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Wikipedia‐ノート:検証可能性/本方針を根拠とする記事の白紙化について

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本方針を根拠とする、記事の白紙化について

[編集]

詳細についてはWikipedia:コメント依頼/Yassie 20120819をご覧頂きたいのですが、利用者:Vigorous action会話 / 投稿記録 / 記録さんが出典が明記されていない複数の存命人物記事を「no sourceを除去」と白紙化し、それに対し利用者:Yassie会話 / 投稿記録 / 記録さんが「WP:Vを悪用した複数記事の破壊行為」としてリバートをかけるという一件が起こりました。

Wikipedia:コメント依頼/Yassie 20120819では「Vigorous actionさんの白紙化行為の是非」については対象外とされているため、この点について十分に議論が進まない状況にありますが、おそらくは本方針の「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」という一文を根拠にしたであろう一連の白紙化行為の是非について、この際徹底的に議論すべきではないかと考え、この場に提起します。上記一件の対象は存命人物の記事ですが、当初から対象を存命人物の記事に限定することはせず、必要に応じて対象を絞ることを想定しています。

参考までに、Wikipedia:コメント依頼/Yassie 20120819でこれまでに挙がった意見を紹介します。(引用に誤りがあれば訂正をお願いします)

  • 出典の無い記事はどのように扱われようと仕方ない
  • 行動に移る前にノートページや会話ページ、あるいはコメント依頼等を利用すべきだった
  • いきなりの白紙化は程度問題。あまりに多くは混乱をもたらす可能性があるが、出典のない記述をどうにもできないのも困る
  • 方針上は可能であるし、出典なき記述の除去は責められるものではない
  • 解釈次第でWikipedia:荒らし#荒らしの類型における「白紙化荒らし」に該当する

--Pastern会話2012年8月20日 (月) 12:11 (UTC)

今回の行動について簡単に説明しますと、この方針に記述されている部分以外にも、ここの議論においても存命中の人物の伝記については、検証可能性については特に厳密に解釈すべしといった人が多くおられるように私はとっております。今回は削除依頼の前にまず、出典のない記述を除去し改善されなければ(私を含めてですが)削除依頼に提出するつもりでしたが、差し戻されてしまいました。また今回の私の行動は財団決議からも大きく離れるものではないと私は考えています。特に存命中の人物の伝記では批判する内容以外にも、誤りや非公開情報の記載はあってはならないことです。これらを確認するためには検証可能な信頼できる情報源による出典の明記が必要です。もし私の行動に疑義又は、問題があるとお考えでしたら、私のコメント依頼なり解任依頼なりを出していただければと思います。--Vigorous actionTalk/History2012年8月20日 (月) 12:38 (UTC)
興味があるのでこっちに。出典が無いことが問題であることを前提に書きます。反応を見ると現状において白紙化(カテゴリのみ残す場合でも)してその後一定期間あけて削除、出典を付けるためにそのままにするのかにしても加筆を待つにしても事前告知もなく複数記事を短時間での白紙化は少なからず問題が発生すると考えますし、現にブロック依頼、コメント依頼にまで発展しています。また白紙化(特に関係者と思われる人物)が行われた場合は差し戻しが行われております。
しかし「Wikipedia:検証可能性」には除去、「Wikipedia:存命人物の伝記」には除去または削除、Wikipedia:荒らし#荒らしの類型には(白紙化が正当~以下の文章)とあり、白紙化は可能ではないかと考えます。ですからはっきりと方針に「白紙化は荒らしではない」みたいな文章を記述すべきと考えます。
また一切出典の無い存命人物記事は隔離場所みたいなのに移動して出典を付けるべき優先度の高い記事に指定してそれでも改善がなければ削除する仕組みみたいなのがあればよいのですが。--多摩に暇人会話2012年8月20日 (月) 12:56 (UTC)
あっ、すみません競合した際に文章をよく見ていませんでしたので修正しました。--多摩に暇人会話2012年8月20日 (月) 13:02 (UTC)
コメント 多摩に暇人さん。「Wikipedia:検証可能性」には除去、「Wikipedia:存命人物の伝記」には除去または削除、Wikipedia:荒らし#荒らしの類型には(白紙化が正当~以下の文章)とあり、白紙化は可能ではないかと考えますとのことですが、そもそもこの方針文書の原文のAn example of blanking edits that could be legitimate would be edits that blank all or part of a biography of a living person. を「白紙化が正当な場合の例としては、存命人物の伝記の全部または部分的な除去があげられるでしょう」と訳すこと自体が不正確ですね。原文通りに訳し直すと「正当かもしれない(could be)白紙化の例は、存命人物の伝記の全て、あるいは一部の白紙化であろう」です。つまり存命人物の伝記の白紙化が正当ではない場合もあるとの含みを残した言い方です。もしVigorous actionさんの今回の行動が英語版でも受け入れられ得る正当なものと考えるならば、同じことを英語記事でも片っ端からやってみれば良いでしょう。おそらく荒らしとしてブロックされると思いますがね。--182.168.245.143 2012年8月20日 (月) 14:03 (UTC)
それは大変ですね!Wikipedia‐ノート:荒らしで提案してみてください。--多摩に暇人会話2012年8月20日 (月) 14:13 (UTC)
コメント 「検証可能性については特に厳密に解釈すべし」という意見は正しいですが、それはあくまで「議論のある記述」あるいは「低評価の記述」、「非好意的記述」など、本人への不利益になる記述の場合であって、中立的な、ほとんど事実らしく論争もない記述の場合まで拡大解釈してはダメでしょう。それは四角四面すぎというものです。出典がなく、百科事典記事としてあってはおかしいというので白紙化なら、それは特筆性の問題なのでケースEによる削除依頼をすべきです。記事としては特筆性が考えられるなら、出典を自分で探すか、出典の明記タグをつけるのが穏当でしょう。いきなりの白紙化は記事の質の向上にもつながらず、なんの解決にもなりません。--Afaz会話2012年8月20日 (月) 13:23 (UTC)
コメント(編集競合しましたがそのまま)『「検証可能性については特に厳密に解釈すべし」という意見は正しいですが、それはあくまで「議論のある記述」あるいは「低評価の記述」、「非好意的記述」など、本人への不利益になる記述の場合であって、中立的な、ほとんど事実らしく論争もない記述の場合まで拡大解釈してはダメでしょう。』とのことですが、出典もなく虚偽情報や非公開情報を書かれているといったクレームも年間で数件といったレベルではない状態で財団の窓口に相談があるのはご存知ですか?まあこういった内容は基本的には公開されませんのでご存知なくても仕方ないものですが、書かれた本人からするとWikipediaに載っていること自体が実生活に影響が出て大変困ったことになっている方もおられます(実例を上げることはできませんが「議論のある記述」あるいは「低評価の記述」、「非好意的記述」などといったものがなくても本人への不利益になる記述といったものがあるのです)。sourceがあれば、そちらに責任を転嫁することもある程度可能ですが、no sourceだとそういったこともできません。事実かどうかではなく検証可能かどうかがWikipediaでは問われ、検証責任を満たすべき者は記述者側ですからこと存命中の人物の伝記についてはことさら厳しくすするべきものです。--Vigorous actionTalk/History2012年8月20日 (月) 14:00 (UTC)
