情報のオンパレード投稿されていました。本文の条文でこの有様ですから、少しでもいいから最善の方法を考え、何とか完璧とはいかなくても目撃・伝聞情報のオンパレードを阻止したいと思う次第であります。ただ、この議論に関しては、長期に亘る議論であると覚悟を決めていますし、必ず反対意見を出方々も現れるから全ての方々が納得のいくものは作れないと思っています。それに、本文の条文の変更によってかなり広範囲の分野で影響がでるかもしれませんが、それも仕方がないことであると思っています。
- ディー・エム氏の意見で少し気になったのが、「>現在の方針上では「自分が目撃した」や「他人から聞いた」は独自研究および出典無し(「信頼が」ではなく「出典そのものが」)であり一律に受け入れ不可です。」という意見でありますが、上記のさえぼー氏の意見「>Template:Cite signでカバーされるような内容は含まないということでよろしいのでしょうか?現在でも、観光地などに設置されている記念碑とか銘板を見て出典とすることは、非常に良いとは言えないものの一応認められているかと思います。」に関して、自身が示した一例や、下記のような一見すると「テレビで見た・聞いた」情報に出典が付いた投稿に関しては、現在の方針上では『出典そのものが独自研究に当たり受け入れは不可』ということになるのでしょうか?それを下記に示します(前置きしておきますが、この下記の内容は自身が、実際に投稿した記事を一部修正したものですが、この内容の是非(重要性など)については問わないでください。あくまでも、下記の内容は一見すると目撃・伝聞情報となりうるものであり、示した出典の有効性を問いてください。また、ディー・エム氏のご意見の揚足を取っているわけではないことも重ねて強調しておきます。)
>この競走に出走当時のギャロップダイナは、まだ○○○○万下[1](現・○○○○万下[2][注 1])の条件馬に過ぎず、単勝○○番人気の伏兵扱いされていたが、当時史上最強馬と言われ「○○」の異名を持つ圧倒的1番人気の○○○○を外から差し切り大波乱となった。レースを民法放送で実況していた○○○○がゴール直後に言った「あっと驚くギャロップダイナ(中略)!!あっと驚くギャロップダイナ右手を…」[3]の「あっと驚くギャロップダイナ」というフレーズが、このレースの回顧をする雑誌などに掲載[4]され、ギャロップダイナを語る上での枕詞になった[注 2]。
- 注釈
- 出典
- ^ 『蔵出しMagazine 丸ごと天皇賞・秋』産経新聞社〈競馬エイト創刊30周年記念シリーズ〉、11-06、74-75頁。
- ^ a b “競馬用語辞典(収得賞金)”. 日本中央競馬会. 2018年2月11日閲覧。
- ^ a b 朝岡幹太(構成) 稲葉久美・西田正・黒澤格(プロデューサー) 吉野浩生(構成) 井崎脩五郎・須田鷹雄(特別解説) 大場真人(ナレーション) (6 February 2002). 20世紀の名勝負100 Vol.4驚愕編 (MPEG 2) (DVD VIDEO) (日本語1.ナレーション+実況 日本語2.特別解説). フジテレビ映像企画部 関西テレビ放送 ポニーキャニオン.
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も指定してください。 (説明) チャプター【11】 昭和60年10.27 天皇賞・秋 ギャロップダイナ - ^ (代表的掲載誌)『蔵出しMagazine 丸ごと天皇賞・秋』産経新聞社〈競馬エイト創刊30周年記念シリーズ〉、11-06、3,6,76,77頁頁。
(記事名:ギャロップダイナ 節1.2.2波乱の天皇賞(秋)より一部修正して作成)
- 上記の投稿が、無出典で投稿されたならそれは差し戻しの対象ですが、出典の一つ「DVD VIDEO 20世紀の名勝負100 Vol.4驚愕編 チャプター【11】 昭和60年10.27 天皇賞・秋 ギャロップダイナ」が現状だとどうなるのでしょうか?このDVDのpublisher(出版業者、発行人)はフジテレビ映像企画部、関西テレビ放送、ポニーキャニオンであり、レース影像と実況の内容もフジテレビで実際に放送されていた内容を収録したものであります。また、Template:Cite sign(記念碑、標識、掲示板、銘板などビデオでない視覚物を出典にするためのテンプレート)やTemplate:Cite speech(演説を出典にするテンプレート)のように、目撃・伝聞情報を出典として使用しても良いテンプレートが存在する現状でもあります。そして、DVD VIDEOに使ったテンプレートはTemplate:Cite videoであります。そうすると、現状でも「目撃・伝聞情報は、その内容が重要な情報であれば加筆可能となる」ことになるのではないでしょうか?変な話、アメリカ現大統領トランプ氏の演説をテレビ見たもしくはラジオで聞いたことをスピーチ用のテンプレートを使い、投稿者がこれは重要なことであると認定してしまえば、加筆可能になってしまうのではないでしょうか?そんなことを許したら、確実に収拾の付かない事態に陥ることは、火を見るより明らかなことではないでしょうか?結局、出典を使うのも、この条文のどう解釈するのも、記事の内容が重要かどうかというのは投稿者の裁量に寄ってしまうものなのでしょう。だからこそ、本文の条文に「目撃・伝聞情報の投稿は絶対禁止」という内容の条文を明記する必要があると思った次第なのであります。ただ、これも自身の解釈に過ぎないことでもあるので、今一度皆様の様々なご意見を賜り、少しでも最善な条文にしたいと思いますので、どうか宜しくお願い致します。--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月19日 (月) 14:52 (UTC)(文字装飾の消去及びアンダーラインへ変更)--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月24日 (土) 15:00 (UTC)
- はじめまして。コメント依頼から来ました。自分自身、鉄道好きですし、かつて、アナウンサーの記事も書いていた時期があったので、いつかこういう意見は挙がるだろうなあ…、と正直思っていました(ちなみに鉄道好きと申しましたが、鉄道の記事は一切タッチしたことはないです。特に、駅構造やダイヤの話とか、出典が全てと言おうとも、現実論として限界があるだろう…、と思ったりする感じだからです。勿論、可能な限り出典を付けることが望ましいのは言わずもがなですし、自分も『鉄道ピクトリアル』『鉄道ファン』とかは、結構拝読させて頂いていますが)。
