1954年ベルギーグランプリ
レース詳細 | |||
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1954年F1世界選手権全9戦の第3戦 | |||
スパ・フランコルシャン (1947-1978) | |||
日程 | 1954年6月20日 | ||
正式名称 | XVI Grand Prix de Belgique | ||
開催地 |
スパ・フランコルシャン ベルギー フランコルシャン | ||
コース | 公道コース | ||
コース長 | 14.120 km (8.774 mi) | ||
レース距離 | 36周 508.320 km (315.855 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | マセラティ | ||
タイム | 4:22.1 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ | |
タイム | 4:25.5 (13周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | マセラティ | ||
2位 | フェラーリ | ||
3位 | マセラティ |
1954年ベルギーグランプリ (1954 Belgian Grand Prix) は、1954年のF1世界選手権第3戦として、1954年6月20日にスパ・フランコルシャンで開催された。
レース概要
[編集]当レースより前に開催される予定だったオランダGPがキャンセルされたため、ヨーロッパラウンド最初のレースとなった。
メルセデスの新車はまだ登場せず、ファン・マヌエル・ファンジオは前戦(インディ500を除く)アルゼンチンGPに引き続きマセラティをドライブする。マセラティのワークスはファンジオの他、オノフレ・マリモン、セルジオ・マントヴァーニの3台体制。ノンワークスはスターリング・モス、プリンス・ビラ、ロベルト・ミエレスがプライベーターとして参戦する。
フェラーリは、前月に行われたミッレミリアで負傷したジュゼッペ・ファリーナが復帰し、ホセ・フロイラン・ゴンザレスとともに553をドライブする。当レースからモーリス・トランティニアンがワークス入りを果たし、マイク・ホーソーンとともに625をドライブする。地元出身のジャック・スウォーターズはエキュリー・フランコルシャンから参戦する。
ゴルディーニはジャン・ベーラに加え、地元出身のポール・フレールとアンドレ・ピレットの3台体制。
ランチアの新車もメルセデス同様開発が遅れ、前年度チャンピオンのアルベルト・アスカリはこのレースも欠場となった。
36周で行われたレースは、ファンジオがポール・トゥ・ウィン、トランティニアンが2位、モスが3位となった。
エントリーリスト
[編集]当レースでは14台がエントリーされた[1]。
No. | ドライバー | エントラント | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
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2 | ジャック・スウォーターズ | エキュリー・フランコルシャン | フェラーリ | 500/625 | フェラーリ Tipo625 2.5L L4 | E |
4 | ジュゼッペ・ファリーナ | スクーデリア・フェラーリ | フェラーリ | 553 | フェラーリ Tipo554 2.5L L4 | P |
6 | ホセ・フロイラン・ゴンザレス | |||||
8 | モーリス・トランティニアン | 625 | フェラーリ Tipo625 2.5L L4 | |||
10 | マイク・ホーソーン | |||||
12 | ジャン・ベーラ | エキップ・ゴルディーニ | ゴルディーニ | T16 | ゴルディーニ 23 2.5L L6 | E |
14 | アンドレ・シモン 1 | |||||
16 | ポール・フレール | |||||
18 | アンドレ・ピレット | |||||
20 | プリンス・ビラ | プリンス・ビラ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
22 | スターリング・モス | スターリング・モス | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
24 | ロベルト・ミエレス | ロベルト・ミエレス | マセラティ | A6GCM | マセラティ A6 2.0L L6 | P |
26 | ファン・マヌエル・ファンジオ | オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
28 | オノフレ・マリモン | |||||
30 | セルジオ・マントヴァーニ | |||||
50 | エマヌエル・ド・グラッフェンリード 2 | バロン・デ・グラッフェンリート | マセラティ | A6GCM | マセラティ A6 2.0L L6 | P |
ソース:[2] |
- 追記
- ^1 - シモンは病気のため欠場
- ^2 - ド・グラッフェンリードは映画「スピードに命を賭ける男(The Racers)」の撮影用マシンを走らせた
予選
[編集]ファンジオが1951年にアルファロメオ・159で記録した4:25.0を上回る4:22.1のコースレコードでポールポジションを獲得した。ゴンザレスは1.5秒差の2位だったが、ハンドリングの改善に満足していた。ファリーナはマシンのセッティングが決まらず、ゴンザレスと2秒以上遅れて3位に終わった。
順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | |
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1 | 26 | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ | 4:22.1 | — | |
2 | 6 | ホセ・フロイラン・ゴンザレス | フェラーリ | 4:23.6 | + 1.5 | |
3 | 4 | ジュゼッペ・ファリーナ | フェラーリ | 4:26.0 | + 3.9 | |
4 | 28 | オノフレ・マリモン | マセラティ | 4:27.6 | + 5.5 | |
5 | 10 | マイク・ホーソーン | フェラーリ | 4:29.4 | + 7.3 | |
6 | 8 | モーリス・トランティニアン | フェラーリ | 4:30.0 | + 7.9 | |