コメントそのケースはクレーム対処ということで、検証可能性を理由にする必要がありませんね。あるいは非公開情報ならその部分だけ除去、あるいは緊急削除すればいいお話で、一切を白紙化する必要はありません。ページ全体が虚偽、あるいは非公開情報なら、それはもう白紙化ではなくやはり削除のケースでしょう。--Afaz会話2012年8月20日 (月) 23:39 (UTC)
コメント 結論から言えば、本件はVigorous action様を支持します。「パンダはかわいい」「富士山は美しい」程度でしたら「出典を出せ」とは申しませんが、存命人物の記事に対しては、何がマイナスで何がプラスと評価されるかは見る人によっても変わって来ます。保険をかけて必ず出典をつけるとするのは当然の行為だと思います。--JapaneseA会話2012年8月20日 (月) 13:56 (UTC)(主アカウント:利用者:Sutepen angel momo会話 / 投稿記録 / 記録
コメント Vigorous actionさんは「出典もなく虚偽情報や非公開情報を書かれているといったクレームも年間で数件といったレベルではない状態で財団の窓口に相談がある」と仰るが、たとえばVigorous actionさんが経済産業事務次官で一節まるごと除去なさった「歴代経済産業事務次官」のリストについて、どこが虚偽情報でどこが非公開情報にあたるというのでしょうか。リストの内容に間違いを発見したなら出典を添えて訂正すれば良いだけの話であり、間違いがあったとしても名誉毀損その他の被害が生じるとは考えられず、そもそも「歴代経済産業事務次官」のリストが非公開情報に該当するわけがありません(公務員の人事については官報その他でおおっぴらに公開されている情報です)。ご自分の行動を正当化するために「財団へのクレーム」を持ち出すのは、この場合きわめて苦しいこじつけとしか思えませんね。--182.168.245.143 2012年8月20日 (月) 14:22 (UTC)
コメント 根本的なことですが、こと存命人物について事実と異なる記述は、それだけで相応に有害なのではないですか。出典の明記されていない記述は事実であることが担保されていないのですから、むしろ積極的に除去するべきではないのですか。明らかに批判的と言う訳では無いから特に何もしなくても良い、と言う訳にはいかないのではないのですか。・・・Wikipedia:存命人物の伝記では何故か「典拠無き批判は即時除去」のみが強調されていますが、本来Wikipedia:検証可能性ではこの手の除去について異論は認められないとされていますし、存命人物の伝記についても「他の分野の記事ではできの悪い記事でも、よくなるのを気長に待っていればいいでしょうが、存命中の人物の記事の場合はばっさり削るか、消してしまうべきです。」との言及はなされています。ろくに出典の提示がなされていない記事は、議論の余地無く、できの悪い記事でしょう。・・・そもそも皆さんは、ウィキペディアの信頼性≒出典の提示度合いについて、如何お考えでしょうか。勿論完璧はあり得ません。ですが、典拠無き記述が取り払われる(除去されるか、出典が後付けされる)ペースは、このままで良いのですか?要出典を貼付する事にさえ拒否感を露わにされる方もいらっしゃる現状で本当に良いのですか。従来のままの運用で、日々相当数の記事が改善されており(少なくとも出典の無い記述が加筆される頻度より、それの消去頻度が大きく上回っており)、おおよそ満足なレベルでウィキペディアの品質は向上し続けていますか?少なくとも存命人物とハイカルチャーについては、私は何らかの実効性の有るアクションを検討する必要のある状態であるとの感想を抱いているのですが。・・・この辺りはコミュニティ全体のコンセンサスの問題です。もし「信頼性も改善程度もこのままで十分。重ねての積極的な対策など不要」とお考えの方が大多数なのであれば、それが日本語版ウィキペディアなんだな、と言う事で、ただただ納得するよりありません。--Hman会話2012年8月20日 (月) 14:25 (UTC)
コメントそれではHmanさんに伺いますが、今回のVigorous actionさんの行動は、出典のない「できの悪い記事」を出典のある「できの良い記事」に成長させていく上で有益な「実効性の有るアクション」といえるでしょうか。すこぶる疑わしいと思います。出典がない記事についてはノートページで問題を提起し、みずから出典を探す努力をおこない、それでも見つからないなら削除依頼なり何なりに諮るのが「実効性の有るアクション」でしょう。記事の成長には時間がかかる場合もあります。そうやって記事を育てていくために「出典の明記」その他のテンプレートがあるのではないですか。今回のVigorous actionさんの行動は、そういった一連のプロセスを乱暴に踏みにじるものです。--182.168.245.143 2012年8月20日 (月) 14:39 (UTC)
コメント それもですね、考え方次第なんですよ。私は「信頼性を担保できない情報や、ましてやそれが疑問に思える記述は、ない方がマシ」と考えています。ですから、まあ完全白紙化かどうかはともかく、不適切箇所の大幅な除去は、それだけで記事の品質を向上させていますし、何からの理由を付けて「削除」処理がされるのであれば、それはそれで品質は向上したと考えます。つまり、今回の件については「程度問題」と言うスタンスですね。とにかく、ウィキペディア発信のデマの流布の可能性、およびそれを原因として(特に)特定個人に不利益を与える可能性は、極力避けねばならないと考えています。いっそ最悪の事態であると申し上げても良い。逆に「出来の悪い記事でも維持しておけば超長期的には改善されている可能性があるから一時的な低品質には目を瞑って記述を維持するべき」と仰る方もいらっしゃるでしょう(それらの方の中には、要出典を積極的に用い、閲覧者に注意を促すべきとお考えの方もいらっしゃれば、要出典の貼付を拒否なさられる方もいらっしゃるでしょう。調べればわかることなんだからお前が調べろと仰る方もいらっしゃるでしょう)。信頼性や安全性を重視するか、活発化または分量を重視するかと言うお話になるのでしょうか?ですが、こと存命人物の伝記、及びハイカルチャーについては、私は後者の運用には同意致しかねます。コミュニティ全体として、どう対応していくべきなのでしょうね。--Hman会話2012年8月20日 (月) 14:53 (UTC)
テンプレがあろうがなかろうがほとんど出典の無い記事は何か無い限り(たとえば削除依頼、今回の白紙化、何かのイベント)いつまで経ってもありませんし、除去する側にそのプロセスを強いたら潰れるんじゃないですか?というか除去する側にその行動すら必要無いと思いますが。記事の成長に傾きすぎで正確性をおろそかにしすぎではありませんか?また成長の時間はどれくらいでしょうか。いつまで生年や本名に出典が無い状態を容認すればよいのでしょうか。--多摩に暇人会話2012年8月20日 (月) 14:56 (UTC)
コメント 本件では、記事・記述を残しつつ要出典テンプレを貼る行為までが問題になっているわけではありません。また、要出典テンプレが貼られて暫く待っても──この「暫く」の長さはケースバイケースですが──出典の出てこない記述を除去する行為が問題になっているわけでもありません。出典のない記事・記述について、問題提起も対話も合意形成もせず白紙化することの是非が問題となっています。「記事の成長に傾きすぎで正確性をおろそかにしすぎではありませんか」というご意見については「そもそもウィキペディアはそういうものでしょう」と申し上げるしかありません。とにかく正確な記事が読みたい、成長など待たず最初から完成された記事が読みたいという向きは、最初から紙媒体の百科事典を読むべきではないでしょうか。そもそも正確性を最も重んじるプロジェクトなら私やあなたのような素人が参加できるわけはないのではありませんか。--182.168.245.143 2012年8月20日 (月) 15:26 (UTC)
生年や本名、ゴシップ等に出典が無いのはウィキペディアはそういうものであるから仕方がないと言うことですね。もう根本的な考え方が違うようです。結局苦情が来るという異常な状態に突入しているのにも関わらず除去するにしてもいちいちお伺いをたてなければならないと考える人物もいると言うことですね。わかりました。--多摩に暇人会話2012年8月20日 (月) 15:37 (UTC)