それはそうと、今回、コメントをさせて頂いたのは、Wikipedia:井戸端で、コメントを募った方がよいのでは(既に立てている、ここを含めた2つのコメント募集と並行して、のイメージです)?と。恐らく、実現させようと思うと、影響力が結構出てきそうな事項であると思われますし、そうすると、できるだけ多くの意見がなされた上で、という方がより望ましいのではないか?と(単純な話、井戸端でならば、より多くの参加者[より他分野の参加者]が望み得るのではないか?と。やってみないとわからない感じでも、あったりしますが…)。
個人的には、導入はあってよいかな(賛否は、自分の中では正直定まっていません)?と思います。ですけど、いざ実際に採用しようとすると、「鉄道」「飛行機」「アナウンサー」「テレビ番組」「芸能人」(後者2つは、WP:TVWATCHとも関わってくる訳ですが)など、恐らくいろいろな項目で影響が来るだろう、と(ですので、合意形成[意思決定の過程と申しますか]も、充分な時間を掛けてになってくるのかなと思われます)。あくまでも一参加者としての、自分なりに感じたことですけど、参考になればの感じです、失礼しました。(なお、同様の話題を、実は昨日に、Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない#「自分が目撃した」や「他人から聞いた」などの目撃・伝聞情報を除外対象として本文への明文表記についてに書き込ませて頂いていたのですけど、スルーされてしまった感じでしたので、それも踏まえて、急遽、個々に書き込ませて頂いた感じです。Wikipedia:井戸端にて提起した方がよいのでは?ということを、無理強いしている訳ではないです、と申し添えさせて頂く感じですけど、影響力の大きいことを提起しているように感じられるため、書き込ませて頂いた感じですので。)--愛球人(会話) 2018年2月20日 (火) 08:25 (UTC)
- 返信 (愛球人氏宛) 返事が遅れまして大変申し訳ございませんでした。決してスルーした訳ではなく、自身のプライベートでどうしても行かなくてはいけないことがあったのと、Wikipedia:井戸端でのコメントについてよくわからなかったこと、他の案件で論争が起こっていたので、そちらを優先した結果こうなってしまいました。愛球人氏がご指摘して頂いたWikipedia:井戸端でのコメント募集については、近いうちにやってみようと思案中であります。それに、上記でも触れましたが、自身も長期に亘る議論をしていかなくてはならないと覚悟を決めています。様々な分野に影響が出るのであれば、なおさら様々な分野で投稿活動している方々からご意見を伺いたいと思いますので、宜しくお願い致します。なお、この返信はWikipedia‐ノート:独自研究は載せない#「自分が目撃した」や「他人から聞いた」などの目撃・伝聞情報を除外対象として本文への明文表記についてにも投稿いたしました。--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月20日 (火) 09:24 (UTC)(文字装飾の消去)--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月24日 (土) 15:00 (UTC)
返信 (インデント戻します)Hyper Maniac Manさんが個人的に認めるかどうかにかかわらず、方針解釈上の事実として、現行の方針のままであればそのような加筆が容認される余地が存在しないにもかかわらず、ご提案の文言改正を行うことによって本来は無出典とみなされるべきそれらの情報の加筆が容認されうる余地が新たに発生してしまう(本来は無出典とみなし加筆を全面禁止すべき情報を、信頼性に乏しく低品質ではあるものの出典を伴う情報であると容認する改正内容になっている)と忠告申し上げています。
繰り返しになり恐縮ですが、現行の方針文書で「信頼性に乏しい情報源」に該当するものとして挙げられている具体例は「事実確認について評判がよくない情報源、あるいは事実確認の機能を欠く情報源(「TVで観た」や「ラジオで聴いた」など)、または編集上の監督を欠く情報源」のみであり、それらについては「その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それを件の情報源によるものと明示してください。」という例外的対処が可能である旨が記述されています。「自分が目撃した」や「他人から聞いた」といったものは現行の方針ではそれに該当せず、そのような例外的な対処方法は容認されていると解釈できる余地がありませんが、にも関わらず、それらのケースを新たに「信頼性に書く情報源」に加える(これまでは無出典であり一律受け入れ不可だとみなしてきた情報を、これからは重要な情報であれば受け入れの余地がある情報源とみなすという)というのは、現行の方針の文面と現在の方針解釈をよくご存じないまま本来の意図と正反対の改正をしようとされているのではないかと憂慮し、指摘させていただいた次第です。
前節でKanoharaさんも同内容の指摘(こちらの1段歴目)をされていますので併せてご確認ください。--ディー・エム(会話) 2018年2月20日 (火) 10:46 (UTC)
コメント 呼ばれて出てきました。個人的に思ったことはだいたいディー・エムさんの言った通りですが、他にも気になった点があるのでコメントします。
上記の投稿が、無出典で投稿されたならそれは差し戻しの対象ですが、出典の一つ「DVD VIDEO 20世紀の名勝負100 Vol.4驚愕編 チャプター【11】 昭和60年10.27 天皇賞・秋 ギャロップダイナ」が現状だとどうなるのでしょうか?このDVDのpublisher(出版業者、発行人)はフジテレビ映像企画部、関西テレビ放送、ポニーキャニオンであり、レース影像と実況の内容もフジテレビで実際に放送されていた内容を収録したものであります。また、Template:Cite sign(記念碑、標識、掲示板、銘板などビデオでない視覚物を出典にするためのテンプレート)やTemplate:Cite speech(演説を出典にするテンプレート)のように、目撃・伝聞情報を出典として使用しても良いテンプレートが存在する現状でもあります。そして、DVD VIDEOに使ったテンプレートはTemplate:Cite videoであります。そうすると、現状でも「目撃・伝聞情報は、その内容が重要な情報であれば加筆可能となる」ことになるのではないでしょうか?変な話、アメリカ現大統領トランプ氏の演説をテレビ見たもしくはラジオで聞いたことをスピーチ用のテンプレートを使い、投稿者がこれは重要なことであると認定してしまえば、加筆可能になってしまうのではないでしょうか?そんなことを許したら、確実に収拾の付かない事態に陥ることは、火を見るより明らかなことではないでしょうか?
