通信士
通信士(つうしんし)とは、電気通信設備による情報交換に従事する者をいう。この項目では通信士という職種の変遷について述べる。なお過去の事例の解説で、現在の日本における用語を使用したところがある。
概要
[編集]21世紀の電気通信設備は殆んど自動化されており[注釈 1]、それを操作する人間は通信端末の利用者に限られるのが普通である。しかし技術の未発達な時代には、情報と電気信号との相互変換や通信回線の設定[注釈 2] などを、人間の手によって行なう必要があった。
通信士の職務は主に文字情報のやりとりで、電信技士・無線士・無電技師、などとも呼ばれた[注釈 3]。19世紀初頭に出現した有線電気通信の従事者に始まり[注釈 4]、20世紀の半ば以降は、船舶や航空機などに関する無線通信の従事者を指すことが多い[注釈 5]。この場合の通信士は、同時に移動体の乗員あるいは交通管制などの係員[注釈 6] でもあるのが通例である。
有線電信の通信士
[編集]モールス通信士の出現
[編集]19世紀初頭に、電気的手段により情報を送受する各種の技術が出現した(電信#歴史)。これらの中から主流となったのは実用的なモールス式である[注釈 7]。これは短点と長点から成るモールス符号で文字を表わし、それを電気的手段で送受する方式である[注釈 8]。
モールス通信は、送信は片手首による電鍵の操作であり、また受信では聴覚のみ働かせればよく、電文を見たり書いたり、あるいは機器を調整したりしながらでも通信できる。これ以外のシステムは表示を注視しながら両手を動かすような操作方法が多く[注釈 12]、また複雑な割には通信速度の遅いものも多かった。
オンとオフとを表示する何らかの手段があれば、モールス符号を用いて情報交換を行なうことができる[注釈 13]。後述する無線通信も、符号に従い電波を断続することから始まった[注釈 14]。モールス通信の技能は、有線電信による電報の送受以外にも広く使われるようになった。
実用的なモールス通信ができるまでには数ヶ月の訓練を要する[注釈 15]。この技能を用いる通信士という職業は、19世紀後半には世界中で成立していた。また海底ケーブルによる大陸間通信に従事する者も出現する[注釈 16]。国境を越える電気通信を行うために、運用面・技術面での国際的な統一基準を制定する動きも始まった(ドイツ=オーストリア電信連合)[注釈 17]。
20世紀に入ると、電文を自動的に受信できる印刷電信機が実用に供される[注釈 18]。送信側では電鍵ではなくタイプライターと同様の鍵盤 (入力装置)で情報を送るようになり[注釈 19]、有線の手動モールス通信[注釈 20] は、先進国では二次大戦後には姿を消し、21世紀の現在では途上国においても消滅している。
日本の有線電信従事者
[編集]電気通信事業は国家による運営から始まることが多い[注釈 21]。日本では二次大戦終了後まで、運輸通信を管轄する逓信省が公衆通信(電気通信役務)などの現業も行なっており[注釈 22]、電気通信省などを経た1952年の公社化まで、有線系の通信士は基本的に公務員だった(日本電信電話公社#概要)。
電報発信を依頼するのは主に郵便局の窓口であり、局によってはモールス通信も行なっていた(電報電話局#概要)[注釈 23]。当時の電信網は人手に頼る要素が多く、多数の通信従事者を必要とするため、専門の養成機関も充実していた[注釈 24]。公衆通信以外でも鉄道をはじめ[注釈 25]、軍隊や警察なども全国的な電信網を擁していた[注釈 26]。
1920年代には東京大阪間などの基幹回線から印刷電信機の導入が始まり、戦後の高度成長期を迎える頃には有線モールスの通信士は姿を消していた[注釈 27]。さらに70年代までには電報送受や電話交換[注釈 28] などの殆んどが自動化され、また固定地点間の通信にも無線技術が大幅に導入された(#陸上無線)。
これらのシステムに要する人員は保守点検の技術者であり、通信そのものに人手を要することは、利用者の端末操作を除きほとんどなくなった。1985年の電気通信自由化に際して新設された有線系通信の国家資格も、管理や工事に関するものである[注釈 29]。
タイプライターを扱える人が少なかった日本では、テレックスなどの運用には専任者を要することが多かった[注釈 30]。日本語のワープロソフトが開発されパソコンが普及した90年代以降は、利用者自身が電子メールなどを送受するのが普通である。有線系の文字通信を他者のために運用する職種は、21世紀の日本では電報の受付などに残る程度となった[注釈 31]。
無線通信士の資格制度
[編集]無線の資格が必要な理由
[編集]20世紀初頭に実用化された無線通信は、国防面での重要性もあり国家管理の下に置かれた[注釈 32]。また1980年代頃までの電気通信事業は国家や公企業による運営が一般的であり、これは無線通信による場合も同様だった[注釈 33]。
ただ無線は有線通信とは異なり、船舶などの移動体や離島などの遠隔地といった、公的機関の運営には適さない利用形態も多い[注釈 34]。そこで民間における無線の利用を広く認めることとし、その通信従事者には国家が認定した有資格者を充て、もって間接的な管理を確保する制度が導入された[注釈 35]。また国境を越える無線通信のため各国間の協調が必要となり、20世紀初頭には専門の国際組織も発足した[注釈 36]。また各国の船舶や航空機が共存する海や空において、国際的に通用する通信士の資格も設けられた[注釈 37]。
有線通信においては運用と技術の担当者は別なのが一般的であるが、特に私設の無線通信では、通信従事者は設備の点検や修理も行なう場合が多く、広範囲な能力を身に付ける必要がある[注釈 38]。一次大戦後の先進諸国では、無線通信士という専門職は一般にも認知される存在となっていた[注釈 39]。
現在では軍事用などを除く全ての無線局に対し、公設私設を問わず同一の法制度を適用する国が多く、執務する者についても共通の資格要件を課すのが普通である。また船舶や航空機の無線局では、通信従事者の条件が国際的に定められている[注釈 40]。
日本における資格制度の変遷
[編集]日本では1915年制定の無線電信法により、国家が直接管理しない私設の無線通信が認められた[注釈 41]。これに従事する者として法定されたのが、日本における無線通信士の始まりで[注釈 42]、現在の国内および当時の勢力圏に制度が適用されていた[注釈 43]。通信士に対する需要が高まると資格取得のための学校も設立され[注釈 44]、日本においても無線通信士という技術専門職が確立した。
有資格者の職場は殆んどが私設の無線局で、船舶を中心とした移動体やそれらと通信する陸上局が多かった[注釈 45]。ただ全ての通信士がこの資格を必要としたわけではなく、逓信省や陸海軍の場合は、所定の教育訓練を受けた者なら無資格でも従事できた[注釈 46]。また私設局であっても、特に陸上の局でモールス通信を行なわない場合は無資格で電波を出せることが多かった[注釈 47]。
逓信省が提供する業務を利用し難い場合に限り、私設の設備により主に設置者のための電気通信を行なうことを認める、という制度は、電波の政府管掌を規定(第1条)した無線電信法が戦後の1950年(昭和25年)に廃止されるまで継続した[注釈 48]。この制度においては、無線通信士も特定の条件下においてのみ有効な国家資格であったといえる。
戦後の1950年に施行された電波法の目的は電波の有効利用であり([22])[注釈 49]、自衛隊の一部を除く全ての無線局は共通の法制度下にある[注釈 50]。通信に携わる者についても公設私設による違いはなく、その資格は条文が直接規定している[注釈 51]。また設備の保守管理にも有資格者を要するのが基本となるなど、無線従事者の種別は通信士だけではなくなった[注釈 52]。資格取得は試験合格を経るのが基本だが、所定の教育課程終了による取得も多い[注釈 53]。なお無線局の様態によっては、執務に無線従事者以外の資格を要する場合があり、操作範囲などが事実上制限されてしまうこともある[注釈 54]。
20世紀末になると特殊な技能を有さなくとも操作できる設備が増え、無資格で運用できる無線局が増加した[注釈 55]。資格を要する場合も、無線を必要とする局面が増加したこともあり、操作者の全員に資格の所持を求めるのは非現実的になってきた。日本の無線関係の資格は、1980年代までは基本的に業務独占資格であったが、1989年の電波法改正においては必置資格としての面を強めることとし、その無線局に所属する有資格者のうち主任無線従事者として選定された者の監督下ならば、無資格者であっても運用を行なえる制度が導入された[注釈 56]。
無線通信士の職場
[編集]船舶無線
[編集]モールス通信の時代
[編集]無線の実用化と時を同じくして、船舶通信士という職業が出現した。ただ初めのころは船客の電報を扱うサービス係として遇されることが多く、航海安全における無線の重要性はあまり認識されていなかった。また能力や自覚に欠ける通信士も少なくなかったようである[31]。