コメント いいえ、わかっていません。あなたは藁人形論法を弄しておられますね。私が言うのはそういうことではなく、「生年や本名、ゴシップ等に今現在出典がなくてもウィキペディアの性質上そのうち出てくることもあるので要出典テンプレを貼り、まずは待つのが良い。ノートページで問題を提起し、出典を募るのも良い。しかし問題提起も対話も合意形成もせず白紙化することは、共同作業の場では異常な行為である」ということです。また、前に書いたことの蒸し返しになりますが、Vigorous actionさんは経済産業事務次官の「歴代経済産業事務次官」のリストの白紙化を含む一連の行為について「出典もなく虚偽情報や非公開情報を書かれているといったクレームも年間で数件といったレベルではない状態で財団の窓口に相談がある」と弁解なさっています。しかし、このリストの具体的にどこが虚偽情報でどこが非公開情報にあたるというのでしょうか。また、このリストについて具体的にどこからどのような苦情が来ているというのでしょうか。私的な逸脱行為について、財団をダシにする形で自己正当化を図るのは不誠実で卑怯な態度と申さざるを得ません。--182.168.245.143 2012年8月20日 (月) 15:49 (UTC)
次官の件はVigorous actionさんに聞いていただけませんか?私は存命人物のことについて話題にしております。で、「生年や本名、ゴシップ等に今現在出典がなくてもウィキペディアの性質上そのうち出てくることもあるので要出典テンプレを貼り、まずは待つのが良い。ノートページで問題を提起し、出典を募るのも良い。しかし問題提起も対話も合意形成もせず白紙化することは、共同作業の場では異常な行為である」←これこそ異常な考えですよね。Wikipedia:存命人物の伝記には「即除去せよ」とあり、ノートで問題提起するのは除去してからではないんですか?--多摩に暇人会話2012年8月20日 (月) 16:05 (UTC)
コメント「存命中の人物に関する否定的な情報で出典の無い、あるいは貧弱な情報源しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです」と書いてありますね。方針文書の中から自分に都合の悪い部分を勝手に省略して「つまみ食い」するのは我田引水、牽強付会というものです。次官リストのどこが「否定的な情報」なのか、摩訶不思議で奇妙奇天烈ですねぇ。--182.168.245.143 2012年8月20日 (月) 16:10 (UTC)
次官リストにこだわりますね。Vigorous actionさんに直接聞いていただけませんか?それかコメント依頼でどうぞ。--多摩に暇人会話2012年8月20日 (月) 16:35 (UTC)
コメント 「今回のVigorous actionさんの行動は、出典のない「できの悪い記事」を出典のある「できの良い記事」に成長させていく上で有益な「実効性の有るアクション」といえるでしょうか」とお訊きしております。「程度問題」とのことですが、Hmanさん個人としてはこういった編集をも「記事を育てるために有益な実効性の有るアクションである」とお考えですか。--182.168.245.143 2012年8月20日 (月) 15:08 (UTC)
コメント 私のコメントを良くお読み頂きたい。論点が違います。私はウィキペディアの今後の為に必用なアクションを起こすべきだと申し上げているつもりです。個々の記事については、成長させるべき記事もあれば、維持すべき記事・削除すべき記事もあるでしょう。ウィキペディアの今後の為に、と言った観点からは「こと存命人物の伝記やハイカルチャーにおいては、出典・情報源が明らかにされていない記述は、従来より相当に積極的に、除去される」と言う運用にシフトする、とのアクションは、相応に実効性があるものと考えます(現役の編集者がしっかりしませんと、今後お越し頂けるご新規の方に検証可能性をご理解頂けることも難しいのでは、と言った見方もあり得ます)。全編について典拠が無いのであれば、結果として真っ白になってしまうのは必然ではないかと思うのですが。ただし、ほとんどの記事では、いくらなんでも定義が残せるくらいの文献は貼付されていると信じたいです。--Hman会話2012年8月20日 (月) 15:35 (UTC)
コメント(競合しましたがそのまま)「記事を育てる」とはどういうことでしょうか。真偽不明の記述で存命人物の記事をとにかく1文字でも記述を増やしていくことなのでしょうか。そうして増えた記述は、結局記述内容の精査に時間を取られてしまい、結果として確実な出典をもとにゼロから記事を書いたほうが結局のところ最終的に成長した記事を作るのが早いのではないかと、最近の存命人物でケースEで削除依頼にかかる記事を眺めていて思います。存命人物の記事を好んでかきたがる人にかけているのは「この記述を対象者本人が読んだらどう思うか」「こんなこと、百科事典の記事の内容として書かれたら嫌だろうな。それならば書かないほうがいいか」という謙虚さなのではないかと思います。「そんなこと言ってたら何も書けない」と言われるかもしれませんね。その場合、「結局その人を百科事典の記事の題材にするには時期尚早だった」ということなのかもしれません。--VZP10224会話2012年8月20日 (月) 15:46 (UTC)
コメント「「記事を育てる」とはどういうことでしょうか」。繰り返しになりますが、具体的には「今は出典がなくてもそのうち出てくることもあるので要出典テンプレを貼り、まずは待つ。ノートページで問題を提起し、出典を募る。自分でも出典を探す」といったことです。むろん名誉毀損に繋がる記事・記述については対処すべきですが、その場合にすべきことは白紙化ではなく特定版削除です。--182.168.245.143 2012年8月20日 (月) 16:01 (UTC)
コメント すいません、ちょっと言葉足らずでしたので、間にVZP10224さんのご編集が入ってしまいましたが、ほぼそのまま・・・。改めて考えてみましたが、個々の記事についてのアクションもやはり、論ずるのであれば、典拠のない記述の除去は、それだけで、改善なのではないかと。出典の無い記述だらけで埋め尽くされた存命人物記事が有っていいんですか。いやもちろん、典拠のない記述に典拠がつく。それがベストです。ですが、何年も何十年もかかるケースもあれば(むしろすぐ付く方がレアケースであるとの印象です)、そもそも事実とは異なる記述であり、永久に出典が付かない、つまり除去するしかないケースももちろん多くあります。・・・サブカルなどであれば、それでも良いかもしれません。ですがこと存命人物の伝記において、「不正確でも表示を維持し続ける」と「不正確なものは正確性が担保されるまで除去しておく」と言う選択は、後者であるべきなのではないですか。--Hman会話2012年8月20日 (月) 15:51 (UTC)
コメント 「論点が違います」。いや、違いません。私が提示した論点は「今回のVigorous actionさんの行動は、出典のない「できの悪い記事」を出典のある「できの良い記事」に成長させていく上で有益な「実効性の有るアクション」といえるでしょうか」ということで、これに対するご意見をお訊きしたのです。簡単な話だと思うのですが、何か一般論にすり替えないと都合の悪い事情でもおありなのでしょうか? --182.168.245.143 2012年8月20日 (月) 15:56 (UTC)
コメント少なくとも白紙化除去しただけであれば履歴には残っていますので、最新版からとりあえず取り除いておいて記事の対象となっている相手方からの苦情を何とか回避しつつ、過去版の履歴に残っている真偽不明の記述について、確実な出典があるものだけを復帰する作業を行う時間が取れる、という意味では「実効性のあるアクション」でしょうね。--VZP10224会話2012年8月20日 (月) 16:01 (UTC)
コメント「相手方からの苦情を何とか回避しつつ、過去版の履歴に残っている真偽不明の記述について、確実な出典があるものだけを復帰する作業を行う」。お言葉ですが、Vigorous actionさんはそんな丁寧な作業はやっていないですね。裏側でそのようなことをやっていた証拠があるならお見せ下さい。苦情が出るような記述をうわべだけ「消したふり」をして「苦情を何とか回避」というのも随分ひとをバカにした、姑息な態度ではないでしょうか。--182.168.245.143 2012年8月20日 (月) 16:21 (UTC)
ここは出典のない記述の除去や白紙化について建設的に話し合っていく場であって、Vigorous actionさんを断罪する場ではありません。お間違えでなければいいのですが、不安になりましたので指摘させていただきました。--謎の魔人X会話2012年8月20日 (月) 16:34 (UTC)
