1991年の横浜大洋ホエールズ
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1991年の横浜大洋ホエールズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ5位 | |
64勝66敗1分 勝率.492[1] | |
本拠地 | |
都市 | 神奈川県横浜市 |
球場 | 横浜スタジアム |
球団組織 | |
オーナー | 中部慶次郎 |
経営母体 | 大洋漁業 |
監督 | 須藤豊 |
« 1990 1992 » |
1991年の横浜大洋ホエールズ(1991ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1991年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。
1991年の横浜大洋ホエールズは、須藤豊監督の2年目のシーズンである。
概要
[編集]須藤監督の1年目を7年ぶりのAクラスとなる3位で終えたチームは現役メジャー・リーガーロバート・レイノルズを獲得して打線を強化し、ジム・パチョレックとの3番・4番コンビを形成。シーズン前は31年ぶりの優勝が期待された。4月を18年ぶりの首位で終えると、6月前半まではAクラス争いに加わった。しかし故障者の続出もあり、徐々にチーム成績が下降。8月以降は巻き返し前年と同じ64勝をあげたもののヤクルトと巨人の3位争いに割って入れず、借金2ながら優勝の広島に10ゲームつけられ5位に転落した。投手陣は前年11勝の野村弘樹がこの年もローテを守ってチームトップの15勝をあげ、それまで中継ぎで活躍の岡本透が11勝、大門和彦が6勝ながら防御率3点台に入るなどまずまずの活躍を見せ、リリーフでは衰え始めた遠藤一彦に代わってこの年から佐々木主浩が守護神となり、中継ぎで盛田幸妃が台頭するなど明るい話題が続出しチーム防御率は3.74のリーグ4位。打撃陣は前年首位打者のパチョレックが4年連続打率3割、レイノルズがチームトップの15本塁打、高木豊が.333でチーム首位打者になったものの、チーム本塁打が両リーグ最少の66本と貧打にあえいだ(チーム本塁打1位は中日の179本)。オフには主力投手の中山裕章が幼児への強制わいせつ事件を起こして逮捕され(後に解雇)、球界に衝撃が走った。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]開幕:4/6 | 5/1 | 6/1 | 7/2 | 8/1 | 9/1 | |||||||
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1 | 中 | 屋鋪要 | 中 | 宮里太 | 二 | 高木豊 | 二 | 高木豊 | 中 | 山崎賢一 | 中 | 宮里太 |
2 | 遊 | 高橋雅裕 | 遊 | 堀江賢治 | 遊 | 堀江賢治 | 遊 | 銚子利夫 | 遊 | 堀江賢治 | 遊 | 進藤達哉 |
3 | 右 | レイノルズ | 右 | レイノルズ | 右 | レイノルズ | 右 | レイノルズ | 二 | 高木豊 | 二 | 高木豊 |
4 | 一 | パチョレック | 一 | パチョレック | 一 | 大野雄次 | 一 | パチョレック | 右 | レイノルズ | 右 | レイノルズ |
5 | 二 | 高木豊 | 左 | 白幡隆宗 | 左 | 二村忠美[注 1] | 左 | 二村忠美[注 2] | 一 | パチョレック | 一 | パチョレック |
6 | 左 | 宮里太 | 二 | 高木豊 | 三 | 清水義之 | 三 | 清水義之 | 左 | 畠山準[注 1] | 左 | 屋鋪要 |
7 | 三 | 清水義之 | 三 | 清水義之 | 中 | 宮里太 | 中 | 宮里太 | 三 | 清水義之 | 三 | 清水義之 |
8 | 捕 | 谷繁元信 | 捕 | 谷繁元信 | 捕 | 谷繁元信 | 捕 | 谷繁元信 | 捕 | 谷繁元信 | 捕 | 秋元宏作 |
9 | 投 | 中山裕章 | 投 | 中山裕章 | 投 | 中山裕章 | 投 | 斉藤明夫 | 投 | 大門和彦 | 投 | 東瀬耕太郎 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 大洋 | -- | 広島 | -- | 中日 | -- | 中日 | -- | 中日 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- |
2位 | 広島 | 1.0 | ヤクルト | 0.0 | ヤクルト | 1.5 | ヤクルト | 1.0 | 広島 | 4.5 | 中日 | 3.0 | 中日 | 3.0 |
3位 | ヤクルト | 1.0 | 中日 | 2.0 | 巨人 | 5.0 | 広島 | 3.5 | ヤクルト | 6.0 | ヤクルト | 8.5 | ヤクルト | 7.0 |
4位 | 巨人 | 1.0 | 巨人 | 2.0 | 広島 | 6.0 | 巨人 | 5.0 | 巨人 | 6.0 | 巨人 | 9.5 | 巨人 | 8.0 |
5位 | 中日 | 1.5 | 大洋 | 2.5 | 大洋 | 12.0 | 大洋 | 13.5 | 大洋 | 16.5 | 大洋 | 13.0 | 大洋 | 10.0 |
6位 | 阪神 | 4.5 | 阪神 | 8.5 | 阪神 | 20.5 | 阪神 | 22.0 | 阪神 | 24.0 | 阪神 | 23.0 | 阪神 | 26.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 広島東洋カープ | 74 | 56 | 2 | .569 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 71 | 59 | 1 | .546 | 3.0 |
3位 | ヤクルトスワローズ | 67 | 63 | 2 | .515 | 7.0 |
4位 | 読売ジャイアンツ | 66 | 64 | 0 | .508 | 8.0 |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 64 | 66 | 1 | .492 | 10.0 |
6位 | 阪神タイガース | 48 | 82 | 0 | .369 | 26.0 |
オールスターゲーム1991
[編集]→詳細は「1991年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- コーチ
- 監督推薦
できごと
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー |
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受賞者なし |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
高木豊 | 二塁手 | 2年連続2度目[注 3] |
レイノルズ | 外野手 | 初受賞 |
ゴールデングラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
レイノルズ | 外野手 | 初受賞 |
ドラフト
[編集]→詳細は「1991年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 斎藤隆 | 投手 | 東北福祉大学 | 入団 |
2位 | 永池恭男 | 内野手 | 福岡工業大学附属高 | 入団 |
3位 | 有働克也 | 投手 | 大阪経済大学 | 入団 |
4位 | 斉藤肇 | 投手 | 静岡・星陵高 | 入団 |
5位 | 石本豊 | 外野手 | 藤代柴水高 | 入団 |
6位 | 三浦大輔 | 投手 | 奈良・高田商業高 | 入団 |
7位 | 山根善伸 | 捕手 | 新日本製鐵名古屋 | 入団 |
8位 | 川北和典 | 内野手 | 元プリンスホテル | 入団 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “年度別成績 1991年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月9日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球記録年鑑 ベースボール・レコード・ブック1992』ベースボール・マガジン社、1991年。ISBN 4-583-02951-9。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 広島東洋カープ | 2位 | 中日ドラゴンズ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | 近鉄バファローズ |
3位 | ヤクルトスワローズ | 4位 | 読売ジャイアンツ | 3位 | オリックス・ブルーウェーブ | 4位 | 日本ハムファイターズ |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 6位 | 阪神タイガース | 5位 | 福岡ダイエーホークス | 6位 | ロッテオリオンズ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||