— User:Hyper Maniac Man
とのことですが、現状、ウィキペディアでは出典に音声、動画、マルチメディアを用いることは許されており、伝統的な印刷物やオンライン上の活字資料に限りません。
一般に「出版」という用語は、伝統的な印刷物もしくはオンライン上の活字資料を想起させます。しかし、音声、動画、マルチメディアといった素材も、評判の良い第三者によって記録され、放送、配布、もしくはアーカイブされたものであれば、信頼できる情報源として必要な基準を満たしているかもしれません。それら媒体の情報源も活字の情報源と同様に、信頼できる第三者によって著され、そして出典として適切に用いられなければなりません。さらに、当該メディアと同一内容の記録物が存在していることも必要です。その記録物がインターネット上にあれば便利ですが、それは必須条件ではありません。 — Wikipedia:信頼できる情報源#概要
読み違いであれば失礼ですが、もしかするとHyper Maniac Manさんの趣旨としては、Wikipedia:信頼できる情報源の内容を、
ウィキペディアにおける「出版」という用語は、伝統的な印刷物もしくはオンライン上の活字資料を意味します。音声、動画、マルチメディアといった素材は、評判の良い第三者によって記録され、放送、配布、もしくはアーカイブされたものであっても、信頼できる情報源として必要な基準を満たしません。それらは信頼性に乏しい情報源です。
という内容に書き換えるべき、という意味での提案なのでしょうか?
ウィキペディアでは時折見かける意見ですが、その手の意見に対する私の個人的な見解は、過去の議論「Wikipedia:コメント依頼/編集一徹」「Wikipedia:投稿ブロック依頼/編集一徹 20120312」に書いたことがあります。個人的には反対です。--Kanohara(会話) 2018年2月20日 (火) 11:29 (UTC)
- コメント (Kanoharaさん宛)ご本人ではないので確たることは言えませんが、さすがにそういうことではないのだと思います。別のガイドラインの内容をわざわざこちらで提案されたりはしないと思います。全く別個の問題としてそういう意見をお持ちの方がいらっしゃるのは否定しませんが。
- (Hyper Maniac Manさん宛)たぶん何か根本的に誤解されているのだと思います。Template:Cite sign、Template:Cite speechは目撃・伝聞情報を出典として使用しても良いテンプレートではないですよ。記事「毛利秀就#参考文献」の二の丸様の顕彰碑や記事「稲荷神#日本五大稲荷」の出典50(鼻顔稲荷神社 案内板)、「三種の神器 (電化製品)」の出典1(三種の神器の基本説明)や「オズの魔法使い#文化的影響」の出典56(インドでの翻案内容の出典)等で使用されていますが、いずれの情報源も第三者に常時閲覧可能な状態で提供されているかもしくは代替のアーカイブが存在しているので、方針上適切な出典です。
- たとえば、自分の目で直接目撃した図書館の文献の記述内容をウィキペディアの記事に加筆するのは適切な編集行為ですが、自分が直接目撃した希少文献の収蔵場所や所有者の情報について加筆することは一切許容されていません。前者は情報源が文字でなく音声でも構いませんし、書かれているのが紙の本ではなく石板でもテレビ映像でも、第三者が常時閲覧可能な媒体でさえあればそれらの形骸的な媒体の違い自体は全く問題ありません。他方、後者の問題点も媒体の形態とは無関係です。野球中継を見て試合結果を記事に加筆することは不適切ですが、過去の試合結果について解説している映像コンテンツの説明内容に基いて記事を書くことについては、そのコンテンツが第三者にも出典として常時閲覧可能な状態であるならば(有料でも無料でも、原本と同一であることが保証されていれば複製でも可)方針上何ら問題ありません。映像媒体を元にしているという点では類似していますが、検証可能性と独自研究に係るウィキペディアの方針上の観点からいえば両者のケースは全くの別物であって、そこを混同されているのではないかと思います。--ディー・エム(会話) 2018年2月20日 (火) 13:23 (UTC)
- 返信 (ディー・エム氏及びKanohara氏宛)
- まず、Kanohara氏には自身の表現のまずさで大変な誤解を与えてしまったことを謝罪致します。大変申し訳ございませんでした。自身、「>ウィキペディアにおける「出版」という用語は、伝統的な印刷物もしくはオンライン上の活字資料を意味します。音声、動画、マルチメディアといった素材は、評判の良い第三者によって記録され、放送、配布、もしくはアーカイブされたものであっても、信頼できる情報源として必要な基準を満たしません。それらは信頼性に乏しい情報源です。」なんてこと、露にも思っていません。でなければ自身の示したギャロップダイナのエピソードのDVDの出典は無効になってしまいますし、勿論、石板や掲示物の目撃情報を出典にして使うなんて、それは独自研究以外の何者でもないと思っております。自身の投稿内容は、1985年の天皇賞(秋)のことで過去のことを例として示したのがまずかったですね。自身が言いたかったことは、「現状の条文でも、TVで視聴した情報や記念碑などを目撃した情報を出典とする行為(TV局や記念碑に記されている設置した団体をpublisher(出版業者、発行人)として使う行為)は許されません。でも、現状の条文だとそこまで書いていないし、もしそこを投稿者に突っ込まれたらどのように説明すればよいのでしょうか?その説明が出来なければ、収拾の付かないことになるのではないでしょうか?」ということであります。ですから、ギャロップダイナを2018年2月18日の東京競馬場第35回フェブラリーステークスで優勝したノンコノユメに置き換えてみて、こんな投稿は無効だということを示します。