これらを変えるきっかけとなったのは、タイタニック号沈没事故における無線通信の不手際である[注釈 58]。一次大戦後は遭難など緊急時の通信に関し、多国間条約による国際協力が行われるようになり[注釈 59]、 また船舶通信士の国際的な能力基準も制定された[注釈 60]。また電波航法の実用化もあり[注釈 61]、船舶と通信する海岸局も陸上に設置されて有線系通信との連係体制も整ったので[注釈 62]、無線の重要性は広く認められるに至った。
日本の船舶で無線通信が正式に行われるようになったのは1908年[注釈 63] からで、海岸局も設置された[注釈 64]。初期の従事者は逓信省の元有線通信士で、1915年に私設の無線設備が認められるまでは、船舶局の通信士は官員つまり公務員だけだった[注釈 65]。1920年代からは一定以上の船舶に対し無線の装備が強制されるようになり[注釈 66]、民間人の船舶通信士も増加したが、船員組織における地位は不明確だった[注釈 67]。正規の船舶職員とされたのは1944年からで、モールス通信を行なう船舶は強制か否かにかかわらず、船員組織に無線部を設けねばならないことになった[注釈 68]。無線部の船舶職員は電波行政で規定する資格と、海技従事者としての船舶通信士免状[注釈 69] とを併有している必要があり、これは現在でも同様である。
二次大戦後は無線電話が発達し[注釈 70]、また電波航法の自動化も進んだので[注釈 71]、専任の通信士が乗務しない電話のみの船が増えた。1952年以降は無線の装備を強制される船舶であっても、種別やトン数によっては電話の設備だけでも良いこととなり、この場合は専任の通信士である無線部職員も必要としない[注釈 72]。 さらに1960年代には短波帯の無線電話が導入され[注釈 73]、モールス通信なしでも遠洋から連絡が取れるようになる[注釈 74]。そして70年代には船舶電話など、特に無線の能力を要さない一般通信も普及してきた[注釈 75]。
1970年代以降の国内航路で電信用設備と専任通信士とを義務付けられるのは、近海以遠を航海する客船や大型貨物船のみとなっていた[注釈 76]。ただ実際にはモールス通信を行なう小型の内航船や沿海フェリーも存在した[注釈 77]。また電話専用の資格で国際通信を行なえるもの[注釈 78] が80年代初頭まで存在しなかったため、国際航路では専任通信士によるモールス運用が一般的だった[注釈 79]。これらには労働政策上の理由もあるが、日本ではあまり大きくない船でも長距離長期間の航海を行なうことが多く、専門的能力を有する通信士を乗船させる必要があったためでもある[注釈 80]。いっぽう漁船も航行区域が広範囲に亘るため、法律的には電話のみで済む場合でも、近海以遠では電信用の設備を有している船が多かった[注釈 81]。ちなみに遠洋漁業では、短波帯のモールス通信が今なお行なわれている[注釈 82]。
GMDSSへの移行
[編集]80年代に入ると船舶近代化に伴ない、衛星通信 [注釈 83] やNBDP [注釈 84] が導入され、また通信士の資質向上も図られた [注釈 85] 。ところが最も大切な緊急時用の無線は、モールス通信など人手に頼る要素も多く、この戦前から続くシステムと新技術との乖離が問題となってくる[注釈 86]。
90年代初頭にGMDSS(世界海洋遭難安全システム)が導入され[注釈 87]、遭難信号を非常用位置指示無線標識装置(EPIRB)によって自動的にデジタル伝送できるようになった[注釈 88]。モールス通信とその従事者は船舶無線の国際的な必須条件から外され、新システムに適合した通信士の資格も定められた[注釈 89]。
日本ではこの改正に対応して、モールスの技能を要さない船舶無線用の通信士資格が新設された[注釈 90]。また船舶職員制度の改正も行なわれ[注釈 91]、必要な海技従事者資格も新設された[注釈 92]。さらに他部の船舶職員が無線部の職員を兼任できるようになると共に[注釈 93]、いわゆる大型船舶の船長や航海士に対し無線従事者資格の所持が義務付けられたので[注釈 94]、21世紀に入ると無線を要する民間船舶の殆んどから専任の通信士が消えた[注釈 95]。ただ海上保安庁や自衛隊などの公用船では、運航関連以外の通信は専任者によることも多い[注釈 96]。また海事教育機関の練習船には、教官でもある船舶通信士が乗務している[注釈 97]。
従来は通信士の手によっていた公衆通信なども、利用者が自分で携帯電話網や衛星回線を運用するようになったので[注釈 98]、電気通信事業者の海岸局は全廃された[注釈 99]。ただ地方自治体や漁業協同組合が運営する漁業用の海岸局が全国に存在し、電報を送受しているところもある[注釈 100]。海運業者は所属船のため、主にVHF帯の海岸局を有しているが、海事衛星経由のデータ通信も多くなってきた。
海上保安庁の海岸局などには多数の通信士が勤務しているが[注釈 101]、 1996年以降モールス通信は基本的に使用されていない[注釈 102]。また海上交通センター(マーチス)や自治体のポートラジオでは、係員が無線電話で運航管制などを行なっている[注釈 103]。
陸上無線
[編集]固定地点間の通信は有線が基本であるが、電線を引く必要のない無線通信も早くから使われている[注釈 104]。 特に日本の国際通信は外国企業が運営する海底ケーブルから始まったため[注釈 105]、外国と直接連絡できる無線回線は通信自主権の面からも要望が高く[注釈 106]、またいわゆる外地との回線も重要だった[注釈 107]。また1920年代にはラジオ放送が始まり、多数者への一方向通信という無線の新しい利用形態も生まれる。 これらの陸上無線では、モールスなどの通信技能を要さない純技術的な業務が多く、通信士の資格を有さない者も多数従事していた[注釈 108]。
二次大戦後は陸上無線でも自動化が進展し、国際電報などの手動モールスは衛星通信や海底同軸ケーブルが導入される1960年代には消滅した。また行政(治安・防衛・運輸など)や報道(通信社など)で運用されていた短波回線も、20世紀末までに殆んどが衛星通信へと転換された[注釈 109]。
21世紀の固定地点間無線通信は、特に電気通信役務用では有線通信と一体化しているのが普通である[注釈 110]。 なお陸上無線におけるモールス以外の運用は、ほとんどの場合は無資格で可能だが[注釈 111]、管理を行なう有資格者の配置を要する場合もかなりある[注釈 112]。
陸上を移動する無線通信[注釈 113] は電話が中心で、また普及したのが二次大戦後ということもあり、運用は利用者自身によるのが導入時から一般的であった[注釈 114]。各々の無線設備の操作は現在では無資格でも構わないのが普通である。有資格者を要するシステムの場合も、無線従事者は基地局などの1名で済むことが多い(陸上移動局#操作)[注釈 115]。なお自衛隊・警察・消防などの陸上無線では、移動する側にも通信運用の専任者が存在する場合がある。
航空無線
[編集]乗務通信士の時代
[編集]20世紀初頭に出現した飛行機や飛行船[注釈 116] にも、一次大戦のころから通信士が乗務するようになった[注釈 117]。戦間期の技術では航空機における無線電話通信には不備な点が多く[注釈 118]、専従者によるモールス通信が多かった[注釈 119]。ちなみに乗客の公衆電報も取り扱った例がある[注釈 120]。乗務通信士はコックピットの一員として運航に従事しており、無線通信や電波航法[注釈 121] の全てを担当していた。
航空においては地上の諸施設間を結ぶ電気通信も重要であり、多数の通信従事者が働いていた。また飛行場などの対空通信士は、今の管制官や運航管理者のような仕事もしていた[注釈 122]。二次大戦の近づくころには電波標識を結ぶ航空路も設けられ、欧米では無線電話を用いた航空管制も出現する[注釈 123]。
日本においては1927年から、一定以上の航空機に対し無線の装備が強制されるようになる[注釈 124]。だが通信士はその地位が不明確で、正規の乗員とは見なされない場合もあった[注釈 125]。航空従事者としての通信士資格は戦時中の1943年に法定されたが[注釈 126]、完全施行なされぬままに戦後の航空禁止を迎えた。
二次大戦後の進展
[編集]アビオニクスの進歩により電波航法が自動化され[注釈 127]、また電話通信の信頼性も向上したので、二次大戦後は操縦士が無線全般を担当できるようになった[注釈 128]。日本で戦後に新設された航空無線用の資格[注釈 129] もモールスの技能は必要とせず、管制官などとの電話通信が航空無線の主力になる[注釈 130]。
遠距離通信も無線電話が中心となり[注釈 131]、専任の通信士が乗務するのは国際線の一部に限られるようになった[注釈 132]。そのモールス通信も1960年代前半には消滅し[注釈 133]、旅客機のコックピットから通信士が消える[注釈 134]。ただ現在でも軍事や海難救助においては、無線通信に専念する乗員の役割は大きい[注釈 135]。
航空会社の社内通信(カンパニーラジオ)では従来からのVHF電話に加え[注釈 136]、ACARS[注釈 137] 等によるデータ通信やインマルサット[注釈 138] も多用されており、やはり操縦士が運用している。地上の飛行場や航空会社などの相互間を結ぶ通信は、現在は自動化されたデータ伝送が中心である[注釈 139]。なお機内で乗員が公衆通信を取り扱うことはなく[注釈 140]、電気通信事業者が提供するWi-Fiも利用者自身が操作する[注釈 141]。