コメント貴殿がしきりにやり玉に挙げている経済産業事務次官について、「歴代経済産業事務次官」を列挙しなければ記事として成り立たない、ということもないでしょう。まあ確かに除去されたことによって見た目はすごくしょぼくなってしまっていますが、貴殿のおっしゃる通り過去の官報を洗い出せば出典として有効な記述なので、復帰するのは出典とともにすればよかったのではないかと思います。「否定的な記述でなければ出典は不要」というわけではありませんので。また、歴代次官一覧を書く代わりにほかの記述を(もちろん出典付きで)増やしていけば、記事の内容に広がりがあったのではないかと思います。--VZP10224会話2012年8月20日 (月) 16:42 (UTC)
(追記)ここは個別の記事の編集内容について話し合う場ではありませんので、上記記事について言及するのは以上とさせていただきます。これ以上疑問点がありましたら、ノート:経済産業事務次官にてお願いします。--VZP10224会話2012年8月20日 (月) 16:47 (UTC)
コメント 182.168.245.143様へ。これは実際にネット上で議論されている話ですが、ある人物Aの出身大学がB大という説があります。このB大は偏差値が高い東京6大学です。私なら、出身大学と誤情報で書かれても嬉しいとさえ思います。しかしネットで人物Aを擁護する人間達は「大学B出身とする明確な根拠がない、彼はもっと上のレベルのT大学を出ている!!失礼だ!!」と主張しています。話をまとめると、自分達が問題ないと思っている内容でも、見る人にとっては、不快な内容である可能性があるという事です。そのようなものを出典なしで書くというのはいかがなものでしょうか?というわけでHman様の仰る通りだと思います。--JapaneseA会話2012年8月20日 (月) 17:25 (UTC)
その大学についてのケースは内容に関する免責事項で免責されるケースですので、そのようなものは実際に論争になった時点で対処すればいいお話です。そのお話では「誤情報」で、かつ「見る人にとっては、不快な内容である可能性をもつ記述」ですね。「誤情報」は判明次第修正されなければなりません。が、「見る人にとっては、不快な内容である可能性」は、他人から十分に予測できるものであれば対処すべきですが、十分に予測できないものなら「なんとなくの可能性」では除去の理由にならない(論争にもなってない時点での話ですよ…)。そして、そういう記述はページ全体に及ぶことはありません。つまり白紙化までには至らないのです。--Afaz会話2012年8月20日 (月) 23:59 (UTC)
コメント こういう強行手段は、逆効果じゃないですかね。例えばVigorous actionさんが白紙化された篠田博之という人の生年は「外部リンク」の節に挙げられている公式ブログにも書かれているわけで、一応の出典は示されているというべきでしょう。これを消すのは一種のポリシーであって、強すぎるポリシーは、管理者という立場にとっては、むしろ有害ではないですかね。--Freetrashbox会話2012年8月20日 (月) 14:49 (UTC)
外部リンク節は外部リンクであって、出典ではありません。管理者云々ですが今回の件と管理者権限とは別物です。書かれていた内容が公式ブログに記載されていたわけでもありません。--Vigorous actionTalk/History) 2012年8月20日 (月) 15:03 (UTC)(一部修正--Vigorous actionTalk/History2012年8月20日 (月) 15:14 (UTC)
コメントそれは官僚主義、あるいは手続き主義というものです。出典とみなせるものがあるか十分検討するのが正しい態度で、バッサバッサと白紙化してしまうのはただの荒らしとそう変わりがありません。--Afaz会話2012年8月20日 (月) 23:44 (UTC)
コメント 私が一番言いたいのは、こういう強行手段は、逆効果じゃないですかということです。「存命人物に関する不確かな記述を減らしていきましょう」「記述には出典を付けましょう」「ウィキペディアにかかる法的リスクを減らしましょう」といった提案そのものに反対意見が付くはずもないのに、この場の意見を見る限り、Vigorous actionさんのやり方は賛否両論と言った感じで、提案を実現するいう観点から見れば、むしろ前より事態は悪化したという印象を私は受けますね。また、他の人が書いているように、気楽に書けるということも大切なことで、Vigorous actionさんもウィキペディア参加当初から出典を付けて投稿していたわけではないでしょう。ウィキペディアの各ルールは、適当にバランスを持って適用するべきだと私は思いますね。--Freetrashbox会話2012年8月21日 (火) 11:18 (UTC)
182.168.245.143のIPさんやFreetrashboxさん、Afazさんは「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」とあるのに文句言っています、文句言ってはいけません。ルールは守りましょう。でもきっと納得されないのでしょうね。で、ジンボ・ウェールズさんの意見を聞いてみてはどうでしょう?私は英語できないし、もうコメントしたから中立的ともいえないので、英語が出来て、中立的で頭のいいJkr2255様にすみませんがご足労願って、今回の経緯をジンボさんに説明してもらって、ジンボさんの意見を聞いてみませんか?Jkr2255様、突然お名前出してすみません。英語が出来て中立的に考えられる人が私には他に思いつかなくて。--朝姫会話2012年8月21日 (火) 03:07 (UTC)
コメントウィキペディアのルールというのは常に背後の思想・精神を考える必要があります。なぜそう決まったのか、その記述はどういう理由で存在するのか。「文句は言えません」と書いてあったら必ず文句は言えないのですか?それについてはWikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説をよく読んで下さい。そのことについてはこのトピックから話題がずれるので、別のトピックで議論してください。--Afaz会話2012年8月21日 (火) 03:28 (UTC)
コメントここまでの議論を受けて、あえて名指ししますが、Vigorous actionさんやHmanさんに質問したいことがあります。まず現状において、きちんと出典を参照して記事を書く利用者よりも、そうではない利用者のほうが圧倒的に多いのは間違いのないところでしょう。出典の伴わない記述は除去するという対応を強くするということは、後者の活動を否定する方向へコミュニティを動かしていこうということなのだと思います。当方針を理由とした記述の除去を推し進めた場合、「書いたことがすぐに消されてしまう」と感じ、やる気を失う利用者が(どれだけ丁寧に説明したとしても)少なからず出ることが予想されます。お二人は外部社会におけるウィキペディア日本語版の信頼・信用を守ることを重視すべきというお考えだと思いますが、そのためには(場合によっては大幅な)参加者の減少もやむを得ないとお考えでしょうか。私が問いたいのはそのことの是非ではなく、そこまでの覚悟をお持ちかどうかということです。--Pastern会話2012年8月21日 (火) 04:31 (UTC)
コメント 今回直接的な話題となっている存命人物についてはウィキペディア自身が信頼・信用を得たいと言うよりは、不正確な記述で第三者に迷惑をかけてはいけないと言った観点を持つべきではありませんか。必用なことを是非行った結果として存命人物にまつわる記事について分量・編集数や編集者が多少減少するとしても、やむを得ないでしょう。「ウィキペディア側としては編集数や編集者を減らしたくないから不正確な記述で第三者に迷惑をかけても構わない」、とは、考えたくありません。減少後の数値が、本来あるべき程度なのかもしれません。・・・他の分野全般につきましては将来的なお話となりますが、それをどの程度徹底させるのか、他に具体的かつ有効な方策はあり得ないのかについては議論の余地があるのでしょうが、こちらにつきましても根本的なところでは、多少の減少はやむを得ないと考えています。--Hman会話2012年8月21日 (火) 08:00 (UTC)