>この競走に優勝したノンコノユメは、末脚を爆発させて追い込んでの勝利に、民法放送で実況した○○アナウンサーは「物凄い末脚だ!!ノンコだ!!ノンコだ!!物凄いノンストップの末脚だ!!…」[1]の「ノンストップの末脚だ」というフレーズが、このレースでのノンコノユメを語る上での枕詞になった[注 1]。
- 注釈
- 出典
(出典の番組名は、その日のレースを放送した番組で、司会などの人物は実名です。また、文中や注釈内でのアナウンサーや安藤勝己氏のフレーズは架空のものです)
- これを示した上で、「上記のような、いかにもTVで視聴した情報を「出典付けたからいいだろ」といって投稿することは、当然許されることではないですね!」と先ほどの例に加えて示すべきでした。改めて、誤解を招いたことに謝罪致します。本当に申し訳ございませんでした。
- 次に、ディー・エム氏は感謝を申し上げます。というのは、ディー・エム氏の2018年2月20日 (火) 10:46 (UTC)の投稿文章を拝見した後、なんか怒りが込み上げてきたというか、「自身はちゃんと条文を理解しているのに、なんでそう言うの!だって条文曖昧だもの!はっきりとしたいだけなのに…」なんて少し冷静さを欠いた状態で投稿分を作成している途中で、先程のディー・エム氏の投稿分を拝見し、そこで怒りがすっと収まったというか、物凄く冷静になれました。ありがとうございます。ディー・エム氏がそこで仰っておられた内容も理解いたしました。ただ、どうしても1点だけ今だ納得いかないのが、本文の条文が「>あるいは、目撃・伝聞などの事実確認の機能を著しく欠く情報源(「TVで観た」、「ラジオで聴いた」、「自分が目撃した」、「他人から聞いた」など)」に変更になった場合、どの点が、「>これまでは無出典であり一律受け入れ不可だとみなしてきた情報を、これからは重要な情報であれば受け入れの余地がある情報源とみなすという」ことになるのかという点であります。ディー・エム氏にはお手数ですが、自身が実際に投稿された記事の差分や、自身がTVで見た情報などを下記に列挙致します。それからご指摘頂きたいと思います。
- 「大宮総合車両センター#新幹線高架下で実際にあった投稿 版間の差分(前:670行目、後:655行目に出典の変更あり)、自身が差し戻した2017年11月28日 (火) 06:55 (UTC)時点の版」
- フジテレビ『みんなのKEIBA』で放送、2018年2月18日 (日) 小倉競馬場第11レース 第52回小倉大賞典(GⅢ) 優勝馬 7枠13番トリオンフ。
- ラジオ文化放送で『大竹まことのゴールデンラジオ』で、司会の大竹まことは、番組の冒頭で「この度は娘が大変ご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ございません」と謝罪した。
- アニメ『ガンダムGのレコンギスタ』総監督富野由悠季は、テレビ放送版の内容をあまり高く評価していない。
- JR貨物のEF65 ○○○○号機は、2018年○○月○○日に○○車両所へ入場し、全般検査と同時に「○○特急色」に塗り替えられることになっている。
内訳:1.は実際の投稿の差分などを示したもの。完全に目撃情報を投稿しているものです。因みにその中の基本的出典が笹田昌弘 『保存車大全コンプリート 3000両超の保存車両を完全網羅』イカロス出版〈イカロスMOOK〉、2017年7月25日、220頁。ISBN 978-4-8022-0384-5。(発売は同年6月22日、書籍内のデータベースは同年4月1日現在)で、もう1つ出典が白川淳「鉄道博物館データブック 」第42巻7号(通巻374号)、電気車研究会、2013年8月。であります。2.3.は完全なるTV・ラジオからの視聴情報(両番組名は本物。ただし、3.は自身で作成したの適当なもの)、4.5.は知り合いなどから聞いた伝聞情報。
自身は、何度も申し上げますが、少しでもいいから最善の方法を考え、何とか完璧とはいかなくても目撃・伝聞情報のオンパレードを阻止したいと思う次第であります。ただ、この議論に関しては、長期に亘る議論であると覚悟を決めています。どうか皆様にはこの点もご理解して頂き、議論を重ねて行きたいと思いますので、どうか1つ宜しくお願い致します。--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月20日 (火) 15:55 (UTC)(文字装飾の消去及びアンダーラインへ変更)--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月24日 (土) 15:00 (UTC)
関連してですが、ノート:JR東日本E231系電車#0番台などの転用に関するローカルルール設定についてで「目撃情報の記述対策としてWikipedia:ウィキペディアは何ではないか/ファンサイトがあるようにWikipedia:独自研究は載せない/目撃情報のページ作成も検討開始した方がいいかと思います」と言う意見がある模様です。--110.5.24.245 2018年2月20日 (火) 15:59 (UTC)
- 返信 です。
