西条町西条東
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西条町西条東 | |
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大字 | |
西条東交差点 | |
北緯34度25分30秒 東経132度44分13秒 / 北緯34.42500度 東経132.73694度座標: 北緯34度25分30秒 東経132度44分13秒 / 北緯34.42500度 東経132.73694度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 広島県 |
市町村 | 東広島市 |
人口情報(2024) | |
人口 | 2,437 人 |
郵便番号 | 739-0042 |
市外局番 | 082 |
ナンバープレート | 広島 |
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西条町西条東(さいじょうちょうさいじょうひがし)とは、広島県東広島市の大字。全域で住居表示未実施である[1]。
概要
[編集]西条地区市街地から見て西側に位置している。国道486号沿線には商業施設も見られるが、全体的に住宅地が多い。
「西条東」という名称は、10~11世紀頃にそれまでの賀茂郷が東条と西条に分割された際、当地が西条の東に位置していたことに由来する[2]。そのため現在の西条地区の東側にあるという訳ではない。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。賀茂郡寺家村と西条東村が合併し、寺西村(第一次)が発足する。西条東村は「西条東」として寺西村の大字となる[2][3]。
- 1939年(昭和14年)7月1日 - 寺西村が西条町に吸収されたため、西条東は西条町の大字となる[2][3]。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 旧寺西村の領域が再び寺西村(第二次)として分立し、西条東は再び寺西村の大字となる[2][3]。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 寺西村が単独町制施行し、寺西町となる[2][3]。
- 1959年(昭和34年)10月1日 - 寺西町が再び西条町に吸収合併される[2][3]。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 地区内の一部が西本町(現在の西条西本町)として分離され、住居表示が実施される[4][5]。
- 1972年(昭和49年)4月20日 - 西条町が周辺3町と合併し、東広島市が発足。西条東は「西条町西条東」として東広島市の大字となる[6]。
- 1997年(平成9年)2月10日 - 地区内の一部が西条西本町に編入される[4]。
- 2001年(平成13年)12月3日 - 地区内の一部が西条東北町として分離され、住居表示が実施される[4]。
交通
[編集]鉄道
[編集]町内に鉄道路線は通っていない。最寄り駅はJR山陽本線の西条駅。
バス
[編集]芸陽バスとJRバス中国が町内を走るバスを運行している[7][8]。
JRバス中国
[編集]芸陽バス
[編集]道路
[編集]一般国道
[編集]一般地方道
[編集]- 広島県道332号吉川西条線 - 公式なものではないが、「下見街道」という通称がある[9][10]
施設
[編集]- サタケ物流センター
- 土肥整形外科病院
学区
[編集]公立小学校に通学する場合、住んでいる場所に応じて三ツ城小学校か寺西小学校のいずれかに進学することになる。いずれの小学校に入学した場合でも、進学先の中学校は中央中学校である[11]。
世帯数・人口
[編集]2024年9月末での世帯数は1244世帯、人口は2437人である[12]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 大学周辺を反時計回りに一周する。詳細は広大中央口#広島大学周辺のバス停を参照。
出典
[編集]- ^ 住居表示未実施区域一覧(地区別)
- ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1987, p. 379.
- ^ a b c d e 地名情報資料室 1990, p. 501.
- ^ a b c 住居表示実施区域一覧
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1987, p. 615.
- ^ 地名情報資料室 1990, p. 654.
- ^ 路線バス(広島県)|中国ジェイアールバス株式会社
- ^ 芸陽バス路線図(西条・豊栄)2022.12
- ^ 中央中生徒が下見街道を清掃 身近な地域貢献 | 東広島デジタル
- ^ 【東広島市西条】下見街道沿いの新しい建物は塾だった | 東広島デジタル
- ^ 東広島市立小・中学校の通学区域/東広島市ホームページ
- ^ 2024(令和6)年9月大字別人口
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 34(広島県)、角川書店、1987年3月。ISBN 4-04-001340-9。
- 地名情報資料室 編『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年9月。ISBN 4-490-10280-1。