ホンダ・NSR250
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2024年4月) |
NSR250(エヌエスアールにひゃくごじゅう)は、1986年から2002年までロードレース世界選手権や全日本ロードレース選手権に投入された本田技研工業の排気量250ccのワークスレーサーのオートバイである。
概要
[編集]ベースとなったのは、1985年の世界選手権250ccクラスにおいてフレディ・スペンサーが乗った社内呼称モデルNV1AのRS250RWである。このRS250RWはアントン・マンクなどが乗ったRS250RWとは異なり[1]、NSR500を1/2にしたモデルともいわれ[2]、スペンサーは1985年にこのマシンで500ccクラスと250ccクラスの両クラスにダブルエントリーし、ダブルタイトルを獲得している。翌年の1986年にはスペンサー仕様のRS250RWをベースにしてNSR250が開発され、世界選手権および全日本選手権で活躍し、多くのライダー達がタイトルを獲得した。最後期の参戦となった2001年には、加藤大治郎が世界選手権250ccクラスで11勝し、タイトルを獲得した。HRC社内呼称は「スペンサー仕様のRS250RWのデビューから91年まではNV1(ワン)。92年から97年まではNV2(ツー)。98年以降はNV3(スリー)」の後ろにアルファベット順で開発年の順に割り振られている(EやFはエンジン用パーツやフレーム用パーツと混同しやすいので飛ばしている)。また「NVO(オー)」「NVI(アイ)」も飛ばされているが、これは数字のゼロとアルファベットのオーが紛らわしい、Iが1と紛らわしいという理由である。
ライバル車でもあるヤマハのYZR250が完全なワンオフマシンであるのとは違い、ワークスマシンでありながら量産車ともいえるという特徴がある[要出典]。一定量のマシンを生産し(ワークスマシンとしては)安価で投入することで安定した成績を収めるという戦略を取っていた(2000年代に入り同様の手法をアプリリアも行っている)[1]。そのためワークスマシンでありながら、チャンバーが市販車などと同じ鉄製の水圧プレス成形で作られているなどの特徴がある[要出典]。なお、チタン製チャンバーは検討され、試作まではいったものの、振動や膨張性の問題で実戦では使用されなかったとのこと[1]。
1998年型の社内呼称モデルNV3Aからはエンジンが1軸75度V型2気筒から2軸110度V型2気筒エンジンへと変更されたが、チャンバーにカーボン製の保温カバーが巻かれていたり、開発担当であった加藤の1998年の全日本選手権やWGPで使用する選手が苦戦し、WGPと全日本ロードレースで優勝したのがWGP開幕戦の加藤だけとなった。当時搭乗していた宇川徹は後年、98年を振り返った際、オフシーズンテストでエンジントラブルが続出した結果、回収時間を短くするために鈴鹿でのテスト時にフルコースではなく、回収時間短縮のために東ショートコースのみでテストを実施した[1]と発言している。デビュー戦となった日本グランプリではエンジンの振動でキャブレターのフロートが揺すられたことで燃調が変わり焼き付きが発生しリタイヤ、その後もトラクションがかからない、青木治親も勝つのはかなり難しいバイクで加藤が勝った事が信じられないと発言する[3]。使用したサテライトチームでは成績を残しにくいなどかなり扱いが難しい車両であったという。
レース戦績
[編集]- ロードレース世界選手権250ccチャンピオン獲得
- 1985年 フレディ・スペンサー(RS250RW)
- 1987年 アントン・マンク
- 1988年 アルフォンソ・ポンス
- 1989年 アルフォンソ・ポンス
- 1991年 ルカ・カダローラ
- 1992年 ルカ・カダローラ
- 1997年 マックス・ビアッジ
- 2001年 加藤大治郎
- 全日本ロードレース選手権250cc チャンピオン獲得
その他の主なライダー
[編集]- ラインハルト・ロス
- ドミニク・サロン
- ジャック・コルヌー
- カルロス・カルダス
- ヘルムート・ブラドル
- ウィルコ・ズィーレンベルグ
- ロリス・カピロッシ
- ドリアーノ・ロンボニ
- アルベルト・プーチ
- エミリオ・アルサモラ
- ラルフ・ウォルドマン
- ジャン=フィリップ・ルジア
- オリビエ・ジャック
- ロベルト・ロルフォ
- 青木宣篤
- 青木拓磨
- 青木治親
- 嘉陽哲久
- 玉田誠
脚注
[編集]- ^ a b c d 『RACERSVol.44 NSR250/RS250RW』三栄。
- ^ HONDA NSR250 (RS250R-W) HRCの尾熊主任研究員によればこの250はNSR500のエンジンを半分タテにしたV型2気筒エンジンで、NSR500の開発を進めていくうえで500の1/2にすれば機構的にもサイズ的にもいろいろトライし易く500の熟成に有利であった。現実にその役割を果たしたと尾熊は語り、HRCとスペンサーが500ccタイトルを奪い返すための先行実験車の役割でもあった。 グランプリ・イラストレイテッド No.2 8月号 72-73頁 1985年8月1日発行
- ^ 『カラー版加藤大治郎』講談社。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 2001 NSR250 #74 加藤大治郎 Daijiro Kato
- 1999 NSR250 #4 宇川徹 Tohru Ukawa
- 1997 NSR250 #2 加藤大治郎 Daijiro Kato
- 1996 NSR250 #3 ラルフ・ウォルドマン Ralf Waldmann
- 1995 NSR250 #1 宇川徹 Toru Ukawa
- 1994 NSR250 #8 岡田忠之 Tadayuki Okada
- 1993 NSR250 #18 岡田忠之 Tadayuki Okada
- 1992 NSR250 #1 ルカ・カダローラ Luca Cadalora
- 1991 NSR250 #3 ルカ・カダローラ Luca Cadalora