- 「どの点が」> 上記で既に該当箇所を引用させていただいていますが、本方針の「信頼性に乏しい情報源」節に「ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような、信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それを件の情報源によるものと明示してください。」と明記されています。この節の「信頼性に乏しい情報源」の定義に「自分が目撃した」や「他人から聞いた」というケースを加えた場合、それが良い悪いにかかわらず、「その情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それを『自分が目撃した』や『他人から聞いた』情報源によるものと明示してください。(そうすれば記事に記述を残しても良い)」と解釈される余地が新たに発生します。現在ではそのような加筆は明確に禁止されているにも関わらず、そのような受け入れ基準の緩和が発生するということです。
- 「目撃・伝聞情報のオンパレードを阻止したい」> その趣旨が妥当であることは理解いたします。それらは情報源を欠く記述とみなされますので、その対処法は既に「Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に」もしくは「Wikipedia:出典を明記する#出典なき記載の扱い」に記述されていますので参考にしてください。重要なことなので繰り返しますが、目撃や伝聞の情報は「信頼性に乏しい情報源」などではなく、ウィキペディアの採用基準でいえばそもそも「情報源」として認められていないのです。極論すれば、それらの記述は記事からいきなり全て除去しても誰も文句は言えないのです。しかし実際の運用上それをすると揉めるので、前述の方針・ガイドラインの手順を参考に対処を是非お願いいたします。
- 例示の可否判断については、1は事実の可否はよく分かりませんが、目撃情報に基づく記述はNG、出典に基づく内容は可。2と3は第三者が利用可能なアーカイブ(DVDソフトやオンデマンドのネット配信など)があれば可、なければ不可。4と5は論外で不可です。--ディー・エム(会話) 2018年2月20日 (火) 18:06 (UTC)
- 返信 (Hyper Maniac Manさん宛) あれ? やはり何か噛み合っていないような気がします。例えば「記念碑」を出典として使用することについて、Hyper Maniac Manさんは「独自研究以外の何者でもない」としていますが、ディー・エムさんは「方針上適切な出典」で「全く問題ありません」としていて、見解は真っ向から対立しているはずですが、Hyper Maniac Manさんは見解の相違に気がついていないように見えます。それと、察するところHyper Maniac Manさんの見解では「放送に基づいた内容を出典にして書くことは、たとえ放送の内容がDVDなどにアーカイブされていたとしても、ウィキペディアでは当然ながら許されない。最初からアーカイブされたものを出典として用意してから加筆するのが筋である」というのが、ウィキペディアの常識であるということになっているようですが、実際には前の発言で引用した「Wikipedia:信頼できる情報源#概要」にありますように、「放送は、当該メディアと同一内容の記録物が存在しているのなら、信頼できる情報源として必要な基準を満たしている。放送の内容とアーカイブの内容が同一なら、放送に基づいた内容を記事に反映させることに問題はない」というのが、ディー・エムさんや私の見解であると思います。
- Hyper Maniac Manさんがウィキペディアのルールを根本から変えようとしているというのは私の誤解であったようですが、議論を立ち上げた前提となっているルールの解釈に、根本的な齟齬があるようです。おそらくHyper Maniac Manさんの解釈では、ウィキペディアにおける「出典の入手」とは、「出典となる資料を直接購入または図書館などでレンタルし、手元に所有すること」という意味に受け取っているようですが、ディー・エムさんや私の解釈ではそうではなく、「出典の入手」とは「誰にでも可能な形で情報を閲覧し、知識として得ることであって、必ずしも現物を所有する必要はない」という解釈です(ですよね?)。にもかかわらず、互いが「自分の解釈は他の人も同じである。自分はルールを完璧に理解している」という前提で話をしているので、議論が噛み合っていないのだと思うのですが、どうでしょうか?--Kanohara(会話) 2018年2月20日 (火) 23:49 (UTC)
- 返信 (ディー・エム氏及びKanohara氏宛) すみません、またまた自身の言葉足らずで誤解を与えてしまいました。自身の言及した石板や掲示物の件は、 「>勿論、石板や掲示物の目撃情報を第三者が検証不可能な状態で出典にして使うなんて」というべきでした。ただ、Kanohara氏の見解から自身が下線で加えた部分も、両氏と自身との見解の違いがあると思えるので、そこの齟齬については、改めて後に自身が記入例として作成して、どの部分に双方の見解の齟齬があるか示したいと思いますので、大変申し訳ございませんが、それまでご意見・ご反論を控えて頂くと助かります。それと、Kanohara 氏が仰ってた「>互いが「自分の解釈は他の人も同じである。自分はルールを完璧に理解している」という前提で話をしている」ですが、これも誤解で自身は、「自分と他人との解釈は、絶対に同じではない。自身は、ルールを理解しているつもりだが、理解しきれていない部分もあるから、そこは議論を重ねて理解するようにしたい」と思っている次第であります。また、自身が条文明記の根本は、
- 現在鉄道関連記事に横行している目撃・伝聞情報のオンパレード投稿をなるべく阻止したい。そのためには、条文にその明記がないので、もし、そういった投稿者に「目撃・伝聞情報の投稿は禁止!」と説明しわからせるためには、現在の条文ではその材料に乏しい。また、現在の条文でもどのあたりを示せれば、連中に理解してもらい止めさせるように促せるか?それが難しいのなら、一発でわかるように条文に明記する必要があるのではないか?
