満洲電信電話
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(満州電信電話株式会社から転送)
本社 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | 満洲電電 |
本社所在地 |
満洲国 新京特別市大同大街601号 |
設立 | 1933年(大同2年)8月31日 |
業種 | 情報・通信業 |
代表者 | 総裁 広瀬寿助 |
決算期 | 12月31日 |
主要株主 |
大蔵大臣(27.8%) 満洲政府(17.3%) 社団法人日本放送協会(2.5%) 満洲興業銀行(2.1%) |
特記事項:この欄の出典は『会社四季報昭和二十年一月刊』(東洋経済新報社、1945年1月)のp. 238 |
満洲電信電話株式会社(まんしゅうでんしんでんわ)は、1933年8月31日に設立され、ポツダム宣言の受諾に伴って閉鎖された日満合弁による国策会社。満洲国及び関東州における電気通信事業(放送も含む)を独占的に経営していた。略称は「満洲電電」、略号は「MTT」。
概要
[編集]1933年3月26日に日本・満洲国間で調印された「満洲国ニ於ケル日満合弁通信会社ノ設立ニ関スル協定」に基づいて設立されたもので、関東州、南満洲鉄道附属地及び満洲国にある日・満両国政府所有の電気通信施設を合併、経営することを目的としており、放送事業に関しては、会社設立時に満洲国交通部から奉天・新京・ハルビンの各放送局、関東庁逓信局から大連放送局を継承した [注釈 1]。
1945年8月、ソ連軍や中国側による接収によって事実上消滅。日本国内においても、1946年11月に閉鎖機関に指定され、業務を停止した。
沿革
[編集]- 1922年9月 - 中国の東三省政府、哈爾浜にあるロシアの無線局を接収し、東三省無線電台と改称。
- 1923年春 - 哈爾浜の東三省無線電台(呼出符号XOH)、試験放送開始。
- 5月15日 - 哈爾浜の東三省無線電台、東三省無線電台哈爾浜分台と改称。
- 1925年3月 - 関東庁逓信局、南満洲鉄道大連埠頭事務所内の無線電話施設で実験放送を公開。
- 1926年10月1日 - 東三省政府の哈爾浜広播無線電台(呼出符号XOH)、正式に放送開始。
- 1928年1月1日 - 哈爾浜広播無線電台、新設備から本放送開始(呼出符号をCOHBに変更)。日本語番組も開始。
- 1月1日 - 奉系当局の瀋陽広播無線電台(呼出符号COMK)、正式に放送開始。
- 1931年9月 - 満洲事変により、瀋陽・哈爾浜の両放送局、放送停止。
- 1932年1月12日 - 関東軍特殊無線部、設立(奉天放送局を管轄)。
- 1933年3月26日 - 「満洲国ニ於ケル日満合弁通信会社ノ設立ニ関スル協定」(昭和8年条約第1号)、調印(5月15日:批准、公布)
- 1936年11月1日 - 新京・大連の両放送局で広告放送開始。
- 12月1日 - 奉天・哈爾浜の両放送局で広告放送開始。
- 1937年11月30日 - 「関東州及南満洲鉄道附属地電気通信令」、「関東州電気通信令」に改題(昭和12年勅令第684号)。
- 1940年4月 - 広告放送が事実上終了。
- 1945年8月 - ソビエト連邦や中国側の接収により、満洲国や関東州における事業を停止。
- 1946年11月25日 - 閉鎖機関に指定され、日本国内における業務を停止[2][3]。
- 1950年12月28日 - 在外活動閉鎖機関に指定[4][5]。
重役
[編集]- 総裁 山内静夫 1933年8月31日 -
- 総裁 広瀬寿助 1937年3月 -
- 総裁 吉田悳 1945年3月2日 -
- 副総裁 三多 1933年8月31日 -
- 副総裁 進藤誠一
- 副総裁 チムトシムベロ 1941年3月 - 1942年3月ごろ
- 理事 井上乙彦 1933年8月31日 -
- 理事 前田直造 1933年8月31日 -
- 理事 西田猪之助 1933年8月31日 -
- 理事 瀬田常男
- 理事 大内誠三
- 監事 西山左内 1933年8月31日 -
本社
[編集]- 新京 - 現在でも主要機関として使用されている
管理局
[編集]出張所
[編集]- 東京(丸ビル四階)・大阪
放送局
[編集]- 下表の記号や略語の意味は、
- 関東庁: 関東庁逓信局、関東軍: 関東軍特殊無線部または特殊通信部、満洲国: 満洲国交通部、満洲電電: 満洲電信電話株式会社、東三省: 東三省政府(張作霖を中心とする政権、国民政府の奉天派政権も含む)
- R1: ラジオ第1放送、R2: ラジオ第2放送、R3: ラジオ第3放送
- ○: 局所名、種別、所管、呼出符号変更、●: 廃止
局所名 (地名) |
種別 | 所属 | 呼出符号 | 使用開始 | R1 | R2 | R3 | 変更 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
大連 | 放送局 | 関東庁 | JQAK | 1925. 8. 9 | ○ | 1933. 9. 1 満洲電電に移管 | ||
満洲電電 | 1933. 9. 1 | ○ | ○ | 1938. 4. 1 中央放送局に昇格 | ||||
中央放送局 | 1938. 4. 1 | ● | ● | 1945. 8.24 ソ連軍により接収 / 1946. 1.16 中国共産党側に移管、大連広播電台として放送開始(XGTR) | ||||