航空交通管制のため[注釈 142] 地上から航空機に対して行われる無線通信は、管制業務の一環として行なわれる命令の伝達と[注釈 143]、操縦者の判断を補助するための情報提供とに大別される[注釈 144]。地上間の航空関連通信と同様に、情報提供は管制官とは別職種の専任者によるのが普通であり、資格要件も国際的に定められている[注釈 145]。なお国際線など遠距離にある航空機への管制伝達も専任者の担当だが[注釈 146]、運輸多目的衛星(MTSAT)によるシステムへの置き換えが進み、管制官が直接行なえるようになりつつある。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 設備の保守など、電気通信の主に技術面にかかわる業務と必要な資格については、電気通信主任技術者・無線技術士・工事担任者、などを参照。
- ^ 19世紀末に発明された電話の回線選択とその接続は、係員が利用者と対話しつつ行なう形態が20世紀半ばまで一般的だった。ただこの電話交換手は、普通は通信士には含めない。
- ^ 欧米では(英)Operator(仏)Opérateur などと呼ばれることが多かった。またTelegraphist/Télégraphiste という言い方もある。ちなみに日本の電波法が定める無線従事者は、ここでいう通信士には該当しない資格も含むが、総務省による 「Radio Law 仮訳」 では、これを Radio Operator としている[1]。
- ^ 狼煙などの視覚通信も光すなわち電磁波を必要とする。18〜19世紀のヨーロッパに存在した腕木通信の中継所では、訓練をうけた専従者が働いていた。中野明 (作家) 「腕木通信って、ご存じですか?」 日本の近畿地方でも、18世紀半ばから明治の初めまで旗振り通信が存在し、米相場などの情報伝達を業とする者がいた。また17世紀以降の琉球王国には、船舶の運航状況を狼煙で伝えるための先島諸島火番盛が存在し、島民が交代で詰めていた。
- ^ 資格としての無線通信士については、無線従事者・海技従事者・航空従事者、などを参照。
- ^ 業務内容については、海上保安庁、航空交通管制、などを参照。
- ^ 電流の断続状態を伝えるだけのモールス式は、電磁石と電池とスイッチが基本要素である。また通信回線も大地を利用すれば電線1本で済む。電信技術の理論的な研究も進み、応用科学としての電気工学が始まった(電気工学#電気工学教育の誕生と電力の商業化)。明治日本の工部大学校には最初から電信科が存在し、そこで学んだ人たちは強電技術の導入にも関わった。
- ^ -・-・ --・- (CQ)のように、「・」と「-」との組み合わせとその間隔で文字を表現する。モールス符号#符号化方式
- ^ 国指定文化財等データベース[2] 詳細解説も参照
- ^ 郵政博物館 ブレゲ指字電信機
- ^ en:David Edward Hughes#Printing telegraph 実用になった初の印刷電信機。
- ^ モールス式も、初めの頃は印字機がテープに記す符号を見て文字に直していたが、やがて機器が発する音から情報を得る音響受信が主流となる。
- ^ ただ回光通信機など光や音の断続によるシステムは秘匿性に難がある。
- ^ 無線と有線のモールス通信では受信音が異なる(モールス符号#有線と無線の通信方法)。
- ^ 毎分の通信速度は、現在の(無線)通信ではABC…が100字、イロハ…では75字程度が標準である。
- ^ NTTワールドエンジニアリングマリン:海底線まめ知識 日本人自身の手による国際通信は、本格的な海底ケーブル敷設船である沖縄丸の導入から始まり、日露戦争では独立した通信網を構築できたことが戦勝につながった(児玉源太郎#エピソード)。
- ^ 1865年には初の常設国際機関でもある万国電信連合が発足した。後には電話や無線の国際組織も設立され、1934年にはこれらが合体して国際電気通信連合となる。電気通信の従事者に関する国際的な取り極めも、ここで行なわれる。
- ^ 紙テープに開けた穴(鑽孔)の位置や数により文字情報を記録し、これを送信機にかけてパルス列を通信回線に流す。受信機では対応する活字を動かして自動印字する。初期にはモールス符号の短点・長点を穴の位置で表現する方法もあり、このクリード式は主に海底電信で使われた。後に主流となったのは鑽孔の有無5〜7個の組み合わせ、つまり5〜7ビットの情報で1文字を表わす方式である。これが現在のデジタル文字コードの基本となった。
- ^ 最初は文字と穴位置との関係を習得した者の従事であったが、まもなくQWERTY配列などの入力機器で鑽孔テープを自動的に作成するシステムが開発された。事務機であるタイプライターと電気通信との結び付きは、後の情報技術にも大きな影響を与えた(テレタイプ端末#コンピュータ端末としての利用)。なお1970年代以降は、打鍵入力をテープの仲介なしに電気信号へ直接変換し、場合によっては記憶装置に蓄積する方式が主流となる。
- ^ 特殊な文字鍵盤でモールス符号を高速送出し、電鍵送信の数倍の通信速度を得るシステムも存在した。受信側は自動印字ではなく、テープに現れる波形の長点と短点とを目視により瞬時に判別、対応する文字を手動タイプライターで記録する。大陸間の海底ケーブルや短波無線など、低品質小容量だった時代の基幹回線で使われた(現波通信)。
- ^ アメリカの電気通信事業は最初から民営によることが多く(ウエスタンユニオンなど)、各地の電信会社に「弟子入り」して腕をみがいた若者がたくさんいた。鋼鉄王カーネギーや発明王エジソンのように、まずモールス通信で身を立てた者も多い[3]。
- ^ 工部省が1869年に始めた電信業務を、1885年に発足した逓信省が受け継いだ。ちなみに海事や航空も逓信省の管轄であり、後述の無線通信士に関する行政も同省で担当できた。
- ^ 逓信省が1949年に郵政省と電気通信省とに分離して以降、また1952年の電電公社発足後も、「上野のウ、名古屋のナ、平和のヘ、」といった通話表を用いる電話託送などを局員が行なっており、また配達を受託している局では受取人に渡す送達紙の作成も必要であった。一般家庭にも電話が普及した1970年代以降の電報は、専用の受付番号である115番で発信を依頼することが多くなり、また通数自体が大幅に減少したので、郵便局での受付や配達委託は二十世紀末までに終了した。
- ^ 逓信官吏練習所などには給費生制度があり、幸田露伴、小原国芳など、経済的に苦しい進学希望者が無償で教育を受けることができた。また女子の課程もあり、電話交換手の他に女性の電信通信手も存在していた[4]
- ^ Rail Magazine編集部_ 「正しい『電略』」 60年代まで使われた鉄道電報の、主に略号について解説。
- ^ 野戦電信の軍事的価値については南北戦争の信号司令部を参照。1874年(明治7年)の佐賀の乱や台湾出兵では電信網が活用されている。
- ^ 有線系モールス通信の現場では、手動受信のほか翻書(電文の清書)などにも和文欧文のタイプライターが広く使われていた。
- ^ 60年代までの電電公社などには、電話交換手が多数勤務していた。回線選択という本来の業務形態は、現在では手動接続の国際電話などに残っている。有線系の通信士と同様に交換手にも国家資格のようなものは存在しなかったが、大規模な内線電話の交換担当者は、公社から構内交換取扱者の認定を受ける必要があった[5]。これは無線従事者と同様の公的な業務独占資格である。構内交換機の自動化が進展した等の理由から民営化直前の1984年に廃止。
- ^ 事業用電気通信設備の工事、維持及び運用を監督する電気通信主任技術者([6])、事業用通信回線と利用者側機器との接続工事に従事する工事担任者([7])、が法定された。必置資格である前者の業務には通信運用の監督も含まれている。後者は電気通信工事に関する業務独占資格の性格が強い。
- ^ 欧文タイプやカナタイプを扱える者は、少しの訓練を経れば欧文や和文の印刷電信に従事できる。また初期のコンピューターにおけるインターフェースは穿孔テープやパンチカードであり、これらの作成にもキーボード装置が使われていた。21世紀の現在でもデータエントリー(キーパンチャー)などが残っている。
- ^ 日本の電気通信法制では当分の間、電報の事業は受付や配達を含めて電気通信事業とみなすことになっている([8])。最近はネット経由の発信も多く、この場合は最後の配達のみが人手を要することになる。現在日本の電報はその殆んどが慶弔用であるが、特定定文電報や無線電報(モールス通信も使用)など通常の情報伝達を担うものもある。電報#日本の電報サービス
- ^ 電気通信の規制緩和や民営化が進展する21世紀にあっても、電波監理は国家の重要な権能である。いわゆる公共の電波はその利用に有限性のある公共財であり、無秩序な利用による周波数などの枯渇を防ぐことが、現代における電波監理の基本理念である([9])。また大多数の国家が加盟している国際電気通信連合は、国際社会における電波規制を目的の一つとしている。
