安芸国
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安芸国 | |
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■-安芸国 ■-山陽道 | |
別称 | 芸州(げいしゅう) |
所属 | 山陽道 |
相当領域 | 広島県西部 |
諸元 | |
国力 | 上国 |
距離 | 遠国 |
郡・郷数 | 8郡63郷 |
国内主要施設 | |
安芸国府 | 広島県安芸郡府中町 |
安芸国分寺 | 広島県東広島市(安芸国分寺跡) |
安芸国分尼寺 | (推定)広島県東広島市 |
一宮 | 厳島神社(広島県廿日市市) |
安芸国(あきのくに、旧字体:安藝國)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。芸州(げいしゅう)とも。
「安芸」の名称
[編集]安芸(安藝)は古くは「阿岐」と書いた。『古事記』には「阿岐国」と記載されている。スサノオノミコトの拠点は出雲国、安来(現;山陰、島根県)の地であり歴史的に混同されることが多かった。
領域
[編集]明治維新の直前の領域は、広島県広島市、呉市、竹原市、大竹市、廿日市市、安芸高田市、江田島市、安芸郡、豊田郡の全域および三原市の一部(概ね和田浜町、和田、宗郷、新倉、新倉町、沼田町、高坂町許山、久井町土取、久井町山中野、久井町小林、大和町大草、大和町大具、大和町椋梨、大和町下草井以西)、尾道市の一部(瀬戸田町各町・因島洲江町・因島原町)、三次市の一部(秋町・粟屋町)、東広島市の大部分(豊栄町飯田・豊栄町吉原を除く)、山県郡の大部分(北広島町西八幡原の一部を除く)にあたる。
沿革
[編集]7世紀に阿岐国造の領域に安芸国が設置された。
近世以降の沿革
[編集]- 「旧高旧領取調帳」の記載によると、明治初年時点では全域が安芸広島藩領であった(522村・313,164石余)。蔵米3万石を安芸広島新田藩に分知していたが、封地は定めず。
- 明治2年12月26日(1870年1月27日) - 広島新田藩が広島藩に編入。
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により広島県の管轄となる。
国内の施設
[編集]国府
[編集]平安時代編纂の倭名類聚抄によれば国府は安芸郡にあった。遺跡は見つかっておらず、正確な位置は不明である。現在の安芸郡府中町と推定される。また、国分寺が作られた東広島市西条に求める説もある[1]。
国分寺・国分尼寺
[編集]- 安芸国分寺
- 広島県東広島市西条町吉行。
神社
[編集]地域
[編集]郡
[編集]- 沼田郡 - 「ぬたぐん」と読む。鎌倉期までに豊田郡に編入され消滅した。寛文4年(1664年)に佐東郡を改称した近世沼田郡(こちらは「ぬまたぐん」と読む)とは領域が異なり、現在の東広島市東部や三原市西部などが該当。全7郷。
- 賀茂郡 - 現在の東広島市中部など。1956年(昭和31年)に豊田郡と所属市町村を調整。全9郷。
- 安芸郡 - 現在の安芸郡や呉市西部など。鎌倉期までに安北郡と安南郡に分割され、江戸期に安南郡を再改称した。全11郷。
- 佐伯郡 - 現在の広島市南西部や廿日市市など。鎌倉期までに佐東郡と佐西郡に分割され、寛文4年(1664年)に佐西郡を再改称。全12郷。
- 山県郡 - 現在の山県郡とほぼ同じ。全8郷。
- 高宮郡 - 鎌倉期までに高田郡に編入。江戸期に安北郡を改称した近世の高宮郡とは領域が異なる。現在の安芸高田市高宮町・甲田町・美土里町などは古代高宮郡の領域であったとされる。全6郷。
- 高田郡 - 現在の安芸高田市西部など。後に高宮郡と統合・再編される。全7郷。
- 豊田郡 - はじめは「沙田郡」(ますたぐん)と表記。中世までに改称された。芸予諸島のうち広島県に属する部分の多くは豊田郡。全6郷。
江戸時代の藩
[編集]人物
[編集]国司
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安芸守
[編集]- 忍海人成:養老4年(720年)任官
- 坂上苅田麻呂:宝亀2年(771年)任官
- 藤原園人:延暦4年(785年)任官
- 藤原伊勢人:大同元年(806年)任官
- 豊前王:承和14年(847年)任官
- 紀綱雄:嘉祥元年(848年)任官
- 橘真直:嘉祥2年(849年)任官
- 橘貞根:嘉祥3年(850年)任官
- 清原瀧雄:斉衡3年(856年)任官
- 百済安宗:天安2年(858年)任官
- 大和吉直:天安2年(858年)任官
- 藤原関主:貞観3年(861年)任官
- 基兄王:貞観7年(865年)任官
- 藤原興世:貞観11年(869年)任官
- 橘岑守:貞観11年(869年)任官
- 安倍肱主:仁和2年(886年)任官
- 伴忠行:昌泰2年(899年)任官
- 紀宣明
- 源頼清:長元4年(1031年)任官
- 源有光:康平5年(1062年)頃
- 平清盛:久安2年(1146年)任官
- 平経盛:保元元年(1156年)任官
- 平頼盛:保元元年(1156年)任官
- 源季遠
- 佐伯景弘:寿永元年(1182年)任官
安芸介
[編集]守護
[編集]鎌倉幕府
[編集]- 1189年 - ? : 武田信光[2]
- 1196年[2] - 1221年 : 宗孝親
- 1231年 - ? : 武田信光
- 1235年[3] - ? : 藤原親実
- 1270年 - 1276年 : 武田信時
- 1293年 - ? : 名越宗長
室町幕府
[編集]- 1335年 - 1345年 : 武田信武
- 1345年 - 1368年 : 武田氏信
- 1371年 - 1390年 : 今川貞世
- 1392年 - 1394年 : 細川頼元
- 1394年 - 1400年 : 渋川満頼
- 1404年 - 1406年 : 山名満氏
- 1406年 - 1411年 : 山名熙重
- 1418年 - 1419年 : 山名教孝
- 1429年 - 1433年 : 山名時熙
- 1433年 - 1454年 : 山名持豊
- 1454年 - ? : 山名教豊
- 1462年 - 1475年 : 山名是豊
- 1475年 - ? : 山名政豊
戦国大名
[編集]武家官位としての安芸守
[編集]江戸時代以前
[編集]江戸時代
[編集]- 安芸広島藩主
- その他
安芸国の合戦
[編集]- 1517年 : 有田中井手の戦い、毛利元就 × 武田元繁
- 1523年 : 鏡山城の戦い、尼子経久・毛利元就 × 大内氏
- 1540年 - 1541年 : 吉田郡山城の戦い、毛利・大内連合軍(毛利元就、陶晴賢) × 尼子詮久
- 1554年 : 折敷畑の戦い、毛利元就 × 陶晴賢(宮川房長)
- 1555年 : 厳島の戦い、毛利元就 × 陶晴賢
- 1866年 : 芸州口の戦い(長州征討)、長州藩 × 江戸幕府
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 広島県 編『広島県史』《中世 通史Ⅱ》広島県、1984年3月28日。NDLJP:9575528。(要登録)
- 岸田裕広・編『広島県の歴史』、山川出版社、1999年。
- 角川日本地名大辞典 34 広島県
- 旧高旧領取調帳データベース