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1942年度の将棋界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1942年度の将棋界(1942ねんどのしょうぎかい)では、1942年昭和17年)4月から1943年昭和18年)3月の将棋界に関する出来事について記述する。

できごと

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1942年春

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1942年7月

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  • 11~13日 - 第3期名人戦七番勝負第1局が行われ、木村義雄名人が先勝(木村義雄名人 1-0 神田辰之助八段)[2][3]
  • 21~23日 - 第3期名人戦七番勝負第2局が行われ、木村義雄名人が勝利(木村義雄名人 2-0 神田辰之助八段)[2][3]
  • 31~8月2日 - 第3期名人戦七番勝負第3局が行われ、木村義雄名人が勝利(木村義雄名人 3-0 神田辰之助八段)[2][3]

1942年8月

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  • 22~24日 - 第3期名人戦七番勝負第4局が行われ、木村義雄名人が勝利し名人を防衛。3期連続3回目の名人となる(木村義雄名人 4-0 神田辰之助八段)[2][3]

1942年9月

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1942年10月

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1943年3月

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  • 10日 - 第4期名人戦の予備手合三番勝負が開始された[4]

記録

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タイトル戦

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棋戦 勝者 開催時期 番勝負 備考
在位者 勝敗 挑戦者
名人戦 第3期名人 木村義雄 1942年7月-8月 木村義雄 名人 4-0 神田辰之助 八段 3年連続(通算3期) [2][3][6]

昇段・引退

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昇段 棋士 昇段日
四段 高柳敏夫 1942年 [7]
本間爽悦 1942年 [8]
五段 小堀清一 1942年 [9]
北楯修哉 1942年 [10]
岡崎史明 1942年 [11]
七段 加藤治郎 1942年 [12]

脚注

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  1. ^ a b 日本将棋の歴史(23)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e 日本将棋の歴史(22)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e 山本 1966, pp. 78–79.
  4. ^ a b 加藤、原田、田辺 1999, p. 227.
  5. ^ 日本将棋の歴史(24)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月16日閲覧。
  6. ^ 名人戦・順位戦”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
  7. ^ 高柳敏夫|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
  8. ^ 本間爽悦|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
  9. ^ 小堀清一|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
  10. ^ 北楯修哉|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
  11. ^ 日本将棋連盟 1968, p. 286.
  12. ^ 加藤治郎|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。

参考文献

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  • 山本武雄『将棋百年』時事通信社、1966年。 
  • 加藤治郎原田泰夫田辺忠幸『[証言]将棋昭和史』毎日コミュニケーションズ、1999年9月。ISBN 4-8399-0255-0 
  • 日本将棋連盟『将棋年鑑 昭和43年版』1968年。