コメント 拠って立つスタンスは若干異なるものの結論としてはHmanさんに近いです。存命人物の伝記記事に対して要求される検証可能性のレベルは、他の一般的な記事と比してハードルが高くなることには妥当性があります。個人的には包摂主義的である私としては、今回のVigorous actionさんの編集は、少々行きすぎとも思えるものでしたが、だからと言って指弾される編集ではないと思います。むしろ、この行動によって、前向きに方針のあり方が議論されるのであれば、これを奇貨とすべきでしょう。
ここで、もう一つの指摘をするならば、存命人物の伝記に関しては、当該人物のプライバシーをどの程度考慮すべきかという問題があるということです。第三者からの言及という出典のない人物は、いわゆる「公人」というよりも「私人」に近いと想定でき、そのような人物に関しては定義だけと言えどもプライバシーの侵害になる可能性があることを忘れてはいけないと思います。それは、「批判的」という縛りとは無関係です。
個人的には、ネットでわずかばかり検索すれば明らかになる程度の特筆性を持つ人物なら、全くの白紙化にする必要はないと思いますが、その辺は「程度問題」と考えます。私は「信頼性を担保できない情報や、ましてやそれが疑問に思える記述は、ない方がマシ」とまでは考えていませんが、「信頼性を担保できない情報で、かつそれが疑問に思える記述」であれば、「ない方がマシ」だとは思います。そして、「疑問に思える」は編集者の基礎知識やスタンスによって結論が変わりうるので慎重に議論する余地があろうかと思っています。--ろう(Law soma) D C 2012年8月21日 (火) 04:35 (UTC)
コメント全体を通して見て、思ったことを3点。
(1)「除去」と「白紙化」をごっちゃ、またはすり替えて話をしていませんか?出典のない記述を(猶予期間の差はあれ、最終的に)「除去」するのはWikipediaでは常に正しいというのは疑いのない所です。けれど、だからって「白紙化」が無条件で許されているわけじゃないでしょう。除去を積み重ねていった結果記事が真っ白になってしまうことは、残念ながら仕方のないことですが、最初から「白紙化ありき」で編集を行うのは間違いです。でも一方で、事実は「除去を積み重ねていった結果記事が真っ白」なだけなのに、「アイツは白紙化ありきで編集してる」と非難するとしたらすり替えでもあります。同じく「白紙化ありきの発想」を非難している人を、「出典のない記述の除去に反対するとはWikipediaの精神・方針が分かっておらず、記事品質を軽視している」というのも、論点のすり替えです。
(2)除去は是であるとして、でもなぜ、全ての案件を均一に取り扱う必要があるのでしょうか? 出典のない敵対表現は「存命~」を根拠に即、除去でいいでしょう。あとはコメントに『出典なき敵対表現。「存命~」参照』とでも書いとけば十分。けど、それほどでないものは、要出典やテンプレートの貼り付け、ノートでの提起等の相応なプロセスを踏み、「適当な期間」を設けてから除去でも十分間に合うはずです(というのが「常に」「即」白紙化を選択することを非難する人の考えなのではないですか?)。で、その「適当な期間」は1日だって1年いいんだから。そういう個々判断・個々対応をせずに、常に除去や白紙化を強行するとしたら、「除去や白紙化が目的化しているのではないか」と疑われても仕方ないでしょう。
(3)記事を読んだ受け手の感情を根拠にすべきという方針は記憶にありません。「受け手が不快になったから/なるかも」なんて相対的で主観的な話であり、それを根拠に記事を「書く/修正する/除去する」というのは、出典のない記述を書くのとレベル的には同じです。まぁ、本人が「不利益だ」というなら考える必要もあるかも知れませんが、赤の他人の「大学B出身とする明確な根拠がない、彼はもっと上のレベルのT大学を出ている!!失礼だ!!」なんて「出典のない」主張なんて取り合うに値しません。方針に従って粛々と「大学B出身」という記述に「要出典」を貼り、適当な期間の後に除去すれば十分足りる話です。
--はま会話2012年8月21日 (火) 05:20 (UTC)
はま様へ。私が提示した例で「大学B出身」という記述に「要出典」を貼り、1年後「T大学を出ている」に出典が見つかった場合、「間違えてたけど、修正したから別にいいか」ですか?「閲覧者が不快になっても構わない」は許容できても、「本人が不快になっても構わない」は許容できないでしょう。Afaz様へ(コメント位置がとんですみません)。『「十分に予測できない」から出典ないけど、書いておいても良い。多分悪口じゃないし』ですか?--JapaneseA会話2012年8月21日 (火) 11:14 (UTC)
そもそも「1年も放置」という極論に持っていこうとする点に恣意的な狡さを感じますが。ともあれ、その程度の修正で問題はないでしょう。だいたい「本人が不愉快」ってのを、貴方はどうやって知るんで?もし貴方の想像でしかないなら話になりませんよね。だから『それを根拠に記事を「書く/修正する/除去する」というのは、出典のない記述を書くのとレベル的には同じ』と言っているのです。失礼ながら、貴方の想像なんてWikipediaでは一文の価値もないんです。もし仮にその当事者が「不愉快である。出身大学はT大だ」ないしは「不愉快である。出身大学は記載と異なる」と表明するなら、それを出典として書き換えれば良いことです。あるいは大学名を言わなくとも「不愉快である。公表したくない」というなら、明確に非公開情報だと分かったのだから、その場で速やかに除去する必要があります。その場合議論なんて不要でしょう。しかし、単に出典のない情報に過ぎないなら、粛々と要出典を貼り、然るべき時期に粛々と除去すればいいことです。「存命~」でもジミー・ウェールズの「出典無き情報は積極的に取り除くべき」との言葉が引用されていますが、『「積極的」=「即時除去」や「即時白紙化」である』などとは一言も書かれていません。本人から特段の意思表示がないならば、Wikipedia執筆者たちの慣例的判断に従って除去すれば良いことです。
というか、普通にWikipediaの慣例的判断を考えたら、普通は2週間程度で「1年」はないですよね。自分に都合の良いように極論やすり替えを弄するのはやめませんか?建設的でないので。--はま会話2012年8月21日 (火) 11:50 (UTC)
はま様へ。故意に極論にしたのは、わかりやすいかと思ったからです。別に「私の都合の良い」とかはないですよ(だってこれWikipediaノートですよ。記事ノートなら、そういう疑いもありですけど)。後は繰り返しのような会話になるので、これ以上の意見は控えます。--JapaneseA会話2012年8月21日 (火) 12:14 (UTC)
コメント はまさん、JapaneseAさん、こんばんは。横から失礼いたします。
こちらの議論に参加するつもりは特に無かったのですが、たまたま拝見しまして。すこし、ヒートアップしているようですので、まずは落ち着きましょう。
傍から見ていても、JapaneseAさんの挙げられた「出身大学ABC」の話は、あくまで(おもしろい)事例の一つとしてであり、それを根拠に「一事が万事」で除去・白紙化という議論ではないでしょうに。もちろん、実際にWikipediaでそのような誤記編集なされ、それを当の本人が不快に思っていたとしても、我々ユーザーは判らない訳で、対応方法としてはやはり、はまさん が仰る通りになるでしょう(と言うよりも、それ以外の対応方法は難しいかも)。
問題はそこではなく、むしろ「他者には何でもない[誤]情報でも、当の本人にとっては極めて重要な(あるいは不快な)こと」「そのような情報が長く、誰にも気づかれなく放置されること」の可能性を、JapaneseAさんは心配されたのではないでしょうか(間違っていたらすいません)。
まぁ、そういった可能性は他の部分でも有り得ると思いますし、その様な可能性をなるべく避けることが、リスク(訴訟沙汰)の軽減であり、信頼性の向上に繋がるとは思います。
「信頼される世界最大の事典」という共通目標を掲げておきながら、記事本人からHPやブログで「あんなのインチキだ」と批判されるような事態は、方針云々以前に、心情的には避けたいものですね。
で、私の感想としましては、(当たり前ですが)皆が出典を元に編集すべきであり、出典なき記事に対してはケースバイケースで当たるしかないような気がします。「白紙化」という方法は好みませんが、そのような断固とした方法も、選択肢として残しておきたいなと思っています。ホントたまにありますからね、初版から記事全体が怪しいのが。--Ashtray (talk) 2012年8月21日 (火) 13:04 (UTC)