- であります。この根本が、自身の言葉足らずや表現の誤解などでうまく伝わっていなかったようで、そこは自身の不徳の致すところで反省すべき点であります。改めて申し上げますが、皆様と見解の相違はあって当然のことであると常々思考していることでありますので、上記で示した根本も含め、どうかご理解を賜りますようにお願い申し上げます。--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月21日 (水) 02:01 (UTC))(文字装飾の消去及びアンダーラインへ変更)--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月24日 (土) 15:00 (UTC)
- 追伸ディー・エム氏へ ディー・エム氏が示した対処法「Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に」もしくは「Wikipedia:出典を明記する#出典なき記載の扱い」については、内容を拝見しました。今後、目撃・伝聞情報のオンパレード投稿する連中にそこを見るようにと説明する武器として大いに使ってみます。ただ、「Wikipedia:出典を明記する#出典なき記載の扱い」で、{{出典の明記}}や{{要出典}}・{{要出典範囲}}テンプレートを使用しても、厚顔無恥というやつですか、そんなの関係ねぇ!ていう感じで無視されることが多いのが現状で、嘆かわしいことであります。それと、自身少し条文明記に拘り過ぎた感があり、それよりもどうやったら現状でも連中にピンポイントでルールの条文を見せてわからせるように促す方法を考察した方が得策だと思えています。--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月21日 (水) 02:21 (UTC)(文字装飾の消去及びアンダーラインへ変更)--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月24日 (土) 15:00 (UTC)
- 返信 (ディー・エム氏及びKanohara氏宛) すみません、またまた自身の言葉足らずで誤解を与えてしまいました。自身の言及した石板や掲示物の件は、 「>勿論、石板や掲示物の目撃情報を第三者が検証不可能な状態で出典にして使うなんて」というべきでした。ただ、Kanohara氏の見解から自身が下線で加えた部分も、両氏と自身との見解の違いがあると思えるので、そこの齟齬については、改めて後に自身が記入例として作成して、どの部分に双方の見解の齟齬があるか示したいと思いますので、大変申し訳ございませんが、それまでご意見・ご反論を控えて頂くと助かります。それと、Kanohara 氏が仰ってた「>互いが「自分の解釈は他の人も同じである。自分はルールを完璧に理解している」という前提で話をしている」ですが、これも誤解で自身は、「自分と他人との解釈は、絶対に同じではない。自身は、ルールを理解しているつもりだが、理解しきれていない部分もあるから、そこは議論を重ねて理解するようにしたい」と思っている次第であります。また、自身が条文明記の根本は、
- 失念したことへの追記 先程「出典の入手」について申し上げることを失念致しました。自身は出典を明記する場合、その約99%が自身で入手している書籍などから明記しています。自身もほんの一部でありますが、出典を明記する際に、自宅近辺の公立図書館で読んだ内容から出典を明記をしたこともありますので、お二方の「出典の入手」の解釈についても理解できます。ただ、実は自身スマートフォンとかを持っていないので、図書館とか行ってその内容を見ながらスマフォで投稿、なんてていうことができないし、そんなんだったら多少の出費には目をつぶってでも現物を入手する方が、失念した時もすぐに確認できるから、その方がいいと思っているためであります。よって、Kanohara氏が「出典の入手」で指摘した点については、そう受け取っているのではなく、入手物からの出典明記が当たり前になってしまったため、その傾向が強く出た、だからKanohara氏が指摘のように受け取ったと思われますが、お間違いないでしょうか?
