種子島空港 (初代)
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種子島空港 | |||||||
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管制塔とターミナルビル(2006年) | |||||||
IATA: TNE - ICAO: RJFG | |||||||
概要 | |||||||
国・地域 | 日本 | ||||||
所在地 | 鹿児島県種子島 | ||||||
種類 | 第三種空港 | ||||||
開港 | 1962年7月27日 | ||||||
閉鎖 | 2006年3月15日 | ||||||
ターミナル数 | 1 | ||||||
座標 | 北緯30度32分38秒 東経130度57分17秒 / 北緯30.54389度 東経130.95472度座標: 北緯30度32分38秒 東経130度57分17秒 / 北緯30.54389度 東経130.95472度 | ||||||
地図 | |||||||
種子島空港 (初代)の位置 | |||||||
滑走路 | |||||||
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空港の一覧 |
種子島空港(たねがしまくうこう)は鹿児島県熊毛郡中種子町(種子島)に存在した第三種空港である。2006年3月16日に廃止された。
概要
[編集]鹿児島県熊毛郡中種子町野間に所在していた。供用廃止直前には、滑走路は1,500×45mで、大阪国際空港及び鹿児島空港への路線が存在していた。
当空港から約8km北の中種子町砂中に新たな種子島空港が2006年3月16日に「コスモポート種子島」の愛称で開港し、当空港は同日に供用廃止となった。新海誠監督のアニメーション映画秒速5センチメートルのコスモナウトに当空港が登場した。2018年現在、管制塔が取り壊された以外はそのままで、ターミナル建物は廃墟とまではならずも、電気設備会社の資材置き場倉庫となっている[1]。
滑走路の跡地を利用して、自衛隊や米軍の演習が行われている[2][3][4][5]。
歴史
[編集]- 1958年(昭和33年)12月16日 - 空港設置許可
- 1962年(昭和37年)7月27日 - 供用開始
- 1973年(昭和48年)5月19日 - 滑走路を1,100mから1,500mへ延長
- 2006年(平成18年)3月16日 - 新たな種子島空港が開港し、当空港の供用廃止
施設
[編集]チケット受付、及び手荷物カウンター、待合所、土産物品店、コロンビアと言う喫茶・食堂が併設されていた。
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待合所とカウンター(2002年)
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種子島空港に駐機中のYS-11(日本エアコミューター機、2006年)
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ターミナルビル(ビル左手に管制塔があった、2015年)
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正面が待合所との連絡口、右手が駐機場(2015年)
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道路は鹿児島県道589号種子島空港線、左側の電柱奥にある建物は朝日航洋のヘリコプター営業所跡
(種子島空港ホテル跡地から撮影、2015年) -
現状の旧空港ターミナルビル(2019年)
安納飛行場(西之表町営)について(参考)
[編集]旧種子島空港が開港するより先に、当時の西之表町(現・西之表市)が、1961年(昭和36年)に町営飛行場として西之表町安納に「安納飛行場」を開場させている。
旧種子島空港と共存の時期もあったが、滑走路長が900m x 40mと短く、富士航空の4人乗りセスナ機の不定期便や東亜国内航空の10人前後乗りの小型機による運航が不定期で行われたが、1964年に休航。旧種子島空港との共存が確立せず、1966年(昭和41年)に廃港となった。滑走路跡地にはエビの養殖場および南側に野球場が建設された[6]。
脚注
[編集]- ^ 『空港をゆく』イカロス出版〈イカロスMOOK〉、2013年12月。ISBN 978-4863207912。
- ^ “日米で離島奪還訓練を実施=旧種子島空港跡地-陸自”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2018年10月14日) 2018年12月10日閲覧。
- ^ “陸自の水陸機動団、米海兵隊と共同訓練 種子島”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. (2018年10月14日) 2018年12月10日閲覧。
- ^ “日米:水陸共同訓練実施へ 離島奪回を想定”. デジタル毎日. 毎日新聞社. (2018年10月1日) 2018年12月10日閲覧。
- ^ “離島奪還、緊迫の銃撃戦 陸自・米海兵隊共同訓練ルポ”. 日本経済新聞電子版. 日本経済新聞社. (2018年10月19日) 2018年12月10日閲覧。
- ^ 井元正流 著「種子島今むかし」(八重岳書房・1994年刊)
関連項目
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