御世話になってます。私の意図は仰る通りでございます。私も極論で物を言いすぎたようです。ケースバイケースが良いのかもしれませんね。--JapaneseA会話2012年8月21日 (火) 14:25 (UTC)
Ashtrayさん、しばしば二言目には「ヒートアップしてる」とレッテルを貼りたがる人(場合によっては、それで相手を貶めたがる人)って極めて多いですけど、少なくとも私は冷静ですよ。だからJapaneseA氏の主張にちゃんと反論できているのですけども。何か「長く書く」とか「皮肉を返す」とかすると、一つ覚えに「ヒートアップ」って言う人がいますが、そういうのは冷静だからこそ的確にできるものなんですよ。
それはさておき、適切な除去も、適切な白紙化も、この議論で誰も否定してませんけども。対立軸になっているのは「何が適切か」って判断でしょう?Vigourous action氏の白紙化に違和感を感じる人は、その判断やプロセスが適切でないと言っているだけで、白紙化という「断固とした方法も、選択肢として残しておきたい」すら否定しているようには読めませんが。
それに、繰り返しますが「他者には何でもない[誤]情報でも、当の本人にとっては極めて重要な(あるいは不快な)こと」「そのような情報が長く、誰にも気づかれなく放置されること」ってのが、明確な論拠によらず、ただ自分の想像や懸念にしかよらないのなら、それは貴方の問題視する「出典無し情報を記載する」と大差ないんです。例えば仮に「出典はないが本人にとって重要な【事実】」が、単に「心配だから」って【だけ】の根拠で除去されたら、記事本人からHPやブログで「あんなのインチキだ」と批判されるでしょうよ。だから、書くのも消すのも適切な根拠やプロセスが必要なんです。方針や慣例に照らして即除去できる状況ならすればいいし、そこまででない内容なら面倒でもテンプレート貼り付け等のプロセスを踏んだ後に除去するしかない。
最新の方針は見てませんが、私が活動してた頃は「荒される不安があるからというだけで、記事の保護をしてはいけない」という方針があったと記憶しています。つまり勝手な・恣意的な「懸念」で動いちゃダメってことです。記述の除去も、本人からの意思表示が明確だとか、ルールに従ったプロセスを踏んだとか、そういう明確な根拠に基づいて行われるべきですし、それで除去するなら「懸念が」を持ち出す必要はありません(「出典なき記事に対してはケースバイケースで当たるしかない」という結論が一致しているのは理解しています。ただそこへ向かう根拠に違和感を感じたのでコメントしました)。--はま会話2012年8月21日 (火) 15:29 (UTC)


  • (コメント)記事は個々にすべて異なります。出典のない記述を除去することも、その延長で白紙化が適切なケースもあるでしょうけれど、個々の記事に対し、その除去理由をノートに書かないことには共同作業の場としてのバランスが保てません。今までずっと行われてきたように、出典を促すタグを貼り、それでも改善されないなら除去予告をし、改善されないままなら除去される・・・という段階を踏むほうがいいでしょう。このセクションのタイトルのように、ソースがない=白紙化しても良いという単純図式ではないということは、強調しておきたいです。--海獺会話2012年8月21日 (火) 15:05 (UTC)
コメント長くてすみません。まず、関連する方針などをさらいます。
「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます」としてはいるものの、これは「ルール」ではなく「方針」ですし、取り除けと言っているわけではありません。書き手に向けて心がけを書いているものだと思うのですね。で、書くべきか書かざるべきかという話になったときに、まずは出典出す、と。経験を積んだウィキペディアの編集者は、検証可能性を満たすように記事を書くべきです。新規参加者には、情報源を示すことを案内し、その理由を説明するべきです。執筆者間で論争があったときに、出典が出ないならば、その記述は除去されるべきでしょう。
しかし、たとえばWikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れないには「事実かもしれない記述を除去するときは、注意深く行うということにも留意してください。しばしば、書き手というものは、根拠のある記述を、出典(参考文献)を示さないまま書き込みます。ですから、もしあなたが、ある記事から何かを除去したいと思ったときには、まず除去したいと思った内容の正確性を確認してください。」とあり、事実かもしれない記述については、まず除去したいと思った内容の正確性を確認することが求められています(そして経験豊かなウィキペディアンが除去しようとして、正確であると確認したなら、検証可能性を満たすようにその情報源を追記するべきですし、調査が不十分であるなら正確性が確かめられなくてもそれを「確認」とは呼ばないことは理解しているでしょう)。Wikipedia:編集方針#記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずにでも、記述の改善のために検討を期待される手段の一つに、出典がなければ、(自分で)検索エンジンやニュースサイトなどで探してみるというものが挙げられています。
編集者が自らの知識や調査によって事実ではない、記述されるべきではないと考えるならば除去は妥当な方法であり、検証可能性の方針はそれを支えるものですが、情報源が示されていないというだけで除去してもいいということにはならない。確認なき除去はガイドライン違反であり、検証可能性の方針は確認なき除去を正当化する文章にはなっていません。
存命人物についてはやや扱いが異なり、中立性と検証可能性について特別に注意を喚起する方針を整備することが求められ(財団決議(日本語訳))、日本語版にも方針があります。そのような認識が日本語版でも定着してきたこと[1]には同意します。
まず、白紙化の問題です。白紙化は荒らしの類型の筆頭ですが、「白紙化が正当な場合の例としては、存命人物の伝記の全部または部分的な除去」という注記があります。ただし、これは、あらゆる存命人物の白紙化を正当化するものではないと考えます。この注記では、「不正確な、あるいは偏った記述の除去に努めることにつながることがあります。説明がなくても善意に基づいて内容が除去された場合がありうる」としつつ、そこで「荒らし」として扱ってはならないとしています。例示されているテンプレートは、より弱いとはいえtest系のテンプレートであり、en:Template:Uw-delete1では元に戻したという報告を含みます。「Wikipedia:存命人物の伝記」でも、IP編集者が存命人物の記事を全部または一部消去する場合は、注意深く判断しなければならず、項目の個人が特に著名なわけではない場合、そういう編集は「通常、荒らしではなく」項目当人が偏ったり不正確だったりする記述を取り除こうとしていると考えなければならないと書かれています。存命人物の一部または全部の除去/白紙化は、本人が行ったものであったり、善意に基づいた不正確な、あるいは偏った記述の除去だったりするので、不当な行為ではなく、荒らしでもないが、その白紙化が支持されているのではないと受け取るのが自然でしょう。この注記は、存命人物であっても、白紙化を正当化するものではないです。
英語版にはen:Wikipedia:Page blankingというガイドラインがありました。通常は白紙化するべきではないが、存命人物の伝記の方針にあるように、緊急の方法として名誉毀損やプライバシー、著作権侵害を理由にする場合は受け入れ可能だとされています。この白紙化は、権利侵害の判断が妥当であり、よりより他の方法が使えないなら(たとえば、明らかな権利侵害であるときに管理者が削除でなく白紙化を選ぶのは妥当ではない)正当な対処と言えます。
「存命中の人物で出典の無い記事を即時削除対象にする提案」[2](2011年6月22日 (水) 06:21 (UTC)~)は、存命人物に対する検証可能性を厳しくしようという点では意見はそろっていますが、その運用・細部については一致していません。このなかに、幾人かから、削除ではなく一時的に白紙化というステップを設けるという意見もありました。テンプレを残すという案も。