- 上記で申し上げた内容の変更。 上記で齟齬について自身が記入例として作成して、どの部分に双方の見解の齟齬があるか示したいと申し上げましたが、それについては変更致します。変更した点については、下記の方に委ねますが、Kanohara氏の放送に関する見解である「>放送は、当該メディアと同一内容の記録物が存在しているのなら、信頼できる情報源として必要な基準を満たしている。放送の内容とアーカイブの内容が同一なら、放送に基づいた内容を記事に反映させることに問題はない」という点について、もしかすると実は自身も言葉が違うだけで同じ見解なのかと思いました。それはKanohara氏が仰った「>当該メディアと同一内容の記録物が存在しているのなら」と、自身が言及した「第三者が検証不可能な状態」であります。ここにそれをKanohara氏の放送の出典の是非についてを、自身の言葉を当てはめてみると「>放送が、第三者が検証不可能な状態いわゆる当該メディアと同一内容の記録物が存在いない場合は、信頼できる情報源として必要な基準を満たさないから、これは視聴情報となり検証の可能性を満たしていないので、投稿は勿論出典として使うのは無効である。ただし、放送の内容とアーカイブの内容が同一なら、放送に基づいた内容を記事に反映させることに問題はない。」となります。よって、先に上記で示したフェブラリーステークスで優勝したノンコユメの放送内容を放送直後に速報的に投稿することは、当該メディアと同一内容の記録物が存在いない状態になるのでいくら番組を出典としてもその投稿は無効で差し戻しの対象となる。これが後に、レース実況内容がDVDなどの記録物に収録され、第三者が検証可能な状態になれば、その投稿は掲載可能となる。自身はこのように言いたかったのであります。こういったレース直後の優勝馬の投稿が過去プロジェクト‐ノート:競馬/競走の結果の加筆についてで議論されていたようです。よって改めて自身の放送の見解を申し上げますが、
- 「放送に基づいた内容を出典にして書くことは、たとえ放送の内容がDVDなどにアーカイブされていたとしても、ウィキペディアでは当然ながら許されない。最初からアーカイブされたものを出典として用意してから加筆するのが筋である」ではなく、「テレビやラジオなどの放送に基づいた投稿は、第三者が検証不可能な状態いわゆる当該メディアと同一内容の記録物が存在いない場合は、信頼できる情報源として必要な基準を満たさないから、これは視聴情報となり検証の可能性を満たしていないので、投稿は勿論出典として使うのは無効である。ただし、放送の内容と同一内容の記録物の内容が同一でなら、放送に基づいた内容を記事に反映させることに問題はない。」
- であります。また、掲示物や記念碑などの投稿にも、第三者が検証不可能な状態で投稿及び出典とするのは無効であると言いたかったのであります。どうかご理解賜りますようにお願い致します。
- 上記で申し上げた内容の変更。 上記で齟齬について自身が記入例として作成して、どの部分に双方の見解の齟齬があるか示したいと申し上げましたが、それについては変更致します。変更した点については、下記の方に委ねますが、Kanohara氏の放送に関する見解である「>放送は、当該メディアと同一内容の記録物が存在しているのなら、信頼できる情報源として必要な基準を満たしている。放送の内容とアーカイブの内容が同一なら、放送に基づいた内容を記事に反映させることに問題はない」という点について、もしかすると実は自身も言葉が違うだけで同じ見解なのかと思いました。それはKanohara氏が仰った「>当該メディアと同一内容の記録物が存在しているのなら」と、自身が言及した「第三者が検証不可能な状態」であります。ここにそれをKanohara氏の放送の出典の是非についてを、自身の言葉を当てはめてみると「>放送が、第三者が検証不可能な状態いわゆる当該メディアと同一内容の記録物が存在いない場合は、信頼できる情報源として必要な基準を満たさないから、これは視聴情報となり検証の可能性を満たしていないので、投稿は勿論出典として使うのは無効である。ただし、放送の内容とアーカイブの内容が同一なら、放送に基づいた内容を記事に反映させることに問題はない。」となります。よって、先に上記で示したフェブラリーステークスで優勝したノンコユメの放送内容を放送直後に速報的に投稿することは、当該メディアと同一内容の記録物が存在いない状態になるのでいくら番組を出典としてもその投稿は無効で差し戻しの対象となる。これが後に、レース実況内容がDVDなどの記録物に収録され、第三者が検証可能な状態になれば、その投稿は掲載可能となる。自身はこのように言いたかったのであります。こういったレース直後の優勝馬の投稿が過去プロジェクト‐ノート:競馬/競走の結果の加筆についてで議論されていたようです。よって改めて自身の放送の見解を申し上げますが、
- わかりました。そういうことなんですね。 ここで本題に入ります。今までのことを冷静沈着に振り返り、今一度上記までの議論を読み直しましたが、自身とお二方の見解の齟齬の根本そして、この条文がポイントだったということがわかりました。ですので、齟齬に関する記入例の作成は撤回いたします。その条文とは、
- 「>それを件の情報源によるものと明示してください」
- この条文があるので、逆に本文の条文を「>あるいは、目撃・伝聞などの事実確認の機能を著しく欠く情報源(「TVで観た」、「ラジオで聴いた」、「自分が目撃した」、「他人から聞いた」など)」に変更してしまうと、ディー・エム氏が仰った「その情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それを『自分が目撃した』や『他人から聞いた』情報源によるものと明示してください。(そうすれば記事に記述を残しても良い)」と解釈される余地が新たに発生してしまう」ということなんですね?ということは、その条文は絶対に活かさないとまずいということになりますね。自身、その意味がようやく理解できました。自身は、具体的にしたい、はっきりさせたいにばかり気をとられすぎたということになりますね。だから、「TVで観た」、「ラジオで聴いた」なら後にDVDなどの記録媒体や、放送局のHPのアーカイブなどで、当該メディアと同一内容の記録物が存在する状態になるから、その場合はTV局やラジオ局からの情報源を明示してくださいということなんですね。確かに、「自分が目撃した」、「他人から聞いた」だと、いわゆる第三者が検証可能な状態にはならないし、それを証明・検証する材料がない情報の投稿を、現本文のあの条文がそれを禁じているわけなんですね。そういう理解で宜しいでしょうか?それであれば、条文に下手に手を加えるよりも、やはり目撃・伝聞情報をどうやって投稿者に説明する方法を考察するのが筋でしたね。自身、本当に反省しています。やはりよく方針を理解していなかったようでした。こんな超大バカかな自身に変につき合わせてしまった、ディー・エム氏やKanohara氏には、本当にご迷惑をお掛けしたことをこの場を借りて謝罪致します。本当に申し訳ございませんでした。お許しください。そして、数々の無礼を申し訳ございませんでした。