- ^ 大陸間の固定無線通信は、海底ケーブルと同様に当初から私企業による運営が多かったものの、完全民営化までのケーブル・アンド・ワイヤレスや国際電電(KDD)のような国策企業によるものが殆んどで、自由競争の下にあったとは言い難い。
- ^ 公営事業の事務所を必要な場所の全てに開設するのは非現実的である。また安全に係わる通信や業務用の諸連絡を公衆通信(電気通信役務)のみによって行うと、迅速性や秘密保護などの点で問題の生ずることがある。そのため電気通信事業とは独立した無線通信網が使われるようになった。なおこれらの業務無線において、委託された公衆通信などを行なう場合もある。
- ^ 無線では通信士が単独で設備保守や緊急連絡などを担当する場合も多く、その点からも一定以上の能力を有する者を従事させる必要がある。現在では他の無線通信との共存を確保することが、資格制度の存在意義とされることも多い。[10]
- ^ 英‣米・仏・独・露などの9カ国が1903年にベルリンで行った会議が基になり、1906年にベルリンで万国無線電信会議が開催された。1908年には日本をふくむ30カ国の参加により、国際無線電信連合が発足した(ドイツ=オーストリア電信連合#無線の時代)。これが有線電信や電話の国際組織とも合体し国際電気通信連合となる。
- ^ 外国の無線局を相手とする(又は経由する)通信が国際通信であり、同一国の無線局相互間の(直接)通信は、どこから行なっても国内通信である。ただ海や空では国内通信のみを行なう場合も国際的な規定に従う必要があり、国際条約に裏付けのある無線の資格を要するのが原則である。日本の無線従事者のうち国際的な資格に対応しているものについては、免許証にその旨が記載されている([11])。なお安全にかかわる遭難通信などには国内・国際の区別はないが、交信の形式や通報の取扱方法などについて、国際的な取り極めがなされている。
- ^ 無線設備に関する技術的な能力、電気通信法規の知識、そして国際通信のための英語力、モールス通信を行なう際はその送受信技能、などが必要である。現在の日本における国家試験科目は、無線従事者規則 [12] を参照。なお試験科目に「無線工学の基礎」がある資格は、無線関係を専攻した者による取得を前提としている。
- ^ #船舶無線や#航空無線の陸上(地上)側、また業務用のモールス通信は、現在でも無線専業の者による従事が多い。それ以外では他の職務の一部となっているのが普通で、その職種の養成において無線関係の教育訓練も行なわれている。なお日本においては、電気通信設備の技術面を担当する者も、特に陸上無線技術士や電気通信主任技術者の資格を要する場合は、専門教育を受けた専任者が大半である。
- ^ 世界無線通信会議(国際電気通信連合開催)で制定される無線通信規則(RR、ITU Radio Regulations)が、国際的な資格の基準を定めている。なおRRが規定するのは移動体の無線通信士だけで、それ以外の電気通信従事者については基本的に各加盟国の自由である。ちなみにRRに基く資格は、他加盟国においても対応する資格として通用する場合がある([13])。
- ^ [14] [15]。無線電信法における規制の殆んどは私設無線に関するもので、最終的には1933年施行の私設無線電信無線電話規則が、設備の基準や具備すべき電波と共に、配備の必要な通信士についても規定していた(第3章)。
- ^ 無線電信法 [16] に基づく私設無線電信通信従事者検定規則で規定 [17]。当時の一級および二級は、現在の第一級および第二級総合無線通信士に継承されている。1931年からは無線通信士資格検定規則に依るようになり、「無線通信士」という名称が初めて法律に現れた。利用範囲が広まるにつれ、漁船級(後の第三級)、電話級、航空級(旧制度のものは廃止)、なども設けられている。
- ^ 日本の実質的な支配下にあったいわゆる外地には、日本の法令がそのまま適用される場合があり(外地#外地に適用される法令の区分)、通信士についても日本政府付与の資格がそのまま通用していた。また国内と類似の制度により、各地域で独自の証明書も発行している(「無線通信士資格検定規則」 1931年朝鮮総督府令第67号、1933年 [18]、など)。ただ少なくとも形の上では独立国である満州国は固有の法制度を有しており、帝政移行後は別個の電気通信法制に準拠した、交通部大臣(日本の逓信大臣に相当)が付与する通信士資格も存在した([19])。1942年の無線通信士資格検定規則(満日対訳)には3種類の資格が規定されている。日本の第一〜三級と(旧)航空級の通信士は、満州における一級から三級の資格を無試験で得ることができた(第8条)。
- ^ 日本における最初の本格的な無線学校は、社団法人電信協会が1918年に創立した無線電信講習所とされる。設立には逓信省や海運業界も係わっていた。1940年に官立化(逓信省管轄)、戦後は中央校が電気通信大学の、地方校は国立電波高校(後の電波高専)の、それぞれ母体となる。民間の無線学校は日中戦争の始まる頃にかなり出現したが、戦争が激化すると上記の官立講習所に吸収された。戦後は電子工学全般の教育を志向しての開校が多く、大規模な総合専修学校に発展した例もある(東京電子専門学校、名古屋工学院専門学校など)。ただ高度成長期になると各学校とも製造業への就職が増え、通信士の養成課程は縮小されていく。また資格を得ても一般の電子技術者になる者が多かった。現在の日本で通信運用に関する教育や訓練を行っているのは、船舶・航空関係や防衛省の学校であり、通信士養成のみを目的とする教育機関はほとんど存在しない。
- ^ 昭和に入ると#航空無線の乗務通信士、あるいは現NHKの放送局など#陸上無線に雇用される者も出てきた。また戦前は弱電系の教育機関が少なく、電子工学の技術者となる有資格者もいた。無線電信講習所(現電気通信大学)などで学んだ小説家の新田次郎(藤原寛人)は、通信運用には殆んど従事しなかったものの一級通信士・技術士の資格を有しており、富士山頂レーダー開設などの業績でも知られている。[20]
- ^ 教育の課程が基準を満たしていれば、無線電信講習所などと同様に通信士の資格を無試験で得ることができた。逓信省や軍の通信士にも有資格者は多く、民間の無線局に再就職した退職者や退役者もいた。なおそれ以外の官庁用無線には私設用の規定が適用されることが多く、基本的には有資格者を要した(官庁用無線電信無線電話規則第3条)。
- ^ 固定局や放送局などでは、一般の技術者と同様に所定の学歴や職歴を有する者が雇用され、無線設備の技術的な操作に従事していた。ただし1940年には戦後の(陸上)無線技術士と類似する電気通信技術者の制度が設けられ、この必置資格を有する者が求められる場合も出てきた(後述)。なお今で言うアマチュア無線の操作に限定された資格は、法令として明文化された制度としては存在しなかった(アマチュア無線技士#歴史)。
- ^ 太平洋戦争が始まると出征する通信士が増え、また戦時下では無休聴守(24時間の待ち受け受信)などに多数の人員を要するので、無線電信講習所を官立化し地方校も設け、さらに収用した私立無線学校を支所にして通信士の大量養成を図った[21])。それでも戦死者の増加で要員不足をきたし、無資格である講習所生を「実務練習」という形で学徒動員するまでになる(私設規則 1943年改正 第36条の2、別表第4号)。戦況が進展すると新卒の通信士は陸海軍の争奪するところとなり、陸軍予備候補生や海軍予備練習生のように最初から下士官以上での任用を行なったため、無電講習所での教育訓練も軍学校と似たものになった。また女子の通信士を養成する試みも存在した。無線電信講習所規則 1945年1月改正。
- ^ 戦後は逓信省が解体され、電気通信行政は郵政省(現総務省)の担当になった。ちなみに船舶職員や航空機乗員としての通信士に関しては、運輸省(現国土交通省)の管轄となる。
- ^ 自衛隊のレーダー及び移動体の無線設備は電波法の適用を受けない。自衛隊法[23] 第112条(電波法の適用除外)を参照。基地などには無線従事者が必要であるが、船舶や航空機、また地上部隊などの無線担当者は、自衛隊独自の資格を所有していれば足りる。防衛省が行なう通信士試験のレベルは、最上級の甲種でも二級総合通信士の程度だが、電波法による通信士や技術士の資格を有する隊員も多い。[24]。ちなみに在日米軍の全ての無線局は、日米地位協定により電波法の適用を受けず([25])、米国本土の無線局と同様に連邦通信委員会の規定に従うが、日本人の無線従事者をかなり雇用しているという。
- ^ 電波法 [26]。操作範囲は電波法施行令[27] 第3条、資格の認定方法などは無線従事者規則[28] によっている。旧制度の通信士や電気通信技術者(後述)は、対応する新資格を無試験で得ることができた([29])。なお戦後の沖縄では琉球政府が1956年に電波法を制定し、これによる独自の無線従事者制度が1972年の沖縄返還まで存在していた。無線従事者 (琉球政府)を参照。
- ^ 無線通信士に加え、技術面の操作に携わる無線技術士が新設された。また特殊無線技士の制度ができて、専門教育を要さない資格でも小規模な無線局なら運用できるようになり、専従者以外による無線通信も増加した。またアマチュア無線技士の資格も新設された。
