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ビル・ブコビッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビル・ブコビッチ
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・カリフォルニア州フレズノ
生年月日 (1918-12-23) 1918年12月23日
没年月日 (1955-05-30) 1955年5月30日(36歳没)
F1での経歴
活動時期 1951-1955
所属チーム '50 マセラティ
'51 トレヴィス
'52-'55 カーティス・クラフト
出走回数 5
タイトル 0
優勝回数 2
表彰台(3位以内)回数 2
通算獲得ポイント 19
ポールポジション 1
ファステストラップ 3
初勝利 1953年のインディ500
最終勝利 1954年のインディ500
最終戦 1955年のインディ500
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ビル・ブコビッチ(Bill Vukovich、1918年12月13日 - 1955年5月30日)は、アメリカ合衆国のレーシングドライバー。1953年・1954年のインディ500覇者。

経歴

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セルビア系移民の子。インディを走り始める前はミジェットカー・レースに参戦しており、1945年・1946年にはタイトルを獲得。他にも、勝利を多く挙げている。

インディ500

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1951年にインディ500に初参戦するが、この際は予選20位からリタイヤと、見せ場無く終わった。翌1952年はファステストラップ(以下:FL)を記録し、終盤までトップを走行。しかしステアリングが故障し、結果的には17位となった。

1953年はポールポジションからスタートし、決勝でもFLをマークしての優勝。前年に目前で逃げた勝利を、圧倒的な成績で掴んだ。更に1954年も優勝、1939年・1940年のウィルバー・ショウ、1947年・1948年のマウリ・ローズに続く3例目の連覇を達成した。

事故死

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1955年、開催前の話題は「ブコビッチは3連覇出来るのか」に集まっていた。しかしこの年のレースにおいて、ブコビッチは連勝だけでなく、人生そのものをストップさせてしまうこととなる。

この年予選5位からスタートしたブコビッチは、その後順位を上げトップに浮上していた。しかし、56周目に周回遅れの2台が多重事故を起こし、パーツが散乱。そこへブコビッチと周回遅れのジョニー・ボイドが同時に差し掛かり、2台は同じ回避ラインを取ってしまう。

結果、ブコビッチのマシンはボイドのマシンに乗り上げ宙を舞い、コース外へ。縦に数回転しながら前進して停止し、火を噴いた。この事故によりブコビッチは即死。36歳だった。

補足

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  • インディに参戦した5年間の総周回のうち、71.6%の周でラップリーダーを記録している。
  • 息子のビル・ブコビッチJr、孫のビル・ブコビッチ3世もレーシングドライバーだった。Jrは1968年、3世は1988年にインディ500でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。3世は1990年11月24日にカリフォルニア州ベーカーズフィールドで行われたスプリントカー・レースで祖父とまったく同じ状況の事故で死亡している。
  • ブコビッチが参戦していた当時、インディ500は形式的にF1に組み込まれていた。F1出走歴はこの結果によるもので、実質的にはF1を走っていない。
  • 2022年現在に至るまで、インディ500で3連覇したドライバーは誕生していない。

F1での年度別成績

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所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 WDC ポイント
1950年 マセラティ/I R C マセラティ GBR MON 500
DNQ
SUI BEL FRA ITA NC 0
1951年 トレヴィス/セントラル・エクスキャヴァシング トレヴィス SUI 500
29
BEL FRA GBR GER ITA ESP NC
(79位)
0
1952年 カーティス・クラフト/フューエル・インジェクション KK500A SUI 500
17
BEL FRA GBR GER NED ITA 22位 1
1953年 ARG 500
1
NED BEL FRA GBR GER SUI ITA 7位 9
1954年 ARG 500
1
BEL FRA GBR GER SUI ITA ESP 6位 8
1955年 カーティス・クラフト/ホプキンス KK500C ARG MON 500
25
BEL NED GBR ITA 25位 1

関連項目

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