- 最後に、少し気になった解釈をした方を発見しましたのでお伝えしておきます。もしかすると、この条文についても別解釈される場合もあるかと思っての情報です。この方は、もう既に約2年前を最後に、Wikipediaへの投稿は止めた方です。いわゆる元ユーザーです。しかし、この方が自分の利用者ページを編集する際、この「検証の可能性」のことについて「抜け道」という形で、本文の節「通常は信頼できないとされる情報源」の小節「自主公表された情報源」についてこんな趣旨のことを述べられていました。「その条文の「個人のウェブサイトやブログ…」以下の部分は、「信頼できる第三者によって自主公表した事がある者は自己のブログに書いた内容をして検証可能性を満たすことができる」とも読める。」と言及しておられましたこの方がこれを自分の利用者ページに投稿したのは約11年前であります。ただし、この方はすごく真面目な方で、検証の可能性とか理解しておりましたし、出典のない投稿はしていない方のようです。既に約11年前にこのように解釈された方がいらしたことは、現在においてもしかすると…、少しその心配が出てきたように思いますが、どうでしょうか?いずれにせよ、条文いうのは完璧なものではないようですね。自身も、しばらく冷却期間を置き、方針を十分に理解した上で、もう一度議論をやり直したいと思います。ですので、「自分が目撃した」や「他人から聞いた」などの目撃・伝聞情報を「信頼に乏しい情報」として本文への明文表記については、撤回の方向で行きます。本当にありがとうございました。そして、本当に申し訳ございませんでした。--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月21日 (水) 15:14 (UTC)(文字装飾の消去及びアンダーラインへ変更)--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月24日 (土) 15:00 (UTC)
- わかりました。そういうことなんですね。 ここで本題に入ります。今までのことを冷静沈着に振り返り、今一度上記までの議論を読み直しましたが、自身とお二方の見解の齟齬の根本そして、この条文がポイントだったということがわかりました。ですので、齟齬に関する記入例の作成は撤回いたします。その条文とは、
- お詫び。 この度は、自分の投稿した文章における、太字や斜め字による装飾で非常に見にくくさせてしまったことについて深く、深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした。なお、自分の発言などを装飾をした部分で重要だと思うところは、アンダーラインに変更致しました。また、上記で撤回の方向で行きますといいましたが、それについて変化はありません。しかし、本文の条文を表現は悪いかもしれませんが、恣意的に解釈したり、勝手な解釈をする者が現れないとも限りません。また、本文の条文に手を加えたりすると様々な影響が出ることになるので、これからは慎重に議論を重ねて行きたいと思いますので、どうか宜しくお願い致します。--Hyper Maniac Man(会話) 2018年2月24日 (土) 15:00 (UTC)
- 時間がないので軽く。基本的な対立点は、Wikipedia:指示の肥大化を避けるではないかと思います。反対者は(私も含め)現状で既に包括されていると考え、Hyper Maniac Man氏は足りないと考えている。「恣意的に解釈したり、勝手な解釈をする者」が現れるというのは、まさに指示の肥大化が範疇の話題で、厳しく明言したとしても「恣意的に解釈したり、勝手な解釈をする者」は現れるし、特に明示的に書かれているからこそ、書かれていない事柄を自由だと拡大解釈する輩が現れる。また他方でWikipedia:ルールすべてを無視しなさいがあるように、規則文書は弾力的に運用できることが前提であって、方針を守らせるために、あえて特定事象に限定せず、曖昧にしている場合もある。文言の逐次一句を守らせるのではなく、ルールの精神を守らせる、という大原則をどうかご考慮ください(とは言ってもHyper Maniac Man氏の提案内容は、そこまで大きな改変提案でも無いとも思うのですが)。--EULE(会話) 2018年2月26日 (月) 15:21 (UTC)
- コメント Hyper Maniac Manさんが引用した「信頼できる第三者によって自主公表した事がある者は自己のブログに書いた内容をして検証可能性を満たすことができる」という解釈についてですが、自己のブログなどを持ち込む場合の注意については「Wikipedia:自著作物の持ち込み」「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」をご覧下さい。これらのガイドラインについては色々と解釈や論争もありますが、私個人の解釈としては「自著作物をウィキペディアに持ち込むことは禁止されていないが、往々にして客観性を欠いた記述になりがちになりトラブルの元になるので、注意を要する」というものだと思っています。なお、そもそも著名な研究家や思想家、政治家が書いたものだとしても、特別な主張には特別な証拠が求められますし、個人ブログを出典とできる状況はかなり限定されるでしょう。--Kanohara(会話) 2018年2月28日 (水) 01:17 (UTC)
- 取り下げ この議論に参加してくださった方々に改めて御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。今回のこの提案については、取り下げます。EULE氏がご指摘してくださったように、ルールの精神を守らせるという大原則の方が、条文を書き加えることよりも、よほど重要であることが理解できました。今後これを踏まえ、どうやったらルールの精神を守らせ、その周知をどのようにすればよいのか?(これは、Wikipedia:井戸端で起こす予定)さらに、何でもかんでも「目撃情報」として、その投稿を禁止にしてよいのか?を、今回の議論や過去の議論をもう一度精査して、再び皆様に問いかけたいと思います。その時になったらお知らせを致します。ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ございませんでした。--Hyper Maniac Man(会話) 2018年3月7日 (水) 02:27 (UTC)