出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1947年熊本県会議員選挙
|
|
改選数
|
55
|
選挙制度
|
中選挙区制
|
有権者数
|
915,023
|
|
選挙後の党派別勢力図
|
|
投票率
|
84.85%
|
|
第1党
|
第2党
|
第3党
|
|
|
|
|
政党
|
民主党 |
日本自由党 |
国民協同党
|
獲得議席
|
19 |
15 |
7
|
得票数
|
231,205 |
178,270 |
68,188
|
得票率
|
31.62% |
24.38% |
9.33%
|
|
|
第4党
|
|
|
政党
|
日本社会党
|
獲得議席
|
1
|
得票数
|
68,003
|
得票率
|
9.30%
|
|
|
1947年熊本県会議員選挙(1947ねんくまもとけんかいぎいんせんきょ)は、熊本県の議決機関である熊本県会を構成する議員を全面改選するために行われる選挙で、第1回統一地方選挙の後半戦投票日である4月30日に投票が行われた。
本選挙が実施される前の1947年1月11日には、公職追放令に該当すると予想される県会議員21名が辞表を提出し、その結果残った県会議員は12名となった。このため議会成立が不可能となってしまい、4月に本選挙が実施されるまでは参事会が議会を代行していた[1]。
定数55議席に対し、172人が立候補したが、前述の公職追放により立候補者のうち170人は新人であった[2]。
- 選挙事由:任期満了
- 投票日:1947年4月30日
- 議員定数:55名
- 選挙区:16選挙区
- 候補者数:172名
党派別議席数と得票
党派
|
獲得議席
|
得票
|
得票数
|
得票率
|
|
民主党
|
19
|
231,205
|
31.62%
|
|
日本自由党
|
15
|
178,270
|
24.38%
|
|
国民協同党
|
7
|
68,188
|
9.33%
|
|
日本社会党
|
1
|
68,003
|
9.30%
|
|
日本共産党
|
0
|
4,158
|
0.57%
|
|
諸派
|
0
|
6,519
|
0.89%
|
|
無所属
|
13
|
174,868
|
23.91%
|
総計
|
55
|
731,211
|
100.00%
|
投票者数(投票率)
|
776,385
|
84.85%
|
有権者数
|
915,023
|
100.0%
|
出典:『熊本県の選挙50年の歩み』[3]
民主党 日本自由党 国民協同党 日本社会党 無所属
熊本市
|
大久保勢輔
|
野上進
|
瀬口龍之介
|
尾形彦太郎
|
岡崎伊十郎
|
大塚逸雄
|
山中大吉
|
|
八代市
|
松木國治
|
|
|
|
人吉市
|
泉萬次郎
|
|
|
|
荒尾市
|
橘武徳
|
|
|
|
飽託郡
|
鴻池仙市
|
吉本光義
|
北村國男
|
|
宇土郡
|
河野喜代治
|
大和忠三
|
|
|
下益城郡
|
原九
|
石田十蔵
|
園田清充
|
|
玉名郡
|
倉光仁一
|
奥村翁太郎
|
徳永泰憲
|
高田光喜
|
平川千吉
|
|
|
鹿本郡
|
深川金蔵
|
堀川光記
|
戸上第一郎
|
|
菊池郡
|
山野豊記
|
隈田研吾
|
斉藤正和
|
菊川末吉
|
阿蘇郡
|
蔵本久
|
廣石勇
|
山野萬平
|
加藤兵助
|
上益城郡
|
下田唯彦
|
飯田次人
|
島田學
|
藤岡末彦
|
八代郡
|
高木藤太
|
岩尾豊
|
沼田育三
|
|
葦北郡
|
吉田富士夫
|
荒木富雄
|
岩本弘
|
|
球磨郡
|
犬童俊一
|
脇川一二
|
久保田喜一
|
|
天草郡
|
原田雪松
|
森岡光義
|
倉田善晴
|
平岡四子男
|
二神勇雄
|
堤田實一
|
岩尾三徳
|
平井正弘
|
- 熊本県議会事務局 編『熊本県議会史 第五巻』熊本県議会、1979年。
- 熊本県選挙管理委員会『熊本県の選挙50年の歩み』熊本県選挙管理委員会、1999年。