基兄王
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基兄王(もとえおう、天長元年(824年) - 元慶5年11月22日(881年12月16日))は、平安時代初期から前期にかけての皇族。名は基枝王とも記される。桓武天皇の孫。三品・葛井親王の長男。官位は正四位下・大蔵卿。
経歴
[編集]仁明朝の承和11年(844年)二世王の蔭位により無位から従四位下に直叙され、翌承和12年(845年)宮内大輔に任ぜられる。承和14年(847年)民部大輔に転任する。文徳朝の斉衡3年(856年)従四位上に叙せられるが、翌天安元年(857年)山城守に任ぜられ、地方官に転じる。
その後、清和朝にて散位を経て貞観5年(863年)民部大輔として京官に復す。貞観7年(865年)正月に安芸守に任ぜられ再び地方官に転じるが、間もなく母親の死去に伴い一旦官職を辞任し、同年5月に再任されている。貞観11年(869年)に安芸守の任期を終えた後は、弾正大弼・刑部卿・大蔵卿と清和朝後半から陽成朝にかけて京官を歴任し、貞観16年(874年)には正四位下に叙せられている。
元慶5年(881年)11月22日卒去。享年58。最終官位は大蔵卿正四位下。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 承和11年(844年) 正月7日:従四位下
- 承和12年(845年) 7月3日:宮内大輔
- 承和14年(847年) 2月11日:民部大輔
- 嘉祥4年(851年) 4月1日:出居侍従
- 斉衡3年(856年) 正月7日:従四位上
- 天安元年(857年) 9月10日:山城守
- 天安2年(858年) 8月27日:作路司(文徳天皇崩御)
- 貞観5年(863年) 2月10日:民部大輔
- 貞観7年(865年) 正月27日:安芸守。5月16日:安芸守
- 貞観11年(869年) 2月16日:弾正大弼
- 貞観12年(870年) 2月21日:刑部卿
- 時期不詳:大蔵卿
- 貞観16年(874年) 正月7日:正四位下
- 元慶5年(881年) 11月22日:卒去(大蔵卿正四位下)