- ^ 無線電信法時代は特定の学校卒業者は無試験で資格を得られた。戦後の電波法においては、初めの頃は国家試験合格のみが取得手段だったが、認定された学校の卒業者には試験科目のいくつかが免除されるようになり、さらに特定の授業を履修した者には無試験で資格を与える制度が導入された。また基準を満たす講習会に参加して終了試験に合格しても、国家試験合格と同様に資格を得られる。なお実務経験を活かせる制度もあり。無線従事者#取得
- ^ たとえば船舶における一定の無線局の操作には、船舶局無線従事者証明を受けていることが必要である。そして無線部の船舶職員(後述)は、所持する海技士資格の種別により、無線従事者としては認められる操作が海事法規には抵触してしまう場合もある。また各種の操縦士など所定の航空従事者資格を有さない者は、無線従事者であっても機内における無線関係の操作(受信も含む)を行うことができない(後述)。
- ^ 携帯電話など電波を発射する端末は、操作には無線従事者の資格を要さないが([30])、電波法上のれっきとした無線局であり(陸上移動局など)、各種の規制を受けている。
- ^ ただし手動モールスや船舶・航空機の保安通信など高度な属人的能力を必要とする場合は、有資格者以外は運用できないのが原則である。
- ^ File:Titanic's Marconi room.jpg 米国ミズーリ州のタイタニック・ミュージアムにおける再現展示
- ^ タイタニック号の通信士は船客の電報を送受するのに忙しく、氷山に関する他船からの情報は航海部門にうまく伝わらなかった。また遭難通信用周波数の受信義務が確立しておらず、すぐそばの無線装備船では通信士が寝ていた。さらには救助要請を「聞かなかったこと」にした船舶すら存在した。タイタニック号#船体の損傷と浸水
- ^ 1906年ベルリンでの国際的な無線会議において、新しい遭難信号としてSOSが規定された(SOS#遭難信号の統一)。タイタニック号の遭難時にも、それまでのCQD(come quick, distress)と共に使用された(史上初ではない)。1914年の「海上における人命の安全のための国際条約(SOLAS条約)」は、この事故を契機として締結された[32]。
- ^ 無線学校以外に海事教育機関で通信士養成を行なう場合もある(海上保安学校・大学校など)。ただ水産高校や海洋高校の無線通信科では弱電全般を教えているし、就職先も現在では工業高校電子科とあまり変らない。
- ^ 船舶側が発射した中波帯の電波を陸上の無線方向探知局で受信し、この局から見た船舶の方位を通知するのが最初の電波航法であった。船舶では通信用以外の無線設備を必要としないが、双方の通信士による共同作業が重要だった。1920年代には船舶側から見た電波の到来方向を、航海士が方向探知機を用い測定するシステムも出現したが、手動式であり計測のたびに操作する必要があった。
- ^ 初期の海岸局には無線機メーカーの所有するものもあり、マルコニー社のように「他社の無線機を使う船とは通信しない」例すらあったが、一次大戦後は殆んどが電気通信事業者による運営となる。遭難通信などの際には海軍や行政機関の海岸局も協同した。
- ^ 3年前の日本海海戦では無線が勝因の一つとなっており、海軍でも無線通信は実用化されていた。船舶無線#日本での歴史
- ^ ロシアとの陸間通信も行なう 落石局 や、21世紀寸前まで運用していた長崎局や銚子局が、同年から業務を開始した。
- ^ 業務内容については日本初の無線通信士とされる米村嘉一郎を参照。私設が認められて以降も、逓信省の官員つまり公務員が民間船舶に乗り組んで通信に従事する、いわゆる官設局も終戦まで存在していた。
- ^ 1925年[33]条文化。この規定は諸設備全般の条件を定めた船舶安全法(1933年制定時)に引き継がれ、これの第4条が現在も無線強制の法的根拠である。1991年のGMDSS導入までは、無線を「要する船舶」が条文で直接定められていた。
- ^ 高級船員(今の船舶職員)となるには乗船履歴が重要であるが、電波行政における通信士の資格は試験合格のみで取得できる。運輸行政における船員としての通信士資格が1940年代に法定されるまで(後述)、船舶通信士は重要な職務であるにもかかわらず軽んじられる傾向があった。無線導入時より定員や実務経験の規定は存在しており、後には指定無線通信士資格検定の合格がその任用条件となったが(私設規則1943年6月改正 第37条)、これらは無線電信法に係わる規定で、船舶職員としての資格制度ではない。
- ^ 責任者の名称として無線関係者は「通信長」を主張したが、航海や機関が中心の海事行政では戦後の改正まで容れられなかった([34])。なお無線部の他の職位は二等と三等の船舶通信士であり、通信長は一等の航海士や機関士と同格で制服の金線も3条である。
- ^ 甲・乙・丙種の船舶通信士免状と、乗り組みを要する船舶が法定された(船舶職員法1944年改正)。現行制度では、船舶職員及び小型船舶操縦者法における一〜三級海技士 (通信)に相当する。モールス通信を中心に通信を行なう船舶局は、現在もこの有資格者が必要である([35]。
- ^ 中短波帯の電波による無線電話は、二次大戦の前から小型船を中心に使用されており、無線の強制されない船舶では電話級の通信士が運用することもあった。戦後の1950年代に出現した150MHz帯のFM変調式無線電話は、モールス通信を行なう船のブリッジにも設置され、操船の担当者も出入港時などには電話通信を行なうようになる。これが現在の国際VHFへと発展した。日本では27MHz帯(VHF扱)を用いた比較的低廉なシステムが漁船を中心に普及し、専門教育なしで取得できる特殊無線技士の増加と相まって、航海の安全に貢献している。
- ^ 二次大戦後は陸上からの電波を船舶側で受信するシステムが中心となり、送信地点の方位のみならず距離も自動的に連続表示される。レーダーのように電波を発射する機器も含め、無線の専門知識を有さない者でも操作できるのが普通。
- ^ (船舶安全法 [36])。無線の装備が強制される日本船舶は、かつてはモールス通信の可能な設備(と船舶職員としての通信士)を必要としたが、電話のみが義務である船舶では、海技従事者である専任の通信士は乗り組みを要さず、無線従事者の資格を有する航海士などが通信担当者を兼任できる。ただ電話専用の資格のうち特殊無線技士が運用できる船舶無線の周波数は中短波帯とVHF以上であり、また80年代に入るまでは国内通信のみ可能な種類だけだった。なお遠距離用の短波帯を扱える電話級無線通信士(今の第四級海上無線通信士)も、国際通信は不可である。
- ^ それまでの遠距離用無線電話は、中短波帯の電波にAMラジオと同じ方法で音声を乗せるもので、安定した通信は300キロ程度が限界だった。短波帯のシステムでは効率のよいSSB変調を用いており、時間帯ごとに適宜な周波数を選べば数千キロの交信が可能である。衛星電話の普及する21世紀初頭までは、これを用いた遠洋船舶電話も存在した。
- ^ アメリカには、電力や周波数が無制限で国際通信も行なえる無線電話専用の資格が早くから存在し(en:General radiotelephone operator license#History)、専任の(電信)通信士が乗らない外航船も多かった。いっぽう日本では1980年代に至るまで、電話での国際通信にもモールスを扱える通信士の二級以上を要した。もっとも当時は英会話の不得手な船員も多く(日本だけではない)、英語での交信は専任通信士によるモールスのほうが確実だったという。
- ^ 船舶無線の第一の目的は安全に係わる通信の確保であるが、所属組織との連絡や乗員乗客の個人的な通信を扱う一般通信の比重も大きい。かつては通信士が双方の全てを行なっていたが、運航のための無線電話による交信は甲板部も担当するようになり、また一般通信には(復信式の)電話やファックスなど、陸上と変わらない機器が導入されていく。
- ^ #GMDSSへの移行までは、旅客船および1,600総トン以上の貨物船は航行区域が 沿海 [37] を越え近海や遠洋に及ぶ場合は、国内航路であってもモールス通信用の設備と専任の通信士とを強制されるのが基本であった。
- ^ 太平洋や日本海の沿海のみを航行区域とする内航客船に対して、長距離の場合はモールスの装備と二級通信士以上の乗務とが行政指導されていた。荒天回避のため沖合に出た沿海フェリーが、VHF電話の通信圏を脱してしまう事件が起きたためである(1974年、しれとこ丸#事故・インシデント)。なお国際海峡である津軽海峡の青函連絡船では、客扱いをする場合は外航大型客船と同様に通信士3名が乗り組んでいた。
- ^ 1982年に特殊無線技士(国際無線電話)が新設され、モールス通信の技能や無線工学の専門知識を有さない航海士などでも、国際通信を行なえる資格を所持できるようになった。どの船舶でも行なえる国際通信は事実上国際VHFによるものだけであるが、モールスの設備を強制されない船舶では専任通信士を廃する例も出てきた。なお後継の第一級海上特殊無線技士は、漁船や非義務船舶ならインマルサットなども運用できる。
