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熊毛郡 (鹿児島県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鹿児島県熊毛郡の位置(1.中種子町 2.南種子町 3.屋久島町 薄緑:後に他郡から編入した区域)

熊毛郡(くまげぐん)は、鹿児島県大隅国)にある

人口22,926人、面積787.33km²、人口密度29.1人/km²。(2024年12月1日、推計人口

以下の3町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記から屋久島町の全域を除き、西之表市の全域を加えた区域にあたる。

歴史

近世以降の沿革

西之表村、国上村、現和村、安城村、住吉村、納官村、増田村、野間村、油久村、坂井村、平山村、茎永村、中之村、西之村、島間村、安納村[1]、古田村[1]

町村制以降の沿革

1.北種子村 2.中種子村 3.南種子村 11.上屋久村 12.下屋久村(紫:屋久島町 青:合併なし 上屋久村所属の口之永良部島は省略)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。「種子島郡役所(後に熊毛郡役所)」が北種子村に設置され、馭謨郡とともに管轄。(3村)
      • 北種子村 ← 西之表村、住吉村、国上村、伊関村、現和村、安城村、安納村、古田村(現・西之表市)
      • 中種子村 ← 野間村、納官村、油久村、増田村、牧川村、田島村、坂井村(現・中種子町)
      • 南種子村 ← 茎永村、島間村、西之村、平山村、中之村(現・南種子町)
  • 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、熊毛郡役所の管轄区域をもって、改めて熊毛郡が発足。上屋久村下屋久村(現・屋久島町)が本郡の所属となる。(5村)
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年
    • 4月1日 - 北種子村が町制施行・改称して西之表町となる。(1町4村)
    • 7月1日 - 郡役所が廃止され、内務省告示第82号により熊毛支庁が設置される。
  • 昭和15年(1940年11月10日 - 中種子村が町制施行して中種子町となる。(2町3村)
  • 昭和31年(1956年10月15日 - 南種子村が町制施行して南種子町となる[2]。(3町2村)
  • 昭和33年(1958年
  • 昭和34年(1959年)4月1日 - 下屋久村が改称・町制施行して屋久町となる[5][6]。(4町)
  • 平成19年(2007年10月1日 - 上屋久町・屋久町が合併して屋久島町が発足[7]。(3町)

変遷表

自治体の変遷
明治22年4月1日 明治22年 - 大正15年 昭和元年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
北種子村 大正15年4月1日
町制改称 西之表町
西之表町 昭和33年10月1日
市制
西之表市 西之表市
中種子村 中種子村 昭和15年11月10日
町制
中種子町 中種子町 中種子町
南種子村 南種子村 南種子村 昭和31年10月15日
町制
南種子町 南種子町
馭謨郡
上屋久村
明治29年3月29日
熊毛郡
上屋久村 昭和33年4月1日
町制
平成19年10月1日
屋久島町
屋久島町
馭謨郡
下屋久村
下屋久村 昭和34年4月1日
町制改称 屋久町

脚注

  1. ^ a b 記載なし。
  2. ^ 1956年(昭和31年)10月15日総理府告示第844号「村を町とする処分」
  3. ^ 1958年(昭和33年)4月1日総理府告示第156号「村を町とする処分」
  4. ^ 1958年(昭和33年)9月30日総理府告示第333号「町を市とする処分」
  5. ^ 1959年(昭和34年)3月30日総理府告示第121号「村の名称変更」
  6. ^ 1959年(昭和34年)3月30日総理府告示第122号「村を町とする処分」
  7. ^ ウィキソース出典 2007年(平成19年)4月16日総務省告示第245号『町の廃置分合 (平成19年総務省告示第245号)』。ウィキソースより閲覧。 

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 46 鹿児島県、角川書店、1983年3月1日。ISBN 404001460X 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

外部リンク