1942年度の将棋界
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将棋 |
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各年度の将棋界 |
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1942年度の将棋界(1942ねんどのしょうぎかい)では、1942年(昭和17年)4月から1943年(昭和18年)3月の将棋界に関する出来事について記述する。
できごと
[編集]1942年春
[編集]1942年7月
[編集]- 11~13日 - 第3期名人戦七番勝負第1局が行われ、木村義雄名人が先勝(木村義雄名人 1-0 神田辰之助八段)[2][3]。
- 21~23日 - 第3期名人戦七番勝負第2局が行われ、木村義雄名人が勝利(木村義雄名人 2-0 神田辰之助八段)[2][3]。
- 31~8月2日 - 第3期名人戦七番勝負第3局が行われ、木村義雄名人が勝利(木村義雄名人 3-0 神田辰之助八段)[2][3]。
1942年8月
[編集]1942年9月
[編集]1942年10月
[編集]1943年3月
[編集]- 10日 - 第4期名人戦の予備手合三番勝負が開始された[4]。
記録
[編集]タイトル戦
[編集]棋戦 | 勝者 | 開催時期 | 番勝負 | 備考 | 注 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
在位者 | 勝敗 | 挑戦者 | |||||
名人戦 | 第3期名人 木村義雄 | 1942年7月-8月 | 木村義雄 名人 | 4-0 | 神田辰之助 八段 | 3年連続(通算3期) | [2][3][6] |
昇段・引退
[編集]昇段 | 棋士 | 昇段日 | 注 |
---|---|---|---|
四段 | 高柳敏夫 | 1942年 | [7] |
本間爽悦 | 1942年 | [8] | |
五段 | 小堀清一 | 1942年 | [9] |
北楯修哉 | 1942年 | [10] | |
岡崎史明 | 1942年 | [11] | |
七段 | 加藤治郎 | 1942年 | [12] |
脚注
[編集]- ^ a b “日本将棋の歴史(23)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
- ^ a b c d e “日本将棋の歴史(22)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
- ^ a b c d e 山本 1966, pp. 78–79.
- ^ a b 加藤、原田、田辺 1999, p. 227.
- ^ “日本将棋の歴史(24)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月16日閲覧。
- ^ “名人戦・順位戦”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
- ^ “高柳敏夫|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
- ^ “本間爽悦|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
- ^ “小堀清一|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
- ^ “北楯修哉|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
- ^ 日本将棋連盟 1968, p. 286.
- ^ “加藤治郎|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 山本武雄『将棋百年』時事通信社、1966年。
- 加藤治郎、原田泰夫、田辺忠幸『[証言]将棋昭和史』毎日コミュニケーションズ、1999年9月。ISBN 4-8399-0255-0。
- 日本将棋連盟『将棋年鑑 昭和43年版』1968年。