- ^ 電信設備を強制されない船舶においても専任通信士が乗務していた。日本船舶は欧米に比べると通信士の員数が多く、これの減員は1960〜70年代海事労働の大きな争点だった。船舶近代化による人員削減問題の前哨戦と見なされたからである。第43回国会 逓信委員会 [38](通信士3名乗務の論議) 船員には珍しいストライキ(下船拒否)も行なわれ、全日本海員組合からの脱退者が別組織の船舶通信士労働組合をつくる事態ともなった。海労ネットニュース 第12号 「船通労・無線会館売却」 70年代からは大型船でも通信士1名が基本となる。
- ^ 70年代に入るころまで、ある程度以上の船舶には事務長が乗務していた[39]。人員合理化が進展すると、通信長が事務長の仕事を兼務することが多くなり、この点からも通信士の廃止は難しかった。ちなみに現在の日本船舶では、司厨(船舶料理士を参照)を含む事務関係の管理は甲板部職員によるのが普通である。
- ^ #GMDSSへの移行までは、100総トン以上の漁船は航行区域などとは無関係に、全てモールス用の設備を有さねばならないのが原則であり、主に三級(総合)通信士の専任者が乗船していた。
- ^ この場合の無線部は従前からの制度に依ることが多い。なお三級総合の資格のみでは、GMDSSに対応する新しい無線部の職員にはなれない(後述)。日本大百科全書(小学館)「電信」 [40]
- ^ 1979年の「国際海事衛星機構に関する条約」締結により、現在の国際移動通信衛星機構が成立し、静止衛星を経由する海上通信が行なえるようになった。1998年に事業部分が民営移管されて成立したインマルサット社は、現在では移動通信全般を扱っており、両極地方を除く地球全域からアクセスできる。なおインマルサットによる船舶地球局は、一般の電話網などとして使う場合は無資格でも運用できるが、GMDSS(後述)など安全運航のための通信システムとして使用する場合は、所定の国際的な無線資格を要する。日本では第一級海上特殊無線技士以上の、無線電話による国際通信を行なえる資格。
- ^ Narrow Band Direct Printing。ラジオテレタイプの一種で、最初は一般通信用として導入された。通信白書(昭和57年)[41]。GMDSSにおいては文字通信の基本方式となり、NAVTEX(航行警報)などにも使われている[42]」 ただ一般通信用としては低速(100baud)で漢字変換も出来なかったため、日本ではほぼ電子メールに置き換えられた。
- ^ トリー・キャニオン号の座礁事故などをきっかけに、「1978年の船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約[43]」が締結された。これに伴ない一定の船舶局を運用するには、無線従事者資格と共に船舶局無線従事者証明の受給を受けていなければならないとする制度が1982年に導入された[44][45]。なお操作や監督にこの証明を要するのは、電波法施行規則 [46] で規定する義務船舶局等(後述)、および従前からの規定によりモールス通信を行なう船舶局である。これらの無線局を有する船舶は、海事法規により船員組織中に無線部を必要とする船舶でもあるので、この無線部の職員に必要な海技従事者資格(国土交通省管轄)の取得には、乗船履歴と無線従事者免許証のほか、この証明を受けていることも必要である。
- ^ 新しい通信方法を用いてのSOS等はもちろん可能であり、必要な制度や聴守体制も導入時から存在していた。ただ複数の連絡手段が並立すると、「第一報にはどれを使うべきか」「内容に喰い違いがある時はどうするか」など逆に不都合を生ずる場合もあり、新システムをも包含した遭難通信体制の構築が必要になった。
- ^ 海上における人命の安全のための国際条約(SOLAS条約)の改正による[47]。日本では20総トン以上の船舶すべてについてGMDSSの装備が原則となり[48]、無線を「要さない船舶」について例外規定を設ける制度に替わった[49]。船舶安全法の改正で、電波法上の義務船舶局[50]の範囲が拡がり、無線従事者を要する船舶が増えた。必要な装備は船舶の種類と航行区域により決定され、それに従い必要な資格も定まる[51]。GMDSSに関する規定はかなり複雑で、業界団体では民間資格を設けているほどである。日本船舶電装協会「航海用無線設備整備士のあらまし」
- ^ 沈没時には非常用位置指示無線標識装置(衛星系通信)の自動送信で遭難信号が発せられることも多い。ただこのE-PIRBをはじめとする自動化機器の誤発信が多く、不必要な救助活動が行なわれてしまう場合もある。日本では海上保安庁の海岸局が遭難通信を宰領するのが基本で、自衛隊などとも協力して救助活動を行なう。1979年発効の「海上における捜索及び救助に関する国際条約」に基づき、日本周辺国との間でSAR協定が結ばれ、国際的な協力体制が作られてきた。
- ^ 国際的な4資格のうち上位の3つは、モールス通信を除く全ての船舶無線を運用することが可能で、保守作業従事の可否およびその範囲がランクにより異なる。無線工学の専門知識を要するのは上位の2資格だが、国際的に見ても所有者は少ない。
- ^ 海上区分無線従事者のうち、第一〜三級の海上無線通信士は国際資格の上位3つに対応する。また既存の第一級海上特殊無線技士は、電話中心の簡易な4番目の資格に対応するものとされた。なおモールス通信を行なえる資格も国際的に存続しており、これに対応する総合無線通信士のうち、一級は一級海上通信士を、二級は一級海上特殊を包含する。
- ^ GMDSSの場合も、一定以上の船舶は船員組織中に無線部を要するが、陸上と中短波帯で通信できるA2水域 [52] 内の国内航路なら、全ての船舶において不要である。船舶職員及び小型船舶操縦者法施行令 [53] 配乗表の適用に関する通則 4。
- ^ 新しい無線部のための海技従事者資格として、一〜四級海技士 (電子通信)が新設された。それまでの海技士(通信)と同様に、取得には無線従事者資格と船舶局無線従事者証明、および乗船履歴が必要である。三級と四級は無線工学の専門教育を受けていない者でも取得可能。なお新制度の無線部を有する船舶においても総合通信士によるモールス運用は可能であるが、有さない船舶でモールス通信を行なうには、義務船舶局でない場合も従前からの制度による無線部が必要である。
- ^ 船舶職員及び小型船舶操縦者法施行令 [54]。なお各資格で乗務できる船舶については、同施行令 [53](配乗表)のうち、五 無線部、を参照。予備の無線設備があったり、入港時に業者が整備を行なったりする場合は([55])、無線機器の保守作業が行なえない三級の資格でも全ての無線部で通信長になれる。ちなみに一級海技士 (通信)は一級海技士(電子通信)を包含する上位資格であり、新制度の無線部すべてにおいて執務できる。
- ^ 無線の装備を強制される大型船舶においては、無線部の有無にかかわらず、甲板部職員(の全員)は第二級海上特殊無線技士以上を有していなければならない。外航船の場合は電話による国際通信を行なえる資格を要する。船舶職員及び小型船舶操縦者法施行規則 [56]。[57] 1997年以降の [58] 「附属書第2章 船長及び甲板部」における無線関係の規定を満たすための改正である [59]。なお国によっては、船乗りの資格だけで小規模な無線局なら運用できる。
- ^ [60]。(総合)通信士は船舶局以外にも従事可能な無線局が多く、電気通信関係の仕事に「陸転」した例も多数ある。また陸上無線技術士などの資格を取得する際に、無線従事者認定講習課程[61])の制度を活用できる(無線従事者#取得)。今でも専任通信士が乗務している民間船は、遠洋漁船の他は少数の外航クルーズ客船などである。
- ^ 自船の運航に係わる無線通信や電波航法は航海士などによるが、海難救助や哨戒、あるいは漁業取締のための通信や方向探知は専任者によるのが普通である。大型艦船では対空通信用などに別個の無線室を有する場合もある。
- ^ その練習船が通信長の乗り組みを要さない船舶であっても、航海士養成において無線の資格を取得させる必要もあり、船上で無線の実地教育を行なっている。神戸大学海事科学部 [62] 海事教育機関のうち新人養成の第一種養成施設においては、中等教育レベルでは海上特殊無線技士の第二級、高等教育レベルではその第一級を、在学中に取得できるようなカリキュラムを組むことが多い。また再教育機関である第二種養成施設においては、第三~四級の海上無線通信士および船舶局無線従事者証明の講習を行なっている。
- ^ 現在の携帯電話は海岸から20数キロ程度、つまり領海内なら圏内であることが多い(陸上移動局#実際)。またインマルサットより低予算で済む衛星携帯電話が普及し、NTTドコモのワイドスターは200海里経済水域内なら通話やデータ通信が行なえ、GMDSSの一般通信用設備としても認定されている。「[63]」 NTTテクニカルジャーナル VOL.18 NO.2 Jul.2010。ただしこれらは一般的な「電話」であるから、緊急通報を行なう際は118番を利用することになる。海上保安庁 [64]。