白紙化ではない除去であるならば、「存命人物の伝記」では、上で参照した箇所に続けて、否定的な題材は存命人物の伝記とそのノートから除去すべきです—その際の除去は議論無しで行なっても構わないとされています。否定的な題材でなければ、議論なしで除去を行うことが直ちに認められるものでもありません。存命人物の伝記は責任を持って、保守的・中立的・百科事典的に書くべきですし、存命中の人物の記事の場合は、できの悪い記事をばっさり削るか、消してしまうべきではあります。しかし、すべての内容を除去することや、そこそこ保守的・中立的に書かれていると思われるが情報源に欠ける記事を、議論や説明なしに、また情報源を探すことなく、ばっさり削ったり消してしまったりするべきでもないと考えます。一般的な記述に対して、正確さや責任を求める文章はありますが、情報源の明示を強く求める文が出てくるわけではない。責任は、差分と履歴ページで担ってもらうことになります。不正確かもしれない記述で第三者にかかるかもしれない迷惑にも程度というのがあって、方針上は否定的な記述や個人情報とそうでないものは区別されている。
財団決議(日本語訳))で、否定的記述やプライバシーに関係ない記述について触れられているところもあります。存命中の人々についての記事の中には、小さな誤りが含まれていたり、うまくかけていなかったり、きちんと情報源が示されていないということもあり、知名度が限られている人々についての記事は見逃されがちだし、たとえ改善されていくとしても、それにはより長く時間がかかることが指摘されています。こういう事例については、特筆性を理由に削除をするという対応になるでしょう。
行為の是非について。多くの存命人物の記事に情報源が示されていないという状況はなんとかしたほうがいいと思います。しかし、そのための積極的なアクションとして、個人による、事前の合意や告知のない、情報源の有無以外に選択基準がわからない記事の白紙化は、許容できないです。「実効性の有るアクション」ではなく、コミュニティに混乱を招くものだと思います。執筆者にとっても書かれた側にとっても不公平感を与えますし、場合によっては消されたことについてのクレームもあるでしょう。これを「継続するようであれば」[3]「WP:Vを悪用した複数記事の破壊行為」と捉えられても仕方がないと思います。ただし、「存命中の人物で出典の無い記事を即時削除対象にする提案」で意見が出ていましたから、その時からは時間がたっていますし、その間、積極的な告知がされたというものでも、提案時に合意ができていたというものではないと思いますが、大胆なアクションの一つとしてなら理解できます。
実際にはVigorous actionさんは白紙化を継続されていませんから、大胆な試みの一つとして、ブロックや解任の対象にはならないと考えます。また、Yassieさんの伝言板での報告は妥当なものです。会話ページや要約欄は「安易に荒らしと呼ばない」には違反するかもしれませんが、じゃあtest1やUw-delete1にすべきだったというものではないですし、先行する「存命中の人物で出典の無い記事を即時削除対象にする提案」のことを承知していたとも思いにくい。差し戻しの様子からは、除去に対しては荒らしだと言ってるわけでもなさそうです。一連の白紙化が荒らしにあたるという指摘としては許容されるだろうと思います。
個人的な考えを検証可能性の範囲でいうと、ぼくらは百科事典にふさわしい記事を作ろうとしているわけです。そして、記事を書くには、直接的な情報源以外のものも含めた、経験や周辺情報をも参考にすることで、より適切な記事が生まれる。示された情報源以外の知識というのがあって、それは直接記事で出典として書かれるわけじゃないけど、さまざまな情報源があって、それを使ってさまざまな表現が得られるのだけれど、そのなかから最善のものを選ぶために、執筆者間では共有され、あるいはノートでの意見交換で用いられる。よりよい記事を書く上で、それがよりよいものだという正当性を客観的に示し、より深い知識を得たり、書かれていることをより正確に理解するための文献を提示するために、検証可能性というのが方針化されている、ということだと思うんです。意見を支え、議論を進めるためのものであって、削除や除去の根拠にするためのものではない。
存命人物のほうに踏み込みます。Hmanさんの表現を使うと、「信頼性を担保できない情報や、ましてやそれが疑問に思える記述は、ない方がマシ」なんだけど、存命人物についても、情報源の有無だけで信頼性の担保や疑義の判断はしないで、「たくさんの目」の一人として判断したほうがいいと思います。あるいは、執筆者、プロジェクト、ノートなどでの情報提供のお願いなどをすることで、目を増やす。除去するときには議論を試みることで、情報源や事情が見えてくることもありますから、例に出されているような出身大学について云々となったなら、その情報源を探すということになる。否定的な記述やプライバシーに関わるところでは、情報源の有無で判断し、議論なしでも除去できる。
存命人物の伝記において、「不正確でも表示を維持し続ける」と「不正確なものは正確性が担保されるまで除去しておく」と言う選択しかないわけではなく、「不正確でないものに修正する」とか「より除去したほうがいいものから除去を進める」とかいう選択もあるはずです。外部リンクに公式ブログがあるなら、それを参照すれば情報源のある部分を残すことができ、存命人物の記事を育て、その規範ともなることにつながるのに、それをしないで白紙化するというのでは、目的と作業が合致しません。生年や本名、ゴシップ等に出典が無い記事なら、生年や本名はオフィシャルを見て、そこになければ本人が公開を望まない譲渡して、除去あるいは削除依頼です。出典がなく、ゴシップでしかない記述は除去(ただしゴシップかどうかで意見が異なることはあるでしょう)、出典があっても除去が検討されるようなものです。コメント依頼のほうで挙げたAV女優の削除依頼についても、たとえばカタログがネットで見つけやすいと思われる2000年代以降に活動し、既に活動を停止していると思われ、異分野での活動など異なる評価軸が入る余地がなく、いくらか見つかっていない作品があるとしても10本には届かない(たとえば)5本以下の作品しか現時点では挙げられていないものを選び出して依頼に出す(またはプロジェクトやコメント依頼に出す)ということなら妥当だと思う。
なんかですね。ほんとに存命人物記事に不安があるなら、まずは地道に情報源を加えていくことからはじめるのがいいと思うんですね。あるいは、調べたけど情報源が見つからない、特筆性を満たす情報源が得られないので除去なり削除なりをする。個人情報や否定的記述でなければ、事実だと受け取られないような表現にして、ノートに転記することで情報を残すことも可能でしょう。他の編集者がその作業を見て、その結果として情報源が示されている記事を見て、意識が広がっていくのだと思います。最初からそれを謳ったWikipedia:出典をつけよう大会をやるでもいいし。previewみたいなテンプレ作ってbotで会話ページとかでもいいし。それから、各分野にはどういう情報源があって、どういう風にファンな人たちに受け入れられていてみたいなことを踏まえておかないと、善意で書こうとしている人たちが困ると思うんです。新聞で地方版あたってみるとか、なんとかっていう雑誌チェックすればいいんじゃないかとか、そういう書こうとしている人が、書きたい記事を成立させることができるためのアドバイスがないと、どうしたらいいかわからないと思うんだ。記事の主題や記述内容に対して、高すぎる水準の「信頼できる情報源」を求めていては、情報源は付与できなくなるし。存命人物記事に対して、情報源をつけるんだってことを意識している人が増えて、どうしたら情報源が得られるかってことを少しずつでも考えたり身につけたりして、っていう段階がないと、いつまでも情報源は付されない。きちんと出典を参照して記事を書くのではない利用者のほうが圧倒的に多いのは間違いのないところで、そういう利用者の活動を、いきなり「否定」してはどうしようもないと思うんです。そういう利用者が、特に存命人物について書くときには面倒でも情報源を付けるという方向に、少しでも変化してくれるようにしないと。それから、外部社会におけるウィキペディア日本語版の信頼・信用は、たぶん出典の有無では決まらない。正しいか間違っているかで決まるのであって、出典の有無は、それをウィキペディアの利用者が検証するための手段ですよ。ウィキペディアが求める検証可能性は、紙の百科事典の執筆者のような人も含め、ほとんどの人にとって、風変わりなものなわけで。
