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1940年度の将棋界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1940年度の将棋界(1940ねんどのしょうぎかい)では、1940年昭和15年)4月から1941年昭和16年)3月の将棋界に関する出来事について記述する。

できごと

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1940年4月

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1940年5月

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  • 1~3日 - 第2期名人戦七番勝負第1局が再開。木村義雄名人が先勝(木村義雄名人 1-0 土居市太郎八段)[1]
  • 11~13日 - 第2期名人戦七番勝負第2局が行われ、木村義雄名人が勝利(木村義雄名人 2-0 土居市太郎八段)[1]
  • 21・22日 - 第2期名人戦七番勝負第3局が行われ、千日手[1]

1940年6月

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  • 3・4日 - 第2期名人戦七番勝負第3局指し直し局が行われ、千日手[1]
  • 25~27日 - 第2期名人戦七番勝負第3局指し直し局が行われ、土居市太郎八段が勝利(木村義雄名人 2-1 土居市太郎八段)[1]

1940年7月

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  • 11~13日 - 第2期名人戦七番勝負第4局が行われ、木村義雄名人が勝利(木村義雄名人 3-1 土居市太郎八段)[1]
  • 23~25日 - 第2期名人戦七番勝負第5局が行われ、木村義雄名人が勝利し名人を防衛。2期連続2期目の名人となる(木村義雄名人 4-1 土居市太郎八段)[1][2]

1940年8月

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記録

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タイトル戦

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棋戦 勝者 開催時期 番勝負 備考
在位者 勝敗 挑戦者
名人戦 第2期名人 木村義雄 1940年4月-7月 木村義雄 名人 4-0 土居市太郎 八段 2年連続(通算2期) [1][4]

昇段・引退

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昇段 棋士 昇段日
四段 松田茂行 1940年 [5]
北楯修哉 1940年 [6]
五段 市川一郎 1940年 [7]
六段 松下力 1940年 [8]
加藤治郎 1940年 [9]
七段 梶一郎 1940年 [10]
建部和歌夫 1940年 [10]
八段 塚田正夫 1940年 [11]
大野源一 1940年 [12]
小泉雅信 1940年 [13]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 日本将棋の歴史(21)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月15日閲覧。
  2. ^ a b 田辺 2006, p. 10.
  3. ^ 日本将棋の歴史(23)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月15日閲覧。
  4. ^ 名人戦・順位戦”. 日本将棋連盟. 2023年12月15日閲覧。
  5. ^ 松田茂役|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月15日閲覧。
  6. ^ 北楯修哉|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月15日閲覧。
  7. ^ 日本将棋連盟 1968, p. 297.
  8. ^ 日本将棋連盟 1968, p. 284.
  9. ^ 加藤治郎|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月15日閲覧。
  10. ^ a b 日本将棋連盟 1968, p. 295.
  11. ^ 塚田正夫|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月15日閲覧。
  12. ^ 大野源一|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月15日閲覧。
  13. ^ 棋士紹介-物故棋士一覧-”. 日本将棋連盟. 2009年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月15日閲覧。

参考文献

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  • 田辺忠幸『将棋 八大棋戦秘話』河出書房新社、2006年2月16日。ISBN 4-309-26870-6 
  • 日本将棋連盟『将棋年鑑 昭和43年版』1968年。