- ^ 20世紀末までの日本には、電電公社(後にはNTT)の海岸局が十数局存在した。2〜300キロまでの船舶とは中波帯で、また遠洋の船舶とは銚子局や長崎局の短波帯で、主に手動モールスにより公衆電報を送受していた(銚子無線電報局#概要)。またNTTやKDDIの海岸局を経由する船舶電話は、VHFによる沿海用は携帯電話網や第三者無線に、短波帯の長距離用は衛星通信に移行した。無線電報を利用していた文書通信も、これらを経由するメールやファックスに代っている。ちなみに船舶地球局と通信する陸上の局は海岸地球局といい、これらは船舶局や海岸局ではなく地球局の範疇である。
- ^ 現在の日本で電気通信業務を行なう海岸局は漁業用のみであり、NTTの委託で電気通信役務を提供している[65]。無線電報は主に遠洋漁業で利用され、漁船との間では「託送」という形で電文をやり取りし、電報として扱われるのは陸上だけの場合も多い。[66]」第6章 託送とは他の電気通信手段による電報の受付や送達のことで、海岸局と漁船との間ではモールス通信による場合もある。
- ^ 現在の海上保安庁にはモールス通信の行なえる総合通信士の養成課程はなく、無線要員が取得すべき資格は三級海上と航空通信士、それと二級陸上技術士である。また航海士や機関士などの養成においても、一級海上特殊技士レベルの無線教育をしている。海上保安大学校 [67]
- ^ 船舶局や海上保安庁の海岸局は、現在でも港務通信などに中波帯モールス用の電波を使用することができる。[68]
- ^ NHK 平成若者仕事図鑑 [69] 通信相手には外国船が多く、電話による国際通信を海岸局において行なえる資格が必要。
- ^ 大地に沿って伝わる地表波は低い周波数ほど遠くに届くので(電波伝搬#地上波)、一次大戦が終わった頃までの陸上無線は中波以下の周波数帯に拠るのが普通であり、大陸間通信には10数kHzの超長波を大電力で使用した(依佐美送信所)。電離層で反射される波長の短い電波が小電力でも遠距離に達することが発見されると、回線容量が長波によるものよりずっと大きいこともあり、1920年代以降の国際無線通信は短波帯によるものが主力となる。ただ通信状態は有線よりも不安定であり、40年代までは印刷電信などと共に熟練者による高速の手動モールス通信も重要だった。二次大戦後はVHF以上による多重通信、後には衛星回線なども陸上無線の主体となり、これらは殆んど自動化されている。
- ^ 日本初の対外通信回線を建設したのはデンマークの大北電信会社であるが(1871年)、同社の対外電報独占権が完全に消滅したのはほぼ一世紀後の1969年である。
- ^ 大英帝国が海底ケーブルを世界中に敷設したので、日本などの新興国は無線による国際通信網の構築をめざした(大西洋横断電信ケーブル#海底ケーブル網の発展とその後の展開)。
- ^ 内地(本土)との間で、海底ケーブルなどの有線回線と一体化した無線回線が、逓信省により運用されていた。なお外地には別個の電気通信事業者も存在し、満州電信電話株式会社は自前の通信従事者養成機関を有し、また放送事業(ラジオ)をも運営していた。
- ^ 逓信省や陸海軍の場合は通信士と同様に、内部養成機関で必要な教育を受けた者が従事していた。いっぽう国際通信に使用される固定局などの保守管理は、民間企業である国際電気通信株式会社(現KDDI)が行なっており、また現NHKによるラジオ放送も逓信省による運営ではない。この2法人における主任技術者については、逓信省が雇用の際に個別の審査を行なっていたが、1940年からは新設の電気通信技術者(前述)の資格を有する者に限られるようになった。ただしこれは前述の2法人のみの必置資格であり [70]、通信士の場合と同様に逓信省の無線設備などは制度外であった。
- ^ 映画「インデペンデンス・デイ」で描かれたように、衛星や光ファイバーなどによる広帯域回線が全て使えなくなっても、両端末の機器だけで済む短波通信は使用可能である。自衛隊には最終手段としての手動モールス通信網も存在する[71]。ちなみに短波無線へのサイバー攻撃としてはジャミング以外に有効な方法がなく(通信妨害)、周波数の頻繁変更などの対応を採れば戦時でも最低限の情報交換が行なえる。
- ^ 有線通信と無線とは、かつては技術面でも制度面でも分けて扱われていた。現在では宇宙部分(通信衛星など)を使用する「衛星系」、有線通信(光ファイバーなども含む)に地上のみの無線システムを加えた「地上系」とに、電気通信を大別することが多い。
- ^ 電波法施行規則 [72]など。なお国内電信級陸上特殊無線技士は、陸上相互間で国内モールス通信を行なうために設けられた資格である。陸上分野における他の資格には通信操作に関する規定がないが、それはこの第33条により特に必要が無いからである。ちなみに国内電信級の資格所有者が殆んど自衛隊員なのは、これがあると陸上無線においてほぼ全ての通信操作が行なえるからと思われる。自衛隊も含めて全てのモールス通信では、運用者の全員が有効な資格を必要とする。
- ^ (無線局としての)放送局や電気通信事業者の無線中継所、衛星通信や航法無線などの送信所には、基本的に陸上無線技術士の配置が必要。また海岸局や航空局で大電力のものには、通信士以外に技術士の配置を要する場合がある。小電力で陸上間のみの通信を行なう場合も、特に業務無線では最低1名の陸上特殊無線技士を要することが多く、国際条約が要求しないこれら技術関係の国家資格が存在する国は珍しい。なお一定規模を超える電気通信事業において用いられる無線局は、必置資格である電気通信主任技術者の監督も受けている[73]。
- ^ 船舶の場合も、沿海で使用する携帯電話やMCA無線、そして内陸湖の遊覧船などで使用する無線[74]は、電波行政上は陸上無線である(陸上移動局#実際)。またスカイスポーツで使われている無線も#航空無線の範疇ではないことが多い。有資格者を要する場合は、いずれも陸上区分の無線従事者あるいは総合通信士が必要である。
- ^ 1950年代までの自動車無線では、中波〜短波では電話のほかモールス通信が使われることもあった[75]。 現在でも軍事関係では、手動モールスを含めた短波帯の陸上移動通信が行われている。陸上自衛隊 [76] また1920年代までの欧米には無線室を備えた列車が存在し、専任の通信士が運行情報などを扱っていた[77]。
- ^ かつてはタクシー無線などでも運転手の全員が資格を必要とした。なお警察や消防では無線教育の意味もあって、現在でも資格を取得させることが多い。
- ^ 1930年代まで活躍した旅客運送用の飛行船には、大型客船と同様に複数の通信士が乗務しており、公衆電報も取り扱っていた[78]。また北極で遭難した飛行船イタリア号の救助活動は、航空における無線通信や電波航法の重要性を人々に認識させた[79]。
- ^ この乗務通信士および地上で航空無線に携わる者の多くは、無線学校卒業者や元船舶通信士からの転業者が普通であった。専任の通信士が乗務していた時代であっても、飛行学校などにおける無線教育は軍関係以外では殆んど存在しなかった。
- ^ 無線機やアンテナそのものより実装技術に問題があり、エンジンの電装などのため電磁環境も良好ではなかった。また当時の機内騒音は耳栓を要するほどであり、受信が不可能なので航空機からの片送信のみ行なった場合もある。電磁シールドやボンディング(導体各部の電位差を無くすための相互接続)が普及したのは、各種の電子機器が搭載されるようになった二次大戦以降である。
- ^ 飛行場間などの地上通信を行なっていた無線局が、中波帯の電波による対空通信も行なうようになった。通信方法は船舶無線に準じており、遭難信号のSOSなども共通である。また船舶用の海岸局と通信することもあった。短波通信が導入される1930年代には専用の航空局が地上に設けられ、航空専用の通信体系が成立する。
- ^ 日本では1937年から乗客が電報を発受できるようになった[80]。ただ単なる物珍しさによる利用も多く、戦争が激化した1943年にはすべて廃止になった。航空機の公衆通信は、80年代に航空機電話の形で復活する。
- ^ 航空機が発射した中波帯の電波を地上の無線方向探知局で受信し、この局から見た方位を通知するというのが最初の電波航法である。航空機では通信用以外の無線設備を特に必要としないが、双方の通信士による共同作業が重要だった。二次大戦が始まる頃には専用のビーコン局が地上に設けられ、航空機側で電波の到来方向を測定する方向探知機の自動化も図られた。
- ^ パイロットでもあったサン・テグジュペリの小説「夜間飛行」「人間の土地」などには、当時の様子が活写されている。fr: Opérateur radio-navigant も参照。
- ^ 戦前の日本には今日的意味での航空管制は存在せず、運航に関する諸連絡は局報(逓信省内の業務用電報)などに拠るのが基本だった。ただ安全に係わる通信は形式には拘らず、また緊急時には口頭連絡も行なうなど、航空機の特性を考慮した扱いがなされていた(1940年の航空無線電報規則で明文化)。1930年代以降は飛行場内の専用無線局により、空陸間の即時通信が可能となる。また大日本航空は南洋航路の開始に際し(1941年時間表)、今で言うカンパニーラジオを飛行艇空港のある横浜に開設した。