今回みたいなやりかたはやっぱり荒療治だと思うんです。荒療治が必要な状況だというのも、vaさんがなんかやりたくなるのは心情的に理解できるんだけど、荒療治の方法は一つではなくて、やるならできるだけ波風立てないように方法を選んだほうがいい。緊急になんとかしたいなら、botを使ったほうがいいし、限られた人数でやるなら、一定の妥協点を求めるほうがいい。一定期間を挟んでの新規記事の即時削除なら合意は近かったと思うし、そこでvaさんは特筆性とは別物と考えていたみたいですが、ぼくはこれは特筆性を根拠にした即時削除と考えたほうがいいと思っていて、特筆性を方針化(名称はずっともめてたので、フランス語版に即した収録項目の基準に書き換えた草案があって[4]、Ks aka 98 2010年8月11日 (水) 10:32 (UTC)あたりで合意できそうになったところで細かいところでまとまらなかった)ってのを片付けるのがいいかもしれない。出典のない存命人物のサブスタブをリストにして一定期間の後に削除依頼でも合意は得られるんじゃないでしょうか。緊急性ということなら、情報源はあるけれど中立的な観点からバランスを欠いている記事のほうが問題は大きいかもしれないから、そっちが先のほうがいいかもしれない。話を次に進めるなら、そのへんじゃないかなと思います。--Ks aka 98会話2012年8月21日 (火) 18:10 (UTC)

Vigorous actionさんは財団決議を根拠にされて白紙化を強行されたようですが、財団にとって主たる言語である英語版の状況についてどうなっているかといえば、出典皆無の存命人物記事については白紙化をするのではなく、en:Wikipedia:Proposed deletion of biographies of living peopleWikipedia:存命人物の提案削除)に基づいて、{{prod blp}}のテンプレートを記事冒頭に貼り付け、10日間有用な出典が提示されなければそのまま削除されます(どのような記事が現在提案削除の対象となっているかはen:Category:All_unreferenced_BLPsを参照)。もし日本語版でも財団の趣旨にのっとった行動をとるのならば、白紙化してサブスタブ未満となった存命人物記事を作るのではなく、そのまま削除依頼に提出するか、存命人物の提案削除を導入するのが妥当ではないでしょうか?--Web comic会話2012年8月21日 (火) 23:57 (UTC)


百科事典の記事が定義文もカテゴリすらも除去されてテンプレだけ貼り付けられたページになっているというのは異様な状態です。また存命人物の人権や個人情報を侵害するというのであれば迅速に削除するのが妥当な手法です。白紙化しても過去の履歴からその人権や個人情報を侵害しているとされる部分が閲覧できてしまいます。そもそも私人レベルであればまずタイトル名にその人の名前が大きく掲載されている時点で問題があるのではないでしょうか。一連の白紙化は何ら問題の解決に寄与しない、百科事典の一項目を意味不明なページに置換しているだけにしか見えませんでした。--ShellSquid/履歴 2012年8月22日 (水) 13:08 (UTC)

存命人物の人権や個人情報を侵害している可能性を考えれば、そのままの状態にしておくわけにはいかない。「要出典」なんか貼り付けても、どうせ誰もすぐには反応してくれない。でも、いきなり削除を依頼するだけの確信はない。だから、あえて「異様な状態」にして、ちゃんとした情報を持っている他の編集者の対応を促した。どこが問題なんでしょう?一旦白紙化されたとしても、情報を持っている人が出典付の確実な情報を復活させればよいだけことです。--Dwy会話2012年8月23日 (木) 19:10 (UTC)
白紙化されても、それがどう異様な状態で、どう改善すればいいのか指針もない状態での白紙化なので、初心者などにはどう対応すればいいのか把握できない。このケースは白紙化という「異様な状態」にする、というコミュニティの合意が作られていればひとつの手法として有りうるかもしれないですが。英語版では提案削除というものを導入していますが、それは日本語版では見送られたようなので、その代わりとして導入するというのなら検討の余地はあるかもしれない。しかしながら何のガイドラインも存在しない中での白紙化は「情報を持っている人が出典付の確実な情報を復活させればよいだけこと」で済ませられるような穏やかな手法ではないと思います。--Afaz会話2012年8月24日 (金) 02:42 (UTC)
繰り返し述べますがウィキペディアは百科事典です。紙の百科事典とウェブ百科事典は差異がありますが、それでも定義文すらなくテンプレだけが貼り付けられた記事というのは完全に異質なものです。毒を以って毒を制すると仰せなのですか。カテゴリを消したのはおそらくカテゴリを除去することでカテゴリにその人の名前が掲載されないような状態にするための配慮でしょう。しかし白紙化してもその個人情報を侵害している個人名が記事の名前として冒頭に堂々と記載されているわけですし、バックアップを辿れば簡単にその不適切な情報にアクセスできてしまいます。即時削除の方が遥かに妥当性があります。それともこうした問題を抱える記事を削除する方向性で行くと口煩く反対してくる人がいるからこうした措置を取っているのでしょうか。--ShellSquid/履歴 2012年8月25日 (土) 13:02 (UTC)

Web comicさんの意見に100%同意します。削除依頼に出されればコミュニティからのインプットがありますし、記事を存続すべきと考える人は出典を追加して記事を改善しようとするでしょう。出典のないまま存続させ続けてもよい、という人が多数出てきて記事を削除できないというのであれば、それ以外の方法(つまり白紙化)もうまくはいかないということです。--Bugandhoney会話2012年8月24日 (金) 02:03 (UTC)

例えば、「探せば(webで)すぐ出典が付くもの」「外部リンク節にモロにプロフィールサイトがあるもの」まで、いちいち削除依頼に出すのは管理者・削除者の疲弊につながると思いますが…。
即時存続を認めるのなら、少しは違うのかもしれませんが。
情報Wikipedia‐ノート:即時削除の方針#続・存命中の人物で出典の無い記事を即時削除対象にする提案」を設置しました。--Benzoyl会話2012年8月24日 (金) 02:52 (UTC)
コメントろうさんのコメントで議論は終わってると思いますね。1.存命人物の伝記記事に対して要求される検証可能性のレベルは、他の一般的な記事と比してハードルが高くなることには妥当性がある。2・当該人物のプライバシーをどの程度考慮すべきかという問題は公人か個人かにより異なる。3.第三者からの言及という出典のない人物は、いわゆる「公人」というよりも「私人」に近いと想定できる。4.「公人」よりも「私人」のほうがプライバシーへの配慮の要請は強い。5.判断のレベルは当該人物の能力、知識、キャパシティーにより異なる。となれば多少きつい対応でも問題ないと思いますよ。個人的には、記事執筆者への配慮の話が良く出るのを見てますが、そういう事を理解しないまま存命中の人物の記事を作る執筆者への配慮の手続きとか記事を育てるとかの可否に、これだけ議論を重ねられる現状は、集合知プロジェクトのライフサイクルとしては末期かもしれないと思います。優秀な人物の知的資産が本プロジェクトに参加することで劣化するような流れがあるなら、ますます微妙な人が大多数を占めていくのを加速するんじゃないかな。マーケティングのできない研究者の製品議論に引っ張られるように、特定の記事執筆者の批判にどこまでも整合性を取ろうとして、全体バランスが崩れてる気がしますけどねえ。どうですか?Yさん。ここらで管理者やりながら執筆したら。--以上の署名のないコメントは、42.145.176.116会話/Whois)さんが 2012年8月24日 (金) 18:11 (UTC) に投稿したものです(Sonchou会話)による付記)。
コメントそのまとめはここの議論者のほとんどが共有していることで、問題点は別にある。ただ、そろそろ検証可能性がまったくない存命人物記事について、具体的にどうするのか議論する段階だと思う。白紙化を中心的な手法として認めるのか、それとも即時削除で期限を決めて対応するのか、それとも提案削除を復活させるのか。--Afaz会話2012年8月25日 (土) 01:27 (UTC)