安東 | 放送局 | 満洲電電 | JQBK | 1937.10.20 | ● | ● | 1945.10.-- 中国八路軍により接収 / 1945.11. 7 安東市政府広播電台として放送開始(XTAKのちXNAR) | |
新京 | 演奏所 | 関東軍 | - | 1932.10.-- | 関東軍特殊通信部により奉天放送局新京演奏所として設置 | |||
放送局 | MTAY | 1933. 4.16 | ○ | 1933. 8.-- 満洲国交通部に移管 | ||||
満洲国 | 1933. 8.-- | ○ | 1933. 9. 1 満洲電電に移管 | |||||
満洲電電 | 1933. 9. 1 | ○ | 1933.12.15 呼出符号変更(MTCY) | |||||
MTCY | 1933.12.15 | ○ | ○ | 1938. 4. 1 中央放送局に昇格 | ||||
中央放送局 | 1938. 4. 1 | ○ | ○ | 1944. 2.-- 放送総局に昇格 | ||||
放送総局 | 1944. 2.-- | ● | ● | 1945. 9.10 中国共産党側により接収、長春広播電台として放送開始(XNCM) | ||||
瀋陽 | 放送局 | (東三省) | COMK | 1928.10.15 | ○ | 1931.10.16 関東軍により接収、奉天放送局として放送開始 | ||
奉天 | 関東軍 | 1931.10.16 | ○ | 1931.12.13 呼出符号変更(ZILY) | ||||
ZILY | 1931.12.13 | ○ | 1933. 8.-- 満洲国交通部に移管 | |||||
満洲国 | 1933. 8.-- | ○ | 1933. 9. 1 満洲電電に移管 | |||||
満洲電電 | 1933. 9. 1 | ○ | ○ | 1933.12.15 呼出符号変更(MTBY) | ||||
MTBY | 1933.12.15 | ○ | ○ | 1938. 4. 1 中央放送局に昇格 | ||||
中央放送局 | 1938. 4. 1 | ● | ● | 1945. 8.17 中国共産党地下組織により接収、瀋陽広播電台として放送開始 | ||||
哈爾浜 | 放送局 | (東三省) | XOH | 1926.10. 1 | ○ | 1927.10.-- 呼出符号変更(COHB) | ||
COHB | 1927.10.-- | ○ | 1932. 2. 5 関東軍により接収 / 1932. 7.23 満洲国交通部に移管、呼出符号変更(MOHB)、放送開始 | |||||
満洲国 | MOHB | 1932. 7.23 | ○ | 1933. 9. 1 満洲電電に移管 | ||||
満洲電電 | 1933. 9. 1 | ○ | 1933.12.15 呼出符号変更(MTFY) | |||||
MTFY | 1933.12.15 | ○ | ○ | 1938. 4. 1 中央放送局に昇格 | ||||
中央放送局 | 1938. 4. 1 | ● | ● | ● | 1945. 8.20 ソ連軍により接収、中国共産党側により哈爾浜広播電台として放送開始 | |||
牡丹江 | 放送局 | 満洲電電 | MTGY | 1937. 6. 1 | ○ | ○ | 1944. 2.-- 中央放送局に昇格 | |
中央放送局 | 1944. 2.-- | ● | ● | 1945. 8.-- 日本側職員が放送施設を破壊、退去 | ||||
承徳 | 放送局 | 満洲電電 | MTHY | 1937. 7.22 | ○ | ○ | 1944. 2.-- 中央放送局に昇格 | |
中央放送局 | 1944. 2.-- | ● | ● | 1945. 8.-- 日本側職員が放送施設を破壊、退去 | ||||
齊々哈爾 | 放送局 | 満洲電電 | MTLY | 1938. 4. 1 | ○ | ○ | 1944. 2.-- 中央放送局に昇格 | |
中央放送局 | 1944. 2.-- | ● | ● | 1945.--.-- ソ連軍により接収 / 1945.11.-- 中国共産党側により接収 | ||||
撫順 | 放送局 | 満洲電電 | MTIY | 1944. 9. 1 | ● | 1945. 9.-- 八路軍により接収 / 1946.春 撫順市人民政府広播電台として放送開始 | ||
鞍山 | 放送局 | 満洲電電 | MTJY | 1944. 9. 1 | ● | 1945.10.24 八路軍により接収、鞍山広播電台として放送開始 | ||
延吉 | 放送局 | 満洲電電 | MTKK | 1938. 4. 1 | ○ | ○ | 1943. 5. 1 間島放送局に改称 | |
間島 | 1943. 5. 1 | ● | ● | 1945. 8.18 ソ連軍が接収、中国共産党側が延吉広播電台として放送開始 | ||||
本渓湖 | 放送局 | 満洲電電 | MTMY | 1944. 9. 1 | ● | 1945. 9.21 八路軍により接収 / 1945. 9.28 本渓新華広播電台として放送開始 | ||
佳木斯 | 放送局 | 満洲電電 | MTNY | 1938. 4. 1 | ● | ● | 1945. 8.15 終戦の詔勅の直後に日本側職員によって爆破 | |
錦県 | 放送局 | 満洲電電 | MTOY | 1939. 4.14 | ● | ● | 1945.--.-- 八路軍により接収、放送施設は承徳局に移動 | |