- ^ (旧)航空法の条文に定めはなく、省令で定める諸規定(第44条)のうちの一つ、という位置づけだった(同法施行規則第125条)。強制の範囲は時代と共に拡大し、終戦時には運送営業用の全てが無線を要することになっていた。
- ^ 航空機乗員の免許を得るには飛行経歴が重要であるが、電波行政における通信士の資格は試験合格のみで取得できる。運輸行政の対象である航空機乗員としての通信士資格が、1940年代に整備士と共に法定されるまで(後述)、通信士は重要な職務であるにもかかわらず軽んじられる傾向があった。従事には「航空機に乗務した経験を有する」者である必要があり、後には指定無線通信士資格検定の合格がその任用条件となったが(私設規則1943年6月改正 第37条)、これらは無線電信法に係わる規定で、航空機乗員としての資格制度ではない。
- ^ 改正された航空法第3章および施行規則第5章により規定された一/二/三等の航空通信士は、無線通信士の一級/二級/三級と(旧)航空級、に許された操作を行なう際に必要とされた。また地上で航空無線に従事する場合もこの航空従事者資格を要した。なお現行の航空法は民間航空再開後の1952年制定であり、資格の継承はない。
- ^ 二次大戦後は地上からの電波を航空機側で受信し位置を割り出すシステムが中心で、送信地点の方位のみならず距離も操縦席に連続自動表示される。レーダーのように電波を発射する機器も、操縦士が所持する無線資格のみで操作できる。なお主要空港には離着陸を電波で誘導するシステムが装備されているが、自動化されており常時の操作は不要。
- ^ このため操縦士にも無線関係の能力が求められるようになる。日本では航空関係の無線従事者資格を取得させることによりそれが担保され、操縦士の養成ではATCの通信訓練などの他、無線そのものに関する教育も行なわれるのが普通。航空大学校 「教育訓練の内容」 なお外国ではパイロットの資格が無線の免許を含んでいる場合が多い。ちなみに航空無線通信士(及び包含する資格)の試験では会話も含めた英語力が試されるが、航空従事者の学科試験科目に「英語」は存在しない(ただし国外への飛行には航空英語に関する技能証明の合格が必要)。
- ^ 1952年には一・二級通信士の操作範囲に航空関係を加え、また電話通信のみの航空級無線通信士を新設した。後継の航空無線通信士は、モールス以外なら航空関係の地球局を含め全て運用できる。また1971年に新設された特殊無線技士無線電話丙(現航空特殊無線技士)は、航空運送事業用以外の航空機においてVHF国内通信を行なうための資格である。なお国際航路での対地モールス通信に必要だった航空機通信長の規定は1989年に削除された。また一級および二級の総合通信士は、国際条約が定める(航空移動業務に関する)第二級無線電信通信士にも対応していたが、1996年以降に発給される免許証は、電話通信士のみに対応する旨の記載になっている。
- ^ 地上の航空保安無線施設に依存し、無線電話による管制官の指示に従って操縦するのが、航空術の基本となった。戦後の航空法[81] では、この航空交通管制の下にある全ての航空機に無線装備を強制している。これを(電波法上の)義務航空機局[82] という[83]。
- ^ 日本で民間航空が再開された1950年代には、電話の他にモールス通信が必要な飛行情報区(FIR)が存在しており、国際便には専任通信士が乗務する場合もあった。国内では再開時から電話通信のみであったが、当時の航空路管制においては短波がVHFと併用されており、また一部の管制塔との交信は短波によっても可能だった。
- ^ 1952年施行の(新)航空法では、航空従事者として一等/二等/三等の航空通信士が規定された。無線電話で通信する操縦士は、最低でも三等(と航空級無線通信士)の資格を有する必要があった。一等/二等は一級/二級通信士の航空無線における操作範囲に対応しており、モールス通信を行なう専任の通信士が所持していた。ただ1971年以降は、各種の操縦士など運航にかかわる航空従事者資格を有していれば、航空通信士の免許は特に必要としないことになっている[84]。また1995年以降は無等級の航空通信士に一本化されたので、無線の操作範囲は所有の無線従事者資格のみによって定まる。なお第28条但書が示すように、航空機内における無線設備の操作には受信も含むので、電波を発射しない場合も運航にかかわる航空従事者の資格を要する。航空通信士も参照。
- ^ 南米方面の飛行情報区では、60年代初頭まではモールス通信が必須だった(航空機局が具備すべき電波 昭和34年4月郵政省告示第260号)。1960年に導入された日本初のジェット旅客機DC-8の南米航路においても、最初の数年間は専任通信士が手動モールスを運用していた(「DC-8 FOREVER — 退役記念! JAL DC-8の本」 日本航空パイロット編 1987年)
- ^ 乗務通信士は、空中航法全般を担当する航空士、あるいは運航管理者などの地上勤務に転業した。
- ^ 自機の飛行に必要な無線通信や電波航法は操縦士による操作が普通であるが、海上保安庁の航空機には(航空従事者の)航空通信士が乗務しており、遭難船との交信などを担当している。また自衛隊の特に大型機にも専任の通信士が搭乗している(航空士 (自衛隊)#航法・通信)。
- ^ 管制業務用の航空局には航空無線通信士以上の配置を要するが、それ以外の航空通信は専門教育を要さない航空特殊無線技士の資格でも足り、地上では航空会社の社員が対空通信に従事している。
- ^ Aircraft Communication Addressing and Reporting System。VHFを中心とし通信衛星やHF(短波帯)も使用する、全地球的なデジタル情報ネットワークである。地上の航空会社からは気象や空港の情報、航空機からは現在位置や到着予定時刻、フライトプラン(飛行計画)の変更要求、などのデータ伝送が行なわれている。残存燃料・故障報告などの機体情報は自動送信によることも多い。
- ^ 1979年の「国際海事衛星機構に関する条約」締結により、現在の国際移動通信衛星機構が成立した。1998年に事業部分が民営移管されて成立したインマルサット社は、現在では移動通信全般を扱っており、両極地方を除く地球全域からアクセスできる。なおインマルサットは、一般の電話網として使う場合は通信士の資格を要しないが、航空機の安全運航のための通信システムとして使用する場合は、所定の国際的な無線資格を要する。日本では航空無線通信士以上。
- ^ 国土交通省 「国際航空固定通信網(AFTN)/国際航空交通情報通信システム(AMHS)」 衛星系や地上系の通信が殆んどで、無線資格なしでも運用できる場合が多い。なお1970年代まではモールスを含む短波回線も多用されており、多数の専任通信士が従事していた。
- ^ 航空無線通信士以上の操作範囲には機内における電気通信業務も含まれているが、日本機に2004年まで搭載されていた航空機電話は無線従事者の配備を要さないシステムであった[85]。なお外国機で行われている携帯電話中継サービスは、日本の領空では使用不可。
- ^ 通信容量の都合で大量のデータ伝送には制限がある。なおIP電話は使用できない[86] [87]
- ^ 航空の運航に関する通信の地上側には航空無線通信士以上が必要である。ちなみに航空会社などの運航管理者も同様。なお国土交通省航空局の他に自衛隊や在日米軍も航空交通管制を行っているが、自衛隊の場合は国交省と同様に管制官や運航情報官の資格を要するし、基本的には無線の資格も必要である。
- ^ 航空管制官が与える指示は所轄大臣の権限によるものとされており、操縦者はそれに従う義務がある。それ以外の情報提供は命令ではなく、最終的な判断は操縦者自身が行なう。
- ^ 日本では航空管制運航情報官が、航空路を飛行する航空機へ気象通報や飛行場情報などを提供している。また航空管制官の配備が無い飛行場のうち、レディオ空港では常駐する情報官が、リモート空港では全国8ケ所に存在する飛行援助センターの情報官が、その空港に設置されている無線設備を通じ、離着陸する航空機に情報提供を行なっている。これら運航情報業務の他に、航空機の捜索や救難に関し関係機関との間で行なう警急業務のための通信もある。
- ^ en:Flight information service officer#Education and licenseを参照。なお運航情報官(後述の航空管制通信官を含む)は、一般の管制官より広範囲な電気通信関係の教育を受けている[88]。ちなみに航空保安施設の無線設備は、陸上無線技術士の資格を持つ航空管制技術官が技術的な管理を行っている。
- ^ 飛行情報区にある航空機との洋上通信には短波帯の無線電話を使用するが、雑音や混信が多いため専任者を要する。航空管制運航情報官から選抜された航空管制通信官が、管制官からの指示を代わって伝達すると共に情報提供も行なっている[89]。短波回線を補う対流圏散乱波の遠距離VHFも、一般の管制官による運用は行なわれていない。なお自衛隊ではモールス通信も使用されている模様。
参考文献・関連リンク
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