7 | 12 | ジャン・ベーラ | ゴルディーニ | 4:34.5 | + 12.4 | |
8 | 18 | アンドレ・ピレット | ゴルディーニ | 4:40.0 | + 17.9 | |
9 | 22 | スターリング・モス | マセラティ | 4:40.8 | + 18.7 | |
10 | 16 | ポール・フレール | ゴルディーニ | 4:42.0 | + 19.9 | |
11 | 30 | セルジオ・マントヴァーニ | マセラティ | 4:42.0 | + 19.9 | |
12 | 24 | ロベルト・ミエレス | マセラティ | 4:43.8 | + 21.7 | |
13 | 20 | プリンス・ビラ | マセラティ | 4:46.5 | + 24.4 | |
14 | 2 | ジャック・スウォーターズ | フェラーリ | 4:54.2 | + 32.1 | |
ソース:[3]
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決勝
[編集]決勝は予選を走行した14台に加え、映画「ザ・レーサーズ」の撮影用カメラを搭載したマセラティ・A6GCMをエマヌエル・ド・グラッフェンリードがドライブした。
スタートでファンジオが出遅れ、ゴンザレスとファリーナの先行を許す。ミエレスのマセラティが炎に包まれたが、ミエレスはマシンを飛び降りて軽いやけどを負っただけで済んだ。
トップに浮上したゴンザレスは1周目にコンロッドが折れてリタイアとなった。これでトップに立ったファリーナだったが、3周目にファンジオがファリーナを抜いてトップに立った。
10周目、ファンジオのフロントサスペンションが壊れてファリーナに再び先行される。しかし、14周目にファリーナのエンジンが壊れてリタイアとなり、あとはファンジオが冷静沈着な走りで逃げ切った。
フェラーリ加入後最初のレースとなったトランティニアンが2位、モスが3位に食い込み、ともに初の表彰台に立った。
順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア | グリッド | ポイント |
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1 | 26 | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ | 36 | 2:44:42.4 | 1 | 9 |
2 | 8 | モーリス・トランティニアン | フェラーリ | 36 | + 24.2 | 6 | 6 |
3 | 22 | スターリング・モス | マセラティ | 35 | + 1 Lap | 9 | 4 |
4 | 10 | マイク・ホーソーン ホセ・フロイラン・ゴンザレス |
フェラーリ | 35 | + 1 Lap | 5 | 1.5 1.5 |
5 | 18 | アンドレ・ピレット | ゴルディーニ | 35 | + 1 Lap | 8 | 2 |
6 | 20 | プリンス・ビラ | マセラティ | 35 | + 1 Lap | 13 | |
7 | 30 | セルジオ・マントヴァーニ | マセラティ | 34 | + 2 Laps | 11 | |
Ret | 4 | ジュゼッペ・ファリーナ | フェラーリ | 14 | イグニッション | 3 | |
Ret | 16 | ポール・フレール | ゴルディーニ | 14 | エンジン | 10 | |
Ret | 12 | ジャン・ベーラ | ゴルディーニ | 12 | サスペンション | 7 | |
Ret | 28 | オノフレ・マリモン | マセラティ | 3 | エンジン | 4 | |
Ret | 6 | ホセ・フロイラン・ゴンザレス | フェラーリ | 1 | エンジン | 2 | |
Ret | 2 | ジャック・スウォーターズ | フェラーリ | 1 | エンジン | 14 | |
Ret | 24 | ロベルト・ミエレス | マセラティ | 0 | 火災 | 12 | |
ソース:[5]
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注記
[編集]- 車両共有 – 10号車: ホーソーン(20周)、ゴンザレス(15周)
- 初表彰台: トランティニアン(2位)、モス(3位)
- 初ポイント: モス(3位・4ポイント)、ピレット(5位・2ポイント。ピレットは当レースが唯一の入賞となった)
- ファンジオはF1通算11回目のファステストラップを記録し、自身が持つ最多記録を更新した。
- ファリーナは当レースが1954年のF1における最終出走となった。
- ド・グラッフェンリードは映画「ザ・レーサーズ」の撮影のため、マセラティ・A6GCMを走らせた。
第3戦終了時点でのランキング
[編集]- ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 | ドライバー | ポイント | |
---|---|---|---|
1 | ファン・マヌエル・ファンジオ | 17 | |
5 | 2 | モーリス・トランティニアン | 9 |
1 | 3 | ビル・ブコビッチ | 8 |
1 | 4 | ホセ・フロイラン・ゴンザレス | 6.5 |
2 | 5 | ジュゼッペ・ファリーナ | 6 |
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。
脚注
[編集]- ^ a b “Grand Prix de Belgique”. motorsportmagazine.com (7 July 2014). 14 June 2017閲覧。
- ^ “Belgium 1954 - Race entrants”. statsf1.com. 2017年8月15日閲覧。
- ^ “Belgium 1954 - Qualifying”. statsf1.com. 2017年8月16日閲覧。
- ^ (林信次 2000, p. 98)
- ^ “1954 Belgian Grand Prix”. formula1.com. 4 November 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。9 August 2015閲覧。
参照文献
[編集]- 林信次『F1全史 1950-1955』ニューズ出版、2000年。ISBN 4-89107-019-6。
外部リンク
[編集]前戦 1954年インディ500 |
FIA F1世界選手権 1954年シーズン |
次戦 1954年フランスグランプリ |
前回開催 1953年ベルギーグランプリ |
ベルギーグランプリ | 次回開催 1955年ベルギーグランプリ |