営口 | 放送局 | 満洲電電 | MTPY | 1939. 2.10 | ● | ● | 1945.--.-- 中国国民党側により接収、営口広播電台として放送開始 | |
富錦 | 放送局 | 満洲電電 | MTQY | 1939.10. 1 | ● | 1945. 8. 9 日本側職員によって閉鎖、退去 | ||
海拉爾 | 放送局 | 満洲電電 | MTRY | 1938.12.25 | ● | ● | 1945. 8. 9 日本側職員が放送施設を爆破、退去 | |
黒河 | 放送局 | 満洲電電 | MTSY | 1938.12.20 | ● | ● | ● | 1945. 8.-- ソ連軍により接収 |
通化 | 放送局 | 満洲電電 | MTTY | 1940.11.20 | ● | ● | 1945. 9.24 八路軍により接収、冀熱遼行署通化専員公署通化広播電台として放送開始(XTHR) | |
北安 | 放送局 | 満洲電電 | MTUY | 1941. 2. 1 | ● | ● | ||
東安 | 放送局 | 満洲電電 | MTVY | 1942. 3.28 | ● | ● | 1945. 8. 9 日本側職員が放送施設を爆破、退去 | |
吉林 | 演奏所 | 満洲電電 | - | 1936. 6.-- | 新京放送局吉林演奏所として設置 | |||
放送局 | MTWY | 1945. 1.25 | ● | ● | 1945.10.-- ソ連軍により接収 / 1945.11.21 中国共産党側により吉林広播電台として放送開始 | |||
興安 | 放送局 | 満洲電電 | MTXY | 1945. 6. 1 | ● | ● | 1945. 8.-- 日本側職員が放送施設を爆破、退去 | |
阜新 | 放送局 | 満洲電電 | MTZY | 1945. 7.15 | ● | ● | ||
孫呉 | 中継放送局 | 満洲電電 | MTDY | 1943.12. 1 | ● | |||
赤峰 | 中継放送局 | 満洲電電 | MTEY | 1943.12. 1 | ● | ● |
著名な出身者
[編集]- 森繁久彌(俳優、元アナウンサー)
- 糸居五郎(ニッポン放送アナウンサー)
- 仁智栄坊(俳人)
- 高屋窓秋(俳人)
- 大久間喜一郎(歌人、国文学者)
- 小高芳雄(TBSアナウンサー)
- 渡辺仁三(TBSアナウンサー)
- 植村二三子(TBSアナウンサー)
- 高橋百合子(TBSアナウンサー)
- 奥瀬平七郎(小説家、元上野市長)
- 赤羽末吉(絵本作家)
- 金澤覚太郎(放送人)
参考文献
[編集]- 滿洲電信電話株式會社『昭和十四年・康徳六年 滿洲放送年鑑』、1939年[6]。
- 滿洲電信電話株式會社『昭和十五年・康徳七年 滿洲放送年鑑』、1940年[7]。
- 日本放送協会 編『昭和六年 ラヂオ年鑑』誠文堂、1931年2月25日 。
- 日本放送協会 編『昭和七年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1932年3月25日 。
- 日本放送協会 編『昭和八年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1933年6月10日 。
- 日本放送協会 編『昭和九年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1934年6月18日 。
- 日本放送協会 編『昭和十年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1935年5月15日 。
- 日本放送協会 編『昭和十一年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1936年6月5日 。
- 日本放送協会 編『昭和十二年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1937年5月10日 。
- 日本放送協会 編『昭和十三年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1938年6月15日 。
- 日本放送協会 編『昭和十五年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1940年1月10日 。
- 日本放送協会 編『昭和十六年 ラヂオ年鑑』日本放送出版協会、1940年12月30日 。
- 日本放送協会 編『昭和十七年 ラジオ年鑑』日本放送出版協会、1941年12月30日 。
- 日本放送協会 編『昭和十八年 ラジオ年鑑』日本放送出版協会、1943年1月30日 。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 満州国の放送とラジオ 2013年9月2日閲覧
- ^ 昭和20年大蔵・外務・内務・司法省令第1号(官報 第5638号(昭和20年10月26日) 189-190ページ)
- ^ 昭和21年大蔵・外務・司法省令第4号(官報 第5960号(昭和21年11月25日) 188ページ)
- ^ 閉鎖機関令(昭和22年勅令第74号)(官報 第6044号(昭和22年3月10日) 49-51ページ)
- ^ 昭和25年大蔵省告示第1351号(官報 第7191号(昭和25年12月28日) 490ページ)
- ^ 滿洲放送年鑑 - Google ブックス
- ^ 滿洲放送年鑑 - Google ブックス